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占い師としての成長日記
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今となっては、原因となった問題云々ではなく、それにまつわる話し合いで生じた場面で、相手の人間性を見て失望してしまったんですね。それが長い間私の中で消せない炎みたいになって、いろんなものを燃やし続けているように感じています。


もし・・・なんていう言葉は今更どうしようも出来ないのかもしれませんが、夫婦って、所詮他人なのだから、とにかくいっぱいいっぱい、話し合ったり、手をつないだり、料理作ってあげたり、ありとあらゆる手段で近づくことをしていくべきなんだなって・・・。ケンカを恐れずに、自分を出すことを恐れずに。そして、相手を受け入れる気持ちもちゃんと片手に忘れずに。


子供が出来ても、親という役割は増えたけれど、夫婦という役割は変わらずにあるわけです。夫婦という役が親に変換するわけではないのです。
だから、親である前に、男と女である自分たちをもっと大事にすべきでした。


男と女・・・男から見れば、女はわけのわからない生き物だろうし、女にとっても男はよく理解できない生き物。でも、男同士、女同士のむすびつきよりもはるかに強い力で引き合う男と女同士なのだから、いろいろあってもいいんですよ。でもその間に、相手を思いやる愛があればいいんです。


そんなことに、今ようやく気がついたのですね。何が足りなくなって、こんな事態に陥ったのか。これは私たちだけではない、この世の人間関係すべてに通じる真実です。


結婚って、もっといいものだと思っていました。
それは夢見る夢子ちゃん的かもしれませんが、結婚したら好きな人とずっと一緒にいられるから。だから憧れていたんでしょうね。確かに今、好きな人とずっと一緒にいます・・・が、私の心の中は「亭主元気で留守がいい」(爆)。そんな気持ちになってしまうなんて、自分でびっくりしました。仮面夫婦とか、家庭内別居の言葉を独身時代に聞いたときは、本当に信じがたかったし、そんなことは絶対にいやだし、軽蔑していたのですが、今現実はどうでしょう。それに半分足を突っ込んでいますよ。仮面をかぶりたくなる気持ちも理解できます。
何度も何度も、夫のことを心の中で殴ってきた私は、本来ならば逆DVで訴えられているかもしれません。


今回は今まで触れる事をしなかった、自分の甘さや自分の責任について切り込んでみようと想います。


私が結婚に対して犯した一番の罪を考えたら、どうしても避けて通れない壁があります。
それは・・・早く銀行を辞めたかったことです。


銀行という仕事にアレルギーを感じ、一刻も早く辞めたいと思いながら、次に生きる道もなく、結婚することで円満に辞められると思って、選んだ気持ちがあったのです。


実は、夫とこういう風に険悪になるサインは、結婚前からちゃんと私はキャッチしていたんですね。結婚してから悪くなったんじゃないんです。結婚前から、付き合いの中で彼の性質を感じられる場面がありました。
でも・・・私はそれに気づきながら蓋をしてしまったのです。もし、この男性を逃したら自分は結婚できない・・・また銀行員生活に戻らねばならない・・・今更「ここが嫌だから別れる」なんて言えない・・・。
笑ってしまうのですが、人目を気にしていて、今更言い出せず、辞める勇気がありませんでした。これが第二の罪です。


そして、結婚し、様々な違いが明らかになっていく中で、彼のことを私は容赦なく責め立ててしまいました。これが第三の罪です。


最初が肝心、といいますが、私は最初の部分で、自分の人生を彼にゆだねてしまったり、他人に「どう思われているのか」ということにとらわれてしまい、自分の人生なのに、責任を負ってこなかったんですね。その代償が、夫との不仲であり、どうしようもできない憎悪なのです。あまりにも失ったものは大きく、気づくのが遅くなりました。


そして、今「や~めた!」と放り出すわけには行かない状況です。結婚前に「やっぱりこの人とはどうしても合わない」と素直に負けを認めるか、大喧嘩を覚悟でこの人から送られてきたサインを無視せずに受け取っていれば、この激しい感情も、違う形で、私を覆ってくれたのかもしれません。それに気づくには、当時の私はあまりにも経験も自信もなかったです。自信がないって、本当に怖いことですよ。


でも・・・好きだから結婚した、それは確かな真実でもあります。
だから、この辛いとしかいえない感情が芽生え、それと付き合っていくことができるのかもしれませんね。
いずれにせよ、心の中は修羅の道です(苦笑)。


「結婚したら多少のことはどんな夫婦にもあるのよ。あなたたちだけじゃないのよ。」


そう言われます。


でも私にとってその言葉は何の励ましにも慰めにもならないのですね。
みんながそうだからあきらめろというのか。これが普通なのだと思えば救われるのか。
元は他人。価値観が違うわけですから、何かしらあるのは当然です。
でも、その二人の間に、相手を思いやる愛があるのか、ないのか。
それが私は知りたいのです。私たちはそれができる心の広さをちゃんと持ち合わせている間柄なのかを。


夫婦は成長していくものだと想います。
最初はできないことも、10年後にはできているかもしれない。
長い時間を過ごす中で、相手を受け入れることもあるでしょう。
しかし、憎悪やうらみつらみは、それを容赦なく刈り取っていきます。
相手を受け入れる余裕すら、あっさりと斬り捨てていきます。


子供にとって、私はいい母親ではないと断言できます。
それは自分の感情を優先し、夫と嘘でも仲良く出来ないからです。これが、私の犯している一番最大の罪かもしれませんね。
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私は結婚するまで、自分に「誰か憎いと思う人はいる?」と問いかけられたら「いない」と即答できるような、そんな人間関係の中で暮らしていました。
気の合わない人はいたけれど、嫌いだと思うことはなかったですね。


でも、結婚して、私は「人を憎む」ということを、夫や、夫の両親に対して思ってしまうようになりました。


なぜそれほどまでに憎いのか、どういう経緯があって憎しみが生まれてしまったのかを、残念ながらここに書き記すことは出来ません。もし、それをつぶさに書き上げても、それを見た人は様々に感じるでしょうし、やはり、書く内容や、すべてを書き上げることには私自身も抵抗があるからです。ひとつだけいえることは、「私は怒っている」ということだけです。


でも、一緒に暮らせばその憎悪は消えることもなく、むしろ年々私の中でその面積を増やしていくのです。
憎悪が愛しさに変換してくれません。愛しさは憎悪に変わるのに。
なぜ憎悪は憎悪のまま、長く私の中に宿っているのでしょう。どうすれば、ともすれば「どこかに消えて欲しい」と願ってしまうようなそんな心は消えてくれるのでしょうか。


これが私の中で一番の大きな大きな問題であり、今だ解決ができません。
この解決の方法を知っているのは、時間だけかもしれません。あと10年後の私はいまと同じ温度で、その憎しみを保っているのでしょうか。それどころかもっと熱く、深く、憎しみが服を着て歩いているような人間になっているのでしょうか。


今、変えなければと思うのに、なぜ変われないのかがわかりません。
それをずっとずっと自分に問いかけているのに、変わりたくない!とシャットアウトしてしまう自分がいます。夫に優しくなんてできません。
優しくしたいと思っていない自分を変えられる、他の強いきっかけがないのですね。


どうすれば、これだけ近い距離で発生した溝を、憎しみではなく、愛情に変えていけるのでしょうか。
私は別れではなく、共に暮らす選択をしました。
それなのに、これでは別れたほうがよかったんじゃないかという言動しかとれず、自分の苦しみがわかってもらえない苦しさから相手がますます嫌いになります。


どうしてこんなふうになってしまったのか。
たった一つだけ、とても大事なことがあります。
夫婦として、これだけは欠かせてしまってはならなかったもの。
「相手の気持ちになって考えてあげること」
それはつまり、相手と話し合い、相手が何を望み、何を考えているのか、そして自分も何を考えているのか、話し合ったり、いったりきたりを繰り返しながらでも、相手を思いやることです。


わかっているのに、できないもどかしさは、自分への情けなさになります。
それだけ憎しみとかうらみつらみは、私の心から思いやりを根本的に奪っていくのですね。


夫とのことで、最近は泣くことはなくなりました。
あれだけ泣いて、心が壊れちゃうんじゃないかと真剣に思い悩んだ日が嘘のように遠ざかってしまったように、今の私の激しい憎しみは、時間という積み重ねしか、回答を持たないのかもしれません。私は、今はそれに委ねようと思っています。


それでもきっと必要があって、私の身に起きていることなのだから。

私がソレを見つけたのは二度目。
一度目は新築一ヶ月目のある朝、我が家の玄関のすぐ横に落ちていた。
そして今朝は二度目。駐車場と隣の家の境目のとっても目立つ場所に。


ソレ=犬のフン。


私がそれをわなわなと震える手で処分したことが想像していただけるでしょう。


二度目があったら、絶対に防犯カメラをつけてやる!と一度目の被害のときに誓っていた私ですが、さすがにそんなお金はローンに消えてありません(苦笑)。
まずフンを処分した荒い息のまま、町会長さんに電話をしました。


「これで二度目なんですが、ここらへんではこういう苦情多いんですか?」
町会長さんはいなかったので奥様が対応してくださったのですが
「そうなのよ。張り紙をしたほうがいいわよ。そうするとそこではしなくなるから。まあ他でするだけのことだから、解決ではないけれど。」
話をしていると町会長さんが戻ってきたので話を聞いてもらいました。
町会だよりが回覧で回ってくるので、話しておけばいつか町会便りに注意として書いてもらえるかもしれません。犬の散歩をするなんて距離だから、遠い人ではないはずですしね。つい先日も、我が家は新しく分譲されたところなんですが、その中の一軒で、庭に火のついたままのたばこを投げ入れられて困っているというお宅があるという記事が町会だよりで回ったんですよ。信じられませんよね。町会便りで注意を促し、警察にもパトロールしてもらうようになったら無くなったんですって・・・ってそれって結局、町会の誰かが投げ入れていたってことですよね???


私はアドバイスどおり、すぐに「犬のフンはお持ち帰りください!!」
と紙に書いて張り出しました。
「!!」に怒りの感情が表れています。


しかしですね、「犬のフンをお持ち帰りください」と書いている瞬間が一番頭に血が上りました。パソコンで打って、プリントアウトして張ろうと思ったんですね。しかし、犬のフンごときに、なんで私の貴重な時間と、貴重なインクリボンを使わねばならないんだ!!という結論に達し、私の手書きになったのですが、心の中では「私に犬のフンの始末を押し付けて・・・(怒)」「私に『犬のフン』なんて文字を書かせるなんて・・・(わなわな)」「犬がわが子のようにかわいいなら、ちゃんとわが子と同様にしつけてから散歩しろ!」「わが子が他人の庭にウンチをしてたら謝りに来るか、こっそり始末しにくるはずなのに、なぜペットにはそれをしないのだ!」・・・と黒いものがモニョモニョと湧き出てきました。


たまたま始末する道具を持ってこずに散歩したなら、ヤリ逃げせずに、あとで始末しに来たっていいはずですよ。


わが子だ、家族だと言い、大事にかわいがるペット愛好家なら、こんなマナー違反はありえないはずですよね?わが子が他人の庭にウンチをしたら後始末に来るのが、親として本来の流れですよ。


前回は本当に玄関の横にされてて、最悪でした。
たぶん朝か夜中にされてしまったのかも・・・。私にうらみがあるのかしら?というくらいの場所にボトンと落とされていて・・・。


三度目がきたら、私は絶対に外で犯人を現行犯で逮捕する!・・・勢いです(苦笑)。いや、車に潜んで、絶対に言い逃れできない瞬間に飛び出して、一言物申したい・・・・。犬にではなく、飼い主にです、ハイ。
昨日、知人のYさんと会話していたとき、自分の夫とのかかわりや問題から発して、「息子と母親」という距離関係の話から、やはり会話は「嫁と姑」という流れになりました。母親は息子がかわいくてたまらないし、基本的に男の子はマザコンです。だから嫁と姑という関係は、波風が立つのは当然なんだということに始まったのですが、Yさんが私にこういいました。


「あのね、こういう話があるのよ。夫にとって、本妻は母親で、妻は愛人だと思ったほうがいいって。本妻はあちらだから、そう思えば、相手にカッカしたって仕方ないの。本妻には敵いません。でも、女は人生で三回強くなれるチャンスがあるの。ひとつは結婚したとき。二つ目は子供が生まれた時。三つ目は姑が亡くなったとき。ほら、本妻がいなくなったら愛人が『今度は私の出番よっ!』って出てくるでしょ?あれと同じなのよ。」


はあ・・・すごい例えだなと思いましたが(笑)、あながち間違ってもいないような気がします。っていうか、うちはそうかもしれませんね(爆)。だから夫を家から連れ出してしまったんですし・・・。


「本妻と愛人」そんな関係は望んでもいないのですが、でも夫という人間をめぐってはそんな感情がうずきあうのかもしれません。


でも本当は、結婚というのは親からの自立であり、今度は親とは違う価値観を育てていける自由でもあると思うのです。だけど、その足をひっぱってしまうのは「愛情」でもあるんですね。子供を思うゆえの愛には違いないのですが、「行かないで。寂しいから」という気持ちがあるのなら、それは母親の愛から発したエゴになってしまうしのでしょうか。親離れ子離れができていないから「本妻と妻」のような対立構造になってしまうんですね。


私は義母からいろんなことを学びました。
いいことも悪いことも、これからのあるべき姿も。
今度は私の番です。私は息子が結婚を決めるとき、遠くに行くと言い出したとき、自ら孤独になることを受け入れて、口を挟みたい気持ちを抑えて、笑顔で見送れるでしょうか・・・。


その夜義母に用事があって電話を入れることがあったのですが、先日私がボーイスカウトのキャンプに行っている間に、義母と義母の妹が我が家に訪問してくれていたんですね。普段は遠く離れている妹に息子夫婦の建てた新築の家を見せたかったんだと思います。
その話になって「今回、私もじっくり家を見せてもらったけれど、あれよね。妙に広すぎて落ち着かないわよね。空間の使い方がもったいないような気がするわ。私だったら廊下をあんなに広く取らないわね。妹はいいんじゃないって言ってたけど、私にはもったいない場所がいっぱいあるわ。」


「あ、そうなんですか。ハハハハハ・・・(あくまで心の中で繰り広げられる私の乾いた笑い)・・・(^-^;」


Yさんの「あちらは本妻」という言葉がこだました瞬間でした。


義母は、絶対にほめないんですね。
アラを先に言うんです。でもそれが義母の話の仕方なのかもしれません。悪気があって言っているわけではないということもわかりますが、それでもお金をためて家を建てることの大変さを知っているのに、こういう伝え方では相手をがっかりさせてしまうことは知らないのです。
ご自分の大事な息子が頑張って仕事をして、嫌がるローンを組んで、決意して建てた家なのですから、間取りが思い通りにいかない部分あるのは当然でも、そのことを言ってほしかったな・・・。私は義母と違って、夫の何もかもを笑って許してしまうような甘さはないかもしれません。だから怖がられちゃうのかもしれませんけど(苦笑)。私なりに独立しながら、上手にこの人たちとつきあっていくしか道はないと、受話器を抱えながら考えました。


嫌だからといってシャットアウトしてしまうのは、血縁関係、婚姻関係では難しいことです。あちらを立てつつ、でもあちらの意向に飲み込まれないように、コントロールが望まれます。
今日、息子はこどもだけのキャンプに参加し、新宿からバスに乗って長野県まで行きました。昨年は単身で参加したのですが、それはちょっと心細かったらしいので、今年は幼稚園時代のお友達を道連れに参加させていただきました。それでも現地では友達同士は別々のグループに分けられてしまうんですけどね(^-^)。


二回目の参加ということで、余裕もあり、「楽しみ~♪」なんて言いながら出発していきました。今日は満点の星空が観察できるでしょうか。大きなリュックサックと同じように、思い出のリュックサックもいっぱいにして帰宅するでしょう。いろんなことがあるかと思いますが、若いうちの苦労は買ってでもしろというように、きっと体験した上で感じたことは、息子の礎になっていくことでしょうね・・・。


見送る私も慣れてしまったせいか、さすがにもう、うるうる涙も心配涙も湧かなくなりました。前は見送るだけで涙腺がゆるんでいたのに。


そのあと、東京での恩人と呼べる知人(以下、Yさん)と久しぶりに再会しました。私はYさんから、東京のいろんな場所に連れて行ってもらい、本当にいろんなことを励ましてもらったり、語り合ってきました。しかし結婚して、子供が生まれた後は、彼女も仕事が忙しく海外などに渡航していたため、年賀状だけのやりとりになってしまっていたのです。私の娘の名前はYさんからいただきました。


彼女とはいろんな話をします。それは時を経ても変わりません。独身時代は私は既婚だったYさんにいろいろ背中を押してもらいました。Yさんは
独身だった頃の私にこういってくれました。現在の夫に出会い、つきあうのが絶望的なことを言われてしまったとき、こう励ましてくれました。


「彼は結婚してしまったわけじゃない。そんな簡単にあきらめるの?Mちゃんが明るく頑張っていれば、絶対に振り向いてくれるよ。」


そういって私を元気付けてくれたのはもう10年前です。そして今日も・・・。


「Mちゃん、何もない人生よりもね、いっぱいいろんな苦しみとかあるほうが幸せなんだよ。辛いときはそう思えないかもしれない。でも、考えてごらん。何もないって辛いよ。これは本当にありがたいことなんだよ。」


何度も何度もそう言ってました。ご商売をされているYさんご夫婦のことはよく知っているので、Yさんが言うと、本当に説得力があります。Yさんのご主人は20年来の夢だったプランを、今年ようやく実現の一歩が踏み出せたそうです。


20年ですよ、20年・・・!!!
20年間、本当に大失敗も、大損害も、ろくに食べられないときもあったそうです。しかし、一念岩をも通す。あきらめなかったご主人とともに二人三脚で0から歩んできたYさん。「だから簡単にあきらめてはいけないのよね。20年もかかったんだから、夢なんて簡単に叶うものではないのね。」


Yさんは名言をいっぱい出してくれます。今日も何発か出してくれました。私のブログに書いていいですか?と許可を得ましたので(^-^)、明日はまたそれを書いてみようと思います。


二人が再会を果たした新宿は私の勤務地でした。建物や店はだいぶ入れ替わっていたけれど・・・サラリーマンや学生、ありとあらゆる人たちが交差点で行き来する光景を二人で見つめながら、昔のようにいろいろ話をして帰りました。




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HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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