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占い師としての成長日記
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娘が熱を出して休みました。
一日だけではなく、二日間も。ってことはイコール、仕事も休業です。


頭を抱えました。もう絶対穴を空けたくないと今月から気持ちも新たにスタートを切ったばかりだというのに。
でも私には、自分が休むことしか手段がありません。病気の子供を預かってくれる先も無いのですね。
こういう壁にぶち当たるたび、やりきれなさというか、一生懸命勤めたくても、それができない自分の環境にイラッときたりします。まあ、そんなこといってもどうしようもないですけどね(苦笑)。同じ働いていても、夫は仕事を休んだことは無いじゃない!と八つ当たりしたくなります。一度くらい病院に連れて行ってよ!と、毒が出てくるんですよ。子供が病気のときは、特に(苦笑)。


そんな日に限っていつもの小児科はお休みだし、新しい病院にいこうと思ったらナビが接続できないし、病院に着いたと思ったら、保険証を家に置き忘れることに気がついてしまうし・・・。散々です。
娘が熱で真っ赤な顔をしているのに、いろんなことをしても熱が下がらないので、途方も無い気持ちになったり、気持ちが本当にグラグラしてきますね。


でも・・・。
そこで気持ちがすさみ、愚痴っていたのが今までの自分でした。
たぶん友達に「聞いてよ」メールを送っていたでしょうね。
いつも送信する遠くの友人が二人いるのですが、彼女たちに「グチっていい?」というタイトルでメールを打っていたのですが、「グチっても、グチだけで終わってたら、もらうほうもテンションが下がるかなあ。」と考え直してしまいました。
自分の打ったメールの文章は、読んで「わかるわかる」と共鳴してもらえるような、かわいいものじゃなくて、もっと救いようの無いつぶやきのようなものにしか映らないんですね。
っていうか、友達だって、どう返せばいいのかわからないような私の文章・・・。


私はいろんな人から相談をいただいたりお話を聞くことが多い立場なのですが、最近思うんです。簡単に愚痴ってきたなって。
その場で感情的に我慢できなかったりすることを、つい誰かに聞いてほしくて、メールという便利なツールで吐き出してきたけど、私のグチは、決して明るくなかったし、誰かに希望を与えてくるものでもなかった。


あ、今こうやって書いているときに気づきました。


「他人のことは信じるのに、どうして自分を信じないの?自分のことを自分に打ち明ければいいじゃない」って。


生活をともにしていない第三者に「ああだ、こうだ」という自分の思いを簡単にうちあける前に、自分という大切な大切なたった一人の自分に、今の気持ちを話しなさいって言われました。


どんなときも、生まれてから死ぬまで私と言う人間はひとりじゃない。
それは、自分がいるから。こうやって行き詰ったときに、ふっとアドバイスをくれる自分がいるから。


今まで、いろんな友達のグチを聞いてきたし、グチもこぼしてきました。
でも、どうやらそういう段階は、今の私は卒業のようです。グチをこぼす段階は、もうピリオドを打つこと。グチって何が変わるのか、今まで変わったことがあったのか。気持ちを逸らしてきただけです。あ、でも人のグチは受け止めようと思いますよ(^^)。
友達に延々と書いたグチのメールは、送信する前に眠ってしまったので朝になって、携帯を見たら電池切れで、メールの文章は消えていました。
送らなくてよかったんだと思いました。


最近、友達とのメールのやりとりでいろいろ思うことがありました。
メールがあるから、私って簡単に愚痴っているなあと・・・。グチることで楽になるけど、でもまたそれを繰り返して・・・・。
友達とつながるのがグチなんて、友達をグチるときにしか求めないなんて、相手に失礼ですよね・・・。
私も、「私って一人なんだな」ってよく思うことがあります。そんなとき携帯のメールでつい送信してしまうことがある。友達がいてくれるから私はひとりじゃない、と思いたいのか。人恋しさから暴走するときがあります。


でも、人恋しいときにしか友達と語り合えない自分は、冷たいやつだな、と思うことも否定できなかったんですね。


「私は孤独なんだな」という類のグチは、誰にも救えないんです。
「お姑さんがこんなこと言った」「だんなが三日も風呂に入らない」というのは、それならいいんですよ。他人の言動だから、「そういう人もいるんだね~やっかいだね~」と励ませる。
でも「孤独で助けが無い」というグチは「私がいるから元気出して!」という言葉では絶対に救えない。本人の気づきだけが、救いになるのです。
私は一人でさびしい、ということを私はすぐに他人に打ち明けていたように思います。それだけ・・・弱かったんですよね。もっと自分の人生を自分の足で歩かなくちゃいけないのに、すぐに他人の人生に入り込んで自分の座るスペースを確保してもらおうとしていたんですね。


まず、自分の人生は自分が歩くこと。
当たり前なんですが、その自覚をようやく・・・(遅いよぅ!)。
孤独だからこそ、人は他人を求めるのかもしれませんが、自分を受け入れること、自分のことをまず自分が聞いてあげること。それができたら、「孤独かも・・・」という幻想に惑わされることは無いのでしょう。
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志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
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日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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