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占い師としての成長日記
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最近日記の最後に書き記していた「本日の感謝」コーナー。
これを新しいカテゴリーに追加し、感謝・感動したことだけでも日記に記そうと思いました!


昨日、駅内のパン屋さんに入りました。こうしたパン屋さんにはイートインコーナーが設けられていますよね。そのお店も同じでした。駅の中にあるので混んでいました。
私はパンを買い求めたのですが、その店のイートインコーナーの壁に、幼児が作ったのかと思われる作品が飾られていました。そこには「おしごとがんばってね」と書いてありました。


作品の下に、「ピノキオ」と書いてあります。それは駅に隣接した無認可の保育所の名前でした。
きっと、この保育所に子供を預けて、電車で通勤するお母さんのために、この一枚の絵がここに掲げられたのでしょうか。子供を預け、一杯のコーヒーで一日を始動させるお母さんを元気付けようと、保育所の方がパン屋の壁に掲げることを提案してくれたのかもしれませんね。


そんな絵の前でいただくコーヒーはきっと、働くお母さんたちの胃に優しく沁み渡ることでしょう。私も、この素敵な絵の前で立ち止まりました。


働くお母さんたちを励まそうとする子供たちの想い。
そんな想いを作品という形にして、充電する場所に掲示をしようと考えた保育所の想い。
そしてそんな想いを受け止めて、イートインコーナーに掲げたパン屋さんの粋なはからい。


そのどれもが私の気持ちを和ませるものでした。
こんなお店がもっと増えるような、そんな私たちでありたいものですね。素敵な一枚の絵に「ありがとう」。


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1/20のブログで槇原敬之さんの歌詞に感銘を受けたという記事を載せましたが、「優しい歌が歌えない」という歌詞を読んで、私の中にむくむくと「私もマッキーみたいに書きたい!」という欲求が生まれてくるのを感じました(笑)。


下手でも何でも良いから、私もこの歌詞に対して私の詩を書こう。
そんな気持ちになったのです。


実はこうした詩は、20代の前半のころ、本当によく書き上げていました・・・言い足りない思い。やるせなさ。自分への憤り。伝えきれない恋の想い・・・私は楽器が弾けません。なので歌詞と呼ぶにはあまりにも秩序のない詩でしたが、作詞家になったつもりで、何遍もの詩を作ってきたのです。今その詩たちは10年以上も眠ったまま、実家の押入れで時を止めていることでしょう。


なので、今回は心のままに、私なりの詩を書かせていただきました。
下手クソですが、目を通していただければうれしいです!
気分はマッキーになったつもりで書きましたよ(⌒_⌒)。



『優しさがわかる日まで~槇原敬之「優しい歌が歌えない」に寄せて』



私はピアノが弾けない
ギターも触ったことがない
歌を作ることはできない
だけど
人の作る曲に涙を流すことはできる


この自分から愚かさを抜き取り
悲しい曲のひとつでもできたら
少しは楽になるのかな


何のために生きているのか
私は私をちゃんとやれているのか
誰にも答えは出せない
私にもよくわからないときがある
自分ってやつが
手に負えないときもある


たまに自分で自分の良さなんかを
掘り返して、見つめてみて
気を紛らわしてみたりする


誰かのために生きていない私は
どこかずるくて ふてぶてしくて
理想通りではないけれど
いつか
誰かのために必死になれる
優しい心を手に入れたい


歌を作ることはできなくても
何かを弾くことはできなくても
この一言に心を込めれば
きっと私は変わっていく


いつか
自分以外の誰かの憂いが
自分の痛みと同じように
感じられる日まで
私なりの歩みでいこう


2009.1.25 By 雨音
こんにちは。雨音です。
いつもこのブログにご訪問いただきありがとうございます。皆さんからの足跡に元気付けられ、毎日がんばって更新して参りました。スキー旅行で更新は途絶えてしまいましたが、できるだけ新しい記事を、気づきを、毎日必ず・・・そんな風に自分を奮い立たせてきました。


ただ、今月から私はお仕事の待機シフトを大幅に変更し、深夜までのお仕事に変わりました。今までは昼だけの待機だったり、夜待機に入っても深夜1時で終わらせるように組んでいたのですが、今月から毎日、夜の9時から深夜2時までお仕事です。そのため、一番大変なことは、9時までにお仕事ができるように子供たちを寝かしつけること。そのために段取りを組んで9時前にはスタンバイをしなくてはなりません。ふたりの子供たちを早く寝かしつけるためにいろいろあの手この手なのですが、なかなか一人で寝てもらえず、一緒に寝てほしいとせがまれる毎日・・・。加えて、自分の生活リズムが乱れてしまい、昼間は睡眠を優先するのですが、予定が入っていたりすると休むこともできないまま夕方になってしまいます。そのため、なんだか常に「私、追われている」という実感が強くなってきました。でもブログは休まないように、止めないように・・・そんな中で書き続けるブログはただ単に更新するためだけのつぶやきブログが増えてしまっていて、皆様の心に響く日記を書くゆとりがないために、焦りだけが空回りし、最近では「書きたいから書く」から「書かなくてはならないからとりあえず書く」という体勢が丸出しになってきたのではないかと思います。


「24時になるまでに書かねばならない」という焦燥感から、他にすべきことがあったのにもかかわらず、自分のブログを優先してしまい、輝夜師匠からお叱りを受け、自分自身が気遣いをおろそかにするような更新になってはならないと思い直すきっかけをあたえていただきました。


毎日忙しさに紛れ、ただ私生活の単なる描写になるのであれば、たとえ毎日でなくても、きちんと自分の考えや発見を内容にできるブログをこれから目指していこうと思います。そのため、毎日更新はお約束できなくなるかもしれませんが、もちろんこのシフトに慣れ、時間のやりくりがうまくいきましたら、できるだけ毎日何かを書きとめられるように習慣づけたいと思っています。


このブログは私の成長の過程を忘れないために起きたことを余すところなく記載しているので、正直言って前向きでないときもありますし、醜態さらしまくりの時もあり、読者の方にいつもさわやかさをお届けしているようなブログではないと思います。見苦しい私の連発です。でも、きっと私の葛藤は、皆さんも当てはまることもあるでしょうし、醜いアヒルの子の私が、今後「目指すべき私」にちゃんと成長していくことができるか皆さんに証人になっていただきたいと思っています。書いた限りは「雨音さんはいい成長をしたね」と言われるように、日々精進です。


これからもこのブログをよろしくお願いいたします。


本日の感謝・・・
私は今までこんなに更新したことがなかった。しかし、今回は9月から毎日更新!と目標を決めて走ってきた。
それと同じくして、いろんな人が私のブログに訪問してくださっていることを知った。昔からの友人もいるし、身も知らぬ人もいるだろう。私の書いた文章に足を止めてくださっていると思うだけで感謝感激である。
コメントを残してくださったり、メールでご意見を伝えてくださる方もいらっしゃった。
そのひとつひとつに私への想いもあり、いろんなことを考えさせられたりもした。書くことで私は、自分の意見を伝え、そして誰かとつながることもできた。読んでいただけるとは幸せなことだ。そして、書くことがあるということはとても幸せなことだ。心が「書きたい」と思う事件に出会えることは幸せなことだと思っている。関係というものは目に見えないつながり。そして財産だと思う。たくさんの財産をこのブログから得られていると思っている。
読んでいただいていつもありがとうございます。見えない財産をこれからも積み上げられたら嬉しいですね!
1/17のブログで、私は夫とのやりとりをこちらに記載しました。その日は一日中夫と険悪で、言葉を交わせばケンカになり、顔も見たくないし、完全にシャットアウトしていた状態です。それこそ私はカッカカッカしていて、感情丸出しの状態でした。書かないと気が済まない!!!!!そんな精神状態であったわけです。


もちろん、1/17だけが夫婦仲が険悪だったわけではないのです。もっと昔から・・・それこそ結婚したときからの積み重ねですから、私の感情は何かあるとすぐに「バカヤロー」(すいません、全然占い師らしくも、ヒーラーらしくもありません。お聞き苦しい発言をお詫びいたします)を夫に対して叫んでいるし、この憤慨している気持ちを誰かに言いたくてたまらないんですね。


ここに私の問題があることを、輝夜師匠が掲示板を通じてメスを入れてくださいました。
その内容はこうありました。



雨音さんは妻として、女として、もっと成長すべきです。
それも占い師としての雨音さんに繋がっているように思いますよ。


あのブログは「ねぇ、みんな聞いて?私の旦那ってば、こんなことを私にしたのよ!酷いでしょう?いつも私、こんな酷い目に遭ってるの。だから離婚したいって思っちゃうの、当然でしょう?誰か同情してよ」と周囲の同意を得たがっているブログですよね。そんなみっともないこと、もういい加減やめましょうよ。


私の弟子らしく、常に「誇り高く気高く」をモットーにしているとはまったく思えない言動ですし(※補足しますが、輝夜師匠のモットーが「誇り高く気高く」なんです)、まして、誰かの同意を求めるなんて(しかも、家庭内では小さな子供たちを相手に同意を求めているんですよ?)、どこが自立なのですか?


・・・一発どころか、何発も殴られたような衝撃がありました。
一番指摘されたくない部分でもあったのですね。キターッ!じゃないですが、ついに一番肝心な部分に私は触れられた気がしたんですよ。そしてそこが一番問題だってことは、私も薄々わかっていたんです。でも触りたくなかった・・・。


輝夜師匠はそのあと、掲示板だけのフォローでは伝えるのが大変だからとお電話を下さいました。


「雨音さんの悪いところは、味方を作ろうとすることです。いかに自分が大変で夫が悪者なのかを言いたくてたまらないし、それをみんなに認めてもらいたい、同情してもらいたいんだと思います。しかも、子供までそれに巻き込んで自分の味方につけようとしている。どうして雨音さんが精神的に自立できないのか、私はその根本原因を見た気がしました。」


『自立するということは、周囲の人が自分を肯定しようがしまいが、たとえどのような状況下においても動じることのない、動揺することのない自分を作り上げること』と輝夜師匠は教えてくださいました。私は、自分を否定する意見をものすごく恐れてしまっているし、反対に自分の意見に共鳴してくれる人がいると、すごく嬉しくなってしまう。そこに「自立」という課題はクリアできないまま放置されています。周囲の動向によって、自分が落ち込んだり舞い上がってしまうような状態は、自立しているとは程遠いことなのですね。今回の私は、夫を悪者に仕立てることで、自分の味方を増やして、自分の正当性を訴えているだけです。ただ、輝夜師匠のような感覚の鋭い方には、それがいかに愚かで、人からの信頼を損ねるような言動であるのかを見抜かれてしまうんですね。もしかしたら、輝夜師匠以外にも、私の愚痴ブログを読んで、私と言う人間の素にあきれた方がいらっしゃるかもしれません。


『家族とは、自分にとって一番最初に作られる学びの世界。そこでの学びが自身の考え方や価値観という基盤となり、今度はそれを軸にして社会という大きな世界の学びと向き合うことになります。ですから、家族といるときの自分が最も素の自分=本質となるのです。』


これは以前、輝夜師匠から聞いていた言葉でした。
また、これに伴い、以下のような言葉もいただいています。


 家族や親しい友人などに見せる顔こそが『素の自分』。
 単独でいる時の自分は、自分さえ良ければいいという『協調性のない自分』であって、
 『素の自分』ではありません。気を抜いているときの自分こそが『素の自分』=『本性』
 になりますから、
 魂を向上させたいと思っているのなら、親しい間柄であればこそ、甘えを出さずに、
 きちんと気遣えるようにならなくてはいけません。
(※2008/12/17「肝に銘じる」より抜粋)


「自分が好きだと思える人、助けたいと思える人に良い態度が出来るのなんて当たり前のことです。罪人であっても同じことが出来ます。なぜなら、それは意識せずとも出来る自然な感情だからです。大切なのは、そうは思えない人であっても、相手が困っているとき、手を差し伸べることが出来るのかどうかです。これは、素の自分、つまり、人間性にかかってくる部分です。その人間性を良いものにするためにも、素の自分を鍛えることが大事なんですよ。」


輝夜師匠はそう言われました。本当にそうです・・・。


私は夫には最低の態度をしているんです。他の人にいくら親切にしてみたり、親身に相談に応じていても、夫への態度を見たら、どんな私の誠意も嘘に思われてしまうかもしれません。正直言って、土曜日はあまりにも頭に来ることの連続でしたから、私は口だけでは物足りず、そこらへんにあったサランラップとか空の牛乳パックを投げつけていました。怒りが収まらない。この怒りはどうしたらいいのか・・・・ええい!ぶつけてしまえ!!!・・・そんな状態でした。


夫には「寝不足だから機嫌が悪いんだ」と言われるんですね。私としてはその言葉に関してこう思うのです。
「なぜ私が寝不足をおして働かなくちゃいけないのか。それは生活するお金が足りないからだろ!!協力してあげているのに、どうしてあなたは寝不足のせいにするんだ!」と言う気持ちと、「私がたとえ12時間寝たとしても、絶対にあなたの言動には腹が立つし、イライラする。それを寝不足のせいにするのか!?」という気持ちの二本立てになって、「絶対にあなたの言うことなど聞きたくない!」という私につながっています。この感情が醜いことは客観的に見ればよくわかるのですが、でも私は夫に屈したくなくて、悪魔の塊のような自分になろうが、意地を張り続けてしまいます。それは、義母たちとの同居時代からまったく改善していません。ただ離婚を決めなかっただけで、私の気持ちに成長はないんですね。一ミリも。味方を作ろうとするのも、私が正当性を一人では主張できないから、その現われだと思います。味方さえいれば私の行動は正しいものなのだ、そんな依存性が今回の記載になったんですね。


ただ、私が何も言わずとも輝夜師匠にはわかってしまうらしく「雨音さんが離婚したいと言えるのも、自分に頼りになる両親が居るからでしょう?もしも今離婚して、占い師を辞めてきちんとどこかに就職をしたとしても、自分ひとりでは子育てしながら生活していけないですものね。でも、悪い例えで申し訳ないけれど、たとえばご両親が揃って他界してしまったとしたらどうしますか?それでも離婚したいと旦那さんに言えますか?夫婦は一見対等のように見えますけれど、実際はそうではありません。少なくとも雨音さんの家庭は旦那さんが雨音さんたちの生活を保障してくれています。もしも旦那さんが亡くなったら、今度は旦那さんの保険や年金をもらって生活することになるのですよ。夫の力は死んでもなお影響し続けます。だから、一家の主なのです。立てるべき相手なのです。」と言われました・・・・・・。


私は輝夜師匠からご指摘をこうして細かく受けるまで「みんな、私の言うこと聞いて~~~~っ!」という状態でした。そして、輝夜師匠から掲示板やお電話を通じていただいたご教示について、以下のような返信をしました。


「おっしゃるとおりです。私はそれなのに、本当にできず、感情に身を任せてしまっています。ただ離婚していないだけで感情的には離婚しているようなものですよね。私は全然進歩していないんだって、実は逃げていたのかもしれませんし、いつも被害者意識が残っていて、彼に対して広い心も持てないし、苦しいばっかりでなんの解決も出来ていないこと。ちょっと何かあったらすぐに夫を責める自分がいつもいます。最悪です・・・。でも一番最悪だと思うのは、こうして輝夜師匠に書かれて、そうか・・・と理解できるものの、そう簡単に、自分は折れたくないと思っている私がすぐそばにいて、それこそこれは恨みつらみの感情だと思うのですが、反省しようとする私に噛み付いてきます。それが最悪です。」


本音を言えば、私は夫のために自分を犠牲にしたくないという気持ちのほうが強いんです。好きと言う気持ちを取り戻すことが本当に難しいのだと思います。夫とやりとりしているときの私は最低の女状態ですが、私はそれを夫のせいにしてしまうからもっと最悪なんですね。私がこれほどまでに腐ったのはあいつのせいだ!ってずっと言っているし、その気持ちが変わらないから、今でもこうして最低の態度で夫と接し続けているのです。最低の態度から、いきなり天使になるなんて、わかっていてもできないなあ・・・・。そんな風に思っていた矢先、輝夜師匠から再びこの私の気持ちに応えるかのように、お電話が入りました。


「雨音さんは旦那さんに対し『広い心を持たなくちゃ』と思っているようですけど、そうじゃなくてもいいと思います。だって、雨音さんには今日までに蓄積されてきた旦那さんに対する負の感情がありますし、殺意があると言っていたこともありましたから、そこまでの感情があるのに旦那さんに広い心で向き合うなんて出来ないと思うんですね。だから、そんなふうに無理をするのではなく、自分のために努力すればいいと思いますよ。」
「自分のために、ですか?」
「たとえば、どんなに旦那さんに殺意を覚えても、実際に殺そうとしたことはないと思うんですね。それって旦那さんのためですか?」
「あんなやつのために刑務所に入って一生を棒に振りたくないって気持ちがあって、だから実行してこなかっただけのことです。」
「そうでしょう?それと同じです。雨音さんが旦那さんとの向き合いに置いてする努力は、すべて自分のためだと思うといいですよ。そして、実際にそうであるはずです。たとえ旦那さんが自分を100回殴ってきたとしても、自分が1度でも相手を殴ってしまえば、相手と同じになってしまう。自分で自分の品位を貶めないためにも、自分から見て旦那さんがどんなに最低だと思うようなことをしてきても、感情的にならず、本当の意味での自身のプライドを守るようにする。そういう意味では、旦那さんは良い訓練相手になるじゃない?」


そして、輝夜師匠はこうも言われました。


「人生の中で、良くも悪くも自分に強く影響を与える人って居るものですが、それは俗に言うソウルメイトです。旦那さんも、もちろんソウルメイトですよ。天に還ればみんな仲良しなの。でも、それぞれ役割を与えられているから、旦那さんはきっと雨音さんと約束してきているのね。『雨音さんのために手抜きをしないで、徹底的にぶつかるようにするから、雨音さんも絶対に負けないで、必ず必要な学びをクリアするんだぞ!』って。もちろん、旦那さんも雨音さんも顕在意識ではその約束を思い出すことはないでしょう。でも、天でそんな約束を交わした相手であるはずです。その証拠に、占い学上、お二人はしっかりご縁のある二人じゃないですか。それは、雨音さんが自分で見てもわかるはず。疑いようもないでしょう?」


確かに、それは疑いようもない事実です。私と夫は結婚縁も夫婦縁もしっかりある二人でした。


「それとね、雨音さんは良く私のことを、『師匠は今まで色々な苦労があったから、だから言葉に重みがあったり説得力があるのだと思う』と言っていましたよね。そして『それに対し、私は今まで師匠みたいな苦労がない人間だったから、だから師匠のように重みも説得力もないんだと思う』とも言っていました。雨音さんが言うように苦労が威厳に繋がるのだとするなら、今の、この苦労がそれに繋がるのだと思いませんか?なにも、人生の苦労は私だけに用意されているものじゃありません。誰にでもあるステージです。ただ、それを経験として生かすのか、それとも逃げてしまうのか。そこに違いがあるだけです。雨音さんに用意された苦労は、旦那さんとの向き合いです。これをしっかり経験として生かすために頑張るのなら、きっとその先に雨音さんが欲しかった重みや説得力を取得できますよ。ほら、私が良く言っていたでしょう?波乱大好きって。なぜなら、苦労を乗り越えたその先に、自分に深みが生まれることを知っているからです。」


私は日々、輝夜師匠のような物事の捕え方、動じない態度、一貫した姿勢に憧れてきました。師匠と私は年齢的に一年しか違わないのに、なぜにこの人はこれほどまでに悟っているのだろうと思っていたし、それはやはり輝夜師匠は若い頃からさまざまな苦い経験を積まれてきたからで、私の場合は結婚するまでのほほんとしていて、何の苦労も味わったことがないことが大きな違いなのかなと思っていました。そして、輝夜師匠がご自分でおっしゃられるように、よく私や他のお弟子さんたちに向かって笑顔で「波乱大好き♪大歓迎!」とおっしゃっているんですね。私はその笑顔を見て「波乱が大好きだなんて、私は絶対に言えない。ありえない・・・」と、内心で輝夜師匠の度胸にびびりつつ(笑)、波乱=苦労のないことをいつも祈っていた私なんです。


輝夜師匠のお話を聞きながら考えたことは、とにかくまず今後は自分のために耐える努力をすること。
絶対にキレたりなんかしないで、頭にくることを言われても、言い返さないこと。
それから、味方を作るなんて、いろんな人を巻き込むことは一切しないこと。
家庭の中の自分が誰に見られても恥ずかしくないような自分になること。


そのことがまとめとして理解できました。


相手のために今は努力なんて出来ない私です。その時点で失格かもしれませんが、今の私には自分のために踏ん張ることはできる!そう思いました。例えそれが失格であっても、ぶちきれて相手に逆襲しまくるよりはまだ救いがあります。


また、私はブログであからさまに醜態をさらして、自分の未熟度をさらに広げてしまったような気がして、その点も深く落ち込んでいました。「やっちまったよ・・・」状態です。日ごろ偉そうなことを並べ、さも成長したような振る舞いをしていても、あのブログでそれが一気に崩れ落ちたと言うか・・・。以前私は夫との関係をタロットで展開したとき、占い師としての自分の志だけが前向きでキレイな状態で、それ以外の自分はものすごくドロドロした感情を抱えているという結果が出たことがあるんです。それを輝夜師匠も覚えていてくださって、「占い師である自分だけをきれいにしていてもダメなのよ。どんな自分であっても同じように良い状態でなければ・・・」とおっしゃられました。そんなこともあって、失態をさらしまくったということで気持ちが沈んでしまいそうでしたが、お電話の後、輝夜師匠から以下のようなメッセージをいただきました。


お電話でも言いましたが、確かに雨音さんにとって、今回のことは失態だと感じるかもしれませんし、こうして注意をされたり突っ込まれたりされると落ち込むかもしれませんが、でも、上手に隠すことが出来ればいいのではなく、改善することが最も大切なのですから、むしろ、自分が正直者であることは救いなのだと考えた方がいいと思います。

「正直者でよかった。正直者だからこそ、こうして失態を披露してしまうことがあるが、それによって改善する道も示される。」

そう考えるようにしたらいいと思います。

(中略)

前向きに考える。
向上心を持って生きる。

今回のこと、落ち込むかもしれませんが、向上心を持って前向きに生きていくためにも、『だからダメ』なのではなく、『今回問題だった部分を改善するように今後気をつけていくようにしよう』と今回のことを受け止めて、今後の自己改革・自己改善のための経験として生かすようにされると良いのではないかと思います。


以上の言葉で私は励まされました。
私自身にある問題は、こうやって醜態をさらしてしまうことで色んな人からツッコミが入ります。輝夜師匠がおっしゃるには、それはとてもありがたいことで、上手く隠し通すような悪知恵を育てるよりも、たとえ醜態をさらすことになっても、改善への道に繋がることが大切と言われました。もちろん、醜態なのですから恥であることには変わりないのですが(苦笑)。

今日から、自分自身の誇りを守るための忍耐力養成コースのスタートが始まります。
絶対に堕ちないぞ!!!


輝夜師匠、何度も私にフォローのお電話とご指導、ありがとうございました。私って最低だ!と思ったけれど、頑張れそうです。

誕生日に槇原敬之のCDを買いました。本当に、何年振りでしょうか。彼が覚せい剤所持で逮捕されたのが1999年。その時に発売されていたアルバム「Cicada 」を購入して以来のことです。あの逮捕は衝撃的で裏切られた感じがあって・・・それから復帰しても、槇原さんのアルバムを買うことはありませんでした。それまでは全部の作品を発売日に予約して手に入れていたというのに・・・。もちろん、逮捕された後結婚して、出産を立て続けに経験した私には、もう彼の音楽を楽しむ金銭的な余裕と時間的な余裕がなくなったこともありますが。


2003年に「世界に一つだけの花」が大ヒットしました。私はこの作品が彼の作詞作曲であったことはまったく知らなくて、紅白歌合戦の字幕「作詞・作曲槇原敬之」の文字で初めて、この素晴らしい曲が彼の作品だったことを知りました。そういわれたら、いろんなアレンジが「ザ・槇原」っていう感じですよね。言葉の選び方も優しくて、でもストレートで・・・。スマップのCDシングルを買って、何度も歌いました。逮捕前は恋愛の曲が圧倒的だったけれど、「世界に一つだけの花」のように、みんなへ強いメッセージ性をこめた曲が書くようになってきたのは、彼自身の人間としての成長と、音楽家としての使命が組み合わさったものかもしれません。そしてそんな流れの基礎にあるものは、きっと覚せい剤で逮捕され、世の中から後ろ指を指された償いの日々において培われたものだったのでしょう。


彼と私は同級生の年齢に当たるので、余計にこのアーティストの成長がわが事のように感じられるのです。
「どんなときも」は銀行員時代の私の応援歌でした。
「遠く遠く」は東京の出てきた私が、ふるさとに向けて思う気持ちと重ねて歌っていた歌。
彼の曲と離れている間に、彼も成長しました。今回私が買ったのは「世界に一つだけの花」槇原バージョンが入ったアルバムなのですが、家族のことを歌っていたり、子供とのことを歌っていたり、登場人物が大人になっていることも時間の流れを感じました。昔は「僕」と「キミ」しか登場人物がいなかったけれど、今の彼の歌詞からはいろんな関係の人が飛び出してきます。そして、心の内面を深く綴った曲も増えました。単なる応援歌ではなく、自らの腐敗をえぐり出して歌に綴るような・・・もちろん彼の歌い方なので、さわやかに聞こえるんですけどね(^-^;。


アルバムの一番最初に入っていた「優しい歌が歌えない」という曲にドッキリしたのは私です。
(歌詞はこちら
車で一人聞きながら、気持ちが入りすぎて涙が出てきました。その時の自分の情けない気持ち、だけどそれを知り、受入れた上で前に行こうとする気持ちが、今の自分にシンクロしたのです。
「やられたよ・・・マッキー・・・」という気分でした(笑)。


心が動く作品に出会うと、私も何かを無性に書きたくなります。文字を心から引き出したくなります。
槇原さんの作詞はまさに、そんな私の「何か」を駆り立てる力があるみたいです。


実は、先日読売新聞に「槇原敬之コンサートツアー」という大きな広告が載っていて、それを見て衝動的に「行きたい!」と思いました。どうしてそんな風に強く願ったのか、自分でも不思議なのですが。ちょうど優先販売に食い込むことが出来たので、自分のために、10年ぶりにコンサートチケットを手に入れました。
39歳の私と39歳の槇原さん。もちろん彼は私のことなど知る由もありませんが、彼の作品が私の人生の大きな場面でいつも流れていたことを思い出すと、私は彼の感性に感銘を受けて、自分自身の余力を出すことが出来たことは確かです。これからも日本を明るくするアーティストであってほしい、そう願っています。身近な題材で歌を作ったら、この人の右に出る人はいないと思っています。


本日の感謝・・・
今日は我が父親の誕生日。電話をしたけれど留守でつかまらなかった。きっと母親と食事にでも出かけているんだろう。71歳の父は、長年努めていた会社は定年で辞めてしまったが、そのあと懇意にしていた同業者に引き抜かれて、現在も働いている。71歳はいいお年だと思うのだが、これまでの実績がかなり強みとしてある父は、成績も良く、まだ会社にとっては必要な人材であるらしい。なので帰省してもいつも現役と同じように作業服に身を包んで仕事に出かける父だ。
私は父親とそっくりの顔だからかなのか、兄と私の二人の子供で女の子の私を特に可愛がってくれた。お金をくれるというような溺愛ではなく、いつも私をひざの上にのっけて、マージャンの現場とかにも立ち合わせてもらっていた記憶がある。もう、そんなことは一生できない、子供の頃の貴重な記憶だ。
父が私たちのために一生懸命してくれたことは、兄も私も忘れてはならない。でも、今日この日に、大病もなく誕生日を祝えることはとても幸せなこと・・・本当にありがとう。お父さん。これからもお元気で過ごしてね。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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