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占い師としての成長日記
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6月はいろんな記念日が続きます。特に今週は私にとって記念日、それから考えさせられることが相次ぎました。


8日は夫の誕生日。
それはそれでお祝いさせていただきました。美味しいビールを楽天で購入したのですが、こだわりすぎたビールだったらしく、とっても苦くて(笑)、あまりの苦味に飲めなかったようです。普通のエビスビールとかのほうがまだよかったらしいですね。まあ、飲んで見なければわからないということで・・・。


その日は秋葉原の通り魔殺人事件から一年たった日でしたので、ニュースでもあちこち報道していました。
忌まわしい記憶の掘り返しになりますが、8年前の同日、大阪教育大学教育学部附属池田小に男が押し入り、8人の児童と職員を殺傷した日でもあるんですね。


日曜日、秋葉原に買い物に行ったり、遊びに出かけた先で、「誰でもいいから」という犯人の身勝手さに突然命を奪われた方々。そしてその現場に遭遇した人々・・・一年たった今も、その傷が癒える事はないでしょう。
またこの事件に関して、輝夜師匠がブログに書かれていることを拝見し、私も考えてしまいました。


翌9日は皇太子ご夫妻の16年目の結婚記念日でしたが、16年前のその日、私は短大時代の友人であるAちゃんの命日でもありました。享年24歳。最も生命力にあふれ、希望に満ち溢れていた輝く年齢に、病気でこの世を去ることになってしまった友人。いつも6月9日、皇太子ご夫妻の結婚記念日のニュースが流れるたびに、彼女の笑顔を思い出します。生きていれば4月には40歳になっていた彼女。結婚半年後の突然の訃報に、当時葬式に集った同級生はただただ言葉もなく、泣きながら見送るだけでした・・・。こんなことになるなら、「いつかゆっくり会おう」なんてやり取りを交わしているんじゃなくて、もっとたくさん交流すればよかった。当時の私は彼女と連絡を取らなかった空白の日々を悔やみました。


彼女の結婚式には出席できても、私の結婚式に彼女を呼ぶことはできませんでした。
そんな私の結婚記念日は6月10日。もう9年も結婚生活を送ってきたんですね。


9年目の結婚記念日は、まあ、これまでがこれまでなので、いつもながら特にロマンチックな展開があるわけではなく(苦笑)、お赤飯を炊いて、子供たちが大好きなチキチキボーンを揚げてライトなご馳走を作りました。


ちょうどこの日は昼間、ヘルパー二級のスクーリングの日で、今回は排泄介助の学習に入りました。
リアルな話、オムツ、陰洗浄、トイレの介助という、介護の中で最も介護される側も介護する側も、抵抗のある回だったと思うのです。その内容のためか、生徒さんたちの神妙な顔つきがとても印象的でした。


ヘルパーの仕事はともかくとして、親が四人まだ生きている私にとって、いつか生活の中にこの役割をしなければならないときが来るかもしれません。そのときはせめて手際よくお世話できればと言う気持ちでこの講義を受けているのですが、それでも自分の子供でも、他人であっても、下のお世話をしてもらわねばならない自分、オムツをしている自分、そういったものに抵抗を感じない人はまずいないだろうと思います。
講師の先生は現役のヘルパーさんなのですが「私の利用者さんで、やっぱりこのオムツをした方は『もう自分は生きている価値のない人間なんだ』ってつぶやく方がいらっしゃるのよね。『情けない』って言葉はみんな言うよね。」
ということをお話してくださいましたが、本当に・・・自分もこの実習の際はベッドに横たわり、ヘルパー役の方にオムツを当ててもらい、そしてオムツの交換と言う手順をしてもらうのですが、服の上からオムツを当ててもらうのもすごく抵抗がありました。恥ずかしくてたまらない!これが実際、自分の裸を見せると言うことが現場なら・・・。そしてこれがずっと続くものであるなら・・・。


家に帰って久しぶりに母に今日のオムツのことを話しました。
母は電話口で「絶対私はそんな風にならないように気をつけるから。」と言っています。でも私は思うのですね。
好きでオムツになる人なんていないし、絶対にならないと言う保障なんてどこにもない。
それにもしかしたら、この自分が何かの病気で親より先に介護を受ける可能性だってどこにでもある。


遊びに行った先で突然身勝手な犯人に命を奪われる可能性も。
愛する家族や友人をそんなかたちで突然失う可能性も。
突然の病に倒れ、志半ばで逝ってしまう可能性も。
どんなに気持ちが老いていなくても、身体が動かなくなってしまうことも。
いつか自分の親にオムツの介助をする可能性も。
誰にでもどんな人にもある。


ただ、今はそれから遠ざかっているだけで、生きていればいろんなプラスにもマイナスにも可能性があるということ。


だからと言って毎日びくびくしながら、その可能性に飲まれることを考えていても怖いし、暗くなってしまいますよね。じゃあ、そんなリスクを踏まえたうえで、ここから何を学んでいくべきなのか・・・。


少なくとも、今の自分ができることを一生懸命、手を抜かないでやってみること。
それでも完璧とは言いがたい時もあると思いますが、心を込めてやってみることが大事なのかなって思っています。それでも事態が酷い時もあるかもしれません。それでも、自分のために一生懸命頑張ってみる。相手のために一生懸命頑張ってみる。それでダメな時があるとしても、やり方を見直したり、相手の気持ちを伺いながら、自分が納得のいくまでやらせてもらえば、また道も開けてくるのかもしれません。こればかりは頑張ればうまくいくものばかりではないかもしれないけれど・・・大事なことは投げやりになって他人に当たらないことですね。


輝夜師匠が書かれていたように、相手への思いやり、どんな仕事でもどんな立場でもどんな人生でも、私たちは持っていたいですね。
たとえ自分が今、すさみたくなるような状態であっても・・・。
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ちょっと久しぶりに自分の手のひらを見つめています。


私の占いの入り口は手相だったのですが、電話鑑定を中心に行っていると手相を見る機会が減ってしまいました。ですが、私をここまで導いてくれたのは手相ですので、そういう意味では得意不得意とか関係なく、すごく思い入れのある占術と言ってもいいでしょう。


先日、ホームヘルパーの講義でこんなことを先生がおっしゃっていました。
「寝たきりになって、残念ながら、言葉も聞こえない理解できない、あるいは最期のときが近づいてきている時、私たちにできることはその人に触れてあげるしかできないんですね。でもそれがとても大事なんです。」


それともう一つ・・・。
You TubeでこんなVTRをタイミングよく見かけることになりました。
http://www.youtube.com/watch?v=5yTQwjK_G4s&feature=related


江原啓之さんの「天国からの手紙」という番組です。
亡くなった人からのメッセージを江原さんが遺された人たちに伝えると言う番組なんですが(現在は放送されていないので知らない人もいるかもしれません)、以前、埼玉県で保育園のお散歩の列に前方不注意の車が猛スピードで突っ込み、4人の幼い子供たちの命が一瞬にして奪われると言う凄惨な事件がありました。その後、番組に依頼があり、江原さんは依頼者である亡くなったお子さんの親だけでなく、その保育園に通っていた保護者、それから保育園の関係者(その保育園は事故後、激しい批判と風評で閉園してしまったそうです)、そして、その事故現場に遭遇し、子供たちを救助した近所の人たちを集めて、お子さんたちからのメッセージをお伝えしているVTRになります。


亡くなられた子供たちが、救助に当たってくれた人たちにこんなメッセージを残してくれました。
実際、この事故に偶然遭遇し、子供たちの救助に当たった女性の一人は、その凄惨な現場が忘れられず、今もなお、夜も眠れないという苦しい日々を送っているのだそうです。


そんな方に対し、江原さんはこうお伝えしてくれました。


「お子さんたちは、すごく感謝しているんですよ。
あのとき、あなたはずっと私の身体を触っていてくれた。
あなたは私の身体をさすってくれた。
だから、私は寂しい思いを抱えたまま、向こうの世界に行かずに済んだんですよって。」


その女性は、この言葉に、ただただ嗚咽でした。


それこそ、事故の現場は地獄絵図のように悲惨で、目を覆うばかりの光景だったようです。そのなかで恐れずに、血だらけで苦しむ子供の身体に真っ先に触れてくれたことが、何よりも嬉しかったのだと言うこと・・・。


そんなVTRとヘルパーの先生の話が偶然続いて、「手」ってただ生活のために活動するための器官じゃなくて、愛を伝えることができる器官なんだと、改めて思ったんです。その「手」を見つめるということは、自分自身の魂もそうですが、自分自身の内側にある愛をしっかりと自覚して生きているのか、そんなことがわかるのかな・・・なんて思うんです。


手のひらの盛り上がり、しわ、張りにツヤ、それから血色の良さ・悪さ・・・同じ手のひらはありません。
そのしわの一つ一つが、自分が心の中で作り出したものが、現象として現れているのだと思うと、自分の手のひらを見つめることは自分の内面を知ることであるとも考えられます。愛を伝えられる手のひらに、きっと私たちの常日頃の想いや、心がけが嘘偽りなく出てくるのかな・・・。


人間って面白いですよね。
内面に秘めたものであっても、相として身体の表面にちゃんと出てきてしまうのですから。嘘をついてもダメなんだって事かもしれません(^-^;A。その正直さが、人間の素直さであり、本来は素晴らしさでもあるはずなんですよね。


久しぶりに手のひらを見ました。
負けず嫌いで気の強い手なんだなあ・・・(苦笑)。改めてそう思います。野心いっぱいの手(爆)。私はそういう意味で、自分の野望にエネルギーを使い切ってしまったり、つい自分中心の考え方をしてしまいがちになるんですね。自分を愛することも大事ですが、自分だけのために思いやりを使い果たさないようにしなくては・・・。
まるで自分のことを鏡に映すように、手を見つめています。これが今の等身大の私・・・。
もう五月も終ってしまうんですね・・・(まだ終わりじゃないけれど・笑)。カレンダーを見たら月末の数字で、なんだかびっくりしてしまいます。五月はろくにブログも更新しておらず、わざわざ見に来ていただいている皆様、すみませんでした。今月は連休明けから学校に住み着くような毎日。その上、いろいろなご相談を持っていただくことが続いて(これは本当にありがたいことです)、あちこちに首を突っ込んでいたような毎日です。今日は午前中がPTA会費の集金のお手伝い、午後は息子の個人面談と、二部に分かれて学校に通いました。明日は朝から読み聞かせのためにまた学校です(爆)。どんだけ学校が好きなんだよ、って自分に自分で突っ込みをいれちゃいます!


特にこれといって大事件はないのですが、最近、自分で自分と話がしたいという不思議な気持ちに襲われています。


家族でもない、友達でも知人でもない、この私の気持ちを私に聞いて欲しいという感じ?
だからこうやってブログに書き綴るのも、自分の気持ちを自分に語るつもりで今吐き出している状態といえばいいのでしょうか・・・。


今私はこんなことを感じていて、こんなことで苦しんでみたり、泣いて見たり、感動したりしているんだってことを
何の遠慮もなく語り合える最高の相棒である自分にずっと聞いてもらいたい気分なんですね。友人と接触したくないということじゃないんですよ(笑)。友達とは会いたいと思う。でもやっぱり時間とか距離があったりすると物理的に会う時間を確保するだけで大変だし、一番の理由は久しぶりに会うとなおさらカッコつけてしまうから。変な鎧をかぶってしまって(私は負けず嫌いで見栄っ張りなところがあるからです)あ~~~本当はこんなこといいたいんじゃないのにぃ!という不完全燃焼に陥ることが多いので・・・。


なのでせっかくだから自分のために久しぶりにラブレターでも書いてみようかなって思っています(爆)。


人はそれぞれ両手いっぱいに荷物を抱えていて、おまけに背中にまで荷物を抱えていたりする。
状況こそ違うけれど、ストレスもあるし、不安や尽きない悩みを、振り切っても振り切れずにいることばかり。
私もそう。そして誰もがそうなんだということ・・・。だけど笑顔で暮らせる人もいれば、ひねくれてしまう人もいる。できれば修羅場を乗り越えて、それでも「この私の波乱の人生、でも私もなかなかやるね!」と受け入れられたら・・・私の憧れる強さかもしれません。


その中で、その不安と共存していくためには、不安や苦しみを持つ自分を知ることからはじめないと何も始まらないということ。ただやみくもに不安や苦しみを捨てようとしないで、ちっぽけで小心者の自分を見ようかなって思うのです。もちろんこれ、まだ私の中で計画の段階の言葉ですが・・・。


まだうまく書ききれなくてごめんなさい。
雨音としての私は今、いい意味でさまよいのさなかにいます。その模索を以前よりは楽しみながら行っているというのが近況報告といえばいいのかもしれません。


今の会社と契約して今月で二年たちました。こちらはあっという間でした。今でも、電話が鳴ると本当に緊張が走ります。お客様に電話する時はドキドキを抑えるのに必死です。うまくしゃべらなくちゃと思うと失敗したり、余計に緊張することもわかりましたが、やはりお客様を迎える時は緊張この上ないです。これからも自分にできることは一生懸命実行していくしかありませんよね。占い師としてこの会社に所属できることを誇りに思いますし、私の鑑定士名には「愛」という文字が入っていますので、愛のある言葉をひとつひとつ紡ぎ出せる鑑定士になることが、一番の目標です。


支離滅裂な内容になってしまったかな(^-^;?
うまくまとまるように、また模索の日々が続きそうです・・・。
今私はある資格を取得するため、週に一度ですが学校に通っています。
「ホームヘルパー二級」・・・言わずと知れた、介護のお仕事です。


なぜ占い師なのにヘルパーなの?と思われるかもしれませんが、お恥ずかしい話、現在の会社に所属しながら生活するためのまとまった金額を得られるまでの働きができていないのが私の占い師という現実なのです。これはただただ、私という人間性の未熟さが原因としか言えません。占い師は人間性が商品のようなもの。言葉、生き方、アドバイス・・・そんなあらゆる面から鍛錬が足りない自分はいつもくすぶることが多かったのです。因果応報。占いが活性化できないのには必ず理由があります。


そして残念ながら、収入が微々たるものでも気にせずに好きな仕事だけに没頭できるほど我が家は裕福ではありません(苦笑)。住宅ローンも、2人で働いて返す、そのつもりで組んだのですから、占いだけですべてをカバーしきれない現実はとても辛く、夫の給料だって爆発的に増えるわけないのですから、今度は私は外に出て、ちゃんとした収入を得ないとダメなんだなと、今までのやりかたを見直しせざるを得なくなりました。


じゃあどうすべきなのか・・・。
占いと並行してできるお仕事を、と思って、最初考えたのはドトールとか、近所のガストとかです。いつでも求人が出ているし、時間のシフトも融通が利きそうだったので・・・。何せ外に出るのはいいのですが、子供が熱を出した時、誰も助けてくれない状態ですから、とにかく時給は安くてもいいから、近所で休みを取りやすい会社ならどこでもいいと思っていました。


でも、どうしても迷いが出てしまって・・・。何だか違う、といえばいいのか、どうしても踏み切れないのです。
あと10年後、自分もあの制服を着て、あそこに立てるんだろうか(そのとき私は50歳ですよ・・・)と想像しながら考えてみると、やっぱり違うような気がしてしまう。
かといって、自分にできることは限られているし、元いた会社に戻って再度の銀行員もキツイ(子供が熱を出したからって簡単に休めるような企業体質ではない)。時間に融通が利いて、なおかつ自分も働き甲斐を持てる仕事を・・・。と求人広告を眺める日が続きました。


でも求人は看護士さんか薬剤師さんしかありません。このときほど、看護士さん強し!と思ったことはありませんでした。


ちょうどその頃、母方の祖母が亡くなりました。亡くなる前に祖母がお世話になっている施設にお見舞いに行き、祖母の手をぎゅっと握ってあげていたら、祖母の喜びの反応があったことを思い出しました。そして、祖母のお葬式で一つ年下の私の従姉妹が、現在介護施設で入浴介助の仕事をしていることを知り(彼女も身寄りのない土地で三人の子供を育てている状態です)子供がいるとこの仕事は時間が融通が利いていいよ、と教えてくれました。彼女はヘルパーの資格を持っていなかったのですが、近所の施設で時間もいいところが見つかり午前中だけ働いているそうです。


介護かあ・・・。


私は祖父母と三世代同居の農家で生まれ育ち、晩年の祖母は脳梗塞で最後の数年は母が自宅で介護をし、祖父も祖母が亡くなるまで献身的に介護をしていましたが、年々弱っていき、最後は真冬のお風呂で亡くなりました。
そういう環境下で育っていたので、年をとるとこうなっていく、ということはキレイ事ばかりじゃないこともわかります。嫁という立場がどういうことをするのかも・・・。


でも私はそのとき祖父母の面倒を見ることから逃げてしまったという後悔があります。
母に押し付けて、自分は何もせずに過ごしてしまった。老いてゆくおじいちゃんとおばあちゃんを温かく受け入れることができないままだった。そんな苦い想いが残っています。


その後悔という念が、私の中で一つの道を差し示してくれたような気がします。母はあんなに一生懸命介護を行っていたのに、その魂を受け継いだ娘の私が、今度は親の介護から逃げていもいいのだろうか?と。母のあの背中を思い出し、祖母の死とともに、そのバトンが今度は自分の元にやってきたような気がしました。そして、今の私は同居の祖父母を亡くした頃の無気力で何も知らない、できない若い女性ではありません。占いという学問を通して、輝夜師匠から魂の学びを受け、自らを知り、そして人間としてどうあるべきなのかを徹底的に教えてもらいました。そして、この身にレイキという愛のパワーを通すこともできるのです。私の想いを手の平を通じて今まで出会うことのなかった人たちに伝えることもできるのです。


そして、夫の両親、そして私の両親、今後は私たちが支えなければならないのです。私自身の環境を考えて、介護の資格を取得するのは決してお門違いではないと思いました。今までの学びの基盤があるから、それを生かすことができるでしょう。


ちょうどまたタイミングよく、ヘルパーのお仕事をしている方がそばにいて、私にヘルパーのお仕事情報やら、どうやって資格を取ったのかを細かく教えてくれました。子供を持っていても融通がきくこと。副業としてヘルパーをしている人もいること。とにかく資格があれば、該当する求人数はぐっと増えます。求人広告には「一週間に一日、一時間からOK!」というヘルパー募集の企業もありますね。子供を抱えている子育て世代のお母さんたちでヘルパーをしている方はとても多いそうです。これは私の住んでいる地域だけの問題だけではないと思いますが、最近、町に老人がとても多い気がします。特に都営団地をたくさん抱えている地域なので、バス停もご老人ばかりですから、逆に言えばその気になれば近くで見つかるかもしれません。


そんないきさつがあり、友達に学校を紹介してもらい(友人紹介割引があるんですよ~~)、通い始めているところです。ところが思いがけずPTAの役員が忙しいので、資格をとってもすぐにお仕事できるかは微妙なラインなのですが、占いのお仕事も並行して頑張っていこうと思っています。実は、占いを会社に所属して続けるのも、実は単なる私のわがままで、現実の生活を優先するなら、私は外に出て、確実にお金をいただける仕事を選んだほうがいいのかと思って、占いの会社を辞めてヘルパー優先で・・・という考えに陥ってしまった時もあります。


でも、輝夜師匠に「所属会社をやめてしまったら『「元プロだった占い師』になってしまいます。お金を払ってまでして元・プロのところに見てもらいたいと思うでしょうか?」と疑問を投げかけられました。


もう、お恥ずかしながら、何もいえなかったです。
それは私の望むところではありません。
どんなに苦しくても、占い師として生きていくと決めたのだから・・・。お金は確かに現実の生活を支えるために大事ですし、稼がなくちゃ!という現実もリアルですが、目的を間違ってしまったら、何の説得力もありませんね。


そんなわけで、介護の資格を取りつつも、この道で頑張ることも自分に課すことにしました。
大変かもしれませんが、でもみんなみんな人生大変ですよね(^-^;。私だけが特別じゃない・・・。重い荷物を抱えながらも、それぞれ自分の目的に向かって頑張っているんだから、私だけが大変で苦しいわけではないんですよ。


介護というお仕事の理念は、今自分がぶつかっている課題「偏見を持たない」ということがとても重要なのです。そうですよね。お年寄りを相手にするわけですから、占いのお客様以上に大変だと思うのですよ。でも先生がきっぱりと「でもそれはやりがいでもあります」と断言していました。


今の私が今まで勉強したことをどれくらい活かせるのだろうか。それを知ることができるのは結構楽しみだったりします。ヘルパーの仕事で学んだことが占いに活き、占いで学んだことがヘルパーで活きるなら、冗談抜きでこの人生に対してもう贅沢なんて言っちゃいけませんね(笑)。


でもまだ講義は半分も終っていません。資格というものをとるのは久しぶりになりますが、一日中座っているのもなかなか大変です(汗)。ようやく実技に入り始め、今は体位変換、車椅子への移動やベッドメイキングを教えてもらいました。これ、忘れないようにするのも大変です。先生によって授業もものすごく面白かったり、そうでなかったりするんですが、生徒さんの性別や年齢も幅が広く、ご夫婦で受講されている方も何組かいたりして、そこに通っていろんな人とペアを組むのも一つのワクワクになりつつあります。



最後に感銘を受けた先生の最初の言葉を一つ・・・。
「技術なんてあとからついてきます。
手早くなくていいから、手際が悪くてもいいから、どうか優しさを持ったヘルパーさんになってください。
こんなひとに自分の親を介護してもらいたいなあ・・・そんな風に思ってもらえるように頑張ってください。」
久しぶりの更新になってしまいました。
実はここの所、PTAの役員の引継ぎや作成書類がいっぱいあって、昼間はずっと学校にカンヅメ状態でした。そして不覚にも、自分が大変忙しい役についてしまったことが徐々にわかり始めました(苦笑)。PTA会長さんをはじめとする八人役員の一人ですから、当然といえば当然。とにかく「学校に集合」が多いのです。ただ、五月はPTA会費集金やPTA総会があるので、余計に忙しいのだそうですが、これから12ヶ月この調子で毎日が回っていくならどうしようかと思ってしまうほどです。


でも、今日のPTA総会で新役員が承認されたので、これで本当に私も一年間、学校と子供たちのために身を粉にして(やせるかな???・爆)できることを一生懸命させていただくことに!


ただ、作業の中で、一番辛いというか、すごくショックだったことが一つ。
それは自分があまりにも物覚えが悪くなっていること!!


きっと今、会社などに再就職するとしたら、この状態では使い物にならないといわれてしまうかも?!


引継ぎなどでいろいろ教えてもらったりするのですが、それはメモをしないと頭に入らないのです。それから何度もスケジュール帳を見ないと、時間の流れもつかめない。他のお母さんたちとのやり取りは、同僚とのやり取りのようなものです。久しぶりに「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」の世界につかっています。一言一句をメモにとらないと頭に残らないという・・・。聞いているだけでは残らないんですよ。


使っていなかった(銀行時代で封印してしまった)脳細胞を一気にたたき起こしてフル回転させているような状態ですが、そのおかげ?で、帰宅して夕飯を食べ終わるころからもう限界が・・・(苦笑)。体の疲れよりも、頭の疲れが強くて、久しぶりにグッタリの毎日でした。


でも、自分が大変だと思うことをすることで、きっと私の中でとても大事な事に出会えるかもしれない・・・。
少なくとも、普段やり取りしない世界の人たちの中で時間を持つことは、きっと今の私にはとても大事なことなのだと思っています。「大変なことを通り過ぎると大切なものを知ることができる」・・・これは私が息子の幼稚園時代に学んだことです。苦しいな、めんどくさいな、大変だよな・・・と思うことにこそ、案外やって見る価値もあるかもしれません。もちろん、自由な時間を削ったり、仕事の時間を削ったりしなければできないことも多いので、それはちょっと大変なこともありますが、一年間だけの特別な課外授業ですよね。


私はこの土地でようやく二年目です。
他のお母さんたちの話を聞いていると、圧倒的に地元出身の人が多いんですね。生まれてからずっとこの地出身で、親も、夫の両親も地元だというひとばかり。ここは一応東京なのに(苦笑)、地方出身の人にはめったにお目にかかれないので、私自身が居場所を作るのに必死なのかもしれません。そんな気がします。もしかしたら自分を駆り立てるものは孤独感なのかもしれません。ここが自分のふるさとで、両親がそばにいて、自分の昔からの友人がそばにいるような環境だったら、もっと私は違っていたような気がするんですね。少なくとも、無謀にPTAの役員に手を挙げるタイプではなかったかもしれません(苦笑)。地方出身者の雑草根性?!というべきなのかなあ・・・。


雑草でもいい、たくましくこの地に根を張るための地道な一歩!
そんなわけで多忙ではありますが、生きております。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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