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占い師としての成長日記
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6月はいろんな記念日が続きます。特に今週は私にとって記念日、それから考えさせられることが相次ぎました。


8日は夫の誕生日。
それはそれでお祝いさせていただきました。美味しいビールを楽天で購入したのですが、こだわりすぎたビールだったらしく、とっても苦くて(笑)、あまりの苦味に飲めなかったようです。普通のエビスビールとかのほうがまだよかったらしいですね。まあ、飲んで見なければわからないということで・・・。


その日は秋葉原の通り魔殺人事件から一年たった日でしたので、ニュースでもあちこち報道していました。
忌まわしい記憶の掘り返しになりますが、8年前の同日、大阪教育大学教育学部附属池田小に男が押し入り、8人の児童と職員を殺傷した日でもあるんですね。


日曜日、秋葉原に買い物に行ったり、遊びに出かけた先で、「誰でもいいから」という犯人の身勝手さに突然命を奪われた方々。そしてその現場に遭遇した人々・・・一年たった今も、その傷が癒える事はないでしょう。
またこの事件に関して、輝夜師匠がブログに書かれていることを拝見し、私も考えてしまいました。


翌9日は皇太子ご夫妻の16年目の結婚記念日でしたが、16年前のその日、私は短大時代の友人であるAちゃんの命日でもありました。享年24歳。最も生命力にあふれ、希望に満ち溢れていた輝く年齢に、病気でこの世を去ることになってしまった友人。いつも6月9日、皇太子ご夫妻の結婚記念日のニュースが流れるたびに、彼女の笑顔を思い出します。生きていれば4月には40歳になっていた彼女。結婚半年後の突然の訃報に、当時葬式に集った同級生はただただ言葉もなく、泣きながら見送るだけでした・・・。こんなことになるなら、「いつかゆっくり会おう」なんてやり取りを交わしているんじゃなくて、もっとたくさん交流すればよかった。当時の私は彼女と連絡を取らなかった空白の日々を悔やみました。


彼女の結婚式には出席できても、私の結婚式に彼女を呼ぶことはできませんでした。
そんな私の結婚記念日は6月10日。もう9年も結婚生活を送ってきたんですね。


9年目の結婚記念日は、まあ、これまでがこれまでなので、いつもながら特にロマンチックな展開があるわけではなく(苦笑)、お赤飯を炊いて、子供たちが大好きなチキチキボーンを揚げてライトなご馳走を作りました。


ちょうどこの日は昼間、ヘルパー二級のスクーリングの日で、今回は排泄介助の学習に入りました。
リアルな話、オムツ、陰洗浄、トイレの介助という、介護の中で最も介護される側も介護する側も、抵抗のある回だったと思うのです。その内容のためか、生徒さんたちの神妙な顔つきがとても印象的でした。


ヘルパーの仕事はともかくとして、親が四人まだ生きている私にとって、いつか生活の中にこの役割をしなければならないときが来るかもしれません。そのときはせめて手際よくお世話できればと言う気持ちでこの講義を受けているのですが、それでも自分の子供でも、他人であっても、下のお世話をしてもらわねばならない自分、オムツをしている自分、そういったものに抵抗を感じない人はまずいないだろうと思います。
講師の先生は現役のヘルパーさんなのですが「私の利用者さんで、やっぱりこのオムツをした方は『もう自分は生きている価値のない人間なんだ』ってつぶやく方がいらっしゃるのよね。『情けない』って言葉はみんな言うよね。」
ということをお話してくださいましたが、本当に・・・自分もこの実習の際はベッドに横たわり、ヘルパー役の方にオムツを当ててもらい、そしてオムツの交換と言う手順をしてもらうのですが、服の上からオムツを当ててもらうのもすごく抵抗がありました。恥ずかしくてたまらない!これが実際、自分の裸を見せると言うことが現場なら・・・。そしてこれがずっと続くものであるなら・・・。


家に帰って久しぶりに母に今日のオムツのことを話しました。
母は電話口で「絶対私はそんな風にならないように気をつけるから。」と言っています。でも私は思うのですね。
好きでオムツになる人なんていないし、絶対にならないと言う保障なんてどこにもない。
それにもしかしたら、この自分が何かの病気で親より先に介護を受ける可能性だってどこにでもある。


遊びに行った先で突然身勝手な犯人に命を奪われる可能性も。
愛する家族や友人をそんなかたちで突然失う可能性も。
突然の病に倒れ、志半ばで逝ってしまう可能性も。
どんなに気持ちが老いていなくても、身体が動かなくなってしまうことも。
いつか自分の親にオムツの介助をする可能性も。
誰にでもどんな人にもある。


ただ、今はそれから遠ざかっているだけで、生きていればいろんなプラスにもマイナスにも可能性があるということ。


だからと言って毎日びくびくしながら、その可能性に飲まれることを考えていても怖いし、暗くなってしまいますよね。じゃあ、そんなリスクを踏まえたうえで、ここから何を学んでいくべきなのか・・・。


少なくとも、今の自分ができることを一生懸命、手を抜かないでやってみること。
それでも完璧とは言いがたい時もあると思いますが、心を込めてやってみることが大事なのかなって思っています。それでも事態が酷い時もあるかもしれません。それでも、自分のために一生懸命頑張ってみる。相手のために一生懸命頑張ってみる。それでダメな時があるとしても、やり方を見直したり、相手の気持ちを伺いながら、自分が納得のいくまでやらせてもらえば、また道も開けてくるのかもしれません。こればかりは頑張ればうまくいくものばかりではないかもしれないけれど・・・大事なことは投げやりになって他人に当たらないことですね。


輝夜師匠が書かれていたように、相手への思いやり、どんな仕事でもどんな立場でもどんな人生でも、私たちは持っていたいですね。
たとえ自分が今、すさみたくなるような状態であっても・・・。
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志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
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自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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