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占い師としての成長日記
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先日、ちょっと考えさせられることが起きました。


用事があって小学校に行ったのですが、息子のクラスの女の子の忘れ物を見つけたので教室に届けに行きました。その女の子、Aちゃんに手渡したとき、Aちゃんがニット帽を被っていることに目が留まりました。特徴だったロングヘアをいつもポニーテールにまとめている印象があったのですが、その長い髪はどこにもなく、髪のかわりにニット帽を被っていたのです。


一緒にいたほかのお母さんに「あれ?Aちゃんは頭に怪我でもしたの?」と聞いたら「う~ん、子供の話だからどこまで本当なのかわからないけれど、なんでもAちゃんが約束を守らなかったから、お母さんが髪の毛を切っちゃったって話だよ。」
え?えーっ!?
だ、だって、女の子が丸坊主だよ?!
もちろんいつか生えてくるけれど、丸坊主にしなければならないくらいの守れなかった約束って一体どれほどのものなんだろう?


とにかく、この衝撃的なお話を聞いて、私はとっても納得できなかったんですね。なんというか、うまくいえませんがモヤモヤしていたんです。
少なくとも私も子供が言うことを聞かないときはカーッ(-"-;)となることはありますが、それでも女の子をつかまえて髪の毛を切ってしまうことはありえないので・・・。肩くらいの長さとかならともかく、坊主ですからね。とてもじゃないですが、いくら約束を守らなかったとはいえそれはいいのだろうか?という想いがどんどん沸いてきて、でもそれは一方的な批判になってしまいます。じゃあどうすればよかったのか、という考えには至りません。批判や疑問はわくのだけれど・・・。人って、自分とは違う考え方を持っている人に対してはガンガン批判精神がわくんですね。だけれど批判で終わってはまた手落ちのような気がしていました。


ちょうど別の用事で輝夜師匠と電話でお話しする機会がありましたので、この事件を輝夜師匠の見解を聞いてみたいなと思って、お話してみました。


すると輝夜師匠にこんな風に尋ねられました。
「雨音さんだったらどうすることが正しかったんだと思う?」
「う~ん・・・そこがわからないんです。」
「どうすることが正しかったのかを知るためには、自分がなぜこの丸坊主にされちゃった女の子に反応したのかを追究しなくちゃいけないんだよ。」
「追究・・・?」
「なぜ雨音さんはその丸坊主にされたことに反応したの?いいとは思えなかったんだよね?どうしていいと思えないの?」
「だって丸坊主だとその子が恥をかいちゃうから。」
「じゃあ、恥をかかなかったら丸坊主にしちゃうのはOKなの?」
「・・・(沈黙)。」
「例えば、その子が外に一歩も出ないような引きこもりのような状態で、家族としか顔を合わせないような生活をしていたら、その子が恥ずかしい思いをするということはないよね。そういう環境であったなら丸坊主にしてもいいと思える?」
「そんなことは・・・ないですよね?」
この時点で私はかなりしどろもどろになっていました。
「私に回答を求めるんじゃなく、私が雨音さんに聞いているのよ。雨音さんは初め自分の反応は、女の子なのに丸坊主にしてしまったら、その子が後に恥をかくことになってしまうから、そこまですることなかったんじゃないか、と思ったのよね。でも、もしもその子が周囲の目にさらされるような生活環境ではないとしたら、丸坊主にすることはアリだと思う?」
「・・・・・・いえ、やっぱりそうは思えません。」
「ということは、雨音さんはその女の子が恥をかいてしまうから、だから良くないと思ったわけではないということなのね。じゃあ、どうして雨音さんはこの出来事に肯定的な気持ちになれなかったんだと思う?」
「・・・。」
「なぜなら、その子がされたことは、実は体罰と同じだからなんだよ。体罰と言うと殴る蹴るみたいなことのように思えてしまうかもしれないけれど、実はそればかりじゃなくて、その子のような場合も体罰になるんだよ。きっと雨音さんはその女の子の様子を見て、お母さんの行き過ぎた行動に、随分乱暴なことをしたなと感じたんだと思う。そうじゃない?」
「あ、そうです。」
ようやく私は言葉が出ました。
「ここまでのことがわかったら、今度はどうすれば良かったのかを考えなくちゃいけないのね。お母さんの行動が体罰になってしまうことがわかったでしょう?それじゃあ、本当ならどうすることがベストだったと思う?」
「えっと、ちゃんと話すとか、説明する?」
「話しても分からなかったら?」
「話して分からなかったらですか?!これは私の場合ですが、やらせてみたり、手本を見せたりするかな。」
「それでも解決しなったら?」
「えーーーっ?・・・・(回答なし)」
「親が子と向き合う際のベストなことは、『それでもあきらめずに向き合っていく』ということなの。また、子供の年齢も考慮に入れて対応しなければいけないよね。たとえば、その子はまだ小学校低学年なんでしょう?だったら、まだ子供だもの。何度だって同じ過ちを繰り返すものよ。大人だってなかなか自己改善できないのに、子供がそんな簡単に自己改善できるわけないんだもの。それこそ舌の根も乾かないうちに、すぐに同じ過ちを犯したりするものじゃない?そうすると、親だって人間だから、どうしてもカッ!ときちゃうけれど、でも、怒りの感情で向き合わずに、愛を持って向き合っていかなきゃいけない。その子のお母さんが怒りの感情で向き合った結果が丸坊主なのかはわからないけれど、でも、なぜいけないのかをきちんと説明して、その意味を理解させるようにする。これがベストだよね。体罰じゃあ、怒られるからしない、という解釈になりかねないから。」


子供のことはけっしてあきらめないでとことん付き合う。
当たり前だけれど、とっても簡単でシンプルすぎる大事な回答。だけれど見落としてしまう私たち。


輝夜師匠はその話の途中でメッセージをいただいたらしく、こう教えてくださいました。それは私にとって、とても救いのあるメッセージでした。
「今こんなメッセージをいただいたのだけれど、私たちはその子が体罰と同じことをされてしまったということを心配していたけれど、でも、その子はなぜ、自分が丸坊主にされてしまったのかということをちゃんと理解しているから、だから私たちが思うような傷は受けていないんですって。その子は『私が約束を守らなかったから髪を切られちゃった』と言っていたんでしょう?その言葉どおり、自分が悪かったからこうなったんだ、と理解しているから、だから、少なくともその子は体罰と受け取っていないということみたい。つまり、たとえば神様から見たら、そのお母さんがしたことは体罰と同じだから、お母さんの対応は×。でも、幸いなことに、子供は体罰としてではなく自分が悪かったと認めて受け入れているので、お母さんはお咎めなし、ということになるわけ。もちろん、だからと言って、今後も体罰をしていいというものではなく、これからその子のお母さんは子供への対応を気をつけるよう天から促されるだろうけれど、今回はお子さんが素直に受け入れたことでお母さんは救われたわね。もしもその子が体罰として受け止めてしまっていたら、それは愛ではないと感じてしまうから、その子はお母さんに対する愛を失ってしまうのね。だから、体罰は絶対にしてはいけないの。注意する際、親が子供を叩いてしまうことはあるけれど、でも、それが体罰であったり、感情の捌け口であったりしてはいけないの。愛があるから叱るんだ、ということを常にベースにしながら向き合わないといけないんだよ。その子は体罰として受け止めていないということみたいだから、今回は親の愛を失わずに済んで良かったね。」


そして輝夜師匠は私にこうおっしゃいました。
「雨音さんはきっと自分のことをきちんと知らないんだと思うのね。たとえば、今回の出来事ひとつとっても、自分の心は反応したのに、なぜ反応したのか、何に対して反応したのか、ちゃんとわかっていなかったでしょう?それはなぜかというと、反応はしたのに、どうして反応したのかを追及していなかったからです。それに、ただ、追求すればいいんじゃないの。たとえば、今の私とのやり取りでも、私が深く突っ込まなかったら、雨音さんは自分の反応の理由が『その子が恥をかいちゃうと思ったから』というところで終わりだったかもしれない。物事というものは、良いことも悪いことも、その方法論は何通りかあるけれど、回答は1つで、それは条件や状況が変わっても変動のないものなの。そこを妥協せずにきちんと追及すれば、自分の内側にある揺るぎないものにちゃんとたどり着けるし、それこそが、雨音さんの考え方や価値観の部分なのね。それを知ることが大事。自分という人間はいったいどんな考え方や価値観の持ち主なのか、それが理解できると、おのずと道が開けるし、行動も定まってくる。矛盾もなくなってくる。揺るぎのない人生を築けるようになってくる。雨音さんが悩んでいる『占い師としての自分の売り』が何であるかもわかるようになるのです。」


はあ~~~~(感動のため息)。
そしてすべてが納得。
私はこの親の行動を批判することに終始していたような気がします。なぜそんなことをするのか信じられないという部分だけを感情的になって訴えていただけで、なぜそこに自分が反応したのかをまったく気にしてこなかった。だから自分の回答はどこかで筋が通らないものになってしまったんですね。どうして反応したのか、じゃあどうすればいいのか、本当はそこがとっても大事。そこまで考えていくことが占い師としての自分、ヒーラーとしての自分を育てることにもつながっていきます。


一方的で感情の掘り下げもなく見過ごしてしまうのは、偏見だけを増やすため、自分の経験値は増えていきません。こうした経験を生かすためには、常日頃から心が反応することにもっと敏感になり、自分で自分を突っ込んで、自分のことをよく知ることが大事なのだと教えられました。


本日の感謝・・・
私も一人の親。まだまだ未熟で子供を叱ることなんてもうしょっちゅう。
だけれど、愛があるから叱ることもまた事実。そこにある「愛」はやっぱり子供のためを思う気持ちからやってくる。時にはやりすぎて本当に怒ってばかりのこともあるけれど・・・。でも「根気よくつきあえる」のは愛そのものかもしれない。私自身とも根気よくつきあいたいなあ。私のことを自分で見放さないように。すぐにあきらめちゃだめよね・・・。自分のことを自分であきらめないことが親としての根気力につながるのなら、頑張って育ててみます。そんなことを教えてくれたAちゃん親子に感謝。
そして今日のブログを書くにあたり、このやり取りの詳細は輝夜師匠にご協力をいただきました。細かいやり取りはすでに私の中で抜け落ちている部分がありましたので、輝夜師匠のご協力があってこのブログが完成することが出来ました。ありがとうございました。
私にとって、ここかしこにとても大事なことがいっぱいつまったやりとりでした。この時間を提供してくださったこと、この流れにも「ありがとうございます。」
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「光を育てる」というメッセージをいただいた翌日。
今日は私のことを見つめる時間をいただきました。


私は劣等感のゴリゴリの塊だったんですが、そこからの脱却を図ろうとしています。でも、私自身は未熟で至らないところだらけで、失敗も「あ!しまった!」も多い人間ですが、やっぱり考えても「だけど、この私でよかったんじゃないか」という結論が出てきました。


そりゃ思うことはいっぱいありますよ。
夫がもう少し話の分かる男性だったらよかったのに。
世帯収入がもう少しあればいいのに。
もう少し美人に生まれたらよかったのに。
きりのない欲望。
私も人間ですから(^-^;。小心者だし、見栄っ張りだし、暗いし。


でも今、この私がここにいなかったら、絶対に(少なくとも私の周囲の世界は)また違った世界になっていたと思います。どっちがいい世界、悪い世界という区分けではなくて、やっぱりこの私でいいんだとおもうんです。一生懸命生きる今の私を、この私が否定したら・・・悲しいものなんですね。それから、私が私を否定することは、私をダメなんだと決定付けることは、私のことを愛してくれる、心配してくださる人たちの想いを裏切ることでもあり、「私はこんな人間だから、あなたに愛される価値のない人間です」と間接的に伝えているようなものなんだってこともわかりました。そんなコミュニケーションをされたら、どんなに相手は傷つくことか。どんなに励ましても、励ましが届かない相手と向き合い続けることは本当に辛い作業になってしまうのです。そして「私がこんなにあなたのことを好きでもあなたはいつまでたっても自分を嫌いなのね。それはとても悲しいし、あなたと向き合うのは辛くなってしまうわ。」という悲しい結果になる可能性もあります。一緒にいてくれる人がいるって、ありがたいことですね。それこそ、本当に感謝すべき「光」の一つかもしれません。


でもこの私で生まれてよかったと思う気持ちが、今の私の中に少しでもあるのなら、私はまだやれる!と思ったし、私はきっと変わっていけるかもしれません。ずっと昔からある「私らしさ」といういいものを残しながら、なりたい自分に変わって行くことができるかもしれません。
38歳ですが、今からそういう芽を育ててもいいじゃないですか。


私のよさって何だろうってことが、今後の追究です。
皆さんには私の悪い部分はよ~~~く把握できたと思われるので(苦笑)、今度は劣等感をすべて消えるわけではないけど、今後は劣等感も出たとしても、そのかわり良しと知る部分も模索してみようかなと思います。


良さは時に短所にもなりますが(笑)、でも今のところ把握している私の最大の特徴は・・・「真面目」なことなんですね。真面目すぎるところがあるとはよく言われてきました。それゆえに「こうしなくては!」という方に力が入りすぎた状態に陥ることも多々あり・・・。よく皆さんに一斉に言われます。「そんなに肩に力を入れなくてもいいよ(^-^;」って。私もよ~~~く分かっています。肩こりを起こすくらいに肩に力が入ってしまうタイプだってことを。でもそんな真面目さが、時に私の愛らしさになり、私の悩みの原因にもなったりする、大事なキャラ要素なんですね。


一生懸命真面目にコツコツ。それでいいじゃないですか。
肩に力が入っているかも知れません。まあそれもいいじゃないかと。
真面目に取り組んでいる自分、結構好きです。こうやって落ち込んでも、それでも真剣に悩みと向き合おうとする自分、もしかしたら外から見ている方にとって私はかなり人生にテンパっている姿そのものかもしれませんが、これから私は悩みに食われないように、でも上手に乗り越える方法をいろいろ模索しますね。


今日の感謝・・・輝夜師匠との鑑定以来、今日は本当に珍しく、いろんな気づきがうわーっっと押し寄せてきた。震えるくらいにいろんな流れが理解できた。私の心は不安定な闇から、段々と「そうか、今度はこういう風にしてみればいいんだ。」という想いが育ち始めている。放棄しなくてよかった。討ち死に寸前の私をサポートしてくださったあらゆる存在に「ありがとうございました。」
実は私、昨日悩める一人のお客さんとして、所属会社を通して輝夜師匠に鑑定をしていただきました。自分がにっちもさっちも行かなくなり、不安だけが渦巻き、卑屈な思いを抱えて毎日を歩いていくのにも限界があります。普段は自分が行き詰ったときなどは自分でタロットカードを展開するのですが、今回はもうそれも出来ませんでした。自分で冷静で客観的な判断ができるのか自信がまるでなかったからです。


輝夜師匠と私は同じ電話鑑定の会社に所属しています。普段は鑑定士としてやりとりする受付に電話をして「すいません。鑑定士の○○です。今日はお客様として鑑定をお願いしたんですが・・・鑑定士のA先生をお願いします。」といって輝夜師匠をご指名させていただきました(輝夜師匠も私も所属会社でのそれぞれの鑑定士名があり、所属会社の鑑定士としての活動名は輝夜師匠でも雨音でもありません)。


なぜこれほどまでに私が行き詰るようになってきたのか・・・。


先々月から、私のすることなすこと、本当に注意を受けることが重なりました。手抜きしたことは即刻見つかります。先日のシートベルト違反事件なんて本当にいい例ですよ。そして、自分が劣等感を抱えて歩いている部分が臭いにおいをばら撒いているかのような状態になってしまい、周囲の人の言葉を通して、自分の劣等感の改善を求められる日々が相次ぎました。そのたびに私は、分かっていても落ち込んで、「だめだ、私なんてダメな人間なんだ」という繰り返しの渦に飲まれていきました。比例するかのように、私の仕事量は落ち込み、ついには一件も鑑定がない日が発生するようになりました。所属会社の景気が悪いわけではないのですよ。きっとこれは私の問題なんですね。仕事量の落ち込み、自分の人間としてどうよ?という突っ込み満載の日々がこれでもか!というくらいに続くものですから、あれもこれも無秩序に起きているわけではない、みんな私への大事なメッセージだという確信が日々募ってきました。


自信のなさが鑑定に出てしまうから、一回限りの鑑定で終わってしまう。だからお仕事が増えないのでしょうね。すべてが劣等感に握りつぶされていたのかもしれません。私は口にこそ出さないけれど、きっと相手に気は伝わってしまうのです。自信がないことを。それを隠すため、つい大きく見せてしまうことを。


このブログに関してもそうですね。
最近の私のブログが暗い、読んでいるのが辛い、ということも教えていただいたこともありました。しかも複数の方から言われたんです。でも笑ってしまうことに、当の私はですね「え?このブログのどこが暗いんだろう?おっかしいな・・・」と思っていたくらいですから、要は暗さに慣れてしまって、暗闇に気づかない状態で記載を続けていたんだと思います。


私は輝夜師匠にこう質問しました。
「最近私は自分にまったく自信がなくなり、自分はダメな人間なんじゃないか、占い師なんて向いていないんじゃないかと思ってしまってどうしようもありませんでした。また仕事の量がめっきり減りました。これは無関係ではないと思います。私のどこが至らないのか、どうすればいいのか、はっきりと教えてください。」


そして、輝夜師匠の鑑定はこのような結果でした。
鑑定は三時間にも及びました。そのあと輝夜師匠はわざわざ私の鑑定結果を簡潔に文章にまとめてくださったのです。一部を省略しましたが、以下は私の鑑定内容になります。


雨音さんの場合、あらゆる方向から劣等感を克服するよう天からサインが来ていて、占いのお仕事が活性化しないのも、実はそこに原因がありました。

雨音さんの場合、剣9のような「予期不安」があって(もしこうなったらどうしよう、という種類の不安を予期不安と言います。たとえば「ただでさえ、こんなに苦しいのに、もしも今天命(※ヒーラーとしての使命)を受けることになってしまったらどうしよう」「もし挫折することになったらどうしよう。そんなことになったら、きっと私はその後惨めな時間を過ごすことになるに違いない」「もしうちの子が友達が出来ず、身長が伸びなかったらどうしよう。いじめられるようになったり、馬鹿にされるようになるんじゃないか」というふうに、ありとあらゆる方面において予期不安があるわけです)、そのせいで逃げ出したくなってしまったり、劣等感を強めてしまったり、無理やり闘志を奮い立たせようとしたり、見栄を張ってしまったり・・・と、多方面において問題が発生していました。

劣等感と予期不安を表すカードは同じくらいの負のエネルギーを持っていましたので、劣等感のせいで予期不安を持つようになったのか、予期不安から劣等感が強まったのかわからないくらいどちらも問題でした。

それにしても、今、こうして改めて書いてみると、ネガティブであるという性質は、こんなにもあらゆる分野に悪影響を及ぼしてしまうのですね。本当に恐ろしいことです。


(中略)


また、雨音さんは影ばかり見つめて、光の方を育てようとしないという問題点がありました。



納得できました。
私がいつも心の奥底に秘めている問題や感情をこれでもか!とばかりにカードは正直に出してくるんですね。私が恐ろしくて口に出来なかった不安すらも容赦なく私に伝えてきます。


一番最初にいきなり「棒9逆位置」でした。
このままだとあなたは挫折しますよ。間違いなく終わります。
先制パンチにしてはあまりにも強烈。一枚目から涙が出ましたよ(苦笑)。占いを止める自分はそう遠くない未来に待ち受けていると思ったら、もう悲しくって悲しくって・・・。でもこれは全部自分が作った流れなんですね。他の誰も関与していません。


でも占いで「挫折します」と出たからといって実現するかどうかはその人の今後の心意気一つです。占い師ですが、占いの結果に飲まれてはいけない。これを一つの起爆剤にして、「じゃあ絶対に挫折しないように取り組むにはどうすればいいのか?」という方向転換ができるか、否か。
このままで行くと確実に挫折。根本的な見直しが必要。
そうタロットで言われたら、やっぱり挫折はしないようにしなくてはならないし、根本的に間違っている部分を変えていくべきなんですね。


そして最後にあった「影ばかりを育てて、光を育てていない」という言葉に本当に思い当たることがいっぱいありました。


私の影・・・
「なぜ私は言われないと何もできないの?」
「なぜ私は未熟で人の気持ちがわからない人間なの?」
「なぜすぐに逃げ出したくなるの?」
「なぜ私はブサイクで女として全然美しくともなんともないの?」
「なぜ私はこんなにブツブツ悩むの?」
書き出したら泉のように湧き出る私の影。
輝夜師匠は「影だって必要な部分だよ」とおっしゃっていました。
でも私の場合、きっと今まで影しか見てこなかったんですね。まるで子供の悪い部分しか目に入らなくなってしまっている母親のように・・・。


光を見る。光を育てる・・・。
私の光・・・とは
「占いを勉強しているときは本当に発見があって楽しい。」
「難しい相談でも頑張って応じたときの達成感。」
「お客さんとのやり取りでお客様に必要な言葉を見つけ出せた」
ささいかもしれないけれど、まったくないわけではない。私の大事な光の部分。それは「占いが好き」という気持ち。いつの間にか、人からどう思われるんだろうか、失敗はしていないだろうか、という自己保全に傾き、なぜ私は占いをし続けているのかも忘れてしまっていた・・・。それこそが、きっと私の持っている光なのに。本当にスッキリと忘れているんです(自分で言うのもなんだけど、雨音さん、あなたって人は・・・・(-"-;)・・・・)


今までいいと思って書き続けてきた私の劣等感の塊は、誰の心にも光をささなかったです。当たり前ですが。
すごくよくわかりましたし、占いを好きだという初心を思い出させていただいたこの鑑定を終えて、やっぱり私はもう一度占いが楽しいと思える自分でいたいです。ただ、自分にとって自信のないことを、さも自信があるように偽って振舞うのは止めようと思います。それは結局私の中で矛盾になり、少なくとも私は自分でその矛盾に耐え切れなくなりました。


光を育てること・・・。
辛かった日々ですが、それでもこの鑑定を受け、今後は劣等感を手放しながら、自分の好きな道を飾らず歩いていこうと思います。


劣等感へ。
私はキミからたくさんのことを学んできたよ。それは本当にありがたいと思ってる。
でも私はキミを必要以上に頼りすぎて、キミという存在が私という存在になっていて、最後には自分がダメだと思うことにすべてが終始するようになってしまったよ。自分にとっても、周囲にとってもあまりいい結果が出来なかったから考えたんだ。
これからは、自分の中の輝く場所も見つけたいと思うから、ここでお別れだね。バイバイ。
「今年を振り返る」というタイトルはちょっと時期尚早かもしれませんが、2008年に何が起きたのかを、もう一度冷静に分析したいと思いまして、恥ずかしながらいろいろぶっちゃけ話などを記載して行こうと思います。きっと振り返っているとあっという間に今年も終わりになってしまうことでしょう!家庭の中の自分、子供との関わりの中での自分、占い師としての自分、輝夜師匠との師弟関係の中での自分、友人と交わっているときの自分。いろんな観点から今年の事件?を切って行こうと思います。


まず一回目は完全にプライベートなことで申し訳ないのですが、夫との両親との同居を解消して一年。初めて私たちが「自分たちの家」を持てたことです。これはとてもハッピーなことだったかもしれません。家というモノを手に入れたということよりも、私たち夫婦がいろいろある中で、一つの目標を持てたことが一番貴重なことでした。


私自身の人生の中でも、そして配偶者である夫の人生の中でも、誰かの敷地に住まわせてもらったり、会社の恩恵で住まわせてもらったような「おこぼれ的」な住居生活から、何千万もローンを組み、通常ではありえない大金を動かし、初めて「固定資産税を払う」立場になりました。


※現在12/4の20:00ですが、知人からご指摘をいただきましたので、説明の記載をさせていただきます。この「おこぼれ的」という表現は、介護などのいろんな事情があって親と同居している人から見れば、この表現は誤解を生じやすいかもしれないというご指摘をいただきました。
言葉不足の部分があったかもしれません。大変申し訳ありませんでした。長くなってしまいますが、説明をさせていただきますね。
少なくとも私の人生はこの場所に来るまで37年間、住居がらみのことで自腹を切って生活してきたことがなかったんですね。実家では親に、東京では会社に、それから結婚後は相手の親のお言葉に甘えてきました。それに感謝できることもなく時間が過ぎていきました。独身時代は会社が住居を用意してくれるありがたさにどっぷりつかり、結婚を機に自活する勇気がなかったことも私の甘さでした。
それは夫もそうでした。夫は二年ほど自宅近所で一人暮らしをしていましたが、結婚することになった瞬間に資金を貯めるために、すぐに実家に戻った経緯があります。私も夫も「家賃を払いたくない」という考えだけで同居を選んだ人間です。私たちの同居は自分たちが楽をしたい、という部分で決定をしただけで、特別な事情もありませんでした。他の皆さんとの同居理由とは比べるのもお粗末なくらいです。もちろん、お恥ずかしながら当時の夫の給料は家族を養える満足な金額ではなく、その会社はかなり経営が苦しかったので、新入社員並みのお給料しかいただいていなかったこともあります。本当はもっと二人で力を合わせて・・・という選択もできたのに、親の恩恵にゆっくりとつかって育った私と夫は、厳しい選択はしませんでした。なので楽を選択し続けた二人だったのです・・・。これはあくまで私たち二人に当てはまる言葉であって、すべての同居の皆さんがおこぼれであるということではありません。表現に誤解を招くような記載をしてしまって、大変申し訳ありませんでした。



私はそんな生活が来るなんて、正直言って夢にも思っていませんでした。両親と一緒に住んでいた渋谷区は土地も高く、一軒家を建てようとしたら一億円です。普通のサラリーマンが普通に買える金額ではないので、共働きでガンガン稼ぐか、よほど名前のある会社の上役にならなければ、同居を解消して近所に住むなんてありえないでしょう。私の頭の中に「出て行く」という思考がまったくなかったし、現実的に(お金の面ですね)無理だという認識が強かったので、本当にここで骨を埋めると思っていました。あるいは私だけが出て行くか(苦笑)。夫の家で、このまま時間が過ぎていくのかな・・・でも子供部屋もないからどうするんだろう・・・・それくらいの認識で暮らしていたのです。自活する=お金がかかる、家賃がもったいない、とう考え方の夫と私ですから、たとえ狭くても、周囲がリッチな方が多くても、ここ以外の生活は考えていなかったのです。


でも・・・そんな流れはやはり壊れました。なぜ家を出たのか、それは同居が嫌になったら家を出たのではないのです。一番の理由は夫との関係が最悪になってしまって、もう手の施しようがないからこそ、生きる場所を変えようということになったのですね。このままでは離婚も・・・という話になったとき、「家を出て家族四人で暮らしてみる」という選択肢になったのです。夫は離婚するくらいなら、実家は大好きだけれど、自分なりに私と子供たちのことを優先したんでしょうね。この家にいると夫はいつまでたっても私の夫ではなく、親の息子であることが私には耐え切れなかった・・・それが、この家からの卒業になりました。


今ではまるで、そんな修羅場のような話し合いがあったことをスッカリ根底から忘れてしまっているような夫ですが・・・(苦笑)。人間って、自分がしたことは忘れるのに、自分が相手からされたことや言われたことは、絶対に忘れないものなんですね。私は少なくとも、夫婦の間でされたことは克明に覚えています。でも夫は記憶にないんですよ(^-^;覚えていない人を責めても余計に腹が立ちます。


それこそ私たちが毎月払える家賃を捜し求めて都心から北上したら、東京の最西端に来てしまいました(^-^;・・・・。自然がいっぱい、東京とは思えない静けさ。人も少なく、今までのネオンは見る影もない場所です。でも・・・新しい場所で私はとても気が楽になりました・・・・。


少なくとも二つの卑屈な感情から開放されたのです。お金や生活レベルに関する劣等感。そして、経済的なことなどを相手の親に頼りつつも、親をうっとおしく思っていた自分の矛盾。


お金とか生活レベルに関する問題は、もうこれは日本のどこに住んでも絶対に発生するんですね。こちらに来ても、恵まれている人はやっぱり出てくるんです。


実は、私は中古でもいいから買いたいな、この地域に住めたらいいよな・・・と思っている場所がありました。
そこは市内でも高級分譲地で、街並みも行き届いていて大変美しい町です。長男の学区内にあるので、その分譲地からから小学校に通う子たちがたくさんいました。そういったからみもあって、中古でもいいからこの地域に住みたいと願っていたのですが、やっぱり中古でもかなりいいお値段なのです(涙)。頑張ってもう1千万、借金を増やせばいいのかもしれませんが、夫もローンを組むにはかなりおじさんです。見栄でローンを組んでも、家の中のものを何一つ揃えられないのも悲しいものです。なので、こちらの地域はあきらめました。でも私の中で、またこちらの分譲地に入ってもなお、渋谷のように肩身の狭い思いをしたくないと思う気持ちがありました。だったら買える範囲で買える家を探せばいい・・・自分の収入の範囲内でできることをすれば、きっと周囲に住んでいる人との違いに悩まされずに済むのではないか・・・。私はよっぽど劣等感を強く持っていたらしいですね(苦笑)。家よりも、そんなことのほうがとても気になっていました。馬鹿馬鹿しい位に・・・。


トントンと話が進み、三月始めに完成、入居しました。
たった一年だけの賃貸生活でしたが、この最初のマンションはとっても良かったのです!本当はこの賃貸マンションが分譲で、もう一部屋ついていたら買ってもいいと思えました。一年のうちで二回も引越しをしたのですから、本当に引っ越し貧乏ですよね( ̄▽ ̄;A。


でも・・・新しい家が徐々に完成するのを見ていたら、なんともいえない充実感がありました。自分たちの力で・・・!という建物だったからこそ、今までの住んでいた建物とはまったく違う愛着が、住む前からわきあがっていました。大事に使おう。きれいに使おう。まさか家を建てるなんて夢にも思っていなかったけれど、やればできるんだ・・・。私はこの家に入居してから毎日掃除をする主婦になりました(笑)。


もっと、もっと・・・を求めたらきりがないけれど、私はこの家に満足しているし、狭いけれど今の私たちにはちょうどいい大きさです。東京に出てきてもう13年たちますが、ようやく今年になって「自分の居場所」を作り出せた気がしました。


渋谷の前は、会社の寮で杉並にいました。どちらも自分のお金で住んでいたわけではなかったし、会社を辞めたら出なければなりません。私は東京で自分の居場所をずっと探してきたのかもしれません。夫の両親と一緒に住んでいても、やはりあそこは両親の建てた両親の家なんですね。私は間借りしていた気持ちがずっと抜けませんでした。夫は自分の生まれ育った家に何の疑問も抱いていなかったはずです。だから最初から同居だったんですね。


もっと突き詰めていけば、私は東京で自分の家がずっと欲しかったのかもしれません。私の実家は長野ですが、もし離婚しても、私は実家に戻る選択肢はないのですね。手伝いの人がいなくても、こっちでずっとやって行きたいと思うからです。それが私にとっても、子供にとっても人生の選択の幅が広がるから。田舎は進学も就職も限られてしまう・・・そう考えると将来的には東京にとどまったほうがいいのです。離婚を前提とした話をしたとき、私の親は私に田舎に帰ってくることを勧め、そして実際私たちが住めるような中古の家を探してくれていました。確かに、そのほうが私にとっても、子供にとっても、田舎で二人だけの生活を送る両親にとっても、良かったかもしれません。だけれど、それは選べなかったです・・・。とにかく、夫をあの家から出してみなければすべてが決められないと思っていた私です。あのとき、両親の申し出に乗っかっていたら、今の私のブログも、占い師としての自分の生活も、こちらでの人間関係も、まったく白紙になっていたかもしれません。もちろん田舎での生活が最低ということもなかったと思いますが、私にはできないものでした。


離婚するしないに関わらず、なんとかこの東京で居場所を作りたくて必死だった私が浮かび上がってきます。


こちらに出てきても、夫は変わりませんね(苦笑)。そして私と夫は相変わらず・・・な夫婦です。
これはまた今年の事件で語ろうと思います。
だけれど、よくあの夫が借金を抱える気持ちになってくれたなあ・・・と
感じますよ。夫は実家があるから家にお金はかけたくないというタイプでしたから。ローンが何よりも嫌いです。現金で買えるものしか買わないタイプですから・・・。山が動いてくれた、そんな夫には、やっぱりありがたいと思っていますよ・・・。


私は銀行員時代の貯金をはたいて、背水の陣で家を建てた感じです。でも・・・今まで自分の家の窓から空を眺めたことなんてここ8年なかったけれど、布団をたたみながら、洗濯物を干しながら、夜寝る前、ベランダから外を眺めます。
なんていうことはない場所だから、特に素晴らしい夜景が見えるわけではないですが、それでも自分の歩みを振り返るかのように、何度もその景色を眺めてしまいます。そのときが最も、私にとっての充足の時間になっていることは確かですね。家を建てたことで、私の人生に大きな責任が増えました。その責任を負える自分になれたことが嬉しいのです。家自体も嬉しい宝物ですが、家を買うという、自分の人生を作る勇気を持てた自分がにわかに信じられないのですね。今年から住み始めた家はすでに床は傷だらけで(^-^;、私もキッチンでは容赦なく揚げ物をしているので、生活感がじんわりにじみ始めていますが、それでもこの家の中にいるときは、もう誰のステージの上でもない、自分たちのステージなんだという実感があります・・・。


・・・と、こんな感じで、今年の心に残った事件を掘り下げてみようと思います♪
ここのところ、夜の二時以降に就寝する日が続いています。娘が溶連菌感染で昼間の仕事の時間を削らねばならなくなったため、その分を夜に回しているのです。で、六時半には起きなければなりません。前は六時に起きていましたが、ここのところ目覚ましの音さえ聞こえず、遮光カーテンの威力のために光も入らず、延々と眠ってしまって、気がつけば夫がもうすでに会社に出かけていたり・・・(汗)。朝起きれないと思ってお弁当や朝ごはんの準備は前の晩に簡単に済ませておくのですが、それが余計に、寝坊を増長しているかもしれませんね(笑)。


会社の営業時間は深夜二時までなのですが、私の場合は次の日のことを考えて一時までのお仕事にしています。それでもそのあとネットやらブログやらいろいろやっていると、あっという間に二時になってしまいますね。最初から二時までのお仕事にしておけばいいのに・・・という突っ込みを自分で入れながら二時過ぎにようやく眠ります(^-^;。


でもさすがに・・・体力がなくなってきた自分。二時に寝て六時半に起きる生活は堪えます。体の中の何かが抜けていく一方という感じ??なのにやせないし、太ももは太もものままです(爆)。今朝は自分の髪の毛が異常なほど床にちらかっていてびっくり!昨夜掃除機をかけて吸い取ったはずの髪の毛がどこからともなくまた散らかっています。ろ、老化現象?!そんな逆風も時にはあったりして・・・。


だけど、家にいながら自分の生きがいと呼べるお仕事をしているのだから、これとも上手にお付き合いして、長く活動できる基盤を造らねばなりません。幸いなことは私は寝るのだけは得意なので、それこそ眠気が襲ってきたら抵抗なく眠れるんです。だから、一人の時間にはちょこちょこっと休みながら、毎日のこのペースに慣れるようにしています。この「ちょこちょこ」休みが、今の私にとっての一番のストレス解消かな。目覚めの爽快感が好きです。まったく不眠不休で働くのはきついし、長続きも出来ないので、自分のペースを作りながら深夜の仕事の機会も増やして行こうと思います。昼間と違って夜のご相談はまた違うんですね。何が違うのかを一言でいうのは難しいですが・・・・。じっくり回答を求める人が多いような気がします(もちろん一概にそうとは言えませんが)。


「初心を忘れずに」とよく言いますが、私は自分が選んでいる環境にも関わらず、満足できなかったり、つい「何でこんなに大変なんだろう」ってすぐに自分だけが大変だと思って行き詰ったりしてきたんです。でも、働くということは大変ということ・・・。当たり前なんですよね。楽をして得られるものなどありません。仕事を通じて自分を高めるのだから、厳しいはずなんです。私は今、働くことができる、しかももっと幸せなことに自分の行きたいと思っていたフィールドで動かせてもらえる嬉しさを、寝不足なんかが続くとつい見失ってしまうのですが・・・。


一度の人生です。健康であるためには睡眠も大事だけれど、気力も大事。
気力で寝不足を超えていけるような強靭な肉体と精神力が欲しいです。
お仕事は座って行いますが、お腹を使って声を出すのでものすごくお腹が空きますし、自分に負けないように、お客様に飲まれないように踏ん張って行うからやっぱり気力が勝負です。


そして、なによりも「お仕事をさせていただく喜び・感謝」が気力につながっているような気がします。いえ、それこそが気力なのかもしれません。お仕事があるのが当たり前と思わないように、それこそ初心の中に、自分の仕事を続けていくためのヒントが満ちているんですね。


どんなお仕事でも苦労があります。苦労の内容はさまざまですが・・・。
寝不足の苦労は確かにきついのですが、上手に乗り越える方法を模索し、体力を落とさないようにキープしたいと思います。
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志我雨音(しがあまね)
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女性
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占い師・レイキヒーラー・主婦
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自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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