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占い師としての成長日記
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先日、ちょっと考えさせられることが起きました。


用事があって小学校に行ったのですが、息子のクラスの女の子の忘れ物を見つけたので教室に届けに行きました。その女の子、Aちゃんに手渡したとき、Aちゃんがニット帽を被っていることに目が留まりました。特徴だったロングヘアをいつもポニーテールにまとめている印象があったのですが、その長い髪はどこにもなく、髪のかわりにニット帽を被っていたのです。


一緒にいたほかのお母さんに「あれ?Aちゃんは頭に怪我でもしたの?」と聞いたら「う~ん、子供の話だからどこまで本当なのかわからないけれど、なんでもAちゃんが約束を守らなかったから、お母さんが髪の毛を切っちゃったって話だよ。」
え?えーっ!?
だ、だって、女の子が丸坊主だよ?!
もちろんいつか生えてくるけれど、丸坊主にしなければならないくらいの守れなかった約束って一体どれほどのものなんだろう?


とにかく、この衝撃的なお話を聞いて、私はとっても納得できなかったんですね。なんというか、うまくいえませんがモヤモヤしていたんです。
少なくとも私も子供が言うことを聞かないときはカーッ(-"-;)となることはありますが、それでも女の子をつかまえて髪の毛を切ってしまうことはありえないので・・・。肩くらいの長さとかならともかく、坊主ですからね。とてもじゃないですが、いくら約束を守らなかったとはいえそれはいいのだろうか?という想いがどんどん沸いてきて、でもそれは一方的な批判になってしまいます。じゃあどうすればよかったのか、という考えには至りません。批判や疑問はわくのだけれど・・・。人って、自分とは違う考え方を持っている人に対してはガンガン批判精神がわくんですね。だけれど批判で終わってはまた手落ちのような気がしていました。


ちょうど別の用事で輝夜師匠と電話でお話しする機会がありましたので、この事件を輝夜師匠の見解を聞いてみたいなと思って、お話してみました。


すると輝夜師匠にこんな風に尋ねられました。
「雨音さんだったらどうすることが正しかったんだと思う?」
「う~ん・・・そこがわからないんです。」
「どうすることが正しかったのかを知るためには、自分がなぜこの丸坊主にされちゃった女の子に反応したのかを追究しなくちゃいけないんだよ。」
「追究・・・?」
「なぜ雨音さんはその丸坊主にされたことに反応したの?いいとは思えなかったんだよね?どうしていいと思えないの?」
「だって丸坊主だとその子が恥をかいちゃうから。」
「じゃあ、恥をかかなかったら丸坊主にしちゃうのはOKなの?」
「・・・(沈黙)。」
「例えば、その子が外に一歩も出ないような引きこもりのような状態で、家族としか顔を合わせないような生活をしていたら、その子が恥ずかしい思いをするということはないよね。そういう環境であったなら丸坊主にしてもいいと思える?」
「そんなことは・・・ないですよね?」
この時点で私はかなりしどろもどろになっていました。
「私に回答を求めるんじゃなく、私が雨音さんに聞いているのよ。雨音さんは初め自分の反応は、女の子なのに丸坊主にしてしまったら、その子が後に恥をかくことになってしまうから、そこまですることなかったんじゃないか、と思ったのよね。でも、もしもその子が周囲の目にさらされるような生活環境ではないとしたら、丸坊主にすることはアリだと思う?」
「・・・・・・いえ、やっぱりそうは思えません。」
「ということは、雨音さんはその女の子が恥をかいてしまうから、だから良くないと思ったわけではないということなのね。じゃあ、どうして雨音さんはこの出来事に肯定的な気持ちになれなかったんだと思う?」
「・・・。」
「なぜなら、その子がされたことは、実は体罰と同じだからなんだよ。体罰と言うと殴る蹴るみたいなことのように思えてしまうかもしれないけれど、実はそればかりじゃなくて、その子のような場合も体罰になるんだよ。きっと雨音さんはその女の子の様子を見て、お母さんの行き過ぎた行動に、随分乱暴なことをしたなと感じたんだと思う。そうじゃない?」
「あ、そうです。」
ようやく私は言葉が出ました。
「ここまでのことがわかったら、今度はどうすれば良かったのかを考えなくちゃいけないのね。お母さんの行動が体罰になってしまうことがわかったでしょう?それじゃあ、本当ならどうすることがベストだったと思う?」
「えっと、ちゃんと話すとか、説明する?」
「話しても分からなかったら?」
「話して分からなかったらですか?!これは私の場合ですが、やらせてみたり、手本を見せたりするかな。」
「それでも解決しなったら?」
「えーーーっ?・・・・(回答なし)」
「親が子と向き合う際のベストなことは、『それでもあきらめずに向き合っていく』ということなの。また、子供の年齢も考慮に入れて対応しなければいけないよね。たとえば、その子はまだ小学校低学年なんでしょう?だったら、まだ子供だもの。何度だって同じ過ちを繰り返すものよ。大人だってなかなか自己改善できないのに、子供がそんな簡単に自己改善できるわけないんだもの。それこそ舌の根も乾かないうちに、すぐに同じ過ちを犯したりするものじゃない?そうすると、親だって人間だから、どうしてもカッ!ときちゃうけれど、でも、怒りの感情で向き合わずに、愛を持って向き合っていかなきゃいけない。その子のお母さんが怒りの感情で向き合った結果が丸坊主なのかはわからないけれど、でも、なぜいけないのかをきちんと説明して、その意味を理解させるようにする。これがベストだよね。体罰じゃあ、怒られるからしない、という解釈になりかねないから。」


子供のことはけっしてあきらめないでとことん付き合う。
当たり前だけれど、とっても簡単でシンプルすぎる大事な回答。だけれど見落としてしまう私たち。


輝夜師匠はその話の途中でメッセージをいただいたらしく、こう教えてくださいました。それは私にとって、とても救いのあるメッセージでした。
「今こんなメッセージをいただいたのだけれど、私たちはその子が体罰と同じことをされてしまったということを心配していたけれど、でも、その子はなぜ、自分が丸坊主にされてしまったのかということをちゃんと理解しているから、だから私たちが思うような傷は受けていないんですって。その子は『私が約束を守らなかったから髪を切られちゃった』と言っていたんでしょう?その言葉どおり、自分が悪かったからこうなったんだ、と理解しているから、だから、少なくともその子は体罰と受け取っていないということみたい。つまり、たとえば神様から見たら、そのお母さんがしたことは体罰と同じだから、お母さんの対応は×。でも、幸いなことに、子供は体罰としてではなく自分が悪かったと認めて受け入れているので、お母さんはお咎めなし、ということになるわけ。もちろん、だからと言って、今後も体罰をしていいというものではなく、これからその子のお母さんは子供への対応を気をつけるよう天から促されるだろうけれど、今回はお子さんが素直に受け入れたことでお母さんは救われたわね。もしもその子が体罰として受け止めてしまっていたら、それは愛ではないと感じてしまうから、その子はお母さんに対する愛を失ってしまうのね。だから、体罰は絶対にしてはいけないの。注意する際、親が子供を叩いてしまうことはあるけれど、でも、それが体罰であったり、感情の捌け口であったりしてはいけないの。愛があるから叱るんだ、ということを常にベースにしながら向き合わないといけないんだよ。その子は体罰として受け止めていないということみたいだから、今回は親の愛を失わずに済んで良かったね。」


そして輝夜師匠は私にこうおっしゃいました。
「雨音さんはきっと自分のことをきちんと知らないんだと思うのね。たとえば、今回の出来事ひとつとっても、自分の心は反応したのに、なぜ反応したのか、何に対して反応したのか、ちゃんとわかっていなかったでしょう?それはなぜかというと、反応はしたのに、どうして反応したのかを追及していなかったからです。それに、ただ、追求すればいいんじゃないの。たとえば、今の私とのやり取りでも、私が深く突っ込まなかったら、雨音さんは自分の反応の理由が『その子が恥をかいちゃうと思ったから』というところで終わりだったかもしれない。物事というものは、良いことも悪いことも、その方法論は何通りかあるけれど、回答は1つで、それは条件や状況が変わっても変動のないものなの。そこを妥協せずにきちんと追及すれば、自分の内側にある揺るぎないものにちゃんとたどり着けるし、それこそが、雨音さんの考え方や価値観の部分なのね。それを知ることが大事。自分という人間はいったいどんな考え方や価値観の持ち主なのか、それが理解できると、おのずと道が開けるし、行動も定まってくる。矛盾もなくなってくる。揺るぎのない人生を築けるようになってくる。雨音さんが悩んでいる『占い師としての自分の売り』が何であるかもわかるようになるのです。」


はあ~~~~(感動のため息)。
そしてすべてが納得。
私はこの親の行動を批判することに終始していたような気がします。なぜそんなことをするのか信じられないという部分だけを感情的になって訴えていただけで、なぜそこに自分が反応したのかをまったく気にしてこなかった。だから自分の回答はどこかで筋が通らないものになってしまったんですね。どうして反応したのか、じゃあどうすればいいのか、本当はそこがとっても大事。そこまで考えていくことが占い師としての自分、ヒーラーとしての自分を育てることにもつながっていきます。


一方的で感情の掘り下げもなく見過ごしてしまうのは、偏見だけを増やすため、自分の経験値は増えていきません。こうした経験を生かすためには、常日頃から心が反応することにもっと敏感になり、自分で自分を突っ込んで、自分のことをよく知ることが大事なのだと教えられました。


本日の感謝・・・
私も一人の親。まだまだ未熟で子供を叱ることなんてもうしょっちゅう。
だけれど、愛があるから叱ることもまた事実。そこにある「愛」はやっぱり子供のためを思う気持ちからやってくる。時にはやりすぎて本当に怒ってばかりのこともあるけれど・・・。でも「根気よくつきあえる」のは愛そのものかもしれない。私自身とも根気よくつきあいたいなあ。私のことを自分で見放さないように。すぐにあきらめちゃだめよね・・・。自分のことを自分であきらめないことが親としての根気力につながるのなら、頑張って育ててみます。そんなことを教えてくれたAちゃん親子に感謝。
そして今日のブログを書くにあたり、このやり取りの詳細は輝夜師匠にご協力をいただきました。細かいやり取りはすでに私の中で抜け落ちている部分がありましたので、輝夜師匠のご協力があってこのブログが完成することが出来ました。ありがとうございました。
私にとって、ここかしこにとても大事なことがいっぱいつまったやりとりでした。この時間を提供してくださったこと、この流れにも「ありがとうございます。」
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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