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占い師としての成長日記
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「今年を振り返る」というタイトルはちょっと時期尚早かもしれませんが、2008年に何が起きたのかを、もう一度冷静に分析したいと思いまして、恥ずかしながらいろいろぶっちゃけ話などを記載して行こうと思います。きっと振り返っているとあっという間に今年も終わりになってしまうことでしょう!家庭の中の自分、子供との関わりの中での自分、占い師としての自分、輝夜師匠との師弟関係の中での自分、友人と交わっているときの自分。いろんな観点から今年の事件?を切って行こうと思います。


まず一回目は完全にプライベートなことで申し訳ないのですが、夫との両親との同居を解消して一年。初めて私たちが「自分たちの家」を持てたことです。これはとてもハッピーなことだったかもしれません。家というモノを手に入れたということよりも、私たち夫婦がいろいろある中で、一つの目標を持てたことが一番貴重なことでした。


私自身の人生の中でも、そして配偶者である夫の人生の中でも、誰かの敷地に住まわせてもらったり、会社の恩恵で住まわせてもらったような「おこぼれ的」な住居生活から、何千万もローンを組み、通常ではありえない大金を動かし、初めて「固定資産税を払う」立場になりました。


※現在12/4の20:00ですが、知人からご指摘をいただきましたので、説明の記載をさせていただきます。この「おこぼれ的」という表現は、介護などのいろんな事情があって親と同居している人から見れば、この表現は誤解を生じやすいかもしれないというご指摘をいただきました。
言葉不足の部分があったかもしれません。大変申し訳ありませんでした。長くなってしまいますが、説明をさせていただきますね。
少なくとも私の人生はこの場所に来るまで37年間、住居がらみのことで自腹を切って生活してきたことがなかったんですね。実家では親に、東京では会社に、それから結婚後は相手の親のお言葉に甘えてきました。それに感謝できることもなく時間が過ぎていきました。独身時代は会社が住居を用意してくれるありがたさにどっぷりつかり、結婚を機に自活する勇気がなかったことも私の甘さでした。
それは夫もそうでした。夫は二年ほど自宅近所で一人暮らしをしていましたが、結婚することになった瞬間に資金を貯めるために、すぐに実家に戻った経緯があります。私も夫も「家賃を払いたくない」という考えだけで同居を選んだ人間です。私たちの同居は自分たちが楽をしたい、という部分で決定をしただけで、特別な事情もありませんでした。他の皆さんとの同居理由とは比べるのもお粗末なくらいです。もちろん、お恥ずかしながら当時の夫の給料は家族を養える満足な金額ではなく、その会社はかなり経営が苦しかったので、新入社員並みのお給料しかいただいていなかったこともあります。本当はもっと二人で力を合わせて・・・という選択もできたのに、親の恩恵にゆっくりとつかって育った私と夫は、厳しい選択はしませんでした。なので楽を選択し続けた二人だったのです・・・。これはあくまで私たち二人に当てはまる言葉であって、すべての同居の皆さんがおこぼれであるということではありません。表現に誤解を招くような記載をしてしまって、大変申し訳ありませんでした。



私はそんな生活が来るなんて、正直言って夢にも思っていませんでした。両親と一緒に住んでいた渋谷区は土地も高く、一軒家を建てようとしたら一億円です。普通のサラリーマンが普通に買える金額ではないので、共働きでガンガン稼ぐか、よほど名前のある会社の上役にならなければ、同居を解消して近所に住むなんてありえないでしょう。私の頭の中に「出て行く」という思考がまったくなかったし、現実的に(お金の面ですね)無理だという認識が強かったので、本当にここで骨を埋めると思っていました。あるいは私だけが出て行くか(苦笑)。夫の家で、このまま時間が過ぎていくのかな・・・でも子供部屋もないからどうするんだろう・・・・それくらいの認識で暮らしていたのです。自活する=お金がかかる、家賃がもったいない、とう考え方の夫と私ですから、たとえ狭くても、周囲がリッチな方が多くても、ここ以外の生活は考えていなかったのです。


でも・・・そんな流れはやはり壊れました。なぜ家を出たのか、それは同居が嫌になったら家を出たのではないのです。一番の理由は夫との関係が最悪になってしまって、もう手の施しようがないからこそ、生きる場所を変えようということになったのですね。このままでは離婚も・・・という話になったとき、「家を出て家族四人で暮らしてみる」という選択肢になったのです。夫は離婚するくらいなら、実家は大好きだけれど、自分なりに私と子供たちのことを優先したんでしょうね。この家にいると夫はいつまでたっても私の夫ではなく、親の息子であることが私には耐え切れなかった・・・それが、この家からの卒業になりました。


今ではまるで、そんな修羅場のような話し合いがあったことをスッカリ根底から忘れてしまっているような夫ですが・・・(苦笑)。人間って、自分がしたことは忘れるのに、自分が相手からされたことや言われたことは、絶対に忘れないものなんですね。私は少なくとも、夫婦の間でされたことは克明に覚えています。でも夫は記憶にないんですよ(^-^;覚えていない人を責めても余計に腹が立ちます。


それこそ私たちが毎月払える家賃を捜し求めて都心から北上したら、東京の最西端に来てしまいました(^-^;・・・・。自然がいっぱい、東京とは思えない静けさ。人も少なく、今までのネオンは見る影もない場所です。でも・・・新しい場所で私はとても気が楽になりました・・・・。


少なくとも二つの卑屈な感情から開放されたのです。お金や生活レベルに関する劣等感。そして、経済的なことなどを相手の親に頼りつつも、親をうっとおしく思っていた自分の矛盾。


お金とか生活レベルに関する問題は、もうこれは日本のどこに住んでも絶対に発生するんですね。こちらに来ても、恵まれている人はやっぱり出てくるんです。


実は、私は中古でもいいから買いたいな、この地域に住めたらいいよな・・・と思っている場所がありました。
そこは市内でも高級分譲地で、街並みも行き届いていて大変美しい町です。長男の学区内にあるので、その分譲地からから小学校に通う子たちがたくさんいました。そういったからみもあって、中古でもいいからこの地域に住みたいと願っていたのですが、やっぱり中古でもかなりいいお値段なのです(涙)。頑張ってもう1千万、借金を増やせばいいのかもしれませんが、夫もローンを組むにはかなりおじさんです。見栄でローンを組んでも、家の中のものを何一つ揃えられないのも悲しいものです。なので、こちらの地域はあきらめました。でも私の中で、またこちらの分譲地に入ってもなお、渋谷のように肩身の狭い思いをしたくないと思う気持ちがありました。だったら買える範囲で買える家を探せばいい・・・自分の収入の範囲内でできることをすれば、きっと周囲に住んでいる人との違いに悩まされずに済むのではないか・・・。私はよっぽど劣等感を強く持っていたらしいですね(苦笑)。家よりも、そんなことのほうがとても気になっていました。馬鹿馬鹿しい位に・・・。


トントンと話が進み、三月始めに完成、入居しました。
たった一年だけの賃貸生活でしたが、この最初のマンションはとっても良かったのです!本当はこの賃貸マンションが分譲で、もう一部屋ついていたら買ってもいいと思えました。一年のうちで二回も引越しをしたのですから、本当に引っ越し貧乏ですよね( ̄▽ ̄;A。


でも・・・新しい家が徐々に完成するのを見ていたら、なんともいえない充実感がありました。自分たちの力で・・・!という建物だったからこそ、今までの住んでいた建物とはまったく違う愛着が、住む前からわきあがっていました。大事に使おう。きれいに使おう。まさか家を建てるなんて夢にも思っていなかったけれど、やればできるんだ・・・。私はこの家に入居してから毎日掃除をする主婦になりました(笑)。


もっと、もっと・・・を求めたらきりがないけれど、私はこの家に満足しているし、狭いけれど今の私たちにはちょうどいい大きさです。東京に出てきてもう13年たちますが、ようやく今年になって「自分の居場所」を作り出せた気がしました。


渋谷の前は、会社の寮で杉並にいました。どちらも自分のお金で住んでいたわけではなかったし、会社を辞めたら出なければなりません。私は東京で自分の居場所をずっと探してきたのかもしれません。夫の両親と一緒に住んでいても、やはりあそこは両親の建てた両親の家なんですね。私は間借りしていた気持ちがずっと抜けませんでした。夫は自分の生まれ育った家に何の疑問も抱いていなかったはずです。だから最初から同居だったんですね。


もっと突き詰めていけば、私は東京で自分の家がずっと欲しかったのかもしれません。私の実家は長野ですが、もし離婚しても、私は実家に戻る選択肢はないのですね。手伝いの人がいなくても、こっちでずっとやって行きたいと思うからです。それが私にとっても、子供にとっても人生の選択の幅が広がるから。田舎は進学も就職も限られてしまう・・・そう考えると将来的には東京にとどまったほうがいいのです。離婚を前提とした話をしたとき、私の親は私に田舎に帰ってくることを勧め、そして実際私たちが住めるような中古の家を探してくれていました。確かに、そのほうが私にとっても、子供にとっても、田舎で二人だけの生活を送る両親にとっても、良かったかもしれません。だけれど、それは選べなかったです・・・。とにかく、夫をあの家から出してみなければすべてが決められないと思っていた私です。あのとき、両親の申し出に乗っかっていたら、今の私のブログも、占い師としての自分の生活も、こちらでの人間関係も、まったく白紙になっていたかもしれません。もちろん田舎での生活が最低ということもなかったと思いますが、私にはできないものでした。


離婚するしないに関わらず、なんとかこの東京で居場所を作りたくて必死だった私が浮かび上がってきます。


こちらに出てきても、夫は変わりませんね(苦笑)。そして私と夫は相変わらず・・・な夫婦です。
これはまた今年の事件で語ろうと思います。
だけれど、よくあの夫が借金を抱える気持ちになってくれたなあ・・・と
感じますよ。夫は実家があるから家にお金はかけたくないというタイプでしたから。ローンが何よりも嫌いです。現金で買えるものしか買わないタイプですから・・・。山が動いてくれた、そんな夫には、やっぱりありがたいと思っていますよ・・・。


私は銀行員時代の貯金をはたいて、背水の陣で家を建てた感じです。でも・・・今まで自分の家の窓から空を眺めたことなんてここ8年なかったけれど、布団をたたみながら、洗濯物を干しながら、夜寝る前、ベランダから外を眺めます。
なんていうことはない場所だから、特に素晴らしい夜景が見えるわけではないですが、それでも自分の歩みを振り返るかのように、何度もその景色を眺めてしまいます。そのときが最も、私にとっての充足の時間になっていることは確かですね。家を建てたことで、私の人生に大きな責任が増えました。その責任を負える自分になれたことが嬉しいのです。家自体も嬉しい宝物ですが、家を買うという、自分の人生を作る勇気を持てた自分がにわかに信じられないのですね。今年から住み始めた家はすでに床は傷だらけで(^-^;、私もキッチンでは容赦なく揚げ物をしているので、生活感がじんわりにじみ始めていますが、それでもこの家の中にいるときは、もう誰のステージの上でもない、自分たちのステージなんだという実感があります・・・。


・・・と、こんな感じで、今年の心に残った事件を掘り下げてみようと思います♪
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HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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