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占い師としての成長日記
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輝夜師匠と私は毎月1日をメルマガの発行日と決めて活動しています。
そしてこのメルマガは初回の原稿締め切りが毎月20日に当たります。今月も20日に仕上げました。その記事は必ずお互いの添削を通して、修正と削除を繰り返し、発行日に間に合わせています。
※メルマガ購読に興味のある方、よかったらこちらからご登録ください♪


メルマガには輝夜師匠が「不思議体験」にまつわるエッセイを、私は「開運法」にまつわるエッセイを、それぞれ毎月お届けしているんですね。メルマガは36号目になりますが、今回はなんと、私の原稿は輝夜師匠に五回もダメだしを受けました。しかも内容をほとんど書き換えなければならないくらいのダメだしです。最終的には、輝夜師匠がまとめてくれた案に沿って書き、それをまとめるという方式で落ち着きました・・・が、書くもの書くものにことごとくダメだしをされてしまった時点で、内容云々の問題ではなく、書くことが好きな私にとってはかなり大ダメージだったんですね。それから、輝夜師匠がここのところかなりお忙しいのと体調不良が重なっていたので、それなのに文章をすみずみまで添削してもらうことの繰り返しをさせている自分に対する罪悪感も募り、書いても書いても、説得力のない文章になっていたり、反省文(というか懺悔文)になっている自分にもとことん落ち込み、得意だと思っていた分野での躓きは大きく、次第にメルマガどころか、自分自身が欠陥だらけでダメなんだと思うようになってしまったんです。実はここが私の史上最悪の悪いところです。


「私なんてもうダメなんだ・・・何もかもがダメで、占い師なんて職業は無理なんだ・・・」という思考になっていたんですね。このブログを書くのも辛かった。だから子育てとか体調の話とか、無難にまとめていました。本当はそういったものでごまかすのではなく、裸になると決めたことは、こういうときこそ、逃げないで裸の自分を見せることなんですが、私は輝夜師匠との関係で生じる自己葛藤や、自分との落差を書けなかったんです。
結局それは裸になっていることではなく、嘘の衣をまとってごまかしていたに過ぎません。

でもそれこそが、私の真実でもあるのに。
偽れない自分はもがきまくって、輝夜師匠の鋭い指摘に耐え切れませんと言っている。でも、これだけはいっておきたいのですが、輝夜師匠のご指摘は本当に正しいものなんです。私が「この程度なら・・・」と緩めた綱の部分をきちんと見抜かれて指摘する。なぜ私が落ち込むのかといえば、自分が突っ込まれても文句が言えない部分での指摘を受けているからです。もし私が自分のやっていることに責任を持ち、胡坐をかいたりしていなければ、突っ込まれるような未熟なところはないかもしれません。


簡単にまとめちゃえば、私は指摘されることが辛かったから逃げ出したかったんですね。ぐうの音も出ないほどの正しい考え方をしっかり持たれている、こんな輝夜師匠のような方はそうはいらっしゃらないでしょう。誰もが人間関係などで手抜きできるところは手を抜いてしまっています。私もそうです。しかも関係が密になったり、毎日やり取りすると、人間は途端に「まあこの程度なら許されるかな」と分別のないことを相手にしてしまったり、関係に甘んじるほうが圧倒的でしょう。でもそれは師弟関係の中で絶対にあってはならないのです。しかし、いつの間にかそういった関係に甘えを出してしまったのも、認めざるを得ないことでした。その甘えを指摘されたこと、占いの勉強以外での、私の人間性に関わる注意が重なりました。これはまったく不名誉なことです。もうすぐ40にもなろうというのに、なぜ毎日やり取りしている相手の気持ちや、相手の状況を汲み取れないのでしょう。その上、メルマガの作成段階において「記事はこう書き進めたほうがいい」とアドバイスをしていただいているのに、私はまったく言うことを聞かず自己流で書き進め・・・挙句の果てに「開運法」なのに、開運方法などまったく書かずに自分の思い出話に終わってしまったり、もう支離滅裂です。


とにかく、いろいろ注意を重ねてしまい、「もうやめます」がすべてになりました。もう占いに未練を残さないで、どこかで仕事を探して生きるしかないのかな・・・って。


こうやって書くと、なんて弱いんだ・・・全然だめじゃないか、ということは客観的に見れるのに、落ち込んでいるとこの世で自分だけが腐っているようです。すぐに「挫折」を頭に浮かべているうちは本当の覚悟なんて育っていないんですよ。


分析力も判断力もない、すぐに人に甘えてしまう、突っ込みどころ満載で説得力がない。人から指摘されると、その部分に萎縮を覚え、もう閉じてしまう。びびりまくりの人生ですよ(^-^;。否定形の最終形態は逃げに入るんですから、いかに私が弱く、小心者で、自己保全が強いか、お分かりになっていただけますか?


そんな自分と思いっきり向き合った一週間でした。
いや、今月はずっとそんな調子でした。


私は常々「強くなりたい」と思っています。
心が強くなりたい。何事にも動じない、覚悟の持てる強さが欲しい。
どんな環境におかれても、笑顔を忘れず、グチを出さないようなそんな仏様のような人間になれるものならなってみたい。
いつもいつも口癖のように「強くなりたい」と自らに言い聞かせてきました。しかし、実際の私はどうでしょう?輝夜師匠に本気で師事していただいてもう5年もたつのです。強くなった?と問われると、口が重くなります。相変わらず否定形で、ネガティブで後ろ向きだからです。そのうえ、占い自体も放棄してもいいとすぐに思うのは、それこそ弱さでしょう。


輝夜師匠は私に、自覚や覚悟というものは、苦しい環境の中でしか育たないものだとおっしゃいました。私が求める強さは苦しさの中に種があるのに、私はその苦しさが恐怖で苦手でぶつかれない。だから育てられないのです。
「こんなことはできない」
「私には無理」
何時もこんなフレーズを心で唱えていたんです。


そんなこと何度も繰り返し唱えた上に、行き詰ったら「もう止めます」という思考回路ではどんなに温厚な師匠であったとしても腹が立つのは当然ですよ。真剣に向き合えば向き合うほどそう感じるでしょう。変な例えですが、私は夫との問題で、それこそ人生をかけて向き合ってきたんですね。しかし相手の口からは、それに対する言葉もなければ、姿勢も感じられなかったんです。相手にやる前から否定されることほど、こんなに悲しく、腹立たしいことはありません。師匠として真剣に向き合ってきた弟子の「辞めます宣言」はどれほどの罪深い発言だったのか・・・。


自分が本当にダメなんだなと思うことと、やめることは別の話です。
ダメだから辞めるという捉え方しか出来ない視野の狭さは大問題です。
みんなが素晴らし気にみえるものの見方も大問題です。
大事なのは私の至らない部分を締め付けることではなく、至らない部分に最善の注意を払いながら自分なりに努力をしていくことですね。私の頭の中には「挫折」しか考えられなかった。大げさな話、自殺を選択する人はもしかしたら、自分の頭の中に選択肢がなくなり、人生を逃げる、終わらせるという選択肢しかないから人生という道を挫折したんですね。私が占いを放棄することは一つの自殺と同じことなんです。


輝夜師匠が教えてくれました。癖は簡単に直らないかもしれないけれど、自分の癖を知ること、それが出ないように常に意識することが大事なことだと。そしていますぐに癖なんて直るわけじゃないけれど、努力は必要だから、それを忘れてはならないということを。


私の中で苦しさとはできるだけ関わりたくないものという認識でしたが、それではどんな人生も進めません。苦しさから逃れても得られるものは強い自分ではないのです。しかしここのところは、苦しくてたまらなかった。逃げを受入れようとした私が優位に立ちました。それでも最終的にこの時間が私に教えてくれたのは、「自分は恵まれていることに気づくことからすべてが始まる。」ということでした


長くなってしまいましたが、まだまとまりきらない部分もあります。
明日続きを書こうと思います。
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HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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