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占い師としての成長日記
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今日は11月22日。語呂合わせでいい夫婦の日ですね。
私にとっては、複雑な心境になってしまうのが正直な感想です。いい夫婦って何だろう?教えてくれよっ!ともするとなげやりになってしまいそうな気持ちが根底から消えないからかもしれません。


こんなニュースがありました。
↓↓↓
「いい夫婦の日」に合わせ、博報堂生活総合研究所が夫婦に関する実態調査の結果を発表した。夫は「夫婦一緒の時間の充実」を望む割合が増える一方で、妻はその割合が減少。妻は「離婚をしない方がいい」と考える割合も夫より少なく、「自立する妻」の姿が改めて浮き彫りになった。

 調査は88年から10年おきに実施。今回は6~7月、妻が20~50代の600世帯(首都圏)を調査した。

 「今一番充実させたい時間」の問いに「夫婦一緒の時間」と答えた夫は39.3%で、20年前から8.7ポイント上昇。逆に妻は26.2%で20年前より9ポイント下がった。妻の1位は「プライベートな時間」(64.8%)で「家族一緒の時間」(50.3%)をも上回った。


要は、夫は妻と仲良くしたいと思っているし、妻との時間をとりたいと思う人が多いのにもかかわらず、対する妻はプライベートな時間を優先させたいのですね。しかも家族一緒の時間よりも、一人の時間ですよ。


そうですね・・・。私もこのアンケートが来たなら、きっと「プライベートな時間」に丸をしている一人かもしれませんね。男性はどうしても身の回りのことを奥さんに任せっぱなしになり、旅行に行ったとしても結局家の中の延長にしかならないのだから、気分転換にならない。だったら気の置けない友人同士で旅行に行ったほうが楽しいと考える女性の考えもわかります。まったくそのとおりだと思ってしまいますから。


それにいつも騒がしい子供たちに囲まれていたら、休日は静かに読書でもしたいよ・・・一人で出かけたいよ・・・ゆっくりお風呂に入りたいよ。それもよくわかります。家族一緒で出かけたら結局子供の世話、夫の世話全部が妻の肩に降ってくるのだから、そう思うと一人が一番!って思うのですよ。


結婚って何なのでしょうね。
私も正直言って正解と思える回答は出ていません。私自身も夫との向き合いに苦しみ、模索と挫折を繰り返している最中だからです。でも私の経験から感じることは、結婚は人生の訓練場だということ。そこには、自分が変わらなければならないこともあるし、相手への伝え方も学ぶこともあるし、やりくりと食事の面でプロにさせてくれる場所でもあるし、何より、ここは自分に与えられた生きる場所であることは確かなのですね。神様が用意してくれた私の生きるステージ。その中で時間はかかっても、葛藤を乗り越えて私なりの「愛情」を見出せることが出来ればいいのかもしれません・・・。もちろん相手も。私と向き合うことによって、夫の何が変わったのでしょうか。夫を愛のある人生に引き入れているでしょうか?


夫との愛を感じられずに苦しんできた私の回答は、現段階でまだとてもお粗末なものかもしれません。


結婚は人生の墓場だとか、結婚は忍耐だとか、そのような教訓も本当なんだなあと結婚して実感していますが(苦笑)、人間が成長の必要がなかったら課題なんて与えられず、幸せな一生しかないかもしれません。でも私達は課題があります。課題がクリアできるようにいろんなものと向き合わされます。結婚相手もそう。選んだ自分にふさわしい相手が来ただけの事。類は夫を呼ぶ?!ですよね。


人間は変化していく生き物だと思っています。変わりたくない人がいたとしても絶対に変わらざるを得ない。環境も周囲も流れていきます。その中でどうしても解せなかったことがわかり始めることもあるでしょう。
私はなぜこの夫と結婚したのか。
そもそも結婚とは何なのか。ただ子供を残すための団体ではないはず。寄り添い、人間愛を学びあう関係が結婚だとするのなら、私はまだこの夫とはそういう納得の行く学びあいは果たせていないようです。傷つけあいだけは達者になってしまうのに(苦笑)。いい夫婦が泣いてますね。


今日は休みなのですが夫は一泊で温泉旅行のため不在。
正直言って「あ~静かでいいわ」なんて思ってしまう私でいるうちは、きっと愛とは程遠い場所にいることでもあるんでしょうか・・・。
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皆さんは「かさこじぞう」の昔話をご存知ですか?
誰もが必ず聞いたことのあるストーリーかもしれませんが、概略はこんなお話です。


昔あるところに貧しい生活を送っているおじいさんとおばあさんがいました。年の瀬も押し迫ったというのに、お金もなく、年を越すための食べるものもありません。困った二人は、夏の間に収穫しておいた「すげ」を使ってすげ笠を5つこさえ、おじいさんがそれを売ってくることになりました。しかし、町はみんなお正月の支度をする人でにぎわっているものの、おじいさんのすげ笠を買ってくれる人は誰一人いませんでした。
おじいさんはおばあさんにすげ笠を売っておもちを買って帰る約束をしていたのですが、売れなければどうしようもありません。おじいさんはとぼとぼと雪道を歩いて帰り始めました。
その途中、雪をかぶったお地蔵さんを見つけました。お地蔵さんは吹きっさらしの野原で、半分顔が雪で埋もれた状態です。お地蔵さんの頭の上には雪除けもありません。それを見たおじいさんは、お地蔵さんの頭の上にある雪を払い、売れ残ったすげ笠をお地蔵さんにかぶせてあげました。お地蔵さんは全部で6体。笠は5つでしたので、おじいさんは自分がかぶっていた手ぬぐいを最後のお地蔵さんにかぶせてあげました。
そして家に帰るとおばあさんにすげ笠をお地蔵さんにかぶせてきたことを話します。おばあさんは「それはよいことをなさった」と言ってねぎらい、おじいさんの冷えた体をいろりで温めるように勧めました。二人はいろりを囲みながら「おもちは買えなかったけれど、ふたりでもちつきの真似事でもしようか」といって、二人でお餅つきの真似をして、そのまま休みました。
その夜、外でそりを引く掛け声がするではありませんか。その掛け声はおじいさんとおばあさんの家の前で止まりました。そしてなにやら重いものをたくさん下ろしていくと、帰っていったのです。おじいさんとおばあさんが起きて外を見てみると、それは空ぞりを引いて帰る六人のお地蔵様でした。
お地蔵さんは米や餅や味噌、お飾りや野菜などを置いていってくれたのです。おかげでおじいさんとおばあさんは良い正月を迎えることができたというお話です。


というお話を息子が音読の宿題で読んでくれているので、ついお話のよさにほろりと来てしまいました。感動ポイントはおじいさんが笠をかぶせてあげたところかもしれませんが、そこも確かにいいんですが、おばあさんがすげ笠が売れずに帰ってきてもおじいさんを責めたりしなかったこと。ましてや生活の糧になるかもしれないすげ笠をお地蔵さんにかぶせてきたんですから、「何やってるのよ!すげ笠はまた売れるかもしれないじゃない!」とおじいさんを責めてもおかしくはないのです。もちろん昔話の感動ポイントで夫婦ケンカになったら、ストーリーは壊れてしまうかもしれませんが・・・。大事なことは「それはいいことをなさった。お地蔵様もさぞ寒かっただろう。さあ、おじいさん、いろりに当たってくだされ。」とねぎらってあげたこのおばあさんの心の優しさ。おじいさんの性格をよく知っているんですね。おじいさんがどんなに心が優しいのか。自分だって帰りに雪に降られてしまうのに、手ぬぐい(この手ぬぐい一枚だって、貧しい老夫婦にはかけがえのない財産であろうに)をお地蔵さんに巻いてあげるような献身的な優しさを持っている夫を、妻はよくわかっているから「おじいさんてば・・・相変わらず困っている人を放っておけないのね。」とほほえましい気持ちで受け入れてあげたんですよね。おじいさんだって、お餅を買ってくると約束しながらそれが果たせなかった上に、すげ笠まで差し上げて来ちゃったわけですから、おばあさんにちょっと言いづらかったかもしれません。でもおじいさんもおじいさんで、おばあさんの性格をわかっているから「約束のお餅を買ってこれなくてごめんね。でもお地蔵さんが寒かったから笠をかぶせてあげたよ。」と思い切って言えたのかも知れません。


それは一文字にしてしまえば、信頼ですよね。


すげ笠をお地蔵さんにかぶせたおじいさんも、それを咎めずにおじいさんの労をねぎらったおばあさんも、同じように魂の美しさを共有している相手なんですね。「類は友を呼ぶ」という私の大好きなことわざがありますが、もしもおじいさんの優しさを「余計なことをして!」と叱りつける奥さんだったら、この夫婦はとてもギスギスしてしまいます。それに、そんなことをいう奥さんだったら、きっとおじいさんはすげ笠をお地蔵さんにかぶせようなんて思わなかったでしょうね。「ここで笠をかけてあげてもカミさんがうるさいだろうな・・・やっぱりやめた。それにこれは今度また町に出ればお金になるかもしれないし。」って思ったのではないかと思います。


もちろんこの「かさこじぞう」は昔話のファンタジーですが、夫婦って似たもの同士が集まるものなんだな・・・と思うところがあったので書かせていただきました。小学校二年生の授業では「夫婦は似たもの同士が集まる」という私の解釈はどこまで扱ってくれるかわかりませんが(笑)。
おじいさんの心優しさはもちろんのこと、妻であるおばあさんの姿勢は物語であったとしても非常に勉強になります。

息子の体調があまりよくないと記載したため、いろんな方にご心配をかけてしまいました。お気遣いありがとうございます。


実はここ最近、息子のいびきがひどく、夜中ずっと爆音に近い音を出しているんです。その音の大きさに私まで寝不足に陥っている状態でした。今まで寝息を立てることはあったけれど、ここまで騒音のようないびきはなかったのですね。もともとハウスダストのアレルギーで一年中鼻づまりをしている息子です。また、いびきが苦しくなると口でパクパクと呼吸(口呼吸)しているので、子供ってこんなにひどいいびきをかくのだろうか・・・?と思った私が「子供のいびき」で検索したのがきっかけでした。


検索してもらうとわかるのですが、子供のいびきはどのサイトを見てもあまり良いことが書いてありません。子供の成長に悪い影響を与えるとか、大きな病気が隠されている場合があるなど、とにかく一刻も早く耳鼻咽喉科への受診を勧めることばかりが書かれてあって、検索しながら怖くなってしまったと言うか・・・どうしよう(汗)!!!になってしまった私です。いわゆる、気が動転した状態ですね。


睡眠中のいびきは空気の取り込み量が減り、通常よりも低酸素状態になりやすく、熟睡できないので、成長ホルモンの分泌も悪くなります。発育盛りの子供が睡眠も栄養も十分でなければ、低身長、低体重、虚弱体質、運動能力の低下を招くことがあるようです。またいびきがひどくなると、心臓に負担が掛かり、呼吸困難から、突然死に至る危険性が増します。
またいびきは精神面にも大きく影響を与えるようです。常に活気がなく、他の子供と遊べないなど、積極性に欠けるようになり、学力の低下にもつながったりするため、いびきは心身両面で子供の発育に大きく影響するという記事を読んでしまったのですから、私のように、ただでさえ息子の背が小さいということを気にしている人間には「これはただごとではない!」という受け止め方しか出来ませんでした。


近所に耳鼻科は二軒あります。
一軒目は娘の鼻水を吸い取ってもらう専用に行っている病院。とにかく空いているので待たなくていい。娘は蓄膿の症状が悪化しないようにとにかくこまめに鼻水だけをとってもらえればいいので・・・。しかしここの先生は私は好きではないのです。何の説明しないし、うんともすんとも言わないので・・・。だからいつ行っても空いているんでしょうね。


もう一軒目は激混みの耳鼻科で、行っても駐車場がないのです。家から歩いていける距離ではないのでどうしても車になりますが、駐車場がいっぱいで入れないし、大きな街道に面しているため、駐車場待ちをするスペースもありません。


悩んだ末、娘の耳鼻科には断固行きたくない!と思った私は、市内にある大学病院に直接行こうと決めました。その大学病院の耳鼻咽喉科のサイトで「子供のいびき」に関しての記載があったのもポイントでした。


大学病院の初診は平日午前中のみ。学校を休ませていくしかありません。
予約もとれなかったので、二時間半待った末に診察の番が来ました。
症状を話して、どうすればいいのかを聞くと、やっぱりアレルギーによる鼻炎だから薬を使って鼻水を出してから寝るしかない。あと空気の通り道がどうしてもアレルギーによる炎症で腫れちゃうから、それがいびきを引き起こしている。あとは鼻の奥にあるアデノイド(扁桃腺)が大きい場合にはいびきが大きくなることもある。でもアデノイドは今後成長するにつれ自然に小さくなるから、手術して取ることまでしなくてもいいかもしれない。
「昼間ひどい眠気に襲われているわけじゃないですよね?だったらそんなにひどくないと思いますよ。あと、ひどく疲れたりするといびきがひどくなることもありますね。」
「でも、寝ている間に酸素を取り込む量が少ないと発達に影響があるのではないのでしょうか?背がなかなかのびないのは鼻炎で鼻が詰まっているせいでしょうか。」
「一概にはそればかりとは言えないけれど・・・まあお薬出しますね。点鼻薬でいいですか?ちゃんとやってみてそれでもひどいようでしたらまた考えましょう。」
う~~~ん・・・・。
別に三時間近くかかって診察するような大学病院でなくてもよかったかもしれない(苦笑)。結局点鼻薬をもらって帰宅しました。


そのあと疲れからコタツで寝てしまったのですが、息子のいびきは相変わらず爆音で・・・。起きているとき、寝ているときに限らず、結局鼻が詰まっていると言うことは良いことではないのですよね。私に出来ることはまめに家の中の掃除をすること、民間療法だけれど馬油を炎症を起こしている鼻の穴の中に塗ってあげる事、それくらいです。


家に帰ってからも自分の中で「なぜこんなに焦ったのだろう?」という疑問がありました。町医者だって十分に対応できたはずなのに、それも行かずにいきなり大学病院です。しかも記事を目にしてからすぐに行くことを決めました。待てなかったんですね。一刻も早くはっきりとさせたいし、息子のいびきを止めたくて学校まで休ませました。


私の中で「低身長」という言葉と、現実の息子の背の低さが結びついたから余計に焦ったのです。もしこれが原因ならば一刻も早くなんとかしなければ、彼の身長が伸びない!と思った自分がいます。


以前二年生に上がった息子が身長のことを気にしはじめたブログを記載したことがあります。あのブログを掲載したとき、輝夜師匠から言われたことを思い出しました。


もし息子が万が一背が大きくならなかったら、「絶対大きくなるから大丈夫!」と言い聞かせた私の言葉は嘘になってしまいます。そういった言葉でごまかすのではなく、もしかしたら大きくなれない未来があったとしても、それでもこれが自分なんだと思えるような心を持つことが大事であるということ。


また以前も息子の身長のことで、自分の中にある矛盾を輝夜師匠に指摘されたことがありました。目に見える強さや、背の高いことがいいわけではないと教えたすぐそばから、「きっと大きくなるから大丈夫!」と励ますのは矛盾しているのではないかと。その励ましこそ「背が大きくなるのはいいことだ!」という価値基準の表れなのですね。


目に見える大きさや強さを優先に考えてしまうような尺度を持っているうちはいくら子供に「心が大事」と言い聞かせていても、それは嘘になってしまいます。


今回の私の焦り方は「いびきで酸素が足りない→背が伸びない→背が伸びないと馬鹿にされるのでは?いじめられるのではないか?→大変!!!」という方程式がベースになっているんです。「息子が周囲からどう見られるのか。」ということが重要になっているではないですか。もちろん大きな病気が隠されていることもありますから、それも焦りにはつながっていますが、本音の私は背の伸びない息子は受け入れられない、そうなってほしくないと強く願っているんですね。


身長のことでは何回も躓いていますが、今回もその価値基準が根底で強く渦巻いていることがわかる事件でした。私は息子の背の低さが気になって気になってたまらないのです。口でどんなに「心の強さが大事」と言いながらも、私の考え方は背をいかに伸ばすかに基準が当てられていて、しかも何度も指摘されながらも改善されていないコチコチの基準です。


背だってもちろん高いほうがいいかもしれないけれど、でも転んだお友達に「大丈夫?」って声をかけられるような、人様から何かしてもらったら「ありがとう」って言えるような優しい男の子になってほしいと思っているのに、それを伝えないで、身長身長身長・・・に目が向いているのが問題なんですね。


私の中にある「かっこよくみせたい」欲求は息子の容姿にまで及んでいました。再確認して・・・自分でぞっとしました。
今更どうしてこんなタイトルを?と思われるかもしれません。
今まで生まれ変わるためにいろいろ書いていたんじゃなかったの?「依存症からの脱出」を書いたんだから、雨音さんはもう依存症から脱出して頼れる占い師になったんじゃないの?と思われるかもしれません。
でも・・・ずっと私は書けずにいました。


すぐ人に頼る、依存したいと考えてしまう性質は好転していない。
我が子の成長の過程で、思うように動いてくれない場面を見てしまうとつい叱りつけてしまう。すべてを受け入れるという温和な体勢なんて程遠い親としての自分。
夫のこともそう。半ば納得したつもりでいるけれど、ちょっと夫婦間で些細な食い違いが生じれば、とたんに夫のことを拒絶したくなる。
占い師としての自分に確固たる自信が持てないでいるのに、つい知ったかぶった日記を書いて演じてしまう。
いろんな点で輝夜師匠に指導されないとわからない。自分の犯しているミスにまったく気がつかないで、ミスを指摘されて何度もひたすら平謝りの連続にすっかり自分を見失ってばかりの日々。
これが私の今の真実です。


でもこの「雨のように優しく、静かに」というタイトルのブログは、「占い師としての成長日記」が副題でついていますから、読んでいただく皆さんに失望させたくないし、私はいろんなことに気がつき、進化し続けているんだと思われたくて、「私はこう思いました」「こうでなければならないと感じます」とさも自分だけが真実を見抜いてきたような書き方をしていました。でも実は水面下ではいつも輝夜師匠のアドバイスがあって、私に対する注意や教えがあって初めて、私は「そうか!こういうことだったのね!」と新しい発見ができていたのですね。自分ひとりでは何も記載する材料が見つからないという貧弱な感性です。


一番の問題は、「輝夜師匠に言われて気づいたのですが」という真実を書かず、さも自分が気づいて発見したかのような言い回しをしてきたことです。これは輝夜師匠だけの教えからではなく、いろんな方面からの私への力添えも含め、私はその人たちの意見を、さも自分で発見したかのように書いてきました。


根底にあったのは「雨音さんはすごい占い師になっている」「こういう人に観てもらいたい」と思われたかったこと。
そしてもっと突き詰めていけば、「私は輝夜師匠に言われなければいろんな理を知ることができない無力な人と思われたらどうしよう」「いつもブログの記事が‘輝夜師匠輝夜師匠’だよね、と思われたら情けないよね」という劣等感があったことです。


しかし、所詮虎の威を借る狐は狐でしかありません。
その見栄によって、実は、今の私は大事な人からの多くの信頼を失うことがありました。輝夜師匠のご指導が入らなければ己の間違いにさえ気づくことのできない自己嫌悪がどんどん膨らんでいくばかりです。負の遺産のように。


私はそんなに出来た人間じゃない。
ブログで書いてある発見だっていろんな人の協力によって初めて得た学びであったりするのに、私は見栄を張りだしたら止まらなくなって、さも依存症が治ったかのように書いてしまっているんですね。


今の私を見てくださればすぐに見抜けます。どこも依存症なんて治っていないのです。


輝夜師匠にはこのように指摘を受けました。
「雨音さんはブログ上でも他の人とのやり取りでも、本当の意味で裸になっていないんです。かっこつけているところがたくさんあるんですね。かっこつけちゃいけないと言っているわけではないんですよ。かっこつけてもいいのです。でも、雨音さんの場合、人から借りた服をそのまま自分のものにして身につけてしまっているんですね。それが問題なのです。」


「今まで借りてきた服をすべて返してしまったら、着る服がなくなってしまうかもしれませんね。それにより、恥をかいたり、劣等感を感じたり、自分に深く失望することもあるかもしれません。でも、裸の自分が感じること、それが本当の自分=真実なんです。それを知ることで、初めて『身の程を知る』のであり、やっと本当のスタートが切れるんですよ。そうですね。勉強にたとえるなら、実年齢は高校生でも、知能テストをしてみたら、大学生並かもしれないし、歳相応かもしれないし、中学生以下かもしれません。でも、それを知らなければ、どこからちゃんと勉強していくべきなのかがわからないじゃないですか。そこをかっこつけていたら、それだけスタートが遅れるだけで、いつまで経っても足踏みしていなきゃいけないってことです。だから、雨音さんは今、ある程度の成長をしたのに、そこから足踏みしていて、思うようにステップが踏めなくなっているんです。」


今回も輝夜師匠からのご指摘により、真実の姿を見つめざるを得ない状態になりました。そして最近、私自身が前のように楽しくブログを更新していないことも確かでした。


あの「依存症からの脱出」を書いたあとから、私の中で毎日書くことや、伝えたいと思うことがすごく苦痛に感じられるように変わってしまいました。何を書けばいいのかまったくわからなくなってしまった。
でもなぜ書きたくなくなったのかわかります。本当のことを書いてきたわけではないから、美しく着飾る材料が尽きてしまったんですね。


ほんの些細なやり取りですら、気配りを忘れてつい相手に胡坐をかいてしまう私。
みんなに感心されるような人格にならなければと思い込んでいた私。
占い師は人間性が勝負!という言葉を鵜呑みにし、人間性の育っていない部分を何かでごまかそうとしていた私。
もうそれをきちんと皆さんにお伝えしなくては、私の中の行き詰まりは飽和状態になってしまいます。


今まで本当の私で勝負してきませんでした。
これからは愚かでちっぽけな私かもしれませんが、この私の真実の姿でブログを記載することに挑戦したいと思います。
何時も閲覧して下さっている皆さんには大変失礼なことを申し上げる結果になってしまいました。申し訳ありません。皆さんがせっかく忙しい時間をさいて私のブログに足を運んで読んでくださっているのに「これは本当の私の姿ではないです」と否定してしまったのですから。


いきなりの成長は難しいかもしれませんが、遅々とした歩みであったとしても今後私の一歩を温かく見守っていただければ幸いです。
私がすべきことは、きっとその隠されてしまった本来のちっぽけで無力な自分を掘り起こすことだと思いました。
それを教えてくれた輝夜師匠に心から感謝いたします。


「Reborn」・・・再生。
かっこつけてきた自分の服を捨て、本来の私からもう一度スタートを切りたいと思います。
そして、どん底でもがく私も、輝夜師匠にご指導を受けて初めて過ちに気づく私も、毎日「私なんか・・・」とすぐに暗く落ち込む陰の塊のような私も、今後は恥ずかしがらずにお伝えしていこうと思います。逃げずに、自分を真正面から受け止めていけば、私の中で種が芽生えていくことでしょう。

もうすぐ夕方6時なのでこれから子供たちを迎えに行かねばなりません。一番忙しい時間帯に突入です。
昼間は鑑定がボチボチ入っていたりしていた上、今夜は知人の鑑定をする約束が入っているため、ブログを更新する時間がゆっくりとれそうにありません。


実はとても大事なこと、皆さんにお伝えしておきたいことがあり、その内容を書くためにはある程度の時間が必要なのです。今この慌しい時間でお伝えできる内容ではなく、ゆっくりと文章に取り掛かり、自分を偽ることなく書きたいと言う願いがありますので、今日はこのような短いブログになってしまいますが、明日はきちんとした内容のものをお届けしたいと考えております。


あと、息子の体調でかなり気になることが起き、寝不足が続いています。明日は急遽、地元の大学病院に向かうことになりました。息子は学校を休んでいくことになります。大学病院は午前診療が多いので、学校が終わった後ではダメなんですね・・・。仕事をお休みにしていくことになりました。健康には代えられません。息子が元気でいてくれればいい・・・親になっていろんな贅沢な願いを押し付けてしまいがちですが、健康であることが一番の前提条件なんですね。


時間ができましたら、すぐにきちんと記事に取り掛からせていただきます。こんな報告で終わってしまい申し訳ありません。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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