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占い師としての成長日記
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今年を振り返るシリーズ第二弾。
今回は夫婦のことです。


私と夫の間、いろいろありますが、そのことに関してもう書き綴るつもりはありません。不満を書いた瞬間に愚痴になって、現状に感謝できない私がひたすら堆積していくだけのことなんですよね。それは、書いている私にも、また目を通していただいている皆さんにも、あまり前向きではないし、希望なんて感じられません。「またかよ・・・(-"-;)」になってしまうのも悲しいです。このブログは「成長日記」ですから、成長しないことを書いたら矛盾します。まあ、だからといって爆発的な成長もしていないのでそれは心苦しい点ではありますが・・・(笑)。


今、もうすぐ2008年を終わりになるというこの歳末のとき、私は離婚せずにここにいるのが不思議だと思う気持ちと、でもやっぱり私の生きる場所はここしかないのかな・・・という気持ちが交じり合っています。


夫と私、それぞれが繰り返していた自己主張と、激しい傷つけあい、結果は、私に恨みつらみだけを生みました。
もし、この夫との向き合いで何を学んだのかを一つ選ぶなら、恨みは何も生まず、ただ己の首を絞めるだけだということです。自分を虐げる行為だったかもしれませんね・・・。それが、本当に嫌になりました。


今年、私の中で救いと呼べる場所がひとつ生まれました。
それは、夫婦やパートナーとの向き合いにおいて問題を抱えている女性たちが集うサークルに顔を出しはじめたことです。そこに参加することは勇気が要りましたが、自分のことや夫との間に起きたことを裸になって話すと、一緒になって考えてくれたり、またいろんな夫婦間のやり取りを知ることになったり、私にはとても励みになる時間を与えてくれます。そこに参加したからといって、私の気持ちが飛躍的に変わるわけでもないし、夫が変わるわけではないけれど、私には考える余裕が少しだけいただけたような気がするのです。夫という人間だけではなくて、私という人間がどうしたいと思っているのか、どうして傷ついたのか・・・そんな作業を行うたび、やっぱり離婚はできないな・・・と思えるようになりました。もちろん、今でも「バカヤロー!!出てってやる!!」と思うことはしょっちゅうですが(笑)、この男性を恨む気持ちやこの男性を選んだ自分を殺したいという気持ちが消えました。それだけでも・・・私には微々たるものでも光が差し込んできたような気持ちです・・・。


それと同時に、私はこの経験を無駄にしたくないと思う自分がいます。
これほど苦しんできた時間は私に何を訴えていたのだろうと考えます。すべては天の采配。いろんなメッセージがこめられているのです。それを解読して、占いという仕事に反映したいと思うのです。夫婦が特別な人間関係ではなく、私たちの夫婦で起きた問題はあらゆる人間関係を解くヒントになるのかもしれません。そして最終的にそれは「自分を知る道」のような気もするのです。夫を知ること、出来事を知ること、自分にとっての結婚を知ること・・・。活かそうと思います。たくさんの悔し涙を憎しみに変えるのではなく、私の今後を照らす光にするために・・・。


本日の感謝・・・
夫の冬のボーナス支給日。でも支給額で見れば、実は銀行員時代の自分のボーナスの方が全然多い・・・。でも一生懸命働いて夫が持ってきてくれるボーナス。前の会社はボーナスなんてなかったし、毎月も大変だった。今は出していただけるだけ本当にありがたいと思える。たくさんのお金を独り占めする自由はないけれど、お父さんの力を家族四人で分け合うこのお金にはまた別の価値がある。このご時世でボーナスをいただけることに感謝。それから、自分のボーナスなのに、何の文句も言わず全額私に託してくれる夫にも感謝。ありがとう。大事に使わせていただきますね。

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昨日の新聞で、一つの訃報を目にしました。
ノンタンの作者であるキヨノサチコさん、今年の6月19日に脳腫瘍で逝去されておられました。葬儀などは近親者ですでに済ませてしまったそうです。もう半年以上も前の訃報でしたが、ご家族の希望により伏せられていたんですね。その記事の横に、ノンタンのぬいぐるみと共に映る笑顔のキヨノ先生の写真が貼られていました。


ノンタンの絵本をずっと育児のお供にしてここまで来た私にはとても悲しすぎるニュースでした。それにまだ60歳。これからまだまだ新しい作品を世に送り出すことも十分に出来るご年齢であったのに・・・。


ノンタンの絵本の出番こそ最近は減ってしまったけれど、でも私や息子や娘の今までの時間を振り返ればそこに必ずノンタンがいて、いつもノンタンの話を読みながら、親子で絵本に食い入っていた時間が甦ります。
いたずら好きで、赤い車が大好きな男の子猫のノンタン。そして途中から登場してきたノンタンのかわいい妹のタータン。兄と妹という兄弟構成も共感がもてましたし、タータンはかわいいけれど、つい意地悪をしてしまったりするノンタンに、息子の心情を重ねてみたり・・・。
生後10ヶ月の時、入院をした娘に私が買ってあげたのはノンタンのぬいぐるみ。それからずっとノンタンのぬいぐるみは娘の大事な友達でした。ノンタンカルタも親子で何回も行いました。DVDも借りてきては繰り返し見ていましたし、私たちの歩みはノンタンの物語抜きでは語れないくらいです。


キヨノさんの書くノンタン作品は割と「5・7・5」調になっているところが多くて、とても読みやすいんですね。耳に気持ちよく残る音なので、眠る前に読むと、子供にとっても私にとっても心地よい音を残してくれるので、何度も何度もリズミカルに繰り返して読めます。


「ノンタン
にんにん にこにこ
いいおかお

ノンタン ごきげん
めめ ないない
(中略)

ノンタン ねんねんこ
おやすみなさい」


このように赤ちゃん版のノンタンの作品であっても、今読んでも十分に楽しめる内容です。
きれいな日本語が生き生きと踊っている作品。ノンタンと一緒に過ごした赤ちゃん時代、幼児時代、いつも明るくてちょっといたずら好きなノンタンは私たち親子のかけがえのない友達でもありました。ノンタンはもう新しいシリーズこそ刊行されないものの、キヨノさんの残した作品は多くの親子の中で生き続けるでしょう。そしてこの先、もしも私の子供がいつか自分の子供を持ったとき、きっと彼らはノンタンシリーズを手にして懐かしさを感じると共に、大人になってからまた出会うノンタンの言葉にワクワクするに違いありません。なんて優しい音霊で彩られた作品なんだろうと・・・。キヨノサチコさんがノンタンを通じて私たちにかけがえのない時間をプレゼントしてくれました。ノンタンという作品はこれからも残って何世代も続いてくれることでしょう。作品にこめられた魂に寿命はありません。そのバトンを受け継ぐ一人の読者として、キヨノサチコさんの死を悼み、深く哀悼の意を捧げたいと思います。


本日の感謝・・・
病院で麻酔注射をうけるノンタンの格闘を描いた「ノンタンがんばるもん」は病気で何度も医者に通っていた娘のバイブルみたいなものだった。ノンタンは彼らにとっては絵本の中の架空のネコではなかったと思う。ずっとノンタンは心の中で生き続ける。この作品と一緒に子育てが出来て幸せだと思った。キヨノさんの作品からはノンタンを通して子供への深い深い愛が伝わってくる。そんな愛の詰まった作品をたくさん世に送り出し、天国へと旅立っていったキヨノサチコ先生に「ありがとう。」。子供がいなかったらやっぱりノンタンは読まなかったし、知らないままだったと思う。ノンタンに会わせてくれた二人の我が子にも「ありがとう。」。
先日のブログで頭を丸坊主にされてしまった女の子を見て感じたことや、そのあと輝夜師匠に教えられたやり取りを書かせていただきました。


私は自分なりに心が反応して輝夜師匠にお話しした経緯になりましたが、この事件で真っ先に私が考えたことは「なんという親なんだ!信じられない!」という私の意見に賛成してもらいたかったことなのかもしれません。


どうしてこういうことが起きているのか、という事実の追求よりも先に、私の感情に去来したものは「こんなことを普通するのか?ありえないだろう?私はしないぞ。みんなどう思う?絶対おかしいよね?」という「自分の意見に賛同してもらえるだろうという自信」だったかもしれません。
なぜ私は輝夜師匠のようなするどい突っ込みができなかったのか。そこには、私が「私の意見は正しいのよ」という態度になっていたからですね。


そして同時に、知人にメールをいただきました。そのメールには、人間は意味もなく行動を起こしたりものではなく、自分にとっては理解不能な行動でも、その人にとってはすごく大きな意味をもっていたりすることがあるから、その意味を自分なりに追求してみるのが大事なんじゃないかといった内容が書かれていました。


そこでまた私は考えるチャンスを与えていただきました。
そうか・・・私にとっては「なんてひどい。親としておかしいんじゃないの!」と言いたくなることでも、相手にとっては重要な意味があってのことかもしれない。私に見えない部分で、相手の思いはまた別のところにあって、髪を切るという行動に出たのかもしれない(もちろん、それは乱暴な行動だったとは思うけれど)。私の問題点は「ひどいことをする!」で終わり、それを誰かに賛同してもらいたかっただけで、どうすればよかったのか、なぜ親はそこまでしたのか、という思考にまで踏み込めなかったこと。


私が最初から「私の意見は正しいでしょ?みんな絶対賛成してくれるよね。はい、賛成の人、手を挙げてー!!」って思っていたことが問題だったんですね。正しい意見の一つかもしれませんが、そこで終わってしまったから、次につながらないんです。


一つハッキリしたことは、「そうか・・・私は自分の意見に賛同して欲しかったんだ。だからこのお母さんが悪で、私が善という形にしたかったのかもしれない。」もっと突き詰めていけば、そこにエゴがあったのです!!


私の考えは正しい。
だからこんな横暴な行動をとる人はおかしい。
それで終わってしまったから洞察力も、想像力も育ちません。エゴがブロックになっていて、「なぜその人はそんな行動に出たのか」という疑問を消しているんですね。「私の意見は正しいでしょ?ね?ね?」・・・それを言いたかったから、追求ができなかったのです・・・。


劣等感も問題ですが、「私の意見は絶対に正しい!みんな聞いて!」と思ってる自己顕示欲も問題になります。自分に自信を持つことって大事だと思いますよ。でも今回の件で言うなら、何が問題だったのかを問い詰めていくことよりも、このお母さんの行動を引き合いに出して、自分の正当性や素晴らしさを主張したかったのかもしれない・・・。みんなに私を認めて欲しい。そんな気持ちが強く働いたのです。ものすごく新鮮な気持ちでした。


そうか、自分の主張の正しさだけを訴えたいと思う気持ちは洞察力も分析力も培わないし、エゴだけを育てることもあるんだ・・・。そしてそのエゴはどこから来てるものなんだろう。手放せるものなんだろうか・・・。
私の中でまた新しいテーマが見つかったように思います。
自分を優位に見せたい自分。
でもそれはやっぱり劣等感があるから育ったものかもしれません。


本日の感謝・・・
自分だけで考えていると物事が偏ってしまったり、落ち込みがひどくなったり、暴走していることにも気づけなかったりする。でも、私の周囲にはそんな私の姿を鏡で映してくれて「ちょっと立ち止まって考えてみてごらん」とヒントを与えてくれたり、考える時間を与えてくれる人がいてくれる。適切なときに、私の心をズバっと切り開いてくれる。今回も知人のメールをきっかけにまたびっくりするくらいの膿が、いい意味で噴出したように感じた。そして、その自己発見は落ち込みではなく、感動がある。「なぜそうなのか」を追求してこなかった自分の問題点を、今回、私の手で気づかせるように促してくれた知人にありがとう。
午後から雨、と言う天気予報がにわかに信じがたい良い天気です。今日は用事があって輝夜師匠とお会いする約束になっています。なので今家の中を片付けた状態ですね。ここのところかなり寝不足が続いたり、行事やイベントが目白押しで追われている、という一文字に尽きます。土曜日は娘の学研教室の日だと言うことをすっかり忘れ、呼び出しの電話をいただいて思い出す始末(-o-;)学校に行く用事、保育園の用事、自分の用事、混同されてます。今日は時間が足りなくなりそうなので前もってつぶやきブログ更新します。かなり疲れがたまっている感じなので今日は夜の仕事もないし、久しぶりにゆっくり休んで明日から忘れっぽさに決別しなくては!!!ああ、時間が欲しい(切実)。

本日の感謝…
昨日は息子の個人面談。先生が息子の書いた「秋探し」の作文が素晴らしいと誉めて下さった。家に帰宅してから目を通してみたら、息子の表現力が驚くほど多彩になっていたのにびっくり。これこそがみずみずしい感性そのものなんだろう…息子の目に映る秋は大人の目に映る秋よりも何千倍もキラキラ輝いているような気がする。私が気づかないだけで…そんな身近にあるたくさんのキラキラを教えてくれた息子にありがとう。


保育園の学芸会がありました。
年長の娘にとってはこれが最後の保育園での学芸会になります。お姫様の役をやるのでとってもノリノリでした。いつもは簡単に二つに分けているだけの髪ですが、今日は朝から気合を入れて結んであげました♪


娘の保育園で私がとっても気に入っていることは、何かあるたびに園長先生がギターを持って歌を歌ってくださることです。ウェルカムミュージックは先生方の演奏でした。これがいいんです!忙しい保育の合間を縫って練習したと思われる先生たちの一生懸命なお姿は、かわいらしい園児の演技姿とはまた別の感動があるんですね。


園長先生がいつもこの歌をイベントがあるたびに歌ってくださいます。
それはこんな歌詞。


ゆっくり
のんびり
もたもた
ありがとう


この曲、多分園長先生の自作と思われるんですが、ものすごいスローなテンポの曲で、これを第一発目から観客である親に「ぜひお父さんおかあさんもご一緒に歌ってくださいね~」なんておっしゃるんです。父母照れまくりで、小声で歌います(苦笑)


歌詞には園長先生の、子供を見つめるまなざしのあたたかさや、つい子供を「早く早く、急がなくちゃ!」とせかしてしまう親を「まあまあ」となだめてくれるような、そんな想いを感じてしまいます。
例えば私の日常をもし歌にしたら、


あわてて
せかして
はやくはやく
いそがしい


で終わりますものね(苦笑)。


つい子供にも「早く」を要求してしまう、時間のない働く親の私です。


子供たちの発表が始まりました。
昨年は合奏で自分の楽器がなかったという大アクシデントに見舞われた娘ですが、今年は一個しかない楽器を担当できて得意顔でした。さすが年長さんになると難しい曲もクリアできるようになってくるんですね。そしてお芝居のお姫様役もセリフも大きな声で(それでもいつもより緊張していたみたい)頑張ってくれていたし、親ばかですが、思いっきりかわいいです♪「あの子はなんてかわいいんだろう・・・」親ばか丸出しで見つめておりました(爆)。


最後に年長さん全員で「ほいくえんがだいすき」という曲を歌ってくれました。
この曲、子供たちが歌詞を考え、園長先生が作曲した、自分たちの保育園への想いを歌にした一曲なんですね。もうね・・・今このタイトルを書くだけで思い出してまた涙がこぼれちゃいました(^-^;。


そう、もう不覚にも私はこの歌を聴いていろんな思いがこみ上げてきて泣きました。でもこの思いは、息子のときとはまたちょっと違うんです。


「ほいくえんがだいすき・おともだちがだいすき♪」
そんな歌詞を口を大きく開けて思い切り歌っている娘。


思えば、娘は親の経済的な事情で幼稚園には行けず、保育園に預けて三年間を過ごしました。年中のときに転園し、不安がいっぱいの中でまた新しい環境に入ったことでしょう。保育園は、幼稚園ほど堅い親同士の関係も子供同士の関係もなく、保育は保育園任せで、息子ほど親の関わりのない園生活を過ごしてきました。息子が私の手作り弁当を週に3日持っていく幼稚園ならば、娘はずっと保育園の給食でした。息子は周囲の親子との距離が近い分、息子がいろんなことが出来ないことに悩み、比較して落ち込んだり、それでも息子の成長を感じる時間も多く、行事のたびに成長した息子を見て泣いてましたが、娘は元々しっかりしているし、あまり手もかからなかったし、そもそも預けてしまう時間が長いために他が見えないので落ち込むこともありませんでした。だから娘の保育園生活で涙を流すことなんてありえないな~と感じていたくらい、私は淡白だったかもしれません。


でも心の底で「罪悪感」に似たものをどうしても持っていた私。息子は3年間べったり育ててきたけれど、娘に対しては、保育園という別の世界にお願いしっぱなしで、自分のお仕事をさせていただいてきたという想いがどこかで何時も消えなかったのです。息子の幼稚園の関わりに比べたら、なんて薄い係わり合いで済んでいることか。それが、私にとっては楽であったけれど、娘にとっては一抹の寂しさだったかもしれません。


でも、娘が大きな声で歌を歌うのを聞いていたら、私は何もしていないのにこんなに大きくなってしまって、いつの間にか娘にとって保育園は本当に「だいすき」と呼べる場所になっていたことにすごく驚きました。娘なりに大変だったと思うんですよ。途中から仲の良い人たちの間に入るのって。保育園はみんな0歳からの仲間ですから、結束力もあります。でもそんなお友達との間で躓きも経験しながら、それでも今はこうして元気に通ってくれる娘の強さに感動したんですね。それが私の中の罪悪感というか、消化できていなかった育児への思いを救ってくれました。私は後ろ向きだったかもしれないけれど、私の戸惑いに関係なく、娘は私のいない場所で自分から頑張ったし、自分を大事にしてくれる保育園の人たちに出会えて、娘はそういった多くの愛に囲まれて育つことが出来ているのだと思えたら、それこそとてもありがたかったし、泣けてきました。娘の頑張りと周囲の手厚いサポートに親が救われたんですね。親は完全じゃない。だから、たくさんのサポートしてくださる存在が確かにいる・・・サポートにすべて甘え、努力を怠ってはいけないけれど、こうしてあげられなくて申し訳ないという罪悪感でずっと向き合うよりも、こうした見えないサポートに気づき、至らない部分をフォローしていただけたことへの感謝を持ち合わせるだけで視点はまったく変わってくるんですね。


私の知らない部分でしっかりと成長させていただいたことをこの歌を通して実感しました。「ほいくえんがだいすき」と歌えることがどれほど幸せなことか・・・。
親は手抜きをしたり、自分のこと中心になってしまったり、将来の不安に振り回されてしまいますが、子供は何時も目の前のことに一生懸命。そんな目の前に広がる世界が、「ほいくえんだいすき」という言葉に象徴されているのならば、私も今、自分の目の前に広がる世界を「だいすき」と歌えるような毎日にしていきたいですね。


本日の感謝・・・
「のんびり・ゆっくり・もたもた」をつい忘れてしまう忙しい親たち。
でも子供たちは親と離れた集団生活の中でしっかりと成長していることを歌を通して教えてくれたね。どの子もみんないい顔していた!保育園の先生方、愛のある保育をいつもしてくださっているんですね。よくわかりました・・・素敵なゆっくり時間をどうもありがとう。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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