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占い師としての成長日記
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夏休みに入りました。でも我が家の日常は普段と変わりません。仕事をしていると子供は学童と保育園です。お弁当作りが仕事に加わりました。
元気に汗をかきながら家を出て行く子供たちを見送りながら、私は家で汗をかきかき仕事に入っています。


母の実家から桃が送られてきました。
母の実家も、私の実家も同じ市です。ふるさとの匂いがする宅急便に詰まっていたのはたくさんの桃でした。


でも、私は桃は食べられないんです(苦笑)。
味が嫌いではないんです。私にとっても桃は特別なもので、食べ物であって食べ物ではないというか・・・。


私の実家はずっと桃農家でした。
父も母も、いつも夏は桃の出荷に追われていて、私と二つ上の兄は、夏休みに行く場所は、桃畑とラジオ体操と学校のプールだけでした。夏休みは家のことや食事の支度を祖母と一緒に手伝って、兄は畑に借り出されて、
私たち兄妹は夏休み=労働、桃畑、というイメージしかなく、レジャーも観光地も一回も経験したことがありません。
それでも私はそれが普通だと思っていたし、「○○に行きたい」と言うことが許されないことは、親に言われなくても子供ながらにわかっていました。なので、兄と一緒に畑に行き、言われるままに手伝いをして、夏休みを過ごしていました。兄も、本当は手伝いたくなんかなかったと思います。桃は毛があるから、それが皮膚に触れるととてもかゆいので、仕事をするときは真夏なのに長袖を着用して仕事をします。それに、足元には、桃の色づきをよくするために「シルバー」と呼ばれる反射紙を引いていますから照り返しがきつく、鏡の上で作業をしているようなものです。
汗をたらしながら、早朝から作業をして出荷時間に間に合うように収穫します。私たちは桃を採るという重要な仕事は任せてもらえませんでした。
桃はとてもデリケートな食品なので、子供が雑に扱って手のあとがつくことを両親は嫌がったのですね。私たちはいつも両親のそばにいき、収穫した桃をうけとりコンテナに詰める作業を続けました。桃畑は南向きの急斜面にあり、いつも重い桃を持ちながらも足元はフラフラしていまいた。眼下には私たちの住む町が広がっており、目の前には中央道が走っていて、観光バスや行楽の車が行きかうのをただ黙って見ていました。


朝一番に畑に着くと、父は「てんぷら」と呼ばれる、桃の木のてっぺんにある一番美味しい桃を採ると、それをほおばっていました。生産者の唯一の特権ですよね。私は採れたてのものより、時間がたってやわらかくなった桃のほうが好きでしたが、桃に囲まれた生活をしていたので、桃を食べたいという気持ちになれなかったです。


田舎の中小企業に勤めていた父の給料だけでは子供の教育費などは賄えません。農業収入が我が家の中で大きな財源になっていたのですね。子供の頃はそれがわからなかったのですが、私や兄が大学に進学させていただけたのも、両親が桃や干し柿を一生懸命作ってくれて、それこそキツく、汚い仕事を雨が降ろうと頑張ってくれたおかげで進学できたのです。
兄は「桃のおかげで、俺たちは学校にいくことができるんだからな。」と言って、手伝いをしていました。長男だなと思います。高校生になっても朝桃畑の消毒に行くときは、登校前から手伝いに借り出されて、彼も嫌だったと思うのですが、それでも手伝ってから学校に行っていました。私も朝ごはんを任されていたので、みんなが畑でいない朝は私が朝ごはんを作る当番になっていました。


少なくとも、桃がなかったら進学もできませんでした。でも、桃を収穫するために、さまざまな家族のレジャーを一回も経験することなく私は大人になりました。父と母は、孫が5人になった年に、桃の木を全部切りました。体力の限界と、孫の世話をしながら桃を作ることはできないといって、干し柿一本の農家になりました。真夏に、居間でゴロゴロと横たわる両親を見ると、いまだに不思議な気がします。畑に桃がなっているような気がしてならないからです。真夏に両親が家の中にいることが、今でも違和感を感じてしまうんですよね。


私はよく義母から「夏休みなんだから一緒に出かけたり、いい思い出を作ってあげなさい。子供にさびしい想いをさせないで。」と言われます。
でも私自身が親と一緒にレジャーに出かけた経験を持たないのですが、私はそれを寂しいと思ったことはありません。つまらないとは思ったかもしれないけれど、でもその分、桃の収穫が終わったお盆にいとこ達が遊びに来てくれるのがものすごく嬉しかったし、兄と畑で桃を投げあったり、両親に作ったご飯を褒めてもらったり、祖父母と一緒に手伝いをしたことは、私にとっては宝物のような時間でした。おもちゃも買ってもらえなかったし、ごほうびもなかったけれど、でも「一生懸命働いてお金を得ることの大切さ」を私は両親の桃作りから学びました。思い出はないけれど、学びはあります。

特に兄なんかを見ていると、桃の手伝いに借り出されていたことが、今の彼の基盤に強い影響を与えているんじゃないかと思うことがよくあります。仕事観というべきか・・・。


兄とは「夏休みにどこかに連れて行ったもらった記憶はないけれど、あれがなかったら、自分たちは大学にいけなかった。」ということでよく話をしました。


一緒に手伝った夏はもう二度と来ません。


私は親になって、自分の親がしてきてくれたことがどれほど大変なものであったのかをはじめて本当の意味で知ることができました。
世の中のレジャーにいけるサラリーマン家庭をうらやましく思ったこともありましたが、甘い桃の味とは裏腹に、きつい作業を繰り返し、一生懸命私たちを育ててくれた両親のことを思い出してしまうので、桃は私にとって、親の愛情そのもので、尊くて、切なくて、食べられないのですね。


子供に物質的な幸せだけを与えればいいのかというと、やっぱりそうではないと思います。
一生懸命働いている姿を子供に見せたり、一緒に参加させてくれたことを今では本当に感謝しています。


もし、桃を食べるときがあったら、もう一度両親が私たちの学費のために作ってくれたあのときの桃を食べたいです。どんな高級な桃も、きっとその味にはかなわないだろうと思います。今となっては幻の桃ですけどね(笑)。
私の背中は、子供に何かを教えられるようなものになっているでしょうか?


夏休み、桃を見るとそんなことを考えています。

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思わず
コメントしたくなっちゃった。

私は桃が大好き。
ただ、それだけの気持ちでこれまではむしゃぶりついていました。

が、
それぞれの生産者やその家族の様々な思いが宿って、
あのデリケートで甘い実になるのですね。

ただただドタドタと
やっつけ仕事のように夏休みを送っている子供たちにも
ぜひ話してあげたいエピソードだなぁと思いました。

雨音さんならではの素敵なエッセイ、ありがとう♪
さわらっち 2008/07/30(Wed)13:09:15 編集
さわらっちさんへ
コメントありがとう!
こんな過去を持っているせいで?今店頭に桃が並んでも絶対に買えないという実に経済的な体質になってしまいましたが(^^;;・・・。
桃に限らず、特に果物関係は一年中、農家の手間隙をかけて育て上げるので、収穫量が下がったりするときは大事件でした。
自分の子供を見ていると、夏休みだ、やれポケモン映画でシェイミをゲットだ、プールに行きたいだの話していると、心の中で「お前ら・・・うらやましいぜ・・・」と考えてしまうんです。
なので子供はレジャーがなくても、それでも育つというのが私の考え方になってしまっているので(私自身が生きる見本ですからね)あまり夏のレジャーに積極的でない母です。夏はごろ寝が一番?!
雨音 2008/07/30(Wed)14:09:03 編集
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