忍者ブログ
占い師としての成長日記
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昨日のブログにチラリと書きましたが、日曜日は丸一日、ボーイスカウトの活動に参加してまいりました。息子はカブ隊ですが、カブ隊は地域の調理施設にてギョウザ作り、私たち保護者はキャンプ場で餅つきの設営。活動中は私は息子のことに手を出しません。カブ隊の隊長さんや、デンリーダーと呼ばれる付き添いのお母さんたちに、一切をお願いします。もちろん、基本的なことは「自分で自分のことをする」のが当たり前。デンリーダーさんはカブ隊に所属するスカウトのお母さんで構成され、デンリーダーになりたい人がきちんと研修を受け、活動中は「みんなのお母さん」として動く人です。


さて、ギョウザ作りを終えて、餅つきの会場に現われたカブ隊の少年たち。息子も、ギョウザやつきたてのおもちや、ボーイ隊の仕込んだおでんなどをほおばって、そのときは笑顔だったのですね。ですが、食事を終え、隊長がスカウト一人一人を呼び出し始め、なにやら離れたところで訓練をし始めました。気をつけ!とか倣え、などを練習しているようです。
そして、広いキャンプ場なのに、もじもじして一人動けなくなっている息子・・・。誰ともはしゃいでいないので、「あれ?もしかして輪に入れないのかな?」と不安になった私は、息子に「どうした?大丈夫?」と声をかけました。なにやら不穏な空気が息子からどんどん出ています。顔がなんとも言えない表情に変わっていたのです。


頭をなでると、息子が堰を切ったように泣き始めました。
「どうしたの?何か言われたの?何があったの?」
何もないと首を振りながら息子は言いました。
「ボーイスカウト辞めたい・・・飽きた・・・辞めたい。」
その目にはみるみるうちに涙がたまってくるではありませんか。
ちょうど向こうから隊長が次の番である息子を呼ぶ声がします。だけど息子は「いやだ。いかない。ボーイスカウト辞める。」の一点張りで、ますます大声を上げて泣き始めました。


事情の分からない私は息子を泣き止ませようとしたのですが、一向に収まる気配がなく、混乱してしまいました。すると、息子の泣き声で担当のデンリーダーさんが私に向かって「大丈夫。話を聞くから任せて。」といって息子の傍らに腰を下ろして、二人きりで話を始めていました。
他の人たちも「大丈夫。こういうときはデンリーダーさんのほうがいいから。任せておけばいいのよ。親が入ると、かえって子供は感情的になったりするからね。」と言って下さったので、ここはもうデンリーダーさんの手に委ねるしかありません。


説得?話し合い?はかなり長く感じました。
その間、カブ隊のほかのスカウトたちが息子を囲み、なにやら心配そうに見守っていたのが印象的でした。デンリーダーさんは息子の横で腰を下ろし、ずっと息子のそばについていました。


他のお母さんたちも「どうしたの?大丈夫?」とかなり心配してくださっています(そりゃ、あんなに激しく大声で泣いたらそうかも・・・)。


私は息子が他のスカウトたちとうまくなじめずに、いつも一人でいることが苦痛なのかと思って心配で声をかけたのですが、実はそんなことでは全然なく、隊長が「カブ隊の5つの約束を言え」という宿題?を課していたらしく、一人一人を呼んで、号令と共に暗唱することになっていたらしいのです。それが言えるようになるとカブ隊の中で一つのランクが上がるらしいのか、この暗唱がちょっとしたプレッシャーになっていたらしいのです。その上、暗唱するという宿題があったのにもかかわらず、自分はそんなこと全然してこなかったので、「やばい。俺はやっていなかった。でもやっていないって言ったらお母さんに叱られる。でも俺の出番はもう来てしまう。どうしたらいいんだ。」・・・という葛藤の末「辞めたい」で爆発したらしいのです。


デンリーダーさんは「いやなこともあるかもしれない。休んでもいいから、辞めないで頑張って続けていこう。」と言って下さったそうです。先日の登山もあまりの厳しさに弱音を吐きそうだった息子。今日の宿題のことも、彼なりに「やっていない」ことを負い目に感じていたゆえの涙だったのでしょう。


お話の最後にはちゃんと立ち上がって、隊長のそばに行きました。
その後姿を見ながらデンリーダーさんが話をしてくれました。
「ちゃんと彼は自分の気持ちを自分の言葉で言えるよ。やってこなかったから、お母さんに叱られる、宿題の言葉も言えないって思ったら、彼の葛藤が涙になったんだよね。」
そうか・・・私と一対一の向き合いだったら、息子はここまでのことを言ってくれたかな?きっと私が「こうに違いない」と断定したり、あるいは「そんなに辛いなら辞める?」と言い出してしまうかもしれない。親の甘さが出るか、感情的になって話し合いが決裂する可能性が高いのが親との向き合いだと思うから・・・。


帰宅した後、とにかく息子を褒めて「よく頑張ったね。みんなあなたのこと心配してくれてたよ。ありがたいね。」と頭をなでてあげました。息子は細かいことは言わなかったけれど、「辞めたい」とはもう言いませんでした。


また、以前お世話になっていたビーバー隊の副隊長から心配のお電話も入りました。そこで言われた印象的な言葉・・・。
「ボーイスカウトは習い事じゃないの。だから正直言って八割が苦しいことだと思って欲しい。楽しいことは一割か二割あればいいかな。
でもそのなかで、自分なりの楽しみを見つけてくれるようになって欲しい。」
「今日の彼の涙は、誰かにやられた、何か嫌なことを言われたという涙じゃないよね。自分の内面の葛藤の涙だったんだから、涙の種類も成長を感じるよね。すごいことだと思わない?褒めてあげてね。」


そうですね・・・。
大人になればその言葉が別の意味でよくわかる。大人になればなるほど、苦しいことが増えて、楽しいことなんてほんのわずかかもしれません。
息子にとっては苦しいことかもしれませんが、その苦しさは息子を鍛えてくれます。逃げ出すことや辞めることは簡単ですが、でも今は、楽しみを見つけて乗り越えることを覚えて欲しい・・・。息子が泣いていたとき、心配そうに話を聞いていたスカウトたち。息子のすぐそばに、苦しいときを共有する仲間がいてくれる。この存在は大きいのです。


そして、息子も今後、何かのつまづきをしているスカウトが他にいたら、隣で心配そうに見守るような優しさを今日のこのことで知って欲しいですね。
いろんな人たちの支えがあって出来ることがある。
私もそんなことを実感した一日でした。山を乗り越える息子、それを見守るだけで手を出してはならない私にも、本当に親の試練ですよ。


本日の感謝・・・

もちろん、今日はいろんな方々に心配をおかけしてしまったので、本当に申し訳ないような、でもそれ以上にありがたい気持ちが強い。
気にかけていただいたり、息子を、自分の息子のように見守ってくださるデンリーダーさんはすごい役割を果たされている。きっと私もボーイスカウトに在籍している限りはいつかそれをやらねばならないときが来ると思うのだが。
じっくりとお話を聞いてくださったことで、息子のぐちゃぐちゃも解けたに違いない。あのときの私にそれはできなかった。
おいしいお餅以上に、息子の葛藤の涙は私にいろんなことを教えてくれたように思う。息子を温かく導いてくださった方々にありがとうございます。
PR
昨日の新聞で、一つの訃報を目にしました。
ノンタンの作者であるキヨノサチコさん、今年の6月19日に脳腫瘍で逝去されておられました。葬儀などは近親者ですでに済ませてしまったそうです。もう半年以上も前の訃報でしたが、ご家族の希望により伏せられていたんですね。その記事の横に、ノンタンのぬいぐるみと共に映る笑顔のキヨノ先生の写真が貼られていました。


ノンタンの絵本をずっと育児のお供にしてここまで来た私にはとても悲しすぎるニュースでした。それにまだ60歳。これからまだまだ新しい作品を世に送り出すことも十分に出来るご年齢であったのに・・・。


ノンタンの絵本の出番こそ最近は減ってしまったけれど、でも私や息子や娘の今までの時間を振り返ればそこに必ずノンタンがいて、いつもノンタンの話を読みながら、親子で絵本に食い入っていた時間が甦ります。
いたずら好きで、赤い車が大好きな男の子猫のノンタン。そして途中から登場してきたノンタンのかわいい妹のタータン。兄と妹という兄弟構成も共感がもてましたし、タータンはかわいいけれど、つい意地悪をしてしまったりするノンタンに、息子の心情を重ねてみたり・・・。
生後10ヶ月の時、入院をした娘に私が買ってあげたのはノンタンのぬいぐるみ。それからずっとノンタンのぬいぐるみは娘の大事な友達でした。ノンタンカルタも親子で何回も行いました。DVDも借りてきては繰り返し見ていましたし、私たちの歩みはノンタンの物語抜きでは語れないくらいです。


キヨノさんの書くノンタン作品は割と「5・7・5」調になっているところが多くて、とても読みやすいんですね。耳に気持ちよく残る音なので、眠る前に読むと、子供にとっても私にとっても心地よい音を残してくれるので、何度も何度もリズミカルに繰り返して読めます。


「ノンタン
にんにん にこにこ
いいおかお

ノンタン ごきげん
めめ ないない
(中略)

ノンタン ねんねんこ
おやすみなさい」


このように赤ちゃん版のノンタンの作品であっても、今読んでも十分に楽しめる内容です。
きれいな日本語が生き生きと踊っている作品。ノンタンと一緒に過ごした赤ちゃん時代、幼児時代、いつも明るくてちょっといたずら好きなノンタンは私たち親子のかけがえのない友達でもありました。ノンタンはもう新しいシリーズこそ刊行されないものの、キヨノさんの残した作品は多くの親子の中で生き続けるでしょう。そしてこの先、もしも私の子供がいつか自分の子供を持ったとき、きっと彼らはノンタンシリーズを手にして懐かしさを感じると共に、大人になってからまた出会うノンタンの言葉にワクワクするに違いありません。なんて優しい音霊で彩られた作品なんだろうと・・・。キヨノサチコさんがノンタンを通じて私たちにかけがえのない時間をプレゼントしてくれました。ノンタンという作品はこれからも残って何世代も続いてくれることでしょう。作品にこめられた魂に寿命はありません。そのバトンを受け継ぐ一人の読者として、キヨノサチコさんの死を悼み、深く哀悼の意を捧げたいと思います。


本日の感謝・・・
病院で麻酔注射をうけるノンタンの格闘を描いた「ノンタンがんばるもん」は病気で何度も医者に通っていた娘のバイブルみたいなものだった。ノンタンは彼らにとっては絵本の中の架空のネコではなかったと思う。ずっとノンタンは心の中で生き続ける。この作品と一緒に子育てが出来て幸せだと思った。キヨノさんの作品からはノンタンを通して子供への深い深い愛が伝わってくる。そんな愛の詰まった作品をたくさん世に送り出し、天国へと旅立っていったキヨノサチコ先生に「ありがとう。」。子供がいなかったらやっぱりノンタンは読まなかったし、知らないままだったと思う。ノンタンに会わせてくれた二人の我が子にも「ありがとう。」。
保育園の学芸会がありました。
年長の娘にとってはこれが最後の保育園での学芸会になります。お姫様の役をやるのでとってもノリノリでした。いつもは簡単に二つに分けているだけの髪ですが、今日は朝から気合を入れて結んであげました♪


娘の保育園で私がとっても気に入っていることは、何かあるたびに園長先生がギターを持って歌を歌ってくださることです。ウェルカムミュージックは先生方の演奏でした。これがいいんです!忙しい保育の合間を縫って練習したと思われる先生たちの一生懸命なお姿は、かわいらしい園児の演技姿とはまた別の感動があるんですね。


園長先生がいつもこの歌をイベントがあるたびに歌ってくださいます。
それはこんな歌詞。


ゆっくり
のんびり
もたもた
ありがとう


この曲、多分園長先生の自作と思われるんですが、ものすごいスローなテンポの曲で、これを第一発目から観客である親に「ぜひお父さんおかあさんもご一緒に歌ってくださいね~」なんておっしゃるんです。父母照れまくりで、小声で歌います(苦笑)


歌詞には園長先生の、子供を見つめるまなざしのあたたかさや、つい子供を「早く早く、急がなくちゃ!」とせかしてしまう親を「まあまあ」となだめてくれるような、そんな想いを感じてしまいます。
例えば私の日常をもし歌にしたら、


あわてて
せかして
はやくはやく
いそがしい


で終わりますものね(苦笑)。


つい子供にも「早く」を要求してしまう、時間のない働く親の私です。


子供たちの発表が始まりました。
昨年は合奏で自分の楽器がなかったという大アクシデントに見舞われた娘ですが、今年は一個しかない楽器を担当できて得意顔でした。さすが年長さんになると難しい曲もクリアできるようになってくるんですね。そしてお芝居のお姫様役もセリフも大きな声で(それでもいつもより緊張していたみたい)頑張ってくれていたし、親ばかですが、思いっきりかわいいです♪「あの子はなんてかわいいんだろう・・・」親ばか丸出しで見つめておりました(爆)。


最後に年長さん全員で「ほいくえんがだいすき」という曲を歌ってくれました。
この曲、子供たちが歌詞を考え、園長先生が作曲した、自分たちの保育園への想いを歌にした一曲なんですね。もうね・・・今このタイトルを書くだけで思い出してまた涙がこぼれちゃいました(^-^;。


そう、もう不覚にも私はこの歌を聴いていろんな思いがこみ上げてきて泣きました。でもこの思いは、息子のときとはまたちょっと違うんです。


「ほいくえんがだいすき・おともだちがだいすき♪」
そんな歌詞を口を大きく開けて思い切り歌っている娘。


思えば、娘は親の経済的な事情で幼稚園には行けず、保育園に預けて三年間を過ごしました。年中のときに転園し、不安がいっぱいの中でまた新しい環境に入ったことでしょう。保育園は、幼稚園ほど堅い親同士の関係も子供同士の関係もなく、保育は保育園任せで、息子ほど親の関わりのない園生活を過ごしてきました。息子が私の手作り弁当を週に3日持っていく幼稚園ならば、娘はずっと保育園の給食でした。息子は周囲の親子との距離が近い分、息子がいろんなことが出来ないことに悩み、比較して落ち込んだり、それでも息子の成長を感じる時間も多く、行事のたびに成長した息子を見て泣いてましたが、娘は元々しっかりしているし、あまり手もかからなかったし、そもそも預けてしまう時間が長いために他が見えないので落ち込むこともありませんでした。だから娘の保育園生活で涙を流すことなんてありえないな~と感じていたくらい、私は淡白だったかもしれません。


でも心の底で「罪悪感」に似たものをどうしても持っていた私。息子は3年間べったり育ててきたけれど、娘に対しては、保育園という別の世界にお願いしっぱなしで、自分のお仕事をさせていただいてきたという想いがどこかで何時も消えなかったのです。息子の幼稚園の関わりに比べたら、なんて薄い係わり合いで済んでいることか。それが、私にとっては楽であったけれど、娘にとっては一抹の寂しさだったかもしれません。


でも、娘が大きな声で歌を歌うのを聞いていたら、私は何もしていないのにこんなに大きくなってしまって、いつの間にか娘にとって保育園は本当に「だいすき」と呼べる場所になっていたことにすごく驚きました。娘なりに大変だったと思うんですよ。途中から仲の良い人たちの間に入るのって。保育園はみんな0歳からの仲間ですから、結束力もあります。でもそんなお友達との間で躓きも経験しながら、それでも今はこうして元気に通ってくれる娘の強さに感動したんですね。それが私の中の罪悪感というか、消化できていなかった育児への思いを救ってくれました。私は後ろ向きだったかもしれないけれど、私の戸惑いに関係なく、娘は私のいない場所で自分から頑張ったし、自分を大事にしてくれる保育園の人たちに出会えて、娘はそういった多くの愛に囲まれて育つことが出来ているのだと思えたら、それこそとてもありがたかったし、泣けてきました。娘の頑張りと周囲の手厚いサポートに親が救われたんですね。親は完全じゃない。だから、たくさんのサポートしてくださる存在が確かにいる・・・サポートにすべて甘え、努力を怠ってはいけないけれど、こうしてあげられなくて申し訳ないという罪悪感でずっと向き合うよりも、こうした見えないサポートに気づき、至らない部分をフォローしていただけたことへの感謝を持ち合わせるだけで視点はまったく変わってくるんですね。


私の知らない部分でしっかりと成長させていただいたことをこの歌を通して実感しました。「ほいくえんがだいすき」と歌えることがどれほど幸せなことか・・・。
親は手抜きをしたり、自分のこと中心になってしまったり、将来の不安に振り回されてしまいますが、子供は何時も目の前のことに一生懸命。そんな目の前に広がる世界が、「ほいくえんだいすき」という言葉に象徴されているのならば、私も今、自分の目の前に広がる世界を「だいすき」と歌えるような毎日にしていきたいですね。


本日の感謝・・・
「のんびり・ゆっくり・もたもた」をつい忘れてしまう忙しい親たち。
でも子供たちは親と離れた集団生活の中でしっかりと成長していることを歌を通して教えてくれたね。どの子もみんないい顔していた!保育園の先生方、愛のある保育をいつもしてくださっているんですね。よくわかりました・・・素敵なゆっくり時間をどうもありがとう。
昨日はお仕事がちょっと遅くなったので18時近くに保育園のお迎えに行くことになりました。外はもう真っ暗です。だから暗くなってからのお迎えになるとなんだか物悲しいらしくて、娘は嫌がるんですけどね・・・(^-^;。


でも私はお迎えに行って、保育園の先生が「Yちゃん、お迎えですよ~」と教室内にいる娘に声をかけると、それまで友達と遊びに夢中になっていた娘がぱっと顔を上げて、そして私の顔を確認すると一目散で私のところに駆け寄ってきてくれるこの瞬間がたまらなく好きです。お友達と夢中になって遊んでいるときのお顔はどこかきりっとしているというか、大人ぶった表情だけれど、私を見た瞬間にいつもの幼さが顔に戻るんですね。そして全力で走ってきて飛びついてくれます。いつまで私に飛びついてくれるのやら・・・なんて思ってしまうけれど、手を広げて私に抱きつくその姿は本当に愛しいですね。


昨日は私の横で、同じクラスの女の子のお母さんもお迎えに来ていました。そのお母さんは日本の方ではなく中国からやってこられたお母さんなのですが、娘さんがお母さんのところにやってくると、娘さんの頭をなでながらこういっていました。
「今日はね、○○の大好きな鳥のから揚げ作ったからね。」
他国で嫁いで、子供を育て、仕事も持ち、それこそ言葉だって理解できないような状況下だったと思われるお母さんが、たどたどしくも日本語で娘さんに語りかけるその声はとても優しい音でした。遅くなってしまった娘さんのために、家に帰ってから娘さんの好きなものを作ってあげようとしているんですね。まるで娘をねぎらうかのようなお母さんの一言・・・。


こうした帰り道の風景、それぞれの親子の姿を見ることが出来るから、余計にお迎えの時間が好きなのかも知れません。学童の息子はさすがに私を見て抱きつきはしませんが(笑)、でも私を見かけると、それこそ風のような素早さで帰り支度をします(なんだよ~そんなに早く身支度できるのなら朝もそれくらいのスピードで動いてよ~)。私の顔を見た瞬間に、興奮した状態で「今日ね・・・」と話しかけながら顔を見せてくれるのは嬉しいものです。


親と子の毎日繰り広げられる小さな再会は、親にとっても、子供にとっても意外に感動的だったりします。私も「ああ・・・今日も一日が無事に終わった~」と実感がわきますね。自分のお仕事、子供の一日、私の一日・・・無事にやり終えて、子供と手をつなげる幸いを感じています。
息子の体調があまりよくないと記載したため、いろんな方にご心配をかけてしまいました。お気遣いありがとうございます。


実はここ最近、息子のいびきがひどく、夜中ずっと爆音に近い音を出しているんです。その音の大きさに私まで寝不足に陥っている状態でした。今まで寝息を立てることはあったけれど、ここまで騒音のようないびきはなかったのですね。もともとハウスダストのアレルギーで一年中鼻づまりをしている息子です。また、いびきが苦しくなると口でパクパクと呼吸(口呼吸)しているので、子供ってこんなにひどいいびきをかくのだろうか・・・?と思った私が「子供のいびき」で検索したのがきっかけでした。


検索してもらうとわかるのですが、子供のいびきはどのサイトを見てもあまり良いことが書いてありません。子供の成長に悪い影響を与えるとか、大きな病気が隠されている場合があるなど、とにかく一刻も早く耳鼻咽喉科への受診を勧めることばかりが書かれてあって、検索しながら怖くなってしまったと言うか・・・どうしよう(汗)!!!になってしまった私です。いわゆる、気が動転した状態ですね。


睡眠中のいびきは空気の取り込み量が減り、通常よりも低酸素状態になりやすく、熟睡できないので、成長ホルモンの分泌も悪くなります。発育盛りの子供が睡眠も栄養も十分でなければ、低身長、低体重、虚弱体質、運動能力の低下を招くことがあるようです。またいびきがひどくなると、心臓に負担が掛かり、呼吸困難から、突然死に至る危険性が増します。
またいびきは精神面にも大きく影響を与えるようです。常に活気がなく、他の子供と遊べないなど、積極性に欠けるようになり、学力の低下にもつながったりするため、いびきは心身両面で子供の発育に大きく影響するという記事を読んでしまったのですから、私のように、ただでさえ息子の背が小さいということを気にしている人間には「これはただごとではない!」という受け止め方しか出来ませんでした。


近所に耳鼻科は二軒あります。
一軒目は娘の鼻水を吸い取ってもらう専用に行っている病院。とにかく空いているので待たなくていい。娘は蓄膿の症状が悪化しないようにとにかくこまめに鼻水だけをとってもらえればいいので・・・。しかしここの先生は私は好きではないのです。何の説明しないし、うんともすんとも言わないので・・・。だからいつ行っても空いているんでしょうね。


もう一軒目は激混みの耳鼻科で、行っても駐車場がないのです。家から歩いていける距離ではないのでどうしても車になりますが、駐車場がいっぱいで入れないし、大きな街道に面しているため、駐車場待ちをするスペースもありません。


悩んだ末、娘の耳鼻科には断固行きたくない!と思った私は、市内にある大学病院に直接行こうと決めました。その大学病院の耳鼻咽喉科のサイトで「子供のいびき」に関しての記載があったのもポイントでした。


大学病院の初診は平日午前中のみ。学校を休ませていくしかありません。
予約もとれなかったので、二時間半待った末に診察の番が来ました。
症状を話して、どうすればいいのかを聞くと、やっぱりアレルギーによる鼻炎だから薬を使って鼻水を出してから寝るしかない。あと空気の通り道がどうしてもアレルギーによる炎症で腫れちゃうから、それがいびきを引き起こしている。あとは鼻の奥にあるアデノイド(扁桃腺)が大きい場合にはいびきが大きくなることもある。でもアデノイドは今後成長するにつれ自然に小さくなるから、手術して取ることまでしなくてもいいかもしれない。
「昼間ひどい眠気に襲われているわけじゃないですよね?だったらそんなにひどくないと思いますよ。あと、ひどく疲れたりするといびきがひどくなることもありますね。」
「でも、寝ている間に酸素を取り込む量が少ないと発達に影響があるのではないのでしょうか?背がなかなかのびないのは鼻炎で鼻が詰まっているせいでしょうか。」
「一概にはそればかりとは言えないけれど・・・まあお薬出しますね。点鼻薬でいいですか?ちゃんとやってみてそれでもひどいようでしたらまた考えましょう。」
う~~~ん・・・・。
別に三時間近くかかって診察するような大学病院でなくてもよかったかもしれない(苦笑)。結局点鼻薬をもらって帰宅しました。


そのあと疲れからコタツで寝てしまったのですが、息子のいびきは相変わらず爆音で・・・。起きているとき、寝ているときに限らず、結局鼻が詰まっていると言うことは良いことではないのですよね。私に出来ることはまめに家の中の掃除をすること、民間療法だけれど馬油を炎症を起こしている鼻の穴の中に塗ってあげる事、それくらいです。


家に帰ってからも自分の中で「なぜこんなに焦ったのだろう?」という疑問がありました。町医者だって十分に対応できたはずなのに、それも行かずにいきなり大学病院です。しかも記事を目にしてからすぐに行くことを決めました。待てなかったんですね。一刻も早くはっきりとさせたいし、息子のいびきを止めたくて学校まで休ませました。


私の中で「低身長」という言葉と、現実の息子の背の低さが結びついたから余計に焦ったのです。もしこれが原因ならば一刻も早くなんとかしなければ、彼の身長が伸びない!と思った自分がいます。


以前二年生に上がった息子が身長のことを気にしはじめたブログを記載したことがあります。あのブログを掲載したとき、輝夜師匠から言われたことを思い出しました。


もし息子が万が一背が大きくならなかったら、「絶対大きくなるから大丈夫!」と言い聞かせた私の言葉は嘘になってしまいます。そういった言葉でごまかすのではなく、もしかしたら大きくなれない未来があったとしても、それでもこれが自分なんだと思えるような心を持つことが大事であるということ。


また以前も息子の身長のことで、自分の中にある矛盾を輝夜師匠に指摘されたことがありました。目に見える強さや、背の高いことがいいわけではないと教えたすぐそばから、「きっと大きくなるから大丈夫!」と励ますのは矛盾しているのではないかと。その励ましこそ「背が大きくなるのはいいことだ!」という価値基準の表れなのですね。


目に見える大きさや強さを優先に考えてしまうような尺度を持っているうちはいくら子供に「心が大事」と言い聞かせていても、それは嘘になってしまいます。


今回の私の焦り方は「いびきで酸素が足りない→背が伸びない→背が伸びないと馬鹿にされるのでは?いじめられるのではないか?→大変!!!」という方程式がベースになっているんです。「息子が周囲からどう見られるのか。」ということが重要になっているではないですか。もちろん大きな病気が隠されていることもありますから、それも焦りにはつながっていますが、本音の私は背の伸びない息子は受け入れられない、そうなってほしくないと強く願っているんですね。


身長のことでは何回も躓いていますが、今回もその価値基準が根底で強く渦巻いていることがわかる事件でした。私は息子の背の低さが気になって気になってたまらないのです。口でどんなに「心の強さが大事」と言いながらも、私の考え方は背をいかに伸ばすかに基準が当てられていて、しかも何度も指摘されながらも改善されていないコチコチの基準です。


背だってもちろん高いほうがいいかもしれないけれど、でも転んだお友達に「大丈夫?」って声をかけられるような、人様から何かしてもらったら「ありがとう」って言えるような優しい男の子になってほしいと思っているのに、それを伝えないで、身長身長身長・・・に目が向いているのが問題なんですね。


私の中にある「かっこよくみせたい」欲求は息子の容姿にまで及んでいました。再確認して・・・自分でぞっとしました。
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
最新コメント
[01/09 雨音]
[01/08 papa]
[10/28 雨音]
[09/16 sepi]
[02/07 雨音]
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
Powered by 忍者ブログ * [PR]
* blogdesigned by Mei Fukui.