忍者ブログ
占い師としての成長日記
[3] [4] [5] [6] [7] [8]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

6歳5カ月の息子、今度は単独で、三泊四日のサマーキャンプに参加。その見送りに、新宿まで出かけることになりました。


そのキャンプは偶然にも私の故郷の近くで27年も前から開催されていて、今では多くのサマーキャンプの手本となっているような催しであるし、通年のキャンプ(いわゆる山村留学)の受け入れも行っているようです。。私はそれを知らなかったのですが、どうせ送り出すなら全然知らない場所ではなく、土地勘のある場所のほうがいいかな?と思ったのですね。万が一彼が熱を出しても、実家の親に連絡をして一時的な協力を得られることができるし、息子が、慣れ親しんだ田舎に行くことは抵抗もないだろうと思ったからです。ただ、キャンプの行われる村はものすご~~~ぉい秘境であることは先に書いておきましょう。星が日本一きれいに見える村です。


参加対象は小学一年生以上。申し込みをしたが、大人気のイベントらしく、定員も多いはずなのに、結局入れたのは8/29から9/1までというぎりぎりの日程。これにはびっくり。


申し込みから前日までは行く気があった息子だけど、前日の準備で大量の荷物を見たせいで、意気消沈( ̄▽ ̄;)


なんとか奮い立たせて新宿のバス発着所に連れて行ったけど、
その場に入って、大きなリュックを背負った子供たちの中でひときわ輝く小さな背の息子・・・(苦笑)。
やっぱり一年生は一年生。ほかにも一年生らしき男の子がいっぱいいたけど、友達ときていたり兄弟で参加というかたちなので、まるっきり孤独な息子を見ちゃうと、久しぶりに泣けてくる自分がいました。


それでも。


でも見送らなくてはいけないときもあるし、これを超えれば自信になるって言うことは自分の人生で実証済み。


彼ならやってくれるだろうと思うのは、親のひいき目?
でも親なら、根拠なんかなくても自信をあげなくてはならないときもあるんだとわが身を奮い立たせます。


一人で貸切のワンマンバスに乗って、私の故郷に向かう息子を見送りなが
ら、久しぶりに目頭が熱くなっていました。


でもこうした痛みも、親として向き合わなければならない、必要な痛みなのかもしれないのでしょう。通らねばならない道。
息子にとっての痛みは必ず息子のためになると信じたい。


せっかくのキャンプもずっと雨のようですが・・・
友達たくさん作って帰っておいで!
PR
私たちは時に他人や、あらゆる出来事に共鳴するということがあります。共鳴とは、共に鳴く、つまり、出来事に呼応し、よき変化が生じるということです。


それとは反対に、違和感を覚える、ということも同じように起きます。


この事件?(でもないですが)は、もうかなり前のことでしたので、書くほどのことでもないと思ったのですが、ただ、日々がたつにつれて、自分の中で違和感である、というはっきりとした感覚が芽生え、その違和感は一体どこから来るのだろうと考えたら、自分を信じているからこそ、違和感が生じているのだと気がつくことが出来ました。


違和感を感じるということは、共鳴することよりも、もっと劇的に自分の考え方や方向性を見つめなおすいいきっかけを与えてくれているんですね。自分のセンサーの感度が良好か、否か、そういうことをです。


きっかけは息子の父母会の用事で学校に出かけたときです。同じクラスのお母さんと席がとなりになり、お話をする機会に恵まれました。そのお子さんも男の子で始めてのお子さんですから、たぶん、そのお母さんと私も、息子のことを愛し、心配でたまらないながらも小学校に送り出しているんでしょうね。


私の息子は、その息子さん(Aくん)と遊びたいからおうちに来て欲しい、ということを家で話してくれたことがあったので、せっかくの機会だから、Aくんのお母さんと席が同じくなったのですから、「ぜひいらしてくださいね」とお話しました。


Aくんのお母さんはにこやかに笑っていましたが、その次にこんなことを耳打ちしました。


「あの~~B君って知っていますか?H君(うちの息子の名前)と学童で仲がいいんですよね?」
B君の名前をあげていただいたのですが、私は始めてその名前を聞いたので「いえ、初めて知りました。」とお答えしました。学童で一緒のようですが、クラスは違う男の子らしいのです。
「実は・・・ここだけの話なんですが、B君って乱暴なんですよ。だから
H君がB君と仲がよくて、うちの子にB君の話ばかりするっていうものですから、うちの子も、H君とB君は仲間だと思っちゃってて、Hくんのことがちょっと怖いみたいなんですね。うちの子、気が弱いから。」


私は、息子が乱暴で有名?なBくんとつるんでいるということよりも、それをいきなり告白されたことに驚きを隠せなかったんです。
これが私の中で「違和感」として黒い小さな塊になって落とされました。


それはどういうつもりで発言されたのかはわからないけど、「気をつけたほうがいいのよ」ととるべきなのか、「あなたの息子さんは、問題児とつるむような素質を持っている」と指摘されたのか、でも、私だったら・・・と考えます。


私がA君のお母さんの立場で、たとえB君に手荒なまねをされたとしても、親しくなってもいない同じ立場の母親に、それを伝えはしません。
親は、子供の世界にすべて立ち入れるわけではないし、ましてや、目の前で痛めつけられるのを見たわけでもないし、子供が怪我を負って帰ってきたわけではないのですから。
そういったトラブルが現実に起きて、B君に対して「危険人物」だと思える事件が立て続けに起きているなら話すかもしれませんが、入学してまだ間もない不安定な時期に「乱暴な子」と結論を出すのは、いささか感情的になっているとしか思えないのですね。


せっかく仲良く出来ると思って、同じ長男をもつもの同士として楽しく語りたかったのに、これは興醒めです。もっとひねくれた見かたをするなら
「あなたの息子さんは乱暴なB君と仲良しだから、うちの子に近づかないで頂戴」と訳すことも出来ます。まあ、そこまでは考えませんでした。
だって、もう十分、この方の人間性がわかりますから、エスカレートしていく必要なんてないんですね。ここで舞台を降りたほうがいいのです。


B君が乱暴であろうと、うちの息子の心を信じていけばいいんだ。
息子の選ぶ世界に、見もしない私がケチをつけてはいけないんだ。
どう自分を振り返っても、私には息子の選ぶものに不安な要素が見当たらないし、息子の言動や、積み重ねてきた感性を信じれば、決してそのお母さんの心配するようなことはないと思えました。むしろここで動揺したら、息子の人格が疑われます。


ただし家に帰ってこっそり息子に「学童で誰と仲良しになったの?」と聞いたら、息子の口からB君の名前が挙がりました。


そんな事件が起きてまた時間がたち、たまたま帰り道に、お母さんと一緒に学童から帰るB君と一緒になることがありました。B君のお母さんに「いつも一緒に遊んでるって話してくれたんですよ。よろしくお願いしますね。うちの子、勢いがありすぎるんでなにかあったら言って下さいね。」とご挨拶したら、B君のお母さんは「こちらこそ!」といい、B君に「B!学童でHくんわるさしてでしょうね?」と聞くと、その質問を向けられたB君は「Hにはわるいことしてないよ」と答えました。
「Hには」ってことはうちの子にはしてなくても、他の子にはしてるんかい?!と私は心の中でビミョ~~な突っ込みをいれつつ(笑)、でもBくんが笑顔で息子に「な!!」と目を向けたので、B君とうちの息子は、やられたりやりかえされたりの泥沼の関係でもなく、普通に遊んでいることがわかりましたので、安心しました。たまに先に息子が帰るときにB君と会えば、B君は息子に「バイバイ」と言って手を振ります。
それで十分なんじゃないでしょうか。


子供は大人よりももっと自分の感覚で友達と付き合っているはずです。損得もない、ただ「こいつといると楽しい」という感覚だけを頼りに。
大人は情報でおつきあいするところがあります。でも子供に情報は意味がないのです。その子の持つ感受性や、生きるパワーの方向性が似ているものが互いに係わり合いを持とうとするのです。
だから、私も正直言ってそんなことを聞かされて、Bくんとつるむ息子のことが心配になりました。でも、「やられたらどうしよう」と言う心配をしている自分に、自分で笑えました。
これこそ、親のエゴなんだってことです。
親はどうして、子供のことを「やった、やられた」ですぐとらえようとするんでしょう。やられたらどうしようと思っている親の子供に限って、実は乱暴だったりすることだってあるかもしれません。
真実は子供の世界にあるんです。
もちろん、わざと怪我を負わせたり、何度も痛めつけるのは論外ですよ。
でもね、子供の世界のことをもっと広い目で見なくては、つい被害者意識丸出しにするのは、ただの親のエゴとしか言いようがないのです。
子供を信じると言うことは、親が自分の支配下から、子供を外の世界に出してあげることじゃないのでしょうか?
私もどこかでAくんのお母さんがもらした情報に振り回されようとしていました。違和感を感じながらも、でもどこかで息子のことを丸ごと信じていなかったんですね。でも、そんなつまらない疑惑なんて捨てちゃえばいいと、日々、私の中でその答えが大きくなっていきました。


親の価値観は多々あります。親が無償の愛で子供を愛している感情もよくわかります。どんな親もそうでしょう。
傷つけられたことを責めるのは簡単です。子供がやられたことを言いたくもなる気持ちもわかります。許せないことですよね。
でも、その気持ちと同じくらい、わが子の耐え抜く力や、子供が人と交わろうとしている力を信じてあげなくてはと思います。


親がブロックをかけてしまったら、成長はそこで終わるんじゃないでしょうか。私は、完璧な親ではないけど、「これをしていい、いけない」という判断を自分でちゃんと持っていると確信があるからこそ、息子の交友関係を信じるのです。自分の感覚にずれがあるなら、自信どころではないかもしれないけど、親の「これは違う」というセンサーがきちんと働いているなら、子供にもちゃんと伝わるものなのです。


子供の世界に口出しはできないからこそ、もう母親としてできることは限られます。自分の善悪や美醜の基になっている感覚を、他人の意見に負けずに、これからも生活の中でその基準を守っていくことです。信念というべきかな。骨というべきか。自分の判断力ともいうべきか・・・。


いろんな意見があると思いますが、子供を信じるというより、自分の感覚をもっと信じなさいということなのでしょうね。子育ての悩みは意外と解決はシンプルなのものかもしれません。母親の生き方が子供に投影されるだけなのだから、人間として恥ずかしくない生き方を追求すればいいんです。


少なくとも「乱暴な子」だと聞いて、警戒するのはもう止めてみます。その奥にある、もっと違うものを子供が気づいているのかもしれませんしね。





私は寝る前、毎日ドリーン・バーチュー博士の「大天使オラクルカード」を子供に引いてもらい、それを枕元に置いて親子三人で天使様のサポートをお願いしています。


息子は夢でうなされることが多かったので、大天使ミカエルの「You Are Safe(安全)]というカードを枕元に置いてあげて、ミカエルはとても強くて勇気がある天使様で、お前を守ってくれるから、辛いことがあったとき心の中でミカエルを呼べばいつでも来てくれるよ、と話したら、不思議なことにミカエルのそのカードを引いて枕元に置く日は夢にうなされることがなく、息子は自分の守護天使様=ミカエルだと信じています。
そんな息子に触発され、娘もミカエルのカードを奪い合います。でも娘は女の子なので、やはりアリエルやジョフィエルのカードを引くのが嬉しいみたいですね。でも、なぜか娘はラジエルが多いです。絵柄のラジエルはおじいさんなので、娘はラジエルのカードが出ると「昨日も引いた!」と乙女としてはやや不満な部分が・・・(笑)


そんな息子がプールで怪我をしました。電話連絡が入ってあわてて学校に駆けつけると、右目の端、本当に目の境目ですね。その部分が切れて出血している息子がいました。どうやら一年生は水に慣れるため、水に沈む素材(石とコンクリートを足して2で割ったようなもの)でさかなの形をしたものなどをプールに投げてそれを拾うゲームをするらしいのですが、最後の自由時間にそのおもちゃが息子の目に当たったのです。とりあえず、家に連れて帰り、お昼休みをさせて(といっても隣の家の子達と無邪気に遊びまわっていた息子です)病院に連れて行きました。遠くでしたが、形成外科と眼科が一緒になっていて、四月に開院したばかりのきれいな病院でした。



そこで目の検査をし、視界に異常はなかったものの、切れた部分が思ったよりも深く、肉が出ていたので、先生は「これは縫うしかないですね」ということで、初めて息子は「縫合」の洗礼を受けることになるのです。もちろんその前に麻酔をしますが、その麻酔は目の端、傷のすぐそばに刺すものですから、見ている私のほうが倒れそうな光景でした。


さすがにこれは痛い。負けず嫌いの息子が泣き声を立てたので、とっさに私はハートに手を当ててミカエルを呼びました。しかも急いでいたのでつい、声に出したので、お医者様はなんなんだ?と思われたでしょう。 でも、きっとミカエルが応えてくれる。 息子は一瞬ひるぎましたが、麻酔を終えた後は、「ちくちくする」といいながらも縫合を乗り越えました。


お医者様の話ですと、目に当たったとしても大変だったけど、あと一センチ当たるのが上にずれていたら、視神経をやられて視力が低下してしまったそうです。それを聞いて、不幸中の幸いか、息子を守ってくださった存在に頭を下げました。


帰りの車の中で、「痛かったけど、大怪我しないようにミカエルが守ってくれたんだね~。絶対勇気をくれたんだ。もしこれからお母さんがいないときに、辛いときや、痛いときはミカエルを呼ぶんだよ。お母さんはいつもそばにいてあげられるわけじゃないけど、ミカエルはいつもお前のそばにいるからね。ミカエルは強くて、優しくて勇気のある天使だから。」


そしたら、普段学童保育や学校生活のことは話さない息子が、お友達にやられたことを急に告白したのです。
「オレなんにもしてないのに、やられたけど、オレは頑張った。やり返さなかった。そのときミカエルを呼んで我慢した。」ちょっとびっくり。でも、生活のちょっとした部分に、心のちょっとした隙間に、天使さまの存在スペースをちゃんと作っている子供に私が驚かされるばかりです。


子供こそ、無防備な存在だけど、大人よりも善と悪をよく知っている。でも、いつかそんな「目に見えないものを信じる」ことを子供たちは放棄するのであっても、今このときを見つめてくださる天使さまに大いに感謝しています。


子供の世界の中で「傷を負う」ということは恐れることではないのです。それを恐れていては、何も始まりません。ただ、自分を守る存在、守護霊様、守護神様、天使様はいつもそばにいて、ちゃんとその子を守って、強くしてくれているんだと感じます。
親として、子供を守護してくださる見えない手に感謝したいと思います。親は大体、もっと自己中心的なものが多いので。怪我をしたとしたら、「誰にやられた」とすぐに思ってしまうし、つい被害者になって振舞おうとします。客観的になれないのは仕方ないのですが、だからこそ、こうした存在に素直にサポートをお願いしようと思うのです。


私たちの届かない部分を、守ってくださってありがとうございます。
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
最新コメント
[01/09 雨音]
[01/08 papa]
[10/28 雨音]
[09/16 sepi]
[02/07 雨音]
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
Powered by 忍者ブログ * [PR]
* blogdesigned by Mei Fukui.