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占い師としての成長日記
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この「依存症からの脱出」を書こうと思ったきっかけは二つあります。


9月の中旬、私は輝夜師匠に破門を言い渡されました。あまりにもショックで、でも身に覚えがあるために言い返すこともできないのは確かでした。


輝夜師匠は破門を言い渡す前、私にこう言いました。


「私は雨音さんに今後、回答をたやすく与えないようにするつもりです。雨音さんは以前自分でも言っていましたが、私を頼りすぎています。本気で自立をしようとしないと、この先プロの占い師として、ヒーラーとしてやっていけないと思います。
雨音さんはモチベーションを高め、これからも頑張っていくと決めました。ですが、ここ数日私から見てモチベーションが下がっているように見えます。モチベーションを保ち続けることが出来るか否かは雨音さんの自覚の問題で、私にはこれ以上どうすることも出来ません。しっかり自覚し、頑張ってもらいたいと思います。」


ぐうの音も出ないってこういうことですよ。


「雨音さんの選ぶべき道は二つです。私とやり取りしながらも自戒し、自立するための覚悟をしっかり持つか、いつか帰れる場所として私をキープしながらなんていう中途半端な形ではなく、本当の意味で孤独になることを選ぶかです。私と関わりながら自立するのも大変かもしれませんが、私に破門され、二度と関われない中で自立しようとするのも同じように大変です。覚悟というものは厳しさの中で育つ力です。自分に甘い環境下ではいつまで経っても育ちません。雨音さんは私といると甘えが出てしまって覚悟が育たないのですから、破門しかないでしょう?」


このときはさすがに・・・もうだめだと思いました。もうね・・・それこそクラクラしました。いったい私は何をやってきたんだろうって。占い師になれたことに満足しきってて、覚悟を育ててもこなかったんだなって。これだけのことを言われなければわからないのですよ。いつもそうなんです。尊敬できる人の背中を見て走ってきたけれど、結局自分の試練は輝夜師匠に処理してもらっていたんです。それは今に始まったことじゃない。もっともっと、私が小さいときから・・・二つ上の面白い兄に構ってもらって何の疑問もなく楽しく過ごした子供時代に、忙しくても私を大事に育ててくれた両親、金銭的な苦労を一切かけさせないようにと私は裕福ではないけれどそれなりのことを施してもらってきた娘時代。私の基盤はみんなが自分を大事にしてくれたり、いろいろしてくれるような環境でした(断っておきますが金銭的なお嬢様ということではないのです)。会社を決めるときも親に助けてもらって、困ることがあれば親に解決してもらって、庇護してもらうのが当然の流れだった私には、「真剣に悩み真剣に考える」という場面がなかったんですね。その真剣さをはじめて行ったのが夫婦としての問題が出たときだったのかもしれません。誰も助けてくれないし、味方もいない中で苦しんだ毎日は、今まで私の人生にはない初めての孤独でした。占いの勉強は仲間もいたし輝夜師匠もいた。私は本当の意味で孤独になって、自分を知ることもなかった。だからこうやって大好きな人に突き放されなければ理解できないのです。これだけのことを言われなければ目覚めないというのはかなり問題だと思いませんか?私は精神的お嬢ちゃまだったんですよね。


でも面白いというか、不思議なことに、私の中で「じゃあ占いをやめよう」って気持ちが一ミリも湧かなかったんです。輝夜師匠と離れても占いは辞めたくないと思ったし、離れてもやれることを証明していくしかないなって(できるかどうかは別として)、破門を受け入れる気持ちでいました。親に「出て行け」と言われたら、出て行かねばなりません。


結局、破門にはならなかったのですが、私の中で輝夜師匠と自分のことをもう一度考え直したいと思える事件になりました。偉大な親を持っているとその恩恵に甘える二世のようになるのか、親の七光りだけで進もうとするずるさを身に着けてしまうのか、それとも親のくれた魂を受け継ぎながらも自らの道を切り開こうとするのか・・・。


そしてもうひとつ、その後のやり取りの中で指摘された私の弱点がこの日記のきっかけになりました。


「雨音さんって躓くと、すぐにこうして私に何でも聞きますよね?どうしてもっと時間をかけて、自分の力で知ろうとしないんでしょう。」


「自分で熟してくるまで良く考え、結論を出す努力を全てにおいてし続ける努力を雨音さんはすべきです。そこに雨音さんの求める力もあります。カップヌードルのように即席で得られるものの中に雨音さんの求める答えも力もないのだということを、そろそろ理解してください。」


いわゆるひとつの事例があれば、それについての感想は書けるんですね。
先日私はブログで「パトロールに立つ朝」というタイトルで、茶髪にピアスの小学生を発見した話題を書いています。あのブログは突っ込みどころが満載だと言われました。
あの日記に書いているのは一方的な角度からしか見ていない私の感想なのです。なぜ彼が子供らしくない格好で登校するのかを、もっとじっくり研究し、それこそ多角的に調べ、私なりの理論を出さねばならないと言われました。


私の価値観「茶髪にピアスなんて格好をさせている親はロクなやつじゃないはずだ!」=「私の価値観は正しい」という目でしか追求していないのです。自分が正しいと思っているうえでの価値観でしかない。もし、クラスの大半があの男の子のように茶髪でピアスをしてきたら、うちの息子の真面目な格好こそが浮いてしまうし、それこそ格好が原因でいじめられるかもしれないです。そのとき私は息子に私の価値観を押し付け続けることができるでしょうか?今のところ茶髪小学生が少数派であるだけで、時代が変わって彼らのような自由な主張が広がっていくなら私の価値観こそ転換を図らねばならなくなるかもしれません。
また、茶髪にピアスにランドセル放棄の小学生がどんな背景で育っているのかという考察が浅いのですね。だから一方的な感想に終わってしまって、突っ込みどころばかりの文章なんです。


「考察する」・・・これこそが私のこれからのテーマなのかもしれません。だってハッキリと苦手意識があるものです。


そして一番身近な存在なのにもかかわらず、もっとも考察が足りない自分自身を元に、切り口を見つけたいと思ってこのブログを書き始めました・・・。依存している自分、考えの足りない自分、考えの足りない部分を他の人に助けてもらおうとする自分・・・自分の歩んできた道を振り返ればそこにヒントがあるかもしれません。今までそんなことをしてこなかったので、上手に書けるかわかりませんでしたが、歩みを書き記すことで私の中で次々とはじけていくものがあったのは確かです。


少なくとも夫との事はよく見えるものがありましたし、「夫婦とは?」「結婚とは何なのだろう?」という新しい問題が湧き上がってきたので、今後自分の中で自分の人生を通して考察していく題材だと思っています。結婚問題は・・・ある意味私の一生の課題ともいえますね。これが自論を展開できたら強いですよ。この環境だから追究することができます。過酷な環境に生える生物ほど根が強いのと一緒ですよ。ああ、この環境はありがたいことに私をたくましくさせてくれるものなのですね。


そうですね。そんな風に現状に感謝できるとまた私も変われますよね。
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先日のブログでお伝えした我が家の稚拙な夫婦喧嘩。
ブログを書いていた段階では、落ち着いていたつもりでいたのに。かなり感情で書いていたことがよ~~~く見えてきました。


どうしてこんなふうに事が起きるとすぐ乱れるのか。


①自分の中で本当の意味で、彼ら(夫や義父母)に対する怒りが消化できていないために、やりとりをまじめにやってくれない等、S家の伝統?なのかと思うくらいのことをされたりいわれるとすぐに頭に血が上る。


②それはどこかでやり込めてしまいたい自分がいるから。
ギャフンといわせたい、私の正しさを貫き、私の前で屈してもらいたいと密かに練っている私の計画があるから(女王様か?!)


③そうか・・・私はある意味女王様なのかもしれない!
自分の思うように事が進まないとイライラし、与えられた環境に不満を言い出し、なおかつ自分だけは悪くないと、わかっているけれど認めたくないのかもしれない。私にも悪いところはあるが、でもあなたよりましだ!と言うのが私の本音だと思うのだ。


④もしこの結婚環境が私にとって必要だから与えられた神様からのトレーニングマシーンだとしたら、やっぱり不満は言わず黙ってトレーニングを積んでみるしかないのかもね・・・・


そこで学ぶものはきっと、自分を守ることと、相手を責め立てることは違うということ。相手の欠点を知りながらも、でもそれをいちいち不満としてあげて生きるより、そんな相手に流されないでしっかりと説明できる自分を創っていくほうがよっぽどいいかもしれません。
そのスキルが足りないんですよ。


実はすごく土曜日以来モヤモヤしてしまって、というか昔の自分に簡単に戻ってしまったような感じがするのがとても気に障っているんですね。せっかく頑張ってきたのに、一瞬の噴火ですべて台無しになったことがくやしい。ホント、短気は損気です。


私はあの夫を許していないし、あの夫にまつわる環境も拒絶している。
それを認めて、また再スタートです。簡単に許せる問題なら、今頃こんなことウダウダ記載していませんものね。根が深い問題には、またこうして向き合わねばならないことがあります。まるで自分の進度をテストされているみたいですが。まだまだ・・・夫への対応には私の感情が丸出しであるし、私の意見はすごく攻撃的で一方的でした。もちろんちゃんと伝えられたところもあるけれど・・・。


落ち着いて考えれば反省ってちゃんと浮かんでくるのに、なぜそのときにそれができないのかと思うと、結局は人間、自分が攻撃されたくないと思うからまず自分を正当化し攻撃することから先にやってしまうんですね。なぜ先に攻撃を加えるのか・・・やっぱりそれは弱いからですよ。弱い犬ほどよく吠える、ですからね。
昨日は占いの会議の日。月に一度だけの私の貴重な私の学びの時間です。輝夜師匠のお宅までお邪魔して、子供たちは夫にお願いしています。


しかし、事件が。
私より先に家を出た夫からメールが「鍵を忘れて家に入れない」。だからどうしてほしいとも書かれていないメール。帰って来いなのか、それとも実家に行くよなのか。私の帰りは夜遅くなることは知っているので、私が夫の立場だったら都内の自分の実家に遊びに行きます(夫は消防やなんやらでしょっちゅう実家に帰っていますしね)「実家に行ってくれば」とメールをしておきましたが、音沙汰まったくなし。再度電話したら、うろうろ歩き回っている、実家になんて帰っても仕方ない、遅くなるんだよと言ったら「わかっているから」、挙句の果てに「うるせえ!」とガチャ切りされました(苦笑)。これでは話になりません。


そういったこともあり、昨日は帰宅してから話し合いです。
といっても、夫は話し合いなんてうざいだけだと思っている人なので、話し合いになるはずもなく、「ハイハイ」を機械的に口にするだけですよ。
挙句の果てに「うるさい」ですよ。


悪口を書いてはいけないのかもしれませんが、こういった時の夫の態度は、夫の両親の夫婦関係そのままをコピーしているんじゃないかと思えるくらい受け継いでいるんですね。


ありがとう、ごめんなさいね、その言葉を言わない両親。
配偶者の言葉に耳を傾けず、ひたすら焼酎を飲んでテレビを見て一人で笑って、孫を一回も抱っこしない義父。
「私はこうだった。あれもしたし、これもした」と自慢ばかりで自分の意見をしつこく私に押し付けようとする義母。
夫と話していると、背中にいる義父や義母とも話しているような気持ちになる。だから私は屈したくないんです。納得のいかないことがS家ではいっぱいあって、かばってももらえなかった。自分で自分の身を守らねば、ただいたずらにうらみつらみが増えていくだけです。


うらみつらみの塊になることと、自分が正しいと思うのなら、相手に何を言われても屈しない姿勢になることはまったく違うんですね。


ハッキリとわかるのです。なぜこの家に入ることになったのか。気弱な私では、後ろ向きで自信のない私では、この中で私の一番大事な意思を守れません。私を守れない人間が子供を守れるわけもありません。話し合いのできない人たちに従い、恨みを込めた人生など送ってはならない。
愛から学ぶものもあるけれど、愛のない状態でも学ぶものもあるはず。


夫とは日記にも書きましたが、今までいろいろあったことは私なりにもう消化して忘れていこうと思うのは確かですが、でも話をいきなり拒絶されたり、「うるせえ」と怒鳴られるのはたまりません。なんとか我慢して頑張っていこうと思う気持ちをくじかれた感じですよ。


でも私は自分が「おかしい」「納得できない」と思ったことを曖昧にしてはならないのですね。それは過去のこととはまったく別なのです。


江原さんが「結婚は人生の修練場」といいましたが、本当にそう思っています。
私は今まで自立しておらず、考えも浅く、自分には何もできないと思っていました。人の顔色を伺い、気に入られようと努めてきましたが、そんな考えを改めるような家に嫁ぐことになりました。これが私に課せられた役割ならば、逃げずに果たしていくだけです。私の自立の道だから。
レイキを学ぶようになって、私の中に一本の芯が出来上がってきました。それは「絶対に占い師になりたい」という目標です。輝夜師匠の教えがどんなに厳しくても、絶対に負けたくないという私がどこからかやってきて、弱気な私を叱咤します。注意を受け凹むとき、「この師匠のおっしゃることは正しい。素直に聞いてみなさい」と理性の私が呼びかけます。それと同時に、輝夜師匠の教えの数々も私の中で芽を出し始めました。偉大な師匠といつか同じステージに立ちたい。それが私のエンジンをかけさせたのですね。


実戦に入ることで見えることがあります。
数々の苦しい授業もメール鑑定も掲示板のやり取りのことも、すべてはこの仕事に向き合うための強さと感性を育てるためにあったことなのだと把握できるようになったんですね。プロという看板を背負わせてもらい、ようやく輝夜師匠の厳しさの理由がわかりました。輝夜師匠があのときどんな歯がゆい思いで私たちを見つめていたのかも。占い師になることはできます。試験をパスすれば。でも占い師であり続けるためには、そんじょそこらの小手先だけの勝負は通じません。だって相手は苦しみや葛藤にさいなまされている人物なんですよ。占いだけでは通用しないことがたくさん出てくるんですね。


占いとは関係のない一般市民の皆さんや、占い師になる前の私が考えているよりも、占うってもっと違うんですね。電話鑑定の現場は生身の人間の泥臭い部分丸出し裸一本勝負の現場でした。相談者だけが裸になればいいってもんじゃないんです。向かい合う私も裸にならなくちゃいけない。裸になることを恐れても恥ずかしがってもいけない。そうしなければ相談者は私を信頼して裸になってくれないから。裸の自分を知らねばならないし、裸になった自分を認めなければできない。それこそ究極に言えば、人間が一番の占い道具ですね。タロットを読み解くのはタロット解説本じゃない、私なんですよ。


そういう風に思えるようになったのは、一番最初のF社の鑑定よりも、今の所属のA社に入ってからです。一年間のF社の在籍期間は、相談者に振り回されたり、電話を待つ時間があまりにも長かったり、家の中はトラブル続きで精神的にひどく落ち込むことがあったりで自分なりの職業観も満足に育てられませんでした。


F社の欠点は集客力がなかったことです。それから「霊感・霊視」系の鑑定士に比重を置いていること。昼間鑑定が回ってくることなんてほとんどありません。知名度も低かったせいかもしれませんが、待機しても待機しても何もないので、さすがにF社とこのまま契約することはできないな。なんとかしなければならない・・・と思うようになりました。
F社に所属している間に、夫婦決裂状態の話し合いがあり、夫の実家を出ることになりました。精神的にひどい状態だったので、一ヶ月くらい休みをいただき鑑定はほとんどできない状態でしたね。それも響いたのか、鑑定件数がぐっと減り、ついには一週間に一度という状態に陥ってしまったのです。これでは経済的にやっていけません(苦笑)。


人事の人はよく相談に乗ってくれたのですが、やっぱり鑑定のできない会社は卒業しなくてはならないのです。実家を出て、私たちだけで暮らし、ようやく生活が一段落したころ、私は思い切って、念願だった輝夜師匠と同じ大手の電話占い会社であるA社のオーディションを受けました。いただいたお返事は合格!ようやく・・・ようやくこの場所に立てる・・・。電話占い会社の大手であり、会社自体もしっかりしているA社の鑑定士になれることは、鑑定士として生きるには最高の舞台でしょう。
もちろん輝夜師匠は喜んでくれました!私も、輝夜師匠と情報交換をし合えるので、とてもやりやすいし、電話占いというのは鑑定士が在宅で行うものなので、在宅で仕事ができるメリットもあれば、他の状態がまったく見えないということもあり、こういった情報をやりとりできるのは非常に心強かったです。私にとって、A社と契約することはひとつの目標でした。輝夜師匠と出会ったタロット講座はそのA社が主催していたものですから、10年前からA社は私にとって目指すべき山だったのです。
そして、鑑定士としてデビューしたその昼間から、信じられないくらいの鑑定件数を回してくれます。世の中、こんなに占いを必要としている人がいるなんて!改めてA社の集客力に圧倒されました。


でも、鑑定をこなせば弱気になることはたくさんありますよ・・・。
「当たらない」「他の鑑定士さんはそんなこと言わなかった」「何を言っているのかわからない」「(強い口調で)何でなんですか!」そのたびに、「・・・(沈黙)」と言い返せずにお客様に負ける自分が悔しかったです。
フィーリングのいい人ばかりでもないし、朗らかで明るい人たちばかりでもないし、耳を素直に傾けてくれる人たちばかりではないからです。そんな相談者を目の前にして、自分が「言葉を失う」ことは屈辱的なことでした。占い師としての力量不足は、そのまま自分の人間性の不足と思えます。今答えがほしい人に対して、自分は何を言えばいいのかわからない、この悔しさってわかりますか?相談者に振り回されて電話を切る自分の空しさ、鑑定士として信頼されていないんだと思ったときの悔しさ。全力を出し切れば後悔などないはずなのに、話を聞くだけで終わってしまって、無難にまとめたときの自分に対してのなんともいえない自己嫌悪。


そんなときはいつも輝夜師匠に掲示板や電話で励ましてもらっていました。大先輩ですからね。でもね・・・・私はずっとこれに助けられ、占い師生命を守ってきたけれど、いつも答えを自分で探さないで、輝夜師匠にすぐ相談してしまって、「こう思ったんですが」という結論ではなく、「こういうことがあって辛いです」でいつも投げていたんですね。答えをもらえるとわかっているから甘えてしまうんですよ。私の依存はこんなところにも大きな影響を与えていましたし、輝夜師匠と向き合うことで、私は親にも友達にも夫にも子供にも占いの仲間にも甘えっぱなしで、自分の人生なのに何一つ自力で成し遂げたことがないような気がしてきました。唯一この道だけを挫折しないで来ているものの、それくらいしか貫いたものがないのです。しかもそれだって辞めたい日々の連続でしたしね。結婚生活は挫折寸前で、夫にも自分にも嫌気がさしていたのに。
でもその占いの現場で相談者に伝える言葉は、実は輝夜師匠の受け売りだったりして、私の言葉じゃないわけですよ。でも私の中に私の言葉がないんです。今までの人生で苦労したことがないから、自分の言葉や自分の感性そのものを使ってこなかったんですね。


だから輝夜師匠の感性にすばらしさにほれ込み、弟子入りしたわけですか、どんなにすばらしい師匠の下で学んでも、結局自分の人生にしか実戦の場所はありません。輝夜師匠の言葉は輝夜師匠の人生と感性のコラボレーション。私の言葉は、私の人生の言葉・・・?自分のことは自分の頭でとことん考える(あ~苦手。だから今まで逃げてしまったんでしょうし)それが自立への大事なヒントだったんですよ。
ここのところパソコンの不調で、携帯からの更新だったり、昨日はパソコンがほとんど動かなかったので、気持ち的に日記を更新する気持ちにもなれなくて、ずっと単なる近況報告で終わってしまってすみませんでした。


さて、気合を入れ直してまた書き綴っていこうと思います。


しかし、ずっと現在も占いを輝夜師匠の元で学び、継続している私にとって、占いにまつわる勉強のことを掘り下げることは、客観的になれない難しさが伴います。まだ渦中にいるからですね。でも、敢えて今はそこをじっと見なければなりません。私の弱さと、逃げの姿勢や自信のなさがどこから来るものだったのか・・・。自分がいかに弱かったのかも。


「占い師でない時間も占い師として生きなさい」
これが輝夜師匠の格言でした。


しかし、そう言われても、私の心の中は「でも」で始まるものでした。
「でも、輝夜師匠は実際占いで仕事をして、占いで食べているじゃないか。占い一本の生活だからそういう事が言えるのかも知れないけれど、私は占い一本の生活なんてできないよ!!」と常に考えていました。
私自身はそのとき占いで仕事をできる状態ではまったくなかったし、目処もつかなかった。「ムリ!ムリ!」とお手上げ状態。逆に「輝夜師匠はどうして私の事情を知りながら、こんなことを言うのだろう。」と輝夜師匠に対してずっと反抗していました。「私はみんなと同じようにできない時もあるからわかってほしい。私には時間がないからそれを汲んで欲しい。」それが自分の心の中の大部分を占めていました。当時一緒にいてくれた仲間の一人とよくメールで愚痴を聞いてもらっていました。
そうやって自分を甘やかしながら、でも面白いことに完全に逃げ出すこともせず(逃げ出す勇気もなかったのかもしれません)まるで激しい嵐の中、ボロボロのいかだで海をさまようような心もとない毎日を過ごしていました。続けるにも辞めるにも納得がいく理由がない私でしたね・・・。
反抗しながら(でもそれは表には見せず)、宿題をこなしていた、という状況だったといえるでしょう。


そして、これが一番きつかった!運営サイトである「月の占術館」ではくじ引き当選者に無料メール鑑定を行うという企画がスタートしました。


この無料メール鑑定は、正直言ってあらゆる無料鑑定の常識からは考えられないくらい、非常に細かい点までびっちりと書き上げたものを送信しています。どの人が鑑定の当番になってもそれは一緒でした。まずくじ引きで当選した人から、メール鑑定依頼が届きます。無料でおこないますが、その代わりに結果をブログで公開させていただいていました(もちろん個人情報は仮名で)。このメール鑑定は「無料だからと言って手を抜かない。」というのが輝夜師匠の基本方針でした。また誰が鑑定しても、すぐに送信せず、掲示板で輝夜師匠やみんなの添削を受けます。受付けてから一週間以内に返信することになっていましたが、一発で鑑定が合格することはなく、それこそ二、三度書き直すのは当たり前で、修正にもかなり時間がかかります。内容がきめ細やかなだけに字数も半端ではなく多いです。みんなの添削を受けて、また修正し・・・その一週間はほとんどかかりきりになります。私はこのとき、子供たちと20時に床につき、夜中の2時に起きてパソコンに向かう生活を始めました。メール鑑定をする当番でなくても、他の人が仕上げた鑑定の添削をしてあげなければなりません。私の生活は一気に目が回る忙しさになりました。昼間は子供のために、早朝は占いのために。自分が当番に当たると、それこそ本当にパソコンの前で何時間もうなり、添削を受けて落ち込み、再々提出の末ようやく送信が終わってほっとしたのもつかの間、すぐに次の鑑定が入ります。それと同時に相変わらず苦手な掲示板当番もありましたし、メール鑑定のやり取りもまた別の新しい掲示板で行いましたので、それこそもう苦手に囲まれているような生活。無料鑑定ですからどんなに時間を割いても何かバックがあるわけではないのです。しかし内容的にはかなりクォリティの高いものを送信し続けてきました。


本当の意味で、私たちがプロとしての第一歩を踏み出したのもこの無料メール鑑定でした。


確かにしんどかったです。今思い出しても、よくやってきたなあと思う。でも、あの苦しさを自分なりに創意工夫して時間を作り出して乗り切ったことや、締め切りに追われながらも、一回もそれを破らずに済んだことは、私の中で一つの収穫でした。無料メール鑑定と同時進行で有料メール鑑定も始めたのですが、輝夜師匠へのご指名の鑑定依頼が圧倒的で、また指名でなくてもすべての鑑定に輝夜師匠は添削で関わっていたため、その負担は半端ではなく、最終的にはメール鑑定は閉じることになりました。
鑑定の文章の組み立て方は拙いものだったし、四柱推命やタロットの読み方もまったく素人に近かったけれど、それでもあの一生懸命やった日々は、月の占術館時代の最高の思い出です。今も所属している会社でメール鑑定が時々回ってきますが、あの時鍛えられたおかげで、詳細にわたった鑑定をすぐに出せることができます。あの経験は、私を一つ変えていきました。苦労が人を鍛え、変えていくんですよね(まあ、当時はメール鑑定が入るたびに全身に冷や汗かいてましたし陰で泣いていたのにね・笑)。当番じゃなくても添削係を担当するのだって大変でしたからね・・・。


でも、まったく素人に近い私たちの稚拙なあの鑑定文を、最終的には完璧な作品(?!)に仕上げた輝夜師匠のキメの細やかさは、文章の書き方も含め、とても参考になりました。


わかりやすいことを心がけなさいということで、素人さんが見てもわかりやすく、納得のいく文章を作るのは大変な作業でしたが、あの試練は今、プロとしてやっている私のゆるぎない基本の部分です。「なんちゃって占い」をたとえ無料のメール鑑定でも許さなかった輝夜師匠のその方針が、鑑定士としてのプライドを育ててくれたことは確かなのですね。


しかし・・・その中で一番辛かったことは、共に走ってきた仲間が、抜けていくことでした。


私なんかよりもずっと芯が強く、また時間的にも余裕があると思われる人が、悩みに悩んだ末、抜けることもありました。
大変だったメール鑑定を一緒に乗り越えた仲間ですが、体調不良に足並みを乱され辞めていく人。これ以上頑張れないと言って辞めていく人・・・それぞれの事情がありました。そのたびに「一緒に頑張ろう」と言ってきたけれど、やはりそれは自分が助けてもらいたくて、支えてもらいたくて、輝夜師匠と向き合うエネルギーが不足していたから、仲間と依存しあっていたいから出た言葉だったのかもしれないと思います。辞めると決意した人たちにはそれぞれの理由があり、私には止めることなどできません。でも残されるのはたまらなく辛かったし、心細かったですね・・・。


一番仲良くしていた方が辞められた時、本当に力が抜けましたし、一瞬「どうしよう」と思いました。いつだって辞めていいと思っていたのに、でも一緒に辞めることもできなかった。彼女がいないから辞めるという生き方は許されないと思っていました。それこそ、何のために今までここまで頑張ってきたのかわからなくなります。残るのは、せめて自分の意思で残りたい。彼女は彼女の道。私は私の道・・・心細い中でも、続けることを選んできた何百回目の分岐点だったのでしょうか。


心細さと輝夜師匠にいつも注意されて凹むことで前が向けなくなっていたけれど、やっぱり自分の意思は「続ける」と選択してきました。自分の意思というより、もっともっと大きなもの、わかりやすく言うなら私の中にいる私の神様のような大きな存在に「やめるのは正しい選択ではない」といつも言われてしまうんです。自分の中にはもう一人の正しい選択ができる自分がいて、感情や一時的な失望に振り回されたりしない堂々とした自分は、脱落する自分をいつも救い上げてくれるんですね。


そんな風に考えられるようになったのは、きっと2005年四緑木星中宮の年にレイキをアチューンメントしていただき、レイキヒーラーとなったことが原因かもしれません。レイキは、確実に、ゆっくりと私の中に沁み込み、投げやりで逃げたい私を変えていったのです。レイキによって、輝夜師匠の厳しい言葉や今までの辛い時間が、自分の中で宝石に変化していったといったら書きすぎでしょうか。レイキが私を内面から変えていった。それは絶対に確信があるのです。


いつしか、落ち込んで途方にくれる自分を励ましてくれるのは仲間ではなく、自分で自分を励ますようになっていきました・・・。そして、仲間が抜けていくたび、輝夜師匠と自分との絆が深まっていきましたね。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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