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占い師としての成長日記
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私はスケジュール帳というものを使用していませんでした。そんなに書かなければならないようなスケジュールなんてないし(笑)、カレンダーに書き込んでそれでスケジュールを管理していました。


ところが昨年末、千趣会からなんとかのメンバー(すいません、よく覚えてない)だったらしく、2009年の手帳が届いたのですね。それが結構使いやすそうでかわいらしかったので、まあ、今年は手帳でも使ってみるか!と思い、届いた日に手帳を使うことを決意。


その最初のページに、
「一年後のなりたい自分をイメージして書いてみましょう」という質問と、自分の希望を書き込む欄がありました。
2009年にかなえたい自分のことを書けばいいわけですね。
「新しくチャレンジしたことは何ですか?」
と言う質問に「異なる世界の人たちとの交流」と書いておきました。


ところが、私はとにかく三日坊主です。
その手帳は1月から3月まで日の目を見ることはなく(笑)、机の横にずっと置いてありました。
そのなりたい自分のイメージも忘れていたのですが・・・。


しかし、子供たち2人が入学し、事態が急展開です。送迎の手間は省けたものの、今年は息子か娘のクラスでPTA役員をしなければなりません。暗黙のルールで、わが校では兄弟の数だけPTA役員をしなければならない、という決まり?があるみたいです。加えて、クラス替えでいろいろ変動があり、気持ち的におぼつかない状態の息子がいたので、今年は息子のクラスでPTAの役員を、娘のクラスでは読み聞かせボランティアをしようと決めていました。どちらかといえば「やらなければ!」という気持ちより「息子のクラスと関わる」という気持ちが強かったのかもしれません。私って、なんだかんだ言っても心配性なんでしょうね(⌒-⌒)。


クラスから役員は4人選出します。その役員に立候補したのは全部で7人。じゃんけんで役員を決めることに。でもこんなとき、「絶対役員になれる!」と信じて、じゃんけんでグーを出し続け、真っ先に勝って役員になりました(笑)。


その役員四人は本部、校外、広報、学級と分かれます。私はどれをやっても同じでしょ?という認識だったので「あ、どれでもいいですよ。」と言ったら、「え?!じゃあ本部でいいの?本当にいいの?」と周囲の人がびっくりしました。「え?そんなに本部って大変なんですか?」といったら「そりゃ、本部が一番大変に決まっているじゃない!」と知らない私に驚かれました。


そして次は、学校の本部となってしまったら全校の本部役員が一同に会し、今年度の役員決めをします。本部はPTA会長を中心にした学校の核となるようなメンバーですから、当然校長先生と副校長先生も会議に同席。
エライことになってしまった・・・(汗)。


でもこの本部役員の会議に出席してびっくり。役員として選出されてきたメンバーの半分は読書ボランティアのメンバーのお母様で構成されているんです。
なので本部役員の会議とはいえ、皆さんとは面識があり、PTA会長さんや副会長さんもすごくお人柄がいいかたばかり。安心して本部のお仕事ができると思いましたし、となりのクラスで本部役員になったお母様は、二年間読書ボランティアをご一緒してきた気さくな方だったので、このお母様と「じゃあ一緒に書記でもしよう」と決めて、役員として一年間頑張ることにしました。仕事を持っているのは私以外にも他にいらっしゃったので、なんとかやりくりして、自分にできる限りのことをさせていただきたいと思います。


二年間、PTA関係はノータッチだったので、運動会やらいろんなサポートを今年はしなければなりません。
またついでのようですが、娘の学年の読み聞かせボランティアの連絡係になってしまい、こちらも先生やボランティアをしたいお母様との連絡や、やり取りもあり、頭が混乱しそう・・・。
ですが、こうやって間接的に子供にかかわり、学校にかかわり、私なりに多くのお母様たちとご一緒させていただくことで、また新しい発見があると思います。


そんなわけで、さすがに私も「これはスケジュール帳が必要だ」と思い直し、PTA役員になった日からスケジュール帳をつけています。そのとき、自分の書いた目標が飛び込んできました。
うん、そういう道すじを歩いているかもしれない。
自分で書いておきながら、ちょっとびっくりしました。


それからもう一つ、ちょっと新しい勉強を始めたのです。
これについてはまた日記を書こうと思います♪


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先日のブログで頭を丸坊主にされてしまった女の子を見て感じたことや、そのあと輝夜師匠に教えられたやり取りを書かせていただきました。


私は自分なりに心が反応して輝夜師匠にお話しした経緯になりましたが、この事件で真っ先に私が考えたことは「なんという親なんだ!信じられない!」という私の意見に賛成してもらいたかったことなのかもしれません。


どうしてこういうことが起きているのか、という事実の追求よりも先に、私の感情に去来したものは「こんなことを普通するのか?ありえないだろう?私はしないぞ。みんなどう思う?絶対おかしいよね?」という「自分の意見に賛同してもらえるだろうという自信」だったかもしれません。
なぜ私は輝夜師匠のようなするどい突っ込みができなかったのか。そこには、私が「私の意見は正しいのよ」という態度になっていたからですね。


そして同時に、知人にメールをいただきました。そのメールには、人間は意味もなく行動を起こしたりものではなく、自分にとっては理解不能な行動でも、その人にとってはすごく大きな意味をもっていたりすることがあるから、その意味を自分なりに追求してみるのが大事なんじゃないかといった内容が書かれていました。


そこでまた私は考えるチャンスを与えていただきました。
そうか・・・私にとっては「なんてひどい。親としておかしいんじゃないの!」と言いたくなることでも、相手にとっては重要な意味があってのことかもしれない。私に見えない部分で、相手の思いはまた別のところにあって、髪を切るという行動に出たのかもしれない(もちろん、それは乱暴な行動だったとは思うけれど)。私の問題点は「ひどいことをする!」で終わり、それを誰かに賛同してもらいたかっただけで、どうすればよかったのか、なぜ親はそこまでしたのか、という思考にまで踏み込めなかったこと。


私が最初から「私の意見は正しいでしょ?みんな絶対賛成してくれるよね。はい、賛成の人、手を挙げてー!!」って思っていたことが問題だったんですね。正しい意見の一つかもしれませんが、そこで終わってしまったから、次につながらないんです。


一つハッキリしたことは、「そうか・・・私は自分の意見に賛同して欲しかったんだ。だからこのお母さんが悪で、私が善という形にしたかったのかもしれない。」もっと突き詰めていけば、そこにエゴがあったのです!!


私の考えは正しい。
だからこんな横暴な行動をとる人はおかしい。
それで終わってしまったから洞察力も、想像力も育ちません。エゴがブロックになっていて、「なぜその人はそんな行動に出たのか」という疑問を消しているんですね。「私の意見は正しいでしょ?ね?ね?」・・・それを言いたかったから、追求ができなかったのです・・・。


劣等感も問題ですが、「私の意見は絶対に正しい!みんな聞いて!」と思ってる自己顕示欲も問題になります。自分に自信を持つことって大事だと思いますよ。でも今回の件で言うなら、何が問題だったのかを問い詰めていくことよりも、このお母さんの行動を引き合いに出して、自分の正当性や素晴らしさを主張したかったのかもしれない・・・。みんなに私を認めて欲しい。そんな気持ちが強く働いたのです。ものすごく新鮮な気持ちでした。


そうか、自分の主張の正しさだけを訴えたいと思う気持ちは洞察力も分析力も培わないし、エゴだけを育てることもあるんだ・・・。そしてそのエゴはどこから来てるものなんだろう。手放せるものなんだろうか・・・。
私の中でまた新しいテーマが見つかったように思います。
自分を優位に見せたい自分。
でもそれはやっぱり劣等感があるから育ったものかもしれません。


本日の感謝・・・
自分だけで考えていると物事が偏ってしまったり、落ち込みがひどくなったり、暴走していることにも気づけなかったりする。でも、私の周囲にはそんな私の姿を鏡で映してくれて「ちょっと立ち止まって考えてみてごらん」とヒントを与えてくれたり、考える時間を与えてくれる人がいてくれる。適切なときに、私の心をズバっと切り開いてくれる。今回も知人のメールをきっかけにまたびっくりするくらいの膿が、いい意味で噴出したように感じた。そして、その自己発見は落ち込みではなく、感動がある。「なぜそうなのか」を追求してこなかった自分の問題点を、今回、私の手で気づかせるように促してくれた知人にありがとう。
「今年を振り返る」というタイトルはちょっと時期尚早かもしれませんが、2008年に何が起きたのかを、もう一度冷静に分析したいと思いまして、恥ずかしながらいろいろぶっちゃけ話などを記載して行こうと思います。きっと振り返っているとあっという間に今年も終わりになってしまうことでしょう!家庭の中の自分、子供との関わりの中での自分、占い師としての自分、輝夜師匠との師弟関係の中での自分、友人と交わっているときの自分。いろんな観点から今年の事件?を切って行こうと思います。


まず一回目は完全にプライベートなことで申し訳ないのですが、夫との両親との同居を解消して一年。初めて私たちが「自分たちの家」を持てたことです。これはとてもハッピーなことだったかもしれません。家というモノを手に入れたということよりも、私たち夫婦がいろいろある中で、一つの目標を持てたことが一番貴重なことでした。


私自身の人生の中でも、そして配偶者である夫の人生の中でも、誰かの敷地に住まわせてもらったり、会社の恩恵で住まわせてもらったような「おこぼれ的」な住居生活から、何千万もローンを組み、通常ではありえない大金を動かし、初めて「固定資産税を払う」立場になりました。


※現在12/4の20:00ですが、知人からご指摘をいただきましたので、説明の記載をさせていただきます。この「おこぼれ的」という表現は、介護などのいろんな事情があって親と同居している人から見れば、この表現は誤解を生じやすいかもしれないというご指摘をいただきました。
言葉不足の部分があったかもしれません。大変申し訳ありませんでした。長くなってしまいますが、説明をさせていただきますね。
少なくとも私の人生はこの場所に来るまで37年間、住居がらみのことで自腹を切って生活してきたことがなかったんですね。実家では親に、東京では会社に、それから結婚後は相手の親のお言葉に甘えてきました。それに感謝できることもなく時間が過ぎていきました。独身時代は会社が住居を用意してくれるありがたさにどっぷりつかり、結婚を機に自活する勇気がなかったことも私の甘さでした。
それは夫もそうでした。夫は二年ほど自宅近所で一人暮らしをしていましたが、結婚することになった瞬間に資金を貯めるために、すぐに実家に戻った経緯があります。私も夫も「家賃を払いたくない」という考えだけで同居を選んだ人間です。私たちの同居は自分たちが楽をしたい、という部分で決定をしただけで、特別な事情もありませんでした。他の皆さんとの同居理由とは比べるのもお粗末なくらいです。もちろん、お恥ずかしながら当時の夫の給料は家族を養える満足な金額ではなく、その会社はかなり経営が苦しかったので、新入社員並みのお給料しかいただいていなかったこともあります。本当はもっと二人で力を合わせて・・・という選択もできたのに、親の恩恵にゆっくりとつかって育った私と夫は、厳しい選択はしませんでした。なので楽を選択し続けた二人だったのです・・・。これはあくまで私たち二人に当てはまる言葉であって、すべての同居の皆さんがおこぼれであるということではありません。表現に誤解を招くような記載をしてしまって、大変申し訳ありませんでした。



私はそんな生活が来るなんて、正直言って夢にも思っていませんでした。両親と一緒に住んでいた渋谷区は土地も高く、一軒家を建てようとしたら一億円です。普通のサラリーマンが普通に買える金額ではないので、共働きでガンガン稼ぐか、よほど名前のある会社の上役にならなければ、同居を解消して近所に住むなんてありえないでしょう。私の頭の中に「出て行く」という思考がまったくなかったし、現実的に(お金の面ですね)無理だという認識が強かったので、本当にここで骨を埋めると思っていました。あるいは私だけが出て行くか(苦笑)。夫の家で、このまま時間が過ぎていくのかな・・・でも子供部屋もないからどうするんだろう・・・・それくらいの認識で暮らしていたのです。自活する=お金がかかる、家賃がもったいない、とう考え方の夫と私ですから、たとえ狭くても、周囲がリッチな方が多くても、ここ以外の生活は考えていなかったのです。


でも・・・そんな流れはやはり壊れました。なぜ家を出たのか、それは同居が嫌になったら家を出たのではないのです。一番の理由は夫との関係が最悪になってしまって、もう手の施しようがないからこそ、生きる場所を変えようということになったのですね。このままでは離婚も・・・という話になったとき、「家を出て家族四人で暮らしてみる」という選択肢になったのです。夫は離婚するくらいなら、実家は大好きだけれど、自分なりに私と子供たちのことを優先したんでしょうね。この家にいると夫はいつまでたっても私の夫ではなく、親の息子であることが私には耐え切れなかった・・・それが、この家からの卒業になりました。


今ではまるで、そんな修羅場のような話し合いがあったことをスッカリ根底から忘れてしまっているような夫ですが・・・(苦笑)。人間って、自分がしたことは忘れるのに、自分が相手からされたことや言われたことは、絶対に忘れないものなんですね。私は少なくとも、夫婦の間でされたことは克明に覚えています。でも夫は記憶にないんですよ(^-^;覚えていない人を責めても余計に腹が立ちます。


それこそ私たちが毎月払える家賃を捜し求めて都心から北上したら、東京の最西端に来てしまいました(^-^;・・・・。自然がいっぱい、東京とは思えない静けさ。人も少なく、今までのネオンは見る影もない場所です。でも・・・新しい場所で私はとても気が楽になりました・・・・。


少なくとも二つの卑屈な感情から開放されたのです。お金や生活レベルに関する劣等感。そして、経済的なことなどを相手の親に頼りつつも、親をうっとおしく思っていた自分の矛盾。


お金とか生活レベルに関する問題は、もうこれは日本のどこに住んでも絶対に発生するんですね。こちらに来ても、恵まれている人はやっぱり出てくるんです。


実は、私は中古でもいいから買いたいな、この地域に住めたらいいよな・・・と思っている場所がありました。
そこは市内でも高級分譲地で、街並みも行き届いていて大変美しい町です。長男の学区内にあるので、その分譲地からから小学校に通う子たちがたくさんいました。そういったからみもあって、中古でもいいからこの地域に住みたいと願っていたのですが、やっぱり中古でもかなりいいお値段なのです(涙)。頑張ってもう1千万、借金を増やせばいいのかもしれませんが、夫もローンを組むにはかなりおじさんです。見栄でローンを組んでも、家の中のものを何一つ揃えられないのも悲しいものです。なので、こちらの地域はあきらめました。でも私の中で、またこちらの分譲地に入ってもなお、渋谷のように肩身の狭い思いをしたくないと思う気持ちがありました。だったら買える範囲で買える家を探せばいい・・・自分の収入の範囲内でできることをすれば、きっと周囲に住んでいる人との違いに悩まされずに済むのではないか・・・。私はよっぽど劣等感を強く持っていたらしいですね(苦笑)。家よりも、そんなことのほうがとても気になっていました。馬鹿馬鹿しい位に・・・。


トントンと話が進み、三月始めに完成、入居しました。
たった一年だけの賃貸生活でしたが、この最初のマンションはとっても良かったのです!本当はこの賃貸マンションが分譲で、もう一部屋ついていたら買ってもいいと思えました。一年のうちで二回も引越しをしたのですから、本当に引っ越し貧乏ですよね( ̄▽ ̄;A。


でも・・・新しい家が徐々に完成するのを見ていたら、なんともいえない充実感がありました。自分たちの力で・・・!という建物だったからこそ、今までの住んでいた建物とはまったく違う愛着が、住む前からわきあがっていました。大事に使おう。きれいに使おう。まさか家を建てるなんて夢にも思っていなかったけれど、やればできるんだ・・・。私はこの家に入居してから毎日掃除をする主婦になりました(笑)。


もっと、もっと・・・を求めたらきりがないけれど、私はこの家に満足しているし、狭いけれど今の私たちにはちょうどいい大きさです。東京に出てきてもう13年たちますが、ようやく今年になって「自分の居場所」を作り出せた気がしました。


渋谷の前は、会社の寮で杉並にいました。どちらも自分のお金で住んでいたわけではなかったし、会社を辞めたら出なければなりません。私は東京で自分の居場所をずっと探してきたのかもしれません。夫の両親と一緒に住んでいても、やはりあそこは両親の建てた両親の家なんですね。私は間借りしていた気持ちがずっと抜けませんでした。夫は自分の生まれ育った家に何の疑問も抱いていなかったはずです。だから最初から同居だったんですね。


もっと突き詰めていけば、私は東京で自分の家がずっと欲しかったのかもしれません。私の実家は長野ですが、もし離婚しても、私は実家に戻る選択肢はないのですね。手伝いの人がいなくても、こっちでずっとやって行きたいと思うからです。それが私にとっても、子供にとっても人生の選択の幅が広がるから。田舎は進学も就職も限られてしまう・・・そう考えると将来的には東京にとどまったほうがいいのです。離婚を前提とした話をしたとき、私の親は私に田舎に帰ってくることを勧め、そして実際私たちが住めるような中古の家を探してくれていました。確かに、そのほうが私にとっても、子供にとっても、田舎で二人だけの生活を送る両親にとっても、良かったかもしれません。だけれど、それは選べなかったです・・・。とにかく、夫をあの家から出してみなければすべてが決められないと思っていた私です。あのとき、両親の申し出に乗っかっていたら、今の私のブログも、占い師としての自分の生活も、こちらでの人間関係も、まったく白紙になっていたかもしれません。もちろん田舎での生活が最低ということもなかったと思いますが、私にはできないものでした。


離婚するしないに関わらず、なんとかこの東京で居場所を作りたくて必死だった私が浮かび上がってきます。


こちらに出てきても、夫は変わりませんね(苦笑)。そして私と夫は相変わらず・・・な夫婦です。
これはまた今年の事件で語ろうと思います。
だけれど、よくあの夫が借金を抱える気持ちになってくれたなあ・・・と
感じますよ。夫は実家があるから家にお金はかけたくないというタイプでしたから。ローンが何よりも嫌いです。現金で買えるものしか買わないタイプですから・・・。山が動いてくれた、そんな夫には、やっぱりありがたいと思っていますよ・・・。


私は銀行員時代の貯金をはたいて、背水の陣で家を建てた感じです。でも・・・今まで自分の家の窓から空を眺めたことなんてここ8年なかったけれど、布団をたたみながら、洗濯物を干しながら、夜寝る前、ベランダから外を眺めます。
なんていうことはない場所だから、特に素晴らしい夜景が見えるわけではないですが、それでも自分の歩みを振り返るかのように、何度もその景色を眺めてしまいます。そのときが最も、私にとっての充足の時間になっていることは確かですね。家を建てたことで、私の人生に大きな責任が増えました。その責任を負える自分になれたことが嬉しいのです。家自体も嬉しい宝物ですが、家を買うという、自分の人生を作る勇気を持てた自分がにわかに信じられないのですね。今年から住み始めた家はすでに床は傷だらけで(^-^;、私もキッチンでは容赦なく揚げ物をしているので、生活感がじんわりにじみ始めていますが、それでもこの家の中にいるときは、もう誰のステージの上でもない、自分たちのステージなんだという実感があります・・・。


・・・と、こんな感じで、今年の心に残った事件を掘り下げてみようと思います♪
ここ最近、私はずっと焦っていました。


なぜなら、自分が思い描いていた「占い師としての未来」にちっともたどり着いていないような気がしていたからです。もっと占い師として必要としてもらえると思っていたけれど、仕事は順調に増えていきません。成績が思うように上がらないこと、それが一番の原因かもしれません。あまり気にしないようにしているのですが、まったく気にならないといえばそれは真っ赤な嘘になります。私は、人目や成績をものすごく気にする性質なんです。どう映るか、どう見られているか、どういう印象を持っていただけたか、どんな実績を上げたか。そればかりに焦点が置かれてしまうために、できるだけ他の鑑定士と自分を比較したり、お客様に流されないようにしようと言い聞かせているのですが、実は言い聞かせる段階でかなり気にしていることがわかります。


現実の占い師としての私はそんなに頼りにされていない気がする。
ずっと封印してきた、触ってはいけないような戸惑い。
でも・・・ここを見つめてみましょう。


私がこの「仕事が順調に伸びていかない」という悩みを、私という占い師に相談したいと思うでしょうか?
自分の仕事に自分自身が惚れ込んでいなければ、自信がもてないわけです。自信のもてない鑑定士さんに自分の人生をゆだねることは出来ないでしょう。当たる当たらないではなく、人間として「私に任せて!」と言い切れるだけの度胸、寛大な心。それこそが私に欠けているような気がしてなりません。でも・・・ないものは作るしかない!!!欠けているものはできるだけ補い、できるだけの作る努力はしておきたいです。


私は輝夜師匠に何度も大事なことを教えてもらいました。
「もし占い師が何もかもをすべて当ててしまったら、相談者は自分で考えることをせず、困ったときは占い師を頼ることになってしまうでしょう。私達は占い依存症を作るためにいるのではありません。大事なことは、相談者を自立させるお手伝いをすることです。」


※現在23日の17:30ですが、輝夜師匠からのご指摘がありました。
この「相談者を自立させるお手伝いをすること」ではなくて、「相談者が自立出来るようお手伝いをすること」が占い師の仕事だということでした。
「自立させるお手伝いをすること」と「自立が出来るようにお手伝いをすること」では、ニュアンスがまったく違ってしまいます。
私の認識違いでこのような占い師として傲慢な記載になってしまい、大変申し訳ありませんでした。そのため、読みづらくなってしまいますが下の部分も訂正をさせていただきました。


自立させるお手伝い・・・。自立ができるためのお手伝い・・・。自分が自立を果たしていないのに、他人様の自立をお手伝いするなんて自立が出来るためのお手伝いをするなんて矛盾はどう考えても不思議で滑稽です。


私の中で今日ひとつの気づきがありました。
ものすごく焦っていて、じたばたしていると、人間って早く結果を出そうとするのですね。私は今すぐにきちんとした信頼される占い師になりたいと思っているんです。夢って絶対に叶えるものだと思っていますが、私は「こうあらねば」という思いも強いけれど、それ以上に「今すぐ結果を出さないと!」と、すぐに達成させようと思いはもっと強いです。


夢を実現させるってそんなに即席ではないはずです。
いろんな過程があり、そのなかでもまれ、傷ついたり、助けられたりして一本の道が目的地にたどり着くように、時間が要るものなのです。「時間が要るもの」という実に当たり前の真実を見落としていました。なぜこれほど焦る必要があったのでしょうか。比べること、落ち込むこと、それから焦ること。この三つが重なっていたら、うまくいくものもリタイアしてしまいます。私はものすごく功を急いでいたのですね・・・。


今すぐ夢が叶うような人格者ならともかく、今までの後ろ向きだったことを加味すれば、前向きになってきたのはごく最近です。誰かの力になれるような力はまだまだ不十分なんですね。今だって、ちょっとささいなことがあればすぐにうつむいてしまうくらいの私に、いきなり夢を達成させるだけの容量はないのです。容量を徐々に広げるために必要なのは時間と、心がけと、試練。


焦っても何も得られません。
むしろ、自己否定感「なぜできない!」「出来ない私は最悪だ!」という気持ちを膨らませます。「自分自身が悩んだとき、自分に鑑定を依頼したいくらいの懐の深い占い師になる」「自分の鑑定に惚れ込むような占い師になる」その結果、第三者から信頼を得ていくと思うのです。
夢をかなえるために根性が必要なのは、時間がかかるからなんですね。
12回、この課題について取り組んできましたが、今回でこのテーマについての作業は最終回になります。


さて、この流れの中で気づかねばならなかったこと。いかに自分が恵まれていたか。でも全然満足できなくて、結局自分の思うようにならない人生を嘆いていたか。もちろんそれなりに辛いことはたくさんありましたよ。でも、そこで覚悟を持ったこともなかったし、なぜこういう流れが自分にあるのかなんて突っ込んでもこなかった。偏見で物事を判断しようとしていたり、怒りに任せて冷静に判断できなかったり・・・人間として未熟ですよとハッキリ教えられた流れは、私にとって痛い改革でしたが、必要な改革でした。


私の中で何時か叶えたい夢というか目標があります。それはいつか占いの道で、一人でもいいから生徒を持てるような人間になること。その前に、ちゃんとあらゆる物事に堂々と対応できる自分になることが先かな?
先生になってみたらきっと見えてくるものがまったく違うでしょうし、自分が教えた生徒は我が子のようなものですから、そんな生徒たちに自分の一方的な意見を押し付けず、でも時として注意をしなくてはならないときはきちんと注意し、その注意も突っ込まれないような完璧なものではなくてはならないし、説得力がなくては生徒は聞いてくれません。私は輝夜師匠からはある意味、自分の親よりも叱られていますが(笑)、でもどうしてその注意を素直に受け止めようと思えるのかといえば、輝夜師匠の言っていることに強い説得力があるのはもちろんのこと、輝夜師匠は私に突っ込まれるような人生は送っていないことが常日頃のコミュニケーションで十分わかるんですね。私が失敗したときは、厳しいときもあるけれどちゃんとフォローもしてくれるし、そのフォローもちょっとだけじゃなくて、どうしてつまづいたのか、何が足りなかったのかをそれこそとことん考えてくれるんですよ。こんな親切な師匠に付いていかなかったらバチが当たると思っています!


もちろん輝夜師匠と向き合うことで自分はある種のコンプレックスを抱えているのも否定しません。
私はできないことだらけで、夫とのことなんてすぐ凹むし怒るし、コントロールできない自分に戻ってしまって、輝夜師匠のアドバイスなんて全然実行できないですし、いつも突っ込まれることばっかりしているので「私って・・・やっぱり目に余るくらいダメ人間なのか?」と思うこともしばしばです。占いのキャリアが違うので比較すること自体無謀と言うか、己の立場をわきまえろよ、という感じなのですが、やっぱり師匠の占いと私の占いは重みが違う、切り口も違う。同じお金を払うなら絶対師匠クラスの鑑定士に占ってもらいたいと思うのは当然だよねっていつも考えてしまうのです。


いつまでたっても自分のよさって言われてもわからないでいるのは辛い。
輝夜師匠のコピーになってはならないと思いながら、じゃあ白紙でできるのか!?と問い詰められたらなんらかの筋道と言うかヒントはほしいと思ってしまう。


でもその繰り返しでは、自分が「こうなりたい」自分にはなかなか近づけません。もっと落ち着きたいし、短気で集中力のない自分をなんとかしたい。常に他への不満を口にして自分を貶めたくないし、いつまでも「できません」「輝夜師匠はすごいです。私なんて・・・」で終わりたくないです。でもそのために何をするべきなのかが、私の中で明確にわからないんですね。今まではこの方法を輝夜師匠に教えてもらっていたけれど、自己流でもいいから自力で開拓したものに意義があります。


つい先日ある方の日記に「心の達人」という文字を見つけました。
心の達人・・・かぁ。これからなりたい自分がどういうものかを説明するなら、私は心の達人になりたいと思うんですね。
私がイメージする心の達人は・・・いかなるときもまずニコニコ笑顔でいられること。自分の感情(マイナスの感情)をすぐに表に出すことなく、喜怒哀楽と上手につきあえること。さまざまな困難を乗り越えて得た悟りを持っていて、動じないこと。自分の人生に誇りを持っていること。ありのままの自分を知り、受け入れていること。
そしてこれが一番大事かもしれません・・・いついかなるときも感謝する気持ちを持っていること。いついかなるときも・・・って大事だと思うのです。平常心は何もないときに必要なのではなく有事の際に必要なものだからです。これからお金がなくて生活に苦労する人生であっても、仕事がうまくいかなくて掛け持ちしたりして体を壊しても、子供が例えば学校を中退して行方不明になったとしても、わが身をのろわず、人をうらやましがらず、「この人生に感謝。与えられた命に感謝する」ことが究極の達人だと感じるんですね。


そんな私になるためのプロセスから逃げないように。今度は逃げないように・・・心にムチを打ちながらも受け入れていくつもりでいます。


「自立するって事はね、何事にも動じない自分を創っていくことなのよ。」
「いやらしい新聞記者のように、自分が納得いくまで事実を追究していきなさい。」
輝夜師匠のその言葉にガツン&大打撃を受けた私は、今回自分を発掘する作業を初めて行いました。
まだまだ足りないこともわかりましたので、「依存症からの脱出」はここで切らせていただきますが、歩みはまだこれからも続きます。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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