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占い師としての成長日記
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この「依存症からの脱出」を書こうと思ったきっかけは二つあります。


9月の中旬、私は輝夜師匠に破門を言い渡されました。あまりにもショックで、でも身に覚えがあるために言い返すこともできないのは確かでした。


輝夜師匠は破門を言い渡す前、私にこう言いました。


「私は雨音さんに今後、回答をたやすく与えないようにするつもりです。雨音さんは以前自分でも言っていましたが、私を頼りすぎています。本気で自立をしようとしないと、この先プロの占い師として、ヒーラーとしてやっていけないと思います。
雨音さんはモチベーションを高め、これからも頑張っていくと決めました。ですが、ここ数日私から見てモチベーションが下がっているように見えます。モチベーションを保ち続けることが出来るか否かは雨音さんの自覚の問題で、私にはこれ以上どうすることも出来ません。しっかり自覚し、頑張ってもらいたいと思います。」


ぐうの音も出ないってこういうことですよ。


「雨音さんの選ぶべき道は二つです。私とやり取りしながらも自戒し、自立するための覚悟をしっかり持つか、いつか帰れる場所として私をキープしながらなんていう中途半端な形ではなく、本当の意味で孤独になることを選ぶかです。私と関わりながら自立するのも大変かもしれませんが、私に破門され、二度と関われない中で自立しようとするのも同じように大変です。覚悟というものは厳しさの中で育つ力です。自分に甘い環境下ではいつまで経っても育ちません。雨音さんは私といると甘えが出てしまって覚悟が育たないのですから、破門しかないでしょう?」


このときはさすがに・・・もうだめだと思いました。もうね・・・それこそクラクラしました。いったい私は何をやってきたんだろうって。占い師になれたことに満足しきってて、覚悟を育ててもこなかったんだなって。これだけのことを言われなければわからないのですよ。いつもそうなんです。尊敬できる人の背中を見て走ってきたけれど、結局自分の試練は輝夜師匠に処理してもらっていたんです。それは今に始まったことじゃない。もっともっと、私が小さいときから・・・二つ上の面白い兄に構ってもらって何の疑問もなく楽しく過ごした子供時代に、忙しくても私を大事に育ててくれた両親、金銭的な苦労を一切かけさせないようにと私は裕福ではないけれどそれなりのことを施してもらってきた娘時代。私の基盤はみんなが自分を大事にしてくれたり、いろいろしてくれるような環境でした(断っておきますが金銭的なお嬢様ということではないのです)。会社を決めるときも親に助けてもらって、困ることがあれば親に解決してもらって、庇護してもらうのが当然の流れだった私には、「真剣に悩み真剣に考える」という場面がなかったんですね。その真剣さをはじめて行ったのが夫婦としての問題が出たときだったのかもしれません。誰も助けてくれないし、味方もいない中で苦しんだ毎日は、今まで私の人生にはない初めての孤独でした。占いの勉強は仲間もいたし輝夜師匠もいた。私は本当の意味で孤独になって、自分を知ることもなかった。だからこうやって大好きな人に突き放されなければ理解できないのです。これだけのことを言われなければ目覚めないというのはかなり問題だと思いませんか?私は精神的お嬢ちゃまだったんですよね。


でも面白いというか、不思議なことに、私の中で「じゃあ占いをやめよう」って気持ちが一ミリも湧かなかったんです。輝夜師匠と離れても占いは辞めたくないと思ったし、離れてもやれることを証明していくしかないなって(できるかどうかは別として)、破門を受け入れる気持ちでいました。親に「出て行け」と言われたら、出て行かねばなりません。


結局、破門にはならなかったのですが、私の中で輝夜師匠と自分のことをもう一度考え直したいと思える事件になりました。偉大な親を持っているとその恩恵に甘える二世のようになるのか、親の七光りだけで進もうとするずるさを身に着けてしまうのか、それとも親のくれた魂を受け継ぎながらも自らの道を切り開こうとするのか・・・。


そしてもうひとつ、その後のやり取りの中で指摘された私の弱点がこの日記のきっかけになりました。


「雨音さんって躓くと、すぐにこうして私に何でも聞きますよね?どうしてもっと時間をかけて、自分の力で知ろうとしないんでしょう。」


「自分で熟してくるまで良く考え、結論を出す努力を全てにおいてし続ける努力を雨音さんはすべきです。そこに雨音さんの求める力もあります。カップヌードルのように即席で得られるものの中に雨音さんの求める答えも力もないのだということを、そろそろ理解してください。」


いわゆるひとつの事例があれば、それについての感想は書けるんですね。
先日私はブログで「パトロールに立つ朝」というタイトルで、茶髪にピアスの小学生を発見した話題を書いています。あのブログは突っ込みどころが満載だと言われました。
あの日記に書いているのは一方的な角度からしか見ていない私の感想なのです。なぜ彼が子供らしくない格好で登校するのかを、もっとじっくり研究し、それこそ多角的に調べ、私なりの理論を出さねばならないと言われました。


私の価値観「茶髪にピアスなんて格好をさせている親はロクなやつじゃないはずだ!」=「私の価値観は正しい」という目でしか追求していないのです。自分が正しいと思っているうえでの価値観でしかない。もし、クラスの大半があの男の子のように茶髪でピアスをしてきたら、うちの息子の真面目な格好こそが浮いてしまうし、それこそ格好が原因でいじめられるかもしれないです。そのとき私は息子に私の価値観を押し付け続けることができるでしょうか?今のところ茶髪小学生が少数派であるだけで、時代が変わって彼らのような自由な主張が広がっていくなら私の価値観こそ転換を図らねばならなくなるかもしれません。
また、茶髪にピアスにランドセル放棄の小学生がどんな背景で育っているのかという考察が浅いのですね。だから一方的な感想に終わってしまって、突っ込みどころばかりの文章なんです。


「考察する」・・・これこそが私のこれからのテーマなのかもしれません。だってハッキリと苦手意識があるものです。


そして一番身近な存在なのにもかかわらず、もっとも考察が足りない自分自身を元に、切り口を見つけたいと思ってこのブログを書き始めました・・・。依存している自分、考えの足りない自分、考えの足りない部分を他の人に助けてもらおうとする自分・・・自分の歩んできた道を振り返ればそこにヒントがあるかもしれません。今までそんなことをしてこなかったので、上手に書けるかわかりませんでしたが、歩みを書き記すことで私の中で次々とはじけていくものがあったのは確かです。


少なくとも夫との事はよく見えるものがありましたし、「夫婦とは?」「結婚とは何なのだろう?」という新しい問題が湧き上がってきたので、今後自分の中で自分の人生を通して考察していく題材だと思っています。結婚問題は・・・ある意味私の一生の課題ともいえますね。これが自論を展開できたら強いですよ。この環境だから追究することができます。過酷な環境に生える生物ほど根が強いのと一緒ですよ。ああ、この環境はありがたいことに私をたくましくさせてくれるものなのですね。


そうですね。そんな風に現状に感謝できるとまた私も変われますよね。
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HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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