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占い師としての成長日記
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ここのところ、同じテーマでずっと掘り下げてきました。自分自身の根本と言うべき問題にこれだけハッキリと触り、表にすくい上げたのは初めてかもしれません。「なぜこのような私になったのか」と問い詰め、原因と思われる言動や思いを書き上げていくと、思いもかけない大発見があったりして、書いている内容は私にとっては決して快楽的でもないし、懐かしい思い出でもない、むしろ触れることすら嫌なものなのですが、それでも「そうか~~」って自分に納得できるんですよ。


同時に、今こうやって客観的に自分のことを掘り下げられる自分が、ありがたいなと思うし、昔はバカで考えなしだった、でも今はちょっと考えて行動できるようになったかもしれないって、遅い成長すら愛しく思えますよ。もちろん、すぐに100%改善しました!ということではないけれど、でも人間って気づいて変わっていけるものなんだって・・・何の力も魅力もないと思っていた私ですが、誰に魅力があるねと言われなくても、自分で自分のことを知りたいと思えるのはものすごい強みなんだなって言えますよ。


くどい書き方になりますが、これまでの私には、「自分が、自分の想いで行動していく」「自分の決断を信じる」すごく当たり前のようですが、この部分が抜け落ちていたのです。


28歳で出会った夫と30歳で結婚し、私は念願の寿退社で、地獄の銀行に通わずにすむ人生を手に入れました。銀行にいた10年間は、仕事として言うのなら本当に合っていなくて、苦しみばかりで、楽しくなかったけれど、ドジでおっちょこちょいの私をたくさんサポートしてくれる上司や同僚、後輩に恵まれました。その人たちの助けがなかったら私は早々にドロップアウトし、自分のしたいことも見つからないままの流れに身を投じていたでしょう。なじめないなりに、それでも一生懸命打ち込んだ日々・・・今も月末の、窓口でお客様があふれんばかりにやってくる夢をみて、いくら処理しても処理しても、片付かないといってうなされる自分がいます。仕事に自信がない私なのに、銀行の上司はチャンスをいっぱいくれました。研修や、新人を育成するリーダーに出してもらえたり、支店の要になるように推してくれたり・・・。ありがたい環境でした・・・。


30歳で結婚し、31歳で長男を、32歳で長女を出産し、私の人生は夫との出会いを境にいきなりジェットコースターのように回り出しました。


20代のオロオロさまよう時代を変えてくれたもの、いつも自分に自信がなく、逃げてばかりいた私を変えてくれたものが30代にありました。それは要約すると以下の3つです。


・出産と子育て
・占いの勉強の継続と、レイキをアチューンメント(伝授)してもらったこと
・夫との結婚生活(嫁いだ先の両親の関係も含めて)


妊娠は思いがけずすぐにやってきてしまいました。新婚旅行で大当たり(^-^;でも、なぜすぐに妊娠することになったのか今なら良くわかります。夫と私のつながりを強くするために、連続して出産することになったということも。もし、私たちが計画して「しばらく二人を楽しもう」という回答で二、三年ゆっくりと過ごす選択をしていたのなら、その間に破綻してしまったかもしれません。絶対に、そう思います。


妊娠して出産に至るまでの期間は、常に船酔いのようなつわりに始まり、最後はあの死神に腰を鎌で刺されていると思われる陣痛との戦い。いわゆる痛みとの戦いです。妊娠と出産、それから産んだあとも、女は痛みや変化と戦わなければなりません。あの経験を自分がしたことで、「ああ、私も大きな山を越えられたんだ」と単純に思えるようになったんですね。生まれてきた子供も、私は子供はあまり好きじゃなかったのに、わが子が生まれて始めて、子供がかわいいと心から思えるようになった。赤ちゃんを育てるということは今まであった自由がまったくなくなることでしたが、息子との生活はとても楽しく、満たされたものでした。当時は、夫の会社は傾き、月給が10万円台!でも住居費がいらなかったので、生活できました。夫としては、喜んでいられる状況でもなかったと思いますが・・・。


続いて娘が生まれ、私はこの頃の記憶がほとんどありません。なんせ二歳前の男の子に赤ちゃんの加入・・・。手のかかる男の子になっていた息子と母乳オンリーの娘を抱えて、髪の毛振り乱してやっていました。娘におっぱいをあげながら、寝てしまって、気づけば朝・・・ということが何度もありました。娘は9ヶ月のとき心臓の病気が発覚し、急遽入院、手術ということになりました。ちょうど5年前の今頃の出来事です。万が一、という可能性も言われたのですから、泣きまくって夜を明かしたこともありました。また、そのとき夫に対する信頼が、ガクッと下がることがあり、究極の場面で頼れないことも、だんだんとわかり始めてきました。


いずれにせよ、庇護が必要な二人の子供の前に立ち、今度は私が道を指示したり、手ほどきをする番になってしまったのです。「できないから」では通りません。子供をちゃんと育てたい、そんな私の想いが、私を変えるきっかけになりました。母親にならなければ、私はさっさと夫と別れていたかもしれません。でも、母親になれたおかげで、私の見える、感じる世界がぐっと広がりました。もちろん世界が広がれば、その分の苦悩も伴います。それに、皮肉ですが、一人で母親になることはできません。母親になるためには夫の協力が絶対不可欠です。彼は私を母親にしてくれた立役者ですよ。


そして、夫との夫婦としての関係は、子供の成長にしたがって冷え切っていきました。まさに、氷のようにですね。しかし、彼はそう思っておらず「俺と結婚した奥さんは幸せだ!」と何度も真剣に言うので、一体何を基準にそう断言できるのか、その神経も信じられませんでした。


夫と私がこれほどまでに亀裂を生じてしまった理由は浮気でも借金でも暴力でもありません。お金は大事に使うし、短気だけれど暴力はしません。もちろん浮気なんてありえません。風俗だって毛嫌いしている人ですから。あえて言うのなら、その人間性に対して、私が嫌悪するような出来事があったからです。


夫婦だから多少のすれ違いはいくらでもあります。でも、すれ違うのがいけないのではなく、相手がそのことについて話し合いの場を持ってきたときや真剣に話をしようとするとき、どういう態度をとるのかで、その人間性がくっきりと浮き彫りになります。真剣に耳を傾けて欲しかった・・・できないならできないなりに、バカにしないで話を聞いて欲しかった。何度も何度も私は夫を訴えました。「訴える」・・・私がこの人生で一番苦手で、一番逃げてきたことかもしれませんね。相手に自分の思いを訴えることが、怖くてできなかった。でも、今は違う。夫にわかってもらわなければ、今度は自分の心が壊れてしまう。嫌われようが、変態と思われようが、言いたいこと、わかってもらいたいことは、例え夫婦であってもいわなければならないんだ・・・。


なぜ夫婦になる前に、これができなかったんだろう・・・。


きっとこの後悔は私が一生背負い続けるものかもしれません。


出会ってから結婚するまで二年近く時間はありました。惚れた弱みと、せっかくの結婚のチャンスを手放す恐怖が、私を臆病にさせていました。二年もあれば、どんな相手でも「あれ?」と不審に思いたくなるような言動が必ずあるのです。でも一緒に暮らしていないと、不審に思ってもすぐに打ち消されてしまうため(というより、自分が打ち消したいんですよね。そんなはずはないって)自分のアンテナにひっかかった忌まわしい予感を切り捨ててしまうんですね。ちゃんと伏線は張られているんです。いきなり人間性を疑うような人格に変わるのではないのです。目の前に彼が現れた日から、自分が見ようとしなかっただけで・・・。独身の目から見ると、婚約を破棄するなんてあり得ないと思っていたけれど、既婚になって思うと、それは時に勇気もいるけれど、賢明な選択だと思うのです。結婚し家族になってからの破棄はあまりにも多くの人の人生を狂わせることになります。私は、夫の「芽」に気づいていました。不安もありました。実は、結婚が決まったあと、これでいいのだろうか・・・と不安に悩まされ、電話占いで有名な占い師(男性)に相談しているんです。結婚が決まったけれど、どうもなんだか、思ったよりも嬉しくない。ほんとうにこれでいいのかわからなくなる・・・と。


その占い師はこういったのです。「ちゃんと考えて、どちらにするかを決めなさい。今考えなかったら、本当に後悔する、最悪の結果になるよ。」


その低い声と「最悪の結果」という言葉だけは、妙に耳の奥に残りました。


結婚にとっての最悪の結果って何でしょうね。
離婚し、別れても泥沼化し、子供の人生も含めてぐちゃぐちゃになることでしょうか。
自分自身の心が壊れ、病に伏せることでしょうか。
それとも自分が死ぬまで愛のない夫婦関係に不満を爆発させながらも、依存することでしょうか。


そういう意味で、あの占い師の言葉は半分当っていたかもしれません(現に、心が伴わない夫婦関係になりました)。その占いだって、もしかしたら私に「まず、この二人の関係、しがらみとか自分の損得抜きで考えて、この人と結婚したいのか落ち着いて考えて見なさい。引き返すことは罪ではないのよ。」というメッセージだったのかもしれません。でも私はそれを無視して、聞こえないフリをしました。問題を先送りしたんです。損得で動きました。でももう今更引き返せないよ~~って思いましたしね。


引き返せない・・・結婚前なら、いくらでも立ち止まり引き返せることもできたし、話し合う余地もありだったでしょう。引き返せないことなど何もなかった。そこで彼と話し合い、改善するチャンスも作れたかもしれない。すべては損得勘定や、破棄したら絶対みんなに説明できないという恥ずかしさが先にたち、「笑われる!恥ずかしくて辞めるなんてできない!」ここでも私は「他人にどう思われるか」という見栄を出しました。


結果として今に繋がっています。
最悪の結婚生活とはもしかしたら、こういうことを言うのかという時を何度も経験し、涙が枯れるまで泣いたし、怒りの塊になって、彼を恨む毎日でした。でも・・・「恥ずかしいから離婚はできない」と言う視点はもうありません。「私の人生は私の想いで作り上げるもの」だと考えるようになれたのは、夫や、夫の両親を含めて、私が自分の感情を血のつながりのない人たちに初めてぶつけたときに目覚めたことでした。


「たとえ自分が間違っていると言われても、みんながお前はおかしいと批判されても、自分がこう想うと感じたものは、感じたときに、ちゃんと口に出さないといけないんだ。」


私は夫婦問題のクライマックスに、夫や、夫の両親に怒鳴り散らすことになりました。こういうのもなんですが、私はよほどのことがない限り怒鳴るなんてタイプではないと想います。むしろ黙って見守るタイプ。そんな私が目上に向かって怒り狂ったのですから、今までの私だったらありえない行動です。「お姑さんやお舅さんには逆らわない。いい嫁と思われたい。」それが私の哲学であり、生きる基本指針だったのですから。「逆らった!!」と思いました。でも・・・後悔はありませんでした。


でも、そのとき自分だけの扉が、生まれて初めて自分の力で開けられた様な気がしました。ああ、どうしてもっと早く、自力を信じなかったのか。36年もかかりました・・・。


たぶんその扉を開ける力は、レイキや占いを学んだところが大きく作用していたと思います。明日はその点を交えて分析したいと思います。



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HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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