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占い師としての成長日記
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前回からの続きですが、私の依存体質は、皮肉にも恵まれた環境のもたらした産物だったのかもしれませんね。小さい頃は、面倒見がいい二つ上の兄がなんでも手伝ったり、刺激を与えてくれました。私は兄の影響を思いっきり受けて、機動戦士ガンダム(初代!)とか週間少年ジャンプとか、そのころの流行も兄からそのまま流れてきたし、自らの流れを作り出すという作業をしてこなかったんです。そういえば兄に影響を受けることはあっても、兄に影響を与えるようなことは今まで一切なかったなあ・・・。


高校生の頃の親友はほとんどが長女。それだけ私は「庇護してくれる」タイプのお友達とウマが合ったのかもしれません。


短大を卒業し、言われるがままに入った銀行に最終的には10年間勤めました。当時としては長かったかもしれませんね。でもただでさえ便秘症で苦労していたのに、銀行に勤めている間は週末のみの便通くらいしかないほどストレスに追い詰められ、銀行辞めたいが私の口癖でした。でもコネで入ったら結婚以外の理由で辞めたら、それこそ父親のつながりで口利きをしてくれた関係に笑われると思ってできませんでした。本当に私って・・・見栄っ張りですよね(^-^;。決断もできないし、やめるときに「周囲にどう思われるか」しか考えていないわけですよ。しかも矛盾していますが、そのくせ銀行で一目置かれたくて、試験勉強も、資格取得も片っ端から挑戦していました。銀行でキャリアアップしたくて受けるんじゃないんです。「認めてもらいたくて、すごいねって言われたくて」受けていたんです。でも、受けた理由は不純でしたが、実際に試験をクリアしたり、資格を手にすると、今まで味わったことのないような自分だけの力になってくることも、同時に教わりました。「なんだ。やればできるじゃないか。」って。


25歳で大転機が訪れました。田舎の支店から、都内店への転勤です。ありえない転勤が自分の手の中にチャンスとして訪れました。


しかし・・・裏では、自分の恋愛の行き詰まりがこの転勤を後押ししていたのですね。今回初めて書く内容かもしれませんが。実はそのころ、地元の7つ上の男性とお付き合いをしていました。彼はすごく私のことを気に入ってくれていました。でも両親は相手のことが気に入らなくて、ものすごい反対をしていました(彼がお酒を飲んだあと車を運転して私を家に送り届けたことがきっかけです。飲酒運転バリバリじゃないですか。大反対を受けました。)。じゃあ、肝心の私の気持ちは・・・・。


私は自分に自信がない人間でしたので、自分を好きだといってくれる人が現れること自体が奇跡だと思っていたのです。だから彼のことが大事であって、彼そのものを好きなわけではなかった。こういう男性はもう現れないと思ったからこそ、保険のようにそばに置いておきたかっただけで、私の心が強く求めていたわけではないんですね。好きだと思える相手は別にいたんです。でも絶対にその人は私のことなど振り向いてもくれなくて、ずっと片思いでしかなかったから、私はそれに耐え切れず、自分を好きだと言ってくれる相手に気を許したのでしょう。彼は私のことを友達に紹介したりして、本気で将来のことも考えていたと思うのですが、でも時折見せる度を越した強引過ぎるところは、私は違和感を覚えていたんです。しかし、その違和感を感じたとき、私はそれを言えなかった。「私はこうして欲しいんだけれどな・・・」って思う気持ちをいつもいつも、胸に押し込んできました。いわゆる我慢が、彼との関係の中にありました。でもそれを口に出せなかったんです。それを口にして、責められるのが怖くて、言い出せませんでした。それは常に人目を気にして、自分の気持ちを封印するような時代の両親や祖父母と同居してきた環境がもたらしたものかもしれませんが、言い争うことが怖かった私の弱さの何よりの象徴でもありました。


今の私ならその言い争いも必要な葛藤だと思えるのに。


だから私は、自分も相手も納得し、相手に不満をぶつけないでフェイド・アウトできる別離の方法を転勤という渡し舟に乗っけてしまったのです。
東京に出てしまえば、この人とこのまま一緒になる未来は自然に避けられる。しかも周囲も「遠距離なら仕方ない」と納得がいくはず。


(これがほんの10年ちょっと前の自分の考えだなんて、恐ろしく稚拙で、書いていると汗が吹き出そうです・苦笑)


本当にすべき方法は、彼にちゃんと「どうしても好きだと思えない」理由を話し合ったり、打ち明けたりして、傷を負ってでも関係を作るべきだったのかもしれません。合わないと思ったのなら、それなりに断るべきでした。でもそれができなかったのはひとえに、ひとりになれない弱さがあったからです。これこそが自立できていない私の素の姿でもありました。


それは・・・夫との関係においても、結婚前に違和感を感じ、不穏な影に気づいていることがありながら目を伏せていたことで私は過ちを繰り返しています。二度もやってしまいました。結局根底には「私は愛される価値のない女なんだ。だからこの男性を失ったら私はもう終わりなんだ。」という強い自己否定がからんでいます。その気持ちがすべてを歪ませていませんか?


じゃあその強い自己否定はどこからくるのか?
私は三世代同居で、両親にはとてもかわいがってくれたと思います。忙しい中でも。一緒に遊んでもらうことが少なくても、両親の愛の不足を感じたことはないのですが・・・。私は父親にそっくりだったこともあって、父は私のことを本当によくかわいがってくれました。だから親の愛情の不足が原因とは一概に当てはまらないような気がするんですね。両親は忙しかったですが、代わりに私を大事にしてくれる存在がいました。今の時代よりずっと親類や近所の人たちとの繋がりも密でしたし、祖父母もいましたから(でも思い出せないだけで、忙しかった両親に不満があったのかもしれませんね)。


でも私としてはその父にそっくりな重い一重まぶたが大嫌いで大嫌いで、目が腫れていて、蚊にさされたようなまぶたを持つ自分の顔が嫌いです。
あと顔の中央に居座る大きなホクロ。それから小さい頃から丸々としていて、肥満児のエリアにいつも足を突っ込んでいた自分の「女としての価値」に、私は限りなく絶望していました。今もそうですけれど(爆)。
小学4年の頃、初恋の男の子が転校してしまうとき、当時同じ班だった私と彼は班毎にお別れの写真を撮影することになったのです。班のみんなで肩を組んで、一列になった状態で撮影するのですが、女の子と男の子のつなぎ目は私と彼でした。男の子と肩を組むのには何の抵抗もない彼が、肩をつなぐ女子が私だとわかったとき、明らかに「え?!」という戸惑いの表情を見せました。「お前かよ・・・」ってそんなニュアンスで言われてしまったんですね。「ああ、彼は私と組みたくないんだな。」ってすごくショックでした。なかなか彼が腕を組んでくれず、でも組まないわけには行かないと思ったのか、ガッチリではないけれど、肩をちょっとだけ組んで、写真を撮った瞬間にすぐに離されました。これが女としての記憶の中で一番最初に受けたショックですね。


その後も席替えや遊びのさなかにのときなんかに、男子から「げーお前が隣かよ。」的なことをいわれたことがあったので、そういった積み重ねや鏡を見るたびの劣等感が積み重なって、女としての自分は、男にとって受け容れられないタイプなんだ・・・と思うようになってしまったんです。


一緒に住んでいた肉親は私をかわいがってくれたけれど、この顔、この身体を自分が気に入ってなくて、本当に嫌だと思っていた時間が長すぎましたね・・・。女としての「私はかわいくない。」という屈折した気持ちが、今後の恋愛に影響を与えていったのは確かです。


小学校一年のときの記憶ってもう曖昧な部分がありますが、私の中で鮮やかに思い出せる唯一の記憶は、クラスの中でとってもかわいらしくて、大人びた表情を持っていた、ある女の子に対する憧憬です。「なんてかわいいの!」そういう目で同級生を見ていたということは、小学校一年であっても女同士でそういった「ビジュアル」に対しての意識が強くあったのですね。もう勝負(比較して落ち込むこと)に足を突っ込んでいる。その女の子はすぐに転校してしまったけれど、今でも名前も顔もはっきりと思い出せますよ。それだけ私は、かわいい、かわいくない、ということに敏感だったはずなんです。


女としての自信のなさ、それから男性と向き合うことへの恐れが私を東京へと導いたのは皮肉かもしれません。だから修行に出されたと解釈すべきなのか。


東京への転勤希望を出したと打ち明けたとき、「じゃあ、それは別れるってことだよな」とものすごい勢いで怒られ、告げたその夜に別れることになりました。「遠距離なんかできると思っているのか。」「なんで言わなかったんだ。」「俺はもう女なんか信じられない。」って。私は最後まで「本当はあなたのこと、心から好きになれなかった。」と言えず、転勤を隠れ蓑にして別れました。それは私がずっと隠してきた、私のひとつの罪かもしれません。


どんな相手と向き合っても、どんなに好きな相手であっても、価値観の違いからもたらされる「違和感」はあるはずです。そのときに相手を失いたくないと思うと、その違和感に手をつけるのを拒みたくなりますが、本当はそれが解決ではなく、違和感を感じたとき、どう動くのかで人生の流れはまったく変わったものになります。私は逃げてきたんです。自分で決断するということができなかったから。自分の言葉に責任を持つことが重荷だったから。たとえこのように相手と通じ合っていないとハッキリ把握しながらも、自分が自分の心から逃げることも、自立していないことなんですよ。
つきあっているという形で孤独からは免れます。依存というか、アクセサリーのような恋人関係にすがるしかなかった心の貧弱さが、私の弱さだったのでしょうね。貧弱という文字には弱いという字が入ります。


ああ・・・自分の弱さの原因を追求していくと、次から次へと、思いがけない気づきが起こりますね。それは私自身をスケッチしていく作業と似ています。まだまだ続きます。
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HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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