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占い師としての成長日記
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私は子供には絶対に東京で一人暮らしをさせようと思っています。東京都在住なので、もったいないと思うんですが、でも私が東京の真ん中で得た体験や、孤独な日々はとても貴重で、いろんな意味で私を少しだけ成長させてくれました。


一番は親に感謝できるようになったこと。田舎が美しいと思えるようになったこと。それから、自分が一人になったとしても楽しめるようになれたこと。


同じ銀行とはいえ、支店が変われば、転職したようなものです。ましてや田舎暮らしの私VS現地採用の東京の人では、いろんな部分で相違点がありました。でも・・・それこそなじむために一生懸命だった自分がいたし、東京に出てきて始めた念願のシナリオの勉強が、私の孤独を薄めてくれました。夜なのにどこにいってもきらめくネオンで明るい東京の街に一人放り出されても、寂しいと思わなくなるのに何年かかったでしょうか。一人で映画を見に行き、一人で好きな街を歩いたり、ショッピングしたり・・・ラーメン屋でもファミレスでも一人で入れるようになりました。
それと同時に「気の合わない人と、ムリに一緒に行動しなくてもいいんだ」と思えるようになって、一人で行きたい場所には一人で、たまに一緒に行動する相手は気の置けない友達と、本当に自分のつきあいも深く、濃くできるようになりました。自分のスケジュールを大事にするというか・・・生きている時間を自分のために使うことが、これほど楽しいと思えたときはありません。


「ああ、私もなかなかやるなあ」と東京の街を一人でズンズン歩けるようになったとき、初めて孤独を楽しめるようになりました。孤独とは、とにかく避けたい逃げたいものだったのに、いまやその孤独が私を救ってくれるようになったのです。


でも結婚は絶対にしたいと思っていましたよ(爆)。それこそ田舎では出会えないようなかっちょいいお兄さんがわんさかいるので、もう夢だけは追ってました。この点は、独立しても落ち着かなかったですね。


残念ながら、そんなかっちょいいお兄さんと恋に落ちるわけもありません。だって、私の結婚したいという気持ちは、寂しいから結婚したいというよりも「早く楽になりたい。専業主婦になりたい」という意味だったんだから。
銀行の厳しい業務と、責任から逃げたかった。合わないと思える仕事を続ける気力が本当にありませんでした。でも、収入だけは27歳からぐっと上がったので、余計に辞める決断が鈍り、お金のためだけに居座っていたのです。誰かに養ってもらう未来を夢見て・・・(ホント、大富豪と結婚しない限りそれは難しいのに)。
根底に結婚願望はありました。しかし私の場合、絶対にこれは「結婚式願望」だったんです。20歳から30歳までの間、結婚式は30回くらい呼ばれましたよ。結婚を経験したことのない未婚女性があのイベントを見ると、猛烈に結婚願望が上がります。少なくとも私はそうでした。自分が結婚するときはああしたいな・・・いいなあ、いいなあ・・・何で私は彼氏ができないんだろうな。早く結婚して楽になりたいよという考えで頭が支配されているのです。


でも、そんなときに出会っても「恋に恋する」状態で、上手くいくわけないんです。私がそんな舞い上がっていた自分から覚めたのは、皮肉にも夫と結婚してからだったのです。こじれ始めて、初めて自分の過ちに気がついたのです。結婚とはどういうものなのかを、知ったのです。結婚とは相手に依存して楽になるイベントだと思っていたから招いた大失敗ですよ。
銀行を辞めたいために結婚したかった。
でも自分と結婚する相手なんて絶対いないと思い込んでいた。
だから、夫と出会った時、絶対に失いたくない、これが最後のチャンスだと思っていたんです。冷静に考えれば、「絶対いない」なんて、ありえないんですけどね。男性に関してまるで自分を失う私にとって、夫との関係にメスを入れるなんて真似は怖くてできませんでした。穏便に穏便に結婚にたどり着けばそれでいいと・・・。


自分が誰かにこの自分の人生を楽にしてもらおうと思ったら、それと同じくらいに重い十字架が私の背中に乗るのです。条件のいい依存状態などありえないんです。結局誰と一緒になっても、私の人生は私のものでしかない。結婚相手に衣食住関係は振り回されることになるけれど、それでも何を選ぶかという選択は私がしないと駄目なんですね。自分ひとりの身を経済的に自立させていくことだって非常に大変なことです。現に私はストレスで銀行にはもういられないと思っていました。でも辞めるきっかけがなく、次の仕事も見えないからただ居残ったんですね。結婚ならば、他の人に逃げだと後ろ指を指されないから、この手段が一番円満だと思ってた。
自分の経済的自立に伴う試練を受け容れられないから、男性にそれを背負わせて自分は楽に家で待っていたいという考えは、こうやって書くと、非常に稚拙だと思いませんか?社会で生き抜く辛さを十分知っていながら、自分はそれが嫌だから結婚に逃げるんですよ。女だからできる技かもしれませんが、ひどいことを言うと、相手を支えたいという気持ちではなく、ただただ、私の中には「早くこの環境から私を無傷で救い出して」という叫びしか存在していませんでした。


これって、やっぱり本当は気が合わなくて別れたいのに、切り出せず、転勤を理由に彼と別れたときの精神構造とまったく同じではなかったでしょうか。パターンというべきか。浅はか過ぎる理由を隠すための逃げ。これが私の姿でした。


本当に戦うべき相手は、己の中にある。
そのことをこのときの私が知っていたなら、気づいていたのなら、私の人生も、夫の人生も、もっともっと変わっていたのかもしれません。憎しみと殺意と呼ぶべき感情に覆われるような夫婦ではなかったかもしれません。
だからわかるのです。「気づきのある」人生と「気づきのない」人生はまったく違うものに変わることを。さまざまな局面に立たされたとき、問題は外にあるのではなく、自分の内側にあることを知り、それを認めるのなら、人生はきっと変わる。依存という言葉すら自身に当てはまることを考えず、ただ欲求を満たすために動いた自分が、今どれほどそのしっぺ返しを受けていることかも。


自分の人生を自分で歩く。
それがたとえ躓きの連続であっても、障害の連続でも。
「他の人にいい子だと思われたい」
「できると言われたい」
「嫌われたくない」
「一人になるのが怖い。寂しいのは嫌」
こう書くと良くわかると思うのですが、自分が主人公になっていません。全部他人の感受性に重きを置いている発言です。他人がどう感じるのかという視点は、自分がどう感じるのかという視点とはまったく違っていて、そこに主体性もなければ、責任感もありません。他人の印象のために自分が振り回され、次第に自分の感じる気持ちを殺してきたのですね。


「早く誰かと結婚して楽になりたい」
「寿退社なら誰にも文句を言われずに済む」
こんなことをずっと考えていた私は、相手を幸せにしてあげる義務が自分にあることもすっかり頭から抜け落ちていました。自分が幸せにしてもらうことしか考えていなかったことが、私の依存そのものでした。もらうことしか考えていなかったら、そりゃ、結婚をなめてますよね(爆)。


自分の心を使っていなかった私は、やがて「夢にまで見た結婚生活」に入ってから、その心を自分のために動かすときが来るのです。それは夫婦の危機という最も残酷な形で、わかりやすく訪れました。因果応報と言うけれど、私は自分の逃げてきたものから、一番襲われたくない形で、逆襲を受けた気がしますよ・・・。

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HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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