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占い師としての成長日記
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銀行には研修というものがあります。日帰りの場合もありますが、研修所で二三泊したりするものもあり、よく研修に出してもらえました。全国の地方銀行の中堅女子行員研修もありました。そこで私は何をしていたのかと言えば・・・ずっと手相占いです(^-^;。自己紹介などで「特技は手相を観る事です」と言ってしまうと、その後はだいたいその話です。同期で集まる飲み会も、支店での飲み会も、私は部屋の隅っこで占いブースを作られ「おいで~~」と呼ばれ、手相を観てあげました。研修で手相を観て仲良くなった友達が、支店に帰ってからまた私の話を広めてくれて・・・。


銀行には行内メールと言うものがあり、これは支店間での書類のやり取りを行う郵便なのですが、「手型をメールで送るからよろしく!」という電話が入り、翌日、手のコピーが行内メールで私の元に届きます。それを鑑定してまた行内メールで返してあげたりしました(本当は仕事以外の書類のやり取りに行内メールを使っちゃいけないっていうことなんですが・・・ごめんなさい!)。約束手形ではなく手型っていうのが、暗号みたいなやり取りですね。


研修で仲良くなった同期が、支店の仲間の手のコピーをとって私の元に送ってくれたり、確かに手相をみる機会だけは増えたわけです。


逆にそれで、嫌な思いも味わいました。
手型を何枚も(他の同僚も含めて五枚くらい)送りつけておきながら、こちらが返しても何のお礼もない人。こんなことはよくありました。
アマチュアだったし、お金もいただいたこともなかったけれど、それでもお礼の一言がないので、利用できるときだけされているんだな、と思うと、なんだかバカバカしくなってしまったり、占いだけで私自身を見てくれないのかなと思ったり、でも自分から占いをするって言っているんだから、占いだけでしか見てもらえないと思うのも自分勝手なのかな?とか・・・無礼な人は確かにいるものだと、占いをしてから知ることもできました。


銀行と言う大人数の出会いがある中で、とにかく回数だけは重ねてくることができました。そのうち、手を観た瞬間に、「何か」を感じ取ることができるようになって来ました。「この手のひらの言いたいこと」を感じるというか・・・。これは回数をこなしたからかもしれませんね。


私は25歳の夏、人生が大きく変わりました。
それは田舎から、東京の支店への転勤希望が通ったからです。総合職でもない限り、しがない事務職の女性が、生活の本拠地を変える異動はほとんどありえません。東京都内の支店は都内在住者の女性ばかりでしたので、ラッキーとしか言いようのない人事でした。


なぜ東京へ転勤希望を出したかと言うと、昔から書くことが好きだった私はもう一度書く勉強をしたいと思っていて、当時シナリオライターの内館牧子さんのエッセイを読んで、「よし!私もシナリオライターになって、絶対に売れてやる!」という目覚めがあったんですね。
でも仕事の拠点もないまま東京に出るなんてとてもできません。でも東京の支店に転勤できれば、私の生活は保障されるし、好きな勉強もできます。そのために異動願いを出したのです。
なので、東京に出るとき私の夢は「シナリオライターになるぞ!」だったんですね。


シナリオライターの学校は楽しく、いい仲間にも恵まれて、幸せな時間でしたが、私なんかよりもシナリオを上手に書ける人が沢山いて、それでもプロになれない人を見ていると、シナリオで食べていこうと思う気持ちは徐々に弱気になってきました・・・。それほど強い覚悟がないことを知ってしまったんです。
その上、シナリオの仲間や先生とはよく授業のあと飲みに行ったりしたのですが、そこでも手相を観てあげてたりして・・・ついには先生に「あなたはシナリオライターよりも絶対に占い師になったほうがいい!!」と言われ、そのときはかなり複雑でしたね(苦笑)。もしも今シナリオの恩師に会えて、プロの占い師になったと言ったら、先生は「やっぱりね!私は絶対そう思っていたのよ!」って笑って送り出して下さるに違いありません。当時は「え~~~私はシナリオライターになってフジテレビの玄関を通りたいんです!」って逆らっていましたけどね。


シナリオ学校は続けていましたが、私の中で占いを仕事にしようと思える転機がありました。


新宿の支店に勤めていたので、よく仕事帰りに映画を片っ端から見ました。その作品も同僚と一緒に見に行ったのです。
「ファースト・ワイフ・クラブ」


40歳を過ぎた女性三人。学生時代の親友が自殺をしたため、久しぶりに再会します。そこで身の上話をする三人は、環境こそ違うものの、夫が若い愛人を作って、自分は40を過ぎてしまい、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれていることを告白しあいます。
三人は「ファースト・ワイフ・クラブ(最初の妻の会)」を結成し、夫や愛人にあの手この手で復習を果たすという痛快コメディーなんですね。


最後、夫と愛人をぎゃふんと言わせ、女三人がそろって歌い踊るシーンは、胸が熱くなりました。当時の私は26歳。40代なんてまだまだ先の話で想像もつかない年代ですが、この女性たちのように、私が実際40代になってこんなピンチに陥って、人生行き詰ったとき、誰かが私のために駆けつけてくれるんだろうか。そして自分は、友達のピンチに駆けつけられる人間になっているんだろうか・・・って考えました。


もし、私が占いと言う技術を持っていたら・・・。
もし私が占いと言う技術を持っていたら、40歳になっても、私は占いを通して友達と関わり、力になってあげることができる。友達も、きっと私を思い出してくれるはず・・・。


映画を見終わった新宿の夜空と、歌舞伎町の人の波を見つめながら、私は初めて「占いを自分の一生かけて行う技術にする」と言うことを考えました。
「占い師になろう」・・・そう思い始めた夜だったのです。
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志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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