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占い師としての成長日記
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「許す」ということについて考えさせられることがありました。


といっても仰々しいものではないのですが・・・。


私は20歳から10年間、銀行で勤務していました。ものすごく一生懸命やったと自分で思います。なぜ、一生懸命やったのかと言えば、私はものすごくおっちょこちょいで(これは、私を深く知る人、一緒に働いていた人なら大いにわかってくださる真実です)本当にミスが多くて、大迷惑な社員でした。だから、人より一生懸命にならなければ、普通にこなせないわけです。必死でした。銀行と言う体質は、ミスを許さない場所です。よく「一円でも合わなければ帰れない」というじゃないですか。あれは本当です。合わないからといって適当に流すことは絶対にあってはならないんですよ。数字はあいまいな部分など一切ない。合わなければちゃんと合わないと出ます。書類には必ず係印を押しますから、ミスの所在は明らかにわかってしまうしまうという厳しさがあります。
それに、銀行の仕事は、量も多いし、正確で迅速な作業を求められるので、私にとっては本当に「よく勤まったな」と思える場所でした。でも、今これだけははっきりと言えるのは、ものすごく頑張ったということです。
無遅刻無欠勤。勉強も試験もどんどん受けて、仕事も多くの後輩を育てさせていただく役割をいただきました。
私はそういう意味で、おっちょこちょいで上司に迷惑を掛けることは多々ありましたが、それを温かくケアしてくださる上にも恵まれたし、上司も仕事の出来不出来だけで私を扱ったりしなかったんだと思います。


銀行を退社してからもう10年近くたとうとしていますが、未だに私は月末の窓口の夢にうなされます。


目の前にお金と通帳と伝票が入ったカルトン(お金の受け皿)が山のように積まれ、お客さんがひっきりなしに私の目の前に立ち、処理する時間がなく・・・焦るあの気持ちを思い出させるような、そんな夢。
もちろん、現実も、月末の窓口と言うものはそれくらいに忙しかったです。今のようにインターネットバンキングなんて普及しておらず、企業でも自分たちのパソコンから振り込むことなんてなかったでしょう。
退社して銀行とは無縁の生活をしているにもかかわらず、私は窓口でお客様を待たせる夢ばかり見るのです。


先日、夏休みの旅行のため、ある駅で特急の予約をしたときのことです。
私が窓口に並んだとき、お客様は私の前に一人いたのですが、そのお客様の処理に大変時間がかかっていました。見ると机の上に、分厚い切符の山。ちょうど台風で首都圏が荒れていたときですから、団体での旅行をやめにしたのでしょう。そのキャンセルの手続きに追われる駅員さんの前で私は15分くらい待っていました。
駅員さんからは最初「時間かかりますけどちょっとお待ちいただけますか?」と最初に声を掛けられたので「ハイ」と答えてあったのです。
長い待ち時間を破るように、その処理中の切符の持ち主である女性は駅員さんに「私、ちょっと席をはずしますから、(私を指して)このお客様先にやってあげてください」と言ってくださいました。
すごい気配りだと思います。


私に譲ってくれた時点で、まだキャンセルの手続きは半分くらいしか進んでいなかったのかもしれません。
その女性は何も言わず、私の横で駅員さんの作業を待っていました。
私も、必死に端末を操作する駅員さんを見て、待っていました。


内心で時間だけがどんどん過ぎていくことに「早くしてよ!」と思いました。私は待たされるのが嫌いなほうなので。
でも、それを言ってどうなるというのでしょう。駅員さんが焦るだけです。
このとき私は銀行時代の窓口にいた自分を呼ぶことにしています。あのとき、月末はいつも私は30分から一時間くらいお客様をお待たせしていました。何度も「申し訳ありません」と頭を下げて待たせていたことでしょう。
でも、怒鳴られたり、けしかけられた記憶がないのです。
私はあの若いとき、多くの人から自分の未熟さや手際の悪さを許してもらいながら歩いてきました。だから今度は、私は若い人たちを許し、待つことを覚えなくてはいけません。それが、年齢とともに求められる「器の広さ」なのだと思いました。


「許す」ということは何も仰々しいことでないということは、こういうことです。


皆さんも、こうした場面に出くわすことがあるかと思います。
もちろんその駅員さんや応対した社員が一生懸命しているという前提は必要ですが、一生懸命やっていて、でも処理能力がまだまだ未熟な若い人に会ったとき、自分はどう思いますか?


自分勝手な大人が増えているということは、こうした場面で相手に脅しを加えたり、無意味な怒りをぶつけることだと思います。他人の一生懸命さがわかるならば、許すこともまた必要な場面があるのです。


私自身は気が短くて、待たされるのは大の苦手なのですが、若いときに私を見守ってくださった上司、お客様、その優しさがあのときの自分をケアしていたんだとわかります。でなければ、許しを知らない人に囲まれていたなら、私はすぐに退職し、自分の場所を失っていたに違いありません。自分が、「早くしてよ!」という剣を向けたなら、その剣がもしかしたらこの若者の現実の想いまで切り裂いてしまう可能性だってあるわけです。
10年間の生活で社会の厳しさを超えてこれたのは、多くの許しの中で生かしてもらってきたから。


そんなことがようやく、わかるようになりました。




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そうだよね。
瞬間湯沸かし器と呼ばれた私もきっと
雨音さんに負けず劣らずの短気な性格ですが(笑)
そんな私がそれでもだいぶ丸くなり、
辛抱を覚えたのも、雨音さんと同じような理由からです。
みんなこうして大人になるのよね(笑)。
ああ、私も人間が出来てきたなーなんて思う瞬間ですよ。
輝夜 URL 2007/07/18(Wed)19:51:28 編集
寛大と言う成長ですね
輝夜師匠、コメントありがとうございました。
今まで育ててもらう立場にいる側だったのですが、ようやく育てる側の気持ちに立てるようになったように思います。といっても、私はまだまだ内面短気ですので(苦笑)、しばらくは自分の剣をひっこめる訓練ですね。
寛大であることは、大人として必要な優しさであることだと感じました。
輝夜師匠も、きっと私の銀行員時代の上司の気持ちがよくわかると思います。本当におっちょこちょいで、かなり広く見逃してもらっていました。
私を部下に持つと、上司も大変だったことでしょう。これからいつの日か部下(あるいは弟子)を持つときが来たら、心してかかりたいと思う今日この頃です。
雨音 2007/07/18(Wed)22:07:15 編集
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