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占い師としての成長日記
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いろいろ書こうと思うことはありますが、でもどれも「これ!」と思えるものではなかったり、書いていて「なんだか、こんなことが書きたかったわけじゃないのよね」と立ち止まったり、消去したりして、記事を進められません。結構難産です(苦笑)。


なので、本当に日記みたいで申し訳ないですが、起きたことを書こうと思います。


①うれしかった事?!


私は会社が作ってくださった鑑定士名と顔写真の入った名刺を持っています。でもこれを人にあげたことはほとんどなく、常に電話台の横に置いてあります。それが、娘がこの名刺を見て「このママ、いつもと全然違う~~~!!」といいました。その顔写真をとったのは一年半前ですし、その日は美容院に出かけてセットしてもらってから撮影に臨み、しかもいつもメガネをかけている私ですが、自己PR用のポートレートですから気合を入れてコンタクトに、しっかりメイクも施しました。営業用のスマイルです。いつもと違うのは当たり前かも(笑)。


で、娘に「どっちのママが素敵?」と聞いてみたら、「いつものママ。」と回答されました。いつもの私なんて・・・まるでのびたくんのお母さんから色気を抜いたような私のほうがいいなんて、私って一体・・・(^-^;A


つぶやきで終わってしまってごめんなさい!



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秋分の日は毎年夫の地元の神社での秋祭りに参加します。いってみれば、結婚前からの恒例行事です。子供神輿が出るので、朝から参加させましたが、私は前夜の仕事が家であり、遅れてからの合流になりました。


夫の地元は都心です。そこは私たちが一年半前、生活の拠点としていた場所でもあります。


しかし、家を出て離れて生活すると、そこでの友達と会いたいものの、どうしてもあの実家に向く気力はなくて・・・。気が重いのか、寝不足なのか「ああ、面倒だな・・・」という気持ちで駅に降り立ちました。


もうすでに子供神輿は町内を回り始めていたところでした。息子は半纏をお借りして神輿を担いでいます。娘は義母と山車を引っ張っていました。
それにしても・・・いいお天気です。予想外です。神輿を担いでいる息子は汗だく。娘の顔は真っ赤です。私も・・・蒸し暑い。近所に住んでいる子供たち、赤ちゃんから小学生がたくさん参加していますので、幼稚園が一緒だった人、保育園が一緒だった人、知っている人もたくさんいました。息子は、幼稚園時代のお友達と一緒にニコニコと担いでいます。途中の休憩ではお菓子をいただき、ジュースを飲み、まあ・・・お祭り日ですね。


運動不足でかつ寝不足の私に、この巡業は結構きつかった!!
子供神輿が終わって、そのあとは神社に参拝しましたが、人ごみと焼きそばとお好み焼きのにおいが~~~。でも、息子たちは友達とつるんでとても楽しいひと時でした。カキ氷の冷たさが美味しい一日です。


一日終わって、高速道路を飛ばして家に帰れば、子供たちはすぐに寝てしまい、重い神輿をずっと担いで騒いでいた息子はそのまま起きることなく就寝。私は、運転中にいきなり右足(つまりアクセル・ブレーキを踏む足)がつりまして、もう痛くて痛くて・・・歩かないと久しぶりの徒歩はこんなことになるんですよ。運転するのも辛かったのですが、痛みのおかげで睡魔はいなかったです(笑)。


いつもは静かで人気のない八幡宮ですが、この秋祭りの日だけは別!
ものすごい人出と、屋台の出店で、座ってくつろぐ場所もないです。
でも・・・晴天の下、汗をかきながら頑張ってくれた息子と、まだ神輿は担げないからずっと歩いていた娘の、充実した顔つきを見ると、筋肉痛でもまあ、いいか・・・と思います。
子供が楽しいと思ってくれることに関しては、一生懸命付き合ってあげないといけないですね(低学年の、まだ保護が必要なうちは)。私はついめんどくさがりやの面が強くて、約束がなければずっとインドアになってしまうので。外で子供の楽しい顔を見ると、わが身を反省します(^-^;A
今夜一夜限りだけの独身時代です。
23日に夫の実家で秋祭りがあり、子供をそちらに参加させるため、前日から子供を預けてきました。私は夜、待機を入れてあるので、半日だけ一人で家にいます。先ほど、実家から電車を乗り継いで帰宅しました。本当に、久しぶりに夜の7時代、帰宅ラッシュの特急電車に乗りました。銀行員時代と同じ沿線ですので、本当に懐かしすぎるラッシュアワー・・・。
ラッシュなのに、妙に浮かれてウキウキしていた私。あの混雑は、ただ苦しくて重たい通勤だったけれど、毎日じゃなくなると、これすら楽しみになるんですね。


準特急だったので、すごい人でしたが、途中で席が空き、終点まで座れました。


久しぶりに環境が変わり、いつもと違う時間の過ごし方をしたせいでしょうか。自分の中で「力ってなんだろう?」という問いかけをずっと考えていたのですが、こんなメッセージをいただきました。


「力(この場合は霊能力)が先ではない。
(特に私の場合は)自分がちゃんと自分を受け容れられるかが先にある。
自分を包容する、その想いを体感しなければ、力を得たとしても、それは愛を持って使いこなすことはできない。力を得ても、結局私たちが向き合うのは、人間。自分を受け容れられない人間に、他人を受け入れ、助けることが、たとえ優れた力を持っていてもできるのだろうか?」


そういわれました。
私の中で、その回答は、ぐっと胸にささり、納得のいくものでした。


自分はいつもコンプレックスがあって、感じられない、読み取れない、それは霊感がないからだ。だから力がほしい・・・と願っていたのです。
でもその前に、しなければならないことがあって、それをおろそかにしてはいけないということです。
逆に、「今のままの私が今の私を受け容れたら、もうそれはすごいことなんだし、もっと自信を持っていいんじゃないか。」といわれたようにも思います。霊能力は欲しいと思っていたけれど、今の私に必要なものは、霊能力ではなく、自分を受け入れること・・・。そこまではこんなにハッキリと、より明らかな声で教えられました。ならば、行かねばなりません。


10年前、毎日揺られながら見ていた景色を追いながら、どこか懐かしくもあり、寂しくもあり、わくわくも感じる、不思議な時間でしたが、この声は確実に私の指針になっています。
先日公園のトイレで小学校一年の男の子が首を絞められて殺されていた事件が発生し、その後犯人はまだ捕まっていないという状態でしたが、今日、母親が逮捕されるという最悪の結果をニュースで知りました。


詳しい原因、なぜ殺害にいたったのかはこれから捜査の上で明らかになっていくことになりますが、私はこのニュースを聞いた時点で、世の中、いきなり公園でも殺害されるなんて、恐ろしくて外にも出せないなあ・・・と思っていたけれど、殺人者が母親だったことのほうが、そんなことよりも何倍も恐ろしくなったのです・・・。母親にそこまで追い詰めさせたものがあるということが、恐ろしくなりました・・・。


今日の報道で、弘輝くんに病気と障害があった、将来に悲観的で自分も死ぬつもりだった、という記載を見て、「だからなのか・・・」と思う部分もありながら、でもどうすれば、この母子に生きるための望みになったのかを考えてしまいます。


いわゆる、普通の小学生を持った私には理解できない苦しみが、この母親の中に常に渦巻いていたのでしょう。愛するわが子を手に掛けてしまわねばならないくらいの、葛藤が。
殺人は何が何でも決して許されないかもしれない。
でも・・・世間や、私の安易なジャッジは、ただ彼女を追い詰めるだけでしかありません。本当のことを、母親が、どんな想いで毎日を過ごし、そして殺す経緯に至ったのかを、あとは静かに聞くしかないのかもしれませんが・・・それにしても・・・。我が子の命を断たなければ解決できなかった問題とはいったいどれくらいの闇なのでしょうか。


でも、どんな理由があったにせよ、わが子の大事な命を、産んだ側が勝手に奪ってはならなかったはずなのに・・・そのときも、きっと公園で友達と遊んでいたはずなのに、周囲にママ友達だっていたかもしれないのに、
夫だっていたのに、なぜブレーキがなかったんだろう。良心という名のブレーキ、友達とのかかわりあい、夫との話し合い・・・。
きっとサインは出ていたと思うのです。


朝からこの事件の顛末を知り、本当にショックでした。
亡くなったお子さんはお母さんが大好きだったでしょう。その大好きなお母さんに大事な生きる権利を奪われてしまうなんて・・・理由があってのことであっても、胸が詰まされ、ただただ、言葉を失いました。



こんな事件を聞くと、世の若い母親は・・・と責められるだけになりますが、罪は責めても、でもなぜこのような経緯に至ったのかは、きちんと明らかにし、今後このような悲しすぎる事件が一切起きないことを切に祈ります。そして亡くなってしまった弘輝くんのご冥福をお祈りいたします。
土曜日の朝は、寝坊から始まりました・・・(苦笑)。
仕事を終えて、ブログ更新して、寝たのが朝の四時ですから、まあ・・・当たり前ですよね。そんなわがままが許されるのも土曜日の特権です。そんな日がないと、大変ですよね(って甘いでしょうか?!)。


子供も一緒になって眠っていました。邪魔されずに眠る朝は、至福のひとときです。台風一過でものすごくいいお天気だったのに、洗濯物を干し終わったのは11時ころ・・・。


午後からは以前から子供を造形教室に通わせたかったので、二人そろって体験教室に行ってきました。そこがよかったら、通わせようともくろんでいたのですね。
息子は幼稚園時代ずっと造形をしていて、だんだんと力強い、楽しい作品を作るようになっていて、それを見るのが私の生きがいみたいになっていました(笑)。


家から車で10分くらいのところにある子供用のアトリエだったので期待度は高まります。


しかし・・・。


ボーイスカウトをやっているからでしょうか。それとも私が厳しいんでしょうか。


最初時間になっても、こんにちはの挨拶も、今日は何をします、という説明もないし、ただアトリエの主催者はいるものの、何をするのか子供に伝達ということはないのです。「挨拶はしようよ」と私は心の中でまるで生徒会長のように思っていたのですが、最初も最後も、始まりも終わりの挨拶もないので、う~ん・・・。困りますよね。


絵だけを教えてほしいわけではないので。
絵が上手になればいいと思っているわけではないので。
挨拶をきちんとしたり、けじめだけは教室内にあってほしいです。


子供同士トラブルがあったのですが、そのときにひとりの若い女性の先生が仲介に入ったものの、やっぱりほかの指導でその後はほったらかしになってしまい、その子はずっと泣いていました・・・主催者の男性はそれを見ているけれど、見ていないし。
まあ、子供の自主性に任せるという言葉を実行しているだけなのかもしれないのですが。


スタッフは全部で4名だったかな?でも、主催者やその奥さん?と思われる人は、幼児の作品は全然ノータッチで、高学年の子しか指導しません。
ノータッチでもいいんですが、もっと歩いて、作品をみてあげればいいのになあ・・・なんてついオバサン批判精神が・・・(汗)。教えてあげている大人がなんだか惰性に感じられてしまうのは、仕方ないことなのかなあ。一人の若い女性のスタッフ以外の声が全然聞こえなかったので、自分以外の担当の子供のことはノータッチなんですよね。生徒は全部で15人くらいだったのですが。


昨日のプログラムは「秋の野菜の絵を書く」ということだったのですが、描き終わって一時間近く時間があまってしまったので、息子は箱で工作を、娘は粘土遊びをしていました。結局それが一番楽しかったと二人に言われました(笑)。


う~~ん。またアトリエは探し直しですね。
子供の教室って、なかなか難しいものです。楽しいのも大事だけれど、ちゃんと締めるところは締めてほしいと思ってしまうのは、親の欲目なのか。それを習い事に望んでしまってはいけないのかなあ?
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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