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占い師としての成長日記
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「私への手紙」


こんなふうにいつもそばにいてくれて
生まれたときの声も覚えてくれているのに
いつの間にか
勝手に大きくなってしまった気がしていた
誰よりも私のことを知っている私に
私の声を届けよう


いつからだろう
私は私が嫌いになっていた
腫れぼったい一重まぶた
低い鼻筋にだんごっ鼻
いつも友達の後ろをついていくだけ
主張もできなくてウロウロオロオロ
あの頃の気弱な私は
今も健在


もしあなたが私の友達だったら
あなたは私をなんて評価する?
きっと「暗くてつまらない上に厳しいヤツ」って言うよね
絶対誉めてくれない
絶対文句をつけて、自分は未熟だという
謙虚を越えた卑屈で
いつも人と接している


私は声を出して叫んでいた
私は私でしか生きられないのに
私のことが気に入らないのよ どうすればいいの?
もっとかわいかったらいいのに
もっと穏やかで親切だったらいいのに
もっと頭の回転が速かったらいいのに
そうやっていつも注文をする
いつのまにか
自分で自分を否定するようになって
叫ぶ気力は嘆きに変わっていた


でも誰とも代わらない、代えられない
世界にひとつだけの私
こんな自分でいいんだと思える私になりたい
そんな当たり前のことに
ようやく気づいたらアラフォーな私(笑)


でも、よくぞ気づいたよ、この私(拍手!)


今まで散々痛めつけてしまってごめんね
何度謝っても足りないし、許してもらえないかな?
気をつけるよ
このナイフを今ここで
目の前で捨てるから


そしてこのナイフは、道を切り開くためのナイフに変えよう
また一緒に最期まで歩いていこう
もう「駄目だな」なんて言わないよ
他と比べて、叩いたりなんかしないよ
自分を信じていくから
あなたが私を信じてくれていたように
私もあなたを信じてみるよ


「いつもそばにいてくれたんだね。ありがとう。」


解説・・・
最近、子供を通じて自分の脆さや弱さ、強い自己否定感が根底にあることを思い知らされることが続きました。
「どうしてできないの!」
「他の子のほうがうんと上手じゃない。」
「きっとうまくいきっこない。失敗するはず。」
「もっとこうだったらいいのに・・・」
こんな感情がいつも私のど真ん中にあって、行く手をさえぎります。


当たり前ですが、こんな風に育てられたら、自分の子供も私と同じように、根強い劣等感を持って育ってしまうでしょう。たとえば息子の身長ひとつとっても、すごく気にしてしまう自分がいます。そんなふうに身長のことを、まるで罪のように親が気にかけていたら、子供が本当に可哀想ではないですか、と輝夜師匠にご指摘を受けて、でもそれがなかなか改善できなくて、いつも「身長が大きくなるにはどうしたらいいのだろう」とそちらのほうばかりに気をとられてしまっていました。


子供への対応の仕方は、自分自身への言葉のかけ方と同じものがあります。
『もっとこうだったらもっといいのに・・・』
いつも私は自分をそういう目で見ているんですね。


息子がボーイスカウトを辞めたいと言い出しました。理由は野球がやりたいから。そしてボーイスカウトがどうしても辛いから。ボーイスカウトで上級生の子からからかわれているのが苦痛だったのですが、周囲となじめなかった息子は、その上級生との苦い関係を忘れられるような人間関係をその中で作ることが出来なかったんですね。すでに仲の良かった輪に入っていくのはとても大変だったんでしょう。
そしてなぜ野球がやりたいのかを聞きました。野球チームには同じクラスのA君が所属していて、A君は運動神経が抜群に良くて足も速いし、根っからの野球少年です。息子はA君のことが憧れの対象なのか、好きなんですよね。だから野球をやりたいのだと思ったんです。
「A君に誘われたから野球がやりたいの?野球が好きだからやらないと続かないよ!」
そう責めた私に息子はこういいました。
「僕は休み時間とかみんなと遊ぶけど、足は遅いし、投げるのも上手じゃない。そしたらA君がさ、『野球をやれば上手く投げられるようになるし、足も速くなるよ』って誘ってくれたんだ。僕は強くなりたい。レギュラーになれなくてもいいからA君と一緒に野球がしたいんだ。」
私は返す言葉がありませんでした。
息子が自分の気持ちをきちんと言葉に出来たことは良かったのかもしれません。しかしそれ以上にショックを受けたのは、いつの間にか息子は自分ができないことに目を向けるようになってしまったこと、そうさせてしまったのは他ならぬ私のせいなんじゃないかって・・・。
ボーイスカウトよりも野球のほうが辛い場面もあるかもしれません。レギュラー争いだってあるし(それはボーイスカウトにはない、運動系習い事の試練ですね)、拘束時間が長い上に、厳しいです。だけど「僕は強くなりたい」と決めたのだから、そこで「でもお前は下手くそだぞ!年下の子に負けてもいいの?」と言ってしまったら最後だよね・・・なんて思ってしまった。でも言葉にしなかっただけで、私はいつもこんなふうに、自分のことを責めてしまうし、息子のこともつい同じ目線で捉えてしまいます。そんなことをしていたら、息子も私と同じように「自分なんか何をやってもどうせ駄目なんだ」と思うようになってしまう・・・。「背が低いから駄目なんだ。足が遅いから駄目なんだ。」そんな風に自分に駄目出しの人生を送ることになるのは、どれほどそれが辛く、救いがないのかは私自身が今よくわかっているのに・・・。息子にはいつもうつむいてしまうような人生を歩いて欲しくない。
でもそのためには今の私が、堂々と胸を張って歩くことが最初にできなくてはならないんですよね・・・。


自分の最高の理解者は自分なんだ。
これは3/7付の輝夜師匠のブログから教えられたことと、息子のこの野球の話と、今の自分の現状の危機感とかぶりました(偶然にも3/7は息子の誕生日。これも何かのご縁?!)。


私は自分という最高の相棒を今まで責めて責めて、メッタ刺しにしていたんですね。これは輝夜師匠にもよく言われてきました。本当にそのとおりです。


でもその弊害が愛する子供たちに及ぼうとしている・・・こんな悲しいことはありません。
私は自分で自分を嫌うという不幸、認められないという不満がどれほど悪い影響を及ぼすのかを知りながら、そのバトンを息子に渡してしまうところでした。愛するということはすべてを受け止めてあげること。「○○が出来るから愛している」「背が高いから愛している」・・・それは愛じゃなくて欲ですよね・・・。見栄だったり、優越感だったり。その条件がなくなってしまったら愛せないってことです。


私は今の息子が背が低くても、足が遅くても、怒りっぽくて短気でも、息子のことを愛しているのに。
その気持ちをちゃんと伝えないと、劣等感ばかりを増長させて息子に大切なものを感じてもらえないまま終わってしまいます。根っこの私はとにかく息子がかわいいし、いてくれるだけで嬉しいって思っているのに、外を見てしまうと、すぐにその愛情を翻して、「もっと頑張らないと駄目じゃない!」と激変するのです(苦笑)。自分に向けてもそうです。「何だよ~他のお母さんたちはもっと子供に手をかけて頑張っているんだから、これじゃ駄目だよ~」とかね。


不細工でも、おデブでも、いろんなことが未発達で、占い師としてまだ半人前で、なかなか説得力も持てないけれど、そんな私が好きだからもっと善くしていこうと思う気持ちこそが大事。そのためにはまず、自分を殺さないことが本当に大事。ようやく、この一歩がどれほど大事な一歩なのかを知ることが出来たのです。そんな想いでこの詩を書き上げました。
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志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
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日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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