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占い師としての成長日記
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もう三月に入っていたんですね。し、しかも今日はひなまつり。今週の土曜日は息子の誕生日じゃないですか!(何も考えていなかった・・・)速すぎる展開に愕然としている今日この頃です。


忙しく過ごしてきたので書き記すこともできなかったのですが、お葬式のとき、改めて母と私というものを考えさせられることが起きたので、今日はそのことを記載しておこうと思います。


私から見た母は、見た目もきれいで、おしゃれで、働き者でいつも動いていて、活発で、だらしのないことが大嫌い。それに身内やら親戚やらでたぶんいろいろあるとは思うのですが他人への悪口や愚痴も言わない人です。冠婚葬祭の時などよく見ているとわかるのですが、すごくしっかりとしていて、ダラリとした部分がなく、いつも動き回っています。キビキビ・しっかり者がキーワードの人。


私はよく母に「縦の物を横にもしない。開けたら開けっ放し。脱いだら脱ぎっぱなし。お父さんそっくり」と言われ続けるほど、整理整頓には無頓着で、母から見て「私の子供なのに・・・(唖然)」とされることばかりだったでしょう。それから私は自分の容姿に自信がないこともあって、服装や化粧や髪型などには本当に興味を示さないタイプでした。東京で一人暮らしをしていたころ、たまに帰省すると「なに、そのカッコは?!もっとまともな服を着てきなさい!」と実家に帰るのに洋服チェックが毎回入るので、いろいろ言われるのが面倒になって、最後には自分の家に帰宅するだけなのにスーツで帰省するようにしていました(笑)。母は私をよく自分の洋服や私の洋服を買うのに買い物に連れて行ってくれましたが、私は洋服はチラッと見るものの内心つまらないから早く終わらないかなって思ってて、でも母は洋服選びにかなり夢中になっているという状態が何回もありましたね。


女同士だけど、私はどうしても母に相談することが怖かった。
なのでいつも私の相談は父から始まりました。結婚のときなんて母には話せなかったな・・・。だって絶対に「どこの会社?年収は?」で始まるから。


子供を二人抱えて、生活に必死になっている今の私から見れば、この母の発言の根拠はよくわかるんですが、でも若いときは受け入れがたく、母にはできるなら相談したくない、決め付けられたくないと反発していました。決め付けられたり、ものすごく不服な空気を出すから、それがイヤで向き合うのから避けていました。
母は厳しいんですね。亡くなった祖母のお葬式で感じたんですが、大きな家を実家に持ち、若いころは養蚕の会社でものすごくいい待遇を受けて、金銭的に恵まれた娘時代だったらしいので、私にも自分と同じように安定した収入と将来を・・・と望んでいたのかもしれません。私が短大を卒業して家から通える銀行に入ったことは母の希望がかなったことのひとつかもしれませんが、私は銀行辞めたいの繰り返しで、挙句の果てに地元を離れて東京にいきなり勤務してしまったから、母がよく言う「親の思うように子供は育たない」のひとつが私のことなのかもしれません。兄は本当に親から見て「よくできた息子だ」と感じるような成長をして、出世もして、家庭も持ち、親の将来のことも気にかけるというウルトラC級の技を成し遂げていますが、私はいつもこの兄の影でウジウジしていて、やっぱり兄のほうが親としてはかわいいのかもな・・・って考えてきたりもしてました。


祖母の葬儀のときです。
お通夜の次の日が告別式になりますが、火葬のために出棺する翌朝の予定を話していたときのことです。
母にこういわれました。
「お前は来なくていいから、子供たちと一緒に10時半くらいになったら、式場に来ればいい。兄ちゃんは棺を運んだりする仕事があるから連れて行くけど、お前はゆっくりしてていい。」
え?!おばあちゃんと最後のお別れに私は同席しちゃ駄目なの?
「え?行かなくていいの?」
「バスに乗る人数が決まっているから、朝も早いから来なくてもいい。」
なんだか釈然としなかったのです。確かに出棺が朝の7:30だから同じ市内とはいえ30分くらいかかる母の実家まで間に合うようにするには子供たちと6:30には出かけなければならないことは確かですが、でも最後のお別れにどうして来なくていいと言うんだろうと思って・・・。
母の姉のところには私とひとつ違いの従姉妹がいて、彼女は三人の子供がいますが、彼女も出棺を見送った後、火葬場まで行く予定になっているんですね。同じ立場なのに、私は行かなくてもいいなんてすごく納得がいかなくて・・・。


でもこういうとき私は母に直接言えないのです。
だから父をつかまえて事情を話しました。
「お母さんが、私は火葬場に行かなくてもいいって言われたんだけど、私は最後のお別れだから一緒に行きたいんだけど、行っちゃだめなの?」
「バスは余裕があるから乗れるし、おばあちゃんと最後のお別れなんだから孫のお前は行かなくちゃ駄目だろう?」
「でもお母さんは来なくていいってって言ってるよ。」
「大丈夫だからみんなを連れて火葬場まで来なさい。」
そう父に言われたので、お通夜が終わって家に帰ってコタツに当たりながらみんなで明日のことを話していたとき、父も同席しているので思い切って母にそれを提案しました。
「明日火葬場まで一緒に行きたい。おばあちゃんと最後のお別れをしたいから一緒に行く。」
そういうと父が私の発言に加勢してくれて「バスは乗れるから大丈夫だ」と言ってくれたので、母も「じゃあその代わり子供たちも明日6時に起きていかなくちゃいけないわよ。」と言って了解してくれました。
ああよかった・・・。
そのおかげで私たち家族は祖母の火葬に立会い、子供たちにも祖母の骨を拾うということを教えてあげられたし、私も祖母の最後の姿を見舞うことができたのです。


ただこのやりとりは私の中でちょっとショックでもありました。母はきっと子供を連れていくと迷惑がかかるからと思って火葬場への参加を考えていなかったのかもしれませんが、私は私なりに祖母に対して想いがあり、見送ってあげたいという気持ちは持っていたからです。それを子供がいるからと簡単に切り捨てられたような気持ちになったり、それに「お兄ちゃんは連れて行くけど、お前はいい」といわれたのがどこかで面白くなかったんでしょうね・・・。


母はどうしてそんな風に考えたんだろう。
もちろんそれは葬儀を取り仕切る実家のお嫁さんたちへの気遣いであったのかもしれませんね。
でも私は「なぜそう言うのか」という理由がわからないからいつも納得できない。「あれもだめ、これもだめ」という切り捨て方をするけれど、なぜそれが母としては駄目ということなのか、わかる言葉で説明を受けたことが一度もないのです。


だからどうしても、母に対して「私はこう感じたの、こう思ったのよ。」と話せないのかもしれません。自分の気持ちを開放できない。心から開放できなくて、結局事務的なやりとりだけはできるけど、気持ちや感性の部分においては行き詰ってしまうんですね。話したらバッサリ斬られちゃうんじゃないかって怯えてしまう。私がどう思っているのか、母はどういう思いを抱いてこの人生を生きてきたのか、本当は私はそれを話したかったし、聞きたかったのです。私という人間を育てる間に起きたさまざまな葛藤も、喜びも、きっと何も無いわけないのですから、聞きたいと思っているんですね。そういえば、そんなことを私たちは親子なのにほとんどしてきませんでした。私が夫婦の危機をずっと抱えながら生きていた頃、本当のことを私は母親に打ち明けられず、いつも「お前の我慢が足りない」と言われ続けてきました。だから母にどうしても心の叫びを打ち明けるのに数年を要しました。あの時、私が勇気を振り絞って自分の現状や気持ちを始めて打ち明けたときも、母だけではなくて父も同席していました。父がいないと私はひとりで母と向き合う勇気が持てないんですね。


ただ、私の気持ちを打ち明けてから、母はずっと反対していた占いの道を進む私をけなすことはなくなりました。本来は子供をいついかなるときも守るという気持ちには満ちていた人なので、受け入れる努力をしてくれたのかもしれません。でも葬儀のときのように、ちょっとしたことですが、母の考えが理解できなかったり、私自身が言い返せないときもあります。距離を感じるというべきなのか・・・。


私は母に対して感じたことを占いの師匠であり、ある意味今の私にとってはもう一人の母と呼べる輝夜師匠に打ち明けてみました。輝夜師匠がこう言ってくれたのが印象的でした。


『精神的な交流や深く関わるということは、親子の場合、なにも親がリードしなければいけないと決まっているわけではありません。雨音さんのお母さんがリードしないのであれば、雨音さんが引き出してあげたらいいと思いますよ。口下手な人から話を引き出すようにするのと似ています。そういうやり取りを遠慮しないで、むしろ積極的に行うようにすると、親子は意味があってご縁を持った、誰よりも特別な関係ですから、ちょっと他ではありえない魂の覚醒が果たせます。』


輝夜師匠がおっしゃるには、私も私の母も両方とも「聞き役タイプ(積極的に自身の考えを主張しないタイプ)」で、そして兄は「話し役タイプ(積極的に考えを述べ、リードするタイプ)」。しかも兄の話し方は誰が聞いてもわかりやすくて明快だから兄の考えていることは把握しやすいし、扱いやすかった。でも私は自分のことは話さない上、そして親子間で最も大きい障害になっているのは、私が母に対して何かと反抗的だったということ。その上、自分の容姿に自信のない私は後ろ向き発言が多かったから、母としては素直に言うことを聞かない娘よりも、どうしてもわかりやすくて前向きな兄のほうに傾倒してしまったのではないかということでした。そうですね・・・まったくそのとおりです。兄は男だけど私よりもトークに花が咲く人です(笑)。男ってあんなに母親に対してオープンなのかと思ってしまう!でも兄のようにオープンな気持ちをもてない、素直じゃない私は母の意見は小言にしか思えず、絶対に母の言葉には従ってきませんでしたから・・・。


また、もうひとつこの葬式でのやりとりにおいて輝夜師匠から鋭いご指摘を受けたのは、私と父の関係でした。


『雨音さんはいつもお父さんを盾に使っていました。これもひとつの依存で、自立が出来ていないことになります。自分の問題を自分で解決するのが自立なので。ですから、今回のように雨音さんがお母さんとちゃんと向き合おうと思うことは、雨音さんにとって必要なことだと感じます。雨音さんのご両親は離婚になったり夫婦仲が悪くなるようなことはなかったので良かったですが、雨音さんがお父さんを盾に使っていることにお母さんは気付いていたと思うので、人によっては、それが原因で夫婦仲に亀裂が入ってしまう可能性もありました。なぜなら、一般的に母親は「夫よりも私の方が何倍も苦労して色んなものを犠牲にして子育てしてきた」と思いがちなためです。ですから、子供が母親に懐く分には問題ないのですが、父親に懐くのは問題が生じる場合があり、夫婦間、母子間の亀裂を招いたり、母親の浮気による離婚ということもあります。少なくとも、子供が母親に懐かない場合、「自分が一番苦労した」と母親が思っていればいるほど子供が憎たらしく見えるため、冷たい関係となりやすいです。』


私が母に直接対峙せず、父を頼りに問題を乗り越えようとしたことは実は依存のひとつだったんですね!こんなにわかりやすいかたちの依存はないのに、全然気づかないでずっとこのパターンを使っていました(苦笑)。
母としての私自身の立場で想像してみれば、自分は命を持っていかれる!と思うくらいの痛みと気持ち悪さを二回も味わいながら子供を生んで、あらゆる時間と金銭と自分の自由を夫とは比較にならないくらい犠牲にして子育てに没頭してきているのだから、それなのに子供たちに「パパがいい~~~」なんて言われたら、私も、言葉は悪いのですが、「なんだとぉぉぉ(9 ̄^ ̄)9!!!」って怒りに身を任せてしまうかも・・・。何かと夫の味方につこうとする子供に、どう考えても優しくなんてできないですよね・・・きっと。


でも、祖母を見送って思ったのですが、いつか私も自分を生んでくれた母にさよならを言う時がくるのですね。
母は義父母と同居し、しかも明治生まれの石よりも硬い頑固じいちゃん(私はおじいちゃんを内心そう名づけていた)と頭のいいおばあちゃんとの厳しい同居生活の中で私たち兄妹を育て、家を守ってきました。そんな母がいつも私たちを乗せて実家に向かうときはどんな気持ちで自分の両親の顔を見てきたのでしょうか・・・・。
今私が母になって感じることは、きっと母も感じてきたことだと思うのです。もしいつかさよならする日が来ても、私は母との向き合いでこれだけのことを話せた!というものを作っておきたい。自分を生んでくれた人と、事務的なことしか話せずにお別れをするなんて、きっと私は後悔すると思うんですね。もし、母に対して自分のことを正直に話せるようになってきたら・・・・私の人間関係も、今までのことも、きっと変わってくるような気がします。そして話下手な私ですが、ここはやっぱり反省し、子供にはいろいろ話してあげたいと思います・・・・。
 

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志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
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自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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