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占い師としての成長日記
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今週、幼稚園時代のお友達と、子供同士を遊ばせる機会がありました。
同じ長男同士であり、下の子が娘という兄妹構成も一緒です。しかし、私たちはどうしても、異性であり、長男である息子の心配や、息子の将来のことを話すことが多くなります。


私にとってそのお母さんは、いつもお子さんのことをよく心配し、気配りをし、そしてしっかり育てている、本当に尊敬できるお母さんのひとりです。


そのお母さんと、息子を中学受験させるかという話に始まり、結局「どういう男に育って欲しいのか」という議論になりました。


私はこのとき、受験というものに対しても含め、自分の想いとしてこう言いました。
「やっぱり勉強はできないよりできるほうがいい。漢字を知らないよりは知っているほうがいい。将来もしお嫁さんをもらって、そのお嫁さんに馬鹿にされない程度には勉強してもらいたい。」


やっぱり尊敬される男であって欲しいわけです。


「う~~ん。どういう男になって欲しいかっていうか、息子の嫁にね、『私、Hくんと結婚できて本当に幸せです』って言ってもらえるようなそんな男になって欲しいのよ。もしかしたら、私たちの子育ての結果を客観的に判断できるのって、子供や本人でもなく、子供の配偶者なんじゃないかって思うの。私たちは一生懸命育てるけど、親のエゴがあって、自分は何時も頑張ってきたという想いしかないけど、本当はそうじゃないこともいっぱいあるはず。もし、私たちが息子にしてきた子育ての結果が出るとするのなら、それは息子の持った家庭に出るんじゃないのかな。私たちよりも、きっと息子の妻や子供のほうが、息子のことをよく知ることになるはずだよね。」


これは私の経験から感じてきたひとつの回答です。
そうじゃない場合もあるかもしれません。少なくとも私にとって、夫は反面教師かもしれません。
でも・・・私はこういう価値観を持つようになっていました。


じゃあ、いったい息子にどうなって欲しいのか?
学力?忍耐力?無駄遣いしないこと?稼ぐ力を持つ男?
どれも欲しい!(爆)。でも学力だけはDNAレベルでもう挫折。
お金も大事、でもその前に学力も必要になってきてしまうのかな?
中学受験はちょっと難しいかもしれない我が家。
じゃあどうする?どうなってほしい?


この時点では「嫁さんを幸せにできる男!」という結論になったものの、それが具体的にどういうことなのかをつかめないまま議論は終わりました。


今朝一番に見た輝夜師匠のブログに、私の探し求めていた回答が書かれていたので、びっくりしました。

『大切なことは、愛することが出来る人間になることなんだなって思います。自分を愛し、ひとのことも愛せる人。』


これだよ!!!!と自分の中で結びつきました。
いつもいただく内側からのメッセージではなかったのですが、でもこれも私にとってはひとつの啓示であり、メッセージでした。


学力も、体力も、気力も、家庭を守るだけきちんと稼げるかも大事。
でも一番大事なことは・・・人間として、愛することが出来るかどうかなんだなって。


私は愛することを教えているだろうか?
愛することがどれほど尊く、自分を愛することがどれほど難しいかを。
私は息子や娘を愛しているけれど、その愛がどうか、行き過ぎてこの子達の行く手を阻むものにならないように。いつかこの子達が私の望むような未来に行かなかったときがきても、小言を言わず、本人の意思をよく尊重し、引き止めるか進ませるかの決断を間違わないように・・・。


愛というものはきっと押し付けるものではなく、受け入れるものだから。


抱きしめて愛を伝えられる時間なんてあっという間に終わってしまいます。いつの間にか私の腕に入ることすら拒むでしょう。できるなら、「ママ抱っこして」と望むときは静かに抱きしめてあげるだけでいいのですね。抱きしめてあげることで、私の愛は伝わるはずです。「愛とは、こういう温かさのことです」ときっと伝わるはずです。


息子がどこでどんな女性と結婚しても、娘が誰のところに嫁いでも、愛することをちゃんと知り、実行できたなら、きっと心配は要らないのでしょう。私も次世代に「愛」を伝える役割を担っているわけです。自分勝手で、相手を思いやることを知らないまま結婚して欲しくないですね。


まだまだ先の話ですけどね(^-^;
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東京に無事到着しました・・・といっても、現在の家は東京の田舎って感じの立地なので、以前都心に住んでいたほどの落差はないのですが。


実家で本の整理をしていたのですが、同時にたくさんのカセットテープ(カセット!レコードと同じくらい死語になりつつありそうなしろもの・・・)もいっぱい出てきました。


渡辺美里、TMネットワーク、永井真理子、岡村靖幸、杏里、プリンセスプリンセス、チェッカーズ、フェンスオブディフェンス、久保田利伸、浜田麻里、バービーボーイズ、ユニコーン、レベッカ・・・書いているだけで恐ろしいくらいにレトロです。現役で活躍している人もそうでないひとも、本当にたくさん集めていました。あのころから今でも活躍していて、なおかつ大好きなのは槇原敬之と徳永英明・・・特に彼らの作品は昔のものほど好きです。


その中で面白そうなものを東京に持ち帰ってきました。
今の流行の曲は何がいいのかわからないし、いつも子供のアニメソングばかりでもつまらないので・・・。しかし、もうカセットは車に搭載されていませんので、ラブソングのオムニバスCDを車用に選びました。大量のカセットは破棄する気持ちになれませんでした。やっぱり・・・どこかで引き止められてしまうんです。もう二度と聞くことはないかもしれませんが、それでも破棄するのはしのびなかったんですね。


持ち帰った中に小泉今日子の「木枯らしに抱かれて」という名曲が入っていました。こちらアルフィーの高見沢さんが作詞作曲された曲ですが、片思いを歌った切ない名曲。これを車の中でかけていたら、やっぱり歌詞がスラスラ出てくるんですね。もう20年近くの年月が経っていても。
「出会いは風の中・・・♪」ではじまり、さびが「切ない片思い、あなたは気づかない」・・・。何度これをカラオケで思いをこめて歌ったことか・・・。歌詞というよりも、この詞に没頭して泣いていたころの自分に思いをめぐらしてちょっと浸ってしまいました。
今、片思いなんて当然、していない(ありえない)わけですが、あのころの自分は、大好きな男性の心ひとつ、つかむこともできず、ただ苦しく、出口のない場所を行ったりきたりしていたんですね。


今、恋愛から遠ざかった自分が、恋愛の歌を聞いて、あのころの自分を引き出すと、すごく違和感があるというか、でもあのころがあって、今の自分につながっているという感覚もあるし、だけどもうあのころの感性はまた別のものに生まれ変わっているんだなという感じなんですね。


一生懸命やってもぜんぜんダメだった恋愛。いっぱい泣いた夜を越えてきた自分。
それから、子供の教育で頭を抱えたり、お金のやりくりで悩んだり、占いをしていこうと決めた今の自分。


どっちも私の一生懸命さは変わらない。ただ背景が違うだけで。


五感を大事にするということを最近教えられましたが、耳で自分の人生を振り返ることのできる音楽って、すごい発見があります。
街中で、昔付き合っていた人と同じ香りの男性とすれ違うと、瞬時にあの記憶が戻るのと同じように。耳から受ける刺激は、私の「思い出」という広い畑を耕して、今を生きる私のヒントを教えてくれます。


思い出が増えるということが年齢を重ねるということでもあります。
そしてその思い出がつながって今の自分があるということ。この膨大な積み重ねが現在です。どこも途切れていないんですね。自分を受け入れるということは、こんなにたくさんの想いを積み重ねてきた自分を知るということ。


特別なことではないのです。
きっとそれぞれが思い出という、かけがえのない財産を生み出しながら、私たちは歩き続けるのでしょう。思いが出る(いずる)私たちのそのときそのときの思いで人生をつむぎだしています。ひとりひとりの思いがいつか振り返る思い出になり、私たちを支えているのです。ですから、どんな思い出であったとしても、「あんなつらかったことも、こんなにつらかったことも・・・」という人生であったとしても、それを乗り越えたことを誇ってほしい。そして思い出が人を支えていることも多々あるのですね。
昔を振り返ってばかりでは前に進めませんが、たまに昔大事にしていた音や香り、写真などで自分の現在位置を確認したら、また前を向いて歩けるでしょう。


年をとって、そうした思い出箱の中身が増えていくのは、自分自身の耕された内面を知るようで、とてもうれしいことです。
シワやシミが増えるのは歓迎できませんが(^-^;でも、自分の内面は豊かになっていく。それに気がつけたら、今命を守られながらこの場所にいる自分がちょっと愛おしくなりました・・・。


自分の両親が昭和30年代のナツメロ番組を好んで聴いて口ずさんでいた気持ちがなんとなくわかる年齢になりました。私は「なんでこんな古めかしい曲がいいのかなあ」と思っていましたが・・・昭和っていう響きすら今は古いんですね。でも私は自分を生み、はぐくんでくれた昭和が好きです。
そこにはいいものも悲しいものも振り返るのも恥ずかしいものも、ぎゅっと詰まっているからです。
私が今「ああ、私って幸せ・・・」と思う瞬間ってこんなときです。


例えば・・・
子供に囲まれて昼寝をしているとき。
お客さんとの向き合いの中で「ああ、この一言が言えてよかった」と思うとき。
朝、保育園に向かう途中の道で、広い空を見上げるとき。
自分の書いた日記が、自分の気持ち以上のものを表現できたとき。
「気づき」が起きた瞬間。
他人の言葉に感動して、「よし!やるぞ!」と思えるとき。


つかの間の瞬間かもしれませんが、心をつかむような感動というのは深く、私の心を満たします。昔は「食べているとき」「寝ているとき」が幸せとしか言えなかったのですが(苦笑)、もちろんそれも変わりませんが、この道に入って、私が今まで知らなかったこの世の理(ことわり)を教えてもらったりすると本当に感動しますね。今どうしてこんなことが自分の身の回りに起きているのか、それを解明できたとき、「おおおおっ!」と叫びたくなります。その点だけ見るのなら、私の幸福論は非常に精神的なものによる部分が大きくなってきました(でも前提として「健康である自分」がいることが大事です。体が動く幸せが一番ありがたいことですよね)。


当たり前という毎日の流れにこうやって幸せを感じられること。
でもそれは多くの幸いによって守られている私の命あってこそ。
それを感じられるような私になれてよかった。
当たり前を幸いとできる自分があってよかった。


日々いろんな気づきを得られるようになって、私の内面にあった弱さは、弱さではあるけれど、同時にそれが私なのだということも知ることができました。
自分にとっての幸せの素材は、それは自分の内側にあるもので、今まで放置してあった宝箱に手をかけるようなものかもしれませんね。宝箱から発見があるたびに、ゾクゾクするような感動があります。


すさんできた私の人生前半の屈折した心も、今ようやくお役に立っているのかもしれません。


うまく書き表せないのですが、かつての私は自分について「どうして私ってこんなにだめなの」と思うことは山ほどあって、自分を受け入れたりできなかったのです。でも今自分の中から前向きな言葉が生まれてきたり、あの苦しみがあってこそ今の自分の言葉の基礎があるのだと思えたら、苦しみも私の幸福感の手伝いをしているということなんですよね。


幸せを感じるいうことは、さまざまな葛藤や苦しみに飲まれることなく、その悩みと向き合い、自分の壁を自分で越えるときに感じるものなのでしょうね。


あと、「感動したっ!」と思える感性をちゃんと持っていることがとても大事なんですね。たくさん感動できる人って実は本当に幸せ者。感動のない人生なんて・・・味気ないものですよ。たくさんお金を持っているか、たくさん役職をいただくとか、ということよりも、たくさん感動できることに巡り会えた人が本当に恵まれた人だと思うのです。それこそ、自分で自分に感動がいっぱいできる人になれたら・・・大満足です。


幸せについて語ろうとすると難しさがどうしてもつきまとってしまい、今の私にはこの段階しか書けませんでした。でも、また私の中で「こうかな?」という新しい見解が生まれたら、このテーマでまた書いていこうと思います。
私は電話占いの会社に所属して一年三ヶ月たちます。
現在の会社で私が「対応できる占術」として看板を上げているものは、


四柱推命☆☆☆☆☆
気学九星術☆☆☆☆☆
タロット☆☆☆☆
姓名判断☆☆☆☆
風水☆☆☆


タロットには「タロット」と「霊感タロット」の二種類があり、私は「タロット」を選びました。
何が違うのかというと、「タロット」は質問をカード展開したら、本などの解説を基本に忠実にリーディングし、解き明かしていく方式。
「霊感タロット」は占い師のインスピレーションを優先・重視してリーディングを行う方法です。


私はずっと「霊感」をつけることが恐れ多くてできませんでした。
自分自身の中に、「霊感がある」という確信が持てなかったのです。だからタロットだけでいいと思っていたし、そういったインスピレーションの来ない自分に劣等感もありました。


しかし、時代の求めるニーズとして、霊感という第六感的なものを占い師に要求する人が多くなってきたのですね。素人であるのなら「タロット」よりも「霊感タロット」という看板に惹かれるのも無理はありません。私も占いをしていただけるのならぜひ霊感の先生を体験したいと思っています。
「タロット」を看板にしていると、やはり鑑定のチャンスも減ります。それが私の腰を上げさせるきっかけになりました。


でも・・・霊感という名詞に自信が持てずに居ました。輝夜師匠の霊感タロットの素晴らしいとしか言いようのない鑑定の仕方を知っているからかもしれませんが、やっぱり自信が持てなかったんですね。苦手意識も強かったのでしょう。


ただ、ここのところ霊体験という大げさなものではないのですが、「やっぱり見えないけれど、ガイドが居てくれるんだ」と素直に感じられるようなシンクロや事件がここのところ立て続けに起きて、霊感のない自分でもさすがにこれは何のサインだろうと思えることばかり。
「霊感タロット」に足を踏み入れてもいいかどうか、尋ねてみました。


「自分の霊性を信じなさい」


とだけ言われました。
「霊感」は誰にでもある能力です。占いをしているとそれを使う場面が増えるから育ってきやすいのかもしれませんが、私は劣等感でそれを信じていなかった。足りないもの、ないものと判断していました。
しかし、もう「ない」なんて思わなくていいんだ、そう思えました。


劣等感が邪魔をして、自分が感じられる能力がないと思い込んでいただけで、霊感タロットに変更しても何も狂うことはないし、ちゃんと感じられるものを培って来たのだから、失敗を恐れず、踏み出して御覧なさい。


霊性というのは、自分が持っている、目には見えない自分の魂や、見えないものを感じとる部分だと思っています。それを信じて託してみます。
自信がないから、できないからと逃げたくはありません。もしつまづいたらそのときまた考えることにしましょう。
二日前のことになりますが、お仕事で「・・・(嫌悪感)。」を味わいました。詳細は書けませんが、占い人生相談が人を相手にする仕事である以上、こういったことは避けられません。


まあ、生きている限り、別に占い師でなくたって、心の中で「チッ」とつい思ったり、頭にくることなんて、人と関わる限りはついて回るものです。


電話を置いた後「なんて人だ。」「どうしてああいうものの捉え方しかできないんだろう」という感情が一気に溢れ出します。もっと踏み込んで話をすればよかった、という余裕なんてありません。逃げたいからです。向き合うよりも早く逃げたい自分がいるからです。
電話を切ってしまえば、もう関わらずに済むから。つまりは、嫌悪感と長時間付き合えないのですよね。


でも、ずっとこの相談者とのやりとりがすごくひっかかっていて、もちろん「もう受けたくないな」と思うけれど、その半面で「気になる」のですよ。どうしてこういう人がいるんだろう。何がこの人をそうさせるのだろう。私が何を言えば、この人に届くのだろうか。だって、相談者とろくにはなしもしていない占い師の私でさえ、これだけこの人に感情を振り回されるのですから、この人の周りにいる人たちはもっと思うことがあるはずです。この人は周囲を温かく包み込めるような、そんなことができるのだろうか・・・とかね。人間性が周囲に与えている問題が大きいと感じるから、私の逃げの姿勢は、本当は正しくないのです。


鑑定が終わったらひきずらないようにしようと心がけているのですが、どうもこの相談者のことが気になって仕方がないのですね。たぶんもうこの相談者は私には二度と鑑定してもらいたくないと思っているだろうけれど(苦笑)。


どうしてこの人が私のお客様として回ってきたのか。
そう考えていると、メッセージをいただきました。


「よく見つめなさい」


なぜこの人が私のところに来たのか。
そのとき私の中に湧き上がった嫌悪感をよく見なさい。
湧き上がった嫌悪感をしっかり見つめると、怒りが変わる。
怒りが変わるということは、怒りが消えることでもある。
ひいてはそれが、自身を浄化することでもある。


相手の言動に伴い、自分が感情を汚されたような気持ちになったとき、まず相手を見るのを一時停止。自分の感情の動きを見ることで、私たちは自らの怒りを違うものに変換することができるということ。
生きていく上で、怒りとは自分をコントロールするために絶対に必要な感情です。怒らないようにするのが感情のコントロールではなく、怒りを感じたときにどう対処すべきかということがコントロールなのだから。


「見つめる」
この行為、他人を見つめることよりも、自分を見つめなさいということ。案外、自分のこと、38年も付き合っててまだわからない部分が圧倒的に多いですものね。あ、歳がばれちゃいましたね(爆)。


明日から息子と二人でボーイスカウトのキャンプ生活に突入してまいります!自然の中でいつもとは正反対のアウトドア生活をしてくるので、どんな「気づき」がくるのか、ちょっとドキドキしています。もちろん、息子と一緒に楽しめるのが一番うれしいですよ。更新がお休みになってしまいますが、また来週から頑張って更新します!




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HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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