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占い師としての成長日記
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今夜一夜限りだけの独身時代です。
23日に夫の実家で秋祭りがあり、子供をそちらに参加させるため、前日から子供を預けてきました。私は夜、待機を入れてあるので、半日だけ一人で家にいます。先ほど、実家から電車を乗り継いで帰宅しました。本当に、久しぶりに夜の7時代、帰宅ラッシュの特急電車に乗りました。銀行員時代と同じ沿線ですので、本当に懐かしすぎるラッシュアワー・・・。
ラッシュなのに、妙に浮かれてウキウキしていた私。あの混雑は、ただ苦しくて重たい通勤だったけれど、毎日じゃなくなると、これすら楽しみになるんですね。


準特急だったので、すごい人でしたが、途中で席が空き、終点まで座れました。


久しぶりに環境が変わり、いつもと違う時間の過ごし方をしたせいでしょうか。自分の中で「力ってなんだろう?」という問いかけをずっと考えていたのですが、こんなメッセージをいただきました。


「力(この場合は霊能力)が先ではない。
(特に私の場合は)自分がちゃんと自分を受け容れられるかが先にある。
自分を包容する、その想いを体感しなければ、力を得たとしても、それは愛を持って使いこなすことはできない。力を得ても、結局私たちが向き合うのは、人間。自分を受け容れられない人間に、他人を受け入れ、助けることが、たとえ優れた力を持っていてもできるのだろうか?」


そういわれました。
私の中で、その回答は、ぐっと胸にささり、納得のいくものでした。


自分はいつもコンプレックスがあって、感じられない、読み取れない、それは霊感がないからだ。だから力がほしい・・・と願っていたのです。
でもその前に、しなければならないことがあって、それをおろそかにしてはいけないということです。
逆に、「今のままの私が今の私を受け容れたら、もうそれはすごいことなんだし、もっと自信を持っていいんじゃないか。」といわれたようにも思います。霊能力は欲しいと思っていたけれど、今の私に必要なものは、霊能力ではなく、自分を受け入れること・・・。そこまではこんなにハッキリと、より明らかな声で教えられました。ならば、行かねばなりません。


10年前、毎日揺られながら見ていた景色を追いながら、どこか懐かしくもあり、寂しくもあり、わくわくも感じる、不思議な時間でしたが、この声は確実に私の指針になっています。
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私はここのところ、眠る前に、「私に必要なメッセージを夢を通じて教えてください」と祈りながら眠りについています。
今の私に必要なものを教えてください、寝る前にオラクルカードを引いて、それを枕元に置いたりもします。


でも、いつも目覚めるとほとんどが忘れてしまっていることが多くて、メッセージとは言いがたいのかもしれないけれど、でもこれだけはいえること・・・夢の背景はいつも銀行です。銀行の金庫、本店の研修室?支店の窓口・・・私は10年間銀行勤務しましたが、そのうちの5年間は実家近くの田舎の支店で、もう半分の5年間は都内の支店で過ごしたのですが、絶対に夢に出てくるのは、田舎の支店なんです。メンバーもそう。都内の店は一回も出てきません(苦笑)。どうしてだろう?都内店に転勤を命じられて退職するまでだって、慣れない環境と、周囲との差があったりして、結構苦労したのに、それは何一つ出てこないんですよね。いつも新人時代を過ごした支店しか出てこない。それから出演者もそう・・・。


私と一緒に働いていた当時、何の役職もなかったお兄さん的存在の男性もいまや支店長になる年齢です。その人たちが、入社したばかりの私たちを連れて遊園地や花見や花火にテニス・・・とにかく連れ回されました。
楽しいとかあまり思えなくて(笑)、なんだか必死でした。試験はあるし、仕事もきついのに、日曜日も遊ぶわけですから、もう大変です。
そんな人たちと過ごした季節が、今何度も何度も、夢を通じて蘇ってきます。


結婚してから退職し、銀行にパートに出る夢も見ました(爆)。
それはありえない話なのですが、実際窓口でお手伝いをしている自分がいます。
現実の私はたとえ年収1000万出すからといわれても、もう銀行に戻るつもりはないのですが・・・。夢の中で私は何度も銀行の窓口に立ちました。


さて・・・これをメッセージとして解釈するのなら、二つあります。
ひとつは、あのころ全力で一生懸命やっていたこと。
ふたつめは、だけれど自分の根っこが弱く、人の意見に左右されて、いつもフラフラしていたこと。悔しいことがいっぱいあったのに、それを出すこともできず、自分が悪いんだといつも責めて暮らしていたこと。


20代の最初・・・もしかしたら人生の中で、ある意味一番力が強く、キラキラと輝いていたり、夢中になれるものを模索しながら働くことができる時期かもしれません。
でも私はキラキラもしていなかったし、夢中にもなっていなかったです。
あるのは「人にどう見られるのか。だらしないって思われたくない。無責任って言われたくない。」それだけが私の中のエネルギーでした。
年に二回のボーナスだけを生きがいにしていたかも・・・(爆)。


そういう意味で、私は自分の人生なのに、今ほど真剣に自分について模索もしていませんでした。ただ「どう思われているのか」だけが一番大事で。これって親の影響もあるかもしれませんが、それにも気づけないまま私は5年を過ごしてきたわけです。ある意味、修正できるのなら、修正したいかもしれません。


退職してもう10年近くたとうとしているのに、しかも入社した場所なんて20年近く前ですよ?もう時効じゃないか?と思えるくらいの時間が経過してもなお、あの五年間には凝縮された重要なことがあるのでしょうか。
夕べは仕事がなかったので、久しぶりに子供と一緒に22時に寝ました。
途中で目が覚めたりして、ぐっすり寝たのかわからないうちに朝が来て・・・いつもは辛い6時の起床のベルが、今日は抵抗なく起きる事ができました。ああ・・・全然違うんだ・・・と体の軽さが嬉しい。


朝一番にすることはいつも部屋のカーテンを開けて、空気を入れ替えることです。特に東南向きの子供の部屋はすがすがしい朝の気が満ちているので、朝カーテンを開けると、思いっきりあふれるような朝日が見えます。


今日は思いがけずすごくいい天気で、住宅街の屋根の向こうから、燃え上がるような太陽が顔を出し始めていました。


なんていうか、ちょっと感動します。


太陽がこの時刻になると当たり前のように私たちのところにやってきてくれて朝が始まること。
太陽がいきなり気まぐれを起こして?反対方向に出たり、動きを止めてしまったら私たちどうなるんでしょう?
絶対にそうならない、と断言できるでしょうか?


朝の太陽を見たことがありますか?
意外とないかもしれませんね。
優しいです。力強いのに、優しい。そして、光がとっても柔らかくあったかいです。
思わず手を合わせてしまった私です。


いつも忘れることなくちゃんと顔を出してくれるお天道さまに。
その朝日を受け止めて、感謝できる自分に。
生きてこの朝日を浴びられる自分に。
朝日のあったかさを感じられる自分の肌に。


私は頭頂部分(つむじのあたりですね)を朝日に向けます。
そうすると、光で頭上から浄化される感じ!とっても気持ちいいです。あとは背中。普段お風呂で自分ひとりだと背中って上手に洗えませんし、どこが汚れているのかも自分ではわからないですね。だから背中を朝日で洗い流すように、太陽の光を背中で受け止めるんです。


ぜひやってみてください。日光消毒という言葉があるけれど、まさにその人間版日光消毒を朝日で行ってみるという感じです。


先週金曜日、私は午後が仕事を休みだったので、金融機関巡りをしました(笑)。記帳とか、今月分の預け入れとか、いろいろが溜まっていたからです。


まず真っ先に立ち寄ったのは、給食費を引き落としている信金の通帳記入です。しばらく行っていなかったので、残高が足りなくなったら・・・という不安があり、記入してみました・・・問題なし!OK!!


通帳の残高を確認して、駐車場に出ようとロビーを横切った私に、信金の内部で事務仕事をしている女子社員の声がしました。


「ありがとうございました。」


ちょうど昼時で店内は閑散としていました。お客様は私くらいでしたので、その挨拶は明らかに出て行こうとする私に向けられたものです。


その言葉を発端にして、もう一人の女子社員の声が「ありがとうございました。」と続きました。


私は、胸がいっぱいになりました。


私は10年前、信金と同じように、地方銀行の窓口で、自動ドアが開くたびに「いらっしゃいませ」と声を出し、お客様が窓口ではなく、キャッシュコーナーだけの用事であっても「ありがとうございました」とお礼をいう毎日でした。でも私が声を出せば、他の人たちもまるでウェーブのように「ありがとうございました」と発声してくれました。そんな当時の気持ちや状況がフラッシュバックしたからです。


思い出が懐かしかったから胸がいっぱいになったというよりも、その女子社員の気持ちのいい挨拶で、なんだか「ここに来て良かったなー」とさわやかな気持ちになれちゃったんです。


そして思いました。10年間、あの銀行の窓口で何千回も発声した私の挨拶はすべてが全力のものではなかったかもしれないけれど、でもきっと誰かに「あ、気持ちいいな」って何回かは思ってもらえたものかもしれないと。
私が投げた一生懸命さは、無関係な誰かの気持ちを少しだけさわやかな気持ちにさせたこともあったかもしれない。そんな確信が、フツフツと湧いてきました。


そして一番感じたのは、自分の投げた言葉が10年後、またこうして何の関係もない誰かからブーメランのように返って、そして励まされます。我が身から投げた言葉が、何年かしてちゃんと自分の手に帰ってきます。
因果応報は、自分のしたことは自分に帰ってくるという意味ですが、これも一つの因果応報かもしれません。一生懸命、不器用ながらに銀行の仕事をこなしていた自分が発した挨拶は、きっと通り過ぎていく、見知らぬ誰かの心を動かしていたに違いない・・・そんなことを信金のロビーで教えてもらえました。


ホント、あの当時は失敗ばかりでみんなの足を引っ張っていた私ですが、声だけは大きくて元気がよかったので(演劇部の賜物?!)銀行の内部事務にいるときから自動ドアが開くたびに大声で出迎えていました。


苦しくてたまらない中でも、一生懸命取り組むことに何の無駄もありません。10年たって、あの修行時代が生きていることを痛感するばかりです。同時に、最近の私は、あのころの一生懸命さがとても愛しく感じられてなりません。

我が家は私のリクエストで神棚を作りました。
そこには天照大神様、氏神様、出雲大社様のお札を飾らせてもらいました。榊を買ってきて飾っていると「神棚!!」の存在感があります。グリーンのパワーってすごいですね。
榊を枯らしてしまって、何も飾っていないと、すごく間が抜けた感じなんですよ。


毎日お米、塩、水を取替えて手を合わせるようにしています。


と、書くのは簡単。やるのは大変。
「え?神棚にお供えするだけでしょ?」と思われるかもしれませんが、「それだけ」でも毎日やるって意外と大変なんですね。
忘れてしまったり、朝バタバタしていて「あとでやろう」と思っていたら、すっかり夜になっていたり、出かけてしまったりすると、タイミングを失ったり・・・毎日お勤めすることの大変さを知ります。


神棚に供えるのですら、こんなにとちったり忘れたりするのに、毎日腹筋10回なんて、もっと大変かもしれません・・・。


でも、できるかぎり「忘れないように」自分を正します。神棚に向かうわずかな時間すら確保できないような生活も悲しいものです。


毎日のささいなことでも、その時間を作り出すのは大変なんですね。
だからこそ、小さなことでも毎日やることにはものすごく意義があります。庭をお掃除したり、トイレをちょっと拭いたり・・・。毎日食事を作るのも大変ですよ。たまに楽をしたくなるときもありますしね。


神棚が来てから「毎日のささいな時間」すら、かけがえのない大切なものだということを感じています・・・。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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