占い師としての成長日記
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ここのところ、輝夜師匠の体調が優れない日々が続いています。もともと胃の悪い輝夜師匠でしたが、それでも食べたいという気力までなくなってしまうようなことはありませんでした。しかし、今回は病院でいただいたお薬が合っていないのかもしれない様子で、吐き気が続き、食べたくないし、食べられないということをおっしゃっているので、これは大変だ・・・いつもと違うかもしれない・・・と心配になる日々が続いています。考えたくないけれど、衰弱という言葉がよぎってしまいます。私の中でいつも輝夜師匠はタフで倒れることを知らないスーパーマンのような存在でした。しかし、今はそうではない、非常にお辛い状況です。毎日精力的に更新されていた運営サイトも、ついに休止宣言を出されました。
輝夜師匠は実家を離れ一人暮らしですし、一番頼りにされていたお母様を五年前にご病気で亡くされています。一緒に生活しているのは愛猫のランマル君ですが、ランマル君も老猫のため、万が一輝夜師匠が入院になったりでもしたら預ける先もなく、猫によっては環境が変わったストレスだけで死んでしまう猫もいるため、安易に病院やペットホテルに預けるという選択は絶対に出来ません。輝夜師匠の妹さんには小さいお子さんがいて、しかも離れているため、輝夜師匠はご自分が倒れられたら、誰かに甘え、頼るというスタイルがまったくないのですね。その厳しい事情は長いこと密なつながりを持っていた私は良く知っています。もし、突然何か不測の事態が起きても、そのサインを真っ先に察知できるのは毎日やりとりしている私です。
そんな輝夜師匠がご自身の状態のお悪い中、私にお電話をくださいました。
輝夜師匠と私は同じ電話鑑定の会社に所属していますが、ここのところの私の成績不振は私自身の気持ちを非常にナーバスに陥らせていました。もちろんこのことで私は輝夜師匠に心配をずっとかけていました。最近、鑑定の仕事が激減し、経済的にも精神的にも追い詰められた状態ですが、やはり「鑑定がない=私は必要とされていないのではないか?」という想いがぐるぐると頭の中を支配し、「やっぱり私はこうだからだめなのか・・・いや、だめだなんて思うな!」と落ち込み、這い上がり、でも結果が出ず、毎日が反省と反省と、動かない仕事への不安でいっぱいになっていました。そのことで輝夜師匠に鑑定をお願いし、ご相談していた経緯もあります。
電話の内容はこうでした。
輝夜師匠は私のことを心配され、会社の管理者と私のことを相談して下さっていたのです。それによると「暇なのは雨音さんだけではなく、新しい鑑定士が増えたため、雨音さんと同じような状況の先生もたくさんいます」とのことだったそうで、でも、輝夜師匠は「ただ、たとえ会社の集客率が上がり、相談者が増えたとしても、それで雨音さんの問題が解決するとは思えない。つまり、相談者が多いか多くないか、それによって相談者が雨音さんのところに回ってくるか否かが問題ではなく、雨音さん自身に問題があると思います」とハッキリ言われました。
「集客率の問題ではないとしたら、自分の何が問題なんだと思う?」
と輝夜師匠は私に訊ねました。
「私に個性がないからでしょうか?」
「個性がないなんてことはないでしょう。雨音さんはちゃんと個性もあるし、占いの知識もちゃんと持っている。じゃあ、何が問題なのかと言うと、これから言うことを落ち込む材料としてではなく、きちんと受け止めて欲しいのだけど、たとえば今、私は今までになく具合が悪い状態にあるよね。でも、こんなとき、雨音さんを頼りたいと思えないの。むしろ、雨音さんと向き合うときは虚勢を張って、師匠として弱っている自分を見せないようにしなくては・・・と思ってしまう。なぜなら、雨音さんはこんなとき、一緒にオロオロしてしまったり、何をどうすべきか、正しい判断が出来なくなってしまうでしょう?たとえば、私は今回胃が酷く弱り、お医者さんに胃カメラを勧められたよね。でも、私は母を診断ミスで亡くしたということや、当時の医者たちの酷い態度のせいで病院にトラウマが出来、信頼や安心で診察を受けようという気持ちにどうしてもなれないということがありました。それに、私には年老いた猫がいるので、この子の最期を看取るまで入院できないし死ねないという気持ちもあるので、胃カメラの検査は出来ないし、たとえ最悪癌であっても入院出来ないのだから、知っても意味がないと雨音さんに言っていました。でも、それは冷静ではない私の『想い』であって、正しいことは、胃カメラの検査をきちんと受け、病気と向き合う勇気を持つことでしょう?でも、雨音さんは私のようなトラウマと想いの持ち主に、それでも胃カメラの検査を受けるべきか否か、判断がつかないんですよね。それだけじゃありません。今回私は病院に行ってから余計に胃が弱ったので、雨音さんは何度も『病院に行かなければ良かったんじゃないか』というようなことを言っていました。でも、これは間違いです。確かに病院に行ってから余計に胃が弱りましたが、でも、行かないことが正解ではないことだけはハッキリしているでしょう?行かなきゃ治らないくらい今回胃が弱っているのは明らかなんですから。こんなふうに、雨音さんは何が正しいのか、どうすればいいのかわからないわけです。それじゃあ占い師はダメなんですよ。相談者も私のように気が動転していたり、精神的に追い詰められたりして、冷静な判断が出来ない状態にある場合が多いです。そんな時、正しい道を指し示すことが出来なければ、占い師としてやっていけないでしょう。渦中の私が言うのもおかしい話ですが、今回のことでは『師匠の気持ちはわかりますが、それでも胃カメラの検査は受けるべきです。もしも入院が必要なら、猫ちゃんのことは私も出来る限り協力させていただきますし、妹さんもきっと協力してくれると思います。何とかなるものですよ!だから、ちゃんと検査して、きちんと治療を受けてください』と私に言えなければいけなかったです。もうプロとなって一年以上経ったのですから。だって、もしもこれが私ではなく、我が子だったらどうでした?それでも胃カメラの検査は受けるべきではないかもしれない、病院に行かない方が良かったかもなんて思いましたか?そんなことないでしょう?もう何が問題なのか良くわかったと思うのですが、雨音さんはハッキリ言って、こんなふうに頼りないんですね。」
私には身に覚えのあることでした。モヤモヤしていた「原因」が一気に言葉になって私に押し寄せてきました。
「きっと雨音さんは今まで自分から積極的に他人と関わろうとしていなかったんだと思います。私はいつも『占い師じゃない時間も占い師として生きなさい』と教えてきたけれど、日頃の自分がどれだけ占い師としての姿勢に影響を与えているか、これで良くわかったと思います。色々な人とただ関わればいいのではなく、何かあったとき、その人に嫌われることを恐れて何も言わないのではなく、たとえ嫌われるのだとしても、その人のためにどれだけのことを言ってあげることが出来るのか、してあげることが出来るのか、これが大切なんですね。でも、雨音さんはそれをしてこなかったんですよね。その姿勢がそのままお仕事に反映されちゃっているんだと思いますよ。」
師匠の言われるとおりでした。自分の今までの姿勢を振り返ると、他人のために嫌われるのを覚悟で飛び込んだ記憶がないのです・・・。何時も私の頭の中には、自分が嫌われないためにどうするべきなのかが中心でした。相手のために自分がどこまで頑張るかという尺度は持ち合わせていない、それが輝夜師匠から見て、私を頼ろうという気持ちが起きない原因でもあったのです。いや、輝夜師匠だけではなく、きっと私に関係する周囲の人々、お客様、みんな、すでにわかっていたのですね。自分だけが知らなかったのです。
今までの私はそのSOSを受け取る役から逃げていました。あと、師弟関係ということもあり、師匠に対して進言することに抵抗があったのかもしれません。
「ちょっと嫌な言い方をするようだけど、たとえばもしも私が胃癌で、このまま死ぬことになってしまったら、もう雨音さんに色々教えてあげることは出来ません。私は雨音さんの師匠だけれど、親がいつまでも元気でいるとは限らないのと同じように、私もいつどうなるかわからないでしょう?雨音さんより先に死んじゃうことだってあるかもしれない。だから、私がこうしてアドバイス出来るうちにしっかりした自覚を育てて、一日も早く安心させて欲しい。」
私は師匠のこの言葉を聞きながら、以前師匠に言われた言葉を同時に思い出していました。
これは誰との向き合いでも言えることですが、
『何かあったらいつでも相談してきなさい』
そう言ってくれている間に、それを鵜呑みにして甘えることなく自立するようにしなさ
い。
それは、いつも輝夜師匠に甘えてしまう私への戒めの言葉でもありました。
また、こうも言われたことがありました。
家族や親しい友人などに見せる顔こそが『素の自分』。
単独でいる時の自分は、自分さえ良ければいいという『協調性のない自分』であって、
『素の自分』ではありません。気を抜いているときの自分こそが『素の自分』=『本性』
になりますから、
魂を向上させたいと思っているのなら、親しい間柄であればこそ、甘えを出さずに、
きちんと気遣えるようにならなくてはいけません。
輝夜師匠とのことに限らず、私は他人と深く関わりあうことをすごく怖れてしまう部分がありました。というか、他人のために一生懸命になれない自分がいつもいるんです。友達のピンチ、友達の子供のピンチ、師匠のピンチ、「ふ~ん」という感じでいつもスルーしてきたんじゃないかと思います。これが私の「素」なんですね。他人のために一生懸命になれない私が、仕事の量が向上するわけもないのです。
輝夜師匠がいつも教えとして私に伝えている内容は、占いは当たる当たらないが大事ではない、一番大事なことは、その人のために一生懸命鑑定できるか、そこに尽きるということ。そのために私がすべきことは鑑定だけを一生懸命するのではなく、普段のこうした他人とのやりとりから逃げないことだと指摘を受けました。
輝夜師匠はこのことについて、こう言われました。
「人との関わりで色々なつまづきが起こってくると、それによって萎縮することもあるかもしれません。萎縮するのは簡単です。でも、萎縮したまま、ただ行動することを、関わることをやめてしまったら、同時に『こうしてあげたい』と思っていた気持ちも一緒に捨ててしまうことになります。たとえば、誰かの悩みに気付いて、その人のために良かれと思ってしたことが、そんなつもりじゃないのにカドが立ってしまったり、間が悪かったなんてこともありますよね。それにひるんで萎縮してしまうのではなく、知らずに立てたカドなら謝罪して、今後気をつければいいだけの話ですし、間が悪かったなら、タイミングを覚えればいいわけです。せっかくいい気持ちで行ったことなんですから、そうやって気をつけながら行動を起こすようにしていけばいいんですよ。萎縮からは何も生まれないでしょう?」
私は普段の生活における人との関わり合いを見直さなければならないと思いました。
なぜ、私に顧客が出来ないのか。
それは、技術が足りないのでも個性がないのでもない。私が相談者の人生に深く踏み込み、信念を持ってアドバイスをきちんと伝えることが出来なかったからです。お客様の顔色をうかがい、自分の鑑定にお客様はどう反応するのか、そればかり気にしていたため、お客様から見て頼りに出来るような占いをしてこなかったのですから、当然の結果です。
輝夜師匠は先日の占いで私が占い師として挫折することになるかもしれないという結果が出たこともあって、今の私の状態を深刻に受け止め、「もしかしたらこの体調不良は重篤な病気のせいかもしれないけれど、もしもそうであったなら、こうして生きてこんなふうに話せるうちに、師匠として雨音さんに言うべきことをきちんと言わなければならないと思って、今回これらのことを伝えることにしました」と言われました。どんなに自分が辛くても、這いつくばってでも伝えてくださった、愛のある私への魂の教えなのですね・・・。
このような姿勢は、私にあったでしょうか?
最後に厳しい言葉がありました。
「雨音さんは今まで痛いことがあると、すぐに落ち込み、逃げに入っていました。でも、いい加減にその姿勢を改善出来なければ、雨音さんは占い師として本当に挫折することになってしまいます。第三者である私がこれだけ危機を感じているのだから、当事者である雨音さんはもっともっと意識しないとダメ。本気で根本から見直し、改善するようにしなさい。」
占い師として大事なことは霊感でも、ミステリアスな空気でもない。本当に大事なことは人のためにどこまで一生懸命になれるかということ。
なのに私は、その基本を忘れて、どう見られるか、どうすれば注目を集めてもらえるのか、力ばかりを追い求めていたわけです。本当にお恥ずかしい限りです・・・。これから長い道のりですが、私は挫折できませんし、したくありません。すぐに改善できないこともありますが、言われたことはしっかりと受け止め、忘れないようにメモしておきます。
何かあったとき、そこにもし、誰もおらず、自分だけしか元気に動ける人がいなかったら、「信頼のバトン」をどう受け止めるか。「私にどこまで出来るかわからないけれど、やってみるしかないね」と受け取るか、「え~~~?!私だけ?無理だよ~」とオロオロするのか。
結果はどう出るか分からないけれど、役割を受入れてみる勇気は養っておかなくてはならないのだ、ということを、輝夜師匠の提言してくださった言葉で目が覚めた気持ちです。
自分のために真剣に向き合ってくれる人がいる。
なのに私は「できない」「私には無理」というのか。
そうじゃない、やればちゃんとできる。こうやって向き合ってくれる人が、私に足りないものを教えてくれているのだから、きっとできる・・・。
本日の感謝・・・
体調がよろしくないというのに、それでもこうして、私のためのヒントを即座に教えてくれた輝夜師匠。自分の緊急事態すらも、私が占い師としてどう成長していくのかをきちんと見届けてくださっている。
なのに私はいつも「できません。自信がありません。輝夜師匠はすごいです。」の三拍子で腰が引けていた。ああ、穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい。でもこれが私。等身大の私。
目をそらさずに見るべきだ。自分の体を張って大事なことを教えてくださった師匠の気持ちを無駄にしたくない。すべてが抜け落ちてはならない大事なポイントなのだから・・・。また今回のブログを記載するに当たっては輝夜師匠のお力がなくては出来なかった。私の書いた原稿をさらに分かりやすく、細部にわたって再現してくださいました。輝夜師匠、本当にありがとうございます。一刻も早く、体調が落ち着かれますことを祈っております。
輝夜師匠は実家を離れ一人暮らしですし、一番頼りにされていたお母様を五年前にご病気で亡くされています。一緒に生活しているのは愛猫のランマル君ですが、ランマル君も老猫のため、万が一輝夜師匠が入院になったりでもしたら預ける先もなく、猫によっては環境が変わったストレスだけで死んでしまう猫もいるため、安易に病院やペットホテルに預けるという選択は絶対に出来ません。輝夜師匠の妹さんには小さいお子さんがいて、しかも離れているため、輝夜師匠はご自分が倒れられたら、誰かに甘え、頼るというスタイルがまったくないのですね。その厳しい事情は長いこと密なつながりを持っていた私は良く知っています。もし、突然何か不測の事態が起きても、そのサインを真っ先に察知できるのは毎日やりとりしている私です。
そんな輝夜師匠がご自身の状態のお悪い中、私にお電話をくださいました。
輝夜師匠と私は同じ電話鑑定の会社に所属していますが、ここのところの私の成績不振は私自身の気持ちを非常にナーバスに陥らせていました。もちろんこのことで私は輝夜師匠に心配をずっとかけていました。最近、鑑定の仕事が激減し、経済的にも精神的にも追い詰められた状態ですが、やはり「鑑定がない=私は必要とされていないのではないか?」という想いがぐるぐると頭の中を支配し、「やっぱり私はこうだからだめなのか・・・いや、だめだなんて思うな!」と落ち込み、這い上がり、でも結果が出ず、毎日が反省と反省と、動かない仕事への不安でいっぱいになっていました。そのことで輝夜師匠に鑑定をお願いし、ご相談していた経緯もあります。
電話の内容はこうでした。
輝夜師匠は私のことを心配され、会社の管理者と私のことを相談して下さっていたのです。それによると「暇なのは雨音さんだけではなく、新しい鑑定士が増えたため、雨音さんと同じような状況の先生もたくさんいます」とのことだったそうで、でも、輝夜師匠は「ただ、たとえ会社の集客率が上がり、相談者が増えたとしても、それで雨音さんの問題が解決するとは思えない。つまり、相談者が多いか多くないか、それによって相談者が雨音さんのところに回ってくるか否かが問題ではなく、雨音さん自身に問題があると思います」とハッキリ言われました。
「集客率の問題ではないとしたら、自分の何が問題なんだと思う?」
と輝夜師匠は私に訊ねました。
「私に個性がないからでしょうか?」
「個性がないなんてことはないでしょう。雨音さんはちゃんと個性もあるし、占いの知識もちゃんと持っている。じゃあ、何が問題なのかと言うと、これから言うことを落ち込む材料としてではなく、きちんと受け止めて欲しいのだけど、たとえば今、私は今までになく具合が悪い状態にあるよね。でも、こんなとき、雨音さんを頼りたいと思えないの。むしろ、雨音さんと向き合うときは虚勢を張って、師匠として弱っている自分を見せないようにしなくては・・・と思ってしまう。なぜなら、雨音さんはこんなとき、一緒にオロオロしてしまったり、何をどうすべきか、正しい判断が出来なくなってしまうでしょう?たとえば、私は今回胃が酷く弱り、お医者さんに胃カメラを勧められたよね。でも、私は母を診断ミスで亡くしたということや、当時の医者たちの酷い態度のせいで病院にトラウマが出来、信頼や安心で診察を受けようという気持ちにどうしてもなれないということがありました。それに、私には年老いた猫がいるので、この子の最期を看取るまで入院できないし死ねないという気持ちもあるので、胃カメラの検査は出来ないし、たとえ最悪癌であっても入院出来ないのだから、知っても意味がないと雨音さんに言っていました。でも、それは冷静ではない私の『想い』であって、正しいことは、胃カメラの検査をきちんと受け、病気と向き合う勇気を持つことでしょう?でも、雨音さんは私のようなトラウマと想いの持ち主に、それでも胃カメラの検査を受けるべきか否か、判断がつかないんですよね。それだけじゃありません。今回私は病院に行ってから余計に胃が弱ったので、雨音さんは何度も『病院に行かなければ良かったんじゃないか』というようなことを言っていました。でも、これは間違いです。確かに病院に行ってから余計に胃が弱りましたが、でも、行かないことが正解ではないことだけはハッキリしているでしょう?行かなきゃ治らないくらい今回胃が弱っているのは明らかなんですから。こんなふうに、雨音さんは何が正しいのか、どうすればいいのかわからないわけです。それじゃあ占い師はダメなんですよ。相談者も私のように気が動転していたり、精神的に追い詰められたりして、冷静な判断が出来ない状態にある場合が多いです。そんな時、正しい道を指し示すことが出来なければ、占い師としてやっていけないでしょう。渦中の私が言うのもおかしい話ですが、今回のことでは『師匠の気持ちはわかりますが、それでも胃カメラの検査は受けるべきです。もしも入院が必要なら、猫ちゃんのことは私も出来る限り協力させていただきますし、妹さんもきっと協力してくれると思います。何とかなるものですよ!だから、ちゃんと検査して、きちんと治療を受けてください』と私に言えなければいけなかったです。もうプロとなって一年以上経ったのですから。だって、もしもこれが私ではなく、我が子だったらどうでした?それでも胃カメラの検査は受けるべきではないかもしれない、病院に行かない方が良かったかもなんて思いましたか?そんなことないでしょう?もう何が問題なのか良くわかったと思うのですが、雨音さんはハッキリ言って、こんなふうに頼りないんですね。」
私には身に覚えのあることでした。モヤモヤしていた「原因」が一気に言葉になって私に押し寄せてきました。
「きっと雨音さんは今まで自分から積極的に他人と関わろうとしていなかったんだと思います。私はいつも『占い師じゃない時間も占い師として生きなさい』と教えてきたけれど、日頃の自分がどれだけ占い師としての姿勢に影響を与えているか、これで良くわかったと思います。色々な人とただ関わればいいのではなく、何かあったとき、その人に嫌われることを恐れて何も言わないのではなく、たとえ嫌われるのだとしても、その人のためにどれだけのことを言ってあげることが出来るのか、してあげることが出来るのか、これが大切なんですね。でも、雨音さんはそれをしてこなかったんですよね。その姿勢がそのままお仕事に反映されちゃっているんだと思いますよ。」
師匠の言われるとおりでした。自分の今までの姿勢を振り返ると、他人のために嫌われるのを覚悟で飛び込んだ記憶がないのです・・・。何時も私の頭の中には、自分が嫌われないためにどうするべきなのかが中心でした。相手のために自分がどこまで頑張るかという尺度は持ち合わせていない、それが輝夜師匠から見て、私を頼ろうという気持ちが起きない原因でもあったのです。いや、輝夜師匠だけではなく、きっと私に関係する周囲の人々、お客様、みんな、すでにわかっていたのですね。自分だけが知らなかったのです。
今までの私はそのSOSを受け取る役から逃げていました。あと、師弟関係ということもあり、師匠に対して進言することに抵抗があったのかもしれません。
「ちょっと嫌な言い方をするようだけど、たとえばもしも私が胃癌で、このまま死ぬことになってしまったら、もう雨音さんに色々教えてあげることは出来ません。私は雨音さんの師匠だけれど、親がいつまでも元気でいるとは限らないのと同じように、私もいつどうなるかわからないでしょう?雨音さんより先に死んじゃうことだってあるかもしれない。だから、私がこうしてアドバイス出来るうちにしっかりした自覚を育てて、一日も早く安心させて欲しい。」
私は師匠のこの言葉を聞きながら、以前師匠に言われた言葉を同時に思い出していました。
これは誰との向き合いでも言えることですが、
『何かあったらいつでも相談してきなさい』
そう言ってくれている間に、それを鵜呑みにして甘えることなく自立するようにしなさ
い。
それは、いつも輝夜師匠に甘えてしまう私への戒めの言葉でもありました。
また、こうも言われたことがありました。
家族や親しい友人などに見せる顔こそが『素の自分』。
単独でいる時の自分は、自分さえ良ければいいという『協調性のない自分』であって、
『素の自分』ではありません。気を抜いているときの自分こそが『素の自分』=『本性』
になりますから、
魂を向上させたいと思っているのなら、親しい間柄であればこそ、甘えを出さずに、
きちんと気遣えるようにならなくてはいけません。
輝夜師匠とのことに限らず、私は他人と深く関わりあうことをすごく怖れてしまう部分がありました。というか、他人のために一生懸命になれない自分がいつもいるんです。友達のピンチ、友達の子供のピンチ、師匠のピンチ、「ふ~ん」という感じでいつもスルーしてきたんじゃないかと思います。これが私の「素」なんですね。他人のために一生懸命になれない私が、仕事の量が向上するわけもないのです。
輝夜師匠がいつも教えとして私に伝えている内容は、占いは当たる当たらないが大事ではない、一番大事なことは、その人のために一生懸命鑑定できるか、そこに尽きるということ。そのために私がすべきことは鑑定だけを一生懸命するのではなく、普段のこうした他人とのやりとりから逃げないことだと指摘を受けました。
輝夜師匠はこのことについて、こう言われました。
「人との関わりで色々なつまづきが起こってくると、それによって萎縮することもあるかもしれません。萎縮するのは簡単です。でも、萎縮したまま、ただ行動することを、関わることをやめてしまったら、同時に『こうしてあげたい』と思っていた気持ちも一緒に捨ててしまうことになります。たとえば、誰かの悩みに気付いて、その人のために良かれと思ってしたことが、そんなつもりじゃないのにカドが立ってしまったり、間が悪かったなんてこともありますよね。それにひるんで萎縮してしまうのではなく、知らずに立てたカドなら謝罪して、今後気をつければいいだけの話ですし、間が悪かったなら、タイミングを覚えればいいわけです。せっかくいい気持ちで行ったことなんですから、そうやって気をつけながら行動を起こすようにしていけばいいんですよ。萎縮からは何も生まれないでしょう?」
私は普段の生活における人との関わり合いを見直さなければならないと思いました。
なぜ、私に顧客が出来ないのか。
それは、技術が足りないのでも個性がないのでもない。私が相談者の人生に深く踏み込み、信念を持ってアドバイスをきちんと伝えることが出来なかったからです。お客様の顔色をうかがい、自分の鑑定にお客様はどう反応するのか、そればかり気にしていたため、お客様から見て頼りに出来るような占いをしてこなかったのですから、当然の結果です。
輝夜師匠は先日の占いで私が占い師として挫折することになるかもしれないという結果が出たこともあって、今の私の状態を深刻に受け止め、「もしかしたらこの体調不良は重篤な病気のせいかもしれないけれど、もしもそうであったなら、こうして生きてこんなふうに話せるうちに、師匠として雨音さんに言うべきことをきちんと言わなければならないと思って、今回これらのことを伝えることにしました」と言われました。どんなに自分が辛くても、這いつくばってでも伝えてくださった、愛のある私への魂の教えなのですね・・・。
このような姿勢は、私にあったでしょうか?
最後に厳しい言葉がありました。
「雨音さんは今まで痛いことがあると、すぐに落ち込み、逃げに入っていました。でも、いい加減にその姿勢を改善出来なければ、雨音さんは占い師として本当に挫折することになってしまいます。第三者である私がこれだけ危機を感じているのだから、当事者である雨音さんはもっともっと意識しないとダメ。本気で根本から見直し、改善するようにしなさい。」
占い師として大事なことは霊感でも、ミステリアスな空気でもない。本当に大事なことは人のためにどこまで一生懸命になれるかということ。
なのに私は、その基本を忘れて、どう見られるか、どうすれば注目を集めてもらえるのか、力ばかりを追い求めていたわけです。本当にお恥ずかしい限りです・・・。これから長い道のりですが、私は挫折できませんし、したくありません。すぐに改善できないこともありますが、言われたことはしっかりと受け止め、忘れないようにメモしておきます。
何かあったとき、そこにもし、誰もおらず、自分だけしか元気に動ける人がいなかったら、「信頼のバトン」をどう受け止めるか。「私にどこまで出来るかわからないけれど、やってみるしかないね」と受け取るか、「え~~~?!私だけ?無理だよ~」とオロオロするのか。
結果はどう出るか分からないけれど、役割を受入れてみる勇気は養っておかなくてはならないのだ、ということを、輝夜師匠の提言してくださった言葉で目が覚めた気持ちです。
自分のために真剣に向き合ってくれる人がいる。
なのに私は「できない」「私には無理」というのか。
そうじゃない、やればちゃんとできる。こうやって向き合ってくれる人が、私に足りないものを教えてくれているのだから、きっとできる・・・。
本日の感謝・・・
体調がよろしくないというのに、それでもこうして、私のためのヒントを即座に教えてくれた輝夜師匠。自分の緊急事態すらも、私が占い師としてどう成長していくのかをきちんと見届けてくださっている。
なのに私はいつも「できません。自信がありません。輝夜師匠はすごいです。」の三拍子で腰が引けていた。ああ、穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい。でもこれが私。等身大の私。
目をそらさずに見るべきだ。自分の体を張って大事なことを教えてくださった師匠の気持ちを無駄にしたくない。すべてが抜け落ちてはならない大事なポイントなのだから・・・。また今回のブログを記載するに当たっては輝夜師匠のお力がなくては出来なかった。私の書いた原稿をさらに分かりやすく、細部にわたって再現してくださいました。輝夜師匠、本当にありがとうございます。一刻も早く、体調が落ち着かれますことを祈っております。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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