占い師としての成長日記
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今日、ある方から年賀状が届きました。
その方は、私の短大時代の友人、Aちゃんのお母様でした。同じクラスで同じゼミを選択し、仲良く行動していたAちゃんと私ですが、短大を卒業して三年後、Aちゃんは突然の病でこの世を去りました。亡くなる半年前、Aちゃんは仲間の誰よりも一番早く、花嫁衣裳を着て、愛する人の元に嫁いで行ったのです。
死の知らせはあまりにも突然でした。
それは忘れもしない、皇太子様のご成婚の日です。その日は国民の祝日になっておりましたので、私は外に遊びに出かけていて、家に着いたときその知らせを受け取りました。あまりにも早すぎるAちゃんの死・・・。最後に出会ったAちゃんは半年前の、幸せの絶頂の時だったのですから。
もう16年も前になってしまうのですね・・・。
その死から二年後、私は短大時代の友人とAちゃんの家を訪れました。ケーキ屋を営んでいたご両親の顔色はまだ暗く、通された仏壇の上に飾ってあったAちゃんの遺影は笑顔のドレス姿でした。ご両親の後悔の念、なぜ・・・なぜ急いで嫁がせてしまったのか、そうでなかったら手遅れになることもなかったかもしれない。もう少し手元に置いていればこんなことにはならなかったはず・・・何度も何度もそれを繰り返していました。「思い出してくれてありがとう。来てくれてありがとう。娘も喜んでいると思います」そういいながらも、お母様の顔は悲しみの色に満ちていました。
その後私は東京で生活し、そこで結婚し子供を授かり、短大時代をすごした東海地方に足を運ぶ機会はほとんどなくなりました。でも毎年皇太子の結婚記念日がやってくると、どうしてもAちゃんのことを思い出します。
下の娘が生まれて8ヶ月くらいのときだったと思います。今から約五年前、用事があってAちゃんの家の方面に足を運ぶことがありました。私の両親と私の子供と二人を連れて訪問したのは熱い夏の夜でした。
Aちゃんのご両親はどうしているだろうか・・・?
このチャンスを逃したら、またこちらに来ることはもうほとんどないかもしれない・・・。
そう思って訪問したのですが、たどり着いたAちゃんの店舗兼自宅は真っ暗です。店舗の看板はもう字が見えなくなっており、重くシャッターが閉じていました。もしかしたらお引越しをされてしまったのか、連絡をせずに突然やってきた自分を後悔しました。しかし、家の玄関にはお父様のお名前がかかっていたので、安心して、チャイムを押しました。
Aちゃんのご両親は家におられました。
しかし、ケーキ屋を閉じ、家の中は足の踏み場もないくらいに乱れていました。モノとごみが山積し、足の踏み場もないのに、その中でもAちゃんの仏壇に続く道だけはきれいに道ができていて、甘い供え菓子のにおいが部屋に満ちていたのです。本当にここに人が住んでいるの?ここは本当にあの時訪れた家なの?私はかなり動揺しました。
それでもお母様は遠路はるばる来てくれてありがとう、といって私をねぎらい、突然の訪問にもかかわらずお線香を上げさせてくれました。
ケーキ屋を継ぐのは本当はAちゃんだったのですが、Aちゃんは長男の跡継ぎ息子と結婚するという経緯があり、妹さんにこの店をお願いすることになるという話は、Aちゃんから生前聞いていました。でもきっとご両親は長女のAちゃんに本当は継いでもらいたかったんでしょうね。なのに、あまりにも早くこの世から旅立って・・・娘さんの死はご両親の生きる力を根こそぎ奪ってしまったのでしょう。閉店状態になった店が何よりもその気持ちを表していました。
その訪問はあまりにも衝撃的で、私はご両親の後悔や、苦しみがいまだに続いていることを思い知らされました。
お母様はそのとき、私が結婚したことを話すと「本当だったらあなたの結婚式を娘が祝うはずだったのだから、これをお祝いに持って行ってね」と私へお祝いを包んでくれたのです。それがきっかけで五年前から年賀状だけはやりとりをするようになりました。いつもあの家で、今はどうしていらっしゃるのだろうかと案じながら・・・。
そして今年の年賀状が届きました。
お母様の字です。年賀状にはこう書かれていました。
「お近くにお立ち寄りの際はぜひお寄りください。また洋菓子店はじめましたので」
五年前訪れたときは、もう洋菓子店を開くパワーなど残っていないと思えた状況でした。
その後、ご両親にどんな心の変化が訪れたのか分かりませんが、それでももう一度、ケーキを焼き始めたということに深い感動がありました。よかった・・・。本当によかった・・・。娘の思い出と共にあのままあの家で暮らしていくだけなのかと、私の中で気がかりはいつも残っていたけれど、今日の年賀状のその一文字で、本当によかったと思えたのです。
愛する我が子を突然の病で失い、そして生きる気力まで失ってしまったご両親。
ですが、時間はかかったかもしれませんが、もう一度、お店を開いてくださったのです。天国のAちゃんもきっと喜んでいることでしょう。私もいつか、新しく一歩を踏み出したご両親の焼いたケーキを買いに伺いたいです。
応援しております。どうぞ体に気をつけて、頑張ってください。
その方は、私の短大時代の友人、Aちゃんのお母様でした。同じクラスで同じゼミを選択し、仲良く行動していたAちゃんと私ですが、短大を卒業して三年後、Aちゃんは突然の病でこの世を去りました。亡くなる半年前、Aちゃんは仲間の誰よりも一番早く、花嫁衣裳を着て、愛する人の元に嫁いで行ったのです。
死の知らせはあまりにも突然でした。
それは忘れもしない、皇太子様のご成婚の日です。その日は国民の祝日になっておりましたので、私は外に遊びに出かけていて、家に着いたときその知らせを受け取りました。あまりにも早すぎるAちゃんの死・・・。最後に出会ったAちゃんは半年前の、幸せの絶頂の時だったのですから。
もう16年も前になってしまうのですね・・・。
その死から二年後、私は短大時代の友人とAちゃんの家を訪れました。ケーキ屋を営んでいたご両親の顔色はまだ暗く、通された仏壇の上に飾ってあったAちゃんの遺影は笑顔のドレス姿でした。ご両親の後悔の念、なぜ・・・なぜ急いで嫁がせてしまったのか、そうでなかったら手遅れになることもなかったかもしれない。もう少し手元に置いていればこんなことにはならなかったはず・・・何度も何度もそれを繰り返していました。「思い出してくれてありがとう。来てくれてありがとう。娘も喜んでいると思います」そういいながらも、お母様の顔は悲しみの色に満ちていました。
その後私は東京で生活し、そこで結婚し子供を授かり、短大時代をすごした東海地方に足を運ぶ機会はほとんどなくなりました。でも毎年皇太子の結婚記念日がやってくると、どうしてもAちゃんのことを思い出します。
下の娘が生まれて8ヶ月くらいのときだったと思います。今から約五年前、用事があってAちゃんの家の方面に足を運ぶことがありました。私の両親と私の子供と二人を連れて訪問したのは熱い夏の夜でした。
Aちゃんのご両親はどうしているだろうか・・・?
このチャンスを逃したら、またこちらに来ることはもうほとんどないかもしれない・・・。
そう思って訪問したのですが、たどり着いたAちゃんの店舗兼自宅は真っ暗です。店舗の看板はもう字が見えなくなっており、重くシャッターが閉じていました。もしかしたらお引越しをされてしまったのか、連絡をせずに突然やってきた自分を後悔しました。しかし、家の玄関にはお父様のお名前がかかっていたので、安心して、チャイムを押しました。
Aちゃんのご両親は家におられました。
しかし、ケーキ屋を閉じ、家の中は足の踏み場もないくらいに乱れていました。モノとごみが山積し、足の踏み場もないのに、その中でもAちゃんの仏壇に続く道だけはきれいに道ができていて、甘い供え菓子のにおいが部屋に満ちていたのです。本当にここに人が住んでいるの?ここは本当にあの時訪れた家なの?私はかなり動揺しました。
それでもお母様は遠路はるばる来てくれてありがとう、といって私をねぎらい、突然の訪問にもかかわらずお線香を上げさせてくれました。
ケーキ屋を継ぐのは本当はAちゃんだったのですが、Aちゃんは長男の跡継ぎ息子と結婚するという経緯があり、妹さんにこの店をお願いすることになるという話は、Aちゃんから生前聞いていました。でもきっとご両親は長女のAちゃんに本当は継いでもらいたかったんでしょうね。なのに、あまりにも早くこの世から旅立って・・・娘さんの死はご両親の生きる力を根こそぎ奪ってしまったのでしょう。閉店状態になった店が何よりもその気持ちを表していました。
その訪問はあまりにも衝撃的で、私はご両親の後悔や、苦しみがいまだに続いていることを思い知らされました。
お母様はそのとき、私が結婚したことを話すと「本当だったらあなたの結婚式を娘が祝うはずだったのだから、これをお祝いに持って行ってね」と私へお祝いを包んでくれたのです。それがきっかけで五年前から年賀状だけはやりとりをするようになりました。いつもあの家で、今はどうしていらっしゃるのだろうかと案じながら・・・。
そして今年の年賀状が届きました。
お母様の字です。年賀状にはこう書かれていました。
「お近くにお立ち寄りの際はぜひお寄りください。また洋菓子店はじめましたので」
五年前訪れたときは、もう洋菓子店を開くパワーなど残っていないと思えた状況でした。
その後、ご両親にどんな心の変化が訪れたのか分かりませんが、それでももう一度、ケーキを焼き始めたということに深い感動がありました。よかった・・・。本当によかった・・・。娘の思い出と共にあのままあの家で暮らしていくだけなのかと、私の中で気がかりはいつも残っていたけれど、今日の年賀状のその一文字で、本当によかったと思えたのです。
愛する我が子を突然の病で失い、そして生きる気力まで失ってしまったご両親。
ですが、時間はかかったかもしれませんが、もう一度、お店を開いてくださったのです。天国のAちゃんもきっと喜んでいることでしょう。私もいつか、新しく一歩を踏み出したご両親の焼いたケーキを買いに伺いたいです。
応援しております。どうぞ体に気をつけて、頑張ってください。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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