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占い師としての成長日記
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すっかりご無沙汰していた夫側のお墓参りに行きました。引っ越したことのご報告もしないままだったのでずっと気がかりでいました。夏の暑さも一段落したし、来週のお彼岸週には出かけてしまうこともあり、今年はこの時期にお墓参りに行くことにしました。


といっても、遠いんです(苦笑)。東京を横断し、千葉県になりますので。外は快晴でしたが、それにしても暑かったですね!


駅で義母と待ち合わせをしてお墓に向かいました。


都の墓地なのでものすごく広くて大きいのです。彼岸前で墓地は大変混雑していました。みんな汗をかきながらお仕事をしていました。きっと親のお墓を兄弟で掃除しにしたんでしょうか。「これでいいかな」なんて汗をぬぐいながらの炎天下の作業が繰り返していました。


私たちも雑草を抜き、きれいにたわしで墓石を洗い、花を生けました。
隣の敷地の雑草が元気がよくって、こちらの敷地にまで草が伸び放題でしたので、抜いてあげました。この隣の墓の主は、何年来ていないのでしょうか。墓石は立派なものを使ってあるのに、墓石の高さまで伸びた草がそれを隠していて、とても見苦しく、悲しいものに見えます。


私も義母も、お墓を前にすると子供にかならずこういいますよね。
「お母さんはお前たちより先に死んでこの中に入るけど、年に一度はこうやってお前たちの家族を連れてお墓参りに来てね。」
子供は「死」がどういうものなのかは、この言葉だけで計り知れないでしょうけど、でも「死」は誰の上にもやってきて、そして人はお墓に入ることを漠然と学ぶのでしょうか。


当たり前ですが、お墓参りにいけるという「幸せ」を大事にしようと思います。昨年のお墓参りの際も同じようなことをブログに書いていました。
また今回も同じ思いになります。


家族が感謝する気持ちを持っているからここにこれること。
家族が健康で、働くことができるからここにこれること。
家族がどんないさかいや葛藤を持ってそこに存在していても、過去からの流れがあり、そして自分の流れがいつか未来につながっていくこと。
私たちの命は、大事な大事なパイプであること。
過去だけが大事でも、現在だけが大事でもない。
みんなみんなが存在していることが意味があって、互いを認め合うことが大事なんだ。それが未来を作ることになっていく。


義母は、無くなったお姑さん(つまり夫の祖母)から、隣に住んでいたから本当に辛い大変な思いを受けたそうですが、でも積年の恨み辛みもあるでしょうけど、ひいばちゃんのお墓参りにみんなで行くことができたことを「今日は私はすごくうれしい。幸せだ。」と昨日は何度も何度も繰り返していました。


私もいつか孫にそんなことを言うんでしょうかね(苦笑)。


私は「○○家」と書かれた墓石を見ました。
私と夫はたまたま結婚適齢期に知り合い、結婚することになりましたが、女はそこで氏が変わります。私は「○○家」と縁を結びました。

出会わなければまったくの他人ですが、結婚するということは、「○○家」の一員に加わり、○○家の祖先を敬い(会った事なくても敬う義務があります)、その存在に感謝できるかどうかにかかってきます。

結婚と恋愛が大いに違うのは、「○○家」の流れの中に身を置き、その流れの中で敬いながらも流れを絶えさせないように努力することだからでしょうか。その重みは全然違いますよね。責任があるわけですよ。役割もあるんですよね。

「郷に入りては郷に従え」といいますが、跡継ぎである夫を「自立させなくては!」と同居を解消し、勝手に外に飛び出してしまった私たち家族のことを、ご先祖様はどうみているんでしょうか。あきれていらっしゃいますかね(苦笑)。


きれいになったお墓に手を合わせると、勝手な振る舞いの私たちのことを
ご先祖様は「仕方ないな」と思って許してくださっているような気がしました。というかこれは勝手にいい方向に解釈しすぎでしょうか?


「また来ます」そうお約束して帰宅しました。
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クレーマーって何のことだろう?って思いました。
最初、コーヒーに入れるミルクのことだと思ったんですね。そのミルクをあわ立てる機械かと。
そうしたら、いろんなところにクレームを入れるお客さんのことを今クレーマーって言うんですね。


そうそう、思い出しました。なぜコーヒーか。クレマトップって商品名のコーヒー用ミルクありましたよね。余談ですけど(^-^)。


まさに私ってクレーマーの素質ありありだな、とおもうことがありました。


独身時代に貯めてきた大事な預金をある大手都市銀行に内緒で投資信託として運用してきたのですけど、ほうっていた間にこれが半分以下に値下がりし、今はかろうじて購入時よりわずかに安い金額まで戻りましたが、もうこんな無駄な投資はしたくないので、解約に伺いました。ほかにも主人のネットバンキングのことで聞きたいこともあったので、台風の嵐が襲うから空いていると思い、出かけてきました。


私の投資信託のことは夫に内緒なんで、実家の住所で作ってあったのですけど、電話で必要なものだけ聞いてそれから来ましたから、もっとスムーズに行くはずだと思っていたわけですが、受付相談窓口の若い女性、とにかく遅くて遅くて、私の目の前で事務処理をする時間よりも後ろに行って何か質問していたり、電話をして聞いたり、インターネットバンキングのことも即レスできず、「向こうでお待ちください」といわれて待たされ、
待つことはいいのですけど、たぶん様子からしてよく事務に精通していないのでしょうか。もっとほかの人がフォローするなりしてあげないと、あれでは待たされているほうもたまったものではありません。結局銀行に80分いました。


今都市銀行って受付窓口はゆったり話せるようになっていますが、でも事務のスピードまでゆっくりしてないか?!と思いましたし、何よりも「オイオイ!!」と思ったのは、とっても若くてきれいなお姉さんが対応してくださったのですが、書類が入っているオフィスのキャビネットをその美しい足で閉めていることでした。確かに足で閉めたほうが楽なのはよ~~~くわかりますが・・・( ̄▽ ̄;)


その女性が説明をするときとても声が小さいので、たぶん私の質問は、その女性にとってあまり得意な処理の分野ではなかったのでしょう。
一番ありがちな「これは取扱店に直接お電話で聞いていただいたほうがいいと思います」という回答でした。
そのときだけ、声が大きかったです(苦笑)。


クレーマーというより、一歩外に出ると、私ってとっても見る目が厳しいのでしょうか?これは昔の銀行員時代の気質?
私は待たされている間、席の前に「お客様の声ハガキ」がおいてあったので、よ~~~~~くそれを見て、一部かばんにしまいました。しかもそれを受付してくれたお嬢さんの目の前で。私も10年たつとかなり図太くなりましたねf(^-^; いやな顧客です。


ただでさえ、せっかくの財産が目減りして、ショックな上に(買うときはガンガンセールスしてくるというのに)、80分も待ってもそのときの駐車料金を負担してくれるわけでもなく、なのに「この解約は取引店に電話して確認してからしてください」ではちょっと悲しいですね。
大手ほど、人情が通りずらい仕組みではあるけど。


私は家に帰ってきて、大いに悩みながらお客様の声ハガキを書きました。


「若いお嬢さんが足でキャビネットを閉めるのは美しさが台無しです。もったいない!」


クレーマーはクレーマーでも、いきなり傷口を指摘するのではなく、いかに間接的に、でもちゃんと響くことがいえるかどうかが大事ですよね。
「遅い!」と訴えるのは簡単ですが、相手に受け入れてもらえるためのクレームの伝え方は、人間性を試される場でもあります。
クレーマーがサービス提供側に嫌われたら、声も届きませんしね。


クレーマーにも努力は必要のようです(笑)。




私は女性ですので、どちらかといえば男性よりも女性の言動にものすごく敏感かもしれません。いいなあと思う言動は真似をしたいと思いますし、逆に同性として恥ずかしい!と言いたくなることもこのような仕事をしていると多々あり、男性との向き合い方とはまったく異なっています。


女性と男性、その違いを考えると、「周囲の空気を読み、自分がその空気に対応する=気配り」が断然女性のほうが優れている思います。逆に言えば、それが女性らしさであり、その部分を磨くということは女性として生きるうえで無視できない事項でしょう。周囲に自分を合わせることは自分を失うということではないのです。自分を抑えて合わせるということを言うのではなく、自分が女性であるという自信を基盤に、言うべきことがあればやんわりと丁寧にお伝えし、賛辞したい部分は恥ずかしがらずにきちんとお話できる、そんな柔軟性を持った女性は年齢に関係なく、魅力があり、同性としても尊敬できるはずです。


女性の気配りひとつで場がまったく変わってしまいます。
そのような出来事を気づかせる二人の女性に最近出会いました。


某コンビニでの出来事。
せっかく夏祭りに出かけたのにもかかわらず、突然の雨で中断。子供たちに何も買ってあげずに帰ることになったため、せめてアイスくらいは買って帰ろうかと言って立ち寄りました。そのコンビニにはガチャガチャを売っていたので、たまにはいいかな・・・と思って二人の子供に「今日は買っていいよ」とOKを出しました。私は節約派一筋なので(苦笑)、ガチャガチャって、正直言ってその場だけのおもちゃで、ケースはそのままいらないごみになるし、中身によっては「いらない!」と思うようなものがあるので、子供が欲しがってもほとんどやらせません。
でも祖母からお小遣いをもらってお祭りに繰り出したのだから、これくらいの娯楽はいいだろうと思って、二人に100円玉を渡しました。もちろん、子供たちは大喜びです。普段ケチンボな母が100円を出してくれたのだから!


娘は今最大マイブームの「YES!プリキュア5」のガチャガチャを、息子は「ガリガリくんマスコット」を選択。まず娘がプリキュアのおもちゃを取り出しました。次に息子が機械にお金を投入したのですが、出てきません。中には4個ほどガチャガチャが残っているのですが出てきません。
息子が「かあちゃん、出てこないよ~~」というので私も触りましたが、やはりダメなので、レジの女性店員に声を掛けました。50代位の女性ですが、いつも店にいるのでオーナーかもしれません。


その女性は「あ~だめですね。お金返しますから。」と言って、レジから100円を持ってきました。
「残り少なくなると、出ないんですよ。」
私の手にそれを返すと、さっさとレジに戻りました。
それだけです。


ガチャガチャはそのコンビニの主力商品ではないけど、コンビニ内に置いてあるという事は、その販売に関して責任があると言うことです。
私だけでなく、息子も、レジの女性がガチャガチャを機械を開けて出してくれるものと思っていたので、この対応に、がっかりしました。
お金さえ返せばいいと思っているのでしょうか。
少なくとも、ガチャガチャを購入するのは子供であり、在庫がないならともかく、残っているのに手に出来ないというのは理不尽です。お金を渡してさっさと仕事に戻る女性には、息子のがっかりした空気が読めなかったんでしょうか。少なくとも、出ない機械をそのままにまたほったらかししておくのなら、また同じように子供が欲しがって、お金を入れても出ず、お願いすればないと断り、お金だけ返すのでしょうか。だったら、子供をがっかりさせるだけで、店として何の気配りも至っていません。申し訳ないですね、の一言もなく渡された100円がなんだか穢れて帰ってきたような印象で、私はものすごく許せなくなりました。
気配りとは、ただ仕事をこなすだけでなく、トラブル発生のとき、その影響を受ける人の気持ちにまで気持ちが及ぶか、否か、だと改めて考えさせられました。


面倒な対応が増えるのだからやっかいだわと考えるなら、最初からそんな機械など設置しなければいい。ないほうがよほどの気配りですよ。


もうひとつ。


我が家の隣の畑は土日の朝、野菜の朝市が開かれ、大勢の方がやってきます。並ばないと売切れてしまうんですね。土地柄、ご年配の方が多くて、私が並んでいると「お若くていいわね」なんて言われます。(完全に余談ですが)


朝市の開店を待っていると、そこに一台の高級車が止まり、60歳位のご夫婦が降りてきました。大体、朝市に並ぶのは主婦である女性だけで、夫婦で来る方はまったくいらっしゃいません。
で、見るからに、男性はこぎれいに身を固めた社会的に地位のある方であり、奥様は品のよいものをお召しになっていて、正直言って値段の安い野菜市に並ばなくてもいいんじゃないかって、庶民の私は思いました。
でもそのご夫婦の話を聞いていると、常連さんみたいなんですね。


開店時間になり、畑を作っているおじさんとおばさん(実はこのおじさんとおばさんは私たちの住むマンションの大屋さんなんです)がやってきました。並んだ順番にとれたて野菜を購入します。私が購入した後で、その高級そうなセレブ夫妻がおばさんに、手に持っていた紙袋を渡しました。
どうやら何かお礼の品を、おばさんに渡したようです。「いつもおいしい野菜をいただいているから・・・少なくて申し訳ないんですけど・・・」と、その奥様はおっしゃっていました。


変な見方かもしれませんが、私はこのご主人が社会的に成功している理由がなんとなくわかった気がします。


私自身、この朝市に並ぶことも多いのですが、新鮮な野菜をいただけるのは当たり前であって、その先にある「こんなおいしい野菜を低価格でいただけてありがたい。今度お礼をしたい。」という気持ちなど、この女性の行動を見なければわかりませんでした。


生産者と消費者という構図ですが、お金を払う以上、消費者のほうが言い分を通すことばかり考えます。でも、この女性が、生産者に対して「ありがとう」という気持ちを、きちんと伝えていることに感服しました。きっとこの女性は、お仕事をするご主人だけでなく、見えない相手にも想像力を働かせ、ご主人の周囲の人が気持ちよく過ごせるように、間接的なケアをしてきた女性なのでしょう。だからこそ、ご主人は奥様の見えない采配によって社会的地位も上げてきたのです。


誰でも歳をとれば、表面上の見た目は落ちます。どんな美人も老化には逆らえませんが、気配りのできる優しさは、その老化をカバーしても余りある魅力になるはずです。
私自身、そういう気配りがまったくと言っていいほど、できていなかったため、これから磨きをかけようと思います。
心がけが美しいと、感じていただければ嬉しいですものね。

「許す」ということについて考えさせられることがありました。


といっても仰々しいものではないのですが・・・。


私は20歳から10年間、銀行で勤務していました。ものすごく一生懸命やったと自分で思います。なぜ、一生懸命やったのかと言えば、私はものすごくおっちょこちょいで(これは、私を深く知る人、一緒に働いていた人なら大いにわかってくださる真実です)本当にミスが多くて、大迷惑な社員でした。だから、人より一生懸命にならなければ、普通にこなせないわけです。必死でした。銀行と言う体質は、ミスを許さない場所です。よく「一円でも合わなければ帰れない」というじゃないですか。あれは本当です。合わないからといって適当に流すことは絶対にあってはならないんですよ。数字はあいまいな部分など一切ない。合わなければちゃんと合わないと出ます。書類には必ず係印を押しますから、ミスの所在は明らかにわかってしまうしまうという厳しさがあります。
それに、銀行の仕事は、量も多いし、正確で迅速な作業を求められるので、私にとっては本当に「よく勤まったな」と思える場所でした。でも、今これだけははっきりと言えるのは、ものすごく頑張ったということです。
無遅刻無欠勤。勉強も試験もどんどん受けて、仕事も多くの後輩を育てさせていただく役割をいただきました。
私はそういう意味で、おっちょこちょいで上司に迷惑を掛けることは多々ありましたが、それを温かくケアしてくださる上にも恵まれたし、上司も仕事の出来不出来だけで私を扱ったりしなかったんだと思います。


銀行を退社してからもう10年近くたとうとしていますが、未だに私は月末の窓口の夢にうなされます。


目の前にお金と通帳と伝票が入ったカルトン(お金の受け皿)が山のように積まれ、お客さんがひっきりなしに私の目の前に立ち、処理する時間がなく・・・焦るあの気持ちを思い出させるような、そんな夢。
もちろん、現実も、月末の窓口と言うものはそれくらいに忙しかったです。今のようにインターネットバンキングなんて普及しておらず、企業でも自分たちのパソコンから振り込むことなんてなかったでしょう。
退社して銀行とは無縁の生活をしているにもかかわらず、私は窓口でお客様を待たせる夢ばかり見るのです。


先日、夏休みの旅行のため、ある駅で特急の予約をしたときのことです。
私が窓口に並んだとき、お客様は私の前に一人いたのですが、そのお客様の処理に大変時間がかかっていました。見ると机の上に、分厚い切符の山。ちょうど台風で首都圏が荒れていたときですから、団体での旅行をやめにしたのでしょう。そのキャンセルの手続きに追われる駅員さんの前で私は15分くらい待っていました。
駅員さんからは最初「時間かかりますけどちょっとお待ちいただけますか?」と最初に声を掛けられたので「ハイ」と答えてあったのです。
長い待ち時間を破るように、その処理中の切符の持ち主である女性は駅員さんに「私、ちょっと席をはずしますから、(私を指して)このお客様先にやってあげてください」と言ってくださいました。
すごい気配りだと思います。


私に譲ってくれた時点で、まだキャンセルの手続きは半分くらいしか進んでいなかったのかもしれません。
その女性は何も言わず、私の横で駅員さんの作業を待っていました。
私も、必死に端末を操作する駅員さんを見て、待っていました。


内心で時間だけがどんどん過ぎていくことに「早くしてよ!」と思いました。私は待たされるのが嫌いなほうなので。
でも、それを言ってどうなるというのでしょう。駅員さんが焦るだけです。
このとき私は銀行時代の窓口にいた自分を呼ぶことにしています。あのとき、月末はいつも私は30分から一時間くらいお客様をお待たせしていました。何度も「申し訳ありません」と頭を下げて待たせていたことでしょう。
でも、怒鳴られたり、けしかけられた記憶がないのです。
私はあの若いとき、多くの人から自分の未熟さや手際の悪さを許してもらいながら歩いてきました。だから今度は、私は若い人たちを許し、待つことを覚えなくてはいけません。それが、年齢とともに求められる「器の広さ」なのだと思いました。


「許す」ということは何も仰々しいことでないということは、こういうことです。


皆さんも、こうした場面に出くわすことがあるかと思います。
もちろんその駅員さんや応対した社員が一生懸命しているという前提は必要ですが、一生懸命やっていて、でも処理能力がまだまだ未熟な若い人に会ったとき、自分はどう思いますか?


自分勝手な大人が増えているということは、こうした場面で相手に脅しを加えたり、無意味な怒りをぶつけることだと思います。他人の一生懸命さがわかるならば、許すこともまた必要な場面があるのです。


私自身は気が短くて、待たされるのは大の苦手なのですが、若いときに私を見守ってくださった上司、お客様、その優しさがあのときの自分をケアしていたんだとわかります。でなければ、許しを知らない人に囲まれていたなら、私はすぐに退職し、自分の場所を失っていたに違いありません。自分が、「早くしてよ!」という剣を向けたなら、その剣がもしかしたらこの若者の現実の想いまで切り裂いてしまう可能性だってあるわけです。
10年間の生活で社会の厳しさを超えてこれたのは、多くの許しの中で生かしてもらってきたから。


そんなことがようやく、わかるようになりました。




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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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