占い師としての成長日記
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子供を通してのお母さん同士のお付き合いを煩わしい、億劫だ、苦痛だ、と感じている方が意外と多いのが、鑑定を通して知ることでもあります。
私も今現在進行形で、子供を通しての知り合いでしか友人を作るということはないので、とてもその問題をリアルに感じてしまいます。新しい場所に引っ越してきて、私の人間関係は一転しました。以前は、子供を通じた友達同士で呼び合ったり、ご飯をごちそうになったり、子供を見てもらったり・・・一週間のうち二日か三日は誰かの家にお邪魔したり、してあげたりだったんじゃないでしょうか。
濃密な関係があったのが、以前の生活でした。ところが・・・
今、新しい土地では、子供のためのおやつの皿が一回も使われたことが無く、戸棚の奥で眠っています(笑)。
私も、お母さん方と接触する機会はガクンと減りました。
娘は保育園ですので、働く親は送迎の時間が違うと、本当に一年くらい会わないお母さんだっているんですよ。迎えにいくのが五時くらいだから「今からうちに遊びに来ませんか?」っていうのもできませんしね。
「おはようございます」「さようなら」・・・これだけで保育園のお母さんとつながってる感じです。
でも、不思議なもので、そんな殺伐とした会話しかしていないのに、なぜかあるお母さんとご縁があり、月に一度近所のおいしい店に食事に行ったり、その際はお互いの家でお茶をしたり、出かける計画を立てられるようなご縁をいただきました。
その方とはその時間以外、特別にメールしたりしているわけでもないし、
よく会うということでもないのですが、月に一度のお楽しみの日に、彼女と行動することが私にとっては苦痛とか緊張とかを伴わないのです。
つまり、自分にとってとても気が楽で、自分を出せる相手なんでしょうね。
今回、彼女が運転をしてくれて、近郊の大きなショッピングモールに出かけました。前々から約束していたのですが、私は自分本位買い物型のB型なので、人とショッピングなんかできるのかな~~~とちょっと不安を抱きながらだったのですが、不思議なことにその緊張や不安を抱いていた自分が恥ずかしいほど、そんな心配は無用に終わりました。
ショッピングを共にすると言うことは、女性にとって難しいものです。
特に私のように、見栄っ張りな女性には・・・。セール品ばっかり見てたら笑われちゃうかな?とか考えちゃうんですよね。
私も変なところが負けず嫌いなので、そういった見栄を張るのが苦痛で、人とショッピングだけは約束してきませんでした。ましてや主婦同士の買い物ですから、それぞれの家計状態だって違うでしょうし。
でも、一日ショッピングモールを歩いていても、気疲れすることも無く、お互いに気持ちのいい買い物をして帰ることができたので、これは意外な収穫でした。あ、私、他人と買い物できたんじゃん!みたいな(苦笑)。
相性と言うこともありますが、相手の方が私に気を使ってくださったからですよね。そのお母さんの方が、影では疲れ果ててしまったかもしれませんが、「楽しかったね!また次回が楽しみだね」と言ってくれたので、なんだかほっとしました。
私は中学時代に「あんたと話していてもつまんないんだよ」と言われてから、自分が話すことにものすごい劣等感や、プレッシャーを感じてきました。「楽しませてあげないと嫌われる」というパターンでいつも人と向き合ってしまうので、無理なんですけど、たまにこのトラウマを完全に消しきれない自分がいやになるときもあります。私にとっての人間関係の構築は、常にこの「楽しくないと嫌われる」というものが基盤にあって、どこかでせかせかしているものだったかもしれません。
子供同士がたまたま同じ学年で同じ土地に育っているというだけでつながるお母さん同士の輪。
私はそこに入ることを恐れてもいますし、そこに入れば必ず自分が救われたりすることも知っています。学びの場所だと思うようにしています。
今回、何の偶然でこのお母さんと仲良くなったのかはもう忘れてしまったのですが(笑)、感覚が似ているというのかな、笑ったりする場所が同じで、いつまでも会話ができるというのが、不思議です。
類は友を呼ぶと言う言葉が大好きな私ですが、できるだけ明るく振舞うことで、自分にとって安らげる関係がやってくるってこともあるんですね。
私はここでロンリーな生活だと思っていましたが、そのお母さんと話していると、「ロンリーでもなかったね。よかったじゃん!自分!」と思えます。どこで誰とめぐり合い、意気投合するかなんて誰にもわかりません。
でも、意気投合することってこんなに楽しいことだったんだね、と思いますし、人間の人生って、捨てたもんじゃないなあ。孤独に生活しようとするほうが本当はもっと難しいんじゃないかと思います。
人間関係の中で生きること。その人間は関係の中で生きていく生き物。
そしてその人と人との関係やご縁を占うものが占い。
だから、私は自らの人生で、自分とかかわりあう人との関係を大事にしなければいけないと感じています。夫や子供や、両親や、嫁ぎ先の両親も、私と人間関係を結んだ人です。
みんなとフィーリングの一致があればこの上ない幸せですが、そうはいかないところが、きっと人間の宿題なんですよね。
私も今現在進行形で、子供を通しての知り合いでしか友人を作るということはないので、とてもその問題をリアルに感じてしまいます。新しい場所に引っ越してきて、私の人間関係は一転しました。以前は、子供を通じた友達同士で呼び合ったり、ご飯をごちそうになったり、子供を見てもらったり・・・一週間のうち二日か三日は誰かの家にお邪魔したり、してあげたりだったんじゃないでしょうか。
濃密な関係があったのが、以前の生活でした。ところが・・・
今、新しい土地では、子供のためのおやつの皿が一回も使われたことが無く、戸棚の奥で眠っています(笑)。
私も、お母さん方と接触する機会はガクンと減りました。
娘は保育園ですので、働く親は送迎の時間が違うと、本当に一年くらい会わないお母さんだっているんですよ。迎えにいくのが五時くらいだから「今からうちに遊びに来ませんか?」っていうのもできませんしね。
「おはようございます」「さようなら」・・・これだけで保育園のお母さんとつながってる感じです。
でも、不思議なもので、そんな殺伐とした会話しかしていないのに、なぜかあるお母さんとご縁があり、月に一度近所のおいしい店に食事に行ったり、その際はお互いの家でお茶をしたり、出かける計画を立てられるようなご縁をいただきました。
その方とはその時間以外、特別にメールしたりしているわけでもないし、
よく会うということでもないのですが、月に一度のお楽しみの日に、彼女と行動することが私にとっては苦痛とか緊張とかを伴わないのです。
つまり、自分にとってとても気が楽で、自分を出せる相手なんでしょうね。
今回、彼女が運転をしてくれて、近郊の大きなショッピングモールに出かけました。前々から約束していたのですが、私は自分本位買い物型のB型なので、人とショッピングなんかできるのかな~~~とちょっと不安を抱きながらだったのですが、不思議なことにその緊張や不安を抱いていた自分が恥ずかしいほど、そんな心配は無用に終わりました。
ショッピングを共にすると言うことは、女性にとって難しいものです。
特に私のように、見栄っ張りな女性には・・・。セール品ばっかり見てたら笑われちゃうかな?とか考えちゃうんですよね。
私も変なところが負けず嫌いなので、そういった見栄を張るのが苦痛で、人とショッピングだけは約束してきませんでした。ましてや主婦同士の買い物ですから、それぞれの家計状態だって違うでしょうし。
でも、一日ショッピングモールを歩いていても、気疲れすることも無く、お互いに気持ちのいい買い物をして帰ることができたので、これは意外な収穫でした。あ、私、他人と買い物できたんじゃん!みたいな(苦笑)。
相性と言うこともありますが、相手の方が私に気を使ってくださったからですよね。そのお母さんの方が、影では疲れ果ててしまったかもしれませんが、「楽しかったね!また次回が楽しみだね」と言ってくれたので、なんだかほっとしました。
私は中学時代に「あんたと話していてもつまんないんだよ」と言われてから、自分が話すことにものすごい劣等感や、プレッシャーを感じてきました。「楽しませてあげないと嫌われる」というパターンでいつも人と向き合ってしまうので、無理なんですけど、たまにこのトラウマを完全に消しきれない自分がいやになるときもあります。私にとっての人間関係の構築は、常にこの「楽しくないと嫌われる」というものが基盤にあって、どこかでせかせかしているものだったかもしれません。
子供同士がたまたま同じ学年で同じ土地に育っているというだけでつながるお母さん同士の輪。
私はそこに入ることを恐れてもいますし、そこに入れば必ず自分が救われたりすることも知っています。学びの場所だと思うようにしています。
今回、何の偶然でこのお母さんと仲良くなったのかはもう忘れてしまったのですが(笑)、感覚が似ているというのかな、笑ったりする場所が同じで、いつまでも会話ができるというのが、不思議です。
類は友を呼ぶと言う言葉が大好きな私ですが、できるだけ明るく振舞うことで、自分にとって安らげる関係がやってくるってこともあるんですね。
私はここでロンリーな生活だと思っていましたが、そのお母さんと話していると、「ロンリーでもなかったね。よかったじゃん!自分!」と思えます。どこで誰とめぐり合い、意気投合するかなんて誰にもわかりません。
でも、意気投合することってこんなに楽しいことだったんだね、と思いますし、人間の人生って、捨てたもんじゃないなあ。孤独に生活しようとするほうが本当はもっと難しいんじゃないかと思います。
人間関係の中で生きること。その人間は関係の中で生きていく生き物。
そしてその人と人との関係やご縁を占うものが占い。
だから、私は自らの人生で、自分とかかわりあう人との関係を大事にしなければいけないと感じています。夫や子供や、両親や、嫁ぎ先の両親も、私と人間関係を結んだ人です。
みんなとフィーリングの一致があればこの上ない幸せですが、そうはいかないところが、きっと人間の宿題なんですよね。
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今日は娘の保育園でお楽しみ会が開かれました。働く父母のための施設である保育園は土曜日が重要な行事日です。お楽しみ会とは、それぞれの学年が、合唱や合奏、それからお芝居を父母の前で披露するもの。お遊戯会みたいなものですね。
娘は4歳。4歳児は、歌と、合奏、それからひとつお芝居をすることになっていました。私は一番前の席を確保することができました!女の子だからこういった催し物は子供のほうが大変気合が入っているのです。「ママ見ててね!」と言って、いろいろお話をしてくれました。お楽しみ会のために、毎日練習を重ねてきたようです。
で、4歳児の番になりました。合唱と合奏です。合唱が終わった後、合奏は「かえるの歌」です。私の座っていた場所は一番前の列ですが、娘は後ろの列の一番端にいたので、前の列の友達の頭が邪魔をして、ビデオでも娘の全身がうまく入りません。でも一生懸命歌っている様子はわかりました。女の子は、男の子よりも歌を歌うのが本当に好きですよね。
歌が終わって、次の合奏に入りました。
ビデオでその様子を写していたのですが、位置的に、どうしても私の位置から娘の楽器を持つ手元が見えないのです。
問題はここで発生していたようです。
演奏中、娘は片方の腕をスカートのポケットに入れたり出したりしています。演奏中とは思えないくらい、不自然な動きなんです。娘は鈴を担当しているのですが、隣にいる鈴を振っている女の子と動きが合わない。あれ?と思いました。
実は・・・このとき、娘の分の鈴がなかったんですね。
前の子の頭に娘の手元をさえぎられていたため、私はそれに気づきませんでした。
お楽しみ会が終わり、家に帰って、さあビデオを見よう!ということで早速再生をしました。しかし、合奏の部分に来て、音楽が始まっているにもかかわらず、娘は明らかに手に何も楽器を持っていないシーンがあり、ここで初めて私は娘に問いかけました。
「もしかして・・・・鈴がなかったの?」
「うん・・・本番は二つしかなかった」
というではないですか!
三人で鈴を担当したのですが、用意されていた鈴が二つしかなかったため、娘は合奏ができなかったんです。
・・・ここからの日記の文章が、感情的になってしまったらごめんなさいね。
合奏の間、もじもじしていた娘の気持ちを思うと、いてもたってもいられなくなって、即保育園に電話をして、事情を説明しました。
観客の大人が150人くらいずらっと見ている舞台の上で、自分だけ楽器がなくて、でも隣の子は楽器があって、でも演奏がもう始まろうとしている中に「先生、鈴がない」とはとても言えなかったと思います。先生たちも他のことに手いっぱいで、全員に楽器がいきわたっていると思ったのでしょう。
でも一生懸命練習してきたのに、不手際で楽器なしの合奏参加は、私だったらとても辛いです。私は保育園に電話をしましたが、そのときの娘の気持ちを思うと何だかやるせなくて、孤独感が募ってきて、自分が取り残されたような感覚というべきなのかな?これはとても自分ひとりの胸に押さえていられるものではなかったんです。楽しみにしてきた子供の気持ちを考えると、先生に事情を説明しながら、涙が溢れて止まらなかったです。
もう終わってしまった行事ですし、保育園のことを責めることはできませんが、娘のやるせない気持ちをだまって見過ごすことも私にはできませんでした。
正直言って、今もそのときの娘の気持ちになろうとすると、どうしても感情的になってしまいます。私は幸か不幸か、楽器のない娘の姿を、リアルタイムで見れませんでした。見ていたら・・・私は、きっとお楽しみ会が終わった後、保育園に泣いて訴えていたでしょうね。
他の場所から見ていた父母たちにはきっと、娘が楽器を持っていない姿は見えていたのでしょうけど・・・。
この件を通じて二つ気づきがありました。
「恥ずかしかったから言えなかった」というのが娘の言い分です。
でも、「恥ずかしくても、ちゃんと言わないとわからないこともあるのよ」と教えました。娘は肝心なことを恥ずかしがって言わないからです。
恥ずかしくないんだよ、と導くことがこれからの課題です。
それから・・・子供って、自分の世界でいっぱいになってしまうと、お友達のピンチに気づかない生き物なのかもしれませんが・・・。
「もし、お前が今度、困っている友達を見つけたら、今日みたいに自分の分がなくて困っている友達がいたら、ちゃんと『先生、○×ちゃんのがない』って友達を助けてあげられるような子になってね」と言いました。
きっと本番で誰もがそれどころじゃなかったんでしょうね。
でも、この経験を通して、娘には「友達のことに目を配る」優しさを知ってほしいと思いました。
こういう体験をしてしまうと、その時のビデオをみるのが結構凹みます(苦笑)。
ビデオも良し悪しですね。
娘は4歳。4歳児は、歌と、合奏、それからひとつお芝居をすることになっていました。私は一番前の席を確保することができました!女の子だからこういった催し物は子供のほうが大変気合が入っているのです。「ママ見ててね!」と言って、いろいろお話をしてくれました。お楽しみ会のために、毎日練習を重ねてきたようです。
で、4歳児の番になりました。合唱と合奏です。合唱が終わった後、合奏は「かえるの歌」です。私の座っていた場所は一番前の列ですが、娘は後ろの列の一番端にいたので、前の列の友達の頭が邪魔をして、ビデオでも娘の全身がうまく入りません。でも一生懸命歌っている様子はわかりました。女の子は、男の子よりも歌を歌うのが本当に好きですよね。
歌が終わって、次の合奏に入りました。
ビデオでその様子を写していたのですが、位置的に、どうしても私の位置から娘の楽器を持つ手元が見えないのです。
問題はここで発生していたようです。
演奏中、娘は片方の腕をスカートのポケットに入れたり出したりしています。演奏中とは思えないくらい、不自然な動きなんです。娘は鈴を担当しているのですが、隣にいる鈴を振っている女の子と動きが合わない。あれ?と思いました。
実は・・・このとき、娘の分の鈴がなかったんですね。
前の子の頭に娘の手元をさえぎられていたため、私はそれに気づきませんでした。
お楽しみ会が終わり、家に帰って、さあビデオを見よう!ということで早速再生をしました。しかし、合奏の部分に来て、音楽が始まっているにもかかわらず、娘は明らかに手に何も楽器を持っていないシーンがあり、ここで初めて私は娘に問いかけました。
「もしかして・・・・鈴がなかったの?」
「うん・・・本番は二つしかなかった」
というではないですか!
三人で鈴を担当したのですが、用意されていた鈴が二つしかなかったため、娘は合奏ができなかったんです。
・・・ここからの日記の文章が、感情的になってしまったらごめんなさいね。
合奏の間、もじもじしていた娘の気持ちを思うと、いてもたってもいられなくなって、即保育園に電話をして、事情を説明しました。
観客の大人が150人くらいずらっと見ている舞台の上で、自分だけ楽器がなくて、でも隣の子は楽器があって、でも演奏がもう始まろうとしている中に「先生、鈴がない」とはとても言えなかったと思います。先生たちも他のことに手いっぱいで、全員に楽器がいきわたっていると思ったのでしょう。
でも一生懸命練習してきたのに、不手際で楽器なしの合奏参加は、私だったらとても辛いです。私は保育園に電話をしましたが、そのときの娘の気持ちを思うと何だかやるせなくて、孤独感が募ってきて、自分が取り残されたような感覚というべきなのかな?これはとても自分ひとりの胸に押さえていられるものではなかったんです。楽しみにしてきた子供の気持ちを考えると、先生に事情を説明しながら、涙が溢れて止まらなかったです。
もう終わってしまった行事ですし、保育園のことを責めることはできませんが、娘のやるせない気持ちをだまって見過ごすことも私にはできませんでした。
正直言って、今もそのときの娘の気持ちになろうとすると、どうしても感情的になってしまいます。私は幸か不幸か、楽器のない娘の姿を、リアルタイムで見れませんでした。見ていたら・・・私は、きっとお楽しみ会が終わった後、保育園に泣いて訴えていたでしょうね。
他の場所から見ていた父母たちにはきっと、娘が楽器を持っていない姿は見えていたのでしょうけど・・・。
この件を通じて二つ気づきがありました。
「恥ずかしかったから言えなかった」というのが娘の言い分です。
でも、「恥ずかしくても、ちゃんと言わないとわからないこともあるのよ」と教えました。娘は肝心なことを恥ずかしがって言わないからです。
恥ずかしくないんだよ、と導くことがこれからの課題です。
それから・・・子供って、自分の世界でいっぱいになってしまうと、お友達のピンチに気づかない生き物なのかもしれませんが・・・。
「もし、お前が今度、困っている友達を見つけたら、今日みたいに自分の分がなくて困っている友達がいたら、ちゃんと『先生、○×ちゃんのがない』って友達を助けてあげられるような子になってね」と言いました。
きっと本番で誰もがそれどころじゃなかったんでしょうね。
でも、この経験を通して、娘には「友達のことに目を配る」優しさを知ってほしいと思いました。
こういう体験をしてしまうと、その時のビデオをみるのが結構凹みます(苦笑)。
ビデオも良し悪しですね。
私は占いに興味がありましたが、占い師に本気でなろうと思っていたわけではなかったのですね。趣味に毛が生えた程度で満足していた部分がありました。でも、ちょうど9年前に、タロット教室の開講に参加したときに講師として派遣された輝夜師匠と出会ってから、その意識が少しづつ変わりました。
これだけはハッキリいえます。私は輝夜師匠に会わなかったら占いの道をこれほど究めていなかったでしょうし、まだどこかで道の固まらない主婦でいろいろさまよっていたでしょう。何が大事なのか、何をしたいのかがわからないまま・・・。
その道のプロになるために必要なのは、もちろん技術ですが、技術ならばいろんな占い学校に行けば習得できます。
私がこの占い師という学びで、先生に恵まれたことが一番幸せなことでした。
輝夜師匠が教えてくださるのは、占いの技術だけではありません。
根底に流れているのは、占い師としての根性、努力、思いやり、厳しさ、人間としてのマナー、言葉の重み・・・書き出したらキリがありません。占い師としての魂を全身全霊で教えてくれるのですね。実はその部分こそが一番大事で、自分も輝夜師匠が教えてくれることを聞き漏らさないように全力でぶつからないとだめなんです。
輝夜師匠は、極端な例えですが、親が子供を死ぬ気で育てるように、私たち弟子と向かい合ってきました。しかし、私は最初、占いを勉強し始めたころはその気持ちに応えられるような言動をとっていませんでした。その当時はわが子が赤ちゃんの時代で、手がかかる上に、夫も無理解で、とても占い師として生きていく決意がなかったし、厳しい勉強を続けるには、私は甘ちゃんで、冗談抜きで雨音じゃなくて甘音でした。何か言われると「もう辞めよう」と思っていたし、本当によく注意を受けました。それも占いのことだけじゃなくて、本当に一般常識的なこと。掲示板でのエチケットや、お客さんとのやり取りで、私はミスの連続。苦しい日々でした。何で占い師になるためにこんなに怒られたり、厳しい修行をしなければならないんだろうかって・・・。
子供が成長し、親になって初めて知る親の恩、とは言いますが、私は最初、輝夜師匠に歯向かってばかりの子供でした。
いつ辞めてもいいと思っていたし、それは輝夜師匠に痛いほど見抜かれていた事実です。
でも、なぜか私は輝夜師匠の元を離れることができませんでした。
それは・・・輝夜師匠の厳しさの衣の下にある、人間としての包容力とか、思いやる気持ち、裏のない、まっすぐなお人柄であることを、時間をかけて知ったからです。だから、輝夜師匠がどれほどの思いを持って私たちに向き合っているのかをあらゆる場面で知ることになり、私はそれに答えたいと思いはじめました。憧れの人です。占い師としても人間としても、とてもかなわないものを持っている。だから、ここで辞めちゃうのではなくて、絶対に認めてもらいたい、って思うようになりました。
しかし、「誰かに認めてもらいたいから」という気持ちだけで走るには、この道は厳しすぎるものです。浅はかな中途半端さだけを生む危険性もありましたが、最初は「輝夜師匠に認めてもらいたい」というスタートが、何度も転んで指導を受ける中で「自分がこの道を選んでいくんだ」という柱が出来上がってきました。昔は「輝夜師匠、がんばっているねって褒めてください。でないとがんばれません」と、とんでもないおばか発言をしていた私です(爆)。さすがに今はそんなこと恥ずかしくて言えませんが、それをサラリと要求できてしまうくらい私は未熟でした。輝夜師匠も心の中で「なんなんだ?!!」と参っていたに違いありません。
もし、私の師匠がお金と占いを一緒に考えるような人でしたら、私はそのような鑑定士になっていたか、呆れて占いの道を放棄していたでしょう。しかし、神様は私に輝夜師匠とのご縁を与えてくださいました。
ご縁があるということは、そこにとても深い意味があるということ。
向き合う中で感じてきたことに目をそむけず、受け入れていくことで、私は自分が変わってきたことを感じました。
いつの間にか、逃げたい自分は影をひそめ、占いの会社に面接を申し込むような積極性が芽生えていました。どこに行っても、どの会社で所属して鑑定士名が違うものであっても、輝夜師匠から受け継いだ魂や、占いに対する姿勢は絶対に崩さないようにしようと思ってきました。そして、今在宅で仕事をする孤独な作業のなかで、輝夜師匠が教えてくれた数々の言葉や心構えは、私にしっかりと根付き、不安になりそうな私を強く励まして支えてくれます。時に、「もうこんな仕事したくない!」と否定的になる自分に「でも・・・やるしかないよね」と立ち上げてくれます。
ありがたいですよね。一人でこの世界を生き抜くことはできません。
私たちは毎月一回メルマガを発行しています。
毎月お題を考え、そのお題についてそれぞれがエッセイを掲載しているものですが、来月1日に発行するメルマガの記事は、輝夜師匠と私の記事がまったく正反対で(もちろん、私たちは相手の記事に影響を受けないように、相手の記事を読んでから書くということは一切していません)、これは自分にとっても驚きでしたし、実はとてもショックでした・・・。
というのも、輝夜師匠に教えを受けていながら、輝夜師匠とはまったく反対の考え方を持っている弟子ってどうなのよ?って思ってしまったんです。すごく落ち込みました。悪いことをしている気にもなりました。
でも、輝夜師匠の回答は「いいんじゃない。スタイルは違っていいんだよ。占い師としての志や、魂のレベルが同じなら、表現が違ってもそれでいいんだよ。」ということでした。
すごいなあと思います。
私は弟子を持っていませんが、自分の子供はいます。でも子育てでいつもぶつかるのは子供が自分の思うようにならないからです。子供が自分の育てたようにならなかったり、理想どおりでないと「いい加減にしなさい!」と怒鳴る母です。要は、懐が狭いんです・・・。
そこで決定的な違いに気づけました。
私と師匠の決定的な違い。それは、面倒見のよさ。包容力。とことん、面倒を見るタイプの輝夜師匠と、できるだけなら最低限のことしかしたくない面倒くさがりな私。
自分とはまったくタイプの違う弟子でも、その考え方を快く受け入れてくれる輝夜師匠と、できるだけすべてを理想的にしなくてはいけないと考える私。
これは占いの現場で、この差が占い師としてのレベルの差になるんです。
占い師はそれこそ星の数ほどいるでしょうけど、占いの技術にとどまらず、ここまで人生を賭けて指導に当たれる師匠が一体何人いるでしょう?
そして私がいつか弟子を持ったとき、私は輝夜師匠にしていただいたことを弟子に受け継いでいけるでしょうか???
今の自分が誰かの面倒を見るということには躊躇が伴いますが、輝夜師匠に出会ったということは、私にも必ず、師匠としての人生があるということだと思っています。だから、私は輝夜師匠の下で学んできたのでしょうし、弟子として学べることと、師匠の立場から学べることはまったく異なっていますが、その二つを知って始めて、私は一人前の人間になれるのかもしれません。子供が成長し、親になって初めて世の中の苦労を自分の体で体感することができるのと同じように。
輝夜師匠が授業の最初にこういってくれました。
「私は自分の持っているものすべてを皆さんにお伝えするつもりです。」
本当にそうでした。タロットの授業にとどまらず、姓名判断、気学、四柱推命・・・輝夜師匠は自分が学んだことを出し惜しみする人ではなく、弟子に真っ先に教えてくれました。占いをしていない時間も占い師として生きることも。
何かのエキスパートになりたいのなら、大事なのは、誰の下でそれを学ぶのかということです。いい先生に出会うことができたなら、その道でしっかりとした基盤を作ることができます。私はそういう面で、誰よりも恵まれていますよね。たぶん、ある意味、こんなに私のことをよく知った上で指導をしてくれる方はもう地球上にはいないと思います。
私はまだ輝夜師匠にいただくばかりですが、できれば、自分が得たもので輝夜師匠に影響を与えられるようになれたらと思います。それには今の自分に、自分が合格点をなかなか出せないので・・・(苦笑)。
厳しさの裏に深い深い愛情がある輝夜師匠と、鑑定中は相談者に優しい言葉を並べるけど、実はまだ人の面倒をとことん見るのに抵抗がある弟子の私。
まだ至らない点ばかりで恥ずかしいのですが、輝夜師匠に失望させてきましたし、怒らせたりもしましたが、いつかこの道で、ちゃんと自立を果たすのが私の目標であり、超えるべき大事なポイントなのです。
記事にも出ましたメルマガは毎月1日発行です。
今回は輝夜師匠と私のキャラクターの違いがはっきりと分かれています。毎月、かなり力を入れて記事を書いていますので、よかったら、ご購読くださいね♪最後は宣伝です(爆)。
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これだけはハッキリいえます。私は輝夜師匠に会わなかったら占いの道をこれほど究めていなかったでしょうし、まだどこかで道の固まらない主婦でいろいろさまよっていたでしょう。何が大事なのか、何をしたいのかがわからないまま・・・。
その道のプロになるために必要なのは、もちろん技術ですが、技術ならばいろんな占い学校に行けば習得できます。
私がこの占い師という学びで、先生に恵まれたことが一番幸せなことでした。
輝夜師匠が教えてくださるのは、占いの技術だけではありません。
根底に流れているのは、占い師としての根性、努力、思いやり、厳しさ、人間としてのマナー、言葉の重み・・・書き出したらキリがありません。占い師としての魂を全身全霊で教えてくれるのですね。実はその部分こそが一番大事で、自分も輝夜師匠が教えてくれることを聞き漏らさないように全力でぶつからないとだめなんです。
輝夜師匠は、極端な例えですが、親が子供を死ぬ気で育てるように、私たち弟子と向かい合ってきました。しかし、私は最初、占いを勉強し始めたころはその気持ちに応えられるような言動をとっていませんでした。その当時はわが子が赤ちゃんの時代で、手がかかる上に、夫も無理解で、とても占い師として生きていく決意がなかったし、厳しい勉強を続けるには、私は甘ちゃんで、冗談抜きで雨音じゃなくて甘音でした。何か言われると「もう辞めよう」と思っていたし、本当によく注意を受けました。それも占いのことだけじゃなくて、本当に一般常識的なこと。掲示板でのエチケットや、お客さんとのやり取りで、私はミスの連続。苦しい日々でした。何で占い師になるためにこんなに怒られたり、厳しい修行をしなければならないんだろうかって・・・。
子供が成長し、親になって初めて知る親の恩、とは言いますが、私は最初、輝夜師匠に歯向かってばかりの子供でした。
いつ辞めてもいいと思っていたし、それは輝夜師匠に痛いほど見抜かれていた事実です。
でも、なぜか私は輝夜師匠の元を離れることができませんでした。
それは・・・輝夜師匠の厳しさの衣の下にある、人間としての包容力とか、思いやる気持ち、裏のない、まっすぐなお人柄であることを、時間をかけて知ったからです。だから、輝夜師匠がどれほどの思いを持って私たちに向き合っているのかをあらゆる場面で知ることになり、私はそれに答えたいと思いはじめました。憧れの人です。占い師としても人間としても、とてもかなわないものを持っている。だから、ここで辞めちゃうのではなくて、絶対に認めてもらいたい、って思うようになりました。
しかし、「誰かに認めてもらいたいから」という気持ちだけで走るには、この道は厳しすぎるものです。浅はかな中途半端さだけを生む危険性もありましたが、最初は「輝夜師匠に認めてもらいたい」というスタートが、何度も転んで指導を受ける中で「自分がこの道を選んでいくんだ」という柱が出来上がってきました。昔は「輝夜師匠、がんばっているねって褒めてください。でないとがんばれません」と、とんでもないおばか発言をしていた私です(爆)。さすがに今はそんなこと恥ずかしくて言えませんが、それをサラリと要求できてしまうくらい私は未熟でした。輝夜師匠も心の中で「なんなんだ?!!」と参っていたに違いありません。
もし、私の師匠がお金と占いを一緒に考えるような人でしたら、私はそのような鑑定士になっていたか、呆れて占いの道を放棄していたでしょう。しかし、神様は私に輝夜師匠とのご縁を与えてくださいました。
ご縁があるということは、そこにとても深い意味があるということ。
向き合う中で感じてきたことに目をそむけず、受け入れていくことで、私は自分が変わってきたことを感じました。
いつの間にか、逃げたい自分は影をひそめ、占いの会社に面接を申し込むような積極性が芽生えていました。どこに行っても、どの会社で所属して鑑定士名が違うものであっても、輝夜師匠から受け継いだ魂や、占いに対する姿勢は絶対に崩さないようにしようと思ってきました。そして、今在宅で仕事をする孤独な作業のなかで、輝夜師匠が教えてくれた数々の言葉や心構えは、私にしっかりと根付き、不安になりそうな私を強く励まして支えてくれます。時に、「もうこんな仕事したくない!」と否定的になる自分に「でも・・・やるしかないよね」と立ち上げてくれます。
ありがたいですよね。一人でこの世界を生き抜くことはできません。
私たちは毎月一回メルマガを発行しています。
毎月お題を考え、そのお題についてそれぞれがエッセイを掲載しているものですが、来月1日に発行するメルマガの記事は、輝夜師匠と私の記事がまったく正反対で(もちろん、私たちは相手の記事に影響を受けないように、相手の記事を読んでから書くということは一切していません)、これは自分にとっても驚きでしたし、実はとてもショックでした・・・。
というのも、輝夜師匠に教えを受けていながら、輝夜師匠とはまったく反対の考え方を持っている弟子ってどうなのよ?って思ってしまったんです。すごく落ち込みました。悪いことをしている気にもなりました。
でも、輝夜師匠の回答は「いいんじゃない。スタイルは違っていいんだよ。占い師としての志や、魂のレベルが同じなら、表現が違ってもそれでいいんだよ。」ということでした。
すごいなあと思います。
私は弟子を持っていませんが、自分の子供はいます。でも子育てでいつもぶつかるのは子供が自分の思うようにならないからです。子供が自分の育てたようにならなかったり、理想どおりでないと「いい加減にしなさい!」と怒鳴る母です。要は、懐が狭いんです・・・。
そこで決定的な違いに気づけました。
私と師匠の決定的な違い。それは、面倒見のよさ。包容力。とことん、面倒を見るタイプの輝夜師匠と、できるだけなら最低限のことしかしたくない面倒くさがりな私。
自分とはまったくタイプの違う弟子でも、その考え方を快く受け入れてくれる輝夜師匠と、できるだけすべてを理想的にしなくてはいけないと考える私。
これは占いの現場で、この差が占い師としてのレベルの差になるんです。
占い師はそれこそ星の数ほどいるでしょうけど、占いの技術にとどまらず、ここまで人生を賭けて指導に当たれる師匠が一体何人いるでしょう?
そして私がいつか弟子を持ったとき、私は輝夜師匠にしていただいたことを弟子に受け継いでいけるでしょうか???
今の自分が誰かの面倒を見るということには躊躇が伴いますが、輝夜師匠に出会ったということは、私にも必ず、師匠としての人生があるということだと思っています。だから、私は輝夜師匠の下で学んできたのでしょうし、弟子として学べることと、師匠の立場から学べることはまったく異なっていますが、その二つを知って始めて、私は一人前の人間になれるのかもしれません。子供が成長し、親になって初めて世の中の苦労を自分の体で体感することができるのと同じように。
輝夜師匠が授業の最初にこういってくれました。
「私は自分の持っているものすべてを皆さんにお伝えするつもりです。」
本当にそうでした。タロットの授業にとどまらず、姓名判断、気学、四柱推命・・・輝夜師匠は自分が学んだことを出し惜しみする人ではなく、弟子に真っ先に教えてくれました。占いをしていない時間も占い師として生きることも。
何かのエキスパートになりたいのなら、大事なのは、誰の下でそれを学ぶのかということです。いい先生に出会うことができたなら、その道でしっかりとした基盤を作ることができます。私はそういう面で、誰よりも恵まれていますよね。たぶん、ある意味、こんなに私のことをよく知った上で指導をしてくれる方はもう地球上にはいないと思います。
私はまだ輝夜師匠にいただくばかりですが、できれば、自分が得たもので輝夜師匠に影響を与えられるようになれたらと思います。それには今の自分に、自分が合格点をなかなか出せないので・・・(苦笑)。
厳しさの裏に深い深い愛情がある輝夜師匠と、鑑定中は相談者に優しい言葉を並べるけど、実はまだ人の面倒をとことん見るのに抵抗がある弟子の私。
まだ至らない点ばかりで恥ずかしいのですが、輝夜師匠に失望させてきましたし、怒らせたりもしましたが、いつかこの道で、ちゃんと自立を果たすのが私の目標であり、超えるべき大事なポイントなのです。
記事にも出ましたメルマガは毎月1日発行です。
今回は輝夜師匠と私のキャラクターの違いがはっきりと分かれています。毎月、かなり力を入れて記事を書いていますので、よかったら、ご購読くださいね♪最後は宣伝です(爆)。
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小1プロブレムって聞いたことありますか?
新一年生が、学校の授業をおとなしく聞いていられなかったり、授業の妨害をするなどの問題がここのところ多く発生しているそうです。
そして、息子のクラスもそのような傾向があり、事態を重く見た学校は、授業をスムーズに進行するためのサポーター役を派遣してきました。
教室の中に先生が2人いる、ということですね。
学校公開で、息子の所属するクラスが落ち着いておらず、けんかやおしゃべりが多かったり、休み時間にはけんかが絶えなくて、それを授業の時間にまで引きずっていたりというのを目の当たりにし「大丈夫なの?」と思える条件がいくつか重なっていました。先生はしゃべる子を注意し、注意しなければならない子供があちこちにいて、注意をしている間に授業が止まり、授業がとまることで他の子供たちも集中力を欠くという悪循環。
体育の授業を校庭で公開していたときは悲惨たるものでした。
先生1人でけんかしている子供を抑え、授業を行い、それを尻目に広い校庭を走り回る子に、クラスの集団に入らず、ふてくされている子もいました・・・。
他のお母さんから「一年生が学校から脱走した」ということも聞いていました。
時を同じくして、息子が学童に行くことを拒み始めました。それは10月の初めくらいですね。
私が仕事をしている関係で、在宅とはいえ、息子が家に戻ってきては私の仕事はストップです。ですから学校が終わってから息子は学童保育にお願いしているのですが、息子は私が家で仕事をしているのをよく知っているのに、家に帰宅して、ドアを30分以上ガンガンたたいて、私の鑑定が終わるのを待っているんです。
ドアを開けると息子が「疲れた。学童に行きたくない。眠い」を連発するので、何度か「仕事が入ったら絶対にお母さんの部屋に入ってはだめよ」と言い聞かせて学童を休ませました。
それが毎日続くようになったので、息子の異変が学校の荒れ具合とダブり、それとなく息子にいろいろ聞くようにしていました。
が、男の子は話さない!絶対に自分に都合の悪いことや友達に言われたことややられたことは言わないのですよ。
幼稚園時代からそうでしたので・・・。男のプライドというものがあるんですよね。でも学童に行きたがらないのが、息子の語らない部分を象徴しているように感じました。
そして同時に、息子の言葉遣いがひどくなりました。
「バカ」「嫌い」「ウンチ」というものではないんです。
「デブ」「ハゲ」「キモい」「うざい」「消えろ」「死ね」という、存在を否定する言葉、あるいは身体的な欠陥を指摘する言葉に代わっていきました。
息子はそれを家で使っています。
もちろん、私が知らないだけで、もしかしたら、学童やクラスで使っていることがあるのかもしれません・・・。
そういった思いやりのない状態にクラスが陥っているのが問題なのです。
そして、サポーターをつけたことで、先日臨時の保護者会が開かれましたので、私も参加してきました。
学校側は担任、校長先生が参加。学校側は、とにかくこのような事態になったことは学校の管理責任であり、担任の指導の問題であるということを最初に父兄に謝罪がありました。
私は、この問題に対してこう思ってきました。
小学校一年生の指導は本人の性質や人格に問題があるわけではない。
もちろん、学校の指導ということもあるかもしれないが、私が見ている限り担任の先生は一生懸命ご指導してくださっている。今の、一年生という年齢を考えたら、それは親の姿そのものが映し出されているのではないか。子は親の鏡なのだから、親の問題がクラスで出ているのだと思う。
本当は基本的なしつけや思いやりや挨拶、それは家庭で行うものだ。
だから、私たち親の責任がどれほど重いものかをこの問題を通して考えるべきなんだと思う。学校だけの責任にするにはあまりにも無責任だ。
それに、小学校に入ったら、私は小学校のことがまったくわからない。何が起こり、何があったのかを知ることができない。子供はそれを家で語ってくれないからだ。でも「知らない」で終わるのではなく、もっと積極的に学校や子供たちに関わるべきだと思う。学校も、昨今のPTAなどの動向もあるが、親たちに飛び込むことを恐れずに、もっと親と学校がぶつかるべきだと思う。
そんなことを「ご意見のある方は手を挙げて発言してください」と求められたので、発言しました。
私はこう発言したのですが、他の方は手を挙げるというのはなかなか難しいので、最後は出席した全員が意見をひとことづつ言うことになりました。
厳しい見方を書かせていただきますね。
クラスで授業の妨害をするなどの問題行動をとる子供の親御さんに限って、こうした学校の保護者会や、学校公開に来ないということがあります。働いていると、そう時間の都合も合わせる事ができないのでしょう。
統計的なことで言わせてもらうと、やはり働いている親の子供が落ち着いていないということはあります。それは自分もそうですが・・・。
いろんな意見が出ました。
お母さん方の話を聞いているうちに最初持っていた「親がしっかりしていないから子供に出るんだ」という考え方に少し変化がありました。
もしかしたら、私は自分の息子が被害者のような前提でものを見ていないか・・・息子は語らないだろうけど、授業で騒いでいたときもあるかもしれない。調子に乗って誰かをからかってしまったこともあるのかもしれない。それは探りようもないことだけど、ゼロだとは言い切れない。
信じているけど、自分の子供がいつも正義の味方であるという保証などないということ・・・。
それに気づかず「私の息子は悪くないです。悪いのは授業に集中できない環境を作っている子供(そしてその家庭)です。」と言い張っているだけなんじゃないかと感じました。
相手を責めて、先生を責めて、学校の体制を責めて、自分に非がないように振舞っている自分がいることに気がつきました。
まず、私がしなければならないのは、親として自分なりに一生懸命やっているけど、まだまだ至らない部分があったのかもしれない、気配りが足りない部分があるのかもしれないと自分のありかたを謙虚に受け止めることなんですよね。
他人の家庭をどうのこうの言う前に、まず自分。
なんだか、結局人のことを祭り上げようとしていただけなんだ・・・と大騒ぎした自分が少し恥ずかしいですよ。
保護者会の前日に一緒にお風呂に入りながら、息子にこんな質問をしたんです。
「クラスの中でけんかが起きたとき、いつもお前はどうしているの?」
と。
息子は「見てるだけ」と返してきました。「止めないの?」と聞くと「うん」という回答。もしかしたら逆にやり返されるということもあるのかもしれませんが、息子が止める勇気がないことがちょっとショックでした。
そういう場面に遭遇したとき、息子が勇気を出せるように、私も導いてあげなくてはいけませんし、言葉が汚染されてきたら、それがいかに人の心を傷つけ、暴力と同じであるかを真剣に教えなくてはいけませんよね。
働いている親として、やはりどうしても余裕がなくて限界や辛いことが多いです。
葛藤というべきでしょうか。
それぞれの家庭内、どうしても子供に時間をさけないという「生きていくための事情」があるのかもしれません。でも、子供が落ち着いて授業が聞けない、けんかばかりする、言葉がひどい、荒れている、という流れの時、親としてできることは何なのか、具体的にわからなくても、できなくても、一生懸命悩んだり、苦しんだりすることはできますよね?心を砕く、といえばいいのでしょうか。あの子がよりよくなるために私は親としてどうすればいいのだろうか、その気持ちこそが、何よりも子供に伝わり、子供を愛しているという一つの形なのだと思うのです。
クラスが荒れているということは、そこに毎日送り出す親としてはショックを隠せませんでしたが、でもこの問題のおかげで、学校に自分の思いをぶつけることもできましたし、自分の至らなさを他のお母様から教えていただきましたし、何よりもいろんな思いを持って子供を愛しているお母様方の気持ちを知ることができてよかったです。普通に問題のないクラスでしたら、親であることの重大さ、親としてできることの最善に気がつくことをスルーしてしまったところでしょう。
私たちが子供のときと違って、学校の先生たちが教育することに対して窮屈そうな感じを受けます。そうさせてしまったのは理不尽な要求を突きつける親が増えたことでもあると思います。もっと先生方も、怒ってもらっていいんですけどね。少なくとも我が家はガミガミOKです。そう思っている方が意外と多くて、学校にはぜひ受け止めてもらいたいところです。
私には親として未完成な部分がたくさんあり、日々努力と改善です。
家に帰って、息子に保護者会のこと、クラスのお友達同士で思いやりの気持ちが少なくなっているから大事なお話をしてきたのよ、と教えました。
言葉で人の心が傷ついてしまうこと。
体の欠陥をからかう言葉は絶対に言わないこと。
自分がされていやなことは人には絶対にしないこと、言わないこと。
けんかはしてもいいけど、絶対に仲直りすること。
息子も思うところがあったのでしょうね。「チビって言われたことあるよ」と告白してきました。
「そう、そういうことを言われたら悲しいでしょう?小さいのはお前のせいじゃない。」
チビって言葉は我が家では禁句ですが(爆)、学校でやっぱり言われたんですよね。「でも心はチビじゃないぞ!と言い返して来い!!」とハッパかけました(笑)。
小学校に入って見えない部分は増えますが、そうはいってもちゃんとアンテナをはりめぐらし、自分の子供以外にも、積極的にかかわりを持って、子育てを試行錯誤して行こうと思った一件でした。
新一年生が、学校の授業をおとなしく聞いていられなかったり、授業の妨害をするなどの問題がここのところ多く発生しているそうです。
そして、息子のクラスもそのような傾向があり、事態を重く見た学校は、授業をスムーズに進行するためのサポーター役を派遣してきました。
教室の中に先生が2人いる、ということですね。
学校公開で、息子の所属するクラスが落ち着いておらず、けんかやおしゃべりが多かったり、休み時間にはけんかが絶えなくて、それを授業の時間にまで引きずっていたりというのを目の当たりにし「大丈夫なの?」と思える条件がいくつか重なっていました。先生はしゃべる子を注意し、注意しなければならない子供があちこちにいて、注意をしている間に授業が止まり、授業がとまることで他の子供たちも集中力を欠くという悪循環。
体育の授業を校庭で公開していたときは悲惨たるものでした。
先生1人でけんかしている子供を抑え、授業を行い、それを尻目に広い校庭を走り回る子に、クラスの集団に入らず、ふてくされている子もいました・・・。
他のお母さんから「一年生が学校から脱走した」ということも聞いていました。
時を同じくして、息子が学童に行くことを拒み始めました。それは10月の初めくらいですね。
私が仕事をしている関係で、在宅とはいえ、息子が家に戻ってきては私の仕事はストップです。ですから学校が終わってから息子は学童保育にお願いしているのですが、息子は私が家で仕事をしているのをよく知っているのに、家に帰宅して、ドアを30分以上ガンガンたたいて、私の鑑定が終わるのを待っているんです。
ドアを開けると息子が「疲れた。学童に行きたくない。眠い」を連発するので、何度か「仕事が入ったら絶対にお母さんの部屋に入ってはだめよ」と言い聞かせて学童を休ませました。
それが毎日続くようになったので、息子の異変が学校の荒れ具合とダブり、それとなく息子にいろいろ聞くようにしていました。
が、男の子は話さない!絶対に自分に都合の悪いことや友達に言われたことややられたことは言わないのですよ。
幼稚園時代からそうでしたので・・・。男のプライドというものがあるんですよね。でも学童に行きたがらないのが、息子の語らない部分を象徴しているように感じました。
そして同時に、息子の言葉遣いがひどくなりました。
「バカ」「嫌い」「ウンチ」というものではないんです。
「デブ」「ハゲ」「キモい」「うざい」「消えろ」「死ね」という、存在を否定する言葉、あるいは身体的な欠陥を指摘する言葉に代わっていきました。
息子はそれを家で使っています。
もちろん、私が知らないだけで、もしかしたら、学童やクラスで使っていることがあるのかもしれません・・・。
そういった思いやりのない状態にクラスが陥っているのが問題なのです。
そして、サポーターをつけたことで、先日臨時の保護者会が開かれましたので、私も参加してきました。
学校側は担任、校長先生が参加。学校側は、とにかくこのような事態になったことは学校の管理責任であり、担任の指導の問題であるということを最初に父兄に謝罪がありました。
私は、この問題に対してこう思ってきました。
小学校一年生の指導は本人の性質や人格に問題があるわけではない。
もちろん、学校の指導ということもあるかもしれないが、私が見ている限り担任の先生は一生懸命ご指導してくださっている。今の、一年生という年齢を考えたら、それは親の姿そのものが映し出されているのではないか。子は親の鏡なのだから、親の問題がクラスで出ているのだと思う。
本当は基本的なしつけや思いやりや挨拶、それは家庭で行うものだ。
だから、私たち親の責任がどれほど重いものかをこの問題を通して考えるべきなんだと思う。学校だけの責任にするにはあまりにも無責任だ。
それに、小学校に入ったら、私は小学校のことがまったくわからない。何が起こり、何があったのかを知ることができない。子供はそれを家で語ってくれないからだ。でも「知らない」で終わるのではなく、もっと積極的に学校や子供たちに関わるべきだと思う。学校も、昨今のPTAなどの動向もあるが、親たちに飛び込むことを恐れずに、もっと親と学校がぶつかるべきだと思う。
そんなことを「ご意見のある方は手を挙げて発言してください」と求められたので、発言しました。
私はこう発言したのですが、他の方は手を挙げるというのはなかなか難しいので、最後は出席した全員が意見をひとことづつ言うことになりました。
厳しい見方を書かせていただきますね。
クラスで授業の妨害をするなどの問題行動をとる子供の親御さんに限って、こうした学校の保護者会や、学校公開に来ないということがあります。働いていると、そう時間の都合も合わせる事ができないのでしょう。
統計的なことで言わせてもらうと、やはり働いている親の子供が落ち着いていないということはあります。それは自分もそうですが・・・。
いろんな意見が出ました。
お母さん方の話を聞いているうちに最初持っていた「親がしっかりしていないから子供に出るんだ」という考え方に少し変化がありました。
もしかしたら、私は自分の息子が被害者のような前提でものを見ていないか・・・息子は語らないだろうけど、授業で騒いでいたときもあるかもしれない。調子に乗って誰かをからかってしまったこともあるのかもしれない。それは探りようもないことだけど、ゼロだとは言い切れない。
信じているけど、自分の子供がいつも正義の味方であるという保証などないということ・・・。
それに気づかず「私の息子は悪くないです。悪いのは授業に集中できない環境を作っている子供(そしてその家庭)です。」と言い張っているだけなんじゃないかと感じました。
相手を責めて、先生を責めて、学校の体制を責めて、自分に非がないように振舞っている自分がいることに気がつきました。
まず、私がしなければならないのは、親として自分なりに一生懸命やっているけど、まだまだ至らない部分があったのかもしれない、気配りが足りない部分があるのかもしれないと自分のありかたを謙虚に受け止めることなんですよね。
他人の家庭をどうのこうの言う前に、まず自分。
なんだか、結局人のことを祭り上げようとしていただけなんだ・・・と大騒ぎした自分が少し恥ずかしいですよ。
保護者会の前日に一緒にお風呂に入りながら、息子にこんな質問をしたんです。
「クラスの中でけんかが起きたとき、いつもお前はどうしているの?」
と。
息子は「見てるだけ」と返してきました。「止めないの?」と聞くと「うん」という回答。もしかしたら逆にやり返されるということもあるのかもしれませんが、息子が止める勇気がないことがちょっとショックでした。
そういう場面に遭遇したとき、息子が勇気を出せるように、私も導いてあげなくてはいけませんし、言葉が汚染されてきたら、それがいかに人の心を傷つけ、暴力と同じであるかを真剣に教えなくてはいけませんよね。
働いている親として、やはりどうしても余裕がなくて限界や辛いことが多いです。
葛藤というべきでしょうか。
それぞれの家庭内、どうしても子供に時間をさけないという「生きていくための事情」があるのかもしれません。でも、子供が落ち着いて授業が聞けない、けんかばかりする、言葉がひどい、荒れている、という流れの時、親としてできることは何なのか、具体的にわからなくても、できなくても、一生懸命悩んだり、苦しんだりすることはできますよね?心を砕く、といえばいいのでしょうか。あの子がよりよくなるために私は親としてどうすればいいのだろうか、その気持ちこそが、何よりも子供に伝わり、子供を愛しているという一つの形なのだと思うのです。
クラスが荒れているということは、そこに毎日送り出す親としてはショックを隠せませんでしたが、でもこの問題のおかげで、学校に自分の思いをぶつけることもできましたし、自分の至らなさを他のお母様から教えていただきましたし、何よりもいろんな思いを持って子供を愛しているお母様方の気持ちを知ることができてよかったです。普通に問題のないクラスでしたら、親であることの重大さ、親としてできることの最善に気がつくことをスルーしてしまったところでしょう。
私たちが子供のときと違って、学校の先生たちが教育することに対して窮屈そうな感じを受けます。そうさせてしまったのは理不尽な要求を突きつける親が増えたことでもあると思います。もっと先生方も、怒ってもらっていいんですけどね。少なくとも我が家はガミガミOKです。そう思っている方が意外と多くて、学校にはぜひ受け止めてもらいたいところです。
私には親として未完成な部分がたくさんあり、日々努力と改善です。
家に帰って、息子に保護者会のこと、クラスのお友達同士で思いやりの気持ちが少なくなっているから大事なお話をしてきたのよ、と教えました。
言葉で人の心が傷ついてしまうこと。
体の欠陥をからかう言葉は絶対に言わないこと。
自分がされていやなことは人には絶対にしないこと、言わないこと。
けんかはしてもいいけど、絶対に仲直りすること。
息子も思うところがあったのでしょうね。「チビって言われたことあるよ」と告白してきました。
「そう、そういうことを言われたら悲しいでしょう?小さいのはお前のせいじゃない。」
チビって言葉は我が家では禁句ですが(爆)、学校でやっぱり言われたんですよね。「でも心はチビじゃないぞ!と言い返して来い!!」とハッパかけました(笑)。
小学校に入って見えない部分は増えますが、そうはいってもちゃんとアンテナをはりめぐらし、自分の子供以外にも、積極的にかかわりを持って、子育てを試行錯誤して行こうと思った一件でした。
イアーコーニングを体験してから、私なりに見たビジョンを考えてみました。
私はずっとずっと自分に自信がなく、姿かたちはもちろん、振る舞いや人間関係の作り方、男性との向き合い、つきあいかた、いずれも今でも自信がついたものはありません。
では、何が変わったんでしょうか?
私は銀行員時代の同僚であったAちゃんが一番最初に私のビジョンに登場したことが気になっていました。
彼女は、ある意味私の劣等感の象徴のようなものだからです。
彼女と過ごした時間は、私にとって大変楽しい時間ではありましたが、常に自分を追い詰めていた時間でした。彼女のようになりたくて、必死で。
今でこそその間違った方向の必死さには笑えますが、真剣に悩む以上に私の中で大きな勘違いを起こしていたのです。
彼女の前では、自分を否定し否定しても否定しきれない屈折したものがいつもくすぶっていて、最も恐れていたことは彼女が幸せになること。彼女が傷を負う事を私は心のどこかで期待していた頃があったのです。
思い出しました。
私にはそういう「ずるいところ」があることを。
今でも私には「他人より自分のこと」というところがどうしてもあります。やはり子供を持ってしまった以上、そういう部分に加速がついてしまうことも感じます。
人の幸せを喜べない私は、いつの間にか顔を出さなくなりましたが、それは自分が平和な環境を手に入れたからで、私がもしここで、この環境や家庭を失うことになれば、私はまた本来の屈折した自分が出てくることになるんです。本当の自分の問題というのは、本来、私は自分自分自分自分ばかりの人間ということなんですね。
もちろん、自分は大切です。それは否定しません。
どんなに自分が恵まれていない環境に置かれていても、屈折することなく、卑屈に流れることなく、友達の幸せを喜べる感情を持っていること。
それこそが、優しさであり強さなのかもしれませんね。
できるだけ意識して、元気のないメールなどを頂いたらすぐに返信するように心がけていますが、でも意識をしていないとできないのです。
そのとき目で読んで、心で読んでいないから、強く「助けてあげなくては」と意識しないと返信できない自分がいます。
実は私の中でずっと問題だと思っていることがあります。
それは「自分のこと以外に労力を使いたくないと思っている」です。
だから、自分に対してはとことん悩むし、落ち込むし、キリがないくらいに考えるのに、他人に対して、それだけ思いを寄せていません。
それが、誰かの幸せを祝えない自分につながってしまうんです。
本当に考えなければいけない部分は、浄化をしなくてはいけない場所は、この淀みなのでしょう。
この道を歩く人間は、自分と言う人間を大事にするのはもちろんですが、
自分以外の誰かの幸せを祈る器がなくてはならないのです。
私はずっとずっと自分に自信がなく、姿かたちはもちろん、振る舞いや人間関係の作り方、男性との向き合い、つきあいかた、いずれも今でも自信がついたものはありません。
では、何が変わったんでしょうか?
私は銀行員時代の同僚であったAちゃんが一番最初に私のビジョンに登場したことが気になっていました。
彼女は、ある意味私の劣等感の象徴のようなものだからです。
彼女と過ごした時間は、私にとって大変楽しい時間ではありましたが、常に自分を追い詰めていた時間でした。彼女のようになりたくて、必死で。
今でこそその間違った方向の必死さには笑えますが、真剣に悩む以上に私の中で大きな勘違いを起こしていたのです。
彼女の前では、自分を否定し否定しても否定しきれない屈折したものがいつもくすぶっていて、最も恐れていたことは彼女が幸せになること。彼女が傷を負う事を私は心のどこかで期待していた頃があったのです。
思い出しました。
私にはそういう「ずるいところ」があることを。
今でも私には「他人より自分のこと」というところがどうしてもあります。やはり子供を持ってしまった以上、そういう部分に加速がついてしまうことも感じます。
人の幸せを喜べない私は、いつの間にか顔を出さなくなりましたが、それは自分が平和な環境を手に入れたからで、私がもしここで、この環境や家庭を失うことになれば、私はまた本来の屈折した自分が出てくることになるんです。本当の自分の問題というのは、本来、私は自分自分自分自分ばかりの人間ということなんですね。
もちろん、自分は大切です。それは否定しません。
どんなに自分が恵まれていない環境に置かれていても、屈折することなく、卑屈に流れることなく、友達の幸せを喜べる感情を持っていること。
それこそが、優しさであり強さなのかもしれませんね。
できるだけ意識して、元気のないメールなどを頂いたらすぐに返信するように心がけていますが、でも意識をしていないとできないのです。
そのとき目で読んで、心で読んでいないから、強く「助けてあげなくては」と意識しないと返信できない自分がいます。
実は私の中でずっと問題だと思っていることがあります。
それは「自分のこと以外に労力を使いたくないと思っている」です。
だから、自分に対してはとことん悩むし、落ち込むし、キリがないくらいに考えるのに、他人に対して、それだけ思いを寄せていません。
それが、誰かの幸せを祝えない自分につながってしまうんです。
本当に考えなければいけない部分は、浄化をしなくてはいけない場所は、この淀みなのでしょう。
この道を歩く人間は、自分と言う人間を大事にするのはもちろんですが、
自分以外の誰かの幸せを祈る器がなくてはならないのです。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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