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占い師としての成長日記
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私がソレを見つけたのは二度目。
一度目は新築一ヶ月目のある朝、我が家の玄関のすぐ横に落ちていた。
そして今朝は二度目。駐車場と隣の家の境目のとっても目立つ場所に。


ソレ=犬のフン。


私がそれをわなわなと震える手で処分したことが想像していただけるでしょう。


二度目があったら、絶対に防犯カメラをつけてやる!と一度目の被害のときに誓っていた私ですが、さすがにそんなお金はローンに消えてありません(苦笑)。
まずフンを処分した荒い息のまま、町会長さんに電話をしました。


「これで二度目なんですが、ここらへんではこういう苦情多いんですか?」
町会長さんはいなかったので奥様が対応してくださったのですが
「そうなのよ。張り紙をしたほうがいいわよ。そうするとそこではしなくなるから。まあ他でするだけのことだから、解決ではないけれど。」
話をしていると町会長さんが戻ってきたので話を聞いてもらいました。
町会だよりが回覧で回ってくるので、話しておけばいつか町会便りに注意として書いてもらえるかもしれません。犬の散歩をするなんて距離だから、遠い人ではないはずですしね。つい先日も、我が家は新しく分譲されたところなんですが、その中の一軒で、庭に火のついたままのたばこを投げ入れられて困っているというお宅があるという記事が町会だよりで回ったんですよ。信じられませんよね。町会便りで注意を促し、警察にもパトロールしてもらうようになったら無くなったんですって・・・ってそれって結局、町会の誰かが投げ入れていたってことですよね???


私はアドバイスどおり、すぐに「犬のフンはお持ち帰りください!!」
と紙に書いて張り出しました。
「!!」に怒りの感情が表れています。


しかしですね、「犬のフンをお持ち帰りください」と書いている瞬間が一番頭に血が上りました。パソコンで打って、プリントアウトして張ろうと思ったんですね。しかし、犬のフンごときに、なんで私の貴重な時間と、貴重なインクリボンを使わねばならないんだ!!という結論に達し、私の手書きになったのですが、心の中では「私に犬のフンの始末を押し付けて・・・(怒)」「私に『犬のフン』なんて文字を書かせるなんて・・・(わなわな)」「犬がわが子のようにかわいいなら、ちゃんとわが子と同様にしつけてから散歩しろ!」「わが子が他人の庭にウンチをしてたら謝りに来るか、こっそり始末しにくるはずなのに、なぜペットにはそれをしないのだ!」・・・と黒いものがモニョモニョと湧き出てきました。


たまたま始末する道具を持ってこずに散歩したなら、ヤリ逃げせずに、あとで始末しに来たっていいはずですよ。


わが子だ、家族だと言い、大事にかわいがるペット愛好家なら、こんなマナー違反はありえないはずですよね?わが子が他人の庭にウンチをしたら後始末に来るのが、親として本来の流れですよ。


前回は本当に玄関の横にされてて、最悪でした。
たぶん朝か夜中にされてしまったのかも・・・。私にうらみがあるのかしら?というくらいの場所にボトンと落とされていて・・・。


三度目がきたら、私は絶対に外で犯人を現行犯で逮捕する!・・・勢いです(苦笑)。いや、車に潜んで、絶対に言い逃れできない瞬間に飛び出して、一言物申したい・・・・。犬にではなく、飼い主にです、ハイ。
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土曜日の鑑定での食い違い以来、ちょっと悪いことを考えすぎてしまって、本来の「悩む」とは別の方角へ流れてしまっていました。


そう、一番いけない流れに流れ着いたわけです・・・「やっぱり私なんかダメなんだわ」「必要とされていないんだわ」「能力がないんだわ」
こうなったら、本来の問題がかき消されてしまいますよね。


こうなってはいけなかったのです。
よく覚えていてください。私がいい見本です。他の鑑定士さんのまぶしい姿を見て、打ちのめされていました。やっぱりダメなんだの文字がぐるぐる回り始めて・・・私は悩んでいたのではなく、比較をしてしまったのです。他の鑑定士さんだったらこんなこと言わないだろうな、とか。人気がある鑑定士さんならこのお客さんを上手にこなしたんだろうな・・・って。


それでなにをしても明るくなれなくなってしまった。立ち上がるつもりが、立ち直れなくなってしまった。


劣等感も、向上心のきっかけにはなります。
でも・・・誰かの存在と自分を比べて、優越感が生まれても、劣等感が生まれても、それが一体何の助けになるというのでしょう?
私の悪い癖は「比較して落ち込む」です。その技術や流れは天才的なくらいです。素晴らしいくらいに比較するのが上手です(爆)。
なのに、勝手に落ち込んでどこまでも深い闇にはまってしまうのだから、劣等感は一歩間違えば、さまよえる子羊の根源になってしまいます。


とりあえず・・・の対策を立てました。
落ち込む素材には触れないこと。
それに限ります。見るから落ち込むのです。だったら見なければいい話。
対策は、案外シンプルなもの。


それよりも、落ち込んでしまった自分を、自分で握りつぶすのではなく、「これが私の原寸大サイズ」と知ることが大事なんだということ。
スランプは、なぜあるのでしょうか?それは・・・スランプに伴うさまざまな自分の内面を知ることで、自分の考えていることがよ~~くわかるからです。自分のことを知っているようで知りません。持て余したりします。しかし、スランプなど、沼にはまっているときは、何が何でも沼からの脱出を試みるため、余裕がなくなりますから、自分の抱えている本質があますところなく露呈されます。


そんな自分をみて「みっともないけれど、これが自分なのかー」とキャッチできたら、だんだんみっともない自分から卒業しようと人間は気づくかもしれません。一回でうまくいかなくてもいいから、努力できることが大事ですよね。私は、できないことだらけですが、少なくとも直したいと思ってもがいている自分が、嫌いではないです。


失敗は成功の母、雨降って地固まる・・・仕事を通じて苦しんでも、私はその中で逃げずに向き合う自分を作りたいだけです。
悩むのは悪くありません。比較して落ち込むことがいけないのですね。
全然楽しくもなんともないです。私は散々それを人生でしてきているのに、また今回もやっちゃいました。
でも、また今回も、抱えきれないほどの気づきというギフトをいただきました。感謝です。
先日ある相談者に言われました。
「さっきから聞いてるけど、全然当たってないんですけどっ!」


自分のやり方がまったく通用しない相手というものは存在します。
タロットを展開してこの調子で言われてしまうと、内心思いっきり挫けます。悲しいですよ。でも一番やってはいけないことは、相談者に謝ったり、自分の占いを自分で否定すること。


当たっていないかもしれません。うまく読み取れなかったのかもしれません。でも、そのとき出来る精一杯の鑑定をさせていただいたんですね。
「私は精一杯鑑定させていただきました。私の鑑定が気にいらなければこれでやめておきますが、どうされますか?」
「なんなの?開き直り?」


開き直るというのは正しい言い方ではないかもしれませんが、自分のやっていることにもっと自信を持って、歯をくいしばってここから逃げずに立ち向うってこういうことなんだな・・・って思います。


でもね、実はものすごくものすごく小心者で、敏感になりすぎる私。
やっぱり納得させられなかった自分がくやしい。
相談者に、信用されなかったのはくやしい。
それを相談者のせいにしてしまうのも、なんだか筋が違う気がしてしまう。


その鑑定が一日の最後の仕事だったんだけれど、気になって気になって仕方ない。会社に電話をして、事情を説明してお話を聞いていただきましたが、やっぱり気にしないでいいのよって言ってもらいました。いちいち気にしていたら持たないわよって。


そうでしょうね。
そしてそれはもっともまっとうな回答かもしれません。


昔から「あなたは真面目すぎるから、もう少し気楽に行きなさい」と言われるんですよね。
自分が悶々と悩んで、その壁がどうして乗り越えられなかったのか考えていると「もうちょっと気楽になってもいいんじゃない?普通のひとはそんなに悩まないよ」って言われることがありました。きっと「どうしてできなかったんだろう。私の何が悪かったんだろう」って思いつめてしまうから、そういう風に言われてきたんだと思うんです。だから「気にしていたら次に進まない」ということも私の課題かもしれません。


ただ・・・その「真面目なんだから」という性質は、弱点かもしれないけど、私のよさでもあるのだし、真面目だから出来ることだってあるはずだと思ってしまうのです。嫌悪感を感じる鑑定、こんなことは忘れればいいのかもしれません。
でも、忘れるために起きているわけではないですよね?


なぜこんなことを言われたのか。なぜこの人はこういう性質なのか。突き詰めていけば、そこにヒントがあるはずです。
突き詰めるのは悩むということではなく、追究するということ。それは必ず自分が何かを追う側であり、追われる側ではありません。
自分が追い詰められるのとは違うんですよ。


真面目すぎると笑われることもあるけれど、真面目になれる部分は思い切り真面目で行こうと思います。


少なくとも、占いのデータ上、大変参考になったことは確かです。
転んでもただでは起きないぞ!
今週、幼稚園時代のお友達と、子供同士を遊ばせる機会がありました。
同じ長男同士であり、下の子が娘という兄妹構成も一緒です。しかし、私たちはどうしても、異性であり、長男である息子の心配や、息子の将来のことを話すことが多くなります。


私にとってそのお母さんは、いつもお子さんのことをよく心配し、気配りをし、そしてしっかり育てている、本当に尊敬できるお母さんのひとりです。


そのお母さんと、息子を中学受験させるかという話に始まり、結局「どういう男に育って欲しいのか」という議論になりました。


私はこのとき、受験というものに対しても含め、自分の想いとしてこう言いました。
「やっぱり勉強はできないよりできるほうがいい。漢字を知らないよりは知っているほうがいい。将来もしお嫁さんをもらって、そのお嫁さんに馬鹿にされない程度には勉強してもらいたい。」


やっぱり尊敬される男であって欲しいわけです。


「う~~ん。どういう男になって欲しいかっていうか、息子の嫁にね、『私、Hくんと結婚できて本当に幸せです』って言ってもらえるようなそんな男になって欲しいのよ。もしかしたら、私たちの子育ての結果を客観的に判断できるのって、子供や本人でもなく、子供の配偶者なんじゃないかって思うの。私たちは一生懸命育てるけど、親のエゴがあって、自分は何時も頑張ってきたという想いしかないけど、本当はそうじゃないこともいっぱいあるはず。もし、私たちが息子にしてきた子育ての結果が出るとするのなら、それは息子の持った家庭に出るんじゃないのかな。私たちよりも、きっと息子の妻や子供のほうが、息子のことをよく知ることになるはずだよね。」


これは私の経験から感じてきたひとつの回答です。
そうじゃない場合もあるかもしれません。少なくとも私にとって、夫は反面教師かもしれません。
でも・・・私はこういう価値観を持つようになっていました。


じゃあ、いったい息子にどうなって欲しいのか?
学力?忍耐力?無駄遣いしないこと?稼ぐ力を持つ男?
どれも欲しい!(爆)。でも学力だけはDNAレベルでもう挫折。
お金も大事、でもその前に学力も必要になってきてしまうのかな?
中学受験はちょっと難しいかもしれない我が家。
じゃあどうする?どうなってほしい?


この時点では「嫁さんを幸せにできる男!」という結論になったものの、それが具体的にどういうことなのかをつかめないまま議論は終わりました。


今朝一番に見た輝夜師匠のブログに、私の探し求めていた回答が書かれていたので、びっくりしました。

『大切なことは、愛することが出来る人間になることなんだなって思います。自分を愛し、ひとのことも愛せる人。』


これだよ!!!!と自分の中で結びつきました。
いつもいただく内側からのメッセージではなかったのですが、でもこれも私にとってはひとつの啓示であり、メッセージでした。


学力も、体力も、気力も、家庭を守るだけきちんと稼げるかも大事。
でも一番大事なことは・・・人間として、愛することが出来るかどうかなんだなって。


私は愛することを教えているだろうか?
愛することがどれほど尊く、自分を愛することがどれほど難しいかを。
私は息子や娘を愛しているけれど、その愛がどうか、行き過ぎてこの子達の行く手を阻むものにならないように。いつかこの子達が私の望むような未来に行かなかったときがきても、小言を言わず、本人の意思をよく尊重し、引き止めるか進ませるかの決断を間違わないように・・・。


愛というものはきっと押し付けるものではなく、受け入れるものだから。


抱きしめて愛を伝えられる時間なんてあっという間に終わってしまいます。いつの間にか私の腕に入ることすら拒むでしょう。できるなら、「ママ抱っこして」と望むときは静かに抱きしめてあげるだけでいいのですね。抱きしめてあげることで、私の愛は伝わるはずです。「愛とは、こういう温かさのことです」ときっと伝わるはずです。


息子がどこでどんな女性と結婚しても、娘が誰のところに嫁いでも、愛することをちゃんと知り、実行できたなら、きっと心配は要らないのでしょう。私も次世代に「愛」を伝える役割を担っているわけです。自分勝手で、相手を思いやることを知らないまま結婚して欲しくないですね。


まだまだ先の話ですけどね(^-^;
「ファースト・ワイフ・クラブ」という一本の映画によって、自分の中で占い師と言う言葉がどんどん膨らんできました。すぐに転職しようとか、そういったものではなかったのですが、いずれにせよ、今までの手相だけの占いでプロになるとするのなら通用しないし、手相で「彼は私のことをどう思っているの?」「転職したいんだけどいつがいいの?」と言う質問に回答ができないことを、だんだん学んできたところでした。


「手相だけじゃ本当の意味でアドバイザーにはなれないな。」
当時の私は時間とお金はありましたので、学校を探し、易と人相学を学びました。そこの学校は本当に面白い講義をしてくれるんですね。ただ、どちらかといえば、退職され第二の人生を歩まれている方が、人生を豊かにするための講座として受ける方がほとんどで、「占い師になりたい」という希望で学んでいる人はいなかったんじゃないでしょうか。講義こそ面白かったのですが、占い師としての心構えなんてものはまったく教えてもらえなかったのです。プロを育てると言う授業ではなかったので、また別の学校を探すことになりました。今度はもっとプロにしてもらえるような学校を。


新聞の広告で「プロを養成」という言葉に惹かれて新しい学校を見つけました。気学九星術を教えてくれる学校だったのです。実は「この講義を受ければ三ヶ月でプロになる」という甘い言葉に誘われて出向いてしまったんですね。いやいや、そんなに甘いものではないと言うことは今ならよくわかりますが(苦笑)、当時はすぐにとびつきました。
その学校長が「占い師になりたいのなら、絶対にタロットはやっておいたほうがいい。タロットの講座を開くから、興味のある人はぜひ受けなさい。」と新たにタロットの講座を開くことを提案してくれました。
もちろん、私にとっては「渡りに船」です。すぐにとびつきました。


その学校のタロット講師として私の前に立ってくれたのが、輝夜師匠でした。ちょうど10年前のお話になります。


人と人との出会いは面白いものです。
手相から始まった占いは、出会ってから10年間はずっと私にとっての特技だけでしかありませんでした。それから友達を作るための社交術でした。
人の輪には入れなかった自分が、手相によっていろんな人からお呼びがかかるようになって、戸惑いと同時に、通常以上の出会いがもたらされました。この道で極めるつもりもなく、宴会芸のようなものだったのです。


同時に自分は占いによって助けられたり、占いを頼るただの不安定なOLでした。新宿西口には夕方6時になると占い師が通りにずら~~~っと並びます。そこで出会った占い師の先生に「銀行員は天職ね」「結婚はできるわよ。大丈夫。」と励まされたり・・・。沢山の占い師さんに出会い、いつか私もこうして誰かのことを励ませるのかな、誰かの心の曇り空を少しは楽にできるのかなと思いながら占いをしてもらっていました。


当たるからといわれていろんな人が私のところに来てくれたりするうちに、いつのまにか私もいい気になってしまって、「占い師になったらいい稼ぎができるのかな( ̄ー ̄)ニヤ...」と考えていたことも確かです。占いができるってことはひとつの自慢だから、そういう俗的な気持ちも確かにしっかりありました。他の誰にもできないことをしたい、それで注目を浴びたい気持ちが私を突き動かしたのかもしれません。


タロット講師として私たちの前に立った輝夜師匠はすでにプロとして電話鑑定のお仕事を毎日精力的にこなされていました。その輝夜師匠が第一声にこうおっしゃったのですね。


「みなさんをプロにするように言われました。私はみなさんに私の知っていることを全部お伝えしようと思います。なので、皆さんは私からどんどん吸収してください。持っていけるものは持っていってください。」
それは知識だけではなく、占い師としての心構えを教えるということでした。


今まで私の受けた授業でこんなことをいきなりおっしゃった先生はいません。逆に「これは特別なことなので、授業では教えられないな。」と言って、出し惜しみをする先生もいらっしゃったくらいです。
目の前に立っている、若く、髪の毛の長い、目のきれいな先生は私と大して年齢差はないはずなのに、その話し方、授業の進め方、タロットだけではなく、気学や姓名判断まで、本当に、自分が知っていることを全部、あますことなく教えてくれるんですね。その知識量に圧倒されました。授業は一時間半だったでしょうか・・・もう詳細は覚えていないのですが、あっという間に終わってしまうし、授業だけではなくアフターも輝夜師匠を囲んでお茶をしながらいろんな話を聞かせていただきました。


「占いは人生学」ということを輝夜師匠の授業を通して初めて気がついていくのですね。それから、何よりも感動したのは、輝夜師匠は授業のとき、たとえ話に自分の話しをします。自分の生活のこと、現実の占いの仕事のこと、ご両親のこと・・・これが「え?そんなことまで告白しちゃっていいの?」というラインをかなり越えているんです。自分にとって恥ずかしかったと言う経験も包み隠さない。自分の人生を切って、私たちに真剣に伝えようとしている証でもありました。こんな情熱的な先生についていかないわけないです!


輝夜師匠の所属している電話占いの会社にいつか、同じ占い師として所属できるのかな・・・そんなことをぼんやり考えながら。でもその当時は夫と出会い、念願の結婚を果たせることになりつつあったので、占い師になるという現実的な動きはまったくなかったのですが。


それでも、私の人生のターニングポイントは輝夜師匠との出会いでした。
あの新聞広告の「三ヶ月でプロに」という甘い言葉に誘われて出かけてみましたが、人生を変える大きなきっかけになるとは夢にも思わず・・・。


現実に占いで食べているという人に指導をいただけると言うのは、すごく話しに説得力がありました。輝夜師匠のほかにもう一人、同じ電話鑑定の仕事をしている占い師の女性がタロット講座をしてくれたことがありましたが、う~~~~~~ん・・・・正直言って全然心が躍らなかった。なぜか?タロットの知識は話すものの、心の部分に話を進めないからですね。
人が生きる上で何が大切なのか、タロットを教えると言うことは、そういった部分を語ることでもあるのに、そういったことは一切言いません。自分の話も一切なし。自慢話はありましたが(^-^;。


魅力ある占い師というのは、情熱的で、精力的で、とにかく一生懸命な人であること。出会った当初から、輝夜師匠の変わらない部分です。私の中でこの部分に共鳴し、いろんなことがそのあとありましたが、師匠として温かく見守っていただきました。


私の中で「占い師には誰でもなれる」という認識がありましたが、「占い師であり続けることは本当に難しい。」という結論も出ました。あり続けるために自らを律し、自分を知ることで成長し、自分の恥ずかしい部分を敢えて掘り下げ、目に見えない部分でしっかりと根を下ろしていくことが「占いをしていないときも、占い師であり続けなさい」という輝夜師匠の教えとつながります。自己矛盾、内面の葛藤、自分の人生にある様々な問題と真剣に向き合い、一生懸命逃げずに回答を探すことが、信頼される占い師としての大事な鍛錬なのです。手相を始めたころの自分はそこまでの意識がまったくなかった。でも、「一生懸命向き合う。あきらめずにやってみる」という輝夜師匠の背中の教えは、私のそれまでの価値観を変えていくものでした。


自分が生きる道を決めたとき、誰を師とするのかは本当に重要です。
それがすべてを左右すると言っても過言ではありません。
師の志が高ければ高いほど、もちろん大変なことは山積みですが、その道にある喜びもまた、通常では味わえないものであることも確かです。


私は今、輝夜師匠の後を追うように、同じ電話鑑定の会社に所属できました。もうひとつの私の目標は、いつか誰かに、自分が輝夜師匠にしていただいたように「占い師としての魂」をあますところなく教えられるようになりたいと考えています。今の自分では力不足な部分もありますが、もしチャンスが来たときは「できません。自信がありません」と言うのではなく「頑張ります」といってそのバトンをしっかりつなげられるように。
私たちの前でまさに体を張って、占いを教えてくれた輝夜師匠の授業のことは10年たった今でも鮮やかに思い出せます。私たちを占い師にするために、この先生はこれだけ一生懸命になってくれているんだ・・・あの一生懸命な姿勢が、今でも私が苦しいときに生きるヒントになっています。占いに生きるということは、自分の人生と真剣に向き合い、苦しくても逃げないことだ・・・それが私の中で出した答えです。


いろんなきっかけが縦糸と横糸のように絡み合い、ひとつの作品に仕上がるかのように、20年近くかかってようやくプロとしてデビューできました。そこにはもちろん金銭欲や名誉欲といったものもあったのは確かです。でも・・・それだけではこの世界を戦い抜けません。自分の生きる道をここだと決めたときから、ついてまわるいろんな葛藤。それはどうしても目に見える報酬では解決できないのです。


銀行員が天職で、占い師に向いているとは一回も言われたことがありません。新宿の母には「占い師になると真剣に思うのなら、家庭は持たないほうがいい。」と言われたことも思い出します。新宿の母は知っているのですね。この道がどんなに辛く、覚悟が伴い、茨の道そのものであるのかを。本当に家庭を持たないほうがいいということではなく、本当に言いたかったのは、それだけ占い師と言うのは厳しさが伴うもので、中途半端な気持ちでやれるものではないということを、伝えたかったのではないのでしょうか。


確かに子供を抱え、家庭を持ちながらは大変ですが、私にとって子育てや家庭は鍛錬の場ですね。


その道のプロになると言うことに憧れていました。占いという場でプロになることができました。憧れを現実にしたとき、開かれるのはバラ色の扉ではないことも知りました。それでも、「ああ一生懸命やってよかったな」と思える瞬間に立ち会えたとき、占いという技術はただの技術ではなく、心をつなぐ絆になります。これからも、輝夜師匠に教えていただいたとおり、一生懸命やっていくだけです。それこそが、もっとも大切であり、もっとも難しいことなのです。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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