占い師としての成長日記
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記事とは関係ないですけれど、今時計を見たら「10:10」で、日付もデジタルで表示されているので「10/10」って、時計の表示に10がズラリと並んでいました。なんだか得した気分です♪ラッキー!!たまたま見た時間がそろっていると、いいことがあるんじゃないかと舞い上がってしまいそうです。
さて、私という人間を掘り下げていこうと思います。まずは自分のことを知っているようでいて、把握できていない部分もあるし、「たぶんこうだよね」と認識できているものもあるけれど、どうしてこういう自分ができあがったのかも含め、何回かに分けて、自分を解剖してみようかなって思います。
どうしてこんなことをしようと思ったのかと言えば、私は自分の性格を
「いじけやすく、落ち込みやすく、すぐ愚痴る。自分で何とかしようとしない。なのにあきらめが悪い。」と思うことがありました。
それは占いの道に入ってから、ますます顕著に感じることでもありました。私はなぜこんなに、できないのだろう。書けないのだろう。言えないのだろう。苦しみが目の前に立ったとき、逃げることばかり考えてしまうのだろう。ひとつのジャッジをするときも、なぜ偏ったものの見方をしてしまうのだろう。自分の考え方が間違っているような気がして、どうしても誰かの賛同を得たいと思ってしまう。自分の考えを引っ込めてしまう。自立できていないと何度も指摘されたけれど、自分がなっていないから、とてもひとりでなんて怖くて立てない。そもそも、自分の足で立つってどういうことなんだろう。
全然わからない。ピンとこない。じゃあなぜ理解できないのか。その理由は私自身がいろんな人に甘えて、自分の手でやってこなかったことが原因ですね。
一番の依存は、私は親に何もかもをやってもらってきたこと。
受験とかはもちろん自分で受けたけれど、それ以外のことはぜ~~んぶ親任せ。家事も、お金もいっぱい出してもらってきたし、困ったことがあったら、親が魔法使いのように解決してくれると思って、今まで幾度となく困ってもすぐにすがっていたんです。お恥ずかしい話の連発ですが、就職先の銀行だって親が話を持ってきて、ただ私は試験を受けに行っただけですよ。その受験の際のスーツだって自分じゃ買いません。その上、時代まで私を甘やかしてくれて(苦笑)、超売り手市場のバブル絶頂期。就職先に困る人は誰もいませんでした。たいした考えなんてなくても、哲学的なものを持っていなくても、フラフラしていても銀行に採用されてしまうんです。この時点でかなり楽をしてます。だって、「自分がどう生きたいのか。どうありたいのか。どうすれば受かるのか。」っていう苦労なんて何一つしてませんもの。20歳そこそこで誰もが越えなければならない壁を、私は親の持ってきた就職先にちらっと顔を出すだけで、クリアしてしまったんです。クリアどころか、ハードルも試練も何もないわけです。自分のあり方も、自分の未来も何にもなかった。ただ「23で寿退社して、25歳で第一子を産んで、27歳で第二子を産む」程度の未来のビジョンしかなかった。冗談抜きで、それしか考えていませんでしたよ。しかも・・・今日初めて気がついたんですけれど(苦笑)、この夢もなんというか・・・依存的じゃないでしょうか?相手の人生に乗っかることしか描いていなかったわけです。自分で何とかしよう!という意気込みのかけらもありません。産むことくらいしか、能動的なことは持っていませんよね。
親に就職先を斡旋してもらった私は、そのままヘラヘラ~~っと銀行に入ったので、そのあと、叩き直されるわけですが、そうなると次に私は「辞めたい。とにかく辞めたい。」を何度も何度もつぶやいたし、どうすれば辞められるのかを考えました。しかし、田舎で銀行を辞めたら次に就職する先なんてありません。「あら~いいところにお勤めね」という言葉に天狗になってきた私は、それも捨てがたくて辞められません。年に二回のお楽しみ、ボーナスをもらうと辞められません。親は私に「給料は自分で貯めておきなさい。家には入れなくていいから、自分で使いなさい。」と言って、お金も強制しませんでした。その上、車の保険とか、車検は父の知り合いの関係の会社で安くしてもらっていたのですが、それも面倒見てもらっていたんです。もう書いているだけで汗が出てきそう。私ってお金だけでもわがまま放題ですよね。親の言葉に甘えて、やりたい放題で、でも頭の中ではそんな自分を受け容れてくれる永久就職先を漠然と夢見ていました。申し訳ないのですが、その程度の考えしかなかったんです。だから恋愛に敗れることが、自分の人生の根本が狂うことと等しくなり、自分自身の足で立つことよりも、自分の好きな人にずっと私のことを好きでいてもらわないと困る!という構図になり、私は自分に問題を抱えながらも、それが依存から来るものだとは、まったく考えも及びませんでした。
そう、今でもそうですが、客観的に自分を見るって案外できないものなのです。ましてや渦中にいると・・・。依存していた自分を書き上げる毎に、親に申し訳ないし、なんて、努力の仕方を間違っていたんだろうと思います。それでもあの時は、それが精一杯だったんですね・・・。目覚めが遅かったんです。自分がどういう姿をしているのか。自分が自分を知り、どう生きるべきなのかを、この人生を生きながら模索し始めることを、ひとつの目覚めというのなら、明らかに、親の庇護の元、就職して社会人になっていても、私はずっと眠りこけて、誰かがさらって、眠り姫のように王子が目覚めさせてくれると思っていました。自分で目覚めずにね。
あのまま本当に23歳そこそこで結婚相手が私をさらってくれていたら、私は今、どんな妻になっているんでしょうか・・・。少なくとも占いは、していなかったでしょうね。
今もその幼い私が顔を出してしまうときがあります。
それは「弱ったとき」です。
夫のことで本当に参ってしまったときは、母親に、それから輝夜師匠に。
何度も泣きついたし、とにかく聞いてもらってすっきりしたかった。
ずっと今までもそう。つらいやめたい、そんなときは友達に愚痴ってきました。助けられました。それは確かです。
でも・・・いつもその繰り返しでは、やっぱり駄目なんですよ。
いつまでも親の庇護がある頃のように、事態が悪化したら甘えるということの繰り返しでは、本質的なものが変わらない限り、事態も変わっていかないし、付き合わされる相手も、疲れるものなのです。それに気づいたのがようやく今・・・。
ちょっと、長くなってしまいそうですので、また連続して、記事を書いていこうと思います。明日は保育園の運動会です。晴れますように♪
さて、私という人間を掘り下げていこうと思います。まずは自分のことを知っているようでいて、把握できていない部分もあるし、「たぶんこうだよね」と認識できているものもあるけれど、どうしてこういう自分ができあがったのかも含め、何回かに分けて、自分を解剖してみようかなって思います。
どうしてこんなことをしようと思ったのかと言えば、私は自分の性格を
「いじけやすく、落ち込みやすく、すぐ愚痴る。自分で何とかしようとしない。なのにあきらめが悪い。」と思うことがありました。
それは占いの道に入ってから、ますます顕著に感じることでもありました。私はなぜこんなに、できないのだろう。書けないのだろう。言えないのだろう。苦しみが目の前に立ったとき、逃げることばかり考えてしまうのだろう。ひとつのジャッジをするときも、なぜ偏ったものの見方をしてしまうのだろう。自分の考え方が間違っているような気がして、どうしても誰かの賛同を得たいと思ってしまう。自分の考えを引っ込めてしまう。自立できていないと何度も指摘されたけれど、自分がなっていないから、とてもひとりでなんて怖くて立てない。そもそも、自分の足で立つってどういうことなんだろう。
全然わからない。ピンとこない。じゃあなぜ理解できないのか。その理由は私自身がいろんな人に甘えて、自分の手でやってこなかったことが原因ですね。
一番の依存は、私は親に何もかもをやってもらってきたこと。
受験とかはもちろん自分で受けたけれど、それ以外のことはぜ~~んぶ親任せ。家事も、お金もいっぱい出してもらってきたし、困ったことがあったら、親が魔法使いのように解決してくれると思って、今まで幾度となく困ってもすぐにすがっていたんです。お恥ずかしい話の連発ですが、就職先の銀行だって親が話を持ってきて、ただ私は試験を受けに行っただけですよ。その受験の際のスーツだって自分じゃ買いません。その上、時代まで私を甘やかしてくれて(苦笑)、超売り手市場のバブル絶頂期。就職先に困る人は誰もいませんでした。たいした考えなんてなくても、哲学的なものを持っていなくても、フラフラしていても銀行に採用されてしまうんです。この時点でかなり楽をしてます。だって、「自分がどう生きたいのか。どうありたいのか。どうすれば受かるのか。」っていう苦労なんて何一つしてませんもの。20歳そこそこで誰もが越えなければならない壁を、私は親の持ってきた就職先にちらっと顔を出すだけで、クリアしてしまったんです。クリアどころか、ハードルも試練も何もないわけです。自分のあり方も、自分の未来も何にもなかった。ただ「23で寿退社して、25歳で第一子を産んで、27歳で第二子を産む」程度の未来のビジョンしかなかった。冗談抜きで、それしか考えていませんでしたよ。しかも・・・今日初めて気がついたんですけれど(苦笑)、この夢もなんというか・・・依存的じゃないでしょうか?相手の人生に乗っかることしか描いていなかったわけです。自分で何とかしよう!という意気込みのかけらもありません。産むことくらいしか、能動的なことは持っていませんよね。
親に就職先を斡旋してもらった私は、そのままヘラヘラ~~っと銀行に入ったので、そのあと、叩き直されるわけですが、そうなると次に私は「辞めたい。とにかく辞めたい。」を何度も何度もつぶやいたし、どうすれば辞められるのかを考えました。しかし、田舎で銀行を辞めたら次に就職する先なんてありません。「あら~いいところにお勤めね」という言葉に天狗になってきた私は、それも捨てがたくて辞められません。年に二回のお楽しみ、ボーナスをもらうと辞められません。親は私に「給料は自分で貯めておきなさい。家には入れなくていいから、自分で使いなさい。」と言って、お金も強制しませんでした。その上、車の保険とか、車検は父の知り合いの関係の会社で安くしてもらっていたのですが、それも面倒見てもらっていたんです。もう書いているだけで汗が出てきそう。私ってお金だけでもわがまま放題ですよね。親の言葉に甘えて、やりたい放題で、でも頭の中ではそんな自分を受け容れてくれる永久就職先を漠然と夢見ていました。申し訳ないのですが、その程度の考えしかなかったんです。だから恋愛に敗れることが、自分の人生の根本が狂うことと等しくなり、自分自身の足で立つことよりも、自分の好きな人にずっと私のことを好きでいてもらわないと困る!という構図になり、私は自分に問題を抱えながらも、それが依存から来るものだとは、まったく考えも及びませんでした。
そう、今でもそうですが、客観的に自分を見るって案外できないものなのです。ましてや渦中にいると・・・。依存していた自分を書き上げる毎に、親に申し訳ないし、なんて、努力の仕方を間違っていたんだろうと思います。それでもあの時は、それが精一杯だったんですね・・・。目覚めが遅かったんです。自分がどういう姿をしているのか。自分が自分を知り、どう生きるべきなのかを、この人生を生きながら模索し始めることを、ひとつの目覚めというのなら、明らかに、親の庇護の元、就職して社会人になっていても、私はずっと眠りこけて、誰かがさらって、眠り姫のように王子が目覚めさせてくれると思っていました。自分で目覚めずにね。
あのまま本当に23歳そこそこで結婚相手が私をさらってくれていたら、私は今、どんな妻になっているんでしょうか・・・。少なくとも占いは、していなかったでしょうね。
今もその幼い私が顔を出してしまうときがあります。
それは「弱ったとき」です。
夫のことで本当に参ってしまったときは、母親に、それから輝夜師匠に。
何度も泣きついたし、とにかく聞いてもらってすっきりしたかった。
ずっと今までもそう。つらいやめたい、そんなときは友達に愚痴ってきました。助けられました。それは確かです。
でも・・・いつもその繰り返しでは、やっぱり駄目なんですよ。
いつまでも親の庇護がある頃のように、事態が悪化したら甘えるということの繰り返しでは、本質的なものが変わらない限り、事態も変わっていかないし、付き合わされる相手も、疲れるものなのです。それに気づいたのがようやく今・・・。
ちょっと、長くなってしまいそうですので、また連続して、記事を書いていこうと思います。明日は保育園の運動会です。晴れますように♪
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三ヶ月に一度くらいの割合で、朝学校前の交差点で交通パトロールする当番があります。児童たちの登校時間の30分間、地域の交通安全ボランティアの方と一緒に交差点に立つだけなんですが、今朝はその当番でした。私は学校前にある交差点が担当箇所です。保護者は三ヶ月に一度くらいですが、交通安全ボランティアの方々は毎日交差点に立って、それこそ、雨の日も風の日も、旗を振って交差点での誘導をしてくださっています。
学校のすぐ下の交差点では多くの児童が登校してきます。その子供たちに「おはようございます!いってらっしゃい!」と声をかけます。小学校のすぐとなりに中学があるので、中学生も恥ずかしそうに混じっていますが、今の中学生、恥ずかしがらずにちゃんと返してくれる子もたくさん居ます。
パトロールが終盤になると、寝ぐせがついた頭でボーっとした状態で歩いてくる子の率が非常に高くなります(笑)。でも急いでないんですよ。寝過ごしたようですね。
その小学生の中でひときわ目を引く男の子が居ました。
髪は茶髪・・・というよりオール金髪。
Tシャツから伸びた腕には刺青が?!(本物?シール?)
ランドセルは背負っていなくて、リュックサック。
耳にはピアスが!!
Gパンをお尻のあたりまで下げて履いていました。いまどきの着こなしです。
でも小学生なんですよ。一緒に歩いていた友達はランドセルを背負っていましたし、背も五年生か、六年生くらいかもしれません。格好だけで判断してはいけないのかもしれませんが、子供なのに、していることは子供の趣味ではないですよね。でも高学年になれば、自分の好みも出てくるから髪の色も、ピアスも、嫌なら嫌だといえばいいのです。しかし、彼はこの支度を選んでいるのですから、きっともうずっと昔から、こういう格好をしてきて、自分のスタイルになってしまっているんでしょうか。それから親も、同じような格好をしているから、同じように子供も抵抗なく生活に取り入れているんでしょう。
その子の格好が衝撃的で、凝視しちゃいましたが・・・。
でも、その子の格好はなぜ、高校生のようなスタイルなんでしょうか。
親を見たいと思いました。親も同じスタイルをしているんでしょうか。
この突拍子もない格好は、一体何からもたらされたものなのか。
もし、自分が人より目立つ格好をしたいときは「注目を集めたいとき。関心を寄せてもらいたいとき」だと思います。俺はここに居るぞ!と目をかけてもらいたいときに、人はいわゆる「普通」の格好からはずれて、個性のある支度を始めるはずです。目立ちたい=目をかけてもらいたいということであるなら、彼の格好は、自分に関心を持ってもらいたいための戦闘服なのかもしれません。
でも、さかのぼっていけば、そこにはその子の親にぶつかります。小学生が自分の髪の毛を一人で染めに行くことはないでしょう。ピアスを買いに行くこともないでしょう。きっとそこには親の影があります。その親も、きっと誰かに自分の存在をアピールしたくて、同じように着飾ってきたのでしょう。そう考えると、こんなに幼いわが子にも、自分の埋められない気持ちを託しているようにも見えるのです。大人に近い格好をして、小学校に向かう彼は、ランドセルの集団の中で、ひときわ浮いて見えます。
この格好を「個性を尊重する」という時代背景が守っているのかもしれません。格好よりも中身が大事だし、すれ違っただけの子供の人格まで見通すこともできませんが、子供が実年齢に合わない支度をしていることを「かっこいい」と受け容れているその価値観が、やっぱり自分には理解できません。
なぜなら、私は田舎育ちで、もう若くもないですし(笑)、昔気質で周りの目が厳しいところに住んだせいもあるのか、中学校の生活スローガンで「格好の乱れは心の乱れ」と教えられてきたせいか、どうしても気になってたまらないのです。これは受け容れるべき今の教育環境の真実なのか。
パトロールが終わった後、ボランティアのおじさんとちょっと立ち話をしました。
「いろんな子が居るよ。化粧してくる子も居るしね。いきなり後ろから蹴る子もいるんだよ。こっちもいきなりやられたから、旗で尻をたたいてやったけれどね(笑)」
「え~!」
「まあいろんな子が居るから見てるといいよ。蹴った子供の親にね、蹴られたことを注意したら『ボーっとしてるから蹴られるんだ』って言い返されちゃったよ。駄目だね。言ってもこうなんだから、親がどうしようもないんだよ。」
そういっておじさんは立ち去りました。
でも・・・いきなり蹴られたりするという衝撃的なことがあっても、毎日旗を持ってこの交差点に立つことは勇気が要ります。親に注意したこともそう。子供のせいではない、そう思うから、おじさんはボランティアをして、子供を見守り、厳しさも出していくことを続けているんですね。おじさんに勇気がなければ、愛がなければ、蹴られた時点でボランティアなんて放棄ですよ。毎朝立つのは大変なことですもの。
毎朝交差点に立つ三人のボランティアの人は、いつも遅れてくる子供の顔などは把握しているらしくて「今日はあの子は来ていたね。大丈夫だね」などと言いながら解散をしていました。ただ立っているだけではなく、毎朝すれ違う子供に愛を注いでいるし、気に掛けている。もし、何かあってもそこで毅然と注意する気合も持ち合わせている。ボランティアだけれど、その瞬間は親のようなものですよ。その姿勢は。
もし・・・あのピアスと刺青をしたご両親がパトロールに立っていたら、
自分の息子とほかの子の違いに、唖然とするのだろうか。それとも、目立つことをよしとするのだろうか。いや・・・それ以前の問題で、パトロールには当番であっても来ないような気がしてしまうのです。息子にいち早く大人の趣向を教えて、子供であることを早く消そうとしているのだから、遠くから静かに見守るというより、早く自分と対等に、大人になって欲しいと願っていると思うから。保護が必要な子供では居て欲しくないと思うから・・・。見守る役割のパトロールなど、めんどくさいだけではないか?だからきっと・・・来ないのだろうな・・・。
そんなことを考えてしまったパトロールの朝でした。
学校のすぐ下の交差点では多くの児童が登校してきます。その子供たちに「おはようございます!いってらっしゃい!」と声をかけます。小学校のすぐとなりに中学があるので、中学生も恥ずかしそうに混じっていますが、今の中学生、恥ずかしがらずにちゃんと返してくれる子もたくさん居ます。
パトロールが終盤になると、寝ぐせがついた頭でボーっとした状態で歩いてくる子の率が非常に高くなります(笑)。でも急いでないんですよ。寝過ごしたようですね。
その小学生の中でひときわ目を引く男の子が居ました。
髪は茶髪・・・というよりオール金髪。
Tシャツから伸びた腕には刺青が?!(本物?シール?)
ランドセルは背負っていなくて、リュックサック。
耳にはピアスが!!
Gパンをお尻のあたりまで下げて履いていました。いまどきの着こなしです。
でも小学生なんですよ。一緒に歩いていた友達はランドセルを背負っていましたし、背も五年生か、六年生くらいかもしれません。格好だけで判断してはいけないのかもしれませんが、子供なのに、していることは子供の趣味ではないですよね。でも高学年になれば、自分の好みも出てくるから髪の色も、ピアスも、嫌なら嫌だといえばいいのです。しかし、彼はこの支度を選んでいるのですから、きっともうずっと昔から、こういう格好をしてきて、自分のスタイルになってしまっているんでしょうか。それから親も、同じような格好をしているから、同じように子供も抵抗なく生活に取り入れているんでしょう。
その子の格好が衝撃的で、凝視しちゃいましたが・・・。
でも、その子の格好はなぜ、高校生のようなスタイルなんでしょうか。
親を見たいと思いました。親も同じスタイルをしているんでしょうか。
この突拍子もない格好は、一体何からもたらされたものなのか。
もし、自分が人より目立つ格好をしたいときは「注目を集めたいとき。関心を寄せてもらいたいとき」だと思います。俺はここに居るぞ!と目をかけてもらいたいときに、人はいわゆる「普通」の格好からはずれて、個性のある支度を始めるはずです。目立ちたい=目をかけてもらいたいということであるなら、彼の格好は、自分に関心を持ってもらいたいための戦闘服なのかもしれません。
でも、さかのぼっていけば、そこにはその子の親にぶつかります。小学生が自分の髪の毛を一人で染めに行くことはないでしょう。ピアスを買いに行くこともないでしょう。きっとそこには親の影があります。その親も、きっと誰かに自分の存在をアピールしたくて、同じように着飾ってきたのでしょう。そう考えると、こんなに幼いわが子にも、自分の埋められない気持ちを託しているようにも見えるのです。大人に近い格好をして、小学校に向かう彼は、ランドセルの集団の中で、ひときわ浮いて見えます。
この格好を「個性を尊重する」という時代背景が守っているのかもしれません。格好よりも中身が大事だし、すれ違っただけの子供の人格まで見通すこともできませんが、子供が実年齢に合わない支度をしていることを「かっこいい」と受け容れているその価値観が、やっぱり自分には理解できません。
なぜなら、私は田舎育ちで、もう若くもないですし(笑)、昔気質で周りの目が厳しいところに住んだせいもあるのか、中学校の生活スローガンで「格好の乱れは心の乱れ」と教えられてきたせいか、どうしても気になってたまらないのです。これは受け容れるべき今の教育環境の真実なのか。
パトロールが終わった後、ボランティアのおじさんとちょっと立ち話をしました。
「いろんな子が居るよ。化粧してくる子も居るしね。いきなり後ろから蹴る子もいるんだよ。こっちもいきなりやられたから、旗で尻をたたいてやったけれどね(笑)」
「え~!」
「まあいろんな子が居るから見てるといいよ。蹴った子供の親にね、蹴られたことを注意したら『ボーっとしてるから蹴られるんだ』って言い返されちゃったよ。駄目だね。言ってもこうなんだから、親がどうしようもないんだよ。」
そういっておじさんは立ち去りました。
でも・・・いきなり蹴られたりするという衝撃的なことがあっても、毎日旗を持ってこの交差点に立つことは勇気が要ります。親に注意したこともそう。子供のせいではない、そう思うから、おじさんはボランティアをして、子供を見守り、厳しさも出していくことを続けているんですね。おじさんに勇気がなければ、愛がなければ、蹴られた時点でボランティアなんて放棄ですよ。毎朝立つのは大変なことですもの。
毎朝交差点に立つ三人のボランティアの人は、いつも遅れてくる子供の顔などは把握しているらしくて「今日はあの子は来ていたね。大丈夫だね」などと言いながら解散をしていました。ただ立っているだけではなく、毎朝すれ違う子供に愛を注いでいるし、気に掛けている。もし、何かあってもそこで毅然と注意する気合も持ち合わせている。ボランティアだけれど、その瞬間は親のようなものですよ。その姿勢は。
もし・・・あのピアスと刺青をしたご両親がパトロールに立っていたら、
自分の息子とほかの子の違いに、唖然とするのだろうか。それとも、目立つことをよしとするのだろうか。いや・・・それ以前の問題で、パトロールには当番であっても来ないような気がしてしまうのです。息子にいち早く大人の趣向を教えて、子供であることを早く消そうとしているのだから、遠くから静かに見守るというより、早く自分と対等に、大人になって欲しいと願っていると思うから。保護が必要な子供では居て欲しくないと思うから・・・。見守る役割のパトロールなど、めんどくさいだけではないか?だからきっと・・・来ないのだろうな・・・。
そんなことを考えてしまったパトロールの朝でした。
最近、気に入って使っているオラクルカード。
ドリーン・バーチュー博士の「SAINTS&ANGELS オラクルカード」
大天使オラクルカードとまた違って、守護天使様や聖人と呼ばれた人たちのメッセージを知ることができて、よく使うようになってきました。
で、もっぱらこのカードばかりが出るので、とっても気になるところ。
↓↓↓
「Safe Travel(安全な旅)」聖クリストファー
聖クリストファーは旅人の守護天使で、彼が人を担いで川を渡るという職業からきています。彼は大男で体格もよく、どんな人も軽々と担いで川を渡ってくれました。ある日、一人の少年を担いだのですが、その少年を担いだとき、小柄な少年にもかかわらず、その少年の重みで彼は危うく倒れそうになりました。その少年はキリストだったのです。聖クリストファーとは「神を担ぐもの」という意味だそうです。
このカードが展開されたときは、あなたの旅行の安全は保障されましたということでもあり、また旅行に出るタイミングが来たということでもあります。
そんなことが書かれていて、ちょっとびっくりです。
ずっと旅行に行っていなくて・・・行ったのは実家か、熱海二泊(笑)。
この一年間、自分のために出かけた旅行はまったくありません。行きたい場所はたくさんあります!行けるものなら無理してでも行きたいです!でもできるなら、一人で、ぼけ~~~っとして行きたいというのはわがまま?・・・ですよね(苦笑)。家族連れて行かないと駄目ですよね。
まずはやっぱりレイキが生まれた鞍馬山。
伊勢神宮も・・・あと、海や山がきれいな場所を見てみたいです。そんなことを言い出したら、キリがないですし、日帰りは無理ですよね。
日帰りでいいから、新幹線に乗って、パワースポットめぐりしたいです。
独身だったら間違いなく直行ですよ。夜行バスに乗って。
パワースポットめぐりもあるけれど、でもずっと会っていなくて、会いたいと思う友人も関西・中京圏にいます。その人たちにも会いに行きたい。神社ではありませんが、私にとっては私だけの心のパワースポットが、懐かしい友人たちとの再会でもあります。
旅行のカードを見ながら、想いだけは憧れの地にトリップしています。
ドリーン・バーチュー博士の「SAINTS&ANGELS オラクルカード」
大天使オラクルカードとまた違って、守護天使様や聖人と呼ばれた人たちのメッセージを知ることができて、よく使うようになってきました。
で、もっぱらこのカードばかりが出るので、とっても気になるところ。
↓↓↓
「Safe Travel(安全な旅)」聖クリストファー
聖クリストファーは旅人の守護天使で、彼が人を担いで川を渡るという職業からきています。彼は大男で体格もよく、どんな人も軽々と担いで川を渡ってくれました。ある日、一人の少年を担いだのですが、その少年を担いだとき、小柄な少年にもかかわらず、その少年の重みで彼は危うく倒れそうになりました。その少年はキリストだったのです。聖クリストファーとは「神を担ぐもの」という意味だそうです。
このカードが展開されたときは、あなたの旅行の安全は保障されましたということでもあり、また旅行に出るタイミングが来たということでもあります。
そんなことが書かれていて、ちょっとびっくりです。
ずっと旅行に行っていなくて・・・行ったのは実家か、熱海二泊(笑)。
この一年間、自分のために出かけた旅行はまったくありません。行きたい場所はたくさんあります!行けるものなら無理してでも行きたいです!でもできるなら、一人で、ぼけ~~~っとして行きたいというのはわがまま?・・・ですよね(苦笑)。家族連れて行かないと駄目ですよね。
まずはやっぱりレイキが生まれた鞍馬山。
伊勢神宮も・・・あと、海や山がきれいな場所を見てみたいです。そんなことを言い出したら、キリがないですし、日帰りは無理ですよね。
日帰りでいいから、新幹線に乗って、パワースポットめぐりしたいです。
独身だったら間違いなく直行ですよ。夜行バスに乗って。
パワースポットめぐりもあるけれど、でもずっと会っていなくて、会いたいと思う友人も関西・中京圏にいます。その人たちにも会いに行きたい。神社ではありませんが、私にとっては私だけの心のパワースポットが、懐かしい友人たちとの再会でもあります。
旅行のカードを見ながら、想いだけは憧れの地にトリップしています。
つい先日、仕事の中で不思議な出会いがありました。
最初に鑑定の依頼が入ったとき「もしかしたらこの人は、占い師か、占いを勉強している人ではないか?」と思ったことがあります。そうしたら、やはり、不思議なことにそのカンが当りました。今、占い師になるべく、一生懸命勉強をされていて、あと数年後にプロになりたいと考えておられる方でした。
占いの相談者には、実際占いの勉強をされている人もたくさんいます。実際いつか占い師になりたいといってくださる方も何名もいらっしゃいました。自分が占いが好きだから、学びたくなるものです。私も同じでした。しかし、ある程度占いの学校に通っている方に、占いの説明をすることは非常に緊張しますが、でも「私はこう捉えている」というものをお伝えするいい機会です。覚えたことをコピーだけしてお伝えする占いマシーンにならぬよう、電話の前でそれこそ、見えないのに手振りを大きく使って説明しています。そんなに身振り手ぶりつけて説明しても電話じゃ見えないって(笑)。
でも・・・一生懸命勉強しています、とおっしゃってくれる方を目に前にすると、すごく初々しいし、ああ・・・自分もこうだったよね。頑張りたいと思って学校に通っていたよねと、純粋に前向きだった頃のテンションがリアルに戻ってくるような気がします。
私は占いの知識は本当にたくさんのことを輝夜師匠から教わりました。
それと同時に、たくさんの想い、知識に偏らない、魂の部分も教えていただき、今日ここに立つことができています。もちろん、現在進行形で学びが行われている部分もいっぱいあります。「謙虚さ」「志を貫く強さ」は机の上では学べない、占い師の必須条件です。尊敬できる人に人生の学びを受けたことは私の幸いです。本当に恵まれています。そんな自分が今度はこのバトンをどうつないでいくか、これが私の今後の課題にもなっているんですね。この魂を腐らせてはならない・・・鑑定に、随所に織り交ぜて伝えていかねばならないという使命を感じています。
このお客様たちがいつかどこかで、占い師として、さまざまな苦悩に挫折することのないように、そして自分自身を律しながら、人に希望を与えられるような鑑定士に育って欲しいなあと思ってしまいます。それは自分自身への課題でもあります。
いつでも「学びたい。こうなりたい。」と一生懸命に打ち込む姿勢を忘れないように・・・。
最初に鑑定の依頼が入ったとき「もしかしたらこの人は、占い師か、占いを勉強している人ではないか?」と思ったことがあります。そうしたら、やはり、不思議なことにそのカンが当りました。今、占い師になるべく、一生懸命勉強をされていて、あと数年後にプロになりたいと考えておられる方でした。
占いの相談者には、実際占いの勉強をされている人もたくさんいます。実際いつか占い師になりたいといってくださる方も何名もいらっしゃいました。自分が占いが好きだから、学びたくなるものです。私も同じでした。しかし、ある程度占いの学校に通っている方に、占いの説明をすることは非常に緊張しますが、でも「私はこう捉えている」というものをお伝えするいい機会です。覚えたことをコピーだけしてお伝えする占いマシーンにならぬよう、電話の前でそれこそ、見えないのに手振りを大きく使って説明しています。そんなに身振り手ぶりつけて説明しても電話じゃ見えないって(笑)。
でも・・・一生懸命勉強しています、とおっしゃってくれる方を目に前にすると、すごく初々しいし、ああ・・・自分もこうだったよね。頑張りたいと思って学校に通っていたよねと、純粋に前向きだった頃のテンションがリアルに戻ってくるような気がします。
私は占いの知識は本当にたくさんのことを輝夜師匠から教わりました。
それと同時に、たくさんの想い、知識に偏らない、魂の部分も教えていただき、今日ここに立つことができています。もちろん、現在進行形で学びが行われている部分もいっぱいあります。「謙虚さ」「志を貫く強さ」は机の上では学べない、占い師の必須条件です。尊敬できる人に人生の学びを受けたことは私の幸いです。本当に恵まれています。そんな自分が今度はこのバトンをどうつないでいくか、これが私の今後の課題にもなっているんですね。この魂を腐らせてはならない・・・鑑定に、随所に織り交ぜて伝えていかねばならないという使命を感じています。
このお客様たちがいつかどこかで、占い師として、さまざまな苦悩に挫折することのないように、そして自分自身を律しながら、人に希望を与えられるような鑑定士に育って欲しいなあと思ってしまいます。それは自分自身への課題でもあります。
いつでも「学びたい。こうなりたい。」と一生懸命に打ち込む姿勢を忘れないように・・・。
「加勢大周、覚せい剤所持と自宅で大麻を育てていることがわかり、逮捕」
そんなニュースが飛び込んできました。久しぶりに加勢さんのお顔をテレビで拝見したと思ったら、逮捕のニュースです。「稲村ジェーン」での鮮烈なデビューを飾りながら、加勢大周という芸名にまつわる裁判で、その後はすっかりと出番がなくなってしまったのですが、あのなんともいえない涼しい瞳と、おだやかな笑顔は私は好きでした。久しぶりによく見ると誰かに似ています。う~~ん・・・誰?安部晋三前首相?(似ていなくもない)。隠し子騒動があったり、芸名で裁判になったり、そしてついには薬で逮捕とは・・・あのさわやかな笑顔には不釣合いなくらい、スキャンダルも多い俳優さんでした。
数年前、腹黒い役で出ていた作品を見たときは「あのさわやかな微笑みも、案外黒い役にはまるのね」と、彼の悪役にはしびれてしまったのですが・・・。その後、活躍の舞台がほとんどなく、明らかにかつての芸名騒動で、お仕事を減らされたという印象をぬぐえませんでした。新・加勢大周というのも出てきましたよね。完全に嫌がらせと思うような事件でした。
今日、ネットで彼のプロフィールを見直したら、私と同学年なんですね。
1969年12月生まれ。同じ山羊座ですよ。38年と10ヶ月ほど、私と同じくらいの時間を刻み、この時代を生きている人間。私は大麻も覚せい剤も見たことがないし、打ちたいとも思わない、縁のない世界にいます。しかし、彼は何のきっかけがあったのか、罪とわかっていながら、通常では手に入れることのできないはずの薬に手を出したのですね。
私と同じ学年の有名人で、かつて大麻所持で逮捕されたアーティストがいます。槇原敬之さん。私の一番好きなアーティストでした。コンサートにも行っていたし、CDは片っ端から買っていました。彼は8年前に、大麻所持で逮捕され、その後みごとに社会復帰を果たし、あの名曲「世界にひとつだけの花」を世に送り出しています。私は彼が逮捕されたとき、もう彼の澄んだ歌声は二度と聴けないと思っていたけれど、何年かの沈黙があり、彼の努力と周囲の協力で、彼は見事に復活を果たしてくれました。
何の理由があったのか・・・芸能界でなければわからない理由かもしれません。働き盛りの男性が、仕事を奪われ、活躍の場がないということが理由になっていたかもしれません。あれだけ有名だと、一般企業に就職することもできなかったでしょう。それに、一度スポットライトを浴びてしまった人間は、そう簡単に平凡な世界へと戻ることはできないのではないのでしょうか・・・。それができたら、薬でごまかすこともなかったかもしれない。薬で埋めようとした彼の闇は、一体、何でできていたのでしょうか。
ただただ、残念です。
あのような惹きつけられる瞳を持って生まれてきた人はそうはいません。
自宅で大麻を育てるほど、依存しなければならなかったのは、彼が弱かったのか、それともそれ以上に大麻は、魅力的だったのか。
私には真実はわからないけれど、罪を認識し、償い、そして槇原さんのように、もう一度この試練を乗り越えて、依存を解消し、強くなって欲しいと願います。
同じときに生まれた、同じだけの時間を生きている同士として、強く憤りを感じるし、また彼にそれだけ期待をしていたという証でもあります。
そんなニュースが飛び込んできました。久しぶりに加勢さんのお顔をテレビで拝見したと思ったら、逮捕のニュースです。「稲村ジェーン」での鮮烈なデビューを飾りながら、加勢大周という芸名にまつわる裁判で、その後はすっかりと出番がなくなってしまったのですが、あのなんともいえない涼しい瞳と、おだやかな笑顔は私は好きでした。久しぶりによく見ると誰かに似ています。う~~ん・・・誰?安部晋三前首相?(似ていなくもない)。隠し子騒動があったり、芸名で裁判になったり、そしてついには薬で逮捕とは・・・あのさわやかな笑顔には不釣合いなくらい、スキャンダルも多い俳優さんでした。
数年前、腹黒い役で出ていた作品を見たときは「あのさわやかな微笑みも、案外黒い役にはまるのね」と、彼の悪役にはしびれてしまったのですが・・・。その後、活躍の舞台がほとんどなく、明らかにかつての芸名騒動で、お仕事を減らされたという印象をぬぐえませんでした。新・加勢大周というのも出てきましたよね。完全に嫌がらせと思うような事件でした。
今日、ネットで彼のプロフィールを見直したら、私と同学年なんですね。
1969年12月生まれ。同じ山羊座ですよ。38年と10ヶ月ほど、私と同じくらいの時間を刻み、この時代を生きている人間。私は大麻も覚せい剤も見たことがないし、打ちたいとも思わない、縁のない世界にいます。しかし、彼は何のきっかけがあったのか、罪とわかっていながら、通常では手に入れることのできないはずの薬に手を出したのですね。
私と同じ学年の有名人で、かつて大麻所持で逮捕されたアーティストがいます。槇原敬之さん。私の一番好きなアーティストでした。コンサートにも行っていたし、CDは片っ端から買っていました。彼は8年前に、大麻所持で逮捕され、その後みごとに社会復帰を果たし、あの名曲「世界にひとつだけの花」を世に送り出しています。私は彼が逮捕されたとき、もう彼の澄んだ歌声は二度と聴けないと思っていたけれど、何年かの沈黙があり、彼の努力と周囲の協力で、彼は見事に復活を果たしてくれました。
何の理由があったのか・・・芸能界でなければわからない理由かもしれません。働き盛りの男性が、仕事を奪われ、活躍の場がないということが理由になっていたかもしれません。あれだけ有名だと、一般企業に就職することもできなかったでしょう。それに、一度スポットライトを浴びてしまった人間は、そう簡単に平凡な世界へと戻ることはできないのではないのでしょうか・・・。それができたら、薬でごまかすこともなかったかもしれない。薬で埋めようとした彼の闇は、一体、何でできていたのでしょうか。
ただただ、残念です。
あのような惹きつけられる瞳を持って生まれてきた人はそうはいません。
自宅で大麻を育てるほど、依存しなければならなかったのは、彼が弱かったのか、それともそれ以上に大麻は、魅力的だったのか。
私には真実はわからないけれど、罪を認識し、償い、そして槇原さんのように、もう一度この試練を乗り越えて、依存を解消し、強くなって欲しいと願います。
同じときに生まれた、同じだけの時間を生きている同士として、強く憤りを感じるし、また彼にそれだけ期待をしていたという証でもあります。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
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自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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