占い師としての成長日記
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記事とは関係ないですけれど、今時計を見たら「10:10」で、日付もデジタルで表示されているので「10/10」って、時計の表示に10がズラリと並んでいました。なんだか得した気分です♪ラッキー!!たまたま見た時間がそろっていると、いいことがあるんじゃないかと舞い上がってしまいそうです。
さて、私という人間を掘り下げていこうと思います。まずは自分のことを知っているようでいて、把握できていない部分もあるし、「たぶんこうだよね」と認識できているものもあるけれど、どうしてこういう自分ができあがったのかも含め、何回かに分けて、自分を解剖してみようかなって思います。
どうしてこんなことをしようと思ったのかと言えば、私は自分の性格を
「いじけやすく、落ち込みやすく、すぐ愚痴る。自分で何とかしようとしない。なのにあきらめが悪い。」と思うことがありました。
それは占いの道に入ってから、ますます顕著に感じることでもありました。私はなぜこんなに、できないのだろう。書けないのだろう。言えないのだろう。苦しみが目の前に立ったとき、逃げることばかり考えてしまうのだろう。ひとつのジャッジをするときも、なぜ偏ったものの見方をしてしまうのだろう。自分の考え方が間違っているような気がして、どうしても誰かの賛同を得たいと思ってしまう。自分の考えを引っ込めてしまう。自立できていないと何度も指摘されたけれど、自分がなっていないから、とてもひとりでなんて怖くて立てない。そもそも、自分の足で立つってどういうことなんだろう。
全然わからない。ピンとこない。じゃあなぜ理解できないのか。その理由は私自身がいろんな人に甘えて、自分の手でやってこなかったことが原因ですね。
一番の依存は、私は親に何もかもをやってもらってきたこと。
受験とかはもちろん自分で受けたけれど、それ以外のことはぜ~~んぶ親任せ。家事も、お金もいっぱい出してもらってきたし、困ったことがあったら、親が魔法使いのように解決してくれると思って、今まで幾度となく困ってもすぐにすがっていたんです。お恥ずかしい話の連発ですが、就職先の銀行だって親が話を持ってきて、ただ私は試験を受けに行っただけですよ。その受験の際のスーツだって自分じゃ買いません。その上、時代まで私を甘やかしてくれて(苦笑)、超売り手市場のバブル絶頂期。就職先に困る人は誰もいませんでした。たいした考えなんてなくても、哲学的なものを持っていなくても、フラフラしていても銀行に採用されてしまうんです。この時点でかなり楽をしてます。だって、「自分がどう生きたいのか。どうありたいのか。どうすれば受かるのか。」っていう苦労なんて何一つしてませんもの。20歳そこそこで誰もが越えなければならない壁を、私は親の持ってきた就職先にちらっと顔を出すだけで、クリアしてしまったんです。クリアどころか、ハードルも試練も何もないわけです。自分のあり方も、自分の未来も何にもなかった。ただ「23で寿退社して、25歳で第一子を産んで、27歳で第二子を産む」程度の未来のビジョンしかなかった。冗談抜きで、それしか考えていませんでしたよ。しかも・・・今日初めて気がついたんですけれど(苦笑)、この夢もなんというか・・・依存的じゃないでしょうか?相手の人生に乗っかることしか描いていなかったわけです。自分で何とかしよう!という意気込みのかけらもありません。産むことくらいしか、能動的なことは持っていませんよね。
親に就職先を斡旋してもらった私は、そのままヘラヘラ~~っと銀行に入ったので、そのあと、叩き直されるわけですが、そうなると次に私は「辞めたい。とにかく辞めたい。」を何度も何度もつぶやいたし、どうすれば辞められるのかを考えました。しかし、田舎で銀行を辞めたら次に就職する先なんてありません。「あら~いいところにお勤めね」という言葉に天狗になってきた私は、それも捨てがたくて辞められません。年に二回のお楽しみ、ボーナスをもらうと辞められません。親は私に「給料は自分で貯めておきなさい。家には入れなくていいから、自分で使いなさい。」と言って、お金も強制しませんでした。その上、車の保険とか、車検は父の知り合いの関係の会社で安くしてもらっていたのですが、それも面倒見てもらっていたんです。もう書いているだけで汗が出てきそう。私ってお金だけでもわがまま放題ですよね。親の言葉に甘えて、やりたい放題で、でも頭の中ではそんな自分を受け容れてくれる永久就職先を漠然と夢見ていました。申し訳ないのですが、その程度の考えしかなかったんです。だから恋愛に敗れることが、自分の人生の根本が狂うことと等しくなり、自分自身の足で立つことよりも、自分の好きな人にずっと私のことを好きでいてもらわないと困る!という構図になり、私は自分に問題を抱えながらも、それが依存から来るものだとは、まったく考えも及びませんでした。
そう、今でもそうですが、客観的に自分を見るって案外できないものなのです。ましてや渦中にいると・・・。依存していた自分を書き上げる毎に、親に申し訳ないし、なんて、努力の仕方を間違っていたんだろうと思います。それでもあの時は、それが精一杯だったんですね・・・。目覚めが遅かったんです。自分がどういう姿をしているのか。自分が自分を知り、どう生きるべきなのかを、この人生を生きながら模索し始めることを、ひとつの目覚めというのなら、明らかに、親の庇護の元、就職して社会人になっていても、私はずっと眠りこけて、誰かがさらって、眠り姫のように王子が目覚めさせてくれると思っていました。自分で目覚めずにね。
あのまま本当に23歳そこそこで結婚相手が私をさらってくれていたら、私は今、どんな妻になっているんでしょうか・・・。少なくとも占いは、していなかったでしょうね。
今もその幼い私が顔を出してしまうときがあります。
それは「弱ったとき」です。
夫のことで本当に参ってしまったときは、母親に、それから輝夜師匠に。
何度も泣きついたし、とにかく聞いてもらってすっきりしたかった。
ずっと今までもそう。つらいやめたい、そんなときは友達に愚痴ってきました。助けられました。それは確かです。
でも・・・いつもその繰り返しでは、やっぱり駄目なんですよ。
いつまでも親の庇護がある頃のように、事態が悪化したら甘えるということの繰り返しでは、本質的なものが変わらない限り、事態も変わっていかないし、付き合わされる相手も、疲れるものなのです。それに気づいたのがようやく今・・・。
ちょっと、長くなってしまいそうですので、また連続して、記事を書いていこうと思います。明日は保育園の運動会です。晴れますように♪
さて、私という人間を掘り下げていこうと思います。まずは自分のことを知っているようでいて、把握できていない部分もあるし、「たぶんこうだよね」と認識できているものもあるけれど、どうしてこういう自分ができあがったのかも含め、何回かに分けて、自分を解剖してみようかなって思います。
どうしてこんなことをしようと思ったのかと言えば、私は自分の性格を
「いじけやすく、落ち込みやすく、すぐ愚痴る。自分で何とかしようとしない。なのにあきらめが悪い。」と思うことがありました。
それは占いの道に入ってから、ますます顕著に感じることでもありました。私はなぜこんなに、できないのだろう。書けないのだろう。言えないのだろう。苦しみが目の前に立ったとき、逃げることばかり考えてしまうのだろう。ひとつのジャッジをするときも、なぜ偏ったものの見方をしてしまうのだろう。自分の考え方が間違っているような気がして、どうしても誰かの賛同を得たいと思ってしまう。自分の考えを引っ込めてしまう。自立できていないと何度も指摘されたけれど、自分がなっていないから、とてもひとりでなんて怖くて立てない。そもそも、自分の足で立つってどういうことなんだろう。
全然わからない。ピンとこない。じゃあなぜ理解できないのか。その理由は私自身がいろんな人に甘えて、自分の手でやってこなかったことが原因ですね。
一番の依存は、私は親に何もかもをやってもらってきたこと。
受験とかはもちろん自分で受けたけれど、それ以外のことはぜ~~んぶ親任せ。家事も、お金もいっぱい出してもらってきたし、困ったことがあったら、親が魔法使いのように解決してくれると思って、今まで幾度となく困ってもすぐにすがっていたんです。お恥ずかしい話の連発ですが、就職先の銀行だって親が話を持ってきて、ただ私は試験を受けに行っただけですよ。その受験の際のスーツだって自分じゃ買いません。その上、時代まで私を甘やかしてくれて(苦笑)、超売り手市場のバブル絶頂期。就職先に困る人は誰もいませんでした。たいした考えなんてなくても、哲学的なものを持っていなくても、フラフラしていても銀行に採用されてしまうんです。この時点でかなり楽をしてます。だって、「自分がどう生きたいのか。どうありたいのか。どうすれば受かるのか。」っていう苦労なんて何一つしてませんもの。20歳そこそこで誰もが越えなければならない壁を、私は親の持ってきた就職先にちらっと顔を出すだけで、クリアしてしまったんです。クリアどころか、ハードルも試練も何もないわけです。自分のあり方も、自分の未来も何にもなかった。ただ「23で寿退社して、25歳で第一子を産んで、27歳で第二子を産む」程度の未来のビジョンしかなかった。冗談抜きで、それしか考えていませんでしたよ。しかも・・・今日初めて気がついたんですけれど(苦笑)、この夢もなんというか・・・依存的じゃないでしょうか?相手の人生に乗っかることしか描いていなかったわけです。自分で何とかしよう!という意気込みのかけらもありません。産むことくらいしか、能動的なことは持っていませんよね。
親に就職先を斡旋してもらった私は、そのままヘラヘラ~~っと銀行に入ったので、そのあと、叩き直されるわけですが、そうなると次に私は「辞めたい。とにかく辞めたい。」を何度も何度もつぶやいたし、どうすれば辞められるのかを考えました。しかし、田舎で銀行を辞めたら次に就職する先なんてありません。「あら~いいところにお勤めね」という言葉に天狗になってきた私は、それも捨てがたくて辞められません。年に二回のお楽しみ、ボーナスをもらうと辞められません。親は私に「給料は自分で貯めておきなさい。家には入れなくていいから、自分で使いなさい。」と言って、お金も強制しませんでした。その上、車の保険とか、車検は父の知り合いの関係の会社で安くしてもらっていたのですが、それも面倒見てもらっていたんです。もう書いているだけで汗が出てきそう。私ってお金だけでもわがまま放題ですよね。親の言葉に甘えて、やりたい放題で、でも頭の中ではそんな自分を受け容れてくれる永久就職先を漠然と夢見ていました。申し訳ないのですが、その程度の考えしかなかったんです。だから恋愛に敗れることが、自分の人生の根本が狂うことと等しくなり、自分自身の足で立つことよりも、自分の好きな人にずっと私のことを好きでいてもらわないと困る!という構図になり、私は自分に問題を抱えながらも、それが依存から来るものだとは、まったく考えも及びませんでした。
そう、今でもそうですが、客観的に自分を見るって案外できないものなのです。ましてや渦中にいると・・・。依存していた自分を書き上げる毎に、親に申し訳ないし、なんて、努力の仕方を間違っていたんだろうと思います。それでもあの時は、それが精一杯だったんですね・・・。目覚めが遅かったんです。自分がどういう姿をしているのか。自分が自分を知り、どう生きるべきなのかを、この人生を生きながら模索し始めることを、ひとつの目覚めというのなら、明らかに、親の庇護の元、就職して社会人になっていても、私はずっと眠りこけて、誰かがさらって、眠り姫のように王子が目覚めさせてくれると思っていました。自分で目覚めずにね。
あのまま本当に23歳そこそこで結婚相手が私をさらってくれていたら、私は今、どんな妻になっているんでしょうか・・・。少なくとも占いは、していなかったでしょうね。
今もその幼い私が顔を出してしまうときがあります。
それは「弱ったとき」です。
夫のことで本当に参ってしまったときは、母親に、それから輝夜師匠に。
何度も泣きついたし、とにかく聞いてもらってすっきりしたかった。
ずっと今までもそう。つらいやめたい、そんなときは友達に愚痴ってきました。助けられました。それは確かです。
でも・・・いつもその繰り返しでは、やっぱり駄目なんですよ。
いつまでも親の庇護がある頃のように、事態が悪化したら甘えるということの繰り返しでは、本質的なものが変わらない限り、事態も変わっていかないし、付き合わされる相手も、疲れるものなのです。それに気づいたのがようやく今・・・。
ちょっと、長くなってしまいそうですので、また連続して、記事を書いていこうと思います。明日は保育園の運動会です。晴れますように♪
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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