占い師としての成長日記
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すでに修正してしまったのですが。11月11日付けのブログ「占い師の原点」で私はこのような文章を書いておりました。
>占いほど迷える人たちと、
>向き合わなければならない職種は他にありません。
この文章は占い師だけが大変なお仕事であり、心を扱うお仕事をしていらっしゃる心理カウンセラーさん、臨床心理士さん・・・など、人の心とそれこそ占い師よりもダイレクトに向き合わねばならない他の業種の方を除外したような表現となっておりました。私のこうした断定的な表現が、占い以外のお仕事で毎日一生懸命人間のお気持ちと向き合っていらっしゃる方の立場を尊重していないように映る書き方をしてしまったこと、本当に申し訳ありませんでした。また、私の断定的な表現や、そういった立場にいらっしゃる方のお気持ちのことに目を向けさせてくださった友人に、この場を借りてお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。
また、記事を水面下で書き直したことと、本来ならすぐに訂正と謝罪をするべきところを時間をあけてしまったことは、多くの不特定多数の方が閲覧するブログであり、記事が他人に影響を与えることを考えて書くという責任感が欠如していた何よりの象徴でした。
今後このような配慮のない文章を書かぬように、この訂正を教訓に心がけて参ります。
>占いほど迷える人たちと、
>向き合わなければならない職種は他にありません。
この文章は占い師だけが大変なお仕事であり、心を扱うお仕事をしていらっしゃる心理カウンセラーさん、臨床心理士さん・・・など、人の心とそれこそ占い師よりもダイレクトに向き合わねばならない他の業種の方を除外したような表現となっておりました。私のこうした断定的な表現が、占い以外のお仕事で毎日一生懸命人間のお気持ちと向き合っていらっしゃる方の立場を尊重していないように映る書き方をしてしまったこと、本当に申し訳ありませんでした。また、私の断定的な表現や、そういった立場にいらっしゃる方のお気持ちのことに目を向けさせてくださった友人に、この場を借りてお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。
また、記事を水面下で書き直したことと、本来ならすぐに訂正と謝罪をするべきところを時間をあけてしまったことは、多くの不特定多数の方が閲覧するブログであり、記事が他人に影響を与えることを考えて書くという責任感が欠如していた何よりの象徴でした。
今後このような配慮のない文章を書かぬように、この訂正を教訓に心がけて参ります。
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今日は銀行員時代の後輩とちょっとだけ 時間を合わせてランチです。
普段なかなか平日に休みの取れない現役銀行員の彼女とは一年以上会っていませんでした。私もなかなか時間が取れず…元気でいるから会わないと言うことでもありますね。銀行員の頃は毎日顔を合わせていた彼女とはたくさんカラオケや映画に行き二人で一晩中歌ったものです。永遠に続くかと錯覚していたあの独身の時間。今思えばたった数年間のわずかな時間だったのですね。東京でいろんな迷いや悩みや、会社でのことを話したあの密度の濃い五年間。思ったことはすぐ顔に出したりするストレートな性格だった彼女もいつの間にか私よりも長く銀行に勤務し、実力を認められ徐々に昇格していくところです。やっぱり落ちついたし、丸くなりましたね。銀行の業務に挫折を味わってきた私から見れば、後輩なのに先輩よりも貫禄 があります。いつの間にか後輩は銀行の中で上司側の立場に変わって行ったのですね。銀行を取り巻く様々な環境の厳しさは言うまでもありません。その中で挫折せず泳いできた彼女を凄いと思いますし、これからも頑張って働くと言う彼女を遠くから応援していきます。彼女にとって私は銀行の先輩ですがもう銀行の世界でお付き合いしているわけではないので、お互い会う時はいい刺激を与えあいたいし、人生の先輩として彼女が失望するような生き方はできないと、今更ながら先輩ヅラですね(笑)。もう二度と同じステージで働くことは出来ませんが同じ国、時間を共にしている限り、またお互いが力になれる日が来るでしょう。
さて、ランチは彼女オススメのハンバーガーをいただきました。アボカドを挟んだらマクドナルドのハンバーガー三個分くらいのボリュームがあり、破裂しそうです。味は☆☆☆!味も再会も大満足でした。
普段なかなか平日に休みの取れない現役銀行員の彼女とは一年以上会っていませんでした。私もなかなか時間が取れず…元気でいるから会わないと言うことでもありますね。銀行員の頃は毎日顔を合わせていた彼女とはたくさんカラオケや映画に行き二人で一晩中歌ったものです。永遠に続くかと錯覚していたあの独身の時間。今思えばたった数年間のわずかな時間だったのですね。東京でいろんな迷いや悩みや、会社でのことを話したあの密度の濃い五年間。思ったことはすぐ顔に出したりするストレートな性格だった彼女もいつの間にか私よりも長く銀行に勤務し、実力を認められ徐々に昇格していくところです。やっぱり落ちついたし、丸くなりましたね。銀行の業務に挫折を味わってきた私から見れば、後輩なのに先輩よりも貫禄 があります。いつの間にか後輩は銀行の中で上司側の立場に変わって行ったのですね。銀行を取り巻く様々な環境の厳しさは言うまでもありません。その中で挫折せず泳いできた彼女を凄いと思いますし、これからも頑張って働くと言う彼女を遠くから応援していきます。彼女にとって私は銀行の先輩ですがもう銀行の世界でお付き合いしているわけではないので、お互い会う時はいい刺激を与えあいたいし、人生の先輩として彼女が失望するような生き方はできないと、今更ながら先輩ヅラですね(笑)。もう二度と同じステージで働くことは出来ませんが同じ国、時間を共にしている限り、またお互いが力になれる日が来るでしょう。
さて、ランチは彼女オススメのハンバーガーをいただきました。アボカドを挟んだらマクドナルドのハンバーガー三個分くらいのボリュームがあり、破裂しそうです。味は☆☆☆!味も再会も大満足でした。
先週は自分の未熟さがとことん露呈されるような出来事が相次ぎ、でも自分の未熟さゆえに引き起こされたものですから誰のせいにもできず、悶々と悩んでいましたがそれでは何も解決しないことも痛いほどよくわかりました。
悩んでいても始まらない。やってみなくちゃ!
そう自分にムチを打って、また一週間が始まりました。
週末に一冊の本を読み返しました。
栗原すみ子著「幸せになれる人」。
そう、あの新宿の母、栗原すみ子さんの半生記です。購入したのはもうずいぶん前です。それこそ占い師に本気でなろうと思う前に買い求めたものでした。7年位前かもしれませんね。
新宿の母に「占い師になりたいんです」と打ち明けたのは28歳のときでした。その頃夫と出会い、母の占いの行列に並び、夫との相性を見てもらいました。大吉。○月がいいよ、頑張って、と言うアドバイスを受けてかなり励ましてもらったことは今でも覚えています。当時付き合っていなかった夫と私ですが、結果として結婚までたどりつきましたからね。
恋愛相談が終わり、「私も占いの勉強をしているんです。いつか占い師になりたいんですが」と言った時、新宿の母は優しい口調ではなく、一転して厳しい口調に変わりました。
「占い師になりたいのなら結婚はしないほうがいい。結婚しながら片手間にできる仕事じゃないよ。」と言われました。結婚って女性にとって人生を左右する大問題であるし、よほどのトラウマでもない限り、結婚をゴールに考える女性は多いはずです。私もそうでした。その結婚を放棄しなければ成り立たない仕事が占い師であるとは・・・。母は「結婚するな」という意味で言ってくれたのではないのですよね。女性にとっては結婚を犠牲にするくらいの覚悟がなければ勤まらない。この仕事はとても大変な仕事なんだよ、とその心意気を表したのでしょう。でもその言葉は奥深くまで突き刺さり、今もその言葉の真意を何度も確認してしまうのです。
自分なりの正義を持っていたとしても通用しない相手。お礼も言えないほどコミュニケーションがヘタな相手。心に何かしらの問題を抱えてきた人間同士のぶつかり合いが私の職場になるのです。一番難しいのは私のエゴが強すぎてもダメだということ。
そして占いを挫折するということは自分の成長に妥協したときです。「もうこれ以上いいや」と思ってしまったら苦しみから開放されると同時に人間として磨かれる機会も同時に奪われます。
占いをするということは、迷っている誰かに道を指し示す灯台のような存在になることですが、自分が迷って、その灯りが弱々しければ何の力にもなりません。むしろ相談者をさらに迷わせるでしょう。相談者を受け止め切れなかった自分への情けなさがますます自信を奪います。そして占いの仕事は扱う占術が四柱推命でもタロットでも、占い師の人生でこれまで何を積み上げてきたのかが問われます。知識を持てばいいものではなく、占い師が自分の占いを持っていなかったら信頼もされません。信頼されていない自分と向き合う時間も多く、これもまた自分の中の内戦になります。
どんな仕事にも苦悩や苦痛はつきものだと思っています。心と向き合う仕事に入るということは、それだけ心の強さやくじけない心を常に求められるのですね。だから落ち込んでなんていられない!いくらプライベートで落ち込んでも、仕事には絶対にそれを出さずに一糸乱れぬ姿で鑑定を完結するのがプロです。
知識だけでもだめ。
豊かな感受性と先を見通す力。それから自信。自信というのは自分を知っていること。何より、相手を思いやる気持ちをちゃんと持っていること。
それが占い師としての必須条件。そしてどんな人と向き合うことになっても、どんなに情けない自分と向き合うことになっても、逃げずに最後まで走れるだけの忍耐力も頑張りも要求されます。
ただでさえいっぱいいっぱいになってしまうのに、子供を育てて家庭をもちながらこの仕事を片手間にするなんて、煩悩の塊になるのは当然かもしれませんね(苦笑)。
でも・・・辞めてしまったらどんなに楽だろうと思うのと同時に、辞めてしまった後の自分がどれほど悔しがるのかもわかるのです。後悔を何個並べても足りないような、そんな苦しみがずっと残るのでしょう。だったらできるかぎりの努力をし続けるしかない。今の自分に足りないものがあるといわれたら、それを時間がかかっても習得して課題をクリアしていくしか道はありません。
気楽に生きようと思うことがそもそもおかしいのです。
どんな立場で生きていても課題は課せられ、成長のための試験を受け続けるのがこの世の流れなのだから。私はなぜ逃げたいと思ってしまうのでしょうか。心の弱さとしかいいようのない、甘ったれた自分への警告です。
でも占い師ほど心の葛藤が出てくる職業もそうないかもしれませんね。手を抜いたらすぐばれます。すぐにメッキははがされてしまうでしょう。お客様は残酷なほど正直です。
新宿の母のすごさは、占いの技術だけではなく、それこそ休みも取らず雨の日も風の日も新宿の街頭に立ち続けていることですよ。
しかもお客様は立って待っていてくれるのだから私が座って鑑定することはできないといって、ずっと立って鑑定するスタイルです。
自分に限りなく厳しく、でも頼ってくるお客様には親身になってあげる。新宿の母にしかできないことが、彼女を新宿の母と呼ばれるまでにしたのですね。どれも口で言うのは簡単ですが、実行は大変だと思いますよ。
私にはできないと言ってやめる事だってできるのです。
それを敢えて挑戦することで、この人にしかできない伝説が生まれていくのですね。
「この人生は戦いである」
その戦いの最前線で己を見つめ、己から逃げずに踏ん張り、他人を思いやる。
それが占い師というものなのでしょう。
この道で挫折するかも・・・思う気持ちに揺れることもあります。私なりのやる気をどこかで具体的に形にしていかないと想いばかりが空回りを起こします。人の運命や心や魂に携わる仕事だから、人間性が足りなければはじかれます。四面楚歌であっても、乗り切る自分を創りたくてここまで来てしまいました。もう逃げも隠れもできないのだ・・・追い詰められるとよくわかります。
覚悟が足りないと言いますが、やる気だけでは通用しないんだなと思うのです。覚悟とは・・・覚える、覚める、悟る、です。その本質を学び、自分の目を覚まし、真実を知ること。逃げる自分なんて絶対に見たくないのですが、いつも逃げ腰になる自分に腹が立ちますね。傷つくことや失敗することが怖かったら占い師どころか普通に働くこともできません。傷を成長の糧にしようと受け入れることからスタートです。いつも原点は自分です。
悩んでいても始まらない。やってみなくちゃ!
そう自分にムチを打って、また一週間が始まりました。
週末に一冊の本を読み返しました。
栗原すみ子著「幸せになれる人」。
そう、あの新宿の母、栗原すみ子さんの半生記です。購入したのはもうずいぶん前です。それこそ占い師に本気でなろうと思う前に買い求めたものでした。7年位前かもしれませんね。
新宿の母に「占い師になりたいんです」と打ち明けたのは28歳のときでした。その頃夫と出会い、母の占いの行列に並び、夫との相性を見てもらいました。大吉。○月がいいよ、頑張って、と言うアドバイスを受けてかなり励ましてもらったことは今でも覚えています。当時付き合っていなかった夫と私ですが、結果として結婚までたどりつきましたからね。
恋愛相談が終わり、「私も占いの勉強をしているんです。いつか占い師になりたいんですが」と言った時、新宿の母は優しい口調ではなく、一転して厳しい口調に変わりました。
「占い師になりたいのなら結婚はしないほうがいい。結婚しながら片手間にできる仕事じゃないよ。」と言われました。結婚って女性にとって人生を左右する大問題であるし、よほどのトラウマでもない限り、結婚をゴールに考える女性は多いはずです。私もそうでした。その結婚を放棄しなければ成り立たない仕事が占い師であるとは・・・。母は「結婚するな」という意味で言ってくれたのではないのですよね。女性にとっては結婚を犠牲にするくらいの覚悟がなければ勤まらない。この仕事はとても大変な仕事なんだよ、とその心意気を表したのでしょう。でもその言葉は奥深くまで突き刺さり、今もその言葉の真意を何度も確認してしまうのです。
自分なりの正義を持っていたとしても通用しない相手。お礼も言えないほどコミュニケーションがヘタな相手。心に何かしらの問題を抱えてきた人間同士のぶつかり合いが私の職場になるのです。一番難しいのは私のエゴが強すぎてもダメだということ。
そして占いを挫折するということは自分の成長に妥協したときです。「もうこれ以上いいや」と思ってしまったら苦しみから開放されると同時に人間として磨かれる機会も同時に奪われます。
占いをするということは、迷っている誰かに道を指し示す灯台のような存在になることですが、自分が迷って、その灯りが弱々しければ何の力にもなりません。むしろ相談者をさらに迷わせるでしょう。相談者を受け止め切れなかった自分への情けなさがますます自信を奪います。そして占いの仕事は扱う占術が四柱推命でもタロットでも、占い師の人生でこれまで何を積み上げてきたのかが問われます。知識を持てばいいものではなく、占い師が自分の占いを持っていなかったら信頼もされません。信頼されていない自分と向き合う時間も多く、これもまた自分の中の内戦になります。
どんな仕事にも苦悩や苦痛はつきものだと思っています。心と向き合う仕事に入るということは、それだけ心の強さやくじけない心を常に求められるのですね。だから落ち込んでなんていられない!いくらプライベートで落ち込んでも、仕事には絶対にそれを出さずに一糸乱れぬ姿で鑑定を完結するのがプロです。
知識だけでもだめ。
豊かな感受性と先を見通す力。それから自信。自信というのは自分を知っていること。何より、相手を思いやる気持ちをちゃんと持っていること。
それが占い師としての必須条件。そしてどんな人と向き合うことになっても、どんなに情けない自分と向き合うことになっても、逃げずに最後まで走れるだけの忍耐力も頑張りも要求されます。
ただでさえいっぱいいっぱいになってしまうのに、子供を育てて家庭をもちながらこの仕事を片手間にするなんて、煩悩の塊になるのは当然かもしれませんね(苦笑)。
でも・・・辞めてしまったらどんなに楽だろうと思うのと同時に、辞めてしまった後の自分がどれほど悔しがるのかもわかるのです。後悔を何個並べても足りないような、そんな苦しみがずっと残るのでしょう。だったらできるかぎりの努力をし続けるしかない。今の自分に足りないものがあるといわれたら、それを時間がかかっても習得して課題をクリアしていくしか道はありません。
気楽に生きようと思うことがそもそもおかしいのです。
どんな立場で生きていても課題は課せられ、成長のための試験を受け続けるのがこの世の流れなのだから。私はなぜ逃げたいと思ってしまうのでしょうか。心の弱さとしかいいようのない、甘ったれた自分への警告です。
でも占い師ほど心の葛藤が出てくる職業もそうないかもしれませんね。手を抜いたらすぐばれます。すぐにメッキははがされてしまうでしょう。お客様は残酷なほど正直です。
新宿の母のすごさは、占いの技術だけではなく、それこそ休みも取らず雨の日も風の日も新宿の街頭に立ち続けていることですよ。
しかもお客様は立って待っていてくれるのだから私が座って鑑定することはできないといって、ずっと立って鑑定するスタイルです。
自分に限りなく厳しく、でも頼ってくるお客様には親身になってあげる。新宿の母にしかできないことが、彼女を新宿の母と呼ばれるまでにしたのですね。どれも口で言うのは簡単ですが、実行は大変だと思いますよ。
私にはできないと言ってやめる事だってできるのです。
それを敢えて挑戦することで、この人にしかできない伝説が生まれていくのですね。
「この人生は戦いである」
その戦いの最前線で己を見つめ、己から逃げずに踏ん張り、他人を思いやる。
それが占い師というものなのでしょう。
この道で挫折するかも・・・思う気持ちに揺れることもあります。私なりのやる気をどこかで具体的に形にしていかないと想いばかりが空回りを起こします。人の運命や心や魂に携わる仕事だから、人間性が足りなければはじかれます。四面楚歌であっても、乗り切る自分を創りたくてここまで来てしまいました。もう逃げも隠れもできないのだ・・・追い詰められるとよくわかります。
覚悟が足りないと言いますが、やる気だけでは通用しないんだなと思うのです。覚悟とは・・・覚える、覚める、悟る、です。その本質を学び、自分の目を覚まし、真実を知ること。逃げる自分なんて絶対に見たくないのですが、いつも逃げ腰になる自分に腹が立ちますね。傷つくことや失敗することが怖かったら占い師どころか普通に働くこともできません。傷を成長の糧にしようと受け入れることからスタートです。いつも原点は自分です。
娘と昨日一緒に映画を観にいきましたが、息子がボーイスカウトなどでいないと必然的に女同士で出かける機会が多くなります。娘と一緒に出かけるといくらお財布があっても足りなくなるくらい「あれも!これも!」と買いたいものを次々と指差されます。まあ、片っ端から買うことはできませんからやんわりと「わかった。棚に戻してらっしゃい。」と切り捨てなければなりません。娘も母の財布の紐がゆるくないのは心得ているようすで「わかった。クリスマスにね。」とつぶやきながら商品への執着を捨てています。
昨日も大きなショッピングセンターの中にある映画館に行きましたので、映画が始まるまで娘と店をいろいろ探索しました。
それにしても最近こういう手のショッピングセンターが増えました。
巨大映画館に専門店街と巨大フードコートやレストラン街。それからジャスコなどのデパートがひとつになってて一日中遊べます。昨日出かけたところもすごく大きくて圧倒されました。買い物好きの女性にはたまらないスポットですが、買いたいものがないと逆になんだかモノばかりあふれていて何が買いたいのかわからなくなってきそうです。
今回は映画が目的で他に買いたいものもなかったので、娘と二人でプラプラ歩き回っていただけです。バーゲンでもないのでさほど安くないですし、欲しいものがないのにお金を無理に使う必要もありません。でも娘にとっては、私と一緒に買い物に出かけられるのがすごく嬉しかったみたいで、自分の好きな店(サンリオショップやかわいらしい雑貨のある店)に私の手を強引に引っ張って見学していました。あの嬉しそうな顔は買い物好きの女の子ですね。
いつか大きくなったら、友達とこういう場所に遊びにきたり、映画館デートをしたりするのでしょう。親と手をつないで映画に行くことも今のうちだけです。満員のフードコートでは席がなかなか確保できず、しかも娘はケンタッキーが食べたくて食べたくて待っていたのですが、時間をずらして憧れのケンタッキーにありつけたときのあの笑顔!!
そして私にチキンを差し出し「ママ、ひとくちあげる」と言って食べさせてくれました。そんなかわいらしい気遣いも見せ、彼女ももう子供へと変わりつつあることを感じます。
4歳の夏に一回迷子になったことがきっかけで外出先で私から離れたことが絶対にありません。必ず私を呼ぶか、手をつないで店に入ります。ちいさなちいさな手のひらはいつも私の存在を必要とし、一緒に感動してもらったり一緒に見てもらいたかったり・・・私が娘のよびかけに応じることが彼女にとっての安心になるのですね。
ずっと小さくて抱っこが楽チンだった娘ですが、最近は「あ、重いなあ」とすぐに感じてしまい、抱っこして町を歩くこともなくなりました。でも彼女は私の手をいつも離しません。どこにいっても。いつか小学校に入ったら変わっていくのかなあ・・・。私は娘の成長が嬉しいのと同時に、もう小学生になってしまうのがすごく寂しくなるときがあります。自立していくことは喜びですが、この素直さも変わらないでいて欲しいと思うのは親のエゴなのかな?と。思うように育たないからこそ子育ては大事なんですよね。
それでも娘が私に向けるいろんな笑顔は私の中でいつも安心であり、宝であると思っています。自分は絶対にこの笑顔を忘れないつもりで噛み締めているのに、不思議と二歳や三歳くらいの娘の顔は忘れているんですよ。
それくらいの年齢の子が歩いているのを見ると「ああ娘にもあんな時代があったのね」と思うけれどその当時の娘の顔つきが思い出せない。どれくらいの大きさだったのかも忘れてしまっているんですね。
生まれてきたときはそれこそお米よりも少なかったのに(2500グラム)その小ささを今思い出せないのです。不思議ですね。
生まれたときから二年近く言葉だって話せないときがあったのに、そのときはどうやってこの子とコミュニケーションを交わしていたのだろうかと思うのです。夢中になっていたからそんなこと考えてもいなかったですけれど。
娘の小さな手のひらのぬくもりは忘れたくないなあ・・・そんなことを願いながら一緒に歩き回っていました。手のひらは大きくなってしまったら私とつながれることはないでしょう。でも手をつないだ記憶はずっと奥に残り、娘にとっても大事な思い出であって欲しいと思います。
昨日も大きなショッピングセンターの中にある映画館に行きましたので、映画が始まるまで娘と店をいろいろ探索しました。
それにしても最近こういう手のショッピングセンターが増えました。
巨大映画館に専門店街と巨大フードコートやレストラン街。それからジャスコなどのデパートがひとつになってて一日中遊べます。昨日出かけたところもすごく大きくて圧倒されました。買い物好きの女性にはたまらないスポットですが、買いたいものがないと逆になんだかモノばかりあふれていて何が買いたいのかわからなくなってきそうです。
今回は映画が目的で他に買いたいものもなかったので、娘と二人でプラプラ歩き回っていただけです。バーゲンでもないのでさほど安くないですし、欲しいものがないのにお金を無理に使う必要もありません。でも娘にとっては、私と一緒に買い物に出かけられるのがすごく嬉しかったみたいで、自分の好きな店(サンリオショップやかわいらしい雑貨のある店)に私の手を強引に引っ張って見学していました。あの嬉しそうな顔は買い物好きの女の子ですね。
いつか大きくなったら、友達とこういう場所に遊びにきたり、映画館デートをしたりするのでしょう。親と手をつないで映画に行くことも今のうちだけです。満員のフードコートでは席がなかなか確保できず、しかも娘はケンタッキーが食べたくて食べたくて待っていたのですが、時間をずらして憧れのケンタッキーにありつけたときのあの笑顔!!
そして私にチキンを差し出し「ママ、ひとくちあげる」と言って食べさせてくれました。そんなかわいらしい気遣いも見せ、彼女ももう子供へと変わりつつあることを感じます。
4歳の夏に一回迷子になったことがきっかけで外出先で私から離れたことが絶対にありません。必ず私を呼ぶか、手をつないで店に入ります。ちいさなちいさな手のひらはいつも私の存在を必要とし、一緒に感動してもらったり一緒に見てもらいたかったり・・・私が娘のよびかけに応じることが彼女にとっての安心になるのですね。
ずっと小さくて抱っこが楽チンだった娘ですが、最近は「あ、重いなあ」とすぐに感じてしまい、抱っこして町を歩くこともなくなりました。でも彼女は私の手をいつも離しません。どこにいっても。いつか小学校に入ったら変わっていくのかなあ・・・。私は娘の成長が嬉しいのと同時に、もう小学生になってしまうのがすごく寂しくなるときがあります。自立していくことは喜びですが、この素直さも変わらないでいて欲しいと思うのは親のエゴなのかな?と。思うように育たないからこそ子育ては大事なんですよね。
それでも娘が私に向けるいろんな笑顔は私の中でいつも安心であり、宝であると思っています。自分は絶対にこの笑顔を忘れないつもりで噛み締めているのに、不思議と二歳や三歳くらいの娘の顔は忘れているんですよ。
それくらいの年齢の子が歩いているのを見ると「ああ娘にもあんな時代があったのね」と思うけれどその当時の娘の顔つきが思い出せない。どれくらいの大きさだったのかも忘れてしまっているんですね。
生まれてきたときはそれこそお米よりも少なかったのに(2500グラム)その小ささを今思い出せないのです。不思議ですね。
生まれたときから二年近く言葉だって話せないときがあったのに、そのときはどうやってこの子とコミュニケーションを交わしていたのだろうかと思うのです。夢中になっていたからそんなこと考えてもいなかったですけれど。
娘の小さな手のひらのぬくもりは忘れたくないなあ・・・そんなことを願いながら一緒に歩き回っていました。手のひらは大きくなってしまったら私とつながれることはないでしょう。でも手をつないだ記憶はずっと奥に残り、娘にとっても大事な思い出であって欲しいと思います。
今日は息子が朝からボーイスカウト活動だったので、残された私と娘は約束していた映画へ行ってきました。
映画は「Yes!プリキュア5GOGO!」です。
幼児の女の子を持つ方なら誰でもご存知のプリキュアです。
五人のプリキュアと呼ばれる女の子たちのお話ですが、わかりやすく言えばアニメ版女の子向け五人の戦隊レンジャーもの、とくくればいいでしょうか。時代は古いけれどゴレンジャーみたいです。普段はかわいい普通の中学生の女の子たちが敵が現れるとプリキュアに変身して力を合わせて戦います。まあ、とにかく無敵です。半分くらいが戦闘シーンですし、また変身シーンが長い!「華麗に羽ばたく五つのこころ!」といいながら、五名が段々変身するお決まりのシーンも長い!そんなに決まり台詞を叫びながら変身している間に倒されちゃうんじゃないかという突っ込みが入りそうです(笑)。
でも大好きなんですよね。園児たちはプリキュアごっこしてますから。娘もプリキュアの大ファンで、とくにキュアレモネード(黄色の担当)の春日野うららちゃんがお気に入り。「レモネードみたいな髪型にして」と無理難題を突きつけてきますから(^-^;。映画も大興奮の状態で見ていますが、私は寝不足だったのでものすごく眠い映画鑑賞でした(爆)。戦闘シーンの途中で目が覚めたんですが・・・。
それにしても女の子が蹴ったり殴ったり殴られたり吹き飛ばされたり、光る剣を操って敵を刺したり、自分が子供のころはこんなに女の子のアニメは激しくなかったし、魔法使い系のモノが多かったような・・・。しかも「絶対に負けない」と何度も踏み潰されても起き上がる姿はいまどきのヒロインなんですね。華麗に戦う姿はまさにプリティーでキュートなプリキュアです。
面白いのは最強の敵を倒すとき、最後は普通のプリキュアでは倒せなかったので進化した状態で倒したのですが、それも相手を光る剣で刺し、切り倒したのですが、少年漫画ならきっと敵が半分に裂けるシーンまで丁寧に書くのですが、ここは少女漫画、敵は裂けません。光って粉になって空に昇天して行く美しい散り方なんですね・・・。敵だけれど、最後はちょっと改心して、微笑みながらプリキュアの前に倒れる・・・。
やっぱり子供の夢を壊さないような演出がいっぱいです。
それにしても・・・今のアニメに出てくる女の子はやたら目が大きくて、顔の半分以上が目です。足が長くて足首と腿が同じ太さですね。かわいらしく描かれています。そして、男顔負けの強さ!!!そんなアニメに目を輝かせている娘は一体どんなヒロイン像を築いていくのでしょうか。キュートであってほしいけれど、男をあんな調子で蹴り飛ばして欲しくないなあ・・・と母は密かに心配です( ̄▽ ̄;)。
暗闇が苦手でまったく映画もダメだった娘ですが、今日は大丈夫でした。
小学校に上がったらプリキュアなんて言わなくなるのかな?
映画は「Yes!プリキュア5GOGO!」です。
幼児の女の子を持つ方なら誰でもご存知のプリキュアです。
五人のプリキュアと呼ばれる女の子たちのお話ですが、わかりやすく言えばアニメ版女の子向け五人の戦隊レンジャーもの、とくくればいいでしょうか。時代は古いけれどゴレンジャーみたいです。普段はかわいい普通の中学生の女の子たちが敵が現れるとプリキュアに変身して力を合わせて戦います。まあ、とにかく無敵です。半分くらいが戦闘シーンですし、また変身シーンが長い!「華麗に羽ばたく五つのこころ!」といいながら、五名が段々変身するお決まりのシーンも長い!そんなに決まり台詞を叫びながら変身している間に倒されちゃうんじゃないかという突っ込みが入りそうです(笑)。
でも大好きなんですよね。園児たちはプリキュアごっこしてますから。娘もプリキュアの大ファンで、とくにキュアレモネード(黄色の担当)の春日野うららちゃんがお気に入り。「レモネードみたいな髪型にして」と無理難題を突きつけてきますから(^-^;。映画も大興奮の状態で見ていますが、私は寝不足だったのでものすごく眠い映画鑑賞でした(爆)。戦闘シーンの途中で目が覚めたんですが・・・。
それにしても女の子が蹴ったり殴ったり殴られたり吹き飛ばされたり、光る剣を操って敵を刺したり、自分が子供のころはこんなに女の子のアニメは激しくなかったし、魔法使い系のモノが多かったような・・・。しかも「絶対に負けない」と何度も踏み潰されても起き上がる姿はいまどきのヒロインなんですね。華麗に戦う姿はまさにプリティーでキュートなプリキュアです。
面白いのは最強の敵を倒すとき、最後は普通のプリキュアでは倒せなかったので進化した状態で倒したのですが、それも相手を光る剣で刺し、切り倒したのですが、少年漫画ならきっと敵が半分に裂けるシーンまで丁寧に書くのですが、ここは少女漫画、敵は裂けません。光って粉になって空に昇天して行く美しい散り方なんですね・・・。敵だけれど、最後はちょっと改心して、微笑みながらプリキュアの前に倒れる・・・。
やっぱり子供の夢を壊さないような演出がいっぱいです。
それにしても・・・今のアニメに出てくる女の子はやたら目が大きくて、顔の半分以上が目です。足が長くて足首と腿が同じ太さですね。かわいらしく描かれています。そして、男顔負けの強さ!!!そんなアニメに目を輝かせている娘は一体どんなヒロイン像を築いていくのでしょうか。キュートであってほしいけれど、男をあんな調子で蹴り飛ばして欲しくないなあ・・・と母は密かに心配です( ̄▽ ̄;)。
暗闇が苦手でまったく映画もダメだった娘ですが、今日は大丈夫でした。
小学校に上がったらプリキュアなんて言わなくなるのかな?
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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