占い師としての成長日記
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娘と昨日一緒に映画を観にいきましたが、息子がボーイスカウトなどでいないと必然的に女同士で出かける機会が多くなります。娘と一緒に出かけるといくらお財布があっても足りなくなるくらい「あれも!これも!」と買いたいものを次々と指差されます。まあ、片っ端から買うことはできませんからやんわりと「わかった。棚に戻してらっしゃい。」と切り捨てなければなりません。娘も母の財布の紐がゆるくないのは心得ているようすで「わかった。クリスマスにね。」とつぶやきながら商品への執着を捨てています。
昨日も大きなショッピングセンターの中にある映画館に行きましたので、映画が始まるまで娘と店をいろいろ探索しました。
それにしても最近こういう手のショッピングセンターが増えました。
巨大映画館に専門店街と巨大フードコートやレストラン街。それからジャスコなどのデパートがひとつになってて一日中遊べます。昨日出かけたところもすごく大きくて圧倒されました。買い物好きの女性にはたまらないスポットですが、買いたいものがないと逆になんだかモノばかりあふれていて何が買いたいのかわからなくなってきそうです。
今回は映画が目的で他に買いたいものもなかったので、娘と二人でプラプラ歩き回っていただけです。バーゲンでもないのでさほど安くないですし、欲しいものがないのにお金を無理に使う必要もありません。でも娘にとっては、私と一緒に買い物に出かけられるのがすごく嬉しかったみたいで、自分の好きな店(サンリオショップやかわいらしい雑貨のある店)に私の手を強引に引っ張って見学していました。あの嬉しそうな顔は買い物好きの女の子ですね。
いつか大きくなったら、友達とこういう場所に遊びにきたり、映画館デートをしたりするのでしょう。親と手をつないで映画に行くことも今のうちだけです。満員のフードコートでは席がなかなか確保できず、しかも娘はケンタッキーが食べたくて食べたくて待っていたのですが、時間をずらして憧れのケンタッキーにありつけたときのあの笑顔!!
そして私にチキンを差し出し「ママ、ひとくちあげる」と言って食べさせてくれました。そんなかわいらしい気遣いも見せ、彼女ももう子供へと変わりつつあることを感じます。
4歳の夏に一回迷子になったことがきっかけで外出先で私から離れたことが絶対にありません。必ず私を呼ぶか、手をつないで店に入ります。ちいさなちいさな手のひらはいつも私の存在を必要とし、一緒に感動してもらったり一緒に見てもらいたかったり・・・私が娘のよびかけに応じることが彼女にとっての安心になるのですね。
ずっと小さくて抱っこが楽チンだった娘ですが、最近は「あ、重いなあ」とすぐに感じてしまい、抱っこして町を歩くこともなくなりました。でも彼女は私の手をいつも離しません。どこにいっても。いつか小学校に入ったら変わっていくのかなあ・・・。私は娘の成長が嬉しいのと同時に、もう小学生になってしまうのがすごく寂しくなるときがあります。自立していくことは喜びですが、この素直さも変わらないでいて欲しいと思うのは親のエゴなのかな?と。思うように育たないからこそ子育ては大事なんですよね。
それでも娘が私に向けるいろんな笑顔は私の中でいつも安心であり、宝であると思っています。自分は絶対にこの笑顔を忘れないつもりで噛み締めているのに、不思議と二歳や三歳くらいの娘の顔は忘れているんですよ。
それくらいの年齢の子が歩いているのを見ると「ああ娘にもあんな時代があったのね」と思うけれどその当時の娘の顔つきが思い出せない。どれくらいの大きさだったのかも忘れてしまっているんですね。
生まれてきたときはそれこそお米よりも少なかったのに(2500グラム)その小ささを今思い出せないのです。不思議ですね。
生まれたときから二年近く言葉だって話せないときがあったのに、そのときはどうやってこの子とコミュニケーションを交わしていたのだろうかと思うのです。夢中になっていたからそんなこと考えてもいなかったですけれど。
娘の小さな手のひらのぬくもりは忘れたくないなあ・・・そんなことを願いながら一緒に歩き回っていました。手のひらは大きくなってしまったら私とつながれることはないでしょう。でも手をつないだ記憶はずっと奥に残り、娘にとっても大事な思い出であって欲しいと思います。
昨日も大きなショッピングセンターの中にある映画館に行きましたので、映画が始まるまで娘と店をいろいろ探索しました。
それにしても最近こういう手のショッピングセンターが増えました。
巨大映画館に専門店街と巨大フードコートやレストラン街。それからジャスコなどのデパートがひとつになってて一日中遊べます。昨日出かけたところもすごく大きくて圧倒されました。買い物好きの女性にはたまらないスポットですが、買いたいものがないと逆になんだかモノばかりあふれていて何が買いたいのかわからなくなってきそうです。
今回は映画が目的で他に買いたいものもなかったので、娘と二人でプラプラ歩き回っていただけです。バーゲンでもないのでさほど安くないですし、欲しいものがないのにお金を無理に使う必要もありません。でも娘にとっては、私と一緒に買い物に出かけられるのがすごく嬉しかったみたいで、自分の好きな店(サンリオショップやかわいらしい雑貨のある店)に私の手を強引に引っ張って見学していました。あの嬉しそうな顔は買い物好きの女の子ですね。
いつか大きくなったら、友達とこういう場所に遊びにきたり、映画館デートをしたりするのでしょう。親と手をつないで映画に行くことも今のうちだけです。満員のフードコートでは席がなかなか確保できず、しかも娘はケンタッキーが食べたくて食べたくて待っていたのですが、時間をずらして憧れのケンタッキーにありつけたときのあの笑顔!!
そして私にチキンを差し出し「ママ、ひとくちあげる」と言って食べさせてくれました。そんなかわいらしい気遣いも見せ、彼女ももう子供へと変わりつつあることを感じます。
4歳の夏に一回迷子になったことがきっかけで外出先で私から離れたことが絶対にありません。必ず私を呼ぶか、手をつないで店に入ります。ちいさなちいさな手のひらはいつも私の存在を必要とし、一緒に感動してもらったり一緒に見てもらいたかったり・・・私が娘のよびかけに応じることが彼女にとっての安心になるのですね。
ずっと小さくて抱っこが楽チンだった娘ですが、最近は「あ、重いなあ」とすぐに感じてしまい、抱っこして町を歩くこともなくなりました。でも彼女は私の手をいつも離しません。どこにいっても。いつか小学校に入ったら変わっていくのかなあ・・・。私は娘の成長が嬉しいのと同時に、もう小学生になってしまうのがすごく寂しくなるときがあります。自立していくことは喜びですが、この素直さも変わらないでいて欲しいと思うのは親のエゴなのかな?と。思うように育たないからこそ子育ては大事なんですよね。
それでも娘が私に向けるいろんな笑顔は私の中でいつも安心であり、宝であると思っています。自分は絶対にこの笑顔を忘れないつもりで噛み締めているのに、不思議と二歳や三歳くらいの娘の顔は忘れているんですよ。
それくらいの年齢の子が歩いているのを見ると「ああ娘にもあんな時代があったのね」と思うけれどその当時の娘の顔つきが思い出せない。どれくらいの大きさだったのかも忘れてしまっているんですね。
生まれてきたときはそれこそお米よりも少なかったのに(2500グラム)その小ささを今思い出せないのです。不思議ですね。
生まれたときから二年近く言葉だって話せないときがあったのに、そのときはどうやってこの子とコミュニケーションを交わしていたのだろうかと思うのです。夢中になっていたからそんなこと考えてもいなかったですけれど。
娘の小さな手のひらのぬくもりは忘れたくないなあ・・・そんなことを願いながら一緒に歩き回っていました。手のひらは大きくなってしまったら私とつながれることはないでしょう。でも手をつないだ記憶はずっと奥に残り、娘にとっても大事な思い出であって欲しいと思います。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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