占い師としての成長日記
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ちょっと間を空けてしまいましたが、私は健在です(笑)。
今週、二年半ぶりに娘が熱を出しました。嘔吐の風邪です。いつもは元気いっぱいの娘が、本当に急にですよ、ぐったりして、横になっていたら突如吐きました・・・。びっくりです!この強い娘をやっつけるなんて、本当にしぶといウイルスだったんでしょうね。幸い、回復が早く、一日だけ休んで復活できました。
お仕事に入って、毎日鑑定して、食事作って、片付けて、寝て・・・の繰り返しです。特に、これと言って大きな変化はないんですけど、幸い、お仕事が忙しいときが多いので、疲れがたまりますね(^^;。
お仕事に入るとき、必ずすることがあります。
まず、トイレ掃除。これは必ずするようにしています。儀式と言う感じになっていますが、毎日掃除をしてからお仕事に入ります。毎日掃除しているのにもかかわらず、汚れるんですよね。前は全然しなかった(来客がある日だけ)から、あの頃はどんだけ汚れていたんだって感じですよ。
それから、鑑定する部屋の窓の空気を入れ替え、お香を焚いて、タロットカードを浄化しながら、できるだけ無心にそのお香の香りをかいで心を静めます。
タロットカードを浄化するとき「私はこの道具があってこその占い師なんだな。」って強く思います。
私一人の力では、私は相手の気持ちや状況を読み取る力がないのです。タロットカードが、私を占い師の私にしてくれるんですよね。
料理人の包丁のように、私にとって大事な相棒です。
日々は同じように繰り返されていきますが、私にとって同じような日というのはまったくなく、その日によって、鑑定が上手く進まなかったり、カードの言うことを上手く伝えられなかったり、それからその逆もあったり。子供とのかかわり方も、毎日が同じようでいて、実は違っていて。
私はその中で、昨日より今日、今日より明日、微々たる伸びでもいいから成長していきたいと思っています。
目の前にいる相談者様、それから、プライベートで私にかかわってくるさまざまな人たち。私はその中で、いろんなことを想い、悩んだり、解決したりを繰り返していくんですよね。まだまだ途中ですけどね。
お仕事は、占いですから、正直言って明るい仕事ではないのかもしれませんが、でも、自分も毎日の仕事を丁寧にこなしながら、負のエネルギーに屈しない体力・精神力をつけたいです。そのためのトイレ掃除なんですけどね。無心に便器を拭いていると、自分の内面も掃除された気がします。
あと、占いとは全然関係ないところで・・・息子の学校の毎日の宿題は日記なんですが、今までは私が付き添って書いていたのですが、最近は息子が自発的に書いてくれるので、出来上がった作品を読ませてもらうんです。その子供らしい内容に、(本人は至ってまじめに書いているつもりなんですが)笑いがこぼれてしまいます。もちろん一年生だから全然上手ではないんですが、息子なりに文章をとにかくいっぱい書くんですよ。たとえばかくれんぼの話題なら、かくれんぼしていたお友達全員の名前、その上、何年何組かまで全部丁寧に書いている(爆)。その一生懸命さがいとおしいし、出来上がった作品が、何でも「・・・してたのしかったです。」でまとめられていて、「ああ、彼は生活の中で楽しみを見出してきたんだな。そういう瞬間を作れるようになったんだな。」と感じられると、自分の疲れも吹っ飛ぶんですよね。
成長している姿を見ると、落ち込んでばかりもいられないと感じます。
一生懸命さを、こうやって見せてもらえるのはありがたいことですよ。
今週、二年半ぶりに娘が熱を出しました。嘔吐の風邪です。いつもは元気いっぱいの娘が、本当に急にですよ、ぐったりして、横になっていたら突如吐きました・・・。びっくりです!この強い娘をやっつけるなんて、本当にしぶといウイルスだったんでしょうね。幸い、回復が早く、一日だけ休んで復活できました。
お仕事に入って、毎日鑑定して、食事作って、片付けて、寝て・・・の繰り返しです。特に、これと言って大きな変化はないんですけど、幸い、お仕事が忙しいときが多いので、疲れがたまりますね(^^;。
お仕事に入るとき、必ずすることがあります。
まず、トイレ掃除。これは必ずするようにしています。儀式と言う感じになっていますが、毎日掃除をしてからお仕事に入ります。毎日掃除しているのにもかかわらず、汚れるんですよね。前は全然しなかった(来客がある日だけ)から、あの頃はどんだけ汚れていたんだって感じですよ。
それから、鑑定する部屋の窓の空気を入れ替え、お香を焚いて、タロットカードを浄化しながら、できるだけ無心にそのお香の香りをかいで心を静めます。
タロットカードを浄化するとき「私はこの道具があってこその占い師なんだな。」って強く思います。
私一人の力では、私は相手の気持ちや状況を読み取る力がないのです。タロットカードが、私を占い師の私にしてくれるんですよね。
料理人の包丁のように、私にとって大事な相棒です。
日々は同じように繰り返されていきますが、私にとって同じような日というのはまったくなく、その日によって、鑑定が上手く進まなかったり、カードの言うことを上手く伝えられなかったり、それからその逆もあったり。子供とのかかわり方も、毎日が同じようでいて、実は違っていて。
私はその中で、昨日より今日、今日より明日、微々たる伸びでもいいから成長していきたいと思っています。
目の前にいる相談者様、それから、プライベートで私にかかわってくるさまざまな人たち。私はその中で、いろんなことを想い、悩んだり、解決したりを繰り返していくんですよね。まだまだ途中ですけどね。
お仕事は、占いですから、正直言って明るい仕事ではないのかもしれませんが、でも、自分も毎日の仕事を丁寧にこなしながら、負のエネルギーに屈しない体力・精神力をつけたいです。そのためのトイレ掃除なんですけどね。無心に便器を拭いていると、自分の内面も掃除された気がします。
あと、占いとは全然関係ないところで・・・息子の学校の毎日の宿題は日記なんですが、今までは私が付き添って書いていたのですが、最近は息子が自発的に書いてくれるので、出来上がった作品を読ませてもらうんです。その子供らしい内容に、(本人は至ってまじめに書いているつもりなんですが)笑いがこぼれてしまいます。もちろん一年生だから全然上手ではないんですが、息子なりに文章をとにかくいっぱい書くんですよ。たとえばかくれんぼの話題なら、かくれんぼしていたお友達全員の名前、その上、何年何組かまで全部丁寧に書いている(爆)。その一生懸命さがいとおしいし、出来上がった作品が、何でも「・・・してたのしかったです。」でまとめられていて、「ああ、彼は生活の中で楽しみを見出してきたんだな。そういう瞬間を作れるようになったんだな。」と感じられると、自分の疲れも吹っ飛ぶんですよね。
成長している姿を見ると、落ち込んでばかりもいられないと感じます。
一生懸命さを、こうやって見せてもらえるのはありがたいことですよ。
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節分でした!今日は朝から大雪で、予定していたボーイスカウト活動も休止。一日、家にいることになってしまいました。ちょっと週末の寝不足が重なっていて、今日はゴロゴロ・・・。ホットカーペットの上を占領し、子供が雪遊びから戻ってきたら、今度は布団でゴロゴロ・・・。そう、久しぶりに、何もかも忘れて、休業ですよ!
夕方、恵方巻きを買ってきて、いわしを焼きまして、豆を撒いてもらいました。主婦的に、できるだけ室内に撒くのは止めてほしいところなんですが・・・(苦笑)。子供たちがたくさん撒いてくれました。
テレビで、節分のニュースをしていたんですが、その中でとても心に残る言葉がありました。
「鬼は外、福は内」というけれど、「鬼」は外からやってくるものではなくて、自分の内側にいる鬼を追い出すんだと言うこと。
なるほど、と思いました。
確かに、「鬼」とまではいかないけど、自分の中にある「だらしなさ」「めんどくささ」「逃げ」「ずるさ」という感情って、いつも自分の行く手に顔を出してきますよね。それが、できるだけ顔を出さないように追い出すこと、これこそが鬼は外、の由来なんだと言うことです。
因果応報という言葉がありますが、物事には必ず原因と言うものがあって、それは突き詰めれば、自分のやってきた行いが自分に戻ってくる、ということなんですよね。
外に鬼がいて、あなたにいたずらに悪事をもたらすのではなく、もしかして「いやだなあと感じる事件」は、自分が巻いてきた種なのかもしれません。
完璧な行いは難しいかもしれませんが、でもできるだけ、言い訳のないように進みたいものです。私の中に棲む鬼は、たぶん「だらしない鬼」が一番強いかな?一日寝ててすみません・・・。つい食べ過ぎたりしてごめんなさい・・・。
自分の年の数だけ食べることで、私の鬼が消えることを祈りながら食べました。消えるか、増えるかはこれからの心がけ次第ですよね?!
最後に変な話ですが、小学生のころ、節分に豆を食べ過ぎて、翌日腹痛になったことを思い出してしまった、そんな大雪の節分でした。
夕方、恵方巻きを買ってきて、いわしを焼きまして、豆を撒いてもらいました。主婦的に、できるだけ室内に撒くのは止めてほしいところなんですが・・・(苦笑)。子供たちがたくさん撒いてくれました。
テレビで、節分のニュースをしていたんですが、その中でとても心に残る言葉がありました。
「鬼は外、福は内」というけれど、「鬼」は外からやってくるものではなくて、自分の内側にいる鬼を追い出すんだと言うこと。
なるほど、と思いました。
確かに、「鬼」とまではいかないけど、自分の中にある「だらしなさ」「めんどくささ」「逃げ」「ずるさ」という感情って、いつも自分の行く手に顔を出してきますよね。それが、できるだけ顔を出さないように追い出すこと、これこそが鬼は外、の由来なんだと言うことです。
因果応報という言葉がありますが、物事には必ず原因と言うものがあって、それは突き詰めれば、自分のやってきた行いが自分に戻ってくる、ということなんですよね。
外に鬼がいて、あなたにいたずらに悪事をもたらすのではなく、もしかして「いやだなあと感じる事件」は、自分が巻いてきた種なのかもしれません。
完璧な行いは難しいかもしれませんが、でもできるだけ、言い訳のないように進みたいものです。私の中に棲む鬼は、たぶん「だらしない鬼」が一番強いかな?一日寝ててすみません・・・。つい食べ過ぎたりしてごめんなさい・・・。
自分の年の数だけ食べることで、私の鬼が消えることを祈りながら食べました。消えるか、増えるかはこれからの心がけ次第ですよね?!
最後に変な話ですが、小学生のころ、節分に豆を食べ過ぎて、翌日腹痛になったことを思い出してしまった、そんな大雪の節分でした。
今日から二月です。
バレンタインを控えて、自分にチョコをあげたい私です・・・。
ここのところお仕事もなんだか急ぎ足で、いろんな体験をさせていただいているのですが、時間がないとすぐにパンク状態になってしまうので、明日からの週末は自分の家事に徹したいと思います。自分の趣味が、家の片付けになってしまいそうですね。平日は仕事と家事で、週末は細かい掃除と買出しで終わりますが、特に趣味の特別な時間もないので、私の人生ってある意味味気ないかもしれませんね(苦笑)。休みにわざわざ外に出たくないタイプだと、本当に家にいるだけで満足してしまって、世の中のレジャーについていけなくなりそうですよ。
久しぶりに仕事で「おお、ちょっと大変」と感じることがありました。
詳細は書けないのですが、その鑑定には悔いが残ります。話を聞くのが精一杯で、自分らしい鑑定、100%の力を振り絞ったとは言いがたかった。聞き役だけで100%に達したので、まだ精神力が足りないと思ったんです。そのあとの鑑定もなかなか切り替えが足りず。ここで自分の未熟さが露呈されてしまいます。
最近は順調に一つ一つをこなしてきた感があったけど、また新たな展開が始まった感じですよ。鑑定士って、深い仕事ですね。
なので、仕事でヘビーな気分になったとき、子供のお迎えに行って、満面の笑顔で子供が私に飛びついてくるとき、占いとは180度違う、濁りのない世界の笑顔を見ると、とっても頑張れそうな気がしてきます。
体は動かしていないのに、夜ご飯の最中から寝てしまいたいくらいに疲れてしまうのです。本当は運動したほうがいいんですけど、そのゆとりもなく・・・。体力がつけば、精神力も同じようにあがってくるかなあ。
頭の中が、子供のことと、仕事のことで覆われているのではないでしょうか。もう少し脳内が広ければいいのに・・・と思う最近の独り言でした。
バレンタインを控えて、自分にチョコをあげたい私です・・・。
ここのところお仕事もなんだか急ぎ足で、いろんな体験をさせていただいているのですが、時間がないとすぐにパンク状態になってしまうので、明日からの週末は自分の家事に徹したいと思います。自分の趣味が、家の片付けになってしまいそうですね。平日は仕事と家事で、週末は細かい掃除と買出しで終わりますが、特に趣味の特別な時間もないので、私の人生ってある意味味気ないかもしれませんね(苦笑)。休みにわざわざ外に出たくないタイプだと、本当に家にいるだけで満足してしまって、世の中のレジャーについていけなくなりそうですよ。
久しぶりに仕事で「おお、ちょっと大変」と感じることがありました。
詳細は書けないのですが、その鑑定には悔いが残ります。話を聞くのが精一杯で、自分らしい鑑定、100%の力を振り絞ったとは言いがたかった。聞き役だけで100%に達したので、まだ精神力が足りないと思ったんです。そのあとの鑑定もなかなか切り替えが足りず。ここで自分の未熟さが露呈されてしまいます。
最近は順調に一つ一つをこなしてきた感があったけど、また新たな展開が始まった感じですよ。鑑定士って、深い仕事ですね。
なので、仕事でヘビーな気分になったとき、子供のお迎えに行って、満面の笑顔で子供が私に飛びついてくるとき、占いとは180度違う、濁りのない世界の笑顔を見ると、とっても頑張れそうな気がしてきます。
体は動かしていないのに、夜ご飯の最中から寝てしまいたいくらいに疲れてしまうのです。本当は運動したほうがいいんですけど、そのゆとりもなく・・・。体力がつけば、精神力も同じようにあがってくるかなあ。
頭の中が、子供のことと、仕事のことで覆われているのではないでしょうか。もう少し脳内が広ければいいのに・・・と思う最近の独り言でした。
今朝から息子が熱を出して、学校を休んでいます。毎月一回、突然やってくるXデーと私は密かに呼んでいるのですが、小学校に入ってから、毎月必ず熱を出したり、溶連菌だったりで、休みがちな子です。
そんなわけで、今朝も仕事の時間を急遽キャンセルさせてもらったんですが、これが普通の会社とかなら、私はとっくにクビになっていますよね。
近くにジジババがいて、面倒を見てくれるのなら、そっちに連れて行くこともできるけど、私にはその助けもありません。娘の保育園に行くと、ジジババの育児参加率、手助け率がものすごい高くて、ジジババの顔は知っているけど、親の顔を見たことがない、という方もいらっしゃいます。
今の自分は、それを願ってもできないけど、せめてあと30年後に、わが子が孫を産んでくれたなら、近くにいて面倒を見てあげて助けてあげたいと、そんなことを考えてしまいます。それだけ「自分たちでやっていく」ということは大変なことなんですよね。
今まで、私は仕事の壁と言うものにぶつかっていました。
子供を持ちながら働く親なら、誰でも抱いたことのある葛藤です。子供を外に預けて働くこと。お金が一番になっていていいんだろうか。お金よりも大事なものがあるのに、お金優先でいいんだろうか。でも、お金がなかったら、この子達に何も買ってあげられないんだ、という堂々巡り。
でも、現実の私の仕事は、なかなか指名が伸びず、フリーのお客様で成り立っている部分が多くて、成績が一向に上がりません。月に一度、給与明細とともにやってくる成績表を見ると、落ち込みましたね。頑張ろうと思いますが、現実の私の生活はこれ以上、仕事ばかりでは家の中が回らない。子供だって、学童に保育園、そんなに預けられっぱなしはいやみたいで・・・。たまにストライキを起こされます(汗)。
成績を上げたい私と、上がらない現状が、がっぷりと組み合っていました。私は成績とか、実績にこだわる性質を強く持っているんですよね。いわゆる、目に見える、数字にできる評価に強くこだわりを持っていること。ガツガツ稼ぐって言葉が実は大好きな人間なんだってことに、気がついてしまったんですよ。
でも、子供は違います。突然具合が悪くなるし、甘えん坊で、預けられることに拒絶を出してくることもあるし、今の環境だと、私が子供のことを守らないと、誰も守ってくれないということが一番大きなカベ。(夫は朝早いし、夜も私たちがお風呂に入るころに帰宅するから、現実的な手助けはまったくできないのです)
数字でわかる成績が上がらないのは、自分に実力がないせいだ、と思って落ち込んできましたが、考え方を変えようと思いました。でなければ、いつまでたっても、この綱引きは勝負がつきません。
もし、今の自分が人気占い師になったとしても・・・仕事にすべての時間を費やすことができないから、人気が出ないようにコントロールされているんじゃないかと、実に都合のいい解釈をするようにしています。
人気の占い師さんは、予約でいっぱいになってしまいます。だから、当日の朝、「子供が熱なんで」と仕事をキャンセルしたら、会社に多大な迷惑をかけてしまうんですよね。
ああ、だから私は人気がでないんだな、と思ったら、すごく楽になりました。私は、本音は、できるだけ、ガツガツ働いて、ガンガン稼いでいたいタイプの人間です。子供がいなかったら、どんなにいいだろうと思う。でも、私なりに子供を愛していますよ。)
でも、本当に今私が気を配るべき人物は、わが子なのかもしれないと、息子が熱を出すたびに思うのです。ブレーキをかけられているような気がします。天の采配っていうんでしょうか。
以前も日記に書いたことがあります。
私はものすごい教育ママで、もし自分が余裕のある生活をしていたら、子供の一週間はすべて習い事か塾で埋まっていたはず。でも、幸か不幸か、今の私には、そんな余裕がなく、子供を締め付けすぎずにすんでいるということ。それと、なんとなく似てますよね。なぜ、我が家にお金がそんなに余り余っていないのか?それは、子供を守るための神様のはからいなのではないかということです。本当のことは、誰にもわかりませんよ。でももし、あらゆる物事や葛藤に意味があるとしたら、私は、こう解釈しています。
そして、ずっと昔から感じていたことと結びつくんですが、私は東京の中でなぜか新橋が一番大好きで、新橋は勤務したことがなかったけど、もし転職するなら、新橋にある会社にしたいって密かに企んでました。新橋ってオヤジの街ですよね。なんで、新橋が好きなんだろうと思っていましたが、たぶん私はめちゃくちゃ働くサラリーマンがいっぱいいるから、新橋が好きなんですよ。
新橋で降りると、胸が高鳴りますから(爆)。
だから、今の私はそうならないようにしなくてはいけないんですよ。お金のために、目に見える成績や、給料のために、子供と言う数字にできない感情や存在を、おろそかにしてはいけないんだって、言われているんですよね。それが私の今世の課題なんでしょうね。わかるまでに時間がかかりましたが、わかったら、仕事で成績が伸びないことで、自分をいたずらに責めなくなりました。「これも、ご縁のもの」と言い聞かせます。
でも、仕事に入るときは、例え指名のお客様でなくても、出会った限りは「この先生に会えてよかった」と感じていただけるように、一生懸命親身になって、相談業にはまりたいと思っていますよ。ただ、相談者の満足度を測ることはできません。知ることもできません。なので、相手の満足度に振り回されないように、「この鑑定は、私の伝えたいことが伝わったか、否か」自分が満足できるかどうかが、お客さんにつながっていくんだろうなって思います。
他人の人生に深くかかわるという仕事も大変ですが、成績もあると言うのはなおさらプレッシャーを感じますよ(苦笑)。
でも、自分の子供の面倒を見つつ、いつかちゃんと仕事で今よりも力を注げる日が来ると思うので、成績重視に偏らないように歩こうと思います。
そんなわけで、今朝も仕事の時間を急遽キャンセルさせてもらったんですが、これが普通の会社とかなら、私はとっくにクビになっていますよね。
近くにジジババがいて、面倒を見てくれるのなら、そっちに連れて行くこともできるけど、私にはその助けもありません。娘の保育園に行くと、ジジババの育児参加率、手助け率がものすごい高くて、ジジババの顔は知っているけど、親の顔を見たことがない、という方もいらっしゃいます。
今の自分は、それを願ってもできないけど、せめてあと30年後に、わが子が孫を産んでくれたなら、近くにいて面倒を見てあげて助けてあげたいと、そんなことを考えてしまいます。それだけ「自分たちでやっていく」ということは大変なことなんですよね。
今まで、私は仕事の壁と言うものにぶつかっていました。
子供を持ちながら働く親なら、誰でも抱いたことのある葛藤です。子供を外に預けて働くこと。お金が一番になっていていいんだろうか。お金よりも大事なものがあるのに、お金優先でいいんだろうか。でも、お金がなかったら、この子達に何も買ってあげられないんだ、という堂々巡り。
でも、現実の私の仕事は、なかなか指名が伸びず、フリーのお客様で成り立っている部分が多くて、成績が一向に上がりません。月に一度、給与明細とともにやってくる成績表を見ると、落ち込みましたね。頑張ろうと思いますが、現実の私の生活はこれ以上、仕事ばかりでは家の中が回らない。子供だって、学童に保育園、そんなに預けられっぱなしはいやみたいで・・・。たまにストライキを起こされます(汗)。
成績を上げたい私と、上がらない現状が、がっぷりと組み合っていました。私は成績とか、実績にこだわる性質を強く持っているんですよね。いわゆる、目に見える、数字にできる評価に強くこだわりを持っていること。ガツガツ稼ぐって言葉が実は大好きな人間なんだってことに、気がついてしまったんですよ。
でも、子供は違います。突然具合が悪くなるし、甘えん坊で、預けられることに拒絶を出してくることもあるし、今の環境だと、私が子供のことを守らないと、誰も守ってくれないということが一番大きなカベ。(夫は朝早いし、夜も私たちがお風呂に入るころに帰宅するから、現実的な手助けはまったくできないのです)
数字でわかる成績が上がらないのは、自分に実力がないせいだ、と思って落ち込んできましたが、考え方を変えようと思いました。でなければ、いつまでたっても、この綱引きは勝負がつきません。
もし、今の自分が人気占い師になったとしても・・・仕事にすべての時間を費やすことができないから、人気が出ないようにコントロールされているんじゃないかと、実に都合のいい解釈をするようにしています。
人気の占い師さんは、予約でいっぱいになってしまいます。だから、当日の朝、「子供が熱なんで」と仕事をキャンセルしたら、会社に多大な迷惑をかけてしまうんですよね。
ああ、だから私は人気がでないんだな、と思ったら、すごく楽になりました。私は、本音は、できるだけ、ガツガツ働いて、ガンガン稼いでいたいタイプの人間です。子供がいなかったら、どんなにいいだろうと思う。でも、私なりに子供を愛していますよ。)
でも、本当に今私が気を配るべき人物は、わが子なのかもしれないと、息子が熱を出すたびに思うのです。ブレーキをかけられているような気がします。天の采配っていうんでしょうか。
以前も日記に書いたことがあります。
私はものすごい教育ママで、もし自分が余裕のある生活をしていたら、子供の一週間はすべて習い事か塾で埋まっていたはず。でも、幸か不幸か、今の私には、そんな余裕がなく、子供を締め付けすぎずにすんでいるということ。それと、なんとなく似てますよね。なぜ、我が家にお金がそんなに余り余っていないのか?それは、子供を守るための神様のはからいなのではないかということです。本当のことは、誰にもわかりませんよ。でももし、あらゆる物事や葛藤に意味があるとしたら、私は、こう解釈しています。
そして、ずっと昔から感じていたことと結びつくんですが、私は東京の中でなぜか新橋が一番大好きで、新橋は勤務したことがなかったけど、もし転職するなら、新橋にある会社にしたいって密かに企んでました。新橋ってオヤジの街ですよね。なんで、新橋が好きなんだろうと思っていましたが、たぶん私はめちゃくちゃ働くサラリーマンがいっぱいいるから、新橋が好きなんですよ。
新橋で降りると、胸が高鳴りますから(爆)。
だから、今の私はそうならないようにしなくてはいけないんですよ。お金のために、目に見える成績や、給料のために、子供と言う数字にできない感情や存在を、おろそかにしてはいけないんだって、言われているんですよね。それが私の今世の課題なんでしょうね。わかるまでに時間がかかりましたが、わかったら、仕事で成績が伸びないことで、自分をいたずらに責めなくなりました。「これも、ご縁のもの」と言い聞かせます。
でも、仕事に入るときは、例え指名のお客様でなくても、出会った限りは「この先生に会えてよかった」と感じていただけるように、一生懸命親身になって、相談業にはまりたいと思っていますよ。ただ、相談者の満足度を測ることはできません。知ることもできません。なので、相手の満足度に振り回されないように、「この鑑定は、私の伝えたいことが伝わったか、否か」自分が満足できるかどうかが、お客さんにつながっていくんだろうなって思います。
他人の人生に深くかかわるという仕事も大変ですが、成績もあると言うのはなおさらプレッシャーを感じますよ(苦笑)。
でも、自分の子供の面倒を見つつ、いつかちゃんと仕事で今よりも力を注げる日が来ると思うので、成績重視に偏らないように歩こうと思います。
もうめでたくもなんでもないけど(苦笑)、私の誕生日でした。
38才ですよ。38才!!
自分の年齢が時々信じがたくなってきました。書類に記載する際「あれ?いくつだったっけ?」と自らボケをかますこともあるくらいです。
あと38年、同じ時間を重ねたらおばあちゃんですよ。76才!!(汗)(汗)(汗)・・・。
誰から見ても、どうあがいても「おねえちゃん」「お嬢さん」ではないです。体だって、どこか欠陥のひとつでも出てくるかもしれませんよね。
私の子供たちだって、44才と43才になって、世の中の中年族です。そのころ日本はどうなっているでしょうね。資源のこと、環境のこと、心のこと。今より、貧乏な生活を強いられていても、心の面での豊かさが少しでもとりもどされ、悲しい事件が相次がない事を祈るばかりです。
子供たちはお誕生日にはけんかをしないでくれ、それがお母さんにとって最高のプレゼントだ、と言っておきましたら、兄弟げんかあまりしませんでしたね。毎日誕生日だったらいいのに・・・(ため息)
自分から自分へのプレゼントは、水晶クラスターです。
中国産なのでお安いのですが、ほどよい大きさで廉価でしたので、即決。
記念日にはいつも、自分で自分に石をプレゼントするようになりました。
洋服とかはユニクロで十分。石だけは、自分が気に入ったものがほしいと思いますね。家族で、イオンモールに出かけて、食べ放題を味わいました。しかも、食べ放題の店で、六歳と五歳の子供の年齢を、五歳と三歳と偽り、食費を浮かせた上、クーポン券を使ってさらにお得に済ませてしまったという、実に、エコノミーなバースディですよね~~(体が小さいことは、ネガティブなことばかりではないのです!)
誕生日の日は、朝、母親にメールを送りました。
携帯電話でメールを打つ、ということがようやくできるようになった母ですが、携帯電話を持つという習慣がないので、見てくれるのかどうかわからなかったけど、誕生日は自分を生んでくれた人に感謝する日だからということを実践しようと思って、生まれて初めて、母親に「生んでくれて、育ててくれてありがとう」と打ち、送りました。
本当は、ちゃんと目を合わせたり、顔を見ていってあげなくちゃいけないけど、なんだか気恥ずかしくてそんなこといえませんでしたし、そこまで親に感謝するという気持ちに目覚めていなかったんでしょうね。
「私は、お父さんとお母さんのもとに生まれて、育ててもらって、何の不安もない生活をさせてもらえて、本当に恵まれていると思うよ。」って。
これからの残りの人生は、誰かに与える人生を送りたいです。今まで私は与えてもらうばかりの人生でした。親、祖父母、兄、友達、師匠、仲間、同僚、ママ友達・・・。今度は自分が、未熟ながらも誰かをはぐくみ、頼られる存在に変わりたいのです。だから、与えてもらってばかりの人生で終わりたくないと思います。もちろん、現実的に子供のお世話やケア、精神的な支えになっていなくてはと思います。
ヒーラーになって、占い師になって、母親にもなって、まだまだ、資格試験をクリアしただけで、本当の実践で何もしていない。この命をちゃんと人のために役立てるように生きていない。
これからは、自分のために生きるのも大事、自分の周りの人のために生きるのはもっと貴い。
さて、珍しいことに母から、すぐにメールが返信されてきました。
携帯に不慣れな母が、一生懸命打ったと思える文章でした。
「おとうさんとふたりで応募してるからね」と最後に締めてありましたが「応援でしょ!」とメールに突っ込みを入れてしまいました(^^;
でも、そんな文章でも、気持ちが伝わってきたから。
いろんな不安や葛藤はありますが、38才という責任のある年齢に恥じないように、いろんなことを体験し、心を深めていこうと思います。
山羊座の性質そのままの堅い文章になっていますが、誰かの悲しみに寄り添い、誰かの喜びに一緒につきあえるような、そんな心を忘れず、命があるという当たり前の幸せを大事にできる、そんな38才の女性になりたいですね。あと、やせたいです。ハイ(爆)。
38才ですよ。38才!!
自分の年齢が時々信じがたくなってきました。書類に記載する際「あれ?いくつだったっけ?」と自らボケをかますこともあるくらいです。
あと38年、同じ時間を重ねたらおばあちゃんですよ。76才!!(汗)(汗)(汗)・・・。
誰から見ても、どうあがいても「おねえちゃん」「お嬢さん」ではないです。体だって、どこか欠陥のひとつでも出てくるかもしれませんよね。
私の子供たちだって、44才と43才になって、世の中の中年族です。そのころ日本はどうなっているでしょうね。資源のこと、環境のこと、心のこと。今より、貧乏な生活を強いられていても、心の面での豊かさが少しでもとりもどされ、悲しい事件が相次がない事を祈るばかりです。
子供たちはお誕生日にはけんかをしないでくれ、それがお母さんにとって最高のプレゼントだ、と言っておきましたら、兄弟げんかあまりしませんでしたね。毎日誕生日だったらいいのに・・・(ため息)
自分から自分へのプレゼントは、水晶クラスターです。
中国産なのでお安いのですが、ほどよい大きさで廉価でしたので、即決。
記念日にはいつも、自分で自分に石をプレゼントするようになりました。
洋服とかはユニクロで十分。石だけは、自分が気に入ったものがほしいと思いますね。家族で、イオンモールに出かけて、食べ放題を味わいました。しかも、食べ放題の店で、六歳と五歳の子供の年齢を、五歳と三歳と偽り、食費を浮かせた上、クーポン券を使ってさらにお得に済ませてしまったという、実に、エコノミーなバースディですよね~~(体が小さいことは、ネガティブなことばかりではないのです!)
誕生日の日は、朝、母親にメールを送りました。
携帯電話でメールを打つ、ということがようやくできるようになった母ですが、携帯電話を持つという習慣がないので、見てくれるのかどうかわからなかったけど、誕生日は自分を生んでくれた人に感謝する日だからということを実践しようと思って、生まれて初めて、母親に「生んでくれて、育ててくれてありがとう」と打ち、送りました。
本当は、ちゃんと目を合わせたり、顔を見ていってあげなくちゃいけないけど、なんだか気恥ずかしくてそんなこといえませんでしたし、そこまで親に感謝するという気持ちに目覚めていなかったんでしょうね。
「私は、お父さんとお母さんのもとに生まれて、育ててもらって、何の不安もない生活をさせてもらえて、本当に恵まれていると思うよ。」って。
これからの残りの人生は、誰かに与える人生を送りたいです。今まで私は与えてもらうばかりの人生でした。親、祖父母、兄、友達、師匠、仲間、同僚、ママ友達・・・。今度は自分が、未熟ながらも誰かをはぐくみ、頼られる存在に変わりたいのです。だから、与えてもらってばかりの人生で終わりたくないと思います。もちろん、現実的に子供のお世話やケア、精神的な支えになっていなくてはと思います。
ヒーラーになって、占い師になって、母親にもなって、まだまだ、資格試験をクリアしただけで、本当の実践で何もしていない。この命をちゃんと人のために役立てるように生きていない。
これからは、自分のために生きるのも大事、自分の周りの人のために生きるのはもっと貴い。
さて、珍しいことに母から、すぐにメールが返信されてきました。
携帯に不慣れな母が、一生懸命打ったと思える文章でした。
「おとうさんとふたりで応募してるからね」と最後に締めてありましたが「応援でしょ!」とメールに突っ込みを入れてしまいました(^^;
でも、そんな文章でも、気持ちが伝わってきたから。
いろんな不安や葛藤はありますが、38才という責任のある年齢に恥じないように、いろんなことを体験し、心を深めていこうと思います。
山羊座の性質そのままの堅い文章になっていますが、誰かの悲しみに寄り添い、誰かの喜びに一緒につきあえるような、そんな心を忘れず、命があるという当たり前の幸せを大事にできる、そんな38才の女性になりたいですね。あと、やせたいです。ハイ(爆)。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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