占い師としての成長日記
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早いですね。6月も今日で終わりです。
今朝、いつも息子を途中まで送っていくのですが、息子が「ママ、きれいな色の紫陽花を見つけたんだよ。こっちだよ。」と寄り道を推奨されたので、ちょっと道を変えて歩きました。
スカイブルーと紫の紫陽花が雨に濡れて満開でした。
紫陽花って、雨に濡れているのがこんなにも似合う花はないですね。朝の忙しい時間ですが、つい親子で立ち止まってしまいました。
今月も今日で終わりです。6月は天中殺の月でした。今年はそれを実感することの連続。全部健康関係のことでしたが。胃が荒れたり、今度は頭痛や耳の奥の違和感。舌も痛いし、のどの痛みがずっと消えない状態。
自分がポンコツになった・・・(涙)と実感したし、健康でいるときは自分の体なんて意識しないですから、自分の体が悲鳴を上げない限りは自由気ままでした。でも今は、諭された感じでうなだれる毎日です。
心の問題・・・というべきものもあります。
心の問題は、いつも仕事が教えてくれます。働くということは、そういうことなんですね。働くから壁にぶつかる。ぶつかるから考える。考えれば、きっと成長し、前よりも高い壁が来ても登れるようになる。その過程に身を置いているのです。
先日、占いの定例会議で輝夜師匠といろいろお話をしました。毎月一回だけですが、この日はとても私にとって特別な一日です。輝夜師匠と私は同じ仕事をしていますし、やはり、同じ道を歩いている人にしか理解できない葛藤や、苦しみ、課題があります。輝夜師匠と自分と何が違うんだろう、という疑問をずっと感じてきていました。占い師としてというより、人間として、自分が足りないものをいつも教えてもらっています。
今月の会議では「分析力」という言葉が、私の中の大きなキーワードになりました。分析力の差が、言葉の違いになり、意識の違いになり、レベルの違いになっているのです。
分析するって、凄く大事なことなんですよ。
占い師の命綱というべきものかもしれません。
占いの現場だけで分析するんじゃなくて、日々の生活の中で人の気持ちを分析してみる。人がなぜこういう言動を取ったのか自分なりに推測してみる。なぜそうなるのかを分析する。自分の言葉で分析する。
こういう訓練をしているかしていないかで、占い師としての成長が全然違ってくるんですよね。
案外、自分のことは分析できていても、他人のことは分析していないものだということも、この日感じたことでした。
自分の夫。自分の子供。親や兄弟。それから義理の両親のことも。
なぜそういう行動をとるのか。どうすればいいのか。身近な人ほど、私は流れに任せて考えてきていなかったかもしれません。
占い師って、知識を学んだ段階でなれるのかもしれないけれど、本物の占い師になるのはすごくすごく・・・大変な道のりで、人間力が勝負です。
こんなに辛い道だとは、正直思っていませんでした。皆さんも占い師が厳しい道だなんてそんなに感じないかもしれませんよね。私もそうでした。
何が厳しいかって、他人の相談を受けることが厳しいんじゃないんです。
他人のグチや、正しくないと思える内容を聞くことは確かに大変ですが、それ以上に、一番辛いのは、お客様に「返す言葉を持っていない」と感じるときが一番むなしく、自己反省のみで終わるときが一番辛い。
要は、自分の引き出しに、回答になるようなものを持っていないと、お客さんに何もいえなくなる。自分でそれに気がついてしまうとき、自分の力不足をまざまざと感じるとき、私はダメなんだと思って落ち込んできました。でもそれを招いたのは、日々、「良く見る。分析してみる。自分なりの解釈を作っておく」という部分に手抜きがあったからです。
気づいたらやるしかありません。
知らないままならできないけれど、教えてもらったことは実行しないと、それはもう怠慢になってしまう。また私の課題が増えました。
それから、自分で自分をダメだと思うと、本当に救えません。
体調が悪い上に、精神で自分を持ち上げられなくなったら、本当によろしくない。そしたら、もう一人の自分にすごく怒られたんですね。「落ち込む暇があったら仕事に集中しろ!」って。
自分のことを自分で助け、そしてまた歩き出す。
そんな毎日が、6月には繰り返されていました。そしてまた、ヒントを得て水を得た今日から、昨日の繰り返しにならないようにしています。
何かが変わって、ちゃんと目標の自分ができあがっていくといいなあ。
今朝、いつも息子を途中まで送っていくのですが、息子が「ママ、きれいな色の紫陽花を見つけたんだよ。こっちだよ。」と寄り道を推奨されたので、ちょっと道を変えて歩きました。
スカイブルーと紫の紫陽花が雨に濡れて満開でした。
紫陽花って、雨に濡れているのがこんなにも似合う花はないですね。朝の忙しい時間ですが、つい親子で立ち止まってしまいました。
今月も今日で終わりです。6月は天中殺の月でした。今年はそれを実感することの連続。全部健康関係のことでしたが。胃が荒れたり、今度は頭痛や耳の奥の違和感。舌も痛いし、のどの痛みがずっと消えない状態。
自分がポンコツになった・・・(涙)と実感したし、健康でいるときは自分の体なんて意識しないですから、自分の体が悲鳴を上げない限りは自由気ままでした。でも今は、諭された感じでうなだれる毎日です。
心の問題・・・というべきものもあります。
心の問題は、いつも仕事が教えてくれます。働くということは、そういうことなんですね。働くから壁にぶつかる。ぶつかるから考える。考えれば、きっと成長し、前よりも高い壁が来ても登れるようになる。その過程に身を置いているのです。
先日、占いの定例会議で輝夜師匠といろいろお話をしました。毎月一回だけですが、この日はとても私にとって特別な一日です。輝夜師匠と私は同じ仕事をしていますし、やはり、同じ道を歩いている人にしか理解できない葛藤や、苦しみ、課題があります。輝夜師匠と自分と何が違うんだろう、という疑問をずっと感じてきていました。占い師としてというより、人間として、自分が足りないものをいつも教えてもらっています。
今月の会議では「分析力」という言葉が、私の中の大きなキーワードになりました。分析力の差が、言葉の違いになり、意識の違いになり、レベルの違いになっているのです。
分析するって、凄く大事なことなんですよ。
占い師の命綱というべきものかもしれません。
占いの現場だけで分析するんじゃなくて、日々の生活の中で人の気持ちを分析してみる。人がなぜこういう言動を取ったのか自分なりに推測してみる。なぜそうなるのかを分析する。自分の言葉で分析する。
こういう訓練をしているかしていないかで、占い師としての成長が全然違ってくるんですよね。
案外、自分のことは分析できていても、他人のことは分析していないものだということも、この日感じたことでした。
自分の夫。自分の子供。親や兄弟。それから義理の両親のことも。
なぜそういう行動をとるのか。どうすればいいのか。身近な人ほど、私は流れに任せて考えてきていなかったかもしれません。
占い師って、知識を学んだ段階でなれるのかもしれないけれど、本物の占い師になるのはすごくすごく・・・大変な道のりで、人間力が勝負です。
こんなに辛い道だとは、正直思っていませんでした。皆さんも占い師が厳しい道だなんてそんなに感じないかもしれませんよね。私もそうでした。
何が厳しいかって、他人の相談を受けることが厳しいんじゃないんです。
他人のグチや、正しくないと思える内容を聞くことは確かに大変ですが、それ以上に、一番辛いのは、お客様に「返す言葉を持っていない」と感じるときが一番むなしく、自己反省のみで終わるときが一番辛い。
要は、自分の引き出しに、回答になるようなものを持っていないと、お客さんに何もいえなくなる。自分でそれに気がついてしまうとき、自分の力不足をまざまざと感じるとき、私はダメなんだと思って落ち込んできました。でもそれを招いたのは、日々、「良く見る。分析してみる。自分なりの解釈を作っておく」という部分に手抜きがあったからです。
気づいたらやるしかありません。
知らないままならできないけれど、教えてもらったことは実行しないと、それはもう怠慢になってしまう。また私の課題が増えました。
それから、自分で自分をダメだと思うと、本当に救えません。
体調が悪い上に、精神で自分を持ち上げられなくなったら、本当によろしくない。そしたら、もう一人の自分にすごく怒られたんですね。「落ち込む暇があったら仕事に集中しろ!」って。
自分のことを自分で助け、そしてまた歩き出す。
そんな毎日が、6月には繰り返されていました。そしてまた、ヒントを得て水を得た今日から、昨日の繰り返しにならないようにしています。
何かが変わって、ちゃんと目標の自分ができあがっていくといいなあ。
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内視鏡を受け(地獄のツアーだった)、胃酸を押さえる薬を処方してもらいながら、この病気のいろんな対策や原因を調べる毎日・・・。
一回、この病気になると、胃酸を押さえたりする薬を服用する以外、根本的な改善策はない、つまり、治らないということなんですよね。
でもね、この不快感はたまらないですよ。これが一生続くのか・・・と考えると、本当にテンションが下がってしまう。
でも、今、私は月の天中殺の真っ只中にいます。私は午未空亡で、細木さんの六星占術でいえば火星人です。午未の月は6,7月ですから、今月から来月にかけては、私の抱えている問題が表面化しやすいときです。いきなり訪れる不幸ではないのですよね。ちゃんと伏線があって、それに火がついていても気がつかなかった。天中殺の時は、いよいよその問題が表に顔を出すのですから、一般的な捉え方をするのなら「嫌なことが起きる」期間といえますが、でもこの時期に起きたことは、自分への戒めのためのメッセージと捉えたら、天中殺は恐れるものではなく、受け止めるものに変わるのかもしれません。それが私にとって、この胃の不調、病気なんですよね。
現実の私を知っている人はよくわかっていると思いますが、私はよく食べます(爆)!!!。目覚めれば食べ、お腹が満たされていても食べられます。お酒やタバコはしないものの、ストレスで食べて太るタイプです。それからダラダラ食いと早食いは得意科目です。食べ歩きや、こってりしたものが大好き!スパゲッティはもちろんカルボナーラ!!!バイキング大好き!デザートがなければ食事とはいえない派。コーヒーだって大好きです。一日何倍飲むでしょうか。夜食べるおやつ(特にカカオの誘惑はたまらない!)は特に美味倍増。
そんな私が「腹八分目」を実行することは、東大に入るのと同じくらい難しいかも?
でも、現実に、夕食を食べてから今、7時間経過しているのに、今も胃がもたれて、げっぷがとまらなかったり、胃から満腹感が消えない。でも口は食べたいわけです。
土曜日から強い胃痛が抜けず、日曜日は、普通に朝食をとったあと、猛烈な吐き気に襲われ、何を食べても吐いてしまい、りんごをかじってもそれすら受け付けられず、トイレとお友達に。さすがに参りました。病院で診察を受け、「土曜日に何かあった?」と聞かれ、土曜日にはちょっとしたことがあったのでそれを伝えると「ストレスで胃酸がたくさん出ると、こうやって吐いちゃうんだよ。」と言われました。
この病気の大敵は、食べすぎ、食べてすぐ横になること、コーヒーやお酒、刺激物、甘いもの、チョコやあんこはタブーみたいです。
夜遅い時間の食事、肥満もこの病気を引き起こします。
もうまさに、発症するまえの私の食生活を指摘されているかのようなこの病気のタブー。
そう、私は、食べることでいい思いをしてきましたが、それなりの代償はいつかこういう形で払わなければならなくなるんですよね。ストレスが食に走るのもあまりよろしくない。自分をどこかで律しなければ、こういう形で胃が弱ることもあるんです。
食べることが苦痛になってしまうなんて、それだけで人生の楽しみが奪われてしまうようなものですが、自分が体を管理している唯一の人物。誰の責任でもありません。私が、私の管理不行き届きなんですよ。
今、和食を中心にして、食生活の改善をしていますが、あんこはシャットアウトできないなあ(苦笑)。ハーブティーや整体や鍼などで、できるだけ胃酸を押さえる薬に頼らない生活改善や体質の改善を目指します。
食べられないってものすごく辛いですよ。特に私のような「食べるのが趣味」みたいな人間には。
病気の温床は自分で作ったものなんですよね。それをちゃんと受け止めれば、そこに気がつかねばならない大事なヒントがあるのかもしれません。
皆さん、自分の体をいたわりましょう。食の楽しみを奪われたら、違うストレスがまたかかってきますよ(^^;;
一回、この病気になると、胃酸を押さえたりする薬を服用する以外、根本的な改善策はない、つまり、治らないということなんですよね。
でもね、この不快感はたまらないですよ。これが一生続くのか・・・と考えると、本当にテンションが下がってしまう。
でも、今、私は月の天中殺の真っ只中にいます。私は午未空亡で、細木さんの六星占術でいえば火星人です。午未の月は6,7月ですから、今月から来月にかけては、私の抱えている問題が表面化しやすいときです。いきなり訪れる不幸ではないのですよね。ちゃんと伏線があって、それに火がついていても気がつかなかった。天中殺の時は、いよいよその問題が表に顔を出すのですから、一般的な捉え方をするのなら「嫌なことが起きる」期間といえますが、でもこの時期に起きたことは、自分への戒めのためのメッセージと捉えたら、天中殺は恐れるものではなく、受け止めるものに変わるのかもしれません。それが私にとって、この胃の不調、病気なんですよね。
現実の私を知っている人はよくわかっていると思いますが、私はよく食べます(爆)!!!。目覚めれば食べ、お腹が満たされていても食べられます。お酒やタバコはしないものの、ストレスで食べて太るタイプです。それからダラダラ食いと早食いは得意科目です。食べ歩きや、こってりしたものが大好き!スパゲッティはもちろんカルボナーラ!!!バイキング大好き!デザートがなければ食事とはいえない派。コーヒーだって大好きです。一日何倍飲むでしょうか。夜食べるおやつ(特にカカオの誘惑はたまらない!)は特に美味倍増。
そんな私が「腹八分目」を実行することは、東大に入るのと同じくらい難しいかも?
でも、現実に、夕食を食べてから今、7時間経過しているのに、今も胃がもたれて、げっぷがとまらなかったり、胃から満腹感が消えない。でも口は食べたいわけです。
土曜日から強い胃痛が抜けず、日曜日は、普通に朝食をとったあと、猛烈な吐き気に襲われ、何を食べても吐いてしまい、りんごをかじってもそれすら受け付けられず、トイレとお友達に。さすがに参りました。病院で診察を受け、「土曜日に何かあった?」と聞かれ、土曜日にはちょっとしたことがあったのでそれを伝えると「ストレスで胃酸がたくさん出ると、こうやって吐いちゃうんだよ。」と言われました。
この病気の大敵は、食べすぎ、食べてすぐ横になること、コーヒーやお酒、刺激物、甘いもの、チョコやあんこはタブーみたいです。
夜遅い時間の食事、肥満もこの病気を引き起こします。
もうまさに、発症するまえの私の食生活を指摘されているかのようなこの病気のタブー。
そう、私は、食べることでいい思いをしてきましたが、それなりの代償はいつかこういう形で払わなければならなくなるんですよね。ストレスが食に走るのもあまりよろしくない。自分をどこかで律しなければ、こういう形で胃が弱ることもあるんです。
食べることが苦痛になってしまうなんて、それだけで人生の楽しみが奪われてしまうようなものですが、自分が体を管理している唯一の人物。誰の責任でもありません。私が、私の管理不行き届きなんですよ。
今、和食を中心にして、食生活の改善をしていますが、あんこはシャットアウトできないなあ(苦笑)。ハーブティーや整体や鍼などで、できるだけ胃酸を押さえる薬に頼らない生活改善や体質の改善を目指します。
食べられないってものすごく辛いですよ。特に私のような「食べるのが趣味」みたいな人間には。
病気の温床は自分で作ったものなんですよね。それをちゃんと受け止めれば、そこに気がつかねばならない大事なヒントがあるのかもしれません。
皆さん、自分の体をいたわりましょう。食の楽しみを奪われたら、違うストレスがまたかかってきますよ(^^;;
占いでも、レイキでも何にも関係ない日記です(苦笑)。
実は、昨日、胃の内視鏡検査を受けました。
内視鏡検査体験記です。
引越しを終えた頃からのどにつまり感を覚えたり、溶連菌感染後は、常に腸のあたりに痛みがあったり、胃にガスがたまってすごく苦しくて、げっぷばかりが出るんですよ。さすがに不快感が強く、胃腸科専門の病院にいきました。
「胃食道逆流症」といって、胃酸が食道に上がってきてしまうため、そのために食道が胃酸で荒れて痛みを感じることになったらしいんです。
で、通常胃の入り口はふたがしまっていて、胃液が食道に流れ込まないようになっているんです。ところが、それがゆるくなってくるとこういう現象が起きる。
「どうしてゆるくなってしまったんですか?治るんですか?」
と質問した私に、男性の先生は、「言っていいのかな?」という顔をして
「う~~ん・・・これはね、年をとるとそうなるんだよ。」と目をそらしながらもきっぱりとおっしゃられました。つまり加齢が原因と(苦笑)。
でも一応、これは腸ではなく胃に問題があるかもしれないから、内視鏡を一度しましょうかということで、この検査となったんです。
生まれてはじめての内視鏡検査!
検査前に看護婦さんに「あ、あの・・・痛いんですか?」と恐る恐る質問したら「痛くないですよ~~(ニコニコ)。飲み込むのがちょっと気持ち悪いだけですけど大丈夫で~す。」と笑顔で回答してもらったので、「そっか、じゃあ大丈夫ね。」なんて胸をなでおろしたんですが、そんな看護婦さんの言葉は私には適用されなかったみたいです・・・。
まず胃をきれいにするお薬(ヤクルトに苦い薬をまぜたようなもの)をのまされ、次にのどの麻酔といって、超・超にがい薬でうがいをするんです。三回にわけて、一口10秒ずつ。でも、あまりの苦さにすぐに吐き出してしまいそう!うがいをするだけで麻酔になるのか?と半信半疑でしたが、三回目を終えたあとは、歯医者の麻酔のように、口全体が何だかしびれ始めてきました。っていうより、あまりのまずさに口が麻痺しているんじゃないか。これを麻酔と言い換えているだけだと私は思うのですが。
なのに、寝転んだ私にまたもう一回「これが最後の麻酔です~」といきなり注射器でジェル状の薬が口内に投函されました。
「うえ~~~~まずぅぅぅ」(これはあくまで心の中の叫びです)。
麻酔というより、口の中がすごい味の狂奏曲状態。
これで準備がOKになるんですが、この準備だけでかなり私の気持ちが下がってしまいました・・・。
先生が出てきて内視鏡を入れることになります。
とにかくのどに力を入れないこと。絶対に飲まないでね、と何度も念を押されました。口を開きっぱなしにするのでよだれが出るのですが、それを飲み込むとものすごく辛いので、飲まないでそのまま垂らしてくださいとも。のどに力を入れるなってどういうこと・・・?と思っているうちに内視鏡が入ってきました。
うわっっ(XoX)
気持ち悪いなんてもんじゃありません。異物が入ってきたのですね。
で、のどに力を入れてはいけないという鉄則を忘れまくった私は、ずっとつわりのようにものすごい吐き気と戦いました。
こういうとき「これは出産よりはましだ。出産はもっと大変だった。あれより辛いことはないはずだ。」と言い聞かせるようにしていたんですが、出産より時間が短いのに、これもこれで辛すぎる。
看護婦さんが言うように痛いということではないんですが、とにかく気持ち悪い・・・。
胃に空気を送ると言われたんですが、そもそもガスがたまっていた私の胃にさらに空気を送られて、胃液があがってくるし、胃が膨らんでくるし、自分の体が分解されるみたいで、とにかく苦痛でした。もちろん、私は先生の教えを破り、内視鏡を飲み込んでしまうのでさらに苦痛に。
最後は涙まで出てきて、その上鼻水が流出し、横になっていたのですが、顔の下に敷いたタオルはよだれと鼻水となみだでびしょぬれ。
さらに鼻風船まで作って、私はオエオエ、内視鏡の旅を終えたわけです。これ、ある意味出産よりも過酷な・・・。
最後は先生もあきらめモードになり「わかった。いいよ。好きに呼吸して。」と言いました。
看護婦さんが言うように、確かに痛いということではないんですが、もんのすごい、気持ちが悪かった・・・。体の中に何かが入っていく感覚・・・。体の中に一本の線が入っていって、それが感触としてもぞもぞ動くんですよ。怖すぎます。深呼吸してなんて、できませんでした。
検査結果で大きな病気は見つからなかったのですが、やっぱり食道が荒れていて、胃の入り口の締まりが悪くなっていたことと、胃腸の働きが落ちていることを指摘されました。
ストレスからくる大食い。甘いものとかコーヒーが大好きな食生活。
先生にはいえませんが、私なりに思い当たる原因があります。
でも・・・こんなに内視鏡が辛いのなら、もう内視鏡受けたくないから、私頑張って食生活を改善しますよ・・・。検査のためにずっと空腹でしたが、あまりにも検査が辛かったのと、胃の不快感がまた戻ってきてしまって、家に帰っても、何かを食べる気力が失われました。
自分にとって腸の動きが悪いのは自覚としてあったのですが、胃に関しては鉄壁の胃袋という自信があったんです。
でも、さすがにそれは過信でした。胃食道逆流症の最大の敵は食べすぎです。私は今後バイキングに出入り禁止ですね(^^;;。
実は、昨日、胃の内視鏡検査を受けました。
内視鏡検査体験記です。
引越しを終えた頃からのどにつまり感を覚えたり、溶連菌感染後は、常に腸のあたりに痛みがあったり、胃にガスがたまってすごく苦しくて、げっぷばかりが出るんですよ。さすがに不快感が強く、胃腸科専門の病院にいきました。
「胃食道逆流症」といって、胃酸が食道に上がってきてしまうため、そのために食道が胃酸で荒れて痛みを感じることになったらしいんです。
で、通常胃の入り口はふたがしまっていて、胃液が食道に流れ込まないようになっているんです。ところが、それがゆるくなってくるとこういう現象が起きる。
「どうしてゆるくなってしまったんですか?治るんですか?」
と質問した私に、男性の先生は、「言っていいのかな?」という顔をして
「う~~ん・・・これはね、年をとるとそうなるんだよ。」と目をそらしながらもきっぱりとおっしゃられました。つまり加齢が原因と(苦笑)。
でも一応、これは腸ではなく胃に問題があるかもしれないから、内視鏡を一度しましょうかということで、この検査となったんです。
生まれてはじめての内視鏡検査!
検査前に看護婦さんに「あ、あの・・・痛いんですか?」と恐る恐る質問したら「痛くないですよ~~(ニコニコ)。飲み込むのがちょっと気持ち悪いだけですけど大丈夫で~す。」と笑顔で回答してもらったので、「そっか、じゃあ大丈夫ね。」なんて胸をなでおろしたんですが、そんな看護婦さんの言葉は私には適用されなかったみたいです・・・。
まず胃をきれいにするお薬(ヤクルトに苦い薬をまぜたようなもの)をのまされ、次にのどの麻酔といって、超・超にがい薬でうがいをするんです。三回にわけて、一口10秒ずつ。でも、あまりの苦さにすぐに吐き出してしまいそう!うがいをするだけで麻酔になるのか?と半信半疑でしたが、三回目を終えたあとは、歯医者の麻酔のように、口全体が何だかしびれ始めてきました。っていうより、あまりのまずさに口が麻痺しているんじゃないか。これを麻酔と言い換えているだけだと私は思うのですが。
なのに、寝転んだ私にまたもう一回「これが最後の麻酔です~」といきなり注射器でジェル状の薬が口内に投函されました。
「うえ~~~~まずぅぅぅ」(これはあくまで心の中の叫びです)。
麻酔というより、口の中がすごい味の狂奏曲状態。
これで準備がOKになるんですが、この準備だけでかなり私の気持ちが下がってしまいました・・・。
先生が出てきて内視鏡を入れることになります。
とにかくのどに力を入れないこと。絶対に飲まないでね、と何度も念を押されました。口を開きっぱなしにするのでよだれが出るのですが、それを飲み込むとものすごく辛いので、飲まないでそのまま垂らしてくださいとも。のどに力を入れるなってどういうこと・・・?と思っているうちに内視鏡が入ってきました。
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気持ち悪いなんてもんじゃありません。異物が入ってきたのですね。
で、のどに力を入れてはいけないという鉄則を忘れまくった私は、ずっとつわりのようにものすごい吐き気と戦いました。
こういうとき「これは出産よりはましだ。出産はもっと大変だった。あれより辛いことはないはずだ。」と言い聞かせるようにしていたんですが、出産より時間が短いのに、これもこれで辛すぎる。
看護婦さんが言うように痛いということではないんですが、とにかく気持ち悪い・・・。
胃に空気を送ると言われたんですが、そもそもガスがたまっていた私の胃にさらに空気を送られて、胃液があがってくるし、胃が膨らんでくるし、自分の体が分解されるみたいで、とにかく苦痛でした。もちろん、私は先生の教えを破り、内視鏡を飲み込んでしまうのでさらに苦痛に。
最後は涙まで出てきて、その上鼻水が流出し、横になっていたのですが、顔の下に敷いたタオルはよだれと鼻水となみだでびしょぬれ。
さらに鼻風船まで作って、私はオエオエ、内視鏡の旅を終えたわけです。これ、ある意味出産よりも過酷な・・・。
最後は先生もあきらめモードになり「わかった。いいよ。好きに呼吸して。」と言いました。
看護婦さんが言うように、確かに痛いということではないんですが、もんのすごい、気持ちが悪かった・・・。体の中に何かが入っていく感覚・・・。体の中に一本の線が入っていって、それが感触としてもぞもぞ動くんですよ。怖すぎます。深呼吸してなんて、できませんでした。
検査結果で大きな病気は見つからなかったのですが、やっぱり食道が荒れていて、胃の入り口の締まりが悪くなっていたことと、胃腸の働きが落ちていることを指摘されました。
ストレスからくる大食い。甘いものとかコーヒーが大好きな食生活。
先生にはいえませんが、私なりに思い当たる原因があります。
でも・・・こんなに内視鏡が辛いのなら、もう内視鏡受けたくないから、私頑張って食生活を改善しますよ・・・。検査のためにずっと空腹でしたが、あまりにも検査が辛かったのと、胃の不快感がまた戻ってきてしまって、家に帰っても、何かを食べる気力が失われました。
自分にとって腸の動きが悪いのは自覚としてあったのですが、胃に関しては鉄壁の胃袋という自信があったんです。
でも、さすがにそれは過信でした。胃食道逆流症の最大の敵は食べすぎです。私は今後バイキングに出入り禁止ですね(^^;;。
現在の電話占いの会社に所属してようやく一年、いや、あっというまに一年を迎えることになった。
思えば、スタート時からつまづきっぱなしの自分。
当初予定していたスタートの日に、息子が風邪で学校を休んでしまい、二日も出遅れてしまったこと。
この一年間、毎月必ず子供のどちらかが風邪だったり、怪我をして呼び出されたこともあるし、本当に、臨時休業ばかりだった・・・。
家で仕事をすると、確かに通勤の手間も、ランチの心配もしなくていいけれど、とても孤独で、電話がならない日は特に不安度が高かった・・・。
この会社に所属できる鑑定士になることがずっと目標だった。
それを達成したとき、すごく嬉しかったし、やっぱり自分が誇らしかった。でも、現実の毎日の仕事は、自分の甘さを「これでもかっ!」と思い知らされ、何度も何度も「本当にこれでいいの?」「私の鑑定でお客さんは満足したの?」「可もなく不可もない鑑定をしているような気がする」
「個性の見せ方がわからない」「私の鑑定ってどういうスタイル?」
本当に、次々と新しいハードルが私の目の前に差し出されるので、それを乗り越えていたらあっという間に一年経ってしまった。
いつの間にか、占いをする楽しさ、学ぶことが楽しいという気持ちが薄れ、指名数だとか、リピーターの有無に気をとられてしまったり、成績重視になって、鑑定自体を苦痛に感じてしまうこともあった。
私は、どうすれば、魅力のある人間になれるの?
私に心を開こうと思ってもらえるような、そんな人間にどうすればなれるの?愛のある鑑定士ってどういう人なの?
ずっとそればかりを考えている。それはもちろん、現在も実行中。
同じ仕事をしている輝夜師匠にずいぶん話を聞いてもらったり、情報交換をしてきたので、それが私にとっての救いであり、光だった。
それがなかったら、私はとっくにどこかでドロップアウトしていたかもしれない。それだけ、この仕事は葛藤とそれに伴う成長もあるけれど、何事にも動じない自身の精神力と集中力が求められる仕事だと思う。それ以上に、人生観というべきものか、自分の哲学をしっかり持っていないと、揺らいでばかりになってしまう。
お客様満足度ばかりに気をとられてスタートした一年前。
今は、自分が自分の心からの言葉をつむげる鑑定ができるのが目標。
80歳になっても、第一線で信頼される人間でいたい!!
二年目にはいるけれど、今度はちょっと頑張って、待機を増やしていくつもりです。
思えば、スタート時からつまづきっぱなしの自分。
当初予定していたスタートの日に、息子が風邪で学校を休んでしまい、二日も出遅れてしまったこと。
この一年間、毎月必ず子供のどちらかが風邪だったり、怪我をして呼び出されたこともあるし、本当に、臨時休業ばかりだった・・・。
家で仕事をすると、確かに通勤の手間も、ランチの心配もしなくていいけれど、とても孤独で、電話がならない日は特に不安度が高かった・・・。
この会社に所属できる鑑定士になることがずっと目標だった。
それを達成したとき、すごく嬉しかったし、やっぱり自分が誇らしかった。でも、現実の毎日の仕事は、自分の甘さを「これでもかっ!」と思い知らされ、何度も何度も「本当にこれでいいの?」「私の鑑定でお客さんは満足したの?」「可もなく不可もない鑑定をしているような気がする」
「個性の見せ方がわからない」「私の鑑定ってどういうスタイル?」
本当に、次々と新しいハードルが私の目の前に差し出されるので、それを乗り越えていたらあっという間に一年経ってしまった。
いつの間にか、占いをする楽しさ、学ぶことが楽しいという気持ちが薄れ、指名数だとか、リピーターの有無に気をとられてしまったり、成績重視になって、鑑定自体を苦痛に感じてしまうこともあった。
私は、どうすれば、魅力のある人間になれるの?
私に心を開こうと思ってもらえるような、そんな人間にどうすればなれるの?愛のある鑑定士ってどういう人なの?
ずっとそればかりを考えている。それはもちろん、現在も実行中。
同じ仕事をしている輝夜師匠にずいぶん話を聞いてもらったり、情報交換をしてきたので、それが私にとっての救いであり、光だった。
それがなかったら、私はとっくにどこかでドロップアウトしていたかもしれない。それだけ、この仕事は葛藤とそれに伴う成長もあるけれど、何事にも動じない自身の精神力と集中力が求められる仕事だと思う。それ以上に、人生観というべきものか、自分の哲学をしっかり持っていないと、揺らいでばかりになってしまう。
お客様満足度ばかりに気をとられてスタートした一年前。
今は、自分が自分の心からの言葉をつむげる鑑定ができるのが目標。
80歳になっても、第一線で信頼される人間でいたい!!
二年目にはいるけれど、今度はちょっと頑張って、待機を増やしていくつもりです。
詳細はいつか書くことになると思いますが、今週、ものすごくヘビーなことがありました。
抱えていた問題に決着をつけなければならなかった、そんなことがあり、たくさん泣きました。
たまらなくなってしまい、お仕事が終わるや否や、輝夜師匠に電話を入れて話を聞いてもらいました。輝夜師匠はちょうどお食事をとっていたという至福の時間だったのに、私の涙涙攻撃を「うん、うん。」といって、ずっと聞いてくれて、付き合ってくれました。
今でも、気持ちの整理がすっかりついたわけではないのですが、どの道を歩くべきなのか、という結論だけはわかりました。
でも、仕事中は絶対に明るく応対♪
人として生きていくためには、時に「地獄だ」とわかっていても、それしか道がないときはそちらを進まねばならないときがあります。
そんな分岐点を通り過ぎ、地獄でも、生き残るために進むことを選択したといえば、大げさかしら?(笑)。
それでも、私の泣きたい気持ちを、黙って受け入れてくれた存在がいることに、神様は見捨ててないんだなって思いますよ。
ありがたいです。本当に嬉しかったです。
今日は子供の学校公開日でした。
私は隔週金曜日の朝、息子のクラスに絵本の読み聞かせボランティアに参加しているのですが、今日は私が絵本を読む日でした。
絵本をめくり、腹から大きな声をだして読むと、騒いでいた子供たちが絵本に聞き入ってくれて、長い話でしたが最後まで緊張感が途切れませんでした。
自己満足かもしれませんが、こうした瞬間が私の人生に落ちていると、せれでも泣いてばかりもいられないなって思いました。
そのあと、学校公開日だったので、引き続きクラスを参観していました。
子供たちの書いた作文帳を「ご自由に閲覧ください」と、置いてあったので、息子の作文帳に手を伸ばし、彼の作文を見ることができました。
どうやら、「ひっこしてきたみさ」という話が、国語の教科書に載っているのですが、みさは二年生で、引っ越してきたばかりで友達がいないのですが、ある日、近所でしんやくんという男の子と出会い、けんかになるのですが、最後にはちょっとだけ仲良くなるお話です。
そのみさに手紙を書こうということで作文帳に、息子からみさへの手紙がつづられていました。全部みさへの質問系の文章です(^^;;;
そのなかで「しんやくんはどんな男の子ですか。こころのつよい男の子ですか。」という一行がありました。
私はよく「おこころの強い男の子になったね。」と完了形で息子の頭をなでますが(おこころの強い男の子になってね、という願望系より、なった、と言ったほうがいいような気がしていつもこういっています)、こんな作文にこの口癖が出たので私は大爆笑してしまう自分を抑えるのに必死でした。
息子の過ごした幼稚園(キリスト教の幼稚園なので聖書からの教えがとてもよかったです)から教えてもらったとっても大事な言葉。ある種、我が家の教育の方針。
「こころを強くしていなさい」
それが、ちゃんと息子の心の奥に刷り込まれているんだってことを、作文ですが、教えてもらえて、私にとっては至福のプレゼントでした。
捨てる神あれば、拾う神あり。
子供の言葉が、何だか私に「大丈夫、ちゃんと見ていますよ。」って教えてもらえたような温かさを感じました。私こそが、こころが強くなりたいですよ。
抱えていた問題に決着をつけなければならなかった、そんなことがあり、たくさん泣きました。
たまらなくなってしまい、お仕事が終わるや否や、輝夜師匠に電話を入れて話を聞いてもらいました。輝夜師匠はちょうどお食事をとっていたという至福の時間だったのに、私の涙涙攻撃を「うん、うん。」といって、ずっと聞いてくれて、付き合ってくれました。
今でも、気持ちの整理がすっかりついたわけではないのですが、どの道を歩くべきなのか、という結論だけはわかりました。
でも、仕事中は絶対に明るく応対♪
人として生きていくためには、時に「地獄だ」とわかっていても、それしか道がないときはそちらを進まねばならないときがあります。
そんな分岐点を通り過ぎ、地獄でも、生き残るために進むことを選択したといえば、大げさかしら?(笑)。
それでも、私の泣きたい気持ちを、黙って受け入れてくれた存在がいることに、神様は見捨ててないんだなって思いますよ。
ありがたいです。本当に嬉しかったです。
今日は子供の学校公開日でした。
私は隔週金曜日の朝、息子のクラスに絵本の読み聞かせボランティアに参加しているのですが、今日は私が絵本を読む日でした。
絵本をめくり、腹から大きな声をだして読むと、騒いでいた子供たちが絵本に聞き入ってくれて、長い話でしたが最後まで緊張感が途切れませんでした。
自己満足かもしれませんが、こうした瞬間が私の人生に落ちていると、せれでも泣いてばかりもいられないなって思いました。
そのあと、学校公開日だったので、引き続きクラスを参観していました。
子供たちの書いた作文帳を「ご自由に閲覧ください」と、置いてあったので、息子の作文帳に手を伸ばし、彼の作文を見ることができました。
どうやら、「ひっこしてきたみさ」という話が、国語の教科書に載っているのですが、みさは二年生で、引っ越してきたばかりで友達がいないのですが、ある日、近所でしんやくんという男の子と出会い、けんかになるのですが、最後にはちょっとだけ仲良くなるお話です。
そのみさに手紙を書こうということで作文帳に、息子からみさへの手紙がつづられていました。全部みさへの質問系の文章です(^^;;;
そのなかで「しんやくんはどんな男の子ですか。こころのつよい男の子ですか。」という一行がありました。
私はよく「おこころの強い男の子になったね。」と完了形で息子の頭をなでますが(おこころの強い男の子になってね、という願望系より、なった、と言ったほうがいいような気がしていつもこういっています)、こんな作文にこの口癖が出たので私は大爆笑してしまう自分を抑えるのに必死でした。
息子の過ごした幼稚園(キリスト教の幼稚園なので聖書からの教えがとてもよかったです)から教えてもらったとっても大事な言葉。ある種、我が家の教育の方針。
「こころを強くしていなさい」
それが、ちゃんと息子の心の奥に刷り込まれているんだってことを、作文ですが、教えてもらえて、私にとっては至福のプレゼントでした。
捨てる神あれば、拾う神あり。
子供の言葉が、何だか私に「大丈夫、ちゃんと見ていますよ。」って教えてもらえたような温かさを感じました。私こそが、こころが強くなりたいですよ。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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