占い師としての成長日記
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土日は息子の親子キャンプに参加してきました。東京なの?と思ってしまうような山奥に連れて行かれ、子供たちはいろんな遊びを提供してもらい、参加した母親たちはずっとお手伝い(食事の支度に子供たちに危険がないか見る)でした。ボーイスカウトに入って8ヶ月ですが、スカウト活動を通じて、親子で参加することがとても多く、今回のキャンプはその極みでしたね。
今、ボーイスカウト活動は少子化の影響なのか、スカウト自体を獲得することが難しく、また指導者になってくれる人も割と高齢(失礼!)の人が多くなっているので、いろんな問題があるかと思いますが、私たちの所属する団はとてもいい指導者やフォローの大人に恵まれ、習い事では味わえない感覚をいっぱい教えてもらっています。自然の中に連れ出してもらい、親から離れていろんな勉強や体験をすることは、子供たちにかけがえのないものを育てていくと思っています(スカウト活動中は、子供と母親は分離されています。指導者がスカウトを引率するので、母親はいろんなバックアップ体勢を整えてあげるだけです)。
幼稚園年長の9月から小学校2年生の9月までがビーバー隊。
ビーバーを卒業したら、カブ隊、それからボーイ、ベンチャー・・・と段階を踏んでいくのもボーイスカウトの特徴。ビーバー隊最後の活動が親子キャンプになるのですね。
ビーバー隊のスカウトは5名です。
そのうち息子を含む小学校二年の3名が、今度カブ隊に上がります。私としては、息子のレベルに合わせるなら、もう一年ビーバーでもいいんじゃないかと思ってしまう・・・(苦笑)。
キャンプではスカウト5名のお母さんたち全員が参加しました。お父さんたちは・・・誰も来ませんでしたね。母子キャンプ?ですね。
息子がビーバーに入ったのは今年の一月からです。
一番最後に入りました。
5名のスカウトのうち、小学校一年生は二人。二人は彼らは幼稚園から小学校も同じで、それに二人とも同じ年の兄がいて、お兄ちゃんたちも現在カブ隊で活動中です。今回のビーバー隊のキャンプにも、彼らのお兄ちゃんたち二人がお手伝いで参加しました。もちろんそんなことから、二人のお母さんたち同士もすごく仲がよくて、お母さんたちの輪の中で、この二人のしゃべっている時間がほとんどというくらい、仲良しの二人です。
残りの三名が小学二年生ですが、息子を除く二人の男の子たちは、幼稚園が同じだったようですし、おまけにお互い一人っ子ということなのか、すごく仲がいいんです。見ていると四六時中一緒でまるで恋人同士みたいに仲がよくて・・・。食事のときも遊ぶときも、彼ら二人でつるんでいる状態です。
こう書いて、ご理解いただけると思うのですが、このキャンプで息子は二組の仲のよい団体の狭間に立ってしまい「三人いると一人あぶれる」という法則の一人に該当してしまってました。それは見ていてすぐにわかりました。母親として言うのなら、これをずっと見ることになってしまったのが、一番つらかったかな。本来の彼だったら、本当にすごくうるさいし、しゃべりますが、黙っている時間が多かったので、たぶん入り込むチャンスをうかがっていたのかもしれません。背の高い二人の二年生に、同じ学年だけれど10センチ以上も背の高さがある息子が食い込もうとする姿は、なんともいえないものが・・・。夕飯を食べるとき「お前、代われ。」と言われて、端っこに追いやられていました。力には勝てないのか。
見ていてもどかしい気持ちになりました。
女だったら、たまらない人間関係ですよ。
でも彼は私のところに来ることもないし、指導者に従って動いていましたし、言うこともよく聞いていました。まっすぐに起立して、静かに話を聞こうとしていたのだから、彼の思いはまた私の想像とは別のところにあったのかもしれません。
入れない辛さというのは、誰もが一回は味わったことがあるかもしれません。長男でおっとり型で、強いタイプに先を譲る息子はどうしても、仕切るタイプではないようです。まあそういう場面ばかりではないかもしれませんが、少なくとも慣れない環境では、空気をめちゃくちゃ読みます。うお座の彼らしい行動ですね。
最初は一人で行動する息子ばかりが目に付いて、正直言って、三人の組み合わせであぶれた関係の中、これからカブ隊にあげていいものか悩みました。カブに入っても、これでいいのか。楽しくないんじゃないか。さびしいんじゃないか。いつも私はこのような悩みを抱えてずっと苦悩してきたような気がします。
幼稚園時代から・・・今も。
そしたら、メッセージをいただきました。
「どうして今頑張ろうとする息子のマイナスしか見ない?
彼は勇気があるじゃないか。
一人でも行動できるじゃないか。
彼の孤独を心配するんじゃない。
彼が一人でも集団に入ろうとする勇気を讃えてあげなさい。」
『勇気を讃えなさい』
そんな言葉が、まるで私の心を覆すかのように入ってきました。
心配値MAXだった私の気持ちを「いかん!いかん!」と修正するかのように。
少なくとも、息子を客観的に見れないのはどんな親でも同じこと。でも、もし息子のことが「こいつダメかもしれない・・・」という目で見始めたら、思い出さねばならないのです。
「今、ここ」で頑張ろうとしている息子を応援することを忘れてはならないということ。息子は私から生まれたけれど、もしかしたら生みの親の私よりもっとたくましくて勇気があるかもしれません。自分がこうだから、子供もこうだという方程式はあてはまりません。
息子は楽しかったと言ってくれました。
「もう行かない」という言葉は出ませんでした。
「もう行きたくないんじゃないのか?」という推測は見事に外れたわけです。親のカンがすべてあたるとは限らないことも立証されましたね(^-^;A
行きたくなかったのは、もしかしたら、あぶれることを見たくない自分の気持ちからきているものだったのかもしれませんね。
私も、5人のお母さんたちと共同して作業するわけですので、やっぱりいろんな気苦労がありました。活動以外で会うことはないお母さんたちばかりですので・・・。母も母の立場で、もまれていたわけです(苦笑)。ずっと動いていたのでそれも疲労の原因ですが、一番は気疲れだったかもしれませんね。でも・・・逃げずに、人任せにせずに、二日間を過ごしたこと。自分で自分の勇気を讃えましょう!!!(でもやっぱり、私はこういう場は苦手なんだって言うことがすごくよくわかりましたけどね)
結果ではなく、その場に出て行った勇気を讃えること。
キャンプで得た、大事なメッセージでした。
今、ボーイスカウト活動は少子化の影響なのか、スカウト自体を獲得することが難しく、また指導者になってくれる人も割と高齢(失礼!)の人が多くなっているので、いろんな問題があるかと思いますが、私たちの所属する団はとてもいい指導者やフォローの大人に恵まれ、習い事では味わえない感覚をいっぱい教えてもらっています。自然の中に連れ出してもらい、親から離れていろんな勉強や体験をすることは、子供たちにかけがえのないものを育てていくと思っています(スカウト活動中は、子供と母親は分離されています。指導者がスカウトを引率するので、母親はいろんなバックアップ体勢を整えてあげるだけです)。
幼稚園年長の9月から小学校2年生の9月までがビーバー隊。
ビーバーを卒業したら、カブ隊、それからボーイ、ベンチャー・・・と段階を踏んでいくのもボーイスカウトの特徴。ビーバー隊最後の活動が親子キャンプになるのですね。
ビーバー隊のスカウトは5名です。
そのうち息子を含む小学校二年の3名が、今度カブ隊に上がります。私としては、息子のレベルに合わせるなら、もう一年ビーバーでもいいんじゃないかと思ってしまう・・・(苦笑)。
キャンプではスカウト5名のお母さんたち全員が参加しました。お父さんたちは・・・誰も来ませんでしたね。母子キャンプ?ですね。
息子がビーバーに入ったのは今年の一月からです。
一番最後に入りました。
5名のスカウトのうち、小学校一年生は二人。二人は彼らは幼稚園から小学校も同じで、それに二人とも同じ年の兄がいて、お兄ちゃんたちも現在カブ隊で活動中です。今回のビーバー隊のキャンプにも、彼らのお兄ちゃんたち二人がお手伝いで参加しました。もちろんそんなことから、二人のお母さんたち同士もすごく仲がよくて、お母さんたちの輪の中で、この二人のしゃべっている時間がほとんどというくらい、仲良しの二人です。
残りの三名が小学二年生ですが、息子を除く二人の男の子たちは、幼稚園が同じだったようですし、おまけにお互い一人っ子ということなのか、すごく仲がいいんです。見ていると四六時中一緒でまるで恋人同士みたいに仲がよくて・・・。食事のときも遊ぶときも、彼ら二人でつるんでいる状態です。
こう書いて、ご理解いただけると思うのですが、このキャンプで息子は二組の仲のよい団体の狭間に立ってしまい「三人いると一人あぶれる」という法則の一人に該当してしまってました。それは見ていてすぐにわかりました。母親として言うのなら、これをずっと見ることになってしまったのが、一番つらかったかな。本来の彼だったら、本当にすごくうるさいし、しゃべりますが、黙っている時間が多かったので、たぶん入り込むチャンスをうかがっていたのかもしれません。背の高い二人の二年生に、同じ学年だけれど10センチ以上も背の高さがある息子が食い込もうとする姿は、なんともいえないものが・・・。夕飯を食べるとき「お前、代われ。」と言われて、端っこに追いやられていました。力には勝てないのか。
見ていてもどかしい気持ちになりました。
女だったら、たまらない人間関係ですよ。
でも彼は私のところに来ることもないし、指導者に従って動いていましたし、言うこともよく聞いていました。まっすぐに起立して、静かに話を聞こうとしていたのだから、彼の思いはまた私の想像とは別のところにあったのかもしれません。
入れない辛さというのは、誰もが一回は味わったことがあるかもしれません。長男でおっとり型で、強いタイプに先を譲る息子はどうしても、仕切るタイプではないようです。まあそういう場面ばかりではないかもしれませんが、少なくとも慣れない環境では、空気をめちゃくちゃ読みます。うお座の彼らしい行動ですね。
最初は一人で行動する息子ばかりが目に付いて、正直言って、三人の組み合わせであぶれた関係の中、これからカブ隊にあげていいものか悩みました。カブに入っても、これでいいのか。楽しくないんじゃないか。さびしいんじゃないか。いつも私はこのような悩みを抱えてずっと苦悩してきたような気がします。
幼稚園時代から・・・今も。
そしたら、メッセージをいただきました。
「どうして今頑張ろうとする息子のマイナスしか見ない?
彼は勇気があるじゃないか。
一人でも行動できるじゃないか。
彼の孤独を心配するんじゃない。
彼が一人でも集団に入ろうとする勇気を讃えてあげなさい。」
『勇気を讃えなさい』
そんな言葉が、まるで私の心を覆すかのように入ってきました。
心配値MAXだった私の気持ちを「いかん!いかん!」と修正するかのように。
少なくとも、息子を客観的に見れないのはどんな親でも同じこと。でも、もし息子のことが「こいつダメかもしれない・・・」という目で見始めたら、思い出さねばならないのです。
「今、ここ」で頑張ろうとしている息子を応援することを忘れてはならないということ。息子は私から生まれたけれど、もしかしたら生みの親の私よりもっとたくましくて勇気があるかもしれません。自分がこうだから、子供もこうだという方程式はあてはまりません。
息子は楽しかったと言ってくれました。
「もう行かない」という言葉は出ませんでした。
「もう行きたくないんじゃないのか?」という推測は見事に外れたわけです。親のカンがすべてあたるとは限らないことも立証されましたね(^-^;A
行きたくなかったのは、もしかしたら、あぶれることを見たくない自分の気持ちからきているものだったのかもしれませんね。
私も、5人のお母さんたちと共同して作業するわけですので、やっぱりいろんな気苦労がありました。活動以外で会うことはないお母さんたちばかりですので・・・。母も母の立場で、もまれていたわけです(苦笑)。ずっと動いていたのでそれも疲労の原因ですが、一番は気疲れだったかもしれませんね。でも・・・逃げずに、人任せにせずに、二日間を過ごしたこと。自分で自分の勇気を讃えましょう!!!(でもやっぱり、私はこういう場は苦手なんだって言うことがすごくよくわかりましたけどね)
結果ではなく、その場に出て行った勇気を讃えること。
キャンプで得た、大事なメッセージでした。
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二日前のことになりますが、お仕事で「・・・(嫌悪感)。」を味わいました。詳細は書けませんが、占い人生相談が人を相手にする仕事である以上、こういったことは避けられません。
まあ、生きている限り、別に占い師でなくたって、心の中で「チッ」とつい思ったり、頭にくることなんて、人と関わる限りはついて回るものです。
電話を置いた後「なんて人だ。」「どうしてああいうものの捉え方しかできないんだろう」という感情が一気に溢れ出します。もっと踏み込んで話をすればよかった、という余裕なんてありません。逃げたいからです。向き合うよりも早く逃げたい自分がいるからです。
電話を切ってしまえば、もう関わらずに済むから。つまりは、嫌悪感と長時間付き合えないのですよね。
でも、ずっとこの相談者とのやりとりがすごくひっかかっていて、もちろん「もう受けたくないな」と思うけれど、その半面で「気になる」のですよ。どうしてこういう人がいるんだろう。何がこの人をそうさせるのだろう。私が何を言えば、この人に届くのだろうか。だって、相談者とろくにはなしもしていない占い師の私でさえ、これだけこの人に感情を振り回されるのですから、この人の周りにいる人たちはもっと思うことがあるはずです。この人は周囲を温かく包み込めるような、そんなことができるのだろうか・・・とかね。人間性が周囲に与えている問題が大きいと感じるから、私の逃げの姿勢は、本当は正しくないのです。
鑑定が終わったらひきずらないようにしようと心がけているのですが、どうもこの相談者のことが気になって仕方がないのですね。たぶんもうこの相談者は私には二度と鑑定してもらいたくないと思っているだろうけれど(苦笑)。
どうしてこの人が私のお客様として回ってきたのか。
そう考えていると、メッセージをいただきました。
「よく見つめなさい」
なぜこの人が私のところに来たのか。
そのとき私の中に湧き上がった嫌悪感をよく見なさい。
湧き上がった嫌悪感をしっかり見つめると、怒りが変わる。
怒りが変わるということは、怒りが消えることでもある。
ひいてはそれが、自身を浄化することでもある。
相手の言動に伴い、自分が感情を汚されたような気持ちになったとき、まず相手を見るのを一時停止。自分の感情の動きを見ることで、私たちは自らの怒りを違うものに変換することができるということ。
生きていく上で、怒りとは自分をコントロールするために絶対に必要な感情です。怒らないようにするのが感情のコントロールではなく、怒りを感じたときにどう対処すべきかということがコントロールなのだから。
「見つめる」
この行為、他人を見つめることよりも、自分を見つめなさいということ。案外、自分のこと、38年も付き合っててまだわからない部分が圧倒的に多いですものね。あ、歳がばれちゃいましたね(爆)。
明日から息子と二人でボーイスカウトのキャンプ生活に突入してまいります!自然の中でいつもとは正反対のアウトドア生活をしてくるので、どんな「気づき」がくるのか、ちょっとドキドキしています。もちろん、息子と一緒に楽しめるのが一番うれしいですよ。更新がお休みになってしまいますが、また来週から頑張って更新します!
まあ、生きている限り、別に占い師でなくたって、心の中で「チッ」とつい思ったり、頭にくることなんて、人と関わる限りはついて回るものです。
電話を置いた後「なんて人だ。」「どうしてああいうものの捉え方しかできないんだろう」という感情が一気に溢れ出します。もっと踏み込んで話をすればよかった、という余裕なんてありません。逃げたいからです。向き合うよりも早く逃げたい自分がいるからです。
電話を切ってしまえば、もう関わらずに済むから。つまりは、嫌悪感と長時間付き合えないのですよね。
でも、ずっとこの相談者とのやりとりがすごくひっかかっていて、もちろん「もう受けたくないな」と思うけれど、その半面で「気になる」のですよ。どうしてこういう人がいるんだろう。何がこの人をそうさせるのだろう。私が何を言えば、この人に届くのだろうか。だって、相談者とろくにはなしもしていない占い師の私でさえ、これだけこの人に感情を振り回されるのですから、この人の周りにいる人たちはもっと思うことがあるはずです。この人は周囲を温かく包み込めるような、そんなことができるのだろうか・・・とかね。人間性が周囲に与えている問題が大きいと感じるから、私の逃げの姿勢は、本当は正しくないのです。
鑑定が終わったらひきずらないようにしようと心がけているのですが、どうもこの相談者のことが気になって仕方がないのですね。たぶんもうこの相談者は私には二度と鑑定してもらいたくないと思っているだろうけれど(苦笑)。
どうしてこの人が私のお客様として回ってきたのか。
そう考えていると、メッセージをいただきました。
「よく見つめなさい」
なぜこの人が私のところに来たのか。
そのとき私の中に湧き上がった嫌悪感をよく見なさい。
湧き上がった嫌悪感をしっかり見つめると、怒りが変わる。
怒りが変わるということは、怒りが消えることでもある。
ひいてはそれが、自身を浄化することでもある。
相手の言動に伴い、自分が感情を汚されたような気持ちになったとき、まず相手を見るのを一時停止。自分の感情の動きを見ることで、私たちは自らの怒りを違うものに変換することができるということ。
生きていく上で、怒りとは自分をコントロールするために絶対に必要な感情です。怒らないようにするのが感情のコントロールではなく、怒りを感じたときにどう対処すべきかということがコントロールなのだから。
「見つめる」
この行為、他人を見つめることよりも、自分を見つめなさいということ。案外、自分のこと、38年も付き合っててまだわからない部分が圧倒的に多いですものね。あ、歳がばれちゃいましたね(爆)。
明日から息子と二人でボーイスカウトのキャンプ生活に突入してまいります!自然の中でいつもとは正反対のアウトドア生活をしてくるので、どんな「気づき」がくるのか、ちょっとドキドキしています。もちろん、息子と一緒に楽しめるのが一番うれしいですよ。更新がお休みになってしまいますが、また来週から頑張って更新します!
私は管理されていないとまったくもってだらしのない人間です。
単独でダイエットなんてできません。誰かにきっちりと目を配ってもらって初めて動けるところがあります。昔から、宿題はするけど予習復習のような自主的な行動は苦手でした。
で、今後自分を目標に近づけるにあたって、すごく感動的なメッセージをいただいたんです。肩を押してもらえたような頼もしい言葉でした。
「とにかくやってみてごらんよ。動かないより、動いて失敗するほうが何倍も有益。」
失敗してもいいからやってごらん。
それがたとえ誰かと意見が合わないことがわかっても。
誰も見てくれなくても。
やって動くのなら、必ず物事は展開していく。失敗や批判を怖がってたら傷つかないかわりに、何も得られないよ。
こんな当たり前のことを、いつのころからか私はしなくなってしまった。
私だけではないですよね。こういう「いつかしたいこと」を心に描いているのにもかかわらず、実際何もしていないことって。
思い描くものは、実際手を動かしてやってみるに限るということです。
その先に、想像もつかない進展があるかもしれません。
このブログもずっと書き込みを怠っていました。書けば書けたはずなのに。感じることがなかったはずはないのに、面倒だから手をつけていなかったのですね。書いて書きまくってみたら、きっと立ちはだかる壁はいくらか壊れてくれるかもしれない。実際どうなるかは未知数だけれど、書かないより、こうやってしたためたほうが絶対いいはず!
そう信じること、やってみることの大切さを教えてもらいました。
素直に従ってみます。
単独でダイエットなんてできません。誰かにきっちりと目を配ってもらって初めて動けるところがあります。昔から、宿題はするけど予習復習のような自主的な行動は苦手でした。
で、今後自分を目標に近づけるにあたって、すごく感動的なメッセージをいただいたんです。肩を押してもらえたような頼もしい言葉でした。
「とにかくやってみてごらんよ。動かないより、動いて失敗するほうが何倍も有益。」
失敗してもいいからやってごらん。
それがたとえ誰かと意見が合わないことがわかっても。
誰も見てくれなくても。
やって動くのなら、必ず物事は展開していく。失敗や批判を怖がってたら傷つかないかわりに、何も得られないよ。
こんな当たり前のことを、いつのころからか私はしなくなってしまった。
私だけではないですよね。こういう「いつかしたいこと」を心に描いているのにもかかわらず、実際何もしていないことって。
思い描くものは、実際手を動かしてやってみるに限るということです。
その先に、想像もつかない進展があるかもしれません。
このブログもずっと書き込みを怠っていました。書けば書けたはずなのに。感じることがなかったはずはないのに、面倒だから手をつけていなかったのですね。書いて書きまくってみたら、きっと立ちはだかる壁はいくらか壊れてくれるかもしれない。実際どうなるかは未知数だけれど、書かないより、こうやってしたためたほうが絶対いいはず!
そう信じること、やってみることの大切さを教えてもらいました。
素直に従ってみます。
いつもブログを読んでいただいてありがとうございます。
今日から新しいカテゴリー「今日のメッセージ」を加えました。
私自身がその日教えられたこと、受け取ったメッセージを綴っていくつもりです。私自身の「気づき」を描くということになりますね。
自分自身が教えられたことを具体的な言葉にしていく作業を通して、目を通していただける方の何かが動いていくのなら幸いです。
劣等感に負けない自分。
他の人の成績に振り回されて、すぐに落ち込む自分。
口ばっかりでなかなか実行に移さない自分。
これが私の現在位置です。
現在位置を知らなければ、目標にはたどり着けません。
目標は、これを変えていくことです。
「感性とは?」
早速ですが、昨日いただいたメッセージです。
「感性を磨く」「あの人の感性は真似できない」「感性が素晴らしい」そういった言葉、よく言いますよね。
私は輝夜師匠のタロットの解説を目にすると、本当に「どうしてそういう感じ方、捉え方ができるんだろう???」と、同じ人間なのに、深みのある語りに「この人の感性は真似できない」と感動を覚えます。
じゃあ「感性」って何だろう。
感性・・・印象を受け入れる能力。感受性のこと。
と辞書にありました。
占いをしていると(特にタロットを展開する場面では)鑑定士の知識も大事ですが、それ以上に展開されたカードを見て「何を感じるのか」がとっても重要なことなんだと知らされました。
私は・・・自分の知識で解読してしまうから、例えば皇帝が出れば「責任ある男性」という意味はアタマから出せても、カードを見ても心が「感じられない」のです。これこそが、自分自身の壁と言ってもいいでしょう。
アタマで占いをするのではなく、心でカードを感じること。
これが感性の有無に関わってきます。
そして、感じる能力の無い自分に腹が立ったし、最後は「私なんて駄目なんだ・・・タロットはしないほうがいいのかもしれない・・・」という誠に後ろ向きないつもの私が顔を出してきます。
でも感じる能力「感性」は絶対に必要なもの。ないものはできないと開き直るのか。ないものは作ろうと思うのか。
私はずっとその不足に悩んできました。昨日その回答をいただきました。
「感性を鍛えるってどういうこと?どうすればいいの?」
「まずは五感を思い出すこと。」
視覚。
聴覚。
嗅覚。
味覚。
触覚。
人間には素晴らしい感覚が5つも与えられている。
見て感動する。
聴いて懐かしさを覚える。
匂いで愛しさを思い出す。
食べて命をつないでいる。
触ることで愛を伝えたりできる。
・・・自分に与えられている五感という宝物を、もう少し意識してごらん。心だけで感じるのではなくて、五感を通して私たちは感じたり、動いたりしているのだから。
なるほど・・・。
見る・聴く・嗅ぐ・食べる・触るという私たちのアンテナを存分に意識し、使ってみることが大事なんですね。
青い空を見て「ああ、なんて穏やかな空。飛び込みたい。」と心を動かす。身体の感覚なんて、当たり前すぎて忘れてしまうのですが、この行為こそが私たちの心を動かしている原動力なのですね。
感性の感は五感の感です。
人間として与えられた感覚が通常に機能するという幸せを、ここで知らなければならないということも・・・。
今日から新しいカテゴリー「今日のメッセージ」を加えました。
私自身がその日教えられたこと、受け取ったメッセージを綴っていくつもりです。私自身の「気づき」を描くということになりますね。
自分自身が教えられたことを具体的な言葉にしていく作業を通して、目を通していただける方の何かが動いていくのなら幸いです。
劣等感に負けない自分。
他の人の成績に振り回されて、すぐに落ち込む自分。
口ばっかりでなかなか実行に移さない自分。
これが私の現在位置です。
現在位置を知らなければ、目標にはたどり着けません。
目標は、これを変えていくことです。
「感性とは?」
早速ですが、昨日いただいたメッセージです。
「感性を磨く」「あの人の感性は真似できない」「感性が素晴らしい」そういった言葉、よく言いますよね。
私は輝夜師匠のタロットの解説を目にすると、本当に「どうしてそういう感じ方、捉え方ができるんだろう???」と、同じ人間なのに、深みのある語りに「この人の感性は真似できない」と感動を覚えます。
じゃあ「感性」って何だろう。
感性・・・印象を受け入れる能力。感受性のこと。
と辞書にありました。
占いをしていると(特にタロットを展開する場面では)鑑定士の知識も大事ですが、それ以上に展開されたカードを見て「何を感じるのか」がとっても重要なことなんだと知らされました。
私は・・・自分の知識で解読してしまうから、例えば皇帝が出れば「責任ある男性」という意味はアタマから出せても、カードを見ても心が「感じられない」のです。これこそが、自分自身の壁と言ってもいいでしょう。
アタマで占いをするのではなく、心でカードを感じること。
これが感性の有無に関わってきます。
そして、感じる能力の無い自分に腹が立ったし、最後は「私なんて駄目なんだ・・・タロットはしないほうがいいのかもしれない・・・」という誠に後ろ向きないつもの私が顔を出してきます。
でも感じる能力「感性」は絶対に必要なもの。ないものはできないと開き直るのか。ないものは作ろうと思うのか。
私はずっとその不足に悩んできました。昨日その回答をいただきました。
「感性を鍛えるってどういうこと?どうすればいいの?」
「まずは五感を思い出すこと。」
視覚。
聴覚。
嗅覚。
味覚。
触覚。
人間には素晴らしい感覚が5つも与えられている。
見て感動する。
聴いて懐かしさを覚える。
匂いで愛しさを思い出す。
食べて命をつないでいる。
触ることで愛を伝えたりできる。
・・・自分に与えられている五感という宝物を、もう少し意識してごらん。心だけで感じるのではなくて、五感を通して私たちは感じたり、動いたりしているのだから。
なるほど・・・。
見る・聴く・嗅ぐ・食べる・触るという私たちのアンテナを存分に意識し、使ってみることが大事なんですね。
青い空を見て「ああ、なんて穏やかな空。飛び込みたい。」と心を動かす。身体の感覚なんて、当たり前すぎて忘れてしまうのですが、この行為こそが私たちの心を動かしている原動力なのですね。
感性の感は五感の感です。
人間として与えられた感覚が通常に機能するという幸せを、ここで知らなければならないということも・・・。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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