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占い師としての成長日記
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私が今「ああ、私って幸せ・・・」と思う瞬間ってこんなときです。


例えば・・・
子供に囲まれて昼寝をしているとき。
お客さんとの向き合いの中で「ああ、この一言が言えてよかった」と思うとき。
朝、保育園に向かう途中の道で、広い空を見上げるとき。
自分の書いた日記が、自分の気持ち以上のものを表現できたとき。
「気づき」が起きた瞬間。
他人の言葉に感動して、「よし!やるぞ!」と思えるとき。


つかの間の瞬間かもしれませんが、心をつかむような感動というのは深く、私の心を満たします。昔は「食べているとき」「寝ているとき」が幸せとしか言えなかったのですが(苦笑)、もちろんそれも変わりませんが、この道に入って、私が今まで知らなかったこの世の理(ことわり)を教えてもらったりすると本当に感動しますね。今どうしてこんなことが自分の身の回りに起きているのか、それを解明できたとき、「おおおおっ!」と叫びたくなります。その点だけ見るのなら、私の幸福論は非常に精神的なものによる部分が大きくなってきました(でも前提として「健康である自分」がいることが大事です。体が動く幸せが一番ありがたいことですよね)。


当たり前という毎日の流れにこうやって幸せを感じられること。
でもそれは多くの幸いによって守られている私の命あってこそ。
それを感じられるような私になれてよかった。
当たり前を幸いとできる自分があってよかった。


日々いろんな気づきを得られるようになって、私の内面にあった弱さは、弱さではあるけれど、同時にそれが私なのだということも知ることができました。
自分にとっての幸せの素材は、それは自分の内側にあるもので、今まで放置してあった宝箱に手をかけるようなものかもしれませんね。宝箱から発見があるたびに、ゾクゾクするような感動があります。


すさんできた私の人生前半の屈折した心も、今ようやくお役に立っているのかもしれません。


うまく書き表せないのですが、かつての私は自分について「どうして私ってこんなにだめなの」と思うことは山ほどあって、自分を受け入れたりできなかったのです。でも今自分の中から前向きな言葉が生まれてきたり、あの苦しみがあってこそ今の自分の言葉の基礎があるのだと思えたら、苦しみも私の幸福感の手伝いをしているということなんですよね。


幸せを感じるいうことは、さまざまな葛藤や苦しみに飲まれることなく、その悩みと向き合い、自分の壁を自分で越えるときに感じるものなのでしょうね。


あと、「感動したっ!」と思える感性をちゃんと持っていることがとても大事なんですね。たくさん感動できる人って実は本当に幸せ者。感動のない人生なんて・・・味気ないものですよ。たくさんお金を持っているか、たくさん役職をいただくとか、ということよりも、たくさん感動できることに巡り会えた人が本当に恵まれた人だと思うのです。それこそ、自分で自分に感動がいっぱいできる人になれたら・・・大満足です。


幸せについて語ろうとすると難しさがどうしてもつきまとってしまい、今の私にはこの段階しか書けませんでした。でも、また私の中で「こうかな?」という新しい見解が生まれたら、このテーマでまた書いていこうと思います。
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川遊びに来ました。海のない長野では、川が水遊びの場所。ここは実家からも近く、河原も整備されていますし、上流に排水されるものがないため水が非常にキレイなんです。今日も親子連れがたくさん来ています。手軽でお金もかからないし、何より気持ちよい山の緑が目の前に迫って来ます。子供の頃にここでニジマスつかみ取りをしたことを思い出しますね。清流はとても気持ちよいですが、体がすぐ冷えるのが難点(>_<)陸でブログを打つ私はかなり気持ちよくて爽やか~川の音をBGMにゆったりとさせていただきます。携帯の電波もやや圏外。そんな場所もたまにはいいものです。そんなわけで、投稿がこんな遅くになりました。



実家に帰っていると、現在の我が家にいるときと、またまったく違った想いが湧き上がってきます。


なぜなら、そこには私の「育ち」の基本があり、私を育んでくれたものがそこかしこに存在しているからです。本棚には私が短大生のときに集めた山田詠美の本が、詩集が、懐かしいカセットテープがまだ置いてあり、一歩外に出れば、幼いころから遊んだ庭が、手伝いをした田んぼが、いつも見つめていた山々が広がります。今日は要らない本を集めて、古本屋に売ってきました。それから押入れの奥から山ほどの手紙、日記帳、それから私の書いたシナリオが出てきました。恥ずかしくて開けられません(笑)。
それから銀行員時代の窓口の営業成績表も・・・名古屋時代の演劇のチラシも・・・。


あのころ大好きだった人、毎日交流していた同期、映画に付き合ってくれた同僚。一生懸命仕事をして銀行になじもうとしていた日々や、出会った多くの人・・・。今、現実に連絡を取り合い、同じようにそばにいてくれる人はほとんどいません。年賀状のやり取りだけです。たくさん語り合い、飲みあった銀行の同期も、現在は大半が退職をして、名前も変わって、もう二度と会うこともできないでしょう。男性の同期はもう課長以上のクラスになっていることでしょう。私をおおらかに見守ってくれた上司はもう退職し第二の人生を歩んでいることでしょう。


あのころ必死になって働いていたころには、こんな未来が来るとは夢にも思わなかった。一緒に働いている人は永遠で、変わるものなどないと思っていた・・・でも、私という登場人物以外はみんなそれぞれのステージに消えていきました。


「自分を好きになる方法」「結婚なんてやめなさい」(すごいタイトル!)中谷彰宏氏の本を買いあさっていた時期もありました。自己啓発系の本を買い、ペンで大事なところに線を引いて、何度も何度もその本を読み返していた自分。本棚にはそのときの私がよく現れています。


その手の本ばかり集めていた頃から15年以上過ぎたわけです。
25歳で東京に出ることになって、私の人生は大きく変わりました。誰も、私自身も東京で過ごすことになるなんて夢にも思って見なかったのです。でも、田舎で銀行員をするという流れが突然断ち切られ、親元を離れてから、私は本当の意味で、自立や、自分の目標と言うものを探し出したと思います。それは今でも続いていますが、東京に出るときはまさか、占いを仕事にする未来があるなんて思っても見なかったですしね。シナリオライターになって銀行を辞めるという野望はありましたが。


田舎にいるときはわからなかった。
山がどんなに美しく、この空がどんなにきれいなのか。
私自身がどんなに恵まれた環境で育ち、幸せな子供だったのか。
数々の想いが私を育み、いつも見守ってくれていたことも。


今、あと二年足らずで40歳になる自分がここにいて思い出を手にしてみると、大事にしていたものが歳月の流れで黄ばみ、独特のにおいを放っていることがすごく不思議でした。月日は流れたんだという実感が、そのにおいを通じてよくわかるのです。私は兄がひとりいますが、実は兄といつ会ったのか、思い出せないくらい会っていないんですね(笑)。記憶の中の兄は、いつも一緒に遊んでいたり、高校生の兄で、元気で活きがいい男の子なのに、家に飾ってある現在の兄の写真は、メタボなおなかを持っているいいおっさんで、兄の周囲にはもう中学生の姪っ子が兄に良く似ていて・・・。自分以外のみんなも、老い始めている・・・。それが幼い頃から知っている人だと、余計に時の流れを感じてしまったりします。


お盆なので、伯父さん叔母さんが家にお棚参りに来ます。そのときも、伯父さんがふらつきながら靴を履いている場面や、叔母さんがおばあちゃんにそっくりになってきたことに驚いたり(そりゃ親子ですから当然でしょうか)伯母さんが、すごく気落ちしているのか(軽い鬱状態?)元気がなくて、びっくりしたり・・・。私にとって「元気の象徴」だった伯父さんたちが、「老いて」いることが、ちょっとショックでした。お盆はなくなった人たちの魂が家に帰ってくるとき。だからこんな風に、「生きて老いる」ということについて考えてしまうのでしょうか。


私は後片付けをしながら母に言いました。
「伯母さん、すっかり暗くなっちゃって・・・年をとったら悩みがなくなるのかと思ったら、そうじゃないんだね。」
「年をとればとったで、それなりに悩みはあるし、楽になることはないよ。」
「えーーーー!!そうなの?!!」
「当たり前でしょう。」
と一笑されました。
「今が一番大変かと思っていたけれど、そうじゃないのか・・・(涙)」


あと20年たてば私だって立派な初老です。
その時私はどんな気持ちで自分を見つめるのでしょう。
その時私は、どんな人とどんなかかわりを持っているのでしょう。
今大事にしているものでも、あと20年たてば「恥ずかしくて見れないわ」というものに変わるのでしょうか。そして、多分親との関わりも変わってくるでしょう。今は「してもらう」ことばかりだけれど・・・。


どんな未来が来るのか、誰も予測はできません。
天災が生じて、無事に未来を迎えられている保障だってありません。無事に老いることができたら、それは幸せなことかもしれませんね。
少なくとも、私はもう「育つ」立場から「育てる」立場にシフトチェンジしなければなりません。ふるさとに来ると、つい甘えてしまいますが、それでも親の代も本格的な老いに入るわけです。数々の想い出は親が私に与えてくれた最高のプレゼント。私はそれを受け取り、東京でまた、力を発揮したいと思います。


思い出にひたる時間が多いので、いろいろ考えちゃいますね。帰省は。

もし何も変わらないものがあるとするなら、南アルプスの美しい稜線、かな?きっとこれだけはずっとずっと変わらないんでしょうね。
夕べから実家に来ています。私のつかの間の夏休みですね。実家では何もする気が起きず、睡眠不足を補うように最初の日は寝て過ごしてしまいました。ポケモン映画に行って、最初から最後まで寝てしまい、息子に起こされたり…なのに、家に戻って来たら、懲りずにまた昼寝(-.-)zzZ疲れていたのですね…
夕方になると山から気持ちよい風が吹いて来ます。涼しいです。今年は雨不足だそうですが、稲はスクスク大きく成長してました。今しばらく何も考えずにゆったり空を眺めています…




私は電話占いの会社に所属して一年三ヶ月たちます。
現在の会社で私が「対応できる占術」として看板を上げているものは、


四柱推命☆☆☆☆☆
気学九星術☆☆☆☆☆
タロット☆☆☆☆
姓名判断☆☆☆☆
風水☆☆☆


タロットには「タロット」と「霊感タロット」の二種類があり、私は「タロット」を選びました。
何が違うのかというと、「タロット」は質問をカード展開したら、本などの解説を基本に忠実にリーディングし、解き明かしていく方式。
「霊感タロット」は占い師のインスピレーションを優先・重視してリーディングを行う方法です。


私はずっと「霊感」をつけることが恐れ多くてできませんでした。
自分自身の中に、「霊感がある」という確信が持てなかったのです。だからタロットだけでいいと思っていたし、そういったインスピレーションの来ない自分に劣等感もありました。


しかし、時代の求めるニーズとして、霊感という第六感的なものを占い師に要求する人が多くなってきたのですね。素人であるのなら「タロット」よりも「霊感タロット」という看板に惹かれるのも無理はありません。私も占いをしていただけるのならぜひ霊感の先生を体験したいと思っています。
「タロット」を看板にしていると、やはり鑑定のチャンスも減ります。それが私の腰を上げさせるきっかけになりました。


でも・・・霊感という名詞に自信が持てずに居ました。輝夜師匠の霊感タロットの素晴らしいとしか言いようのない鑑定の仕方を知っているからかもしれませんが、やっぱり自信が持てなかったんですね。苦手意識も強かったのでしょう。


ただ、ここのところ霊体験という大げさなものではないのですが、「やっぱり見えないけれど、ガイドが居てくれるんだ」と素直に感じられるようなシンクロや事件がここのところ立て続けに起きて、霊感のない自分でもさすがにこれは何のサインだろうと思えることばかり。
「霊感タロット」に足を踏み入れてもいいかどうか、尋ねてみました。


「自分の霊性を信じなさい」


とだけ言われました。
「霊感」は誰にでもある能力です。占いをしているとそれを使う場面が増えるから育ってきやすいのかもしれませんが、私は劣等感でそれを信じていなかった。足りないもの、ないものと判断していました。
しかし、もう「ない」なんて思わなくていいんだ、そう思えました。


劣等感が邪魔をして、自分が感じられる能力がないと思い込んでいただけで、霊感タロットに変更しても何も狂うことはないし、ちゃんと感じられるものを培って来たのだから、失敗を恐れず、踏み出して御覧なさい。


霊性というのは、自分が持っている、目には見えない自分の魂や、見えないものを感じとる部分だと思っています。それを信じて託してみます。
自信がないから、できないからと逃げたくはありません。もしつまづいたらそのときまた考えることにしましょう。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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