忍者ブログ
占い師としての成長日記
[29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

三連休の最終日はボーイスカウトが締めてくれました(^-^;。


小学二年の10月から、所属していたビーバー隊から、カブ隊へ昇進します。今日はその上進式が行われたので、家族全員で息子の晴れ姿?を追っかけに行ってきました。雨が降りそうで降らなかったのが幸いです。


ビーバー隊がみんなと仲良く自然の中で楽しく遊ぶ、というのが目的で、まずお母さんと離れて一日リーダーと遊べるようになるのがビーバーの基本ならば、今度のカブ隊は、仲間とチームプレイが要求されるし、ロッククライミング、ナイトウォーク、カヌー、年に何回か繰り返されるキャンプ・・・「男!」を育てる厳しいプログラムに変わってきます。


実はビーバー隊の親子キャンプで、川遊びが怖くて、まったく川に入れなくて困ってしまった息子。「カブはいきたくない。もう一年ビーバーにいさせてくれ」と留年希望でしたが、今回も渋る彼をひっぱって行くと、制服にばっちり身を包んだ指導者が出迎えてくれます。


制服ってすごいですね。
今はもう制服を着る機会なんてないのですが、統一された制服を見ると、だらりーんとした私服の私でも、なんだか背筋が伸びますし、「やりたくない~」ってごねていた息子も、きびぎび動く指導者や、新しいカブの仲間になるお兄ちゃんの集団(しかも制服をみんな着用しているから、すごくかっこいい!)を見て、なんだか心が動いた様子。


式では新しくカブ隊に入る子供たち(今回は息子を含め三名)が前に並び、カブ隊の誓いのことばを一人一人が宣言します。
「僕は真面目にきちんとやります」
「僕はカブ隊のさだめをきちんと守ります」


ちなみにビーバーのときはこんな誓いのことば。
「僕はみんなと仲良くします」
「ものを大切にします」
「元気よく遊びます」
「ビーバー隊のきまりを守ります」


カブに上進し、誓いの言葉は減りましたが、なんだか「さだめ」なんて響きに「お兄ちゃん」を感じます。「さだめっていうのはね・・・」と指導者の人が教えてくれました。確かに、普段の言い回しにはあまりない言葉ですよね。


いつもスカウトはネッカチーフを首に巻いて活動に参加しますが、この上進式で、みんなの前でビーバーの絵の描かれたネッカチーフをカブ隊の組長(一番偉い指導者ですね)が外し、新しく、カブのネッカチーフを巻いてくれます。いつもつけていたチーフが外されるとき、なんとも言えない感動があります。


制服マジック?で緊張感に満ちた会場で、ネッカチーフを交換する儀式は、軽く撮影のつもりで参加した私にはちょっと感動するものがありました。息子の小学校の入学式のときにも、ぐぐっと熱いものがこみあげてきましたが、まさにそれかもしれません。


スカウトの中でとびきり小さく、動きもたどたどしい息子は、まだビーバー隊でも十分いけるんですが(苦笑)、この上進でまた新しいステージに足を踏み入れたので、できるだけ頑張って通ってもらいたいですね。
ボーイスカウトに行くと、お母さん方をはじめ、子供の成長を厳しく、温かい目で見守ってくれる大人がいてくれることにすごく安心感を覚えます。今は他の人たちにいろいろやってもらったりすることも多いのですが、これからは自分の子供だけではなく、他の子供の面倒も見ることが出てくるかもしれません。他の習い事よりも、そういう意味では親の自覚も親の奉仕精神も必要な場所かもしれません。


以前、保護者のみのボーイスカウトの全体会合の際「ボーイスカウトは託児所ではない」と会長さんがはっきりとおっしゃいました。指導者もお金ではなく、こうした活動にボランティアで参加されているわけです。親も、きちんとした目的意識を持って、常識を持って、参加しなければならないわけです。


それでも、苦労して咲かせた花は美しい・・・。
それは確かなことですので、まだ階段を上っても、息子の活動を通し、いろいろ学びがあることでしょう。娘はガールスカウトに?!・・・うん・・・いいかもしれませんね。体がふたつ欲しいところですが。
PR
昨日から私の従姉妹が男の子三人(我が家では三太郎と呼んでいる)が泊まりに来ています。小学生四人が皆男、うるさいです(*_*)が、一番うるさいのは我が息子だなあ。今夜は十五夜ですね。このままだとお月見ができそうな空模様です。今日はバタバタしていますが、せっかくお月様がきれいに輝く夜、我が家のパワーストーンたちも窓辺に並べたいですね。もちろん明日は満月なので財運アップのためにお財布をフリフリします。連休、気をつけてお過ごし下さい。

頑張らなくちゃ!っていつも自分に言い聞かせているのですが、実は最近「その頑張る、ってどういうこと?何に対して頑張っているといえるわけだろう?」と疑問を抱かずにはいられないことがありました。


「私頑張ってます」とか「私頑張ります」ってよくブログにも書くのですが、具体的に何を頑張るの?ときかれると、実は答えに詰まっていたのです。


自分が強くなれるために頑張ることって何だろう。
今までと同じじゃない、新しい自分になれるってどういうことをすればいいんだろう。
そう考えていたら、先日の輝夜師匠のブログにとても興味深い記事があり、これを読んだ私は早速、とにかくこれをやってみよう!と思いたちました。


私の場合は禁煙ではなく、とにかくそんなに高い目標をいきなり設定するのは絶対もたない!という思いがあり、「ブログを大晦日まで毎日必ず更新する」という目標を設定しました。


ここのところマメに更新はしていますが、実は一日も欠かさず三ヶ月間書き続けるなんて、やったことがありません(^-^;。
本当は「夫とケンカしない」ことを目標にしようと思ったのですが、いきなりそれは高度だな~(爆)ということはよくわかっているので、却下でした。


とにかく大晦日までは絶対に更新を止めないように。
敵は眠気!それから体調不良!
一行でも書いて、毎日このブログの新鮮さを保ちます!
具体的な努力をしてみなくてはね♪
さて、読んでいるあなただったらどうしますか。


例えば・・・愛のない関係を清算し、子供を連れて離婚するか。子供たちのため、それから経済的な理由から、離婚せずに生活を共にするか。


私はずっとその狭間に悩み、苦しみ、どちらを選んでも苦しく、どちらも選べず、ずっとずっと夫を憎んで生活してきました。こんな想いをなぜ私にさせるのか。こんな苦しみを目の前で見せても、なぜなにも変わろうとしないのか。私の苦しみのかけらすら理解できない、その感性のなさに失望し、この人生でこの苦しみを与えた夫を何度も何度も、心の中でブスブスと刺してきました。


きれいごと抜きで、それが私の本心です。
今更カッコつけても仕方ありません。


でも、私が幼い子供二人を抱えて独立できるほどの収入はありません。銀行員時代の貯金はマイホームに消えてしまいました。実家を頼ろうにも、実家は山の中です。すぐそばに、東京にいてくれる親なら、離婚はありえました。親に子供の世話を頼めば、なんとか働いて稼ぐことは出来ます。
でもそのために私は占いを捨てることになるでしょう。占い師として、親子三人が暮らしていくためには、一日中仕事をするか、よほど人気が出ないとやっていけません。しかも自営業ですから、浮き沈みがありすぎて、保障など何もないため、生活の糧とするのはとてもリスクがあります。
離婚しても、占いを捨て、子供との豊かな時間を捨て、心を捨てるようなことになっては、何のための自由なのかわからなくなってしまう。


どちらにしても地獄なのです。
夫と生きるのも地獄。
夫と離れても地獄。
ならば、夫に愛を求める自分を捨てるしかない。
女としての自分の感覚を麻痺させ、一生暮らしていくしかない。
でも・・・それが「私にとっての」最善なのです。


私の回答は「夫婦に愛がないのなら早いうちに別れたらいい」という考え方の人から見たら間違いかもしれません。
そうですよね。私も、自分の決断なのに、なんていうか「お金でくっついている」と言われたらそれまでですよ。
でも・・・そのお金でみんなが暮らさなくてはならないのは事実です。
私と夫の間には愛がなくても、夫と子供たちの間には愛があるし、私と子供たちの間にも愛はあります。夫婦がたとえ、これだけこじれていても、夫と子供たちの間にある愛に関しては、私は捨て去る権利はないのです。


離婚カウンセラーの人に言われました。
「私たち離婚カウンセラーの仕事は、離婚させるのが仕事じゃない。離婚なんてしないほうがいいに決まっている。でも、あなた方夫婦の場合は、もう離婚したほうがいい。」
即答に近い、回答でした。
でも・・・もう夫は変わることのない人なんだ、頑張ったって無理なんだ、と思えたら、だからもう私は私で、この形がゆがんでいても、これを受け入れるしか方法はないと思ったんですね。他に生きていく形がない限りは、この形で生きるだけのこと。


今どんなに憎らしくても、10年後も同じと言う保証はない。
でも逆にもっと憎くなっているかも?!(これ以上はないと思いますが・笑)
時間の流れに身を委ねたら、これが例え他の人から見て間違いと言う回答だったとしても、苦しみぬいて出した「離婚はしない」という結論は、私の中でやっぱり正解になっていくのかもしれません。


私がなぜ、これを書こうと思ったのか。
夫とのことを書くというのは、勇気が要ります。裸になるようなものだからです。


ひとつ・・・自分に自信がないと、人は正しい判断が出来ないこと。
ふたつ・・・おかしい、と思ったら、逆襲を恐れず、ちゃんと相手と向き合ってみること。それで壊れる関係ならそれまでのことだったと思えばいい。
みっつ・・・自分が大事だと思うものは死ぬ気で守ること。
これはみんなに当てはまる大事な法則だからです。


私はこの夫や、夫の両親に対して、このいさかいを通して、生まれて初めて「鬼」になりました。自分の中でこれだけは、と思うものを守るために、牙を持ちました。でもそれでいいと思っています。後悔はありません。姑にたてつくなんて・・・と思われても構いません。私はどうしても我慢が出来なかった。自分自身の尊厳を踏みにじられてしまったのですから。
そしてその「鬼になる」部分は、この人生の中で、私が目覚めなければならなかった部分です。
私は人の目を気にして、「どう思われるか」に焦点を合わせていて、自分が怒っているということすらごまかしてきたのです。


今も、義母にいやみを言われると、正直「いい嫁でいなくては」という自分がいて、あれだけのことを言われてもされても、突き放すことができない自分の甘さが、正直嫌になります。
「何いい子ぶってんの?」・・・いつも本当の心はそう言ってます。



すべてが必然。
この家に嫁いできたことも、夫との不仲も。
そして私が、離婚を決められなかったことも。


離婚が正解でも間違いでもないように、離婚しないと言う決断も、ある意味で間違っているし、ある意味で、正解かもしれません。
今となっては、原因となった問題云々ではなく、それにまつわる話し合いで生じた場面で、相手の人間性を見て失望してしまったんですね。それが長い間私の中で消せない炎みたいになって、いろんなものを燃やし続けているように感じています。


もし・・・なんていう言葉は今更どうしようも出来ないのかもしれませんが、夫婦って、所詮他人なのだから、とにかくいっぱいいっぱい、話し合ったり、手をつないだり、料理作ってあげたり、ありとあらゆる手段で近づくことをしていくべきなんだなって・・・。ケンカを恐れずに、自分を出すことを恐れずに。そして、相手を受け入れる気持ちもちゃんと片手に忘れずに。


子供が出来ても、親という役割は増えたけれど、夫婦という役割は変わらずにあるわけです。夫婦という役が親に変換するわけではないのです。
だから、親である前に、男と女である自分たちをもっと大事にすべきでした。


男と女・・・男から見れば、女はわけのわからない生き物だろうし、女にとっても男はよく理解できない生き物。でも、男同士、女同士のむすびつきよりもはるかに強い力で引き合う男と女同士なのだから、いろいろあってもいいんですよ。でもその間に、相手を思いやる愛があればいいんです。


そんなことに、今ようやく気がついたのですね。何が足りなくなって、こんな事態に陥ったのか。これは私たちだけではない、この世の人間関係すべてに通じる真実です。


結婚って、もっといいものだと思っていました。
それは夢見る夢子ちゃん的かもしれませんが、結婚したら好きな人とずっと一緒にいられるから。だから憧れていたんでしょうね。確かに今、好きな人とずっと一緒にいます・・・が、私の心の中は「亭主元気で留守がいい」(爆)。そんな気持ちになってしまうなんて、自分でびっくりしました。仮面夫婦とか、家庭内別居の言葉を独身時代に聞いたときは、本当に信じがたかったし、そんなことは絶対にいやだし、軽蔑していたのですが、今現実はどうでしょう。それに半分足を突っ込んでいますよ。仮面をかぶりたくなる気持ちも理解できます。
何度も何度も、夫のことを心の中で殴ってきた私は、本来ならば逆DVで訴えられているかもしれません。


今回は今まで触れる事をしなかった、自分の甘さや自分の責任について切り込んでみようと想います。


私が結婚に対して犯した一番の罪を考えたら、どうしても避けて通れない壁があります。
それは・・・早く銀行を辞めたかったことです。


銀行という仕事にアレルギーを感じ、一刻も早く辞めたいと思いながら、次に生きる道もなく、結婚することで円満に辞められると思って、選んだ気持ちがあったのです。


実は、夫とこういう風に険悪になるサインは、結婚前からちゃんと私はキャッチしていたんですね。結婚してから悪くなったんじゃないんです。結婚前から、付き合いの中で彼の性質を感じられる場面がありました。
でも・・・私はそれに気づきながら蓋をしてしまったのです。もし、この男性を逃したら自分は結婚できない・・・また銀行員生活に戻らねばならない・・・今更「ここが嫌だから別れる」なんて言えない・・・。
笑ってしまうのですが、人目を気にしていて、今更言い出せず、辞める勇気がありませんでした。これが第二の罪です。


そして、結婚し、様々な違いが明らかになっていく中で、彼のことを私は容赦なく責め立ててしまいました。これが第三の罪です。


最初が肝心、といいますが、私は最初の部分で、自分の人生を彼にゆだねてしまったり、他人に「どう思われているのか」ということにとらわれてしまい、自分の人生なのに、責任を負ってこなかったんですね。その代償が、夫との不仲であり、どうしようもできない憎悪なのです。あまりにも失ったものは大きく、気づくのが遅くなりました。


そして、今「や~めた!」と放り出すわけには行かない状況です。結婚前に「やっぱりこの人とはどうしても合わない」と素直に負けを認めるか、大喧嘩を覚悟でこの人から送られてきたサインを無視せずに受け取っていれば、この激しい感情も、違う形で、私を覆ってくれたのかもしれません。それに気づくには、当時の私はあまりにも経験も自信もなかったです。自信がないって、本当に怖いことですよ。


でも・・・好きだから結婚した、それは確かな真実でもあります。
だから、この辛いとしかいえない感情が芽生え、それと付き合っていくことができるのかもしれませんね。
いずれにせよ、心の中は修羅の道です(苦笑)。


「結婚したら多少のことはどんな夫婦にもあるのよ。あなたたちだけじゃないのよ。」


そう言われます。


でも私にとってその言葉は何の励ましにも慰めにもならないのですね。
みんながそうだからあきらめろというのか。これが普通なのだと思えば救われるのか。
元は他人。価値観が違うわけですから、何かしらあるのは当然です。
でも、その二人の間に、相手を思いやる愛があるのか、ないのか。
それが私は知りたいのです。私たちはそれができる心の広さをちゃんと持ち合わせている間柄なのかを。


夫婦は成長していくものだと想います。
最初はできないことも、10年後にはできているかもしれない。
長い時間を過ごす中で、相手を受け入れることもあるでしょう。
しかし、憎悪やうらみつらみは、それを容赦なく刈り取っていきます。
相手を受け入れる余裕すら、あっさりと斬り捨てていきます。


子供にとって、私はいい母親ではないと断言できます。
それは自分の感情を優先し、夫と嘘でも仲良く出来ないからです。これが、私の犯している一番最大の罪かもしれませんね。
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
最新コメント
[01/09 雨音]
[01/08 papa]
[10/28 雨音]
[09/16 sepi]
[02/07 雨音]
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
Powered by 忍者ブログ * [PR]
* blogdesigned by Mei Fukui.