占い師としての成長日記
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レイキを学ぶようになって、私の中に一本の芯が出来上がってきました。それは「絶対に占い師になりたい」という目標です。輝夜師匠の教えがどんなに厳しくても、絶対に負けたくないという私がどこからかやってきて、弱気な私を叱咤します。注意を受け凹むとき、「この師匠のおっしゃることは正しい。素直に聞いてみなさい」と理性の私が呼びかけます。それと同時に、輝夜師匠の教えの数々も私の中で芽を出し始めました。偉大な師匠といつか同じステージに立ちたい。それが私のエンジンをかけさせたのですね。
実戦に入ることで見えることがあります。
数々の苦しい授業もメール鑑定も掲示板のやり取りのことも、すべてはこの仕事に向き合うための強さと感性を育てるためにあったことなのだと把握できるようになったんですね。プロという看板を背負わせてもらい、ようやく輝夜師匠の厳しさの理由がわかりました。輝夜師匠があのときどんな歯がゆい思いで私たちを見つめていたのかも。占い師になることはできます。試験をパスすれば。でも占い師であり続けるためには、そんじょそこらの小手先だけの勝負は通じません。だって相手は苦しみや葛藤にさいなまされている人物なんですよ。占いだけでは通用しないことがたくさん出てくるんですね。
占いとは関係のない一般市民の皆さんや、占い師になる前の私が考えているよりも、占うってもっと違うんですね。電話鑑定の現場は生身の人間の泥臭い部分丸出し裸一本勝負の現場でした。相談者だけが裸になればいいってもんじゃないんです。向かい合う私も裸にならなくちゃいけない。裸になることを恐れても恥ずかしがってもいけない。そうしなければ相談者は私を信頼して裸になってくれないから。裸の自分を知らねばならないし、裸になった自分を認めなければできない。それこそ究極に言えば、人間が一番の占い道具ですね。タロットを読み解くのはタロット解説本じゃない、私なんですよ。
そういう風に思えるようになったのは、一番最初のF社の鑑定よりも、今の所属のA社に入ってからです。一年間のF社の在籍期間は、相談者に振り回されたり、電話を待つ時間があまりにも長かったり、家の中はトラブル続きで精神的にひどく落ち込むことがあったりで自分なりの職業観も満足に育てられませんでした。
F社の欠点は集客力がなかったことです。それから「霊感・霊視」系の鑑定士に比重を置いていること。昼間鑑定が回ってくることなんてほとんどありません。知名度も低かったせいかもしれませんが、待機しても待機しても何もないので、さすがにF社とこのまま契約することはできないな。なんとかしなければならない・・・と思うようになりました。
F社に所属している間に、夫婦決裂状態の話し合いがあり、夫の実家を出ることになりました。精神的にひどい状態だったので、一ヶ月くらい休みをいただき鑑定はほとんどできない状態でしたね。それも響いたのか、鑑定件数がぐっと減り、ついには一週間に一度という状態に陥ってしまったのです。これでは経済的にやっていけません(苦笑)。
人事の人はよく相談に乗ってくれたのですが、やっぱり鑑定のできない会社は卒業しなくてはならないのです。実家を出て、私たちだけで暮らし、ようやく生活が一段落したころ、私は思い切って、念願だった輝夜師匠と同じ大手の電話占い会社であるA社のオーディションを受けました。いただいたお返事は合格!ようやく・・・ようやくこの場所に立てる・・・。電話占い会社の大手であり、会社自体もしっかりしているA社の鑑定士になれることは、鑑定士として生きるには最高の舞台でしょう。
もちろん輝夜師匠は喜んでくれました!私も、輝夜師匠と情報交換をし合えるので、とてもやりやすいし、電話占いというのは鑑定士が在宅で行うものなので、在宅で仕事ができるメリットもあれば、他の状態がまったく見えないということもあり、こういった情報をやりとりできるのは非常に心強かったです。私にとって、A社と契約することはひとつの目標でした。輝夜師匠と出会ったタロット講座はそのA社が主催していたものですから、10年前からA社は私にとって目指すべき山だったのです。
そして、鑑定士としてデビューしたその昼間から、信じられないくらいの鑑定件数を回してくれます。世の中、こんなに占いを必要としている人がいるなんて!改めてA社の集客力に圧倒されました。
でも、鑑定をこなせば弱気になることはたくさんありますよ・・・。
「当たらない」「他の鑑定士さんはそんなこと言わなかった」「何を言っているのかわからない」「(強い口調で)何でなんですか!」そのたびに、「・・・(沈黙)」と言い返せずにお客様に負ける自分が悔しかったです。
フィーリングのいい人ばかりでもないし、朗らかで明るい人たちばかりでもないし、耳を素直に傾けてくれる人たちばかりではないからです。そんな相談者を目の前にして、自分が「言葉を失う」ことは屈辱的なことでした。占い師としての力量不足は、そのまま自分の人間性の不足と思えます。今答えがほしい人に対して、自分は何を言えばいいのかわからない、この悔しさってわかりますか?相談者に振り回されて電話を切る自分の空しさ、鑑定士として信頼されていないんだと思ったときの悔しさ。全力を出し切れば後悔などないはずなのに、話を聞くだけで終わってしまって、無難にまとめたときの自分に対してのなんともいえない自己嫌悪。
そんなときはいつも輝夜師匠に掲示板や電話で励ましてもらっていました。大先輩ですからね。でもね・・・・私はずっとこれに助けられ、占い師生命を守ってきたけれど、いつも答えを自分で探さないで、輝夜師匠にすぐ相談してしまって、「こう思ったんですが」という結論ではなく、「こういうことがあって辛いです」でいつも投げていたんですね。答えをもらえるとわかっているから甘えてしまうんですよ。私の依存はこんなところにも大きな影響を与えていましたし、輝夜師匠と向き合うことで、私は親にも友達にも夫にも子供にも占いの仲間にも甘えっぱなしで、自分の人生なのに何一つ自力で成し遂げたことがないような気がしてきました。唯一この道だけを挫折しないで来ているものの、それくらいしか貫いたものがないのです。しかもそれだって辞めたい日々の連続でしたしね。結婚生活は挫折寸前で、夫にも自分にも嫌気がさしていたのに。
でもその占いの現場で相談者に伝える言葉は、実は輝夜師匠の受け売りだったりして、私の言葉じゃないわけですよ。でも私の中に私の言葉がないんです。今までの人生で苦労したことがないから、自分の言葉や自分の感性そのものを使ってこなかったんですね。
だから輝夜師匠の感性にすばらしさにほれ込み、弟子入りしたわけですか、どんなにすばらしい師匠の下で学んでも、結局自分の人生にしか実戦の場所はありません。輝夜師匠の言葉は輝夜師匠の人生と感性のコラボレーション。私の言葉は、私の人生の言葉・・・?自分のことは自分の頭でとことん考える(あ~苦手。だから今まで逃げてしまったんでしょうし)それが自立への大事なヒントだったんですよ。
実戦に入ることで見えることがあります。
数々の苦しい授業もメール鑑定も掲示板のやり取りのことも、すべてはこの仕事に向き合うための強さと感性を育てるためにあったことなのだと把握できるようになったんですね。プロという看板を背負わせてもらい、ようやく輝夜師匠の厳しさの理由がわかりました。輝夜師匠があのときどんな歯がゆい思いで私たちを見つめていたのかも。占い師になることはできます。試験をパスすれば。でも占い師であり続けるためには、そんじょそこらの小手先だけの勝負は通じません。だって相手は苦しみや葛藤にさいなまされている人物なんですよ。占いだけでは通用しないことがたくさん出てくるんですね。
占いとは関係のない一般市民の皆さんや、占い師になる前の私が考えているよりも、占うってもっと違うんですね。電話鑑定の現場は生身の人間の泥臭い部分丸出し裸一本勝負の現場でした。相談者だけが裸になればいいってもんじゃないんです。向かい合う私も裸にならなくちゃいけない。裸になることを恐れても恥ずかしがってもいけない。そうしなければ相談者は私を信頼して裸になってくれないから。裸の自分を知らねばならないし、裸になった自分を認めなければできない。それこそ究極に言えば、人間が一番の占い道具ですね。タロットを読み解くのはタロット解説本じゃない、私なんですよ。
そういう風に思えるようになったのは、一番最初のF社の鑑定よりも、今の所属のA社に入ってからです。一年間のF社の在籍期間は、相談者に振り回されたり、電話を待つ時間があまりにも長かったり、家の中はトラブル続きで精神的にひどく落ち込むことがあったりで自分なりの職業観も満足に育てられませんでした。
F社の欠点は集客力がなかったことです。それから「霊感・霊視」系の鑑定士に比重を置いていること。昼間鑑定が回ってくることなんてほとんどありません。知名度も低かったせいかもしれませんが、待機しても待機しても何もないので、さすがにF社とこのまま契約することはできないな。なんとかしなければならない・・・と思うようになりました。
F社に所属している間に、夫婦決裂状態の話し合いがあり、夫の実家を出ることになりました。精神的にひどい状態だったので、一ヶ月くらい休みをいただき鑑定はほとんどできない状態でしたね。それも響いたのか、鑑定件数がぐっと減り、ついには一週間に一度という状態に陥ってしまったのです。これでは経済的にやっていけません(苦笑)。
人事の人はよく相談に乗ってくれたのですが、やっぱり鑑定のできない会社は卒業しなくてはならないのです。実家を出て、私たちだけで暮らし、ようやく生活が一段落したころ、私は思い切って、念願だった輝夜師匠と同じ大手の電話占い会社であるA社のオーディションを受けました。いただいたお返事は合格!ようやく・・・ようやくこの場所に立てる・・・。電話占い会社の大手であり、会社自体もしっかりしているA社の鑑定士になれることは、鑑定士として生きるには最高の舞台でしょう。
もちろん輝夜師匠は喜んでくれました!私も、輝夜師匠と情報交換をし合えるので、とてもやりやすいし、電話占いというのは鑑定士が在宅で行うものなので、在宅で仕事ができるメリットもあれば、他の状態がまったく見えないということもあり、こういった情報をやりとりできるのは非常に心強かったです。私にとって、A社と契約することはひとつの目標でした。輝夜師匠と出会ったタロット講座はそのA社が主催していたものですから、10年前からA社は私にとって目指すべき山だったのです。
そして、鑑定士としてデビューしたその昼間から、信じられないくらいの鑑定件数を回してくれます。世の中、こんなに占いを必要としている人がいるなんて!改めてA社の集客力に圧倒されました。
でも、鑑定をこなせば弱気になることはたくさんありますよ・・・。
「当たらない」「他の鑑定士さんはそんなこと言わなかった」「何を言っているのかわからない」「(強い口調で)何でなんですか!」そのたびに、「・・・(沈黙)」と言い返せずにお客様に負ける自分が悔しかったです。
フィーリングのいい人ばかりでもないし、朗らかで明るい人たちばかりでもないし、耳を素直に傾けてくれる人たちばかりではないからです。そんな相談者を目の前にして、自分が「言葉を失う」ことは屈辱的なことでした。占い師としての力量不足は、そのまま自分の人間性の不足と思えます。今答えがほしい人に対して、自分は何を言えばいいのかわからない、この悔しさってわかりますか?相談者に振り回されて電話を切る自分の空しさ、鑑定士として信頼されていないんだと思ったときの悔しさ。全力を出し切れば後悔などないはずなのに、話を聞くだけで終わってしまって、無難にまとめたときの自分に対してのなんともいえない自己嫌悪。
そんなときはいつも輝夜師匠に掲示板や電話で励ましてもらっていました。大先輩ですからね。でもね・・・・私はずっとこれに助けられ、占い師生命を守ってきたけれど、いつも答えを自分で探さないで、輝夜師匠にすぐ相談してしまって、「こう思ったんですが」という結論ではなく、「こういうことがあって辛いです」でいつも投げていたんですね。答えをもらえるとわかっているから甘えてしまうんですよ。私の依存はこんなところにも大きな影響を与えていましたし、輝夜師匠と向き合うことで、私は親にも友達にも夫にも子供にも占いの仲間にも甘えっぱなしで、自分の人生なのに何一つ自力で成し遂げたことがないような気がしてきました。唯一この道だけを挫折しないで来ているものの、それくらいしか貫いたものがないのです。しかもそれだって辞めたい日々の連続でしたしね。結婚生活は挫折寸前で、夫にも自分にも嫌気がさしていたのに。
でもその占いの現場で相談者に伝える言葉は、実は輝夜師匠の受け売りだったりして、私の言葉じゃないわけですよ。でも私の中に私の言葉がないんです。今までの人生で苦労したことがないから、自分の言葉や自分の感性そのものを使ってこなかったんですね。
だから輝夜師匠の感性にすばらしさにほれ込み、弟子入りしたわけですか、どんなにすばらしい師匠の下で学んでも、結局自分の人生にしか実戦の場所はありません。輝夜師匠の言葉は輝夜師匠の人生と感性のコラボレーション。私の言葉は、私の人生の言葉・・・?自分のことは自分の頭でとことん考える(あ~苦手。だから今まで逃げてしまったんでしょうし)それが自立への大事なヒントだったんですよ。
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ここのところパソコンの不調で、携帯からの更新だったり、昨日はパソコンがほとんど動かなかったので、気持ち的に日記を更新する気持ちにもなれなくて、ずっと単なる近況報告で終わってしまってすみませんでした。
さて、気合を入れ直してまた書き綴っていこうと思います。
しかし、ずっと現在も占いを輝夜師匠の元で学び、継続している私にとって、占いにまつわる勉強のことを掘り下げることは、客観的になれない難しさが伴います。まだ渦中にいるからですね。でも、敢えて今はそこをじっと見なければなりません。私の弱さと、逃げの姿勢や自信のなさがどこから来るものだったのか・・・。自分がいかに弱かったのかも。
「占い師でない時間も占い師として生きなさい」
これが輝夜師匠の格言でした。
しかし、そう言われても、私の心の中は「でも」で始まるものでした。
「でも、輝夜師匠は実際占いで仕事をして、占いで食べているじゃないか。占い一本の生活だからそういう事が言えるのかも知れないけれど、私は占い一本の生活なんてできないよ!!」と常に考えていました。
私自身はそのとき占いで仕事をできる状態ではまったくなかったし、目処もつかなかった。「ムリ!ムリ!」とお手上げ状態。逆に「輝夜師匠はどうして私の事情を知りながら、こんなことを言うのだろう。」と輝夜師匠に対してずっと反抗していました。「私はみんなと同じようにできない時もあるからわかってほしい。私には時間がないからそれを汲んで欲しい。」それが自分の心の中の大部分を占めていました。当時一緒にいてくれた仲間の一人とよくメールで愚痴を聞いてもらっていました。
そうやって自分を甘やかしながら、でも面白いことに完全に逃げ出すこともせず(逃げ出す勇気もなかったのかもしれません)まるで激しい嵐の中、ボロボロのいかだで海をさまようような心もとない毎日を過ごしていました。続けるにも辞めるにも納得がいく理由がない私でしたね・・・。
反抗しながら(でもそれは表には見せず)、宿題をこなしていた、という状況だったといえるでしょう。
そして、これが一番きつかった!運営サイトである「月の占術館」ではくじ引き当選者に無料メール鑑定を行うという企画がスタートしました。
この無料メール鑑定は、正直言ってあらゆる無料鑑定の常識からは考えられないくらい、非常に細かい点までびっちりと書き上げたものを送信しています。どの人が鑑定の当番になってもそれは一緒でした。まずくじ引きで当選した人から、メール鑑定依頼が届きます。無料でおこないますが、その代わりに結果をブログで公開させていただいていました(もちろん個人情報は仮名で)。このメール鑑定は「無料だからと言って手を抜かない。」というのが輝夜師匠の基本方針でした。また誰が鑑定しても、すぐに送信せず、掲示板で輝夜師匠やみんなの添削を受けます。受付けてから一週間以内に返信することになっていましたが、一発で鑑定が合格することはなく、それこそ二、三度書き直すのは当たり前で、修正にもかなり時間がかかります。内容がきめ細やかなだけに字数も半端ではなく多いです。みんなの添削を受けて、また修正し・・・その一週間はほとんどかかりきりになります。私はこのとき、子供たちと20時に床につき、夜中の2時に起きてパソコンに向かう生活を始めました。メール鑑定をする当番でなくても、他の人が仕上げた鑑定の添削をしてあげなければなりません。私の生活は一気に目が回る忙しさになりました。昼間は子供のために、早朝は占いのために。自分が当番に当たると、それこそ本当にパソコンの前で何時間もうなり、添削を受けて落ち込み、再々提出の末ようやく送信が終わってほっとしたのもつかの間、すぐに次の鑑定が入ります。それと同時に相変わらず苦手な掲示板当番もありましたし、メール鑑定のやり取りもまた別の新しい掲示板で行いましたので、それこそもう苦手に囲まれているような生活。無料鑑定ですからどんなに時間を割いても何かバックがあるわけではないのです。しかし内容的にはかなりクォリティの高いものを送信し続けてきました。
本当の意味で、私たちがプロとしての第一歩を踏み出したのもこの無料メール鑑定でした。
確かにしんどかったです。今思い出しても、よくやってきたなあと思う。でも、あの苦しさを自分なりに創意工夫して時間を作り出して乗り切ったことや、締め切りに追われながらも、一回もそれを破らずに済んだことは、私の中で一つの収穫でした。無料メール鑑定と同時進行で有料メール鑑定も始めたのですが、輝夜師匠へのご指名の鑑定依頼が圧倒的で、また指名でなくてもすべての鑑定に輝夜師匠は添削で関わっていたため、その負担は半端ではなく、最終的にはメール鑑定は閉じることになりました。
鑑定の文章の組み立て方は拙いものだったし、四柱推命やタロットの読み方もまったく素人に近かったけれど、それでもあの一生懸命やった日々は、月の占術館時代の最高の思い出です。今も所属している会社でメール鑑定が時々回ってきますが、あの時鍛えられたおかげで、詳細にわたった鑑定をすぐに出せることができます。あの経験は、私を一つ変えていきました。苦労が人を鍛え、変えていくんですよね(まあ、当時はメール鑑定が入るたびに全身に冷や汗かいてましたし陰で泣いていたのにね・笑)。当番じゃなくても添削係を担当するのだって大変でしたからね・・・。
でも、まったく素人に近い私たちの稚拙なあの鑑定文を、最終的には完璧な作品(?!)に仕上げた輝夜師匠のキメの細やかさは、文章の書き方も含め、とても参考になりました。
わかりやすいことを心がけなさいということで、素人さんが見てもわかりやすく、納得のいく文章を作るのは大変な作業でしたが、あの試練は今、プロとしてやっている私のゆるぎない基本の部分です。「なんちゃって占い」をたとえ無料のメール鑑定でも許さなかった輝夜師匠のその方針が、鑑定士としてのプライドを育ててくれたことは確かなのですね。
しかし・・・その中で一番辛かったことは、共に走ってきた仲間が、抜けていくことでした。
私なんかよりもずっと芯が強く、また時間的にも余裕があると思われる人が、悩みに悩んだ末、抜けることもありました。
大変だったメール鑑定を一緒に乗り越えた仲間ですが、体調不良に足並みを乱され辞めていく人。これ以上頑張れないと言って辞めていく人・・・それぞれの事情がありました。そのたびに「一緒に頑張ろう」と言ってきたけれど、やはりそれは自分が助けてもらいたくて、支えてもらいたくて、輝夜師匠と向き合うエネルギーが不足していたから、仲間と依存しあっていたいから出た言葉だったのかもしれないと思います。辞めると決意した人たちにはそれぞれの理由があり、私には止めることなどできません。でも残されるのはたまらなく辛かったし、心細かったですね・・・。
一番仲良くしていた方が辞められた時、本当に力が抜けましたし、一瞬「どうしよう」と思いました。いつだって辞めていいと思っていたのに、でも一緒に辞めることもできなかった。彼女がいないから辞めるという生き方は許されないと思っていました。それこそ、何のために今までここまで頑張ってきたのかわからなくなります。残るのは、せめて自分の意思で残りたい。彼女は彼女の道。私は私の道・・・心細い中でも、続けることを選んできた何百回目の分岐点だったのでしょうか。
心細さと輝夜師匠にいつも注意されて凹むことで前が向けなくなっていたけれど、やっぱり自分の意思は「続ける」と選択してきました。自分の意思というより、もっともっと大きなもの、わかりやすく言うなら私の中にいる私の神様のような大きな存在に「やめるのは正しい選択ではない」といつも言われてしまうんです。自分の中にはもう一人の正しい選択ができる自分がいて、感情や一時的な失望に振り回されたりしない堂々とした自分は、脱落する自分をいつも救い上げてくれるんですね。
そんな風に考えられるようになったのは、きっと2005年四緑木星中宮の年にレイキをアチューンメントしていただき、レイキヒーラーとなったことが原因かもしれません。レイキは、確実に、ゆっくりと私の中に沁み込み、投げやりで逃げたい私を変えていったのです。レイキによって、輝夜師匠の厳しい言葉や今までの辛い時間が、自分の中で宝石に変化していったといったら書きすぎでしょうか。レイキが私を内面から変えていった。それは絶対に確信があるのです。
いつしか、落ち込んで途方にくれる自分を励ましてくれるのは仲間ではなく、自分で自分を励ますようになっていきました・・・。そして、仲間が抜けていくたび、輝夜師匠と自分との絆が深まっていきましたね。
さて、気合を入れ直してまた書き綴っていこうと思います。
しかし、ずっと現在も占いを輝夜師匠の元で学び、継続している私にとって、占いにまつわる勉強のことを掘り下げることは、客観的になれない難しさが伴います。まだ渦中にいるからですね。でも、敢えて今はそこをじっと見なければなりません。私の弱さと、逃げの姿勢や自信のなさがどこから来るものだったのか・・・。自分がいかに弱かったのかも。
「占い師でない時間も占い師として生きなさい」
これが輝夜師匠の格言でした。
しかし、そう言われても、私の心の中は「でも」で始まるものでした。
「でも、輝夜師匠は実際占いで仕事をして、占いで食べているじゃないか。占い一本の生活だからそういう事が言えるのかも知れないけれど、私は占い一本の生活なんてできないよ!!」と常に考えていました。
私自身はそのとき占いで仕事をできる状態ではまったくなかったし、目処もつかなかった。「ムリ!ムリ!」とお手上げ状態。逆に「輝夜師匠はどうして私の事情を知りながら、こんなことを言うのだろう。」と輝夜師匠に対してずっと反抗していました。「私はみんなと同じようにできない時もあるからわかってほしい。私には時間がないからそれを汲んで欲しい。」それが自分の心の中の大部分を占めていました。当時一緒にいてくれた仲間の一人とよくメールで愚痴を聞いてもらっていました。
そうやって自分を甘やかしながら、でも面白いことに完全に逃げ出すこともせず(逃げ出す勇気もなかったのかもしれません)まるで激しい嵐の中、ボロボロのいかだで海をさまようような心もとない毎日を過ごしていました。続けるにも辞めるにも納得がいく理由がない私でしたね・・・。
反抗しながら(でもそれは表には見せず)、宿題をこなしていた、という状況だったといえるでしょう。
そして、これが一番きつかった!運営サイトである「月の占術館」ではくじ引き当選者に無料メール鑑定を行うという企画がスタートしました。
この無料メール鑑定は、正直言ってあらゆる無料鑑定の常識からは考えられないくらい、非常に細かい点までびっちりと書き上げたものを送信しています。どの人が鑑定の当番になってもそれは一緒でした。まずくじ引きで当選した人から、メール鑑定依頼が届きます。無料でおこないますが、その代わりに結果をブログで公開させていただいていました(もちろん個人情報は仮名で)。このメール鑑定は「無料だからと言って手を抜かない。」というのが輝夜師匠の基本方針でした。また誰が鑑定しても、すぐに送信せず、掲示板で輝夜師匠やみんなの添削を受けます。受付けてから一週間以内に返信することになっていましたが、一発で鑑定が合格することはなく、それこそ二、三度書き直すのは当たり前で、修正にもかなり時間がかかります。内容がきめ細やかなだけに字数も半端ではなく多いです。みんなの添削を受けて、また修正し・・・その一週間はほとんどかかりきりになります。私はこのとき、子供たちと20時に床につき、夜中の2時に起きてパソコンに向かう生活を始めました。メール鑑定をする当番でなくても、他の人が仕上げた鑑定の添削をしてあげなければなりません。私の生活は一気に目が回る忙しさになりました。昼間は子供のために、早朝は占いのために。自分が当番に当たると、それこそ本当にパソコンの前で何時間もうなり、添削を受けて落ち込み、再々提出の末ようやく送信が終わってほっとしたのもつかの間、すぐに次の鑑定が入ります。それと同時に相変わらず苦手な掲示板当番もありましたし、メール鑑定のやり取りもまた別の新しい掲示板で行いましたので、それこそもう苦手に囲まれているような生活。無料鑑定ですからどんなに時間を割いても何かバックがあるわけではないのです。しかし内容的にはかなりクォリティの高いものを送信し続けてきました。
本当の意味で、私たちがプロとしての第一歩を踏み出したのもこの無料メール鑑定でした。
確かにしんどかったです。今思い出しても、よくやってきたなあと思う。でも、あの苦しさを自分なりに創意工夫して時間を作り出して乗り切ったことや、締め切りに追われながらも、一回もそれを破らずに済んだことは、私の中で一つの収穫でした。無料メール鑑定と同時進行で有料メール鑑定も始めたのですが、輝夜師匠へのご指名の鑑定依頼が圧倒的で、また指名でなくてもすべての鑑定に輝夜師匠は添削で関わっていたため、その負担は半端ではなく、最終的にはメール鑑定は閉じることになりました。
鑑定の文章の組み立て方は拙いものだったし、四柱推命やタロットの読み方もまったく素人に近かったけれど、それでもあの一生懸命やった日々は、月の占術館時代の最高の思い出です。今も所属している会社でメール鑑定が時々回ってきますが、あの時鍛えられたおかげで、詳細にわたった鑑定をすぐに出せることができます。あの経験は、私を一つ変えていきました。苦労が人を鍛え、変えていくんですよね(まあ、当時はメール鑑定が入るたびに全身に冷や汗かいてましたし陰で泣いていたのにね・笑)。当番じゃなくても添削係を担当するのだって大変でしたからね・・・。
でも、まったく素人に近い私たちの稚拙なあの鑑定文を、最終的には完璧な作品(?!)に仕上げた輝夜師匠のキメの細やかさは、文章の書き方も含め、とても参考になりました。
わかりやすいことを心がけなさいということで、素人さんが見てもわかりやすく、納得のいく文章を作るのは大変な作業でしたが、あの試練は今、プロとしてやっている私のゆるぎない基本の部分です。「なんちゃって占い」をたとえ無料のメール鑑定でも許さなかった輝夜師匠のその方針が、鑑定士としてのプライドを育ててくれたことは確かなのですね。
しかし・・・その中で一番辛かったことは、共に走ってきた仲間が、抜けていくことでした。
私なんかよりもずっと芯が強く、また時間的にも余裕があると思われる人が、悩みに悩んだ末、抜けることもありました。
大変だったメール鑑定を一緒に乗り越えた仲間ですが、体調不良に足並みを乱され辞めていく人。これ以上頑張れないと言って辞めていく人・・・それぞれの事情がありました。そのたびに「一緒に頑張ろう」と言ってきたけれど、やはりそれは自分が助けてもらいたくて、支えてもらいたくて、輝夜師匠と向き合うエネルギーが不足していたから、仲間と依存しあっていたいから出た言葉だったのかもしれないと思います。辞めると決意した人たちにはそれぞれの理由があり、私には止めることなどできません。でも残されるのはたまらなく辛かったし、心細かったですね・・・。
一番仲良くしていた方が辞められた時、本当に力が抜けましたし、一瞬「どうしよう」と思いました。いつだって辞めていいと思っていたのに、でも一緒に辞めることもできなかった。彼女がいないから辞めるという生き方は許されないと思っていました。それこそ、何のために今までここまで頑張ってきたのかわからなくなります。残るのは、せめて自分の意思で残りたい。彼女は彼女の道。私は私の道・・・心細い中でも、続けることを選んできた何百回目の分岐点だったのでしょうか。
心細さと輝夜師匠にいつも注意されて凹むことで前が向けなくなっていたけれど、やっぱり自分の意思は「続ける」と選択してきました。自分の意思というより、もっともっと大きなもの、わかりやすく言うなら私の中にいる私の神様のような大きな存在に「やめるのは正しい選択ではない」といつも言われてしまうんです。自分の中にはもう一人の正しい選択ができる自分がいて、感情や一時的な失望に振り回されたりしない堂々とした自分は、脱落する自分をいつも救い上げてくれるんですね。
そんな風に考えられるようになったのは、きっと2005年四緑木星中宮の年にレイキをアチューンメントしていただき、レイキヒーラーとなったことが原因かもしれません。レイキは、確実に、ゆっくりと私の中に沁み込み、投げやりで逃げたい私を変えていったのです。レイキによって、輝夜師匠の厳しい言葉や今までの辛い時間が、自分の中で宝石に変化していったといったら書きすぎでしょうか。レイキが私を内面から変えていった。それは絶対に確信があるのです。
いつしか、落ち込んで途方にくれる自分を励ましてくれるのは仲間ではなく、自分で自分を励ますようになっていきました・・・。そして、仲間が抜けていくたび、輝夜師匠と自分との絆が深まっていきましたね。
二日連続して、パソコンの不具合が原因でブログを携帯から送信させていただいてしまいごめんなさい。
ようやく、パソコンは動くようになりました・・・しかし、前より動きは悪いし、しょっちゅう固まるし、エラーの嵐です。その上、さっきからずっと、掲示板の送信キーを押しても、記事がUPできず、本当にイライライラ・・・全然直っていないじゃないか!
直った!と思っても、そのあとwindowsUpdateも全然進まないし、ウイルスバスターの無料バージョンアップもできないし、今確認したら、メールソフトのアドレスが全部ぶっ飛んでいます。こっちもぶっ飛びます!
夕べからずっとパソコンの前にいるんですが、遅々として進まないこの現状に、悲しいし、パソコンをこれだけ触っていながら、自分のピンチひとつ満足に乗り越えられない自分に腹が立ってきます。
ああ、こんなことが書きたかったわけではないのに・・・嘆いてしまってすみませんね。
もうパソコンは寿命なのかもしれませんが、やっぱり業者任せにしすぎて高いお金を払っていた自分も、そろそろ卒業ですね。
せっかく自分の発掘作業をどんどん進めているのに、それどころじゃなくなってしまって・・・でも早く元通りになって、続きをUPしようと思います!
ようやく、パソコンは動くようになりました・・・しかし、前より動きは悪いし、しょっちゅう固まるし、エラーの嵐です。その上、さっきからずっと、掲示板の送信キーを押しても、記事がUPできず、本当にイライライラ・・・全然直っていないじゃないか!
直った!と思っても、そのあとwindowsUpdateも全然進まないし、ウイルスバスターの無料バージョンアップもできないし、今確認したら、メールソフトのアドレスが全部ぶっ飛んでいます。こっちもぶっ飛びます!
夕べからずっとパソコンの前にいるんですが、遅々として進まないこの現状に、悲しいし、パソコンをこれだけ触っていながら、自分のピンチひとつ満足に乗り越えられない自分に腹が立ってきます。
ああ、こんなことが書きたかったわけではないのに・・・嘆いてしまってすみませんね。
もうパソコンは寿命なのかもしれませんが、やっぱり業者任せにしすぎて高いお金を払っていた自分も、そろそろ卒業ですね。
せっかく自分の発掘作業をどんどん進めているのに、それどころじゃなくなってしまって・・・でも早く元通りになって、続きをUPしようと思います!
パソコンは結局、パソコン救急隊のおじさんがお持ち帰りをして修理することになり、今現在パソコンはありません(;_;)なんだか片割れを奪われたようなショックですが、午後戻ってくるとの話でした。さあ…ハードディスク丸々交換なのか、単なるシステムエラーなのか、それによって全然対応が変わってきます。あ、修理費も(笑)。パソコンがないので、暇な時間に何をすればいいかしら? とりあえず、天気もいいので家のおっきなラグを洗って干して、洗濯機を三回回しましたよ(^_^)v。
携帯から送るブログは日記になってしまうため、言いたいこと考えていることの半分どころか大半が言えないし、親指だけでここまで打つのもかなり時間を奪われます。パソコンならすいすいなのに。しかも、輝夜師匠に郵便で大至急送りたいものがあるのに、パソコンに住所が入っていることに気付いてしまい、我ながらパソコンに世話になっていたことを改めて実感…突然アナログの世界に入りましたね(・o・)明日は無事にパソコンから入れますように★
携帯から送るブログは日記になってしまうため、言いたいこと考えていることの半分どころか大半が言えないし、親指だけでここまで打つのもかなり時間を奪われます。パソコンならすいすいなのに。しかも、輝夜師匠に郵便で大至急送りたいものがあるのに、パソコンに住所が入っていることに気付いてしまい、我ながらパソコンに世話になっていたことを改めて実感…突然アナログの世界に入りましたね(・o・)明日は無事にパソコンから入れますように★
朝一でパソコンが起動しなくなると言う大ハプニングに見舞われています。現在パソコン救急隊なるサービスに出張を依頼しました。どうなるのか…頭の中は不安だらけです。無事に回復し、落ち着いてくれるといいのですが、パソコンのトラブルには全く手も足も出ず、高い修理費を払わねば何も進まない自分の無力さにも腹が立ちます。これから小学校の行事があるので、出かけなければなりません。無事に回復してブログを掲載出きるように祈るのみですよ!!!
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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