占い師としての成長日記
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12回、この課題について取り組んできましたが、今回でこのテーマについての作業は最終回になります。
さて、この流れの中で気づかねばならなかったこと。いかに自分が恵まれていたか。でも全然満足できなくて、結局自分の思うようにならない人生を嘆いていたか。もちろんそれなりに辛いことはたくさんありましたよ。でも、そこで覚悟を持ったこともなかったし、なぜこういう流れが自分にあるのかなんて突っ込んでもこなかった。偏見で物事を判断しようとしていたり、怒りに任せて冷静に判断できなかったり・・・人間として未熟ですよとハッキリ教えられた流れは、私にとって痛い改革でしたが、必要な改革でした。
私の中で何時か叶えたい夢というか目標があります。それはいつか占いの道で、一人でもいいから生徒を持てるような人間になること。その前に、ちゃんとあらゆる物事に堂々と対応できる自分になることが先かな?
先生になってみたらきっと見えてくるものがまったく違うでしょうし、自分が教えた生徒は我が子のようなものですから、そんな生徒たちに自分の一方的な意見を押し付けず、でも時として注意をしなくてはならないときはきちんと注意し、その注意も突っ込まれないような完璧なものではなくてはならないし、説得力がなくては生徒は聞いてくれません。私は輝夜師匠からはある意味、自分の親よりも叱られていますが(笑)、でもどうしてその注意を素直に受け止めようと思えるのかといえば、輝夜師匠の言っていることに強い説得力があるのはもちろんのこと、輝夜師匠は私に突っ込まれるような人生は送っていないことが常日頃のコミュニケーションで十分わかるんですね。私が失敗したときは、厳しいときもあるけれどちゃんとフォローもしてくれるし、そのフォローもちょっとだけじゃなくて、どうしてつまづいたのか、何が足りなかったのかをそれこそとことん考えてくれるんですよ。こんな親切な師匠に付いていかなかったらバチが当たると思っています!
もちろん輝夜師匠と向き合うことで自分はある種のコンプレックスを抱えているのも否定しません。
私はできないことだらけで、夫とのことなんてすぐ凹むし怒るし、コントロールできない自分に戻ってしまって、輝夜師匠のアドバイスなんて全然実行できないですし、いつも突っ込まれることばっかりしているので「私って・・・やっぱり目に余るくらいダメ人間なのか?」と思うこともしばしばです。占いのキャリアが違うので比較すること自体無謀と言うか、己の立場をわきまえろよ、という感じなのですが、やっぱり師匠の占いと私の占いは重みが違う、切り口も違う。同じお金を払うなら絶対師匠クラスの鑑定士に占ってもらいたいと思うのは当然だよねっていつも考えてしまうのです。
いつまでたっても自分のよさって言われてもわからないでいるのは辛い。
輝夜師匠のコピーになってはならないと思いながら、じゃあ白紙でできるのか!?と問い詰められたらなんらかの筋道と言うかヒントはほしいと思ってしまう。
でもその繰り返しでは、自分が「こうなりたい」自分にはなかなか近づけません。もっと落ち着きたいし、短気で集中力のない自分をなんとかしたい。常に他への不満を口にして自分を貶めたくないし、いつまでも「できません」「輝夜師匠はすごいです。私なんて・・・」で終わりたくないです。でもそのために何をするべきなのかが、私の中で明確にわからないんですね。今まではこの方法を輝夜師匠に教えてもらっていたけれど、自己流でもいいから自力で開拓したものに意義があります。
つい先日ある方の日記に「心の達人」という文字を見つけました。
心の達人・・・かぁ。これからなりたい自分がどういうものかを説明するなら、私は心の達人になりたいと思うんですね。
私がイメージする心の達人は・・・いかなるときもまずニコニコ笑顔でいられること。自分の感情(マイナスの感情)をすぐに表に出すことなく、喜怒哀楽と上手につきあえること。さまざまな困難を乗り越えて得た悟りを持っていて、動じないこと。自分の人生に誇りを持っていること。ありのままの自分を知り、受け入れていること。
そしてこれが一番大事かもしれません・・・いついかなるときも感謝する気持ちを持っていること。いついかなるときも・・・って大事だと思うのです。平常心は何もないときに必要なのではなく有事の際に必要なものだからです。これからお金がなくて生活に苦労する人生であっても、仕事がうまくいかなくて掛け持ちしたりして体を壊しても、子供が例えば学校を中退して行方不明になったとしても、わが身をのろわず、人をうらやましがらず、「この人生に感謝。与えられた命に感謝する」ことが究極の達人だと感じるんですね。
そんな私になるためのプロセスから逃げないように。今度は逃げないように・・・心にムチを打ちながらも受け入れていくつもりでいます。
「自立するって事はね、何事にも動じない自分を創っていくことなのよ。」
「いやらしい新聞記者のように、自分が納得いくまで事実を追究していきなさい。」
輝夜師匠のその言葉にガツン&大打撃を受けた私は、今回自分を発掘する作業を初めて行いました。
まだまだ足りないこともわかりましたので、「依存症からの脱出」はここで切らせていただきますが、歩みはまだこれからも続きます。
さて、この流れの中で気づかねばならなかったこと。いかに自分が恵まれていたか。でも全然満足できなくて、結局自分の思うようにならない人生を嘆いていたか。もちろんそれなりに辛いことはたくさんありましたよ。でも、そこで覚悟を持ったこともなかったし、なぜこういう流れが自分にあるのかなんて突っ込んでもこなかった。偏見で物事を判断しようとしていたり、怒りに任せて冷静に判断できなかったり・・・人間として未熟ですよとハッキリ教えられた流れは、私にとって痛い改革でしたが、必要な改革でした。
私の中で何時か叶えたい夢というか目標があります。それはいつか占いの道で、一人でもいいから生徒を持てるような人間になること。その前に、ちゃんとあらゆる物事に堂々と対応できる自分になることが先かな?
先生になってみたらきっと見えてくるものがまったく違うでしょうし、自分が教えた生徒は我が子のようなものですから、そんな生徒たちに自分の一方的な意見を押し付けず、でも時として注意をしなくてはならないときはきちんと注意し、その注意も突っ込まれないような完璧なものではなくてはならないし、説得力がなくては生徒は聞いてくれません。私は輝夜師匠からはある意味、自分の親よりも叱られていますが(笑)、でもどうしてその注意を素直に受け止めようと思えるのかといえば、輝夜師匠の言っていることに強い説得力があるのはもちろんのこと、輝夜師匠は私に突っ込まれるような人生は送っていないことが常日頃のコミュニケーションで十分わかるんですね。私が失敗したときは、厳しいときもあるけれどちゃんとフォローもしてくれるし、そのフォローもちょっとだけじゃなくて、どうしてつまづいたのか、何が足りなかったのかをそれこそとことん考えてくれるんですよ。こんな親切な師匠に付いていかなかったらバチが当たると思っています!
もちろん輝夜師匠と向き合うことで自分はある種のコンプレックスを抱えているのも否定しません。
私はできないことだらけで、夫とのことなんてすぐ凹むし怒るし、コントロールできない自分に戻ってしまって、輝夜師匠のアドバイスなんて全然実行できないですし、いつも突っ込まれることばっかりしているので「私って・・・やっぱり目に余るくらいダメ人間なのか?」と思うこともしばしばです。占いのキャリアが違うので比較すること自体無謀と言うか、己の立場をわきまえろよ、という感じなのですが、やっぱり師匠の占いと私の占いは重みが違う、切り口も違う。同じお金を払うなら絶対師匠クラスの鑑定士に占ってもらいたいと思うのは当然だよねっていつも考えてしまうのです。
いつまでたっても自分のよさって言われてもわからないでいるのは辛い。
輝夜師匠のコピーになってはならないと思いながら、じゃあ白紙でできるのか!?と問い詰められたらなんらかの筋道と言うかヒントはほしいと思ってしまう。
でもその繰り返しでは、自分が「こうなりたい」自分にはなかなか近づけません。もっと落ち着きたいし、短気で集中力のない自分をなんとかしたい。常に他への不満を口にして自分を貶めたくないし、いつまでも「できません」「輝夜師匠はすごいです。私なんて・・・」で終わりたくないです。でもそのために何をするべきなのかが、私の中で明確にわからないんですね。今まではこの方法を輝夜師匠に教えてもらっていたけれど、自己流でもいいから自力で開拓したものに意義があります。
つい先日ある方の日記に「心の達人」という文字を見つけました。
心の達人・・・かぁ。これからなりたい自分がどういうものかを説明するなら、私は心の達人になりたいと思うんですね。
私がイメージする心の達人は・・・いかなるときもまずニコニコ笑顔でいられること。自分の感情(マイナスの感情)をすぐに表に出すことなく、喜怒哀楽と上手につきあえること。さまざまな困難を乗り越えて得た悟りを持っていて、動じないこと。自分の人生に誇りを持っていること。ありのままの自分を知り、受け入れていること。
そしてこれが一番大事かもしれません・・・いついかなるときも感謝する気持ちを持っていること。いついかなるときも・・・って大事だと思うのです。平常心は何もないときに必要なのではなく有事の際に必要なものだからです。これからお金がなくて生活に苦労する人生であっても、仕事がうまくいかなくて掛け持ちしたりして体を壊しても、子供が例えば学校を中退して行方不明になったとしても、わが身をのろわず、人をうらやましがらず、「この人生に感謝。与えられた命に感謝する」ことが究極の達人だと感じるんですね。
そんな私になるためのプロセスから逃げないように。今度は逃げないように・・・心にムチを打ちながらも受け入れていくつもりでいます。
「自立するって事はね、何事にも動じない自分を創っていくことなのよ。」
「いやらしい新聞記者のように、自分が納得いくまで事実を追究していきなさい。」
輝夜師匠のその言葉にガツン&大打撃を受けた私は、今回自分を発掘する作業を初めて行いました。
まだまだ足りないこともわかりましたので、「依存症からの脱出」はここで切らせていただきますが、歩みはまだこれからも続きます。
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この「依存症からの脱出」を書こうと思ったきっかけは二つあります。
9月の中旬、私は輝夜師匠に破門を言い渡されました。あまりにもショックで、でも身に覚えがあるために言い返すこともできないのは確かでした。
輝夜師匠は破門を言い渡す前、私にこう言いました。
「私は雨音さんに今後、回答をたやすく与えないようにするつもりです。雨音さんは以前自分でも言っていましたが、私を頼りすぎています。本気で自立をしようとしないと、この先プロの占い師として、ヒーラーとしてやっていけないと思います。
雨音さんはモチベーションを高め、これからも頑張っていくと決めました。ですが、ここ数日私から見てモチベーションが下がっているように見えます。モチベーションを保ち続けることが出来るか否かは雨音さんの自覚の問題で、私にはこれ以上どうすることも出来ません。しっかり自覚し、頑張ってもらいたいと思います。」
ぐうの音も出ないってこういうことですよ。
「雨音さんの選ぶべき道は二つです。私とやり取りしながらも自戒し、自立するための覚悟をしっかり持つか、いつか帰れる場所として私をキープしながらなんていう中途半端な形ではなく、本当の意味で孤独になることを選ぶかです。私と関わりながら自立するのも大変かもしれませんが、私に破門され、二度と関われない中で自立しようとするのも同じように大変です。覚悟というものは厳しさの中で育つ力です。自分に甘い環境下ではいつまで経っても育ちません。雨音さんは私といると甘えが出てしまって覚悟が育たないのですから、破門しかないでしょう?」
このときはさすがに・・・もうだめだと思いました。もうね・・・それこそクラクラしました。いったい私は何をやってきたんだろうって。占い師になれたことに満足しきってて、覚悟を育ててもこなかったんだなって。これだけのことを言われなければわからないのですよ。いつもそうなんです。尊敬できる人の背中を見て走ってきたけれど、結局自分の試練は輝夜師匠に処理してもらっていたんです。それは今に始まったことじゃない。もっともっと、私が小さいときから・・・二つ上の面白い兄に構ってもらって何の疑問もなく楽しく過ごした子供時代に、忙しくても私を大事に育ててくれた両親、金銭的な苦労を一切かけさせないようにと私は裕福ではないけれどそれなりのことを施してもらってきた娘時代。私の基盤はみんなが自分を大事にしてくれたり、いろいろしてくれるような環境でした(断っておきますが金銭的なお嬢様ということではないのです)。会社を決めるときも親に助けてもらって、困ることがあれば親に解決してもらって、庇護してもらうのが当然の流れだった私には、「真剣に悩み真剣に考える」という場面がなかったんですね。その真剣さをはじめて行ったのが夫婦としての問題が出たときだったのかもしれません。誰も助けてくれないし、味方もいない中で苦しんだ毎日は、今まで私の人生にはない初めての孤独でした。占いの勉強は仲間もいたし輝夜師匠もいた。私は本当の意味で孤独になって、自分を知ることもなかった。だからこうやって大好きな人に突き放されなければ理解できないのです。これだけのことを言われなければ目覚めないというのはかなり問題だと思いませんか?私は精神的お嬢ちゃまだったんですよね。
でも面白いというか、不思議なことに、私の中で「じゃあ占いをやめよう」って気持ちが一ミリも湧かなかったんです。輝夜師匠と離れても占いは辞めたくないと思ったし、離れてもやれることを証明していくしかないなって(できるかどうかは別として)、破門を受け入れる気持ちでいました。親に「出て行け」と言われたら、出て行かねばなりません。
結局、破門にはならなかったのですが、私の中で輝夜師匠と自分のことをもう一度考え直したいと思える事件になりました。偉大な親を持っているとその恩恵に甘える二世のようになるのか、親の七光りだけで進もうとするずるさを身に着けてしまうのか、それとも親のくれた魂を受け継ぎながらも自らの道を切り開こうとするのか・・・。
そしてもうひとつ、その後のやり取りの中で指摘された私の弱点がこの日記のきっかけになりました。
「雨音さんって躓くと、すぐにこうして私に何でも聞きますよね?どうしてもっと時間をかけて、自分の力で知ろうとしないんでしょう。」
「自分で熟してくるまで良く考え、結論を出す努力を全てにおいてし続ける努力を雨音さんはすべきです。そこに雨音さんの求める力もあります。カップヌードルのように即席で得られるものの中に雨音さんの求める答えも力もないのだということを、そろそろ理解してください。」
いわゆるひとつの事例があれば、それについての感想は書けるんですね。
先日私はブログで「パトロールに立つ朝」というタイトルで、茶髪にピアスの小学生を発見した話題を書いています。あのブログは突っ込みどころが満載だと言われました。
あの日記に書いているのは一方的な角度からしか見ていない私の感想なのです。なぜ彼が子供らしくない格好で登校するのかを、もっとじっくり研究し、それこそ多角的に調べ、私なりの理論を出さねばならないと言われました。
私の価値観「茶髪にピアスなんて格好をさせている親はロクなやつじゃないはずだ!」=「私の価値観は正しい」という目でしか追求していないのです。自分が正しいと思っているうえでの価値観でしかない。もし、クラスの大半があの男の子のように茶髪でピアスをしてきたら、うちの息子の真面目な格好こそが浮いてしまうし、それこそ格好が原因でいじめられるかもしれないです。そのとき私は息子に私の価値観を押し付け続けることができるでしょうか?今のところ茶髪小学生が少数派であるだけで、時代が変わって彼らのような自由な主張が広がっていくなら私の価値観こそ転換を図らねばならなくなるかもしれません。
また、茶髪にピアスにランドセル放棄の小学生がどんな背景で育っているのかという考察が浅いのですね。だから一方的な感想に終わってしまって、突っ込みどころばかりの文章なんです。
「考察する」・・・これこそが私のこれからのテーマなのかもしれません。だってハッキリと苦手意識があるものです。
そして一番身近な存在なのにもかかわらず、もっとも考察が足りない自分自身を元に、切り口を見つけたいと思ってこのブログを書き始めました・・・。依存している自分、考えの足りない自分、考えの足りない部分を他の人に助けてもらおうとする自分・・・自分の歩んできた道を振り返ればそこにヒントがあるかもしれません。今までそんなことをしてこなかったので、上手に書けるかわかりませんでしたが、歩みを書き記すことで私の中で次々とはじけていくものがあったのは確かです。
少なくとも夫との事はよく見えるものがありましたし、「夫婦とは?」「結婚とは何なのだろう?」という新しい問題が湧き上がってきたので、今後自分の中で自分の人生を通して考察していく題材だと思っています。結婚問題は・・・ある意味私の一生の課題ともいえますね。これが自論を展開できたら強いですよ。この環境だから追究することができます。過酷な環境に生える生物ほど根が強いのと一緒ですよ。ああ、この環境はありがたいことに私をたくましくさせてくれるものなのですね。
そうですね。そんな風に現状に感謝できるとまた私も変われますよね。
9月の中旬、私は輝夜師匠に破門を言い渡されました。あまりにもショックで、でも身に覚えがあるために言い返すこともできないのは確かでした。
輝夜師匠は破門を言い渡す前、私にこう言いました。
「私は雨音さんに今後、回答をたやすく与えないようにするつもりです。雨音さんは以前自分でも言っていましたが、私を頼りすぎています。本気で自立をしようとしないと、この先プロの占い師として、ヒーラーとしてやっていけないと思います。
雨音さんはモチベーションを高め、これからも頑張っていくと決めました。ですが、ここ数日私から見てモチベーションが下がっているように見えます。モチベーションを保ち続けることが出来るか否かは雨音さんの自覚の問題で、私にはこれ以上どうすることも出来ません。しっかり自覚し、頑張ってもらいたいと思います。」
ぐうの音も出ないってこういうことですよ。
「雨音さんの選ぶべき道は二つです。私とやり取りしながらも自戒し、自立するための覚悟をしっかり持つか、いつか帰れる場所として私をキープしながらなんていう中途半端な形ではなく、本当の意味で孤独になることを選ぶかです。私と関わりながら自立するのも大変かもしれませんが、私に破門され、二度と関われない中で自立しようとするのも同じように大変です。覚悟というものは厳しさの中で育つ力です。自分に甘い環境下ではいつまで経っても育ちません。雨音さんは私といると甘えが出てしまって覚悟が育たないのですから、破門しかないでしょう?」
このときはさすがに・・・もうだめだと思いました。もうね・・・それこそクラクラしました。いったい私は何をやってきたんだろうって。占い師になれたことに満足しきってて、覚悟を育ててもこなかったんだなって。これだけのことを言われなければわからないのですよ。いつもそうなんです。尊敬できる人の背中を見て走ってきたけれど、結局自分の試練は輝夜師匠に処理してもらっていたんです。それは今に始まったことじゃない。もっともっと、私が小さいときから・・・二つ上の面白い兄に構ってもらって何の疑問もなく楽しく過ごした子供時代に、忙しくても私を大事に育ててくれた両親、金銭的な苦労を一切かけさせないようにと私は裕福ではないけれどそれなりのことを施してもらってきた娘時代。私の基盤はみんなが自分を大事にしてくれたり、いろいろしてくれるような環境でした(断っておきますが金銭的なお嬢様ということではないのです)。会社を決めるときも親に助けてもらって、困ることがあれば親に解決してもらって、庇護してもらうのが当然の流れだった私には、「真剣に悩み真剣に考える」という場面がなかったんですね。その真剣さをはじめて行ったのが夫婦としての問題が出たときだったのかもしれません。誰も助けてくれないし、味方もいない中で苦しんだ毎日は、今まで私の人生にはない初めての孤独でした。占いの勉強は仲間もいたし輝夜師匠もいた。私は本当の意味で孤独になって、自分を知ることもなかった。だからこうやって大好きな人に突き放されなければ理解できないのです。これだけのことを言われなければ目覚めないというのはかなり問題だと思いませんか?私は精神的お嬢ちゃまだったんですよね。
でも面白いというか、不思議なことに、私の中で「じゃあ占いをやめよう」って気持ちが一ミリも湧かなかったんです。輝夜師匠と離れても占いは辞めたくないと思ったし、離れてもやれることを証明していくしかないなって(できるかどうかは別として)、破門を受け入れる気持ちでいました。親に「出て行け」と言われたら、出て行かねばなりません。
結局、破門にはならなかったのですが、私の中で輝夜師匠と自分のことをもう一度考え直したいと思える事件になりました。偉大な親を持っているとその恩恵に甘える二世のようになるのか、親の七光りだけで進もうとするずるさを身に着けてしまうのか、それとも親のくれた魂を受け継ぎながらも自らの道を切り開こうとするのか・・・。
そしてもうひとつ、その後のやり取りの中で指摘された私の弱点がこの日記のきっかけになりました。
「雨音さんって躓くと、すぐにこうして私に何でも聞きますよね?どうしてもっと時間をかけて、自分の力で知ろうとしないんでしょう。」
「自分で熟してくるまで良く考え、結論を出す努力を全てにおいてし続ける努力を雨音さんはすべきです。そこに雨音さんの求める力もあります。カップヌードルのように即席で得られるものの中に雨音さんの求める答えも力もないのだということを、そろそろ理解してください。」
いわゆるひとつの事例があれば、それについての感想は書けるんですね。
先日私はブログで「パトロールに立つ朝」というタイトルで、茶髪にピアスの小学生を発見した話題を書いています。あのブログは突っ込みどころが満載だと言われました。
あの日記に書いているのは一方的な角度からしか見ていない私の感想なのです。なぜ彼が子供らしくない格好で登校するのかを、もっとじっくり研究し、それこそ多角的に調べ、私なりの理論を出さねばならないと言われました。
私の価値観「茶髪にピアスなんて格好をさせている親はロクなやつじゃないはずだ!」=「私の価値観は正しい」という目でしか追求していないのです。自分が正しいと思っているうえでの価値観でしかない。もし、クラスの大半があの男の子のように茶髪でピアスをしてきたら、うちの息子の真面目な格好こそが浮いてしまうし、それこそ格好が原因でいじめられるかもしれないです。そのとき私は息子に私の価値観を押し付け続けることができるでしょうか?今のところ茶髪小学生が少数派であるだけで、時代が変わって彼らのような自由な主張が広がっていくなら私の価値観こそ転換を図らねばならなくなるかもしれません。
また、茶髪にピアスにランドセル放棄の小学生がどんな背景で育っているのかという考察が浅いのですね。だから一方的な感想に終わってしまって、突っ込みどころばかりの文章なんです。
「考察する」・・・これこそが私のこれからのテーマなのかもしれません。だってハッキリと苦手意識があるものです。
そして一番身近な存在なのにもかかわらず、もっとも考察が足りない自分自身を元に、切り口を見つけたいと思ってこのブログを書き始めました・・・。依存している自分、考えの足りない自分、考えの足りない部分を他の人に助けてもらおうとする自分・・・自分の歩んできた道を振り返ればそこにヒントがあるかもしれません。今までそんなことをしてこなかったので、上手に書けるかわかりませんでしたが、歩みを書き記すことで私の中で次々とはじけていくものがあったのは確かです。
少なくとも夫との事はよく見えるものがありましたし、「夫婦とは?」「結婚とは何なのだろう?」という新しい問題が湧き上がってきたので、今後自分の中で自分の人生を通して考察していく題材だと思っています。結婚問題は・・・ある意味私の一生の課題ともいえますね。これが自論を展開できたら強いですよ。この環境だから追究することができます。過酷な環境に生える生物ほど根が強いのと一緒ですよ。ああ、この環境はありがたいことに私をたくましくさせてくれるものなのですね。
そうですね。そんな風に現状に感謝できるとまた私も変われますよね。
先日のブログでお伝えした我が家の稚拙な夫婦喧嘩。
ブログを書いていた段階では、落ち着いていたつもりでいたのに。かなり感情で書いていたことがよ~~~く見えてきました。
どうしてこんなふうに事が起きるとすぐ乱れるのか。
①自分の中で本当の意味で、彼ら(夫や義父母)に対する怒りが消化できていないために、やりとりをまじめにやってくれない等、S家の伝統?なのかと思うくらいのことをされたりいわれるとすぐに頭に血が上る。
②それはどこかでやり込めてしまいたい自分がいるから。
ギャフンといわせたい、私の正しさを貫き、私の前で屈してもらいたいと密かに練っている私の計画があるから(女王様か?!)
③そうか・・・私はある意味女王様なのかもしれない!
自分の思うように事が進まないとイライラし、与えられた環境に不満を言い出し、なおかつ自分だけは悪くないと、わかっているけれど認めたくないのかもしれない。私にも悪いところはあるが、でもあなたよりましだ!と言うのが私の本音だと思うのだ。
④もしこの結婚環境が私にとって必要だから与えられた神様からのトレーニングマシーンだとしたら、やっぱり不満は言わず黙ってトレーニングを積んでみるしかないのかもね・・・・
そこで学ぶものはきっと、自分を守ることと、相手を責め立てることは違うということ。相手の欠点を知りながらも、でもそれをいちいち不満としてあげて生きるより、そんな相手に流されないでしっかりと説明できる自分を創っていくほうがよっぽどいいかもしれません。
そのスキルが足りないんですよ。
実はすごく土曜日以来モヤモヤしてしまって、というか昔の自分に簡単に戻ってしまったような感じがするのがとても気に障っているんですね。せっかく頑張ってきたのに、一瞬の噴火ですべて台無しになったことがくやしい。ホント、短気は損気です。
私はあの夫を許していないし、あの夫にまつわる環境も拒絶している。
それを認めて、また再スタートです。簡単に許せる問題なら、今頃こんなことウダウダ記載していませんものね。根が深い問題には、またこうして向き合わねばならないことがあります。まるで自分の進度をテストされているみたいですが。まだまだ・・・夫への対応には私の感情が丸出しであるし、私の意見はすごく攻撃的で一方的でした。もちろんちゃんと伝えられたところもあるけれど・・・。
落ち着いて考えれば反省ってちゃんと浮かんでくるのに、なぜそのときにそれができないのかと思うと、結局は人間、自分が攻撃されたくないと思うからまず自分を正当化し攻撃することから先にやってしまうんですね。なぜ先に攻撃を加えるのか・・・やっぱりそれは弱いからですよ。弱い犬ほどよく吠える、ですからね。
ブログを書いていた段階では、落ち着いていたつもりでいたのに。かなり感情で書いていたことがよ~~~く見えてきました。
どうしてこんなふうに事が起きるとすぐ乱れるのか。
①自分の中で本当の意味で、彼ら(夫や義父母)に対する怒りが消化できていないために、やりとりをまじめにやってくれない等、S家の伝統?なのかと思うくらいのことをされたりいわれるとすぐに頭に血が上る。
②それはどこかでやり込めてしまいたい自分がいるから。
ギャフンといわせたい、私の正しさを貫き、私の前で屈してもらいたいと密かに練っている私の計画があるから(女王様か?!)
③そうか・・・私はある意味女王様なのかもしれない!
自分の思うように事が進まないとイライラし、与えられた環境に不満を言い出し、なおかつ自分だけは悪くないと、わかっているけれど認めたくないのかもしれない。私にも悪いところはあるが、でもあなたよりましだ!と言うのが私の本音だと思うのだ。
④もしこの結婚環境が私にとって必要だから与えられた神様からのトレーニングマシーンだとしたら、やっぱり不満は言わず黙ってトレーニングを積んでみるしかないのかもね・・・・
そこで学ぶものはきっと、自分を守ることと、相手を責め立てることは違うということ。相手の欠点を知りながらも、でもそれをいちいち不満としてあげて生きるより、そんな相手に流されないでしっかりと説明できる自分を創っていくほうがよっぽどいいかもしれません。
そのスキルが足りないんですよ。
実はすごく土曜日以来モヤモヤしてしまって、というか昔の自分に簡単に戻ってしまったような感じがするのがとても気に障っているんですね。せっかく頑張ってきたのに、一瞬の噴火ですべて台無しになったことがくやしい。ホント、短気は損気です。
私はあの夫を許していないし、あの夫にまつわる環境も拒絶している。
それを認めて、また再スタートです。簡単に許せる問題なら、今頃こんなことウダウダ記載していませんものね。根が深い問題には、またこうして向き合わねばならないことがあります。まるで自分の進度をテストされているみたいですが。まだまだ・・・夫への対応には私の感情が丸出しであるし、私の意見はすごく攻撃的で一方的でした。もちろんちゃんと伝えられたところもあるけれど・・・。
落ち着いて考えれば反省ってちゃんと浮かんでくるのに、なぜそのときにそれができないのかと思うと、結局は人間、自分が攻撃されたくないと思うからまず自分を正当化し攻撃することから先にやってしまうんですね。なぜ先に攻撃を加えるのか・・・やっぱりそれは弱いからですよ。弱い犬ほどよく吠える、ですからね。
昨日は占いの会議の日。月に一度だけの私の貴重な私の学びの時間です。輝夜師匠のお宅までお邪魔して、子供たちは夫にお願いしています。
しかし、事件が。
私より先に家を出た夫からメールが「鍵を忘れて家に入れない」。だからどうしてほしいとも書かれていないメール。帰って来いなのか、それとも実家に行くよなのか。私の帰りは夜遅くなることは知っているので、私が夫の立場だったら都内の自分の実家に遊びに行きます(夫は消防やなんやらでしょっちゅう実家に帰っていますしね)「実家に行ってくれば」とメールをしておきましたが、音沙汰まったくなし。再度電話したら、うろうろ歩き回っている、実家になんて帰っても仕方ない、遅くなるんだよと言ったら「わかっているから」、挙句の果てに「うるせえ!」とガチャ切りされました(苦笑)。これでは話になりません。
そういったこともあり、昨日は帰宅してから話し合いです。
といっても、夫は話し合いなんてうざいだけだと思っている人なので、話し合いになるはずもなく、「ハイハイ」を機械的に口にするだけですよ。
挙句の果てに「うるさい」ですよ。
悪口を書いてはいけないのかもしれませんが、こういった時の夫の態度は、夫の両親の夫婦関係そのままをコピーしているんじゃないかと思えるくらい受け継いでいるんですね。
ありがとう、ごめんなさいね、その言葉を言わない両親。
配偶者の言葉に耳を傾けず、ひたすら焼酎を飲んでテレビを見て一人で笑って、孫を一回も抱っこしない義父。
「私はこうだった。あれもしたし、これもした」と自慢ばかりで自分の意見をしつこく私に押し付けようとする義母。
夫と話していると、背中にいる義父や義母とも話しているような気持ちになる。だから私は屈したくないんです。納得のいかないことがS家ではいっぱいあって、かばってももらえなかった。自分で自分の身を守らねば、ただいたずらにうらみつらみが増えていくだけです。
うらみつらみの塊になることと、自分が正しいと思うのなら、相手に何を言われても屈しない姿勢になることはまったく違うんですね。
ハッキリとわかるのです。なぜこの家に入ることになったのか。気弱な私では、後ろ向きで自信のない私では、この中で私の一番大事な意思を守れません。私を守れない人間が子供を守れるわけもありません。話し合いのできない人たちに従い、恨みを込めた人生など送ってはならない。
愛から学ぶものもあるけれど、愛のない状態でも学ぶものもあるはず。
夫とは日記にも書きましたが、今までいろいろあったことは私なりにもう消化して忘れていこうと思うのは確かですが、でも話をいきなり拒絶されたり、「うるせえ」と怒鳴られるのはたまりません。なんとか我慢して頑張っていこうと思う気持ちをくじかれた感じですよ。
でも私は自分が「おかしい」「納得できない」と思ったことを曖昧にしてはならないのですね。それは過去のこととはまったく別なのです。
江原さんが「結婚は人生の修練場」といいましたが、本当にそう思っています。
私は今まで自立しておらず、考えも浅く、自分には何もできないと思っていました。人の顔色を伺い、気に入られようと努めてきましたが、そんな考えを改めるような家に嫁ぐことになりました。これが私に課せられた役割ならば、逃げずに果たしていくだけです。私の自立の道だから。
しかし、事件が。
私より先に家を出た夫からメールが「鍵を忘れて家に入れない」。だからどうしてほしいとも書かれていないメール。帰って来いなのか、それとも実家に行くよなのか。私の帰りは夜遅くなることは知っているので、私が夫の立場だったら都内の自分の実家に遊びに行きます(夫は消防やなんやらでしょっちゅう実家に帰っていますしね)「実家に行ってくれば」とメールをしておきましたが、音沙汰まったくなし。再度電話したら、うろうろ歩き回っている、実家になんて帰っても仕方ない、遅くなるんだよと言ったら「わかっているから」、挙句の果てに「うるせえ!」とガチャ切りされました(苦笑)。これでは話になりません。
そういったこともあり、昨日は帰宅してから話し合いです。
といっても、夫は話し合いなんてうざいだけだと思っている人なので、話し合いになるはずもなく、「ハイハイ」を機械的に口にするだけですよ。
挙句の果てに「うるさい」ですよ。
悪口を書いてはいけないのかもしれませんが、こういった時の夫の態度は、夫の両親の夫婦関係そのままをコピーしているんじゃないかと思えるくらい受け継いでいるんですね。
ありがとう、ごめんなさいね、その言葉を言わない両親。
配偶者の言葉に耳を傾けず、ひたすら焼酎を飲んでテレビを見て一人で笑って、孫を一回も抱っこしない義父。
「私はこうだった。あれもしたし、これもした」と自慢ばかりで自分の意見をしつこく私に押し付けようとする義母。
夫と話していると、背中にいる義父や義母とも話しているような気持ちになる。だから私は屈したくないんです。納得のいかないことがS家ではいっぱいあって、かばってももらえなかった。自分で自分の身を守らねば、ただいたずらにうらみつらみが増えていくだけです。
うらみつらみの塊になることと、自分が正しいと思うのなら、相手に何を言われても屈しない姿勢になることはまったく違うんですね。
ハッキリとわかるのです。なぜこの家に入ることになったのか。気弱な私では、後ろ向きで自信のない私では、この中で私の一番大事な意思を守れません。私を守れない人間が子供を守れるわけもありません。話し合いのできない人たちに従い、恨みを込めた人生など送ってはならない。
愛から学ぶものもあるけれど、愛のない状態でも学ぶものもあるはず。
夫とは日記にも書きましたが、今までいろいろあったことは私なりにもう消化して忘れていこうと思うのは確かですが、でも話をいきなり拒絶されたり、「うるせえ」と怒鳴られるのはたまりません。なんとか我慢して頑張っていこうと思う気持ちをくじかれた感じですよ。
でも私は自分が「おかしい」「納得できない」と思ったことを曖昧にしてはならないのですね。それは過去のこととはまったく別なのです。
江原さんが「結婚は人生の修練場」といいましたが、本当にそう思っています。
私は今まで自立しておらず、考えも浅く、自分には何もできないと思っていました。人の顔色を伺い、気に入られようと努めてきましたが、そんな考えを改めるような家に嫁ぐことになりました。これが私に課せられた役割ならば、逃げずに果たしていくだけです。私の自立の道だから。
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プロフィール
HN:
志我雨音(しがあまね)
性別:
女性
職業:
占い師・レイキヒーラー・主婦
趣味:
ゆっくりとひとりカフェ♪
自己紹介:
日記をただつれづれなるままに書くだけでなく、自分にも、皆さんにも何かを感じていただけるような文章を作り上げたいと思います。
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